副役職の友が
勇み立てば
前進の勢いは加速!
中心者と心一つに
新たな広布の歴史を!
三沢抄 P1487
『仏法をがくする者は大地微塵よりをほけれどもまことに仏になる人は爪の上の土よりもすくなし』
☆こころに響く言葉 温かい最高の憩いの場所
さまざまな型の主婦がいるが、要するに賢明な妻ほど強いものはない。
自分を知り、自主性を保ち、包容力豊かに、
家庭を温かい最高の憩いの場所につくり上げることができるからだ。
☆女性に贈ることば 一月二十三日
自分の命を削ってまでも、子どものために生きる−−母親の愛情とは、それほど深く大きいものだ。
☆今日のことば365 一月二十三日
栄誉というものは、蛍火のようなものだ。
それが、暗黒の夜空に輝く点では美しく、その限りでは尊いものであるが、近づいてみれば、なんらの力もないことが、すぐわかってしまう。だから、最も美しく尊いのは、与えられるべくして栄誉を与えられた、その人のすぐれた人格にあるわけである。
☆新会員のための仏法入門 第21回 【御本尊】
『本尊』とは『根本として尊敬(尊崇)するもの』を意味し、信仰の根本対象をいいます。末法の御本仏である日蓮大聖人は、だれもが平等に、永遠に崩れざる幸福を確立できるように、南無妙法蓮華経の御本尊を顕されました。今回は『御本尊』について学びます。
◇大聖人の御生命そのもの
南無妙法蓮華経は、法華経の根底に指し示された『万人成仏の根源の法』であり、その名前です。
大聖人は、自身の生命に具わる妙法(=仏界)を覚知され、それが南無妙法蓮華経であると説き示されました。そして民衆救済のために妙法弘通に生き抜かれたのです。正しい教えを弘めたために難が次々に押し寄せましたが、どんな大難にも屈することはありませんでした。
この不借身命の実践を通して、大聖人は、御自身の身に、妙法と一体の仏の生命を顕されたのです。
そして、大聖人は、全ての人々が同じように仏の境涯を開いていけるよう、この仏の生命を御本尊として顕されました。
『日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ』(P1124)
御本尊は、根源の妙法である南無妙法蓮華経を自身の内に覚知して開き顕し、体得された大聖人の御生命そのものにほかならないのです。
御本尊のそうみょう(様相・姿)を拝すると、中央に『南無妙法蓮華経 日蓮』とお認めです。
成仏の根本法である南無妙法蓮華経が『法』としての本尊であり、その法を自身に開き顕され、人々に説き示された大聖人が『人』としての本尊です。
◇釈尊の功徳を譲り受ける
中国の天台大師は、成仏するための修行として、法華経の法理をもとに、自身の心を見つめていく『観念観法』を説きました。しかし、現実には優れた能力と大変な努力を必要とする極めて困難なものでした。
それに対して、大聖人は、南無妙法蓮華経の御本尊を受持して題目を唱えていくことが観心であると説かれました。観心とは、自身の生命に地獄から仏までの十界の境涯の全てが本来的に具わっていることを覚知する成仏の根本原因となる修行です。
大聖人は『釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う』(P246)と述べられています。
釈尊が成仏するために積んだ修行(因行)と、それによって得た功徳(果徳)の全てが『妙法蓮華経の五字』すなわち南無妙法蓮華経の御本尊に具わっています。
ゆえに、私たちは、御本尊を受持することによって、釈尊が修行で積んだ因の功徳と、仏として得た功徳の全てを譲り受けることができると教えられているのです。
このように、大聖人の仏法においては、南無妙法蓮華経の御本尊を受持することが、そのまま観心となります。このことを『受持即観心』といいます。
◇『法華弘通のはたじるし』
御書に『此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり』(P244)とあるとおり、御本尊と同じ生命が私たちの胸中に本来、具わっています。ゆえに、御本尊を信じて拝する時、私たち自身に具わっている仏界を開き顕していくことができるのです。
『我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて我が己心中の仏性・南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり』(P557)
『よびよばれて』呼び顕すのも自分であり、呼び出されるのも自分自身の胸中にある仏性(仏の性分)にほかなりません。
大聖人が顕された御本尊は、凡夫の私たちの仏界を現実に映し出す『明鏡』といえるでしょう。
大聖人は、御本尊について『法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり』(P1243)と仰せです。
この『広宣流布のための御本尊』を弘通してきたのが『信心の血脈』を受けた創価学会です。御本尊に自行化他にわたる題目を唱えることで、誰もが胸中の『仏の生命』を涌現させ、勝利の人生を開いていくことができます。
一対一の対話によって、御本尊への信心を弘めていくことこそ、大聖人の御遺命である法華弘通、すなわち全人類の救済を実現するための直道なのです。