2016年1月6日水曜日

2016.01.06 わが友に贈る

自分が立ち上がれば
地域も変わる!
旭日の生命力
はつらつたる声で
前進への新風を!

上野殿御返事 P1575
『其の上わづかの小郷にをほくの公事せめあてられてわが身はのるべき馬なし妻子はひきかくべき衣なし。かかる身なれども法華経の行者の山中の雪にせめられ食ともしかるらんとおもひやらせ給いてぜに一貫をくらせ給へるは貧女がめおとこ二人して一つの衣をきたりしを乞食にあたへりだが合子の中なりしひえを辟支仏にあたへたりしがごとし、たうとしたうとし』

☆こころに響く言葉 人生全体の総決算は
いかなる人生であれ、究極的に帰着するところは、
人間として、どのように生きるか、ということである。
言いかえると、人間として幸福であったかどうかということが、
その人の人生全体の総決算となる。
これは男性であろうと女性であろうと、いかなる職業であろうと、
身分や立場がどうであろうと、変わりはない。

☆今日を輝いて生きる指針 一月六日
仲よきことは、人生の最高の美であり、花である。

☆今日のことば365 一月六日
人生にあって
 笑いのないということは
  花のパッと開かないのと同じだ
いかなる葛藤の社会であっても
 ユーモアだけは忘れたくない

☆新春メッセージ (2016年1月号「無冠」)
世界広布の希望の朝が来た
あなたの一歩が人間革命の夜明けに

朝! 希望の朝! 闇を破って太陽は昇る。
来る日も来る日も、広宣流布の前進の朝を照らす創価の太陽こそ、「無冠の友」の皆さまです。
「聖教新聞」創刊65周年の元朝を、最も信頼する皆さま方と共に迎えることができ、これほどの喜びはありません。いつもいつも、本当にありがとうございます。

一日のスタートを告げる聖教新聞を手にする時「無冠の友」への感謝でいっぱいになります。
冬の配達。あたりは、まだ暗い。雨の日や雪の日もある。新聞がぬれないよう、一部一部、細心の注意を払い、工夫を凝らしてくださっていることも、痛いほど伝わってきます。
一軒一軒、真心を込めて届けてくださる「聖教新聞」は、まさに生命尊厳の哲理を掲げて、皆さまの尊き祈りと努力が打ち鳴らす�新時代の暁鐘�なのです。

先日、ある大阪婦人部の方の話を伺いました。近隣は農家が多く、配達の時間は早朝の農作業中。毎日、明るく朗らかなあいさつを心掛けてきました。何の反応も返ってこないこともありました。しかし、やがて「あなたを見ていて、創価学会の実像がわかった」と言われるように。
「あきらめないでよかった。苦労も吹き飛びました」と喜ばれていました。
麗しい友好と仏縁の拡大の劇は、全国各地で繰り広げられています。
経済界で重責を担われる東京の壮年部の方がしみじみと振り返っていました。それは、青春時代、新聞奨学生として苦学している時に、毎朝出会う聖教を配達していた婦人のあまりに温かい人柄に感動して入会。そのおかげで今の自分がある——との尽きせぬ報恩の思いです。
神奈川で、長年配達をされた祖母、今も配達をする母に続いて、三代目の無冠のバトンを継承した女子部のリーダーは語っていました。「母の配達にかける思いを聞くたび、背筋が伸びます。受け継いだのは、広布への真剣さと責任感です」と。
無冠の友がきょうも踏みしめる「一歩」から、自他共の人間革命の夜明けが始まります。崇高な使命に生き抜く皆さまの強き「生命」こそが、地域も社会も輝かせていく光源なのであります。

今、NHK連続テレビ小説「あさが来た」が好評を博しています。原案となったのは、女子大学や生命保険会社の創設に貢献した女性実業家・広岡浅子さんの生涯を描いた『小説 土佐堀川』(潮出版社)です。
近代日本の黎明期を生きた彼女のモツトーは「九転十起生」。転んでも、転んでも、また立ち上がる。粘り抜く。最後は勝つ。嫁ぎ先の商売の苦境や、命に及ぶ大病にも、一つ一つ立ち向かいピンチをチヤンスに変え、あとに続く女性たちの道を大きく開いていきました。
著者の古川智映子さんが述べています。
「浅子には、自分が偉くなろうという気持ちなんて、少しも無かったのではないか」
「目の前にある課題に全力で向き合って、それを乗り越えていくという生き方は、どんな時代や社会にも通じる普遍性があると思います」
無冠の友とも深く響き合う、潔く、毅然とした心構えです。
小説の最後で、浅子さんは皆に語ります。
「うちは、どんな困難に出遭おうとも、いつもこれからが本番や思うてやってきました。生涯が青春のような気いで、事業にとり組んできました」と。
「これからが本番」!
「生涯が青春」! 
このはじけるような生命の息吹で、私たちも、新しい一年を進み抜いていきたいと思うのです。

かけがえのない皆さまだからこそ、毎日の配達は万全の準備で、絶対無事故であってください。健康で、ご長寿であってください。私と妻は、朝な夕な、御本尊に真剣に祈念しております。
御義口伝には「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は化城即宝処なり我等が居住の山谷曠野皆皆常寂光の宝処なり」(P734)と明快に仰せであります。
自行化他の題目を唱え、行じ、弘めゆく無冠の友の行進は、それ自体が即、仏の振る舞いであり、仏の智慧と慈悲の顕現であります。
最高に充実した、限りない向上の人生とならないわけがない。生々世々、自身も一家眷属も無量無辺の福徳に包まれないわけがありません。
そして、自身が縁する天地をも、必ずや常寂光の宝処と勝ち栄えさせていく直道なのであります。
今、世界広宣流布の旭日が赫々と昇っています。その最大の力である「無冠の友」の皆さま方が、この一年も、「歓喜の中の大歓喜」の見事な大勝利の一日一日であられますよう、深く念願いたします。
どうか、共に、共々に大前進を! ますますお元気で!