新時代を担い立つ
創価班・牙城会の
大学校の若師子よ!
今こそ壁破る挑戦を!
青春勝利の歴史を綴れ!
種種御振舞御書 P911
『わづかの小島のぬしらがをどさんををぢては閻魔王のせめをばいかんがすべき、仏の御使となのりながらをくせんは無下の人人なり』
☆こころに響く言葉 より人間らしくあろうとする努力
人間を、人間たらしめる条件は何か。
ある人は英知といい「ホモ・サピエンス」と人間を名づけた。
ある人は、工作することに特質を認め「ホモ・ファーベル」と呼んだ。
オランダの歴史家ホイジンガは、遊戯することに人間の特質を認め
「ホモ・ルーデンス」と定義づけている。
これらの学説は、みな、それなりに、人間ならではの特質を、
端的にとらえたものであろう。
とはいえ、そのいずれも、人間の全体像を表現したものでないことは明白である。
もう一歩、深いところに、それらを総括するものがなければならない。
私は、あえて、これを"自己感性への意志"と名づけたい。
つまり、人間は、自ら人間であることを自覚するとともに、
より人間らしくあろうと努力することによって、
真実の人間となることができるのではなかろうか。
☆女性に贈ることば 一月十四日
学校では、学生として、真剣に生きる。家庭では、娘として、正直に生きる。結婚すれば、妻として、立派に生きる。
自分が今いる、その場所で、その立場で、周囲と協調しながら、一生懸命に生きていく。それが「謙虚」です。
反対に、周りのことなど考えないで、自分のやりたいようにやるのは「倣慢」です。
倣慢は不正義です。人を不幸にします。
謙虚は正義です。人を幸福にします。
☆今日のことば365 一月十四日
文学における古典は、人間の本質を知るうえに、欠かすことのできない手がかりとなろう。そこには、時代的な制約も、もとよりあろうが、時代を超えて、変わらぬ、人間性のありのままが、見事に描きだされているといってよい。
☆辻武寿指導の要点 今日は本当の信心の話をしたい。本当の信心の前進が出来なければいけない。
勤行というのは命に直接関係がある。
命に関係あるものに3つある。先ず食べる事と寝る事だ。栄養を撮らなければならないし、寝なければならない。この2つは誰でもよく分かるし皆やっている。あの人が気にくわないから、今日は食べる事はやめたとか、もう寝るのを止めるなんて事はしない。ところが、勤行については、ちょっと何かあるとやめてしまう人がある。これは勤行や題目が自身の命に直接関係あることを知らないからだ。
題目をあげれば自分の運命を良くする。あげなければ、どんどん悪くなる。やらなければ、自分の本来の運命が念仏の運命や真言の運命の方へ向いて行ってしまう。また本来の胃腸が弱いというような病気の運命、貧乏の運命の方へ引きずられてしまうのだ。
☆辻武寿指導の要点 喜びの題目
こうしたことは目に見えない。だから日々の勤行や唱題を怠けてしまうのだ。恐ろしい事だ。
「一切衆生、南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり」とあるが、本当にそう思って勤行しているかどうかだ。
勤行しながら「足が痛いなぁ」とか「一体誰がこんな長い勤行を決めたのだ、もっと短く出来ないのか」と思ってる様ではいけない。勤行・唱題が出来る事が、何にもまして最高に楽しいというのでなければダメだ。
「所詮、南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」とある。
結婚することは嬉しいことだろう、しかし南無妙法蓮華経は、それ以上に嬉しいのだ。何億のお金が貯まったということも嬉しいだろう、しかし、それ以上に嬉しいのだ。また永年の宿願でもあった家をやっと新築する事が出来た。それも嬉しいだろうが、南無妙法蓮華経はそれ以上だ。なかなか出来なかった子供がやっと生まれた。これも嬉しい事だろう。しかし南無妙法蓮華経は、もっともっと嬉しいのだ。
このように思って感謝して題目をあげているか自分の心に問いなさい。御本尊からすれば出してあげたい功徳の100%を頂いているかどうか、おそらく皆はその10%から20%で終わっているのではないかと思う。そんな状態では、大きな宿命に負けてしまう。
何故、御本尊に題目をあげれば功徳があるのか、また題目をあげる、その題目が、病気のためにあげたなら、その病気にしか効かない。また、商売のためにあげたなら、その商売だけにしか効かない。そんなことはない。御本尊は私と同じ生命にしてあげようとおっしゃっている。