友人の幸福も
同志の成長も
全ては一念で決まる。
強き祈りと行動で
人間革命の連帯を築け!
法衣書 P1296
『日月は地に落つべしや須弥山はくづるべしや大海の潮は増減せざるべしや大地は飜覆すべしや、此の御衣の功徳は法華経にとかれて候、但心をもつてをもひやらせ給い候へ、言にはのべがたし』
◇人生の座標
時代の混乱の原因の一つには、「知識」と「知恵」の混同がある。
学んだ「知識」を何に使うか。それが「知恵」である。「知恵」のない「知識」をいくら集めても、価値は生まれない。
習った「知識」を記憶しているだけでは観念である。
それに対し、「知恵」 は、生活であり、生きる力であり、生き抜く源泉だ。
「知恵」こそが、勝利と幸福につながる。「知識」だけでは幸福につながらない。
☆希望の虹〜世界の偉人を語る〜第7回 インド独立の父ガンジー
その後、ガンジーはインドにもどり、悪には従わず、非暴力で戦う独立運動のリーダーとなります。
当時のインドは、強力な軍隊をもつイギリスに占領されていました。きびしい差別があり、イギリス人が上で、インド人は下でした。
この不正をただすために、彼は戦いを開始しました。悲しい出来事や失敗もありました。何度もたいほされて牢屋に入れられましたが、信念をつらぬきとおしました。どこに行くにも腰布にサンダルばきの姿で、まずしく、一番差別に苦しんでいる人々の味方となって行動したのです。
勇気は、人から人へ伝わっていきます。その有名な出来事が「塩の行進」と呼ばれるものです。
この時代、インド人は、生活に欠かせない塩を自由につくったり、売ったりすることが禁止されていました。
ガンジーは、さけびました——人は塩がなくては生きられない。この海からの贈り物を取りあげる権利が、だれにあるのか!
1930年3月12日の朝、ガンジーはイギリス政府に反対するため、78人の弟子とともに約400キロはなれたインドの西海岸へと歩き始めました。浜辺に行き、自分の手で塩をつくるというのです。60歳のガンジーが、しっかりした足取りで進んでいく姿を見て、多くの人が次々に加わり、やがて数千人の大行進となりました。
海岸に着いたガンジーは天然の塩をひろい、これはわれわれのものだと、ほこらしげにかかげました。ガンジーも弟子たちも、たいほされましたが、ひるみませんでした。ぼうでなぐられたり、けられても、決して暴力に負けませんでした。このガンジーとともに、何万もの人々が牢屋に入れられました。それでも、民衆の大闘争は止まりませんでした。
同じく1930年の11月18日、創価学会は牧口常三郎先生、戸田先生の師弟によって創立され、だれもが幸せになれる社会を目指して、平和への歩みを開始したのです。