2014年10月9日木曜日

2014.10.09 わが友に贈る

青年ならば
広布の全責任を担う
気概に勇み立て!
大ロマンに燃え
今いる場所で勝て!

四条金吾殿御返事 P1143
『遊楽とは我等が色心依正ともに一念三千自受用身の仏にあらずや、法華経を持ち奉るより外に遊楽はなし』

◇人生の座標
「能」の真髄を書いたとされる、世阿弥の『花伝書』では、「時分の花」(若さゆえの美しさ。時とともに散る)と、「まことの花」(鍛えぬいた修行による美しさ。時とともに輝く)の違いを説いている。自分をたゆまず磨いた人だけが、年をとっても変わらない「まことの花」と咲くことができるというのである。

☆希望の虹〜世界の偉人を語る〜第7回 インド独立の父ガンジー
最高の"勇気の人"ガンジーは、いったい、どんな少年時代だったでしょうか。じつは意外なことに、とても、はずかしがり屋で、弱虫でした。
学校が終わると、友だちにからかわれるのが心配で、走って家に帰りました。寝る時も、おばけやドロボウやヘビがこわくて、明かりがなければ寝つけませんでした。けれども、まじめなお母さんの教えがあり、決めたことをやりぬく、がんばり屋でした。
そのガンジーが、大きな勇気の一歩をふみ出した事件があります。
それは、努力して弁護士になった若きガンジーが、仕事で南アフリカに行った時のことです。列車の一等車(一番いい客室の号車)に乗っていると、駅員が来て、「君は貨物車に乗るのだ」と言いました。同じ客室にいた白人が、茶色い肌のインド人といっしょに乗りたくないと、駅員に文句を言ったのです。ガンジーは、ちゃんと一等車のきっぷを持っていたにもかかわらず、貨物車に移らなかったために、列車から降ろされてしまいました。
人種差別といって、この国では当時、肌の色で人間に上下があると決められていたのです。
季節は冬でした。ガンジーは暗く冷え切った駅の待合室で、寒さにふるえながら一夜を明かしました。
このあと、どうするか。がまんしたまま仕事をすませ、ふるさとに帰る道もあったでしょう。
しかし、ガンジーは、自分のことだけでなく、人間が人間をバカにして、いじめること自体がゆるせませんでした。ガンジー青年は"勇気の人"に生まれ変わりました。この国に21年間とどまって、差別に対して非暴力で戦い抜きました。そして、ついに、この国に住むインドの人々を守る法律を勝ち取ったのです。
勇気は、青年を強くします。
とくに人のため、正義のため、勇気をもって立ち上がる時、青年は最も強くなるのです。