わが地区から
新しき人材を!
決定した祈りから
全てを始めよ!
壁は必ず破れる。
四条金吾御書 P1176
『又御をととどもには常はふびんのよしあるべし、つねにゆせにざうりのあたいなんど心あるべし、もしやの事のあらむにはかたきはゆるさじ、我がためにいのちをうしなはんずる者ぞかしとをぼして、とがありともせうせうの失をばしらぬやうにてあるべし』
◇人生の座標
自分をよく見せようとすると、しやべるのが苦痛になる。ありのままのあなたでいいのです。背伸びせず、自分の短所も長所も、正直に知ってもらえばいいのです。
☆大白蓮華巻頭言 2014年10月「強く明るく喜びの調べを!」
「何があっても負けない青春、負けない一生を!」
これは、わが創価の女性たちの合言葉である。
簡潔でありながら、なんと奥深い哲学が秘められ、なんと誇り高い信念が込められていることか。
「御義口伝」には、『自身の内なる妙法を悟って、自身の宮殿に入るのである。南無妙法蓮華経と唱えていくことは、自身の宮殿に入っていくのである』(P787、趣意)と仰せである。
幸福の宮殿とは、どこか遠くにあるのではない。わが生命の中にある。わが生命が宮殿なのである。
いかに苦しくても、いかに大変であっても、題目を唱えゆくならば、妙法と一体となり、前へ進む力が漲ってくる。生き抜く勇気が込み上げてくるのだ。
法華経には、『三界は安きこと無し 猶お火宅の如し 衆苦は充満して 甚だ怖畏す可し』(妙法蓮華経並開結P191)と説かれる。とりわけ末法に入り、天変地異が重なる世には、心の広い人も狭くなり、道を求める心を持つ人さえも邪見になってしまうと、御書には喝破されている。
そうした時代の真っ只中で、あの友の心にも、この友の心にも、何ものにも壊されない希望の宮殿を開いてきたのが、創価の草の根の対話といってよい。
その力は、祈りと真心から発する「励まし」の声だ。人を傷つけ、誑かし、引き裂く残忍な言葉が渦巻く社会にあって、それは、あまりに温かく、正しく、溢れる善意で人々を結び合わせる挑戦でもある。
日蓮大聖人は、『喜とは自他共に喜ぶ事なり』『自他共に智慧と慈悲と有るを喜とは云うなり』(P761、「御義口伝」)と教えてくださった。その通り、わが宝友たちは、日本中、世界中で、強く明るく喜びの調べを奏で、智慧と慈悲のスクラムを広げてくれているのだ。
『一切世間に怨多くして信じ難し』と言われる如く、誠心誠意、訴えた正法の哲理が、閉ざされた心、頑なな心から反発されることも、多々ある。
しかし、折伏の大師匠・戸田城聖先生は語られた。「法を弘めようと悩む。人々を幸福にしようと悩む。広宣流布のために悩む。これほど素晴らしい仏の悩みはないではいか」と。悩んだ分だけ、煩悩即菩提で、仏の境涯が深まり、大福運が積まれるのだ。
山形広布の母は、夜なべの内職で生活苦に挑みながら、夫と友に広大な天地を広布へ走った。二人のお子さんとの死別の悲哀も乗り越え、打ち続く災害にも皆を励まし、90歳となる今も毅然と戦う。
「三世の幸福を贈る折伏は、どんな富豪や権力者もできません。辛い時こそ、友に『私がいるよ、学会員がいるよ』と叫びたい。皆、命の底で妙法を求めていると思えば、励ましの心が湧いてきます」と。
文豪ビクトル・ユゴーは、「人に与える喜びには、反射のように弱まってもどるどころか、輝きを増してはねかえってくるという性質がある」と綴った。
我らは、共々に生命の大歓喜の輝きをいや増し、何があっても負けない「人材の城」を築きゆこう!
いつの世も
友に励まし
守り合い
勝利の旅路を
明るくひらかむ