2014年10月31日金曜日

2014.10.31 わが友に贈る

空気が乾燥する季節
火災に厳重警戒を!
使い始めの暖房器具や
コンセントの埃など
基本の注意を怠るな!

曾谷殿御返事 P1056
『何に法華経を信じ給うとも謗法あらば必ず地獄にをつべし、うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し』

◇人生の座標
同じ「自由」を、立派に価値創造に使う人もいれば、気ままに浪費して不価値・反価値にしてしまう人もいる。自由の名を叫びながら、自由を破壊する人もいる。「自由」それ自体、価値と不価値を含んでいる。

☆中国・陝西師範大学で第8回池田思想国際学術シンポジウムへのメッセージ
1981年、陝西省に聳え立つ秦嶺(しんれい)山脈において、地球上から絶滅寸前とされていた美しい朱鷺(とき)が幾羽も発見されました。その貴重なる朱鷺を、貴国から日本に贈っていただき、人工孵化に成功したことは、胸の熱くなる友誼と共生のドラマであります。
この友好のシンボルである「朱鷺」をモチーフにした上海歌舞団による舞劇が、明年、日本全国で公演される運びとなりました。
今月、そのプレビュー上演会が、中国人民対外友好協会と民音の主催で行われ、美しき圧巻の舞は大いなる魂の飛翔をもたらしてくれたのであります。
思えば、シルクロードは、音楽美術の結晶ともいうべき「飛天」が流伝する道でもありました。
シルクロードの各地に描かれた「飛天」は、羽衣をなびかせて自在に天を舞い、音楽を奏で、民衆救済に尽くす善なる力用を表しています。
この優美な飛天の如く、あらゆる束縛や障害を打ち破り、青年たちの尽きることのない英知と創造力を、私たちは広々と解き放っていきたい。そして、人類の平和と共生の未来へ、共々に天空高く飛翔してまいりたいのであります。
私も先生方とご一緒に、未来永遠に世界市民が心を通わせゆく「精神のシルクロード」を力の限り、開き続けていく決心であります。
結びに、西安市、そして陝西師範大学の千秋万歳の大発展、またご列席くださいました諸先生方のますますのご健勝とご活躍を、私は妻と共に、心よりお祈り申し上げ、メッセージとさせていただきます。謝謝(シェシェ)!

2014.10.30 わが友に贈る

人材育成の根本は
一緒に動くことだ。
共に学び合うことだ。
励まし続けることだ。
さあ今日も友のもとへ!

種種御振舞御書 P919
『此の国の亡びん事疑いなかるべけれども且く禁をなして国をたすけ給へと日蓮がひかうればこそ今までは安穏にありつれどもはうに過ぐれば罰あたりぬるなり』

◇人生の座標
自由とは、自分の生きる価値で決まる。自分の「心」、「境涯」で決まる。そこに自由があるのに、自分はそれをわからずに、不自由と思っている場合もあるだろう。同じ場所にいる人が、大いなる自由を感じている場合もある。

☆中国・陝西師範大学で第8回池田思想国際学術シンポジウムへのメッセージ
第三に申し上げたいのは「教育の連帯」です。
二千年前、ここ西安に創設された中国初の官立学府は、まさしく大学の源とされております。この学術の都、教育の都に、日本からの幾百千の遣隋使・遣唐使も学び、惜しみなく文化の実りを伝えていただきました。
長安と日本を結ぶ道は「ブックロード」とも呼ばれます。留学者たちが命懸けで、貴国から持ち帰った厖大な漢籍が、日本の文化の礎となりました。
ともあれ、教育の本義たる、人間生命の可能性の開花のためには、異なる他者との相互の啓発が絶対に不可欠であります。
これは、中国の青年たちと奥深い精神の連帯を結んだアメリカの大教育者デューイ博士の哲学でもありました。デューイ研究の最高峰の二人の知性、ヒックマン博士、ガリソン博士との鼎談集で、私たちが確認し合った一点は、"個人や、文化全体が相互に作用し合う時にこそ、新しい意義と価値が生まれる"ということであります。
おかげさまで、わが創価大学も、日本における「スーパーグローバル大学」の一つに選定されました。
特に中国の多くの大学と学術交流協定を結ばせていただいていることに、この場をお借りし、あらためて御礼申し上げます。

2014年10月29日水曜日

2014.10.29 わが友に贈る

わが目標へ向かい
執念の挑戦を!
たゆまざる努力の中に
自身の成長があり
新しき建設がある!

最蓮房御返事 P1340
『今時は師に於て正師邪師善師悪師の不同ある事を知つて邪悪の師を遠離し正善の師に親近すべきなり』

◇人生の座標
自由とは、不自由と表裏一体です。一番多忙な人は、一番不自由なようでいて、一番本当の自由を謳歌している。
時間的な自由というのは「空」です。時間の長さは基準にならない。時間がたくさんあるから自由とは言えない。

☆中国・陝西師範大学で第8回池田思想国際学術シンポジウムへのメッセージ
第二に申し上げたいのは「女性の交流」です。
大乗仏典の精髄である生命の讃歌「法華経」は、鳩摩羅什とその弟子たちによって、ここ西安で翻訳されていきました。
この法華経の中で第一ともいうべき要の法理は「女人成仏」すなわち「女性の尊厳と永遠の幸福」の大宣言にこそあります。
陝西師範大学が誇る「婦女文化博物館」には、漢字とは異なる、女性だけで用いた文字(女性文字)である「女書」の貴重な資料が保管されています。湖南省江永県で発見されたもので、その地域の女性の間で交わされ、伝えられてきた文字であります。
明代の末期から清代の初期に形成されたともいわれ、女性が表現手段として、自分たちの文字を使用したいという点において、漢字をもとにした日本の平仮名や韓国のハングルと相通ずるとの研究もなされております。
いずれにしても、いかなる時代・境遇にあっても、女性たちが生命を慈しみ、育み、苦楽を分かち合って咲かせてきた「文化の華」の一つといえましょう。
高度な情報化が進む現代において、女性の優れたコミュニケーション能力は、いよいよ輝きを放っていくに違いありません。
私たちの忘れ得ぬ規範は、周恩来総理の夫人であられる�頴超先生です。
素晴らしい劇を上演した、ある劇団員の方への激励も思い起こされます。
�先生は、劇の上演には、各分野のチームワークが要請されるとされ、「上演の裏方の仕事は、いずれも無名の英雄です。私はあなた方を通して、これら裏方の仕事をしている皆さんに感謝の意を表したい」(高橋強、水上弘子、周恩来�穎超研究会編著『人民の母—�穎超』)と語り掛けられました。
地域社会にあっても、温かく、細やかな女性たちの対話と交流の積み重ねによってこそ、生命尊厳と平和のオアシスが広がりゆくことを、私は確信してやみません。

2014年10月28日火曜日

2014.10.28 わが友に贈る

多忙な中にあっても
読書の暇をつくろう!
一日5分でもいい。
学び続ける人生に
行き詰まりはない!

佐渡御書 P958
『心は法華経を信ずる故に梵天帝釈をも猶恐しと思はず』

◇人生の座標
悪なくして善はなく、善なくして悪なし--両者は、相対的であるとともに相補的な実在である。
決定的に重要なことは、善も悪も互いに(善なら悪を、悪なら善を)「他者」として、その関係性の上に「自己」を成り立たせているということである。
ゆえに、悪も、対応のいかんによっては善に転じ得るのだという点では、可変的実在なのである。

☆中国・陝西師範大学で第8回池田思想国際学術シンポジウムへのメッセージ
第一は、「文化の和合」であります。
いにしえの『礼記(らいき)』には、「楽は天地の和なり」(音楽は天地の間の〈自然の〉和合作用を代表するもの)と記されています。
この音楽の妙なる「和合の力」の偉大な実例こそ、シルクロードであったとはいえないでしょうか。
大国際都市たる長安(現在の西安)に、西アジアから日本までを結ぶシルクロードの各地から多彩な楽舞が集まり、「十部楽」として見事に集大成されたことも、有名であります。
ここで私が、シルクロードの音楽文化に注目するのは、その基盤があくまでも「内発的」であるからであります。
『礼記』に「楽は中(うち)より出づ」(音楽は内面から来る)、「楽は徳の華(か)なり」(徳の美しい発現が音楽である)、また「論倫(ろんりん)、患(うれい)無きは楽の情なり、欣喜歓愛(きんきかんあい)は学の官なり」(人びとを互いに親しませ、憂いや悲しみを忘れさせるのが、音楽の性能であり、人を喜び楽しませるのが、音楽の作用である)ともあります。
まさに、心より出て心へ至り、憂愁や悲嘆を取り払い、希望と喜びをもって、心と心を結ぶ——かのシルクロードの音楽に象徴される文化の和合の力を、現代に蘇らせていきたい。
その願いを込めて、民主音楽協会(民音)を創立したのは、1963年のことでありました。当初は、無理解や偏見の批判も浴びせられましたが、半世紀を経て、105カ国・地域の音楽芸術を日本に伝え、鑑賞者は累計で1億1000万人を超えます。
1985年、いまだ険しい冷戦の国際情勢下にあった「シルクロード音楽の旅」の公演では、中国とソ連、さらにトルコ、日本の麗しき友情のハーモニーが、清々しい感動を広げたのであります。
敬愛してやまない周恩来総理は強調されました。
「われわれは人民の世紀の開始に立っている。われわれのこの時代における国際関係の時点は、人民外交の大々的展開である」(森下修一編訳『周恩来・中国の内外政策』)と。
なかんずく、周総理が重視されたのが、文化交流であり、民間交流であります。
どんな複雑な時代にあっても、この道さえ閉ざさなければ、必ず平和友好を開くことができる——周総理から託された揺るぎなき信念を、私は次の世代へ厳然と受け継いでいきたいのであります。

2014年10月27日月曜日

2014.10.27 わが友に贈る

◇今週のことば
難を乗り越える信心だ。
妙法は絶対なりとの
大確信で祈り切れ!
今の労苦が必ずや
生命の財宝となる。
2014年10月27日

最蓮房御返事 P1341
『弘長には伊豆の国に流され文永には佐渡嶋に流され或は竜口の頚の座等此の外種種の難数を知らず、経文の如くならば予は正師なり善師なり諸宗の学者は悉く邪師なり悪師なりと覚し食し候へ』

◇人生の座標
梅が桜に憧れて、桜になろうとしても、意味がない。梅は梅らしく、自分を咲かせきっていくことが正しいし、それが幸福というものです。
個性はみんな違う。だから面白い。みんな同じだったら、つまらないでしょう。

☆中国・陝西師範大学で第8回池田思想国際学術シンポジウムへのメッセージ
深き学理の探究と、大きな友誼の心で、第8回の国際学術シンポジウムにご参集くださいました先生方に、最大の敬意を表します。ご多忙のなか、誠に誠に、ありがとうございます。
シンポジウムのために最高に素晴らしき舞台を整え、迎えてくださいました陝西師範大学の程光旭(ていこうきょく)学長、お懐かしい房喩(ぼうゆ)前学長をはじめ、ご関係の先生方に心から感謝申し上げます。
今回のテーマである「『精神のシルクロード』で開く新時代」を掘り下げるうえで、ここ西安ほど、ふさわしきロマンの天地はないでありましょう。
私自身、1974年6月、この憧れの都・西安で、壮大なる人類の交流の歴史を偲びながら、冷戦で凍え切った世界へ、新たな対話の陽光を広げゆく決意を深めました。
この初訪中からの1年間で、私はソ連を初訪問し、再び中国へ、さらにアメリカへ、三度、中国へ、そしてヨーロッパへ、またソ連へと、平和追求の旅を重ねました。
その間断のない対話の流れの中で、私はモスクワ大学での講演に臨み、「世界市民の心と心に燦然と輝く『精神のシルクロード』の確立を!」と呼び掛けたのであります。
今再び、宿縁深き先生方とご一緒に、私はシルクロードの原点の地・西安に立って、新たな一歩を踏み出す思いで、メッセージを贈らせていただきます。

中国の陳から隋代の大哲人・天台大師は、「道は能通(能く通ずる)を以て義と為す」と説きました。
万般において、行く手を阻む障壁が立ちはだかろうとも、それを突き抜け、目的へ、理想へ、断固と到達せしめていく——ここに、道の道たるゆえんがあるといってよいでありましょう。
ここでは、人類の心を結びあわせゆく道に、「文化の和合」「女性の交流」そして「教育の連帯」という3つの次元から、光を当ててみたいと思います。

◎関西で11.5「男子部の日」を祝賀する新時代第2回全国男子部幹部会
◎サイクリストの聖地「しまなみ海道」に7,300人、来年は参加したい!(^^)!

2014.10.26 わが友に贈る

自分に勝つ人こそ
最も偉大な勝利者!
昨日よりも今日
今日よりも明日へ
一歩でも前に進め!

太田入道殿御返事 P1012
『書は言を尽さず言は心を尽さず事事見参の時を期せん』

◇人生の座標
この世に生まれてきた以上、絶対に自分にしかできない自分の使命がある。そうでなければ、生まれてはこない。宇宙は決して無駄なことはしない。何か意味がある。人間が「雑草」と呼んでいる植物にだって、何か意味がある。また、「桜」には桜の、「梅」には梅の、「桃」には桃の、「李」には李の、それぞれの個性があり、使命があり、意味がある。

☆名誉会長と共に新時代を開く 第39回 新しい力を 新しい勝利を
今、全国で、世界の各地で、新入会の友が誕生している。
人を育てることが、新時代を開くことである。学会精神を伝え、人材を育てるといっても、特別な方法があるわけではない。
戸田先生は言われた。
「学会の会合は、たとえ一人でも、二人でも、その人を大切にし、その人のために仏法を説き、感激をもって、真剣に語り合っていくことだ」
たとえ相手が一人でも「よく来ましたね」「ゆっくりお話しましょう」と声を掛け、悩みや意見に耳を傾ける。それでこそ人は心を開き、立ち上がる。
日々の触れ合いの中で、一歩一歩、信心を深めていきたい。先輩として、友として、ありのままに話していくのだ。その人をよく知り、幸福を真剣に祈る中で、智慧と慈悲が湧く。最高の励ましを送っていける。

信心は年数ではない。勇気で決まる。師弟に生きる心の深さで決まる。「熱原の三烈士」の不惜身命の精神を、私は詩にうたい、友に贈ったことがある。
生死流転の神四郎
桜の花に吹く風に
あれよ広布の鑑よと
その名かんばし熱原の
烈士の命 誉れあり
三烈士の入信は法難前年の弘安元年ごろ。いわば「新入会」の偉大なる使命の人であった。
思えば、戸田先生と共に75万世帯の弘教を成し遂げたのも、新しい人材だった。
当時は、入会3年以内の友が約8割。新しい力が、新しい歴史を創ったのだ。
御書には、『師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし』(P957、「佐渡御書」)と仰せだ。
勇気の信心あるところ、必ずや地涌の菩薩が躍り出る。ここに広布の方程式がある。
さあ、共に築こう! 新しい希望を! 新しい勝利を!

2014.10.25 わが友に贈る

共に仏法を学び
語り合うなかで
信心の原点は築かれる。
任用試験の受験者に
最大の励ましを!

妙密上人御消息 P1237
『夫れ須弥山の始を尋ぬれば一塵なり大海の初は一露なり一を重ぬれば二となり二を重ぬれば三乃至十百千万億阿僧祇の母は唯一なるべし』

◇人生の座標
「桜梅桃李」(桜は桜らしく、梅は梅らしく、桃は桃らしく、李は李らしく)という言葉がある。それぞれの個性や違いを認め合い、よいところを見つけ、褒め称えていける、そういう広い心があれば、その人のもとには、人が集まる。自分も喜びを感じられるし、喜びを与えることもできる。
反対に、小さいことで人を責めたり、いちいち騒ぎたてたりする、心の狭い人は、皆を疲れさせるし、避けられてしまうものだ。

◇人生の座標
この世に生まれてきた以上、絶対に自分にしかできない自分の使命がある。そうでなければ、生まれてはこない。宇宙は決して無駄なことはしない。何か意味がある。人間が「雑草」と呼んでいる植物にだって、何か意味がある。また、「桜」には桜の、「梅」には梅の、「桃」には桃の、「李」には李の、それぞれの個性があり、使命があり、意味がある。

☆中国・南京理工大学「名誉教授」称号授与式への謝辞
本日、私は、大中国の科学技術を誇り高くリードされゆく名門、貴・南京理工大学から、最上の栄誉を賜りました。
「以人為本、厚徳博学」(人をもって本となし、徳厚き博学の人たれ)との高邁なる建学の精神を、深く生命に刻みつつ、貴大学の名誉ある一員とさせていただきます。
王暁鋒学長をはじめ、諸先生方の御厚情に、心より御礼を申し上げます。誠に誠にありがとうございました。
王者の風格の大河・長江と共に、悠久の歴史の絵巻を綴ってこられた佳麗なる古都・南京を、高名な歴史学者の朱�(しゅせつ)先生は讃えられました。
——文学は盛んに人物も優れ、山河は秀麗にして気象も雄壮偉大なり。しかも民族と難儀を共にし、喜びと憂いを分かち合う親しさにおいて、第一の都なり、と。
この天下一なる人材の都・南京において、仰ぎ見る英知と人格の指導者を育成し続けてこられたのが、人間王者の最高学府たる貴大学であります。
産学連携を推進して、地域の経済発展に寄与されるとともに、大中国の工業化、情報化を力強く牽引されてきた足跡も、誠に有名であります。
貴大学は、昨年、創立60周年の佳節を飾られ、更に堂々たる飛躍を遂げておられます。
王学長はじめ諸先生方、また麗しき同窓の方々の偉大な御尽力に、私たちは、心より尊敬と賞讃の大拍手を送らせていただきたいのであります。

36年前(1978年)の秋、南京に第一歩をしるした折、各界の皆様方に、ひときわ冴えわたる月天子と共に熱烈歓迎していただいたことが、昨日のように思い起こされます。
天も、地も、人の心も美しき、世界に燦たる、この民衆の宝土を、日本軍の蛮行がどれほど蹂躙してしまったことか。
私たちは、雨花台の烈士陵園を訪れ、新中国建設のために命を賭して戦われた先人方、そして、日中戦争の犠牲となられた数多くの方々に、懇ろに追善の祈りを捧げさせていただきました。
わが創価教育は、日本を暴走させた国家主義、軍国主義の教育に真っ向から対峙して、「人間主義」「平和主義」の価値を想像する教育を貫き通してまいりました。
創始者である牧口常三郎先生と戸田城聖先生の師弟は、軍部政府に投獄され、牧口先生は獄死しております。
生きて出獄した戸田先生と共に、私たち弟子は、生命尊厳を信念とする若き世界市民を育成し、平和と文化と教育の連帯を広げゆくことこそ、残酷な戦争の悲劇を転換する王道なりと定めて、数多の圧迫を恐れずに、行動を重ねてまいりました。
貴国の皆様方と共々に、留学生の往来をはじめ、両国の青年交流の「金の橋」を、大きく築くことができました。
この橋は、いかなる時代の激流にも断じて揺らぐことはないと確信しております。
貴大学は、幅広く世界の大学と教育交流を推進され、多くの国々から留学生を受け入れ、極めて国際性豊かな総合大学として大発展を続けておられます。
その意味におきまして、私は、貴大学から賜りました栄誉を、わが創価大学、アメリカ創価大学、創価学園の学生・生徒、教職員、卒業生一同と共々に拝受させていただき、この尊き友情を次の世代へ脈々と受け継いでいきたいと思っております。

南京訪問の折に、私たちは、人民の力で築き上げられた長江大橋を見学し、さらに、敬愛してやまぬ周恩来総理が建国前の激動期に奮闘された梅園新村記念館にも案内していただきました。
そして、厳粛な佇まいの中山陵(ちゅうざんりょう)を訪れ、中国革命の父・孫文先生のお心を偲んだのであります。
孫文先生は、力強く訴えられました。
「世界の事業は、どうしても、まず、事をはじめる人間を必要とし、そのあと多くの賛成者を必要とし、さらにそのあと多数の実行者を必要とし、そうしてこそ成功をおさめることができます」(山口一郎訳『孫文選集』第1巻)と。
孫文先生の魂魄が留められた、ここ南京の地で、貴大学は、先生の叫びのままに、教育の真髄の力によって、壮大なる長江の流れの如く、滔々たる人材の潮流を創り広げてこられました。
この夏、若者のスポーツの祭典であるユースオリンピックが、南京で盛大に行われました。
「青春を分かち合い、共に未来を築こう!」をスローガンに掲げた大会において、貴大学の学生たちが、幾多のボランティアとして溌剌と活躍されたことは、実に清々(すがすが)しい青春の劇であります。
貴大学が、有為な逸材を社会に送り出し、中国屈指の就職率を誇っていることも、よく存じ上げております。
貴大学の大前進を、青年をこよなく愛された孫文先生も、周恩来総理も、さぞかし会心の笑顔で見守られているに違いありません。

英明なリーダーシップを発揮される王学長は、学生たちに対して、期待を込めて、温かく呼び掛けておられます。
——天高く聳える大樹の如く、順境と逆境とを問わず、栄誉と恥辱に動ぜず、力強い姿を保ち、頭の天辺の真っ青な空と白い雲を黙々と注視することができるようになるのだ。
そして、艶を競って咲き誇る二月蘭の如く、チャンスとチャレンジとを問わず、いつもと変わらぬ優雅な態度を保ち、足元の肥沃な大地に深く根を下ろすことができるようになろう——と。
何と素晴らしき青春の指針でありましょうか。
今、世界はますます烈風の吹き荒れる乱世であるからこそ、教育の拡充と深化と交流によって、私たちは、若き生命に、何ものにも負けない勇気を薫発してまいりたい。
そして、いかなる危機をも打開する智慧を磨き、あらゆる差異を乗り越えていく友誼の心を育んでいきたいと思うのであります。
青年の熱と力こそが、地球文明の新たな創造をもたらします。
青年の熱と力こそが、人類の未来の勝利を開きます。
青年の熱と力こそが、世界の平和と共生を広げます。
貴大学の校歌は、高らかに謳い上げております。
「知識の海洋を逍遥し
天地寰宇(かんう=天下)を探索する
我らは神聖なる使命を担いつつ
素晴らしき明日を創造する」と。
本日より、貴大学の皆様方と御一緒に、私たちも、中国と日本、さらにアジア、そして全世界の「素晴らしき明日」の創造へ、勇躍邁進していくことをお約束申し上げ、謝辞とさせていただきます。
謝謝(シェシェ)!

2014年10月24日金曜日

2014.10.24 わが友に贈る

勤行・唱題は
白馬が駆ける如く
朗々と力強く!
大生命力を輝かせ
勢いよく一日を出発!

開目抄上 P202
『今の世を見るに日蓮より外の諸僧たれの人か法華経につけて諸人に悪口罵詈せられ刀杖等を加えらるる者ある、日蓮なくば此の一偈の未来記は妄語となりぬ』

◇人生の座標
人間は、生きているかぎり、必ず悩みがあり、課題があるものだ。その悩みや課題を"どうやって"克服するか。ただ一つ、自らの「挑戦」によってのみ、それは可能となる。むしろ喜びや楽しみにさえ変えていける。
つまるところ、自分自身に勝利する中にしか、満足も幸福もないのである。

2014年10月23日木曜日

2014.10.23 わが友に贈る

自らが苦労してこそ
友の悩みに寄り添える。
信心の偉大さが分かる。
大変な時が境涯を
広げる最大の好機だ!

日女御前御返事 P1247
『法華経をば経のごとく持つ人人も法華経の行者を或は貪瞋癡により或は世間の事により或はしなじなのふるまひによつて憎む人あり、此は法華経を信ずれども信ずる功徳なしかへりて罰をかほるなり』

◇人生の座標
人間の可能性というのは不思議なもので、自分は頭が悪いんだと決めつけると、本当に頭が働かなくなってしまう。「自分の頭脳は、ほとんど使っていないんだ。眠っているんだ。だから、努力すれば、いくらだって自分はできるんだ」と確信することです。事実、そうなのだから。

2014年10月22日水曜日

2014.10.22 わが友に贈る

陰の立場で
地道に奮闘する友を
見つけ出して讃えよ!
リーダーの心配りが
皆の力を引き出す!

妙密上人御消息 P1237
『上大聖より下蚊虻に至るまで命を財とせざるはなし、これを奪へば又第一の重罪なり』

◇人生の座標
自分らしく全力疾走することです。全力で走ってみなければ、自分にどれだけ力があるかわからない。走ってみもしないで「どうせ自分なんか」と決めつけるのは倣慢です。生命に対して、自分に対して倣慢です。卑怯とも言える。

☆創価学園第23回栄光祭 カレーの市民 1990.07.17
きょうは、歴史に残る、第二十三回栄光祭おめでとう。 諸君は、私の宝である。諸君は、私の意志を継いでくれる一人一人である。諸君は、世界に雄飛し、私の切り開いた道を完成しゆく一人一人である。
そのことを思うと、私は最高の幸福者である。そして、何の心配もないし、何の憂いもない。私の人生の幸福は、王者のごとくである。諸君のますますの成長と健康をお祈りしたい。また、ご家族の皆さま、教職員の方々に、私は心から感謝と祝福を申し上げます。
きょう七月十七日は、私の出獄の記念日である。その意義も含めか本日はまず、アーマンド・ハマー博士の自伝に基づき、博士のお父さんの話を少ししたい。
じつは、ハマー博士は、最も多感な青春時代に、お父さんを裁判にかけられ、投獄をされるという、つらく苦しい歴史を刻んでいる。それは、医師であるお父さんが、殺人罪で告訴されたことである。くわしい事情は略すが、患者さんを思ってのお父さんの善意の行動が、曲解された。そしてまた、社会運動に関心をもっていたお父さんを陥れようとする反対勢力の動きもあった。
ハマー青年は、父の潔白を信じ、懸命に訴えた。だが、父を守るべきはずの弁護士が、これまた悪徳弁護士で、少しも役に立たない。そればかりか、勝てるはずの裁判をかえって不利に進めたのである。また、悪意のマスコミにも興味本位に書かれた。裁判を戦う者にとって、これらは致命傷ともいえる。
本来は正しき人のため、権力をもたぬ立場の人のために戦うのが弁護士等の職業である。しかし現実は、必ずしも、そうなってはいない。その矛盾した社会を変革するために諸君がいる。今や学園出身者の中からは、多くの弁護士も誕生しており、私はうれしい。その成長と活躍を心から期待している。
結局、ハマー博士のお父さんは、裁判に負け、有罪の判決を受ける。
「愛する親が、被告席に座っていたり、囚人服を着せられた姿を平然と正視できる人はきわめて少ないだろう」(アーマンド・ハマー『ドクター・ハマー』広瀬隆訳、ダイヤモンド社)と、ハマー博士は振り返っている。ハマー博士の人生にあって、まさに「悲しくて絶望に満ちた時期であった」(同前)。しかし、当時まだ医学生だったハマー青年は、歯をくいしばって勉強を続けた。
"今は何もできない。しかし今に見よ!ともかく力をつけよう。学びに学ぼう。そしていつか、父の正義と真実を証明するのだ仇を討つのだ"
——私には、そうしたハマー青年の心情が痛いほど伝わってくる。
私の恩師戸田先生も、そうであられたからである。先生は、権力によって獄死させられた牧口先生の正義を証明するために、一人立たれた。そして私は、戸田先生の正義を証明するために一人立った——。
やがて、大学を卒業すると、ハマー青年はアメリカから、父の祖国ロシアへ渡る。当時、チフスがはびこっていたこの地で学んだ医療を役立てよう、そしてまた、刑務所の独房に捕らわれの身となったお父さんに、懐かしい祖国の革命後の様子を伝え、励まそう——そうした気持ちがあった。一流の人物は、逆境をバネとして大きく力をつけていく。"もうだめだ"と結論するのは、その人の心の弱さの証明でしかない。
ハマー青年は、父の投獄という最も悲しい悔しい体験をバネとして、自身の舞台を大きく世界に開いた。「アメリカとソ連の架け橋」としての行動を、雄々しく開始したのである。後に、ハマー青年は、ソ連で事業を成功させ、出獄したお父さん、お母さんをアメリカからモスクワに招いて、親孝行をしている。
そして、何よりも、世界を舞台にした目覚ましい活躍の姿を通して、父に着せられた汚名をそそいでいったのである。また事実、ハマー博士は有罪判決をくつがえす裁判を起こし、一九四三年に、父の無罪判決を勝ち取っている。(寺谷弘壬『ドクター・ハマーが動いた!』KKベストセラーズ、参照)まことに味わい深い、素晴らしい人生のドラマといってよい。博士の経歴のうえから、諸君の何らかの参考になればと思い、紹介させていただいた。
「世界を制覇せんとするものは、汝自身の悲哀を制覇せよ」との言がある。私の好きな言葉である。
多感な青春時代、諸君にも大なり小なり、つらいこと、苦しいことがあるかもしれない。しかし、そこで負けてはならない。強く、また強く耐えながら、学びに学び、力を磨き、人生の勝利者に育っていけばよいのである。私は諸君の活躍を、いつも見守っている。また一生涯、見守っていく。

次に、これも「捕われの身」に関連するが、真実の勇者、真の戦士とは誰か、いかなる人物かということに触れておきたい。

——大海の深き淵は見えない。青空の遠き奥も見えない。
大いなる勇気も、浅き世間の目には見えない。それどころか、しばしば臆病にさえ見える場合がある。
今春、卒業式で、彫刻家ロダンのお話をした。彼の傑作の一つに「カレーの市民」がある。これは14世紀の史実に題材をとった作品である。
カレーとは、フランス北端の港町。ドーバー海峡をはさんでイギリスと向かい合っている。
物語は、イギリスとフランスとの「100年戦争」(1337〜1453年)中のことである。
1347年。カレー市民は、イギリス軍に包囲されていた。もう、一年間もこんな状態が続いている。
市に助けを出すべきフランス王フィリップ6世にも、見捨てられてしまった。
その時、市民はどう生きたか——。この極限の状況のなか、今なお全ヨーロッパの人々に語り継がれる人間のドラマが、カレー市に生まれたのである。
その魂の劇を描いたのはドイツの作家ゲオルク・カイザー(1878〜1945年)。反ナチスの作家としても有名な彼の戯曲「カレーの市民」は、全世界の人々に感銘を与えた。
日本でも上演され、またよく読まれた。原作は少々難しい面もあるので、本日は、青春時代の記憶に基づき、ごくあらすじのみ、お話しさせていただきたい。

その日の朝、カレーの市民たちのもとに、イギリス王エドワード3世からの使者が届いた。「町を破壊されたくなかったら、一つの条件をのめ」というのである。負け戦のカレー市としては黙って耳を傾ける以外にない。
負けることは惨めである。悲惨である。人生もまた断じて勝たねばならない。
その条件とは——。使者は言う。
「明日の朝までに、6人の代表の市民を英国王のもとに差し出すのだ。その6人は、帽子をつけてはならぬ。靴もはいてはならぬ。裸足(はだし)で、哀れな罪人の衣を着、首に縄をかけて来い。そして国王の前に命を差し出すのだ。そうすれば、町は破壊から救われよう」
屈辱的な要求であった。人間を愚弄する傲慢の言であった。
戦争の場合でなくとも、優位な立場をカサに、人を見下し、抑えつけ、利用しようと、威張る人間は、いつの世にもいる。そうした権威・権力に断じて負けてはならない。

市民たちは怒った。とうてい、こんな申し出を聞くことはできない。「武器をとろう!」。声があがった。しかし玉砕は100パーセント確実である。
女性も、子供も、老人も全員が、犠牲になるであろう。町も港も破壊されよう。
それでも、「皆、共に死のうではないか!」という声が優勢であった。フランス軍のデュゲスクランが、そうした人々を煽(あお)った。
「戦おう!」隊長の声は勇ましかった。人々は興奮状態にあった。
「華々しく突進して死ねばよいのだ!」その方が潔いし、この長い苦しみからも逃れられる——。隊長の剣(つるぎ)の上に、一人また一人と、誓いのための手を置いていった。この若者も、あの老人も——。
しかし、一人だけ手を置くことを拒んだ者があった。それまで静かに議論を聞いていたサンピエールだった。彼は言った。
「私は反対だ。我々は、何よりも大切なこの港を守らねばならない。後から続く人々のためにも——」
「この港は、我々市民が営々たる労働でつくったものである。市民が自分の腕(かいな)で重い石を運び、背を曲げ、ぜいぜい息を切らして働いた結晶である。こうして、湾は深く掘り下げられた。立派な防波堤が築かれた。あらゆる国の船が安心して停泊し、航海できる港ができたのだ」
「6人の市民を犠牲にすることは、もとより断腸の思いである。しかしカレーの港は、我が命よりも貴(とうと)いと思わねばならない。なぜなら、この港は、世界の万民に幸福をもたらすからである」——。
この学園も一つの、人類のための"幸福の港"である。
大切なこの宝の港を断じて守り抜かねばならない。悪に蹂躙(じゅうりん)されてはならない。権威に利用されてもならない。人類のために、正義のために——。
その"港を守り抜ける"真実の勇者は一体、誰なのか。ここに問題がある。建設するのも人間、破壊するのも人間。一切は人間で、人物で決まるからだ。

無謀な戦闘をいさめるサンピエールの言に人々は、「何という臆病者だ!」「卑怯ではないか!」と口々に罵(ののし)った。
しかし、諄々と説くサンピエールの冷静な声に、次第に賛同の意見が増えていった。
「それでは——」。一人の市民が発言した。「誰がイギリス国王の前に行くのか!」
自ら死ぬ者は誰なのか——。この問いかけに、場内は一瞬にして、水を打ったように静かになった。誰もが顔をこわばらせた。そして……。
「では、私が行こう!」立ち上がったのはサンピエールだった。本当に偉い人物は、いざという時にこそ泰然自若としているものである。

人々の間に異様な感動が走った。もう彼のことを臆病者などと言う人間はいない。いるはずがなかった。
私は思う。人々をけしかけて、無謀な玉砕へと赴かせるような人間が"勇者"なのか。自らの生命を捨てて人々を守り、祖国を守る者が"勇者"なのか。
大勢の人々に命令し、でき上がった組織を使って、何かをやらせることは簡単である。また華々しいし、力があるようにも見える。また、それが必要な場合もあるかもしれない。しかし、それは真の「勇気」ではない。

一人立ったサンピエールのもとに、もう一人の市民が、静かに寄りそった。「2人目」であった。魂は魂を揺さぶる。「よし、おれも!」、3人目も立った。4人目、5人目と続いた。あと一人である。人々をけしかけた、あの隊長は名乗り出ない——。
「よし、私が!」2人の兄弟ジャックとピエールが同時に声をあげた。6人でよいところが、7人になってしまったのである。予想外の出来事であった。どうするか。「では、クジ引きで一人を除こう!」。場所を変えて、抽選することになった。

それは恐ろしい光景であった。はじめ7人は、命を捨てる覚悟だった。ところが、ここで生命が助かる新しいチャンスが出てきたのである。妻の顔、子供の顔が浮かんでくる。母が、恋人が、「どうか、あの人がくじに当りますように!」と泣き崩れる。
勇者の心の宇宙にも、暴風雨が吹き荒れた。自分の「勇気」はもう、申し出ることで立派に証明した。助かってもいいのではないか? 人間の心理は微妙である。次々と不安と苦悩の黒雲がわきおこってきた。
布をかけた皿に7人が一人ずつ手を入れる。青い玉なら死。命を賭けた、クジである。1人目、青い玉だった。2人目、また青い玉だった。3人目、4人目、5人目、皆、青い玉だった。「どうなっているんだ!」。耐え切れず、一人が布をあけた。
何と7つとも全部青い玉だった。驚く人々にサンピエールは言った。
「私がそうしたのだ! なぜか? はじめ我々は命を捨てる覚悟だった。しかし、皆に迷いが起こってしまった。決心が緩(ゆる)んだ。これでは命を捨てての大業を成し遂げることはできない!」
誰が選ばれても、選ばれなくとも、皆の心に恨みと悔いのシミを残してしまう、と考えたのである。皆の、目に見えない「一念の緩み」を彼は見逃さなかった。彼一人は、いささかも心が揺れていなかったからである。
結局、彼の提案で、明朝、市場に最も遅れて着いた者が、犠牲を逃れることになった。

翌朝——大勢の市民が市場に集まっていた。誰が最初にくるか? 皆、サンピエールが一番だと疑わなかった。ところが——。
3人の勇士が相前後して着いた。人々は彼らに罪人の衣を着せ、裸足にし、首に縄をつけた。
「サンピエールは、一体どうしたのか?」「次にきっと来るよ」。しかし4番目も別の人であった。皆の瞳に動揺の色が濃くなった。5番目、そしてついに6番目!
それでもサンピエールは来ない。これでは、この6人が犠牲になるのか——。
「我々はだまされた! 彼は初めから来ないつもりだったのだ。今頃、我々の馬鹿正直を笑っているだろう!」6人の内の一人が叫んだ。
市民の全てが怒った。「彼は我々皆を裏切った!」殺気だった人々が彼の家に押しかけていこうと走った。その時——
黒い布をかけた一つの棺(ひつぎ)が、しずしずと運ばれてきた。そばにはサンピエールの老父が立っていた。老父は言った。
「これはサンピエールです。息子はこう言いました。"私は先に行くから、6人の人よ、あとに続いてくれ"。そう言い残して死にました」
サンピエールは、ひとたび立った勇士たちを、誰一人、迷わしてはならないと思ったのであろう。誰が最初とか、誰が最後とかではなく、自ら立った"選ばれた勇士"の誇りを皆に全うさせたかった。そのためには、自分が真っ先に、手本を示す以外になかったのである。
ここに真正(しんせい)の「勇者」がいた——。6人の魂は奥底(おうてい)から震えた。そして大磐石の決意で、皆が見守る中、町の外へと歩み始めた。
もう何の迷いもなかった。晴れ晴れとしていた。姿は罪人でも、心は皇帝であった。王者であった。たとえ世の非難を一身に受け、牢につながれる身となろうとも、心は永遠の王者である——これが恩師に仕えて以来、貫いてきた私の不変の生き方である。ゆえに私は何ものも恐れない。
いかなる批判と偏見、中傷と誤解が渦巻こうとも、また同志すら、私の心がわからない場合があろうとも、「真実」は必ず後世に証明されると信じているからである。また諸君が必ずや証明してくれると信じているからである(大拍手)。

この出来事は、いち早くイギリス王のもとにも伝わっていた。6人の前に王の使者が走ってきた。「まだ、遅れてはおりません!」6人は使者にそう言った。責められるかと思ったのである。ところが使者は「国王の特別のはからいで『誰の命も絶ってはならない』との命令である! カレーの町は救われた!」と告げた。
やがて王が町に入ってきた。そしてサンピエールの棺の前に、王自らが膝を折り、その前に額(ぬか)づいたのである。敵味方を超えて、人間としての本物の戦士に敬意を表するために。こうして、一個の美しき高貴なる魂によって、カレーの町も、港も、市民も救われたのである。

人生は戦いである。人は皆、戦士である。戦人(いくさびと)として生きねばならない。それが生命の掟(おきて)である。戦いを避けることはできない。それ自体、敗北である。
しかし、戦いが常に華々しいものとは限らない。むしろ地味な、孤独な「自分との戦い」が、その99パーセントを占める。それが現実である。
ある場合は、人前で格好よく旗を振ることも大事であろう。しかしそれ以上に、他の人を守るために、あらゆる犠牲を「忍耐」して、一人、前へ進む人のほうが偉大である。真の勇者は、時に格好悪く、地味そのものなのである。
また、大勢、仲間がいる時は誰でも勇気が出てくる。「戦い」を口にすることも容易である。しかし、新の「責任」をもった人間かどうかは、一人になった時の行動で決まる。
私のモットーは、一つは「波浪は障害に遭うごとに、その頑固の度を増す」である。そして、もう一つは「一人立てる時に強き者は、真正の勇者なり」である。これは16歳からの私の信念となっている。

先日、関西で「ノブレス・オブリージュ(指導者には高貴なる義務あり)」のお話をした。その後、こうした哲学と指導者論が国際化時代には不可欠であるとの言論も、多く見られるようになった。
それはそれとして、この「カレーの市民」は、フランス人の勇者が、イギリス王の心をも動かした歴史である。それをドイツ人が物語った。
「個人」が、あらゆる艱難(かんなん)を超えて、高貴なる信念に生き抜いていく——。そこにヨーロッパの最良の伝統がある。
私が、この話をする理由も、何より諸君が、個人として偉大であれ、崇高であれ、高貴であれと望むからだ。
卑しい人間だけにはなってほしくない。浅はかな人生を生きてほしくはない。他人はどうあれ、自分は自分の信念として、偉大な自分自身の人生を創っていっていただきたい。
集団主義の熱狂と、無責任。権威へのよりかかり。無定見に「煽(あお)る」人間にだまされ、乗せられやすい風土が日本にはある。
そうした精神土壌とは、全く異なる新しい人材を私は育てたい。世界的な人物を、「本当の人間」を、この学園で育てたいのである(大拍手)。
特に若い間は、派手な活躍に憧れがちである。それも決して悪いことではない。成長のバネになる場合もある。また時に広い舞台で、思い切り暴れることも大事であろう。
しかし、諸君の本格的な活躍の舞台は、21世紀である。その時に、先輩の築いた"幸福の港"を守り、責任をもって勝利していくために、今は満々たる闘志を秘めながら、じっと忍耐する勇気、勉強しぬく勇気と根性を貫いていただきたい。
その「勇気」ある人は、いざ、自らの"武器"をもって戦うべき時には、真っ先に敵陣を破る英雄となるに違いない(大拍手)。
巨匠ロダンの手で見事に魂を得た「カレーの市民」の像は、今もカレー市庁舎の前に厳然とあり、市民を見守っている。
諸君には、これから長い長い人生がある。今日の私のスピーチが、その素晴らしい勝利のために、何らかの糧(かて)になれば幸いである。本日は本当におめでとう。素晴らしい演技もありがとう(大拍手)。

2014年10月21日火曜日

2014.10.21 わが友に贈る

いかなる困難にも
前向きに挑む自分に!
何ものにも負けない
人間革命の生き方こそ
幸福勝利の王道なり!

富木尼御前御返事 P975
『やのはしる事は弓のちからくものゆくことはりうのちから、をとこのしわざはめのちからなり』

◇人生の座標
目立たなくても、皆から、ちやほやされなくても、黙々と自分の夢に向かって努力している人--その人こそ、本当にカツコいい人です。
「自律(セルフ・コントロール)」の人こそ、真の自由人なのです。その意味でも、私は「目標」に向かって戦い続けることが大事だと思う。

☆名誉会長と共に新時代を開く 第38回 信仰とは無限の希望なり
伝統の教学部任用試験に、会友と共に多くの皆様が挑戦される。本当に偉大なことである。
祈りから、宗教は生まれた。幸福になるために、信仰は生まれた。無宗教だという人も、何か祈っている。「苦境を脱したい」「よりよく生きたい」「家族を守りたい」などと強く欲するのは、人間として本然的な心であろう。その祈りと現実が、生命の法則の上から、きちんと合致していくようにしたのが、仏法の祈りである。
仏法は、物心のあらゆる法の根本にある"生命の大法"を探究し、見いだした。これが妙法である。目には見えないが厳然と実在する妙法の力を引き出せるように、日蓮大聖人は御本尊を顕してくださった。
戸田先生は、御本尊について「もったいないことだが、"幸福製造機"にたとえられる」と教えられた。強情なる信力・行力によって、限りない仏力・法力を引き出していけるのである。

仏法は、より高い境涯へ、わが生命の変革を教える。その究極が「一生成仏」であり、「人間革命」である。
全ては人間から始まり、人間に帰着する。人間こそ大地であり、宗教は心の大地といえる。
社会のさまざまな営みは、いわば、その大地に生じた木々や草花にもたとえられよう。
大事なのは、その大地が、きちんと耕されているかどうか。健康で豊かな、みずみずしい生命力をもっているかどうかである。
日蓮大聖人は門下の四条金吾に、天台大師の『信力の故に受け念力の故に持つ』との文を教えられた(P1136、「四条金吾殿御返事」)。
信仰とは最極の信念である。最も尊く、最も強い。信仰ある人は、大変であればあるほど、「人間革命のチャンスだ」と喜び勇んで挑戦していける。信心こそ、無限の希望なのである。

2014年10月20日月曜日

2014.10.20 わが友に贈る

◇今週のことば
広宣流布は
「励まし社会」の創造。
足を運び 耳を傾け
心を結ぶ激励訪問を!
地道こそ勝利の力なり。
2014年10月20日

減劫御書 P1466
『智者とは世間の法より外に仏法を行(おこなわ)ず、世間の治世の法を能く能く心へて候を智者とは申すなり』

◇人生の座標
苦労さえも美しさに育てるような生き方とは何か。それは世界でたった一つしかない自分の人生を愛おしむ。一日一日を丁寧に生き、一生を自分らしく仕上げていく。そういう"自分を大切にし、自分に忠実に生きる"ことではないか。その人にはグチがないし、いつまでも若々しい"心の張り"がある。

☆国人間教育実践報告大会へのメッセージ
第36回「全国人間教育実践報告大会」の開催、誠におめでとうございます。
新時代創造の活力に満ちた、愛する埼玉の天地で行われる尊き人間教育の集いに、「教育こそ、わが総仕上げの事業」と心を定めた私も、心からの連帯のエールを贈らせていただきます。
ご臨席を賜りましたご来賓の先生方、ご友人の皆様方に、心より厚く御礼申し上げます。
尊い「実践報告」を発表してくださる4人の先生方、さらに、陰で支えてくださっている尊い役員の方々も、本当にご苦労様です。はつらつとした団結の合唱を披露してくれる青年教育者の歌声も、私の生命に力強く響いてきます。
私自身、青年時代から、川越をはじめ信頼する埼玉の同志と、校舎なき民衆大学で、共々に生命尊厳の哲学を学び合ってきました。
以来60余星霜──。そのご家庭のお子さんやお孫さん方から、立派な英知と人格の人材が続々と躍り出て、活躍されていることも、何よりの喜びです。
埼玉の「玉」の文字には、大宇宙よりも尊い生命という「宝珠(宝の玉)」に通ずる意義があると、私は思っております。わが埼玉の教育者の先生方こそ、その無上の宝珠を、最高最大に輝き光らせゆく生命の大芸術家であられます。
埼玉の偉人・渋沢栄一翁は言いました。
「教育の目的は、ただその学生の天賦の本性を発揮せしむるに在る」(渋沢青淵記念財団竜門社編『渋沢栄一訓言集』)と。
一人一人の若き生命から、いかにして「天賦の本性」を発揮せしめていくか。その無限の可能性を信じ、内発を励まし促すところに、教育の本義もありましょう。「教師こそ最大の教育環境なり」とは、私たちの年来の信念であります。
創価教育の父・牧口常三郎先生は、自ら価値創造を行い、自分の力で幸福を勝ち開きゆく人間を育てることに教育の主眼を見いだしました。
その志は、弟子の戸田城聖先生、さらに、その弟子である私が受け継ぎ、そして今、教育本部の皆様方が、教育現場で日々奮闘されている実践へ脈々と流れ通っています。
この創価教育の目指す道は、子どもたちの「生きる力」を培おうと努力されている埼玉教育界の取り組みとも、軌を一にする道筋ではないでしょうか。
現実社会を生き抜く勇気の力、知恵の力、忍耐の力、立ち上がる力を育む。これほどの聖業はありません。その使命が大きいゆえに、ますます大きい苦労を敢えて厭わず、若き命に希望を贈り続ける皆様に、私は重ねて敬意を表します。
埼玉の天地に憧れ、訪問を果した、かのヘレン・ケラーは語っております。
「私たちが全力を尽くせば、計り知れないほどの奇跡を、自身や他者の人生にもたらすことができる」と。
どうか、これからも、聡明に健康第一で、何があっても明るく、たくましく、慈愛の陽光を降り注ぐ「太陽の教育者」として、「計り知れないほどの奇跡」を創造していかれることを念願し、私のメッセージといたします。
ご参加くださった全ての皆様の健康とご多幸を心からお祈り申し上げます。

2014年10月19日日曜日

2014.10.19 わが友に贈る

外交戦の要諦は
「生命力あふれる声」
「迅速な対応」だ。
誠実な振る舞いで
勝利の道を切り開け!

顕仏未来記 P508
『月は西より出でて東を照し日は東より出でて西を照す仏法も又以て是くの如し正像には西より東に向い末法には東より西に往く』

◇人生の座標
「桜梅桃李」(桜は桜らしく、梅は梅らしく、桃は桃らしく、李は李らしく)という言葉がある。それぞれの個性や違いを認め合い、よいところを見つけ、褒め称えていける、そういう広い心があれば、その人のもとには、人が集まる。自分も喜びを感じられるし、喜びを与えることもできる。
反対に、小さいことで人を責めたり、いちいち騒ぎたてたりする、心の狭い人は、皆を疲れさせるし、避けられてしまうものだ。

☆御書とともに� 第33回 平和の使命を果たし抜け
『玄義に云く「若し此の法に依れば即ち天下泰平」と、此の法とは法華経なり法華経を信仰せば天下安全たらむ事疑有る可からざるなり』(御義口伝、P786)

◇通解
天台大師は法華玄義に「もし、この法を根幹としていくならば、天下は泰平となる」と述べている。天台のいう「この法」とは妙法蓮華経である。この妙法蓮華経を信仰するならば、世界は平和になっていくことは疑いないのである。

◇同志への指針
平和は万人の願いだ。その希求に応えゆく確固たる大哲学こそ、仏法なのである。
この御文に先立って、妙法は「一切衆生をたぼらかさぬ秘法なり」とも仰せだ。
我らの創価の使命は、「立正安国」即「恒久平和」の実現である。生命尊厳の思想を世界に弘め、人類の生存の権利を守り抜け!—-この恩師の遺訓を、後継の青年たちと断じて実現しゆくのだ。

◎創価大学が悲願の箱根駅伝出場決定! 新年の楽しみが増えましたね!(^^)!

2014.10.18 わが友に贈る

会合では駐輪・駐車
屋外での会話など
近隣に最大の配慮を!
会場提供者に感謝し
地域の宝城を守ろう!

千日尼御前御返事 P1314
『あわれあわれふしぎなる事かな、此れもかまくらも此の方の者は此の病にて死ぬる人はすくなく候、同じ船にて候へばいづれもたすかるべしともをぼへず候いつるにふねやぶれてたすけぶねに値えるか、又竜神のたすけにて事なく岸へつけるかとこそ不思議がり候へ』

◇人生の座標
人間は、生きているかぎり、必ず悩みがあり、課題があるものだ。その悩みや課題を"どうやって"克服するか。ただ一つ、自らの「挑戦」によってのみ、それは可能となる。むしろ喜びや楽しみにさえ変えていける。
つまるところ、自分自身に勝利する中にしか、満足も幸福もないのである。

☆勝利の人間学 第62回 リーダーの一念
◇誠実一路に信頼を広げよう
私には三つの宝がある。
それは、永遠不滅の「妙法」である。
そして「師弟」——わが恩師・戸田城聖先生であり、わが愛弟子たる君たちである。
三つ目は「誠実」である。どこまでも誠実一路で進み抜いてきたからこそ、創価学会は、今日の大発展を遂げることができた。
乱世であるがゆえに、誠実がますます光る。
日蓮大聖人は、若き南条時光に、『かくれての信あれば・あらはれての徳あるなり』(P1527、「上野殿御消息」)と御指南されている。
誠実のリーダーには、信頼がついてくる。誠実を貫き通す青年が、最後は必ず勝利する。

◇責任感がリーダーの条件
「力」のある人とは「責任感」のある人だ。
私が対談した、世界的な環境学者でローマクラブ共同会長のヴァイツゼッカー博士も、青年に贈る指針として「責任を持て」を挙げられていた。皆のために汗を流し、使命を果たし抜いていく人材を、世界は求めている。
創価のリーダーは、「断じて皆を幸福にしてみせる」という責任感の人であり、誰がやらなくとも「一人立つ」人のことである。
責任感は真剣な祈りとなる。そこに最高の智慧が湧き、絶対勝利への行動が光る。
多忙の中でも、広布のため、同志のために、心を配り、電光石火で手を打っていくのだ。

◇共に喜ぶ勝利の日まで
戸田先生は、よく言われていた。
「仏法の慈悲とは『抜苦与楽』といって、人々の苦しみを抜き、喜び、悲しみを与えゆくことである」と。
大変なことのようだが、皆も必ずできる。それは、親身に友の声に耳を傾け、共に悩み、共に祈り、共に一歩を踏み出すことだ。そして勝利を決するまで、共に戦い切ることだ。ここに、青春の無上の充実と喜びがある。
『自他共に智慧と慈悲とあるを喜とは云うなり』(P761、「御義口伝」)と仰せの通りである。
苦悩が渦巻く世界に、願って生まれた地涌の菩薩の我らだ。誇りと確信に燃え、あの友この友に、励ましの陽光を注ぎゆこう!

2014.10.17 わが友に贈る

建設は死闘。
破壊は一瞬。
油断や慢心を排せ!
戦い続ける生命に
仏の智慧と勇気が湧く!

持妙法華問答抄 P466
『命已に一念にすぎざれば仏は一念随喜の功徳と説き給へり』

◇人生の座標
人間の可能性というのは不思議なもので、自分は頭が悪いんだと決めつけると、本当に頭が働かなくなってしまう。「自分の頭脳は、ほとんど使っていないんだ。眠っているんだ。だから、努力すれば、いくらだって自分はできるんだ」と確信することです。事実、そうなのだから。

☆第44回創大祭・第30回白鳥祭へのメッセージ
はじめに、温かく、全てを見守ってくださっている来賓の先生方に、重ねて心から御礼を申し上げます。
ご多忙のところ、誠に誠にありがとうございます。
本日は、中国と日本の友好の歴史にも輝きわたるであろう「創価栄光の集い」、本当におめでとう!
わが愛する創大生、短大生、アメリカ創大生、そして、留学生の皆さん方が、知性と熱情と連帯で創り上げた、この素晴らしき創大祭・白鳥祭を、私も大喝采しております。
忙しい学業の中、ご苦労さまでした。陰の労苦を厭わず、一切を支えてくれている尊き役員の皆さんも、ありがとう!
今、この会場にはおりませんが、海外の交流大学に留学して、真剣に学ぶ多くの学友たちからも、日々、元気に頑張ってくれている様子が、私のところへ届いています。どんなに遠く離れていようと、私たちの心はいつでも深く強く通い合い、響き合っております。
また教員、職員、さらに保護者、卒業生をはじめ、陰に陽に学生のサポートをしてくださっている方々に、あらためて感謝申し上げます。
今回、創価大学は、文部科学省の「スーパーグローバル大学創成支援事業」にも採択されました。世界市民の英知光る「平和のスクラム」を広げゆく我らの誇り高き母校にいやまして栄光輝けと、皆で万雷の大拍手を轟かせようではありませんか!
きょうは、簡潔に一点、祝福のエールを贈ります。
それは、「いかなる難題にも、創価(価値創造)の冒険精神で立ち向かえ!」ということです。
先日、創価大学4年生の長谷川恵理さんが参加する女子学生の登山隊が、ヒマラヤ未踏峰のマンセイル峰(6242メートル)の初登頂に、見事、大成功しました。険しい断崖にも、激しい雪にも怯まず、若き才媛たちが成し遂げた快挙を、私たちは心から労い、讃えたいのであります。
ヒマラヤといえば、世界最高峰のエベレストの初登頂を果たしたニュージーランドのヒラリー卿から、私は貴重な書籍をいただいたことがあります。このヒラリー卿の偉大な冒険精神をめぐり、私は、同じニュージーランド出身の世界的な平和学者であるクレメンツ博士と語り合いました。
クレメンツ博士は言われました。
「私にはエベレスト登頂のような壮大な業績はありません、しかし、気の遠くなるような難題に立ち向かい、最終的に解決できたということは、よくあります。難題に大胆に立ち向かっていく冒険精神があってこそ、一人一人の幸福、また社会全体の安寧に、真に貢献することができるのだと思います」と。
ここにお迎えした来賓の先生方も、まさしく「気の遠くなるような難題」に、勇敢かつ周到に、忍耐強く立ち向かい、それぞれの最高峰を極めてこられました。
生命尊厳の信念に殉じた「正義の師子王」たる、創価教育の創始者・牧口常三郎先生より、我らが受け継いできた「創価の心」もまた、民衆の幸福のため、世界の平和のため、いかなる難題にも立ち向かって、価値を創造していく冒険精神といってよいでありましょう。
地球社会は今、「絶望の連鎖」から「希望の連鎖」へ、「憎悪の連鎖」から「友情の連鎖」へ、そして「悲嘆の連鎖」から「勇気の連鎖」へと転換していく教育の真髄の力を渇望しております。我らの「創大城」こそ、この「人間革命」から「地球革命」を起こしゆく人材の電源地なりと、私は高らかに宣言したいけれども、皆さん、どうだろうか!
きょうより、何ものも恐れない、何ものにも屈しない「師子の自覚」を一段と強め、「生命輝く誉れの世紀」を目指して、学理の探究に、人格の練磨に、対話の深化に、新たな「創造の一歩」を共々に踏み出していこうではありませんか!
大切な大切な、かけがえのない人類の宝たる皆さんです。
どうか、健康第一、無事故第一で、聡明に朗らかに、充実の一日また一日を学び抜き、勝ち取っていってください。
皆さんの成長と栄光勝利をば、一日千秋の思いで心待ちにされている父上、母上に、断じて晴れ晴れと、応えて差し上げていただきたいのであります。
終わりに、本日の記念に——

輝ける
 平和の創造
  創価かな
 学べ結べや
  明日の世界を

と贈り、私のメッセージといたします。
きょうは、本当におめでとう! ありがとう!

2014年10月16日木曜日

2014.10.16 わが友に贈る

中途半端では
何も成就できない。
道は徹してこそ開ける。
「必ず勝つ」と決め
前進また前進だ!

聖愚問答抄上 P499
『大智舎利弗も法華経には信を以て入る其の智分の力にはあらず況や自余の声聞をや』

◇人生の座標
自分らしく全力疾走することです。全力で走ってみなければ、自分にどれだけ力があるかわからない。走ってみもしないで「どうせ自分なんか」と決めつけるのは倣慢です。生命に対して、自分に対して倣慢です。卑怯とも言える。

☆創価学園「情熱の日」記念集会へのメッセージ
天高く、そして未来へ「平和の凱歌」を轟かせゆく「情熱の日」、誠におめでとう!
皆、元気はつらつと、明るく、たくましく、力を合わせて、頑張ってくれました。
「不屈のチャレンジャー」たちの青春の舞に、私は学園の青・黄・赤色の三色旗を両手で力いっぱい振りながら、エールを送っています。
心というものは自由自在です。小平、交野、そして枚方と、距離を超え、会えても会えなくても、私たちの心と心は、いつも一緒なのです。
きょうは一点、「あきらめない勇気で壁を突き抜けよ!」と申し上げたい。
「情熱」の英語は、何か。そう、「パッション」です。
その語源を、さかのぼると、「苦しむ」という意味のラテン語に当たります。
いうなれば、真のパッション、すなわち大情熱とは、どんな苦しみにもひるまず、挑んでいく「負けじ魂の炎」です。
また、何があってもあきらめない「Nevergiveup」の心です。そして、いかなる壁も突き抜けていく「勇気」なのです。
私が皆さん方の創立者として深く友情をを結んできた国の一つに、ロシア連邦のサハ共和国があります。
「人間が住む最も寒い地域」といわれ、最低気温の記録は、何とマイナス71.2度といいます。
その極限の寒ささえも友とする心で、教育に力を入れて、青少年の「心のダイヤモンド」を輝かせている国です。
先日、この共和国で敬愛されているニコラエフ初代大統領から、貴重な写真集と真心あふれるメッセージをいただきました。
ニコラエフ初代大統領も、苦難に屈しないで学び抜いてこられた大情熱の指導者です。
5歳になる前にお父さんを亡くされました。必死に掃除の仕事をしながら、幼い4人の子を育ててきたお母さんと、弟たちのために早くから働きに出てくれたお兄さんに支えられて、学校に送り出してもらいました。
その苦労を思えば、"学校ををさぼったり、教室でぼんやりしているわけにはいかない"と若き日の大統領は心を定めて、学び続け、一生懸命に努力を重ねたのです。
大統領は青春時代の苦闘を振り返り、語られています。
「重要なのは、困難を恐れず、粘り強くそれを乗り越えていくこと」(ミハエル・ニコエフ著『新生サハ(ヤクート)共和国──自由と人間の選択』)であると。
前へ進む人は、必ず何らかの壁にぶつかります。壁が立ちはだかるということは、前進している誉れの証拠なのです。ですから、少しも、たじろぐことはない。
まず、「思い切ってチャレンジしてみよう!」と決めるのです。「やれるだけ、やってみよう! ベストを尽くせばいいのだ」と、自分で自分を励ますのです。良き学友と励まし合うのです。
そして「断じて壁を突き抜けてみせる!」と渾身の情熱を燃やし、へこたれずに体当たりしていくのです。
勉強であれ、語学であれ、スポーツであれ、クラブであれ、学園祭であれ、何であれ、あきらめない勇気で、強く賢く、粘り強く挑み抜いていけば、必ず壁は突破できる。そこから、「希望の道」「向上の道」、そして「勝利の道」が大きく広がっていきます。
私がニコラエフ大統領とお会いした折、ひときわ強調されていたのが「お母さんへの感謝」でありました。
すべての大情熱を注ぎ込んで、自分たちを育んでくれたお母さんの心を胸に、自分もまた、民衆のために大情熱を捧げて、恩返しをしようと、尊き使命の人生を歩んでこられたのです。
一流のリーダーは皆、親孝行を忘れません。わが学園生も、そうあってください。
今日は、皆さんと共々に「負けじ魂ここにあり」を歌い上げながら、最後まで見守っています。
この5番の一節には、「正義の誇りに 胸を張れ」とあります。
創価教育の父・牧口常三郎先生は、第二次世界大戦中に、軍国主義と対決して、正義の中の正義の誇りに胸を張って、獄死なされました。今年で70年になります。
この「師子王の心」を誇りも高く受け継ぐ、私の不二の学園生よ、父母(ちちはは)のため、民衆のため、人類のため、世界のため、平和のため、今は徹して朗らかに学び抜き、何ものにも負けない力を堂々とつけてくれ給え!
愛する創価の「勇気の走者(ランナー)」たちよ、北風にも負けず、愉快に進みゆけ!

2014年10月15日水曜日

2014.10.15 わが友に贈る

新入会のメンバーは
皆が偉大な使命の人。
必ず広布の大人材に!
深き祈りを根本に
温かな励ましを送ろう!

四条金吾御書 P1175
『鷹取のたけ身延のたけなないたがれのたけいいだにと申し、木のもとかやのねいわの上土の上いかにたづね候へどもをひて候ところなし、されば海にあらざればわかめなし山にあらざればくさびらなし、法華経にあらざれば仏になる道なかりけるか』

◇人生の座標
目立たなくても、皆から、ちやほやされなくても、黙々と自分の夢に向かって努力している人--その人こそ、本当にカツコいい人です。
「自律(セルフ・コントロール)」の人こそ、真の自由人なのです。その意味でも、私は「目標」に向かって戦い続けることが大事だと思う。

☆未来の翼〜世界が君を待っている〜 第7回 カナダの滝�
10月2日は、私が1960年に世界への平和旅を開始した日です。この旅の中で、カナダを初めて訪れました。その折、訪れたナイアガラの滝で、水しぶきに映し出される虹を見つめながら、私は一緒にいた青年に語りました。
「この滝にかかる虹も、一たび流れが途絶えれば、瞬時に消え失せてしまう。人生の希望の虹も、広布への躍動の前進があってこそ輝くものなんだよ。希望を捨てない人には、いかなる困難にも負けない強さがある」と。
悠久の大河も、壮大なる滝も、全て一滴の水から始まり、たゆみない流れがあって初めて生まれます。この初訪問で出会った一人の友から、カナダの創価の希望の連帯は水かさを増していきました。
93年には、東のモントリオールと、西のバンクーバーを訪れました。未来っ子たちが元気いっぱいに迎えてくれた情景が、今でも胸から離れません。緑の平和の大国の希望である、未来のリーダーたちに、最大の敬意を込めて、一人一人と握手を交わしました。
「世界で最も住みやすい都市」と呼ばれるバンクーバーで、私は「素晴らしき人生」を生きるための5項目「バンクーバー宣言」を提案しました。未来部の皆さんとも、あらためて確認したいと思う。
�懸命に生きる人生は美しい。
�余裕ある人生は内実が豊か。
�快活に生きる人生は強い。
�仲良く生きる人生は明るい。
�誇りに生きる人生は崇高。
今回、この五つに、新たに二つ加えて「『未来の翼』宣言」としたいと思うけれども、皆さん、どうだろうか。
�親孝行の人生は幸福。
お父さん、お母さんを安心させ、大事にしていく人の家庭には、いつも笑顔があふれています。
�学び抜く人生は勝利。
学ぶ人が偉い人です。学び続ける人が勝利者です。苦労して学び抜いたものは、生涯、君を、貴女(あなた)を、支えてくれます。
『赤毛のアン』で、主人公の少女・アンは語っています。
「小さな障害は、笑いの種だと思い、大きな障害は、勝利の前兆だと考えられるようになったの」
苦難は敗北ではない。悩みがあることが不幸なのではない。むしろ、自身を最高に向上させ、周囲に喜びを贈りゆく、「笑顔の種」であり、「勝利の前兆」なのです。
だから、今日も進もう!
立ち止まってはならない。
水は流れ続けるから清らかだ。
滝も、とどまらないから硬い大地を削り取るのだ。
日蓮大聖人は、南条時光に、『水のごとくと申すは・いつも・たいせず信ずるなり』(P1544、「上野殿御返事」)とも教えられました。水の流れる如く、題目を唱え、信心に励んでいく人は、必ず最後に勝つのです。
20世紀のカナダの偉大な指導者で、ノーベル平和賞を受賞した、ピアソン首相は語りました。
「人類は、外なる世界を征服してきた。しかし、いまだ内なる世界を征服できずにいる」と。
勝つべき相手は他の誰でもない、自分自身の心です。人と比べる必要はない。弱い自分に打ち勝って、一歩前進するのです。
10月は、体育祭や運動会、文化祭など心踊る行事がたくさんある。勉学にも、クラブ活動にも素晴らしい季節だ。新たな躍進の時を迎える皆さんに、私が青春時代から大好きな言葉を贈ります。
「世界を制覇せんとするものは、汝自身の悲哀を制覇せよ」
昨日の自分を超えゆけ!
そのたゆみなき今日の挑戦が、君の、貴女の、明日を輝かせるのだから——。

2014年10月14日火曜日

2014.10.14 わが友に贈る

新聞休刊日

妙密上人御消息 P1241
『二人三人十人百人一国二国六十六箇国已に島二にも及びぬらん、今は謗ぜし人人も唱へ給うらん』

◇人生の座標
苦労さえも美しさに育てるような生き方とは何か。それは世界でたった一つしかない自分の人生を愛おしむ。一日一日を丁寧に生き、一生を自分らしく仕上げていく。そういう"自分を大切にし、自分に忠実に生きる"ことではないか。その人にはグチがないし、いつまでも若々しい"心の張り"がある。

☆未来の翼〜世界が君を待っている〜 第7回 カナダの滝�
大地を揺るがす轟然たる水音が、体の芯まで響いてきます。
"世界三大瀑布(滝)"の一つ、カナダ・トロント近郊のナイアガラの滝の迫力は圧倒的です。悠然と流れる紺碧の水が一気に落下し、豪快に砕けると、真っ白い飛沫が空へ舞い上がり、光を浴びていくつもの虹を描きます。
地球の大いなる生命力の交響曲が、そこにはありました。
「滝の如く 激しく
滝の如く 撓まず
滝の如く 恐れず
滝の如く 朗らかに
滝の如く 堂々と」
こう私は綴ったことがあります。その滝の大王者が、カナダの誇るナイアガラの滝なのです。
滝を登り切った魚は、竜になる——この「竜門の滝」という中国の故事を引いて、日蓮大聖人が励ましを送ったのが、未来部の皆さんの大先輩である南条時光です。
魚が滝を登るには、激しい水の抵抗に打ち勝たねばならない。鳥や漁師からも狙われる。それらを勝ち越え、登り切ってこそ、竜となって、天まで昇ることができる。
人もまた、何があっても、自分自身の決勝点を見失うことなく、挑戦し抜いた人が勝利者である。
ゆえに大聖人は、そのお手紙の中で、呼びかけられました。
『願くは我が弟子等・大願ををこせ』(P1561、「上野殿御返事」)と。
わが弟子よ、大いなる目的に生きよ!——時光が7歳の時に出会って以来、その成長を楽しみに見守ってこられた大聖人が、広宣流布を託されたのです。この時、時光は満20歳でした。
それは「熱原の法難」という、入信間もない農民信徒たちが迫害された大難の渦中のことでした。その時に、大聖人が心から信頼され、期待を寄せられたのは、青年です。今でいえば、未来部の出身者なのです。
広宣流布を決するのは、若き後継の人材の流れです。末法万年尽未来際へ、世界の平和と人類の幸福を確立する戦いだからです。
思えば、ナイアガラの滝も、1万2000年という長い時間をかけ、形成されてきたといいます。
「未来」は「今」決まります。
私は、広布の全てを、信頼する未来部の君たちに託します。
仏法では、『心清ければ土も清し』(P384、「一生成仏抄」)と説かれます。
大いなる国・カナダは、心美しき人々が住む、美しき国土である——私はそう思ってきました。
面積は、ロシアに次いで世界で2番目に大きい。神秘的な森と湖、氷河が織り成す大地は、国旗に「メープル・リーフ(カエデの葉)」が描かれている通り、秋になると紅葉の一大絵巻に染め上げられます。極北地方では、夜空を彩るオーロラも見られます。
有名な『赤毛のアン』の物語の舞台であり、「世界で最も美しい島」と讃えられるプリンス・エドワード島も、この国にあります。
ユーラシア大陸から渡ってきた先住民が住む大地に、やがてヨーロッパ人が移り住んだこの国は、多くの民族、多くの文化、多くの言語が共生しています。
近年は、世界の各地で紛争や動乱があるたびに、そこから逃れてきた人々を迎え入れてきた「人類の安全地帯」なのです。多くの国と仲良くして国際協力にも積極的な役割を果たし、平和に貢献しています。
現在は、実に200を超える民族が暮らし、新聞・雑誌などは40カ国語以上で発行されています。民族や人種の違いを尊重し、平等に国づくりに参加できる「多文化主義」を世界で初めて政策に掲げた国として尊敬されています。
それは、私の恩師・戸田城聖先生が示された「地球民族主義」の理想へ進む国でもあったのです。
世界から多くの人々を受け入れてきたカナダはまた、多くの偉人を世界に送り出してきました。
その一人が、私の敬愛する友人、ジョン・ケネス・ガルブレイス博士です。長年、ハーバード大学で教壇に立った博士は、このアメリカを代表する名門大学の歴史のなかで最も著名な学者と讃えられる人物です。
博士は、ルーズベルト政権やケネディ政権の頭脳として活躍され、20世紀を代表する経済学者として広く知られています。
私のハーバード大学での2度目の講演(1993年9月)の際には、講評もしてくださいました。〈博士は講演を「私たちが希望し、」願望している『平和実現への道』を示した」と述べました〉
97歳で逝去されるまで、若々しく人類の未来のために尽くされました。2メートルを超える長身の博士は、まさしく「知の巨人」でした。
博士の生き方を決めたのは、カナダで過ごした少年時代に見た、お父さんの後ろ姿でした。お父さんは、熱心に農業をやりながら、学校の先生や会社の経営、町や郡の会計の仕事もしました。政治にもかかわり、演説もしました。父の手伝いをよくした博士は、世の中のさまざまな仕事に興味を持つようになりました。
博士と日本でお会いした際、私は博士が何故、ご高齢にもかかわらず、これだけ元気に活動できるのかを聞いたことがあります。
博士は、こう答えられました。
「何よりも大事なことは、朝起きた時に、今日一日の計画が決まっていない、考えていない、といったことがないようにすることです」
朝起きて、今日はこれをしよう、あれを学ぼうとワクワクした気持ちで、一日一日を快活に生きました。
その日々の積み重ねが、博士を大学者へと育んでいったのです。
皆さんも一日に一つ、何か新しいことに挑戦してみよう。自分らしい一歩前進で、かまわないよ。
「いつもより5分長く、勉強する」「良書に挑んでみる」「あまり話したことのない友だちに声をかける」「お母さんの手伝いをする」など、何でもいいんだ。ワクワクするようなことを考えて、勇気を出して実行してみよう。
月々日々に、チャレンジした分だけ、自分が大きくなります。
私は、カナダの名門モントリオール大学のがん研究の第一人者であるシマー博士(元学長)、生命倫理の大家であるブルジョ博士(同大学終身教授)と、てい談集(『健康と人生——生老病死を語る』)を発刊しました。
そのなかで、「健康」の定義についても語り合いました。
——健康とは、ただ単に「どこにも病気がない」ということではない。例えば、自転車が走っているかぎり倒れないように、常に躍動して、とどまることがない。何かに挑戦し、創造していく生き方こそ健康である。常に、「新たな探究」の生命が健康な人生をつくっていくのだ、と。
朝のはつらつとした勤行から、創造的な一日への挑戦を開始する私たちほど、健康な青春、健康な人生はありません。

2014年10月13日月曜日

2014.10.13 わが友に贈る

◇今週のことば
多忙な日々にこそ
大きく境涯を開く
チャンスがある。
題目を忘れずに
逞しく人間革命を!
2014年10月13日

法華証明抄 P1587
『上下万人にあるいはいさめ或はをどし候いつるについに捨つる心なくて候へばすでに仏になるべしと見へ候へば天魔外道が病をつけてをどさんと心み候か命はかぎりある事なりすこしもをどろく事なかれ』

◇人生の座標
人間は「生きる意味」を求める動物です。それさえあれば、どんな苦しいことでも頑張れる。それがなかったら、他のすべてがあったとしても虚しい。心はゆっくり死んでいく。

☆御書とともに�第32回 共々に教学研鑽の汗を
『各各互に読聞けまいらせさせ給え、かかる濁世には互につねに・いゐあわせてひまもなく後世ねがわせ給い候へ』(法華行者逢難事、P965)

◇通解
(わが門下たちは)おのおの互いに読み、聞かせてさしあげなさい。このような濁世には、互いに常に話し合って、ひまなく後世を願うようにしなさい。

◇同志への指針
御書は生老病死の苦悩を乗り越え、常楽我浄の道を開く大哲理の一書である。
皆で共に御書を拝し、学び、語る。学会の教学は、民衆による未曽有の大研鑽運動だ。
「幸福の博士」「励ましの博士」「人間学の博士」「生命の博士」「平和の博士」を無数に生み出している。
教えてくれる方々への感謝も忘れず、さらに共々に「行学の二道」に励みたい。

2014年10月12日日曜日

2014.10.12 わが友に贈る

今いる場所が
人間革命の舞台!
家庭・職場・地域で
「信心即生活」の
確かな成長の歩みを!

経王殿御返事 P1124
『わざはひも転じて幸となるべし、あひかまへて御信心を出し此の御本尊に祈念せしめ給へ、何事か成就せざるべき』

◇人生の座標
だれでも皆、必ず使命がある。自分にしかできない使命がある。君の力を必要とする人が必ず、どこかにいる。自分にしかできないこと、自分が本当にやりたいと思うことが、きっとある。
それを見つけるためには、まず目の前の「現実」から逃げないことだ。逃げずに頑張る「くせ」をつけることだ。そうやって、もがきながら、自分らしく、一ミリでも二ミリでもいいから、「前へ」進むことだ。

☆名誉会長と共に新時代を開く 第36回 宝の御聖訓を前進の力に
今、心ある多くの人が、生き方を見つめ直し、真の幸福の道を探し求めている。その根本的な答えが仏法にはある。人間革命の希望の哲理を学ぶのが、学会伝統の教学試験である。
先日行われた「教学部初級試験」「青年部教学試験3級」では、皆、多忙な仕事や学業などの合間を縫って研鑽された。これほど尊いことはない。学び挑戦したこと自体が最高の宝だ。教えてくださった方、応援してくださった皆さんも、どうか誇りとしていただきたい。
求道の心に大功徳が湧く。万人の仏性を開かせる励ましの心に、法華経の精神が輝く。
大事なことは、教学試験を通して、さらに張り合いをもって精進を重ね、信心を深め、広宣流布を進めていくことである。
世界でも教学研鑽のうねりが高まっている。インドで初級試験を受験した90歳のご婦人も2度目の挑戦であり、学ぶ意欲が一段と湧いたと語られていた。
いよいよ11月には「教学部任用試験」を迎える。「今から」「これから」——これが本因妙の仏法だ。この心が燃えている人こそ、信心の勝利者である。

戸田先生は、御書を拝される際、「語句をわかろうとするよりは、御仏の偉大なるご慈悲、偉大なる確信、熱烈なる大衆救護のご精神、ひたぶるな広宣流布への尊厳なる意気にふれんことをねがう」と述べられた。
例えば、『病ある人仏になる』(P1480、「妙心尼御前御返事」)との一節をかみしめ、病を宿命転換の力に転じた体験は数知れない。
『大悪をこれば大善きたる』(P1300、「大悪大善御書」)と心の底から知れば、絶体絶命の逆境に陥っても、たじろぐことはない。
人生に勝ち、生活の上で実証をつかみ、その喜びを自然のうちに友に語っていけばいい。そして、何があろうと生涯、不退転の信心を貫いていくことだ。

2014年10月11日土曜日

2014.10.11 わが友に贈る

大型台風が接近中!
暴風雨や土砂災害
河川の増水に警戒を!
配達員の皆様は
安全・無事故第一で!

下山御消息 P362
『魯人が孔子をあなづり善星が仏ををどせしにことならず』

◇人生の座標
「知識」は「知恵」を生むものです。いわば「知識」はポンプ、「知恵」はポンプによって得られる水です。水を使えなかったら、ポンプに意味はない。
また、「知識」という、ポンプなくしては、「知恵」という水も十分には得られない。

☆希望の虹〜世界の偉人を語る〜第7回 インド独立の父ガンジー
勇気の人は、朗らかな人です。ガンジーは、よく笑ったので、まわりもいっしょにいるだけで楽しくなり、勇気がわきました。
勇気の人は、あきらめません。ガンジーは「善いことというものは、カタツムリの速度で動く」と言ってねばり強くがんばりました。
勇気の人は、先頭に立つ人です。ガンジーは「一人の人に可能なことは、万人に可能である」と信じ、大変なことは自分から始めました。
みなさんも、勇気を出したい時があるでしょう。はずかしくて声をかけられないけど、友だちになりたい。授業中に手をあげて、答えたい。いじめられている友だちに、自分は味方だと伝えたい……。
もしかしたら、「自分には勇気がない」と思っている人がいるかもしれません。でも、勇気がない人なんていません。だれもがみんな、勇気の心をもっている。問題は、思い切って、その勇気を引き出せるかどうかなのです。
だれにでもできる、勇気を引き出す合言葉が「南無妙法蓮華経」です。
『南無妙法蓮華経は師子吼の如し』(P1124、「経王殿御返事」)です。題目を唱えれば、自分の心の中にある「ししの心」が目覚める。すると、知恵も、希望も、勇気も全部、わいてきます。
さあ、自分の夢や目標に向かって、勇気の一歩をふみ出そう!
輝く未来からやってきた「平和の勇者」の君よ、貴女よ!
きょうもまた、強く朗らかであれ!

2014年10月10日金曜日

2014.10.10 わが友に贈る

友人の幸福も
同志の成長も
全ては一念で決まる。
強き祈りと行動で
人間革命の連帯を築け!

法衣書 P1296
『日月は地に落つべしや須弥山はくづるべしや大海の潮は増減せざるべしや大地は飜覆すべしや、此の御衣の功徳は法華経にとかれて候、但心をもつてをもひやらせ給い候へ、言にはのべがたし』

◇人生の座標
時代の混乱の原因の一つには、「知識」と「知恵」の混同がある。
学んだ「知識」を何に使うか。それが「知恵」である。「知恵」のない「知識」をいくら集めても、価値は生まれない。
習った「知識」を記憶しているだけでは観念である。
それに対し、「知恵」 は、生活であり、生きる力であり、生き抜く源泉だ。
「知恵」こそが、勝利と幸福につながる。「知識」だけでは幸福につながらない。

☆希望の虹〜世界の偉人を語る〜第7回 インド独立の父ガンジー
その後、ガンジーはインドにもどり、悪には従わず、非暴力で戦う独立運動のリーダーとなります。
当時のインドは、強力な軍隊をもつイギリスに占領されていました。きびしい差別があり、イギリス人が上で、インド人は下でした。
この不正をただすために、彼は戦いを開始しました。悲しい出来事や失敗もありました。何度もたいほされて牢屋に入れられましたが、信念をつらぬきとおしました。どこに行くにも腰布にサンダルばきの姿で、まずしく、一番差別に苦しんでいる人々の味方となって行動したのです。
勇気は、人から人へ伝わっていきます。その有名な出来事が「塩の行進」と呼ばれるものです。
この時代、インド人は、生活に欠かせない塩を自由につくったり、売ったりすることが禁止されていました。
ガンジーは、さけびました——人は塩がなくては生きられない。この海からの贈り物を取りあげる権利が、だれにあるのか!
1930年3月12日の朝、ガンジーはイギリス政府に反対するため、78人の弟子とともに約400キロはなれたインドの西海岸へと歩き始めました。浜辺に行き、自分の手で塩をつくるというのです。60歳のガンジーが、しっかりした足取りで進んでいく姿を見て、多くの人が次々に加わり、やがて数千人の大行進となりました。
海岸に着いたガンジーは天然の塩をひろい、これはわれわれのものだと、ほこらしげにかかげました。ガンジーも弟子たちも、たいほされましたが、ひるみませんでした。ぼうでなぐられたり、けられても、決して暴力に負けませんでした。このガンジーとともに、何万もの人々が牢屋に入れられました。それでも、民衆の大闘争は止まりませんでした。
同じく1930年の11月18日、創価学会は牧口常三郎先生、戸田先生の師弟によって創立され、だれもが幸せになれる社会を目指して、平和への歩みを開始したのです。

2014年10月9日木曜日

2014.10.09 わが友に贈る

青年ならば
広布の全責任を担う
気概に勇み立て!
大ロマンに燃え
今いる場所で勝て!

四条金吾殿御返事 P1143
『遊楽とは我等が色心依正ともに一念三千自受用身の仏にあらずや、法華経を持ち奉るより外に遊楽はなし』

◇人生の座標
「能」の真髄を書いたとされる、世阿弥の『花伝書』では、「時分の花」(若さゆえの美しさ。時とともに散る)と、「まことの花」(鍛えぬいた修行による美しさ。時とともに輝く)の違いを説いている。自分をたゆまず磨いた人だけが、年をとっても変わらない「まことの花」と咲くことができるというのである。

☆希望の虹〜世界の偉人を語る〜第7回 インド独立の父ガンジー
最高の"勇気の人"ガンジーは、いったい、どんな少年時代だったでしょうか。じつは意外なことに、とても、はずかしがり屋で、弱虫でした。
学校が終わると、友だちにからかわれるのが心配で、走って家に帰りました。寝る時も、おばけやドロボウやヘビがこわくて、明かりがなければ寝つけませんでした。けれども、まじめなお母さんの教えがあり、決めたことをやりぬく、がんばり屋でした。
そのガンジーが、大きな勇気の一歩をふみ出した事件があります。
それは、努力して弁護士になった若きガンジーが、仕事で南アフリカに行った時のことです。列車の一等車(一番いい客室の号車)に乗っていると、駅員が来て、「君は貨物車に乗るのだ」と言いました。同じ客室にいた白人が、茶色い肌のインド人といっしょに乗りたくないと、駅員に文句を言ったのです。ガンジーは、ちゃんと一等車のきっぷを持っていたにもかかわらず、貨物車に移らなかったために、列車から降ろされてしまいました。
人種差別といって、この国では当時、肌の色で人間に上下があると決められていたのです。
季節は冬でした。ガンジーは暗く冷え切った駅の待合室で、寒さにふるえながら一夜を明かしました。
このあと、どうするか。がまんしたまま仕事をすませ、ふるさとに帰る道もあったでしょう。
しかし、ガンジーは、自分のことだけでなく、人間が人間をバカにして、いじめること自体がゆるせませんでした。ガンジー青年は"勇気の人"に生まれ変わりました。この国に21年間とどまって、差別に対して非暴力で戦い抜きました。そして、ついに、この国に住むインドの人々を守る法律を勝ち取ったのです。
勇気は、青年を強くします。
とくに人のため、正義のため、勇気をもって立ち上がる時、青年は最も強くなるのです。

2014年10月8日水曜日

2014.10.08 わが友に贈る

農漁光部の友に感謝!
食をもたらす奮闘こそ
命を支える聖業なり。
人間王者の皆様に
幸の実りよ多かれ!

四条金吾女房御書 P1109
『明かなる事日月にすぎんや浄き事蓮華にまさるべきや、法華経は日月と蓮華となり故に妙法蓮華経と名く、日蓮又日月と蓮華との如くなり』

◇人生の座標
何でもいい、自分らしく自分自身を革命していく努力を開始したとき、その人の周りも必ず変わる。本人も喜び、周りにも感動が広がることは間違いない。

☆希望の虹〜世界の偉人を語る〜第7回 インド独立の父ガンジー
スポーツの秋、読書の秋、芸術の秋……みんなは、どんな充実の秋を過ごしているかな?
気温が下がってくるので、かぜには十分、気をつけてね。

「10月2日」という日は、私と世界の友をつなぐ記念日です。
私は、1960年のこの日に、「この世から、一切の不幸と悲しみをなくしたい」と願われた師匠・戸田城聖先生の世界平和の夢を実現するため、初めて海外に旅立ちました。上着の内ポケットには、戸田先生のお写真を入れていました。
それから54年——私は、世界をかけめぐり、対話と友情の道を開いてきました(世界54カ国・地域を訪問)。
この10月2日は、一人の偉大な平和の指導者の誕生日でもあります。1869年に生まれたインドの「独立の父」マハトマ・ガンジーです。今も、12億人の国民から尊敬され、世界のお手本になっています。
それは、ガンジーが、平和を築き、民衆を守るために、一切の暴力を使わず、戦ったからです。相手に暴力を使われても、仕返しをせず、対話と誠実な行動をつらぬいて、インドの独立(1947年)を勝ち取ったからです。
これを、少しむずかしい言葉ですが、「非暴力」といいます。
私はインドを訪れた時、ガンジーがなくなった、首都ニューデリーにたつ記念碑に花をささげ、記念館で講演も行いました。また、ガンジーの弟子やお孫さんたちと出会いを重ね、非暴力の精神を語り合ってきました。
暴力は、強そうに見えて、じつは、おくびょうな人が使う武器です。相手がこわいから使うのです。暴力は、暴力を呼んでしまう。そうして、暴力はくり返され、どちらも深く傷ついてしまいます。国と国の間なら、ざんこくな戦争が続きます。
平和を築くのは、対話と誠実な行動です。それには、まず自分のこわがる心を打ちやぶる勇気が必要です。自分の心が変われば、相手の心が変わる。非暴力は勇気ある人の武器なのです。
この大切な勇気の心を学んでほしいと思い、30年ほど前、私は創価学園の生徒たちとともに、映画「ガンジー」を鑑賞したことがあります。きょうは、いっしょに映画を見ているような気持ちで学んでいきましょう。

2014年10月7日火曜日

2014.10.07 わが友に贈る

環境ではない。
他人でもない。
大事なのは
わが一念の変革だ。
勇気の二字で立て!

船守弥三郎許御書 P1445
『かかる地頭万民日蓮をにくみねだむ事鎌倉よりもすぎたり、みるものは目をひききく人はあだむ』

◇人生の座標
当たり前の人生を、ただ無難に送るだけなら苦労はいらない。深き哲学もいらない。しかし、人間として生まれた、その"人間の証"をどう示しきっていくのか。生涯をかけて、その追究の実践を貫く人こそ偉大である。わが生命を極限まで燃やしきっていく。そうした生きざまのなかに真の生きた哲学がある。
「私はこう生きる」--人生は結局、自分で決めるしかない。人に決めてもらうものではない。

☆勝利の人間学第61回 良書を友に! 知性を磨け
◇読書は青春の金の翼
「青年よ、心に読書と思索の暇をつくれ」——これは、創価の若人の不朽の指針である。
読書は、自在の時間旅行であり、無限の空間旅行である。この青春の金の翼を広げれば、古代にも、未来にも、宇宙にも行ける。無数の人生を生き、得難い体験を味わうこともできる。読書を通して耕された豊かな心の大地から、偉大な創造の生命は開花するのだ。
活字文化の衰退は、人間精神の衰退である。わが青年部は教学とともに、読書という草創からの伝統を確固と受け継いでもらいたい。

◇たゆまぬ研鑽が本物の力に
青年リーダーは、皆、人の何倍も忙しい。、のんびり本を読んでいるヒマはないだろう。
しかし、だからこそ、激闘の中で学んだことが、命の深き滋養となる。真剣勝負で読んだ一冊は、大きな成長の糧として活きる。
私も、戸田先生から、よく「今、何を読んでいるか」「内容を言ってみなさい」と問われた。冷や汗の出る思いでお答えした。わずかの時間でもこじあけて、何かを勉強していなければ、師匠の前には出られなかった。
先生は、青年が低俗な雑誌などを手にしていたら、烈火の如く叱咤されたものだ。「名著を読め」「一流から学べ」と厳しかった。
最高の哲学の若き探究者として、誇りも高く、良書を友とし、本物の力を蓄えるのだ。

◇英知を磨き勇気の言論を
日蓮大聖人は、『畜生の心は弱気をおどし強気をおそる当世の学者等は畜生の如し』(P957、「佐渡御書」)と喝破なされた。
妙法を受持し、実践する青年は、わが生命を明鏡の如く磨き上げながら、たゆまず学び、知性を研ぎ澄ましていくのだ。真と偽、善と悪、正と邪が乱れた時代なればこそ、強く賢く鋭く、英知の光を放っていかねばならない。
読書は、そのかけがえのない光源である。
戦いの中で普賢(普く賢い)の智慧を鍛え、堂々と正義を叫び抜くのだ。
破邪顕正の勇気ある言論の力で、民衆を護り、対話拡大の上げ潮を起こしゆけ!

2014年10月6日月曜日

2014.10.06 わが友に贈る

◇今週のことば
一人一人が
かけがえのない宝塔だ。
誠実と確信の対話が
仏性を呼び起こす。
わが地域を人材で飾れ!
2014年10月06日

法衣書 P1296
『抑食は命をつぎ衣は身をかくす、食を有情に施すものは長寿の報をまねぎ人の食を奪うものは短命の報をうく、衣を人にほどこさぬ者は世世存生に裸形の報をかんず』

◇人生の座標
偉人の「器」を感じ取れる人とは、本来、その偉人と同様の「器」をもった人ではあるまいか。

☆フィリピン・イースト大学「名誉人文学博士号」授与式への謝辞
一、このたびは、貴イースト大学の栄光の創立68周年、誠におめでとうございます。
フィリピン共和国を代表される「世界市民」育成の名門の佳節を、貴国をはじめ192カ国・地域の平和を願う創価の宝友と共に、心よりお喜び申し上げます。
貴大学の誉れの卒業生であり、敬愛してやまぬリサール協会のキアンバオ元会長と私は、大英雄ホセ・リサール博士が掲げた大いなる夢を巡って語り合ったことがあります。
それは、フィリピン諸島を「東洋の真珠」と輝かせ、「団結(パグカカイサ)」と「友情(パキキサマ)」、「独立(パグササリリ)」と「勇気(パグカバヤニ)」、そして「他者への配慮(パキパグカプワタオ)」の精神が普く広がり、人類の進歩をリードしゆく天地とすることでありました。
この五つの原則は、現代世界が、平和と共生の地球社会を創造するために尊重すべき理念でもありましょう。このリサール博士の遠大な夢の実現へ、フィリピンの教育界を牽引してこられたのが、貴イースト大学であられます。
「民衆への奉仕と国への奉仕に高い意識をもったリーダーを、あらゆる分野へ輩出する」
この崇高なるビジョンを体現された卒業生の連帯は、すでに25万人を数えます。貴国はもとより、全世界で社会貢献の指導者として活躍されていることは、あまりにも有名であります。
この偉大な英知の殿堂より、本日、私は、最高に栄えある名誉人文博士の学位を賜りました。
意義深き創立記念の祝祭の中で、かくも盛大なる式典を挙行してくださった、諸先生方のご厚情に、御礼の申し上げようもございません。
さらに、深き友情のハーモニーで祝賀してくださったイースト大学コーラス部の皆様方、誠にありがとうございます。
また今年の2月、わが創価大学の学生たちが貴大学を訪問した折にも、美しきキャンパスで、多くの先生方と学生の方々から、熱烈に歓迎をいただきました。
あらためて、心より感謝申し上げます。

一、貴大学のキャンパスには、両手を優雅に広げた「母校の像」が凛と立ち、伸びゆく英才たちを、温かい眼差しで見守っております。
私には、その尊貴な姿が、学生や卒業生たちに、限りない励ましを送り続けておられる、ガルシア総長はじめ、貴大学の先生方の慈愛あふれる姿と重なって、深く胸に迫るのであります。
とともに、私はリサール博士の呼び掛けが聞こえてくるように思えてなりません。
すなわち——
「現代人の義務は、人間性の回復にある。なぜなら、人間が一度尊厳を取り戻せば、不幸な人が減り、幸福な人々が増えるからである」と。
私ども「創価教育」の父である牧口常三郎先生もまた、「子どもの幸福」のための人間教育を提唱し、生命の尊厳の思想を訴え抜きました。
第2次世界大戦中、日本の軍国主義と対峙し、壮絶な獄死を遂げて、今年で70年となります。
その志を受け継いで、私たちは、世界との平和・文化・教育の連帯を広げてまいりました。
なかんずく大学と大学の学術交流こそ、地道でありながら、国家間の複雑な政治・経済次元の葛藤も超克して、理解と信頼の人間主義の結合を築き上げていく最も普遍的な力でありましょう。
留学や交流を通して、同じ大学で学んだという同窓の絆は、国籍や民族、宗教や文明をも超えて、青年と青年とを、何よりも深く強く固く結び合わせます。
その舞台となる大学こそ、まさしく、人類益を志向し、地球社会に尽くしゆかんとする世界市民たちが愛してやまない「母校」ではないでしょうか。

一、貴大学は、ガルシア総長の卓越したリーダーシップのもと、21世紀を担い立つグローバルな人材の育成を目指し、世界の多彩な教育機関との交流を通じて、"開かれた大学づくり"を力強く進めておられます。
私も、本日、この先進的な「世界市民教育」を実践される貴大学の誉れある一員とさせていただきました。
先生方と手を携えて、いずこの国の若人も共に学理を探究し、共々に価値を創造しゆく「教育のマリンロード」を、さらに広々と創り開いていく決心であります。
リサール博士は叫ばれました。
「若者よ 雷鳴も 荒波も 豪雨も
何者も 何事も
我々を脅かすことはできない
俊敏なる腕 穏やかな振る舞い
危機にあっては戦いを起こすのだ」と。
この勇気ある魂を燃え上がらせて、私たちは力を合わせ、英知を結集し、地域社会の山積する難題に挑戦していきたいと思うのであります。
「未来は、東(イースト)から始まる!」
かけがえのない我らの「母校」たるイースト大学が、水平線から昇りゆく旭日の如く、創立70周年、80周年、さらに100周年へ、アジアの希望の未来を、世界の共生の未来を、そして人類の平和の未来を、いよいよ赫々と照らしゆかれることを、心からお祈り申し上げ、私の御礼のあいさつとさせていただきます。
マラミン・サラマッポ!(フィリピノ語で「誠にありがとうございました!」)

2014.10.05 わが友に贈る

わが地区から
新しき人材を!
決定した祈りから
全てを始めよ!
壁は必ず破れる。

四条金吾御書 P1176
『又御をととどもには常はふびんのよしあるべし、つねにゆせにざうりのあたいなんど心あるべし、もしやの事のあらむにはかたきはゆるさじ、我がためにいのちをうしなはんずる者ぞかしとをぼして、とがありともせうせうの失をばしらぬやうにてあるべし』

◇人生の座標
自分をよく見せようとすると、しやべるのが苦痛になる。ありのままのあなたでいいのです。背伸びせず、自分の短所も長所も、正直に知ってもらえばいいのです。

☆大白蓮華巻頭言 2014年10月「強く明るく喜びの調べを!」
「何があっても負けない青春、負けない一生を!」
これは、わが創価の女性たちの合言葉である。
簡潔でありながら、なんと奥深い哲学が秘められ、なんと誇り高い信念が込められていることか。
「御義口伝」には、『自身の内なる妙法を悟って、自身の宮殿に入るのである。南無妙法蓮華経と唱えていくことは、自身の宮殿に入っていくのである』(P787、趣意)と仰せである。
幸福の宮殿とは、どこか遠くにあるのではない。わが生命の中にある。わが生命が宮殿なのである。
いかに苦しくても、いかに大変であっても、題目を唱えゆくならば、妙法と一体となり、前へ進む力が漲ってくる。生き抜く勇気が込み上げてくるのだ。
法華経には、『三界は安きこと無し 猶お火宅の如し 衆苦は充満して 甚だ怖畏す可し』(妙法蓮華経並開結P191)と説かれる。とりわけ末法に入り、天変地異が重なる世には、心の広い人も狭くなり、道を求める心を持つ人さえも邪見になってしまうと、御書には喝破されている。
そうした時代の真っ只中で、あの友の心にも、この友の心にも、何ものにも壊されない希望の宮殿を開いてきたのが、創価の草の根の対話といってよい。
その力は、祈りと真心から発する「励まし」の声だ。人を傷つけ、誑かし、引き裂く残忍な言葉が渦巻く社会にあって、それは、あまりに温かく、正しく、溢れる善意で人々を結び合わせる挑戦でもある。
日蓮大聖人は、『喜とは自他共に喜ぶ事なり』『自他共に智慧と慈悲と有るを喜とは云うなり』(P761、「御義口伝」)と教えてくださった。その通り、わが宝友たちは、日本中、世界中で、強く明るく喜びの調べを奏で、智慧と慈悲のスクラムを広げてくれているのだ。
『一切世間に怨多くして信じ難し』と言われる如く、誠心誠意、訴えた正法の哲理が、閉ざされた心、頑なな心から反発されることも、多々ある。
しかし、折伏の大師匠・戸田城聖先生は語られた。「法を弘めようと悩む。人々を幸福にしようと悩む。広宣流布のために悩む。これほど素晴らしい仏の悩みはないではいか」と。悩んだ分だけ、煩悩即菩提で、仏の境涯が深まり、大福運が積まれるのだ。
山形広布の母は、夜なべの内職で生活苦に挑みながら、夫と友に広大な天地を広布へ走った。二人のお子さんとの死別の悲哀も乗り越え、打ち続く災害にも皆を励まし、90歳となる今も毅然と戦う。
「三世の幸福を贈る折伏は、どんな富豪や権力者もできません。辛い時こそ、友に『私がいるよ、学会員がいるよ』と叫びたい。皆、命の底で妙法を求めていると思えば、励ましの心が湧いてきます」と。
文豪ビクトル・ユゴーは、「人に与える喜びには、反射のように弱まってもどるどころか、輝きを増してはねかえってくるという性質がある」と綴った。
我らは、共々に生命の大歓喜の輝きをいや増し、何があっても負けない「人材の城」を築きゆこう!

いつの世も
 友に励まし
  守り合い
 勝利の旅路を
  明るくひらかむ

2014.10.04 わが友に贈る

希望あるところ
勝利の太陽は昇る!
いかなる苦難にも
不屈の楽観主義で挑め!
雄々しく道を開け!

四条金吾殿御返事 P1192
『いよいよ強盛に大信力をいだし給へ、我が運命つきて諸天守護なしとうらむる事あるべからず』

◇人生の座標
見る側に 「眼」が具わっていなければ、どれほど偉大な人物を目の前にしていたとしても、その真価を見分けることはできまい。

☆書とともに� 第31回 学会が仏法西還を証明
『月は西より東に向へり月氏の仏法の東へ流るべき相なり、日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり』(諫暁八幡抄、P588)

◇通解
月は西から東へ向かう。それは月氏の仏法が東へ流布する相である。日は東から出る。日本の仏法が、月氏国へ還るという瑞相である。

◇同志への指針
仏法西還を予言された、日蓮大聖人の未来記である。
インドをはじめ世界192カ国・地域に躍り出たSGIメンバーの英姿に、この未来記の厳然たる証明がある。
若き地涌の友の活躍は民衆の希望である。
さあ、誓いの青年(きみ)よ! 信ずる後継(きみ)よ! 新時代のバトンは、すでに託されているのだ。太陽の仏法で、人類を照らしゆけ!

2014.10.03 わが友に贈る

リーダーは自らの
体験を通して
歓喜と確信を語れ!
皆が信心で奮い立てば
前進の勢いは加速!

四条金吾殿御返事 P1149
『日蓮をたすけんと志す人人少少ありといへども或は心ざしうすし或は心ざしはあつけれども身がうごせずやうやうにをはするに御辺は其の一分なり心ざし人にすぐれてをはする上わづかの身命をささうるも又御故なり、天もさだめてしろしめし地もしらせ給いぬらん』

◇人生の座標
「精神」という「目に見えない価値」に、どれだけ敏感でありえるか。どれだけ「見えないもの」に目を凝らし、「聞こえないもの」に耳をそばだてることができるか。そこに人間としての「証」があり、文明を導いていく羅針盤がある。

☆教学部初級試験・青年部教学試験3級への伝言
全員が尊き求道の信心の勝利者であり、日蓮大聖人が褒めてくださることは絶対に間違いないと賞讃。
さらに、万人が幸福になる「生命尊厳の哲理」が仏法であり、教学試験は「合否を超えて、全員が 『正義の大賢者』 になるための試験です。何ものにも負けない 『生命の大城(大いなる城)』 を築くための試験です。そして、一家も眷属も 『心の財』 を積んで、 『大福運の博士』 と勝ち栄えるための試験なのです。
きょうから、ますます朗々と題目を唱え、 『実践の教学』 に励んで、人類を照らす最極の英知と希望の光を、共々に、社会へ世界へ、輝かせていこうではありませんか!

2014年10月2日木曜日

2014.10.02 わが友に贈る

「開拓」こそ
青年の心の異名だ。
「もう一歩!」と
勢いよく殻を破り
新時代を創りゆけ!

木絵二像開眼之事 P469
『人の声を出すに二つあり、一には自身は存ぜざれども人をたぶらかさむがために声をいだす是は随他意の声、自身の思を声にあらはす事ありされば意が声とあらはる意は心法声は色法心より色をあらはす』

◇人生の座標
だれが見ていようと、見ていまいと、つねに人間として正しい行動を貰いている。いっさいに恥ずるところがない。
ゆえに心は青空のごとく晴ればれとし、悠々としていられる。これも、優れた人物に共通する楽しみであり、また誇りである。

☆名誉会長と共に新時代を開く第35回 題目こそ勇気と智慧の源泉
「勝ちまくれ! 仏法は勝負である」——恩師・戸田先生の師子吼が胸に響く。全てに勝とう! 広宣流布のために! 自分自身の幸福のために!
ブロックこそ広布拡大の最前線だ。模範のブロックをつくるには、どうしたらいいか。私は葛飾の総ブロック長に就いた際、皆と約し合った。
全会員が、しっかり勤行できるようにしていこう——と。
柔道にも剣道にも基本があるが、幸せになるための信心の基本は勤行にある。日々、真剣に勤行・唱題を重ねた人と、いい加減な人とでは、表面は同じように見えても、3年、5年、7年とたっていったとき、厳然たる開きが出てくるものだ。
宿業の転換といい、人間革命といっても、その一切の原動力は勤行・唱題にほかならない。
一念の力は無限である。わが最高峰を目指そう!——そう決めて祈れば、偉大な力が湧く。

日蓮大聖人は仰せである。
『深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり』(P384、「一生成仏抄」)
勤行の姿勢が、生き方にも表れる。力強い勤行、すがすがしい勤行、真剣な祈りを込めた勤行は諸天をも動かしていく。
私たちが毎日読誦する法華経寿量品に『一心欲見仏 不自惜身命』(一身に仏を見たてまつらんと欲して 自ら身命を惜しまず)とある。求道心に燃え、命を惜しまず、法のために——ここに信心の真髄がある。
あらゆる苦難に挑みながら、仏法を弘め、同志を守り抜く。その戦う心に仏界は輝く。
所詮は題目を唱える以外にない。仏道修行で、一番やさしい修行は唱題であり、一番難しい修行も題目を唱えることだ。
生き抜く力の源泉、勇気と知恵の源泉こそ題目なのである。

2014年10月1日水曜日

2014.10.01 わが友に贈る

寒暖差が激しい時期。
風邪を引かないよう
手洗い・うがいを励行し
節度ある食事と睡眠を。
健康は勝ち取るものだ。

大果報御書 P1298
『なにとなくとも釈迦如来法華経を失い候いつる上は大果報ならば三年はよもとをもひ候いつるにいくさけかちつづき候いぬ、国はいかにも候へ法華経のひろまらん事疑なかるべし』

◇人生の座標
もしも「頭のよくなる薬」 ができたら、それは麻薬のようなものだ。だれも努力しなくなる。そうなれば人間崩壊です。
苦しまないと、人格はできない。自分らしく、どう努力するか、どう悩むか、どう苦しんでいるかで、人格が決まる。磨かれる。ダイヤモンドのように。

☆四国女子部サンフラワー大会へのメッセージ
皆さん、ご苦労さまです。強く、明るく、たくましく前進される四国の皆さんに、私と妻も心から題目を送っております。
日蓮大聖人は、家族の病と闘う門下に仰せになられました。
『此の経の信心を致し給い候はば現当の所願満足有る可く候』(P1242、「道妙禅門御書」)と。
そして『魔及び魔民有りと雖も皆仏法を護る』(同P)、さらに『病即消滅して不老不死ならん』(同P)との法華経の一節を贈られ、励まされました。
この信心で乗り越えられない現実はない。そして、変えられない未来も断じてありません。
わが師・戸田城聖先生は言われました。
「悩みの薪があるから、仏の智慧の火が燃え上がる。皆、地涌の菩薩だ。創価学会とともに信心をやり切っていけば、今の悩みは必ず全部、大功徳に変わるんだよ。これは絶対に間違いない」と。
忙しい日々でしょうが、健康第一で、朗らかに、心広々と仏縁を結び、人材のスクラムを広げながら、わが地域に希望と幸福の花園を咲き薫らせていってください。
今日、お集まりの皆さん方こそ、創価と広布の「前進勝利の太陽」です。皆さんと私は、いつも題目で結ばれています。
さあ、何があっても、苦楽共に思い合わせて、題目を唱え抜き、共に戦い、共に勝ち、共に喜びあふれる人生を、深く強く飾っていきましょう!
お体をくれぐれも大切に! 充分に睡眠と休息もとってください。
尊き四国婦人部、女子部に、健康あれ! 和楽あれ! 勝利あれ!