2012年8月24日金曜日

2012.08.24 わが友に贈る

会場提供者の皆様
いつもありがとう!
宝城ありて広布あり。
家族、近隣に配慮し
皆で清々しく前進!

四条金吾殿御返事 P1169
『日蓮は少より今生のいのりなし只仏にならんとをもふ計りなり、されども殿の御事をばひまなく法華経釈迦仏日天に申すなり其の故は法華経の命を継ぐ人なればと思うなり』

◇希望の明日へ
人柄は、その人のもつ人間性の輝きであり、生き方の基本をなすものといってよい。人柄の悪い人は、一時は成功したようにみえても、結局は人々の信頼を失い、みじめな人生の結末を迎えることが多い。その意味で、人柄というものは、まことに大切な実相である。
昭62・10・11

☆池田大作 名言100選 言葉への気遣い
人間は、たったひと言の言葉で、
悩むこともあれば、傷つくこともある。
また安らぎも感じれば、
勇気を奮い起こしもする。
ゆえに、言葉が大事に成る。
言葉への気遣いは、
人間としての配慮の深さにほかならない。

☆我らの勝利の大道No.079 後継の希望・未来部
◇人生変える出会い
『宝島』の作家スティーブンソンは二十九歳の時、日本の幕末の大教育者・吉田松陰の伝記「ヨシダ・トラジロウ」(吉田寅次郎=松陰の名)を書いた。
一八八〇年、イギリスで発表されたこの伝記は、日本人の手によるものに先駆け、世界最初の松陰伝と言われている。
スティーブンソン自身、こう評していたという。
「生きる力を与えてくれる日本の英雄の話」──。
この伝記が生まれる機縁は、一八七八年の夏ごろ、若きスティーブンソンが、英国留学中の松陰門下の一人と出会い、この弟子が語る師の生涯に感動したことにあった。伝記には、次のような言葉が見える。
「他人なら落胆したようなことでも、そのためにかえって、吉田は仕事に対し情熱をかきたてた」
「彼を支えたのは、彼自身の若さと勇気だけでなく、絶えず新しい門弟がたくさんいたからである」
誠に生き生きとした松陰の姿が伝わってくる。
松陰のことをスティーブンソンに語ったのは、正木退蔵という門下であった。長州(今の山口県)の萩の松下村塾に入門した時は十三歳で、在籍した期間もわずか数力月にすぎなかったようだ。その後、松陰は牢獄に囚われて江戸に護送され、志半ばに刑死する。
しかし、清らかな、若き生命に焼き付けた師の姿は、約二十年の時を経ても色褪せることはなかった。異郷にあって、敬愛する師の雄姿を、烈々と語ってやまない一人の弟子の言葉が、国も歳月も超え、作家の心を動かしたのだ。
たった一度の出会いでも、短い時間の語らいでも、直接、会えなくとも、人生を変える励ましがある。後継の友に、かけがえのない触発となる。若き生命の無限の可能性を開くのは、まさしく関わる側の熱意であり、誠意であろう。