広布の最高峰へ
明確な「目標」を!
強盛な「祈り」を!
勇敢な「行動」を!
一日一日を勝ち進め!
法華証明抄 P1587
『鬼神めらめ此の人をなやますは剣をさかさまにのむか又大火をいだくか、三世十方の仏の大怨敵となるか、あなかしこあなかしこ、此の人のやまいを忽になをしてかへりてまほりとなりて鬼道の大苦をぬくべきか』
◇今週のことば
さあ! 後半戦——
希望は人生の宝なり。
勇気は勝利の力なり。
明るく弾む座談会から
スタート・ダッシュだ。
2012年08月20日
◇希望の明日へ
"根も葉もないことを捏造し、紛糾させ、人々の間を裂く""虚栄心や私欲をあおり立て、人間を堕落させ、揉爛する"−−これこそ、腹黒い策謀家たちの常套手段である。これまで、広布の前進を阻み、学会の麗しい団結の世界をかき乱そうとしてきた悪の勢力の狙いもまったく同じである。そこで、皆さんは悪の本質を鋭く見抜く英知の眼を培っていただきたい。不正と戦い抜く勇気と根性をもった一人一人であっていただきたい、と強く念願する。
平2・7・21
☆池田大作 名言100選 思いやり
「思いやり」とは「思いを遣る」、
つまり思いを他の人まで差し向けることである。
慈愛を馳せることである。
思いを遠く遣った分だけ、我が心は広がる。
☆長崎新聞特別寄稿「なべてこごろを 豊かならしむ」
長崎医専(現・長崎大学)の教授も務めた歌人・医学者の斎藤茂吉が、北京の「故宮」を訪れた折の感慨です。<
偉大な文化の精華を学び合うことは、なんと豊かに心を広げてくれることか。
うれしいことに、平和の心の都・長崎で、明後18日から、「地上の天宮北卒・故宮博物院展」(東京富士美術館企画)が開幕します。故宮のえりすぐりの至宝・200余点の展示会です。
昨年、未曽有の大震災に見舞われた日本での開催を危ぶむ声もありました。
しかし、「苦難の時こそ」という中国側の熱意で実現され、全国八つの会場を巡回し、すでに100万人を超す方々が鑑賞されています。
その有終の美を飾る長崎展に当たり、主催の長崎新聞社をはじめ関係者の皆さま方のご尽力に、心よりお礼を申し上げるものです。
いわゆる鎖国政策がとられた江戸時代にあっても、長崎は世界に開かれた窓であり、日中交易の港でありました。
長崎あればこそ、一衣帯水の交流は続くことができたのです。
「天下は人民のものなり」との信念を掲げた中国革命の大英雄・孫文も、9度、長崎を訪れております。辛亥革命を経て、1912年、共和国を成立させた孫文を、物心ともに支え続けた盟友こそ、長崎生まれの実業家・梅屋庄吉でありました。
「如何なる時変あるも親友の間には最後なし」とは、梅屋庄吉の大誠実の信条です。時代の変化に左右されず、まっすぐに友情を貫き通す。これは「長崎の心」といってもよいでしょう。
もともと故宮は、500年にわたる24人の皇帝の居城として栄えた「紫禁城」でした。その宝物を保存し、広く民衆に公開するために故宮博物院が設立された背景には、孫文の意志があったと伝えられます。
その意味から、長崎歴史文化博物館において先般の「孫文・梅屋圧吉と長崎」展に続いて、今回の「故宮」展が行われることは、両国友好の先人の方々も、国交正常化40周年を笑顔で見守られている象徴と思えてなりません。
梅屋庄吉が世界に目を開いた原点は、幼少より身近に華僑の人々に接したことです。また、少年時代に貿易商を営む自家の船に乗り、上海を訪れたことでした。
まさに、長崎の開かれた気風が若き生命を開花させたといえましょう。多感な子ども時代の異文化体験は、「開かれた心」を育む貴重な教育となります。
このたびの展示のテーマの一つは、「故宮の子どもたち」です。皇了皇女たちが中国の伝統を学んだ「四書五経」や、西洋のからくり人形などのおもちゃも出品されています。子どもたちが遊ぶ姿を描いた絵画や彫刻からは、天真らんまんな笑い声が聞こえてくるようです。
夏休み、お隣・中国の教育文化に触れての親子の語らいから、「教育県・長崎」の未来が楽しく広がることを、私は願ってやみません。
本展のもう一つの柱は「故宮の女性たち」です。
海外初公開となる南宋時代の名画「女孝経図」は、当時の理想の女性像を描いたものです。
思えば、不羈奔放(ふきほんぽう)な梅屋庄吉を支えたのは壱岐生まれのトク夫人でした。外国人と接する中で数力国語も身に付けました。面倒見がよく、孫文と宋慶齢夫人の結婚を応援したのもトク夫人です。そうした聡明さ、気丈さは、私と妻が知る長崎の女性たちにも光っています。
故宮展では、中国伝統の「盆景」を西洋のガラス技術で再現したものをはじめ、東西文化が融合した文物も見られます。
この点、ペーロン船、眼鏡橋、卓袱(しっぽく)料理やちゃんぽんなど中国の風雅も、古い洋館や石畳の道など西洋の趣も、見事に調和した長崎こそ、文化融合の美しいモデルといえましょう。
40年前の国交正常化の翌年、長崎県は全国に先駆けて友好使節団を派遣し、その後、長崎・上海間の定期航空便も運航されました。1980年、5度目の訪中を終えた私も、その直行使で長崎に帰国しました。
この折、"長崎の母"からおいしい皿どんをごちそうになり、被爆したご主人と地域に貢献されてきた来し方を伺ったことも思い出されます。尊き庶民の母たちも、「世界平和のため、日本と中国は絶対に仲良く!」と強く語られていました。
長崎では古くから「上海には、げた履きで」と言われていたと聞きます。"ご近所づきあい"の目線で友誼の橋を結んできた長崎は、地球一体化の現代にあって、国際親善の先駆といえるのではないでしょうか。
今夏のロンドン五輪でもこ長崎の青年たちが堂々たる大活躍をしてくれました。
長崎と中国の往来は、海路の定期便が復活するなど一段と活発になっています。本展が、平和の「金の橋」をさらに光り輝かせていく機会となれば、これ以上の喜びはありません。
(2012年8月16日 長崎新聞掲載)