広布に生き抜く
我らの唱題こそ
最高の追善だ。
生死不二の家族と共に
三世永遠の幸福を!
南条兵衛七郎殿御書 P1494
『いかなる大善をつくり法華経を千万部読み書写し一念三千の観道を得たる人なりとも法華経の敵をだにもせめざれば得道ありがたし』
◇希望の明日へ
一切法は即ち是れ仏法であり、総じて、人間として立派に生きている人の姿は、そのまま仏法の一分に通じている。ゆえに妙法を持った一人一人の信心即生活のうえからも、学ぶべき多くの点がある。否、信仰しているからこそ、どこまでも謙虚に、また真撃な態度で、いっさいに学んでいくべきである。人間完成のための信心である。向上し、成長し続ける人間、人格− −そのなかにこそ、仏法の生命は脈動している。反対に、最高の大法を持ったからといって、もはや何も学ぶべきことがないかのように慢心し、独善的になったのでは、仏法の精神に反する。厳しくいえば、法を利用してわれ尊しと粉飾する虚栄の人生であり、見せかけの信仰でしかないのである。
昭63・12・10
☆池田大作 名言100選 滝の如く
滝の如く 激しく
滝の如く 撓まず
滝の如く 恐れず
滝の如く 朗らかに
滝の如く 堂々と
男は 王者の風格を持て
☆我らの勝利の大道No.77 青年は世界の宝
五輪公園を擁するロンドン東部では、地元イースト・エンド本部の友をはじめ、わが創価の同志たちが、オリンピックの成功を祈りながら、元気に社会貢献されている。
十九世紀後半、このイースト・エンドの地域で、貧困に苦しむ庶民のために心を砕いた一人の青年がいた。若き経済史家アーノルド・トインビーである。
私が対談したアーノルド・J・トインビー博士は「甥」にあたり、この叔父の名を受け継がれていた。
博士の叔父アーノルドは、「産業革命」という歴史概念を英国で最初に提示した気鋭の学者であった。と同時に、実際に貧しい庶民の中に飛び込んでいく人道主義の社会改革者であった。
私には、わが創価の学術部の知勇兼備の献身と重なり合って迫ってくる。
「快活で、人づきあいがよく、親切な人間の姿、自分の周囲の人間世界に強い関心をもち、恵まれない同胞の生活をよくしたい一心の理想主義者」とは、かのトインビー博士が叔父の姿を記した一文である。
残念ながら病で三十歳で逝去。しかし、遺志を継承した友人たちの手で、彼の名を冠した社会福祉の施設「トインビー・ホール」が設立されたのである。
これは、民衆の生活向上を助ける社会事業(セツルメント=隣保事業)を行う、世界最初の施設となった。
実は、クーベルタン男爵も、しばしばトインビー・ホールを訪れている。
また、アメリカ女性として初のノーベル平和賞を受賞したジェーン・アダムズは、若き日、同ホールとの出あいが、その後の人生を決定づけた。彼女は帰国後、シカゴで自ら福祉施設をつくり、民衆の支援のために立ち上がったのである。
人びとの幸福を願った青年の情熱は、時代も国境も超えて、一つまた一つと燃え広がっていったのだ。
このトインビー・ホールの精神を伝える、次のような言葉がある。
「鳥がついばむからといって、種を蒔くことを恐れるな」
下種仏法を奉じて、友の心に、幸福と平和の種を蒔きゆく、わが創価の青年の心意気を思い起こさせる。