体調管理を賢明に。
リズム正しく
信心即生活の日々を。
朗々と勤行・唱題し
満々たる生命力で前進!
四条金吾殿御返事 P1151
『だんなと師とをもひあわぬいのりは水の上に火をたくがごとし』
◇希望の明日へ
大切なことは、自らの信念のままに、進むべき道を毅然と進むことだ。"自分は今、どうあるべきか"とつねに自分を見つめ、日々、使命の道に出発していく−−"倫理観の強さ"とは、このことであろう。幹部になったとか、ならなかったとか、厳しく言われたとか、ほめられたとか−−いちいち、そうしたことで心が揺れたり、役職や立場に安住して堕落したり、それでは信心とはいえない。
平4・5・12
☆我らの勝利の大道No.73 誓願の五月三日
朗らかな
微笑み絶やさぬ
母なれば
無量の人に
慕われ光りぬ
「五・三」は「創価学会母の日」でもある。
日本中、そして世界中で奮闘してくださる「太陽の婦人部」の皆様方に、あらためて深厚なる感謝の思いを捧げたい。
昭和三十五年(一九六〇年)の五月三日、第三代会長就任の夜、大田区小林町の小さな小さな自宅に、お祝いに訪ねてきてくれた、草創の関西の母がいる。
お祝いというよりも、「お葬式」との覚悟で、この日を迎えた、わが家の雰囲気に驚かれていた。その母へ、私は、色紙に「不変」と書き贈った。
師弟の誓いだけは何かあっても変えない、と決めたこの母は、常勝の人材城を築き上げてくれた一人である。晩年、若い人材の活躍に喜び語っておられた。
「"何かあれば題目。苦しい時こそ折伏精神で。そして今度も勝ってみせる"と、ヤングの婦人部たちまで自然に口にしています。
草創期に戦ってきた私たち以上に、大きく、たくましく成長している姿が、関西のどこでも見られます」
苦楽を分かち合い、戦い抜いてきた、功労の同志たちのことが、私の胸奥から離れることはない。
『日蓮に共する時は宝処に至る可し』(P734)と「御義口伝」に仰せの通り、我らは共々に、永遠に「常楽我浄」の生命の軌道を愉快に進みゆくのだ。
「五月三日」は、母たちへの感謝を捧げつつ、来る年来る年、賑やかに「地涌の菩薩」のスクラムを広げゆく、創価家族の晴れの祝日なのである。
今月の金環日食を経て、次に日本で見られるのは、二〇三〇年、北海道である。
恩師が逝去された翌年の昭和三十四年(一九五九年)一月十七日、私と同じ心で立ち上がってくれた北海道の同志に深謝しながら、私は忘れ得ぬ夕張の地で日記に記した。
「これらの強き同志あれば−−これからの闘争に、断じて敗れまい」
そして、私は心の奥にある思いを綴り残した。
「この人びとのために−−私は起たねばならぬ。時は……刻一刻と近づいて来た。どうしようもない。時の流れか、要求か、宿命か」
私は、いじらしい庶民の正義の心が脈打つ夕張で、一切の魔を断ち切らんと、今世の新たな大闘争への覚悟を深めていた。
私がよく知る北海道広布の開拓の父は、悪口罵冒の渦巻くなか、胸を張り広大な舞台を走り抜いてきた。
この父が宝としてきた、戸田先生の師子吼がある。
「貧乏人と病人の集まり」という学会への中傷を打ち破る恩師の叫びである。
「結構ではないか! 本当に苦しんでいる人びとを、創価学会以外に、一体、誰が、生命の根底から救うことができるのか!」
齢九十歳となられた、この多宝の父は、今も矍鑠(かくしゃく)と、「信心で勝負する人生が一番、強い」と、友を励まし続けておられる。
北海道で金環日食が観測される二〇三〇年は、創価学会創立百周年の佳節でもある。師弟有縁の三代城・北海道は、百周年の勝利を開く使命深き新天地だ。
ともあれ、日本のみならず世界の大舞台を、自由自在に舞いゆく若鷲こそ、今の未来部の友である。明日、五月五日は「創価学会後継者の日」−−わが生命の宝の子どもだちよ、大いなる希望の大空へ羽ばたけと、祈らずにいられない。
栄光の
世界の地涌の
ともどちが
誓願胸に
なんと晴れやか