2012年5月9日水曜日

2012.05.09 わが友に贈る

苦難の挑戦には
強き信心で応戦を!
その繰り返しが
自身を金剛に鍛える!
勇気で勝ち開け!

寂日房御書 P902
『夫れ人身をうくる事はまれなるなり、已にまれなる人身をうけたり又あひがたきは仏法是も又あへり、同じ仏法の中にも法華経の題目にあひたてまつる結句題目の行者となれり、まことにまことに過去十万億の諸仏を供養する者なり』

◇希望の明日へ
信念あるかぎり希望があり、信念強き人は、希望強き人である。"信念の人"こそが"希望の人"であり"幸福の人"である。ゆえに大切なのは、前へ進むことである。戦うことである。動くことである。御書の通りの行動−−その軌道は太陽のごとく、確実に、人生の"希望の春"を花開かせる。
平4・4・17

☆我らの勝利の大道No.73 誓願の五月三日
今月二十一日の朝には、珍しい「金環日食」が各地で見られる。
今回は、東京・神奈川などの首都圏から九州にかけての太平洋側で観測できるという。これほど広い範囲で見られるのは、平安時代以来、実に九百三十二年ぶりと言われている。
太陽、月、そして地球が一直線に並ぶ時に、日食は起こる。地球から見た太陽と月の大きさが、ほぼ等しいために「ゴールドリング」(金環)が見られる。
日本で見られた前回の金環日食は、昭和六十二年(一九八七年)の九月二十三日であった。
この折は、沖縄だけが、金環日食の見える範囲だった。「平和の要塞」である。私たちの沖縄研修道場でも観測できたという。
この時、私は、愛する兵庫の青年平和文化祭などに出席するため、"常勝関西"の地で指揮を執っていた。
日食の当日は、大阪の関西創価学園の「健康祭」に赴き、未来を担う学園生の溌剌たる雄姿を嬉しく見つめた。あれから二十五年、皆、どれほど逞しく成長していることか。地上の金星たる、わが学園生の鮮烈な命の輝きに思いを馳せる時、私の心は躍る。
豊かな詩心の沖縄では、日食を「太陽と月の結婚」とする美しい民話も伝えられる。それは、何とロマンあふれる"天体の結婚式"であろうか。
私には、まるで太陽と月が一体になったような、明るく仲睦まじい沖縄の父母たちの笑顔が目に浮かぶ。
いずこにもまして苦労を乗り越えられてきた沖縄の同志は、苦しむ友の心を、力強い陽光の如く励まし、優しい月光の如く癒やす不思議な力を持っている。
「世界最初の広宣流布のモデル地帯」を目指して、「イチャリバチョーデー」(行き会えば、皆、兄弟)という大海原のように開かれた心で、愛する沖縄家族は、今日も友情と信頼を広げておられる。
私は大好きな「沖縄健児の歌」を聴かぬ日はない。この五月十五日には、返還四十周年を迎える美しき「うるま島」(珊瑚の島)に、永遠の平和と繁栄と和楽あれと、いやまして祈りに祈り抜いている。

広宣の
 先駆と模範の
  沖縄勢

昭和二十七年(一九五二年)の五月三日、私と妻のささやかな結婚式で、実質の仲人をしていただいた戸田先生は短い祝辞をくださった。
「私の願うことはただ一つ、これからの長い人生を広宣流布のために、二人で力を合わせて戦い切ってもらいたい」
このご指導通りに、ただひたすらに、二人で歩んできた六十星霜である。
結婚六十年を、「ダイヤモンド婚」というそうだ。思えば結婚の時、私は、ダイヤの指輪を買ってあげることができず、「ダイヤだよ」とユーモア交じりに言って、ジルコン(ダイヤモンドのようにつやのある鉱石)の指輪を贈った。
そのジルコンの指輪は、年々、輝きが色槌せてしまい、妻と大笑いしたものだ。
だが、戸田先生の弟子として、ただただ広宣流布のために、一つまた一つと試練を乗り越えるたびに、戦友の絆が、ダイヤモンドの如く堅固の度を増してきたことは確かである。
『日月・両眼・さう(雙)のつばさと調ひ給へ』(P1118)との御聖訓通りに、二人して人生を切り開き、苦難の数だけ強くなった。
「男は力を持て」
「妻はどんな時も笑顔で」
これから、新たな家庭を築きゆく若さ夫婦に、私は恩師からいただいた、この指針を贈りたい。