2012年5月8日火曜日

2012.05.08 わが友に贈る

人生は
毎日が新しい出発!
みずみずしい生命で
きょうを勝て!
さあ、これからだ。

一生成仏抄 P0384
『只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり是を磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし、深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり』

◇希望の明日へ
"戦わない人""行動なき人"は、他人の不幸を待ち望む。そうした妬みは、もっとも非生産的な感情である。無限に価値を創り、価値を広げゆく、"創価"と正反対の卑しい心である。まして、意図的な悪口を、見破れないようではしかたがない。これに対して、"信念ある人""行動する人"は、皆の幸福を心から願い、心から喜ぶことができる。自らが悩み、動き、戦うゆえに、人の心がわかる。共感できる。
平3・7・26

☆我らの勝利の大道No.73 誓願の五月三日
弘安二年(一二七九年)の五月、大聖人は仰せになられた。
『総じて日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ、さだにも候はば釈迦・多宝・十方の分身・十羅刹も御守り候べし』(P989)
「大聖人の如く、広宣流布の大願に生き抜く」−−これが、五月三日を貫く我らの誓いである。この蓮祖直結の「信力」「行力」という生命の底力を奮い起こしてきたゆえに、創価の師弟は、全宇宙の仏天をも揺り動かす偉大な「仏力」「法力」を満々と涌現できるのだ。
昭和三十二年(一九五七年)の五月三日。師の会長就任から六年を迎え、七十五万世帯の願業の完遂へ、怒濤の勢いで前進するなか、総会が行われた。
両国の国際スタジアム(後の日大講堂)を埋め尽くした弟子一同に、先生は叫ばれた。
「ただ自分だけが題目を唱えているのでは、時にかなう信心とはいえないのです。時にかなう信心というのは、折伏以外にない」
信心の根本は、どこまでいっても「自行化他」の行動である。
慈悲の心をもって、折伏精神に燃え、友のもとへと足を運び、仏縁を結ぶことが、最も時に適った仏道修行なのである。
尊き同志が、生き生きと広宣流布のため、立正安国のため、東奔西走しゆくなかで、五月三日を祝賀してくださる。この姿こそ、戸田先生が何より喜んでおられるに違いない。

戸田先生の大闘争の総仕上げへ向かう、昭和三十二年の五月三日の集いでは、最前線の「組」中心の活動が再び確認された。今で言えば「地区」「ブロック」に当たるであろう。
広宣流布の伸展においては、地区そしてブロックの勝利こそ、そのすべてであると言ってよい。全リーダーが地区に根差し、ブロックを全力で支え守りゆく布陣で前進してこそ、新しい人材が育ち、新しい活力が漲っていくのだ。
命にも及ぶ法難の佐渡にあって、大聖人は、わが子の病と闘う鎌倉の門下の夫妻に御手紙を送られた。
『当国の大難ゆり候はば・いそぎ・いそぎ鎌倉へ上り見参いたすべし、法華経の功力を思ひやり候へば不老不死・目前にあり』(P1124)
−−この大難を勝ち越えたならば、直ちにあなた方に会いに駆けつけますよ。間近で厳然と見守っていますから、断じて病魔を打ち破りなさいとの、大慈大悲が拝されてならない。
足を運ぶ。会って話す。
共に祈る。一緒に動く。
この御本仏の御心が、「地区」にも「ブロック」にも流れ通っているのだ。
ゆえに、わが地区から、
「大歓喜の題目を!」
「地涌の人材を!」
「勝利の旗を!」−−。
ドイツの哲人ニーチェは「堅固な岩のまわりに、堅固な根を」と叫んだ。
総本部完成の明年へ、日本、いな全世界の地区、ブロックからの大勝利の報告を、私は祈り待っている。