2012年5月5日土曜日

2012.05.03 わが友に贈る

大勝利の「創価の日」
本当にありがとう。
さあ大建設の時だ!
広宣流布の大願へ
共に励まし共に前進!

四条金吾殿御返事 P1165
『夫れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり』

◇希望の明日へ
"いざ"という時には、獅子の心でいかなくてはならない。自分を守ることに汲々として、あっちに付いたり、こっちに付いたりするような、信念のない、臆病な人間であってはならない。
平2・2・11

☆秋田魁新報特別寄稿「秋田は「東北合衆国」の柱」
◇不屈の人材が立つ大地 「陰徳あれば陽報あり」
若き日から親交を重ねてきた秋田の旧友たちに、敬愛を込めて贈った箴言です。
秋田の友は、陰で苦労して人に尽くしながら、喝采など求めない。誰が見ていようがいまいが、地道に誠実な行動を貫き通している。この友たちこそ、最も晴れがましい果報に包まれるべきだと、私は信じ、祈ってきました。
東日本大震災に際しても、試練の被災地を秋田の方々がどれほど支えてこられたか。
「秋田の友の励ましがあればこそ」などの感謝の声を、数え切れぬほど伺っています。その人知れぬ尊き献身は今もたゆみなく続いております。
私の知る由利本荘市の壮年は、宮城県の仮設住宅の建設を依頼されました。予定の工事が詰まっており悩んでいると、「今こそ人のために」と背中を押してくれたのは、家族でした。工事関係者も「被災者のためなら」と日程を変更し、協力してくれました。
真心込めて尽力する中で、自身も被災者の方から大きな勇気をもらったといいます。
秋田の方々は、原発事故による風評被害、観光業の冷え込みなど、幾多の苦難に立ち向かいながら、被災3県に寄り添っておられます。チェルノブイリ原発事故で被害にあったベラルーシへの医療支援の経験を生かし、福島への支援にも取り組まれています。
仏典には「人のために明かりを灯せば、自分の前も明るくなる」と説かれます。
秋田の懸命な貢献が、東北の復興はもとより、日本全国そして世界の前途を、必ずや明るく照らしゆくことを、私は強く確信してやみません。

私の師・戸田城聖先生も、秋田をはじめ東北の青年を深く愛していました。師の持論は「東北は一つ」であり、人体に讐えれば、秋田は「肺」であり「腕」である、と。
まさしく「東北合衆国」の柱の存在です。
地理的な観点とともに、常に新鮮な息吹と活力を漲らせ、新時代を切り開いている秋田人の雄々しき魂に光を当てた洞察でした。
日本最大と名高い能代市の「風の松原」についても、その歴史を師と学びました。
江戸時代、季節風が吹き上げる砂の害に困り果てていた民衆の生活を守るため、立ち上がったのが、秋田藩士・栗田定之丞と賀藤景林です。
悪戦苦闘の末に、不毛とされてきた砂浜に植林する方法を確立しました。さらに、その後に続く無数の人々の努力によって、700万本もの見事な松原が築かれたのです。
5年前、"アフリカの環境の母"ワンガリ・マータイさんは、秋田市の下浜海岸で青少年たちと1万本の植樹を行いました。あの快活な笑顔で、「皆で力を合わせれば、どんなに不可能と思われるようなことも、必ず成し遂げることができる」と語っていた信念の言葉が蘇ります。

日本三大美林の「秋田杉」は、なぜ美しいのか。それは、激しい寒暖差と風雪に耐え、じっくりと成長を続けることで、木目が細かく、きれいに揃うからだといいます。環境が厳しいからこそ、曰本一の杉が育つのです。
まさに、どんな吹雪にも胸を張って、粘り強く乗り越えてきた、秋田の偉大な先人たちの姿とも重なります。
教育県の秋田は、全国最優秀の学力・体力を誇ります。若き世代は父母の後ろ姿を見つめながら、まっすぐに堂々と育っています。この不屈の人材の林立こそ、「陰徳」を積む秋田に輝く、希望の「陽報」ではないでしょうか。