宝の子どもたちと
しっかり向き合い
心通わせる努力を!
楽しく有意義な
思い出をつくろう!
聖人御難事 P1190
『日蓮末法に出でずば仏は大妄語の人多宝十方の諸仏は大虚妄の証明なり、仏滅後二千二百三十余年が間一閻浮提の内に仏の御言を助けたる人但日蓮一人なり』
◇希望の明日へ
"確信の人"は強い。心に惑いがない。揺らぎがない。いかなる時も希望を失わず、人生をより良き方向へと開いていくことができる。−−そうした、良い意味で希望に燃えた"楽天主義"の生き方を教え、自分のものとしていけるのが、信心の一次元である。
平2・10・16
☆秋田魁新報特別寄稿「秋田は「東北合衆国」の柱」
秋田は歌のふるさとです。懐かしい「浜辺の歌」や「かなりや」など、多くの名曲を残した成田為三先生も、北秋田市の出身でした。
私も若き日、お邪魔した秋田の友のお宅で、美しく年輪を重ねた笑顔皺のお母様を囲み、一緒に何曲も楽しく童謡を歌ったことを思い出します。歌には、心を結び、喜びを分かち合う力があります。
私は、秋田がアピールする「あんべいいな」という言葉の響きが大好きです。
「あんべいいな」、つまり「案配がいい」とは、「もっともっと」という際限のない欲望を戒める賢き心です。「ほどよい」バランスを取り、共々に「満足しよう」とする美しい心でもありましょう。
それは、人類的な課題である「持続可能な未来」を創り開く上でも、大切なキーワードではないでしょうか。
「食は命」です。食料自給率が全国トップクラスの秋田は、食を支え、命を守ってくださる日本の宝土です。
この農業王国・秋田で、明治から大正にかけ、農民の連帯を築いて社会を再生させ。「農聖」と呼ばれたのが、石川理紀之助翁です。冷害による借金に苦しむ村々に飛び込み、率先垂範で立て直して、負債も完済されました。
出来上がった農作物の種子を交換する「種苗交換会」も創設しています。農業の成果を分かち合う、この画期的な取り組みは、戦時下でも続けられ、今秋、実に135回目を数えると伺いました。
私が対談した、インドの持続可能な「緑の革命」の父・スワミナサン博士は「農民の幸せな笑顔が、その国の幸福を決める」と言われました。
私の創立した創価大学に学んでくれた卒業生たちも、大潟村などで朗らかにたくましく、潮風害や豪雪などの試練と闘い、農業の振興と郷土の発展に尽力しています。
「労苦と使命の中にのみ人生の価値(たから)は生まれる」との大学の指針そのままに奮闘してくれていることが、創立者として何よりの誇りです。
伝統ある文化行事が行われる秋田は、民衆が喜び舞う大地です。秋田市の竿燈まつり、羽後町の西馬音内盆踊り、鹿角市の花輪ばやし、大仙市の花火大会、男鹿市のなまはげ等、日本中、世界中から大勢の観光客を迎えます。
近年、秋田港から対岸国と欧州までを結ぶ、遠大な「環日本海シーアンドレール構想」も提唱されています。
秋田魁新報の気鋭の連載「秋田げんきプロジェクト」では、誇り高く「ここに生きる」とのテーマが掲げられていました。誠心誠意、ペストを尽くして「ここに生きる」秋田の元気が、東北の元気となり、明日の元気と広がることを、皆が願っています。
仏典には「心こそ大切なれ」「心が清ければ国土も清し」と明かされています。
仙北市の桜の名所は、昭和初期に、不況と凶作に苦しむ中、振興策として行われた桧木内川の築堤事業が淵源です。堤の完成後、人々は美しい感謝の心で、一本一本、桜を植樹していったのです。
長年の地元の方々の丹精によって、今や延べ2キロにも及ぶ「桜のトンネル」となり、絶景と讃えられています。
故郷・秋田を愛し、描いた勝平得之画伯は語りました。
「我々の郷土は美しく、我々の自然は楽しい」
「我々の仕事が輝かしいばかりの花を開く時の来るのを信じている」と。
わが秋田の友の「美心」は、いやまして美しく豊かな宝土を光らせ、希望の花を、幸福の花を、そして勝利の花を、未来へ万柔と咲き広げゆくことでしょう。
(秋田魁新報 2012.04.25掲載)