わが目標の達成へ
勇気と執念で進め。
「私は やり切った!」
そう心から言える
悔いなき一日を!
諸法実相抄 P1359
『能く竊かに一人の為めに法華経の乃至一句を説かば当に知るべし是の人は則ち如来の使如来の所遣として如来の事を行ずるなり』
◇希望の明日へ
信心した以上、可もなく不可もなくといった中途半端な生き方では、厳しくみれば、結局、不可である。何らかの意味で、自分ならではという"第一人者"になろうとの志と努力、精進が大切である。その一念が信心を深め、また信心の力を証明していくことを忘れてはならない。
昭62・12・4
☆希望の大空へ 〜わが愛する王子王女に贈る〜第2回「朝を元気に!」
私たちの一日は、みんな平等に24時間あります。それは、朝、太陽が昇り、夜になると沈み、そしてまた朝になって昇るまで、すなわち、私たちの地球が一回りするのに、ちょうど24時間かかるからです。
私たちの生活は、太陽のリズムに合わせて、朝始まり、夜に終わります。この太陽のリズム(地球の自転)に合わせた生命の「時計」が、私たちの体の中にあります。
私たちの体の中の「時計」は、朝の太陽の光を浴びることで、正しいリズムが刻まれるようになっているのです。最近の研究では、朝早く起きて、規則正しい生活のリズムができると、頭の働きがよくなることも、わかっています。
元気な朝から、元気な一日をつくる。そのリズムで一日一日を積み重ねれば、元気な一年、元気な青春、元気な一生につながります。
若い時、「朝に勝つ」リズムをつくれば、とても「得」なのです。
私の人生の師匠・戸田先生も、朝を大切にされました。早朝に、さえた頭で、鋭く思索されていました。それが、天才的な発想を生み、「20世紀の奇跡」とまで呼ぱれた創価学会の大発展の力となったのです。
私たちの朝夕の勤行・唱題も、自分で正しい生活のリズムをつくり、健康で幸福な、勝利の人生を歩むための原動力です。
私の一番の願い──。
それは、みなさんがいつも元気で笑顔であることです。みなさんが健康で成長してくれることです。
そのために、朝が勝負です。
夜は早く寝て、朝は早起きして題目をはつらつと唱え、元気に出発してください。時間がないときは、題目三唱だけでもいいんです。心をこめて朗々と唱えれば、御本尊にきちんと通じます。
もちろん、朝ごはんをちゃんと食べることも、スポーツなどで体をきたえていくことも大切です。
私が対談したモンゴルの大作家のツェデブ博士も、「早起きすると新しい発見があり、何かが自分のために開かれ、その発見によって勇気がわいてくる」と言われていました。
さあ、きょうも元気に、笑顔で、勇気の一歩をふみ出そう!
(2012.06.01 少年少女きぼう新聞掲載)
◎名字の言 2012.05.30
仏教では、肉眼・天眼・慧眼・法眼・仏眼の「五眼」を説く。同じものを見るにも、信心で生命を磨けば、より深く、微妙な部分まで見通せるようになるとの教えだ
池田名誉会長は「一つの事柄から、何を感じ取るか。人の苦悩に対して想像力を広げることから、『同苦』は始まる」と語っている。
2012年5月31日木曜日
2012年5月30日水曜日
2012.05.30 わが友に贈る
高齢社会を
はつらつと生きる
多宝の友こそ
生涯青春の模範!
健康・長寿を祈る!
兄弟抄 P1087
『行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る乃至随う可らず畏る可らず之に随えば将に人をして悪道に向わしむ之を畏れば正法を修することを妨ぐ』
◇希望の明日へ
負けずに全力で挑戦していくか。それとも、中途半端で、あきらめてしまうのか。"勝者と敗者""賢者と愚者"は、ここで分かれる。賢き人は、絶対に、あきらめない。どこまでも挑戦、求道の人生を進み続ける。逃げない。退かない。愚かな人は、すぐに、あきらめる。鍛えの道を避けて、"うまく楽をして生きていこう""要領よく立ち回ればいい"−−そういうことだけを考え、転落していく。何と情けない人生であろうか。信心の世界でも、退転者、反逆者は皆そうであった。策に走り、同志を売り、卑劣に動く。みじめな敗者、愚者の姿である。
☆希望の大空へ 〜わが愛する王子王女に贈る〜第2回「朝を元気に!」
少年少女部のみなさん、元気ですか?
今月も、この「少年少女きぼう新聞」で、大好きなみなさん方とお会いできて、私は、とってもうれしい。
今朝、みなさんは何時に起きましたか?
がんばって、うんと早起きをした人もいると思います。それでも、もっと早起きをして、すでに、みんなのために、ひと働きも、ふた働きもしている人たちがいます。
この「少年少女きぼう新聞」を、みなさん方の家に届けてくださった配達員の方々も、そうです。もしかしたら、みなさんのお父さんやお母さんも、新聞を配ってくださっているかもしれません。
雨の朝など、たくさんの新聞を持って、ぬらさないように届けるのは、とくに大変です。足もとも、すべりやすい。私は、配達員さんの絶対の無事故を、毎日毎日、真剣に祈らずにはいられません。
まだ、みんなが寝ている時に、人知れず、「きぼう」を運んでくださっている方々に、私たちは心から感謝をささげましょう。
私が、おさなかったころ、家の庭には、ざくろの木が一本ありました。
幹には、こぶがあって、梅雨のころになると、きれいな赤い花を咲かせ、なめらかな葉を茂らせます。秋に、甘ずっぱい実を食べるのも楽しみでした。
小学校へ入る前のことです。もともと体が弱かった私でしたが、その日は急に高熱を出して、寝こんでしまいました。「肺炎」という病気でした。熱にうなされ、お医者さんがきて注射を打ってもらいました。
ようやく、元気を取りもどしたころ、母が言いました。「あの庭のざくろをごらん。潮風と砂地には弱いというのに花を咲かせ、毎年、実をつける。おまえも今は弱くとも、きっと丈夫になるんだよ」
当時、家は海のすぐ近くで、歩いて10分もかからない場所にありました。ざくろの木は、そんな砂地にも、しっかり根をはっていたのです。
そのざくろのたくましい姿は、母のやさしい声とともに私の心に刻まれました。
そして、母に心配をかけないように「丈夫になろう」「健康に生きよう」と誓って、私は生き抜いてきました。
しかし、10代、20代のころ、私は「結核」という重い病気でした。夜になると、熱が上がり、ひどいせきが出ました。血をはいたこともあります。
医者からは「30歳まで生きられない」と言われました。
戸田先生のもとで働くようになり、先生の会社が苦しくなると、お給料をいただけず、着る物も十分に買えなかった。くつしたを自分でつくろい、真冬でも夏のようなかっこうで働きました。でも心は、希望と誇りに燃えていました。
そして、戸田先生の後を継いで、創価学会の会長になってからは、同志を励ますために、日本中、世界中を駆け回りました。各国の大統領など、いろいろな分野のリーダーとも対話して、後に続くみなさんのために、平和と友情の道を開いてきました。
ざくろの木に誓ってから、70年以上の月日が流れました。私は本当に丈夫になりました。今も元気いっはいです。
前にも申し上げましたが、きょうまで、こうして元気にがんばれる土台ができたのは、早起きして、家の海苔づくりの仕事を手伝ったり、新聞配達をしたりした、小学校時代だと思います。
どちらも、朝がとても早い仕事です。冬などは、まだ夜が明けず、真っ暗な中で、働き始めました。
毎朝、起こしてくれるのは、母でした。
「起きる時間ですよ」
あたたかな声でした。その一言で、私は「はい!」と返事をして、すぐ起きたと、母がのちに、ほめてくれました。
私は寝起きがよかったのです。では、なぜ、寝起きがよかったのか。みなさんにも、とっておきのひけつをお教えしましょう。
それは、夜、早く寝ることです。
「な〜んだ」と思った人もいるでしょう。でも、あたり前のこと、平凡なこと、かんたんなことが、じつは大事なのです。
朝早く起きて働いて、学校では一生けんめい勉強し、友だちと思い切り遊んだ後、私は本が好きなので読書をしました。
そうすると、心も体も大満足になりました。夜は自然と眠くなって、早めにぐっすり寝ることができたのです。
だから、また朝になるとパッと起きることができました。
早起き、そして早寝──この「生活のリズム」が、私の元気のみなもとでした。
私の健康は、朝つくられたのです。
はつらつと生きる
多宝の友こそ
生涯青春の模範!
健康・長寿を祈る!
兄弟抄 P1087
『行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る乃至随う可らず畏る可らず之に随えば将に人をして悪道に向わしむ之を畏れば正法を修することを妨ぐ』
◇希望の明日へ
負けずに全力で挑戦していくか。それとも、中途半端で、あきらめてしまうのか。"勝者と敗者""賢者と愚者"は、ここで分かれる。賢き人は、絶対に、あきらめない。どこまでも挑戦、求道の人生を進み続ける。逃げない。退かない。愚かな人は、すぐに、あきらめる。鍛えの道を避けて、"うまく楽をして生きていこう""要領よく立ち回ればいい"−−そういうことだけを考え、転落していく。何と情けない人生であろうか。信心の世界でも、退転者、反逆者は皆そうであった。策に走り、同志を売り、卑劣に動く。みじめな敗者、愚者の姿である。
☆希望の大空へ 〜わが愛する王子王女に贈る〜第2回「朝を元気に!」
少年少女部のみなさん、元気ですか?
今月も、この「少年少女きぼう新聞」で、大好きなみなさん方とお会いできて、私は、とってもうれしい。
今朝、みなさんは何時に起きましたか?
がんばって、うんと早起きをした人もいると思います。それでも、もっと早起きをして、すでに、みんなのために、ひと働きも、ふた働きもしている人たちがいます。
この「少年少女きぼう新聞」を、みなさん方の家に届けてくださった配達員の方々も、そうです。もしかしたら、みなさんのお父さんやお母さんも、新聞を配ってくださっているかもしれません。
雨の朝など、たくさんの新聞を持って、ぬらさないように届けるのは、とくに大変です。足もとも、すべりやすい。私は、配達員さんの絶対の無事故を、毎日毎日、真剣に祈らずにはいられません。
まだ、みんなが寝ている時に、人知れず、「きぼう」を運んでくださっている方々に、私たちは心から感謝をささげましょう。
私が、おさなかったころ、家の庭には、ざくろの木が一本ありました。
幹には、こぶがあって、梅雨のころになると、きれいな赤い花を咲かせ、なめらかな葉を茂らせます。秋に、甘ずっぱい実を食べるのも楽しみでした。
小学校へ入る前のことです。もともと体が弱かった私でしたが、その日は急に高熱を出して、寝こんでしまいました。「肺炎」という病気でした。熱にうなされ、お医者さんがきて注射を打ってもらいました。
ようやく、元気を取りもどしたころ、母が言いました。「あの庭のざくろをごらん。潮風と砂地には弱いというのに花を咲かせ、毎年、実をつける。おまえも今は弱くとも、きっと丈夫になるんだよ」
当時、家は海のすぐ近くで、歩いて10分もかからない場所にありました。ざくろの木は、そんな砂地にも、しっかり根をはっていたのです。
そのざくろのたくましい姿は、母のやさしい声とともに私の心に刻まれました。
そして、母に心配をかけないように「丈夫になろう」「健康に生きよう」と誓って、私は生き抜いてきました。
しかし、10代、20代のころ、私は「結核」という重い病気でした。夜になると、熱が上がり、ひどいせきが出ました。血をはいたこともあります。
医者からは「30歳まで生きられない」と言われました。
戸田先生のもとで働くようになり、先生の会社が苦しくなると、お給料をいただけず、着る物も十分に買えなかった。くつしたを自分でつくろい、真冬でも夏のようなかっこうで働きました。でも心は、希望と誇りに燃えていました。
そして、戸田先生の後を継いで、創価学会の会長になってからは、同志を励ますために、日本中、世界中を駆け回りました。各国の大統領など、いろいろな分野のリーダーとも対話して、後に続くみなさんのために、平和と友情の道を開いてきました。
ざくろの木に誓ってから、70年以上の月日が流れました。私は本当に丈夫になりました。今も元気いっはいです。
前にも申し上げましたが、きょうまで、こうして元気にがんばれる土台ができたのは、早起きして、家の海苔づくりの仕事を手伝ったり、新聞配達をしたりした、小学校時代だと思います。
どちらも、朝がとても早い仕事です。冬などは、まだ夜が明けず、真っ暗な中で、働き始めました。
毎朝、起こしてくれるのは、母でした。
「起きる時間ですよ」
あたたかな声でした。その一言で、私は「はい!」と返事をして、すぐ起きたと、母がのちに、ほめてくれました。
私は寝起きがよかったのです。では、なぜ、寝起きがよかったのか。みなさんにも、とっておきのひけつをお教えしましょう。
それは、夜、早く寝ることです。
「な〜んだ」と思った人もいるでしょう。でも、あたり前のこと、平凡なこと、かんたんなことが、じつは大事なのです。
朝早く起きて働いて、学校では一生けんめい勉強し、友だちと思い切り遊んだ後、私は本が好きなので読書をしました。
そうすると、心も体も大満足になりました。夜は自然と眠くなって、早めにぐっすり寝ることができたのです。
だから、また朝になるとパッと起きることができました。
早起き、そして早寝──この「生活のリズム」が、私の元気のみなもとでした。
私の健康は、朝つくられたのです。
2012年5月29日火曜日
2012.05.29 わが友に贈る
大勢の会合だけでは
伝わらないこともある。
リーダーは時間を見つけ
一対一の語らいを。
納得こそ前進の力だ!
崇峻天皇御書 P1174
『一代の肝心は法華経法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり、不軽菩薩の人を敬いしはいかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ』
◇希望の明日へ
学問も、人生も、"これ以上は無理だ"とあきらめる自分、"もうこれくらいでいいだろう"と妥協しそうになる自分との戦いである。"断じてあきらめない""断じて負けない""自己との闘争に勝つ"そこにこそ、大成への要諦がある。
平6・4・4
☆若き君へ 新時代の主役に語る 第4回「新社会人に贈る」
職場で、広布の舞台で、社会で、全てに勝利しゆけ! 皆から讃えられるような実証を示すのだ! との御本仏の励ましです。
皆さんの多くの先輩たちも、この御文を自分に与えられたものと受け止めて挑戦してきたのです。
さらに大聖人は、『心にふかき・えうじん(用心)あるべし』(P1176)等と、繰り返し繰り返し「油断大敵」ということを強調されています。師匠とは、弟子を勝たせるために、あえて厳しく叱咤してくださるのです。
優れた勇気や才能とともに、多くの欠点も持っていた、人間味あふれる金吾が、何ゆえに仕事で勝利できたのか。
それは、信心根本に師匠の指導通り真っすぐ実践したからです。
とりわけ、金吾は、どこまでも仕事に誠実でした。
大聖人は、金吾の所領加増の報告に対して、『陰徳あれば陽報あり』(P1178)と仰せになられ、『あなたが正直な心で、主君の後生をお助けしたいと思う真心が強く、信心を貫き通してきたので、このような功徳を受けることができたのです』(同P、通解)と讃えられています。
欠点がない人などいない。仕事で壁にぶつからない人もいないでしょう。いじめや嫌がらせなどもあるかもしれない。
しかし、自分らしく、信心を根本に、大誠実に徹していけば、全てを生かして、必ずいい方向に転じていくことができる。仕事で勝ち、信頼を広げることができる。これが、妙法です。
私には三つの宝があります。
一つは、この偉大なる「妙法」です。また「師弟」すなわち師匠である戸田先生と、愛弟子である君たちです。そして「誠実」です。
どこまでも「誠実一路」で行こう! 朗らかに堂々と勝とう! 仕事で。人生で。
みんな、私の弟子なのだから。最後は必ず勝てる!
伝わらないこともある。
リーダーは時間を見つけ
一対一の語らいを。
納得こそ前進の力だ!
崇峻天皇御書 P1174
『一代の肝心は法華経法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり、不軽菩薩の人を敬いしはいかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ』
◇希望の明日へ
学問も、人生も、"これ以上は無理だ"とあきらめる自分、"もうこれくらいでいいだろう"と妥協しそうになる自分との戦いである。"断じてあきらめない""断じて負けない""自己との闘争に勝つ"そこにこそ、大成への要諦がある。
平6・4・4
☆若き君へ 新時代の主役に語る 第4回「新社会人に贈る」
職場で、広布の舞台で、社会で、全てに勝利しゆけ! 皆から讃えられるような実証を示すのだ! との御本仏の励ましです。
皆さんの多くの先輩たちも、この御文を自分に与えられたものと受け止めて挑戦してきたのです。
さらに大聖人は、『心にふかき・えうじん(用心)あるべし』(P1176)等と、繰り返し繰り返し「油断大敵」ということを強調されています。師匠とは、弟子を勝たせるために、あえて厳しく叱咤してくださるのです。
優れた勇気や才能とともに、多くの欠点も持っていた、人間味あふれる金吾が、何ゆえに仕事で勝利できたのか。
それは、信心根本に師匠の指導通り真っすぐ実践したからです。
とりわけ、金吾は、どこまでも仕事に誠実でした。
大聖人は、金吾の所領加増の報告に対して、『陰徳あれば陽報あり』(P1178)と仰せになられ、『あなたが正直な心で、主君の後生をお助けしたいと思う真心が強く、信心を貫き通してきたので、このような功徳を受けることができたのです』(同P、通解)と讃えられています。
欠点がない人などいない。仕事で壁にぶつからない人もいないでしょう。いじめや嫌がらせなどもあるかもしれない。
しかし、自分らしく、信心を根本に、大誠実に徹していけば、全てを生かして、必ずいい方向に転じていくことができる。仕事で勝ち、信頼を広げることができる。これが、妙法です。
私には三つの宝があります。
一つは、この偉大なる「妙法」です。また「師弟」すなわち師匠である戸田先生と、愛弟子である君たちです。そして「誠実」です。
どこまでも「誠実一路」で行こう! 朗らかに堂々と勝とう! 仕事で。人生で。
みんな、私の弟子なのだから。最後は必ず勝てる!
2012年5月28日月曜日
2012.05.28 わが友に贈る
朝が大事だ!
朗々たる勤行・唱題で
一日を出発しよう!
前向きな生命の息吹が
勝利の扉を開く!
聖愚問答抄上 P499
『大智舎利弗も法華経には信を以て入る其の智分の力にはあらず況や自余の声聞をや』
◇今週のことば
「足下に泉あり」
広宣流布の拡大は
地区・ブロックから!
一人一人を讃え励まし
希望の薫風を!
2012年05月28日
◇希望の明日へ
挑戦すべきことがあればあるほど、いよいよ喜び勇んで進んでいく。さっそうと戦っていく。これが仏法の真髄である。人生の究極の生き方である。
平5・6・28
☆若き君へ 新時代の主役に語る 第4回「新社会人に贈る」
−−池田先生が19歳で戸田先生にお会いした直後に詠まれた詩「希望に燃えて」を支えにして、頑張り抜いてこられた先輩方のお話をうかがいました。この詩は、今の私たちにも、何よりの励ましであり、不変の指針ですので、ここで朗読させていただき
たいと思います。
希望に燃えて 怒濤に向い
たとい貧しき 身なりとも
人が笑おが あざけよが
じっとこらえて 今に見ろ
まずは働け 若さの限り
なかには 侮る者もあろ
されどニッコリ 心は燃えて
強く正しく わが途進め
苦難の道を 悠々と
明るく微笑み 大空仰ぎや
見ゆる未来の 希望峰
ぼくは進むぞ また今日も
名誉会長 ありがとう。
思えば、日蓮大聖人の門下も、逆境をはね返して、職場で勝利の実証を示してきました。
四条金吾は、正しき信仰ゆえに同僚から讒言され、冤罪で所領没収の危機に陥るという窮地に追い込まれました。しかし、大聖人の御指導通りに、祈り、行動して、最後は逆に、それまでの3倍の所領を主君から授かりました。
大聖人は、金吾の振る舞いについても、こまやかに御指南されています。
『あなたは短気であるから、火の燃えるようなところがある。必ず人に足をすくわれるであろう』(P1169ページ、通解)
『あなたは確かに怒りっぽい相が、顔にあらわれている。どんなに大事と思っても、短気な者を諸天は守らないということを知りなさい』(P1171、通解)
厳しくも、温かい御指導です。大聖人からのお手紙を読んで、金吾が冷や汗をかいていた様子が、目に浮かぶようです。
さらに大聖人は、金吾に対して次のようにも言われている。
『世間が過ごしにくいというようなことを嘆いて、人に聞かせてはならない。もし、そのようなことをするならば、賢人から外れたことになります』(P1173、通解)
「グチをこぼすな!」と誠められているのです。
このお手紙では、『主君のためにも、仏法のためにも、世間に対する心がけについても、非常に立派だと、鎌倉の人々の口々にいわれるようになりなさい』(同P、通解)とも仰せです。
朗々たる勤行・唱題で
一日を出発しよう!
前向きな生命の息吹が
勝利の扉を開く!
聖愚問答抄上 P499
『大智舎利弗も法華経には信を以て入る其の智分の力にはあらず況や自余の声聞をや』
◇今週のことば
「足下に泉あり」
広宣流布の拡大は
地区・ブロックから!
一人一人を讃え励まし
希望の薫風を!
2012年05月28日
◇希望の明日へ
挑戦すべきことがあればあるほど、いよいよ喜び勇んで進んでいく。さっそうと戦っていく。これが仏法の真髄である。人生の究極の生き方である。
平5・6・28
☆若き君へ 新時代の主役に語る 第4回「新社会人に贈る」
−−池田先生が19歳で戸田先生にお会いした直後に詠まれた詩「希望に燃えて」を支えにして、頑張り抜いてこられた先輩方のお話をうかがいました。この詩は、今の私たちにも、何よりの励ましであり、不変の指針ですので、ここで朗読させていただき
たいと思います。
希望に燃えて 怒濤に向い
たとい貧しき 身なりとも
人が笑おが あざけよが
じっとこらえて 今に見ろ
まずは働け 若さの限り
なかには 侮る者もあろ
されどニッコリ 心は燃えて
強く正しく わが途進め
苦難の道を 悠々と
明るく微笑み 大空仰ぎや
見ゆる未来の 希望峰
ぼくは進むぞ また今日も
名誉会長 ありがとう。
思えば、日蓮大聖人の門下も、逆境をはね返して、職場で勝利の実証を示してきました。
四条金吾は、正しき信仰ゆえに同僚から讒言され、冤罪で所領没収の危機に陥るという窮地に追い込まれました。しかし、大聖人の御指導通りに、祈り、行動して、最後は逆に、それまでの3倍の所領を主君から授かりました。
大聖人は、金吾の振る舞いについても、こまやかに御指南されています。
『あなたは短気であるから、火の燃えるようなところがある。必ず人に足をすくわれるであろう』(P1169ページ、通解)
『あなたは確かに怒りっぽい相が、顔にあらわれている。どんなに大事と思っても、短気な者を諸天は守らないということを知りなさい』(P1171、通解)
厳しくも、温かい御指導です。大聖人からのお手紙を読んで、金吾が冷や汗をかいていた様子が、目に浮かぶようです。
さらに大聖人は、金吾に対して次のようにも言われている。
『世間が過ごしにくいというようなことを嘆いて、人に聞かせてはならない。もし、そのようなことをするならば、賢人から外れたことになります』(P1173、通解)
「グチをこぼすな!」と誠められているのです。
このお手紙では、『主君のためにも、仏法のためにも、世間に対する心がけについても、非常に立派だと、鎌倉の人々の口々にいわれるようになりなさい』(同P、通解)とも仰せです。
2012年5月27日日曜日
2012.05.27 わが友に贈る
リーダー率先が
広布前進の要だ。
果敢に動こう!
明快に語ろう!
拡大の突破口を!
御義口伝巻下 P781
『此の品の時最上第一の相伝あり、釈尊八箇年の法華経を八字に留めて末代の衆生に譲り給うなり八字とは当起遠迎当如敬仏の文なり』
◇希望の明日へ
苦労もなく、挑戦もなく、漫然と生きても一生である。同じ一生ならば、"よーし、自分は立派に歴史をつくってみせる。この一生で、立派に何かを創造し、残してみせる"と戦ったほうが偉大である。幸福である。自分がどこまで行けるか、どこまで戦えるか、どこまで限界を伸ばせるか、やるだけやってみる。ともかく戦い抜いていく。その人の僻心こそ、大闘争の連続であられた目迎人聖人の御生命に感応しゆくと信ずる。大功他の人である。
平4・7・15
☆若き君へ 新時代の主役に語る 第4回「新社会人に贈る」
−−今は派遣社員やアルバイトなど、非正規の雇用が増大しています。社会的にみると、非正社員の割合は全体の3分の1以上に達していますし、特に、10代後半の若者の非正規雇用の比率は、近年では、実に7割以上とも言われています。
こうした非正規雇用においては、給料や社会保障などの待遇面で、正規雇用とは大きな差があることが指摘されています。
ただ反対に、正社員になったばかりに、過酷な長時間労働が待っていたというケースもあります。
池田名誉会長 青年を大切にしない国に未来はない。若者が希望を持って働いていける社会を、真剣につくっていかなければなりません。これは最重要の課題です。
不安定な立場で、先の見えない中、働かねばならない苦しさは、痛いほど分かります。
次元は異なりますが、戦争中、10代半ばの私は、鉄工所で旋盤工を務めました。
血豆や切り傷、小さな火傷などは日常茶飯事で、危険と隣り合わせの仕事です。油にまみれ、汗だくになり、神経を鋭く張りつめながら、懸命に働き通しました。
本当にきつい仕事でした。
この時、体で覚えた機械工作の基礎的な技術は、その後、直接、生かす場面はありませんでした。しかし、人生を深く思索していく上で、また苦労している仲間の気持ちを知り、励ましていく上で、どれだけ役立ってきたか、計り知れません。どんな労苦も決して無駄にはならないことを、私は断言できます。
いわんや、皆さん方は『御みやづかいを法華経』(P1295)と決めた、偉大な使命の青春です。今、どこで、どのように働くとしても、それは必ず広宣流布に連動していきます。
自分で決めたところが、自分の"使命の舞台"となり、"人間革命の道場"となります。
「足下に泉あり」です。まずは今いる職場で、「自分らしく戦い切った」という努力と結果を残していくことです。
そこから、勝利の人生を絶対に開いていけるからです。見てくれている人は必ずいます。
また、自営の家業を継ぐために働き始めた人もいるでしょう。
「はたらく」とは「はた楽」、つまり「はた(周囲)の人を楽にすること」だと言われてきた。働いてお父さん、お母さんに喜んでもらうことは、最高の親孝行です。最高の人間の振る舞いです。偉大なる仏法の実践です。
食を支え、命を育む農業・漁業を継いだ、わが農漁光部の頼もしい青年たちも、本当によく奮闘してくれている。厳しい社会情勢のなかで、地域になくてはならない「希望の灯台」と光っています。
広布前進の要だ。
果敢に動こう!
明快に語ろう!
拡大の突破口を!
御義口伝巻下 P781
『此の品の時最上第一の相伝あり、釈尊八箇年の法華経を八字に留めて末代の衆生に譲り給うなり八字とは当起遠迎当如敬仏の文なり』
◇希望の明日へ
苦労もなく、挑戦もなく、漫然と生きても一生である。同じ一生ならば、"よーし、自分は立派に歴史をつくってみせる。この一生で、立派に何かを創造し、残してみせる"と戦ったほうが偉大である。幸福である。自分がどこまで行けるか、どこまで戦えるか、どこまで限界を伸ばせるか、やるだけやってみる。ともかく戦い抜いていく。その人の僻心こそ、大闘争の連続であられた目迎人聖人の御生命に感応しゆくと信ずる。大功他の人である。
平4・7・15
☆若き君へ 新時代の主役に語る 第4回「新社会人に贈る」
−−今は派遣社員やアルバイトなど、非正規の雇用が増大しています。社会的にみると、非正社員の割合は全体の3分の1以上に達していますし、特に、10代後半の若者の非正規雇用の比率は、近年では、実に7割以上とも言われています。
こうした非正規雇用においては、給料や社会保障などの待遇面で、正規雇用とは大きな差があることが指摘されています。
ただ反対に、正社員になったばかりに、過酷な長時間労働が待っていたというケースもあります。
池田名誉会長 青年を大切にしない国に未来はない。若者が希望を持って働いていける社会を、真剣につくっていかなければなりません。これは最重要の課題です。
不安定な立場で、先の見えない中、働かねばならない苦しさは、痛いほど分かります。
次元は異なりますが、戦争中、10代半ばの私は、鉄工所で旋盤工を務めました。
血豆や切り傷、小さな火傷などは日常茶飯事で、危険と隣り合わせの仕事です。油にまみれ、汗だくになり、神経を鋭く張りつめながら、懸命に働き通しました。
本当にきつい仕事でした。
この時、体で覚えた機械工作の基礎的な技術は、その後、直接、生かす場面はありませんでした。しかし、人生を深く思索していく上で、また苦労している仲間の気持ちを知り、励ましていく上で、どれだけ役立ってきたか、計り知れません。どんな労苦も決して無駄にはならないことを、私は断言できます。
いわんや、皆さん方は『御みやづかいを法華経』(P1295)と決めた、偉大な使命の青春です。今、どこで、どのように働くとしても、それは必ず広宣流布に連動していきます。
自分で決めたところが、自分の"使命の舞台"となり、"人間革命の道場"となります。
「足下に泉あり」です。まずは今いる職場で、「自分らしく戦い切った」という努力と結果を残していくことです。
そこから、勝利の人生を絶対に開いていけるからです。見てくれている人は必ずいます。
また、自営の家業を継ぐために働き始めた人もいるでしょう。
「はたらく」とは「はた楽」、つまり「はた(周囲)の人を楽にすること」だと言われてきた。働いてお父さん、お母さんに喜んでもらうことは、最高の親孝行です。最高の人間の振る舞いです。偉大なる仏法の実践です。
食を支え、命を育む農業・漁業を継いだ、わが農漁光部の頼もしい青年たちも、本当によく奮闘してくれている。厳しい社会情勢のなかで、地域になくてはならない「希望の灯台」と光っています。
2012年5月26日土曜日
2012.05.26 わが友に贈る
各地で活躍光る
ヤング壮年部の友。
社会で輝く実証を!
地域に深き信頼を!
信心の王者たれ!
佐渡御書 P957
『強敵を伏して始て力士をしる、悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし例せば日蓮が如し、これおごれるにはあらず正法を惜む心の強盛なるべし』
◇希望の明日へ
何があっても、自分自身の到達点を見失わず、挑戦し抜いた人、登り切った人が、人間としての勝利者である。有名人やお金持ちになることよりも、もっと浅い次元の人間の栄冠をつかんだ人である。
平4・5・21
☆若き君へ 新時代の主役に語る 第4回「新社会人に贈る」
−−実際に仕事を始めてみると「自分が想像していたのと違っていた。このままでいいのだろうか」と疑問に思うこともあります。「この仕事は自分には向いていない」と決めて、早々に辞めてしまう場合もあるようです。
名誉会長 まず大事なのは、自分一人で抱え込んで、早まって結論を出してしまわないことです。そういう時こそ、信頼できる人に、よく相談することです。
そもそも、はじめから自分の希望通りの仕事ができる人は、多くありません。夢と現実の落差に愕然とすることもあるでしょう。
単調で地味に見える基本を、着実に身につけてこそ、将来、大きく飛翔するための力となる。人がいやがる仕事や、陰の地道な仕事ほど、人間は磨かれます。
私も戸田先生の会社に入った時は、少年雑誌の編集者として勤め始めました。大好きな仕事でしたし、やりがいも感じていました。
ところが、先生の事業はやがて経営不振に陥りました。私かやることになったのは、全く畑違いで、最も苦手とする金融の営業でした。しかし、どうせ働くならば、この道の第一人者になろうと泣くような思いで努力しました。毎日が死に物狂いで、家に帰っても、しばらく動けないほど疲れ果てました。肺を病んでいたから、本当に苦しかった。
でも、その命がけの戦いがあったからこそ、戸田先生の事業を再建することができた。そこから、かけがえのない人間学を学ぶこともできました。広宣流布の師匠のために戦い、永遠に消えない福運を積むこともできました。
どこにあっても、受け身ではなく、職場の主体者、責任者の自覚に立つことです。そうすれば、辛いこともあるだろうが、喜びも大きい。まして、仕事で自分を磨けたら、これ以上に楽しいことはない。職場を、ただ、給料をもらうためだけの場にしてしまっては、もったいない。
私は、よく「十年一剣を磨け」と申し上げてきました。一つのことに徹すれば、着実に力がつく。たとえ、自分に不向きだと思った仕事でも、一つ一つ、無我夢中でやり遂げていく中で、自分でも気づかなかった秘められた天分が見つかることがある。
私が何度も語り合い、深い親交を結んだ、松下電器(現・パナソニック)の創業者・松下幸之助翁も述べておられた。
「一事を貫くということは、非常にむずかしいようであるけれども、いちばんそれが効率的やな。ああでもないこうでもないと迷って、転々とする人がある。転々とする人は転々としたことによって成功するという場合もあるけど、概して失敗が多い」と。
一事は万事に通じている。一事を貫く中で万事を学び、全てに勝利する力がついていくのです。
ともかく、戸田先生は、「仕事に左右されるな。仕事を左右せよ」と言われました。
環境に振り回されるのではなく、自分が環境を変えていくのです。いかなる烈風にも揺るがぬ富士の如く、何ものにも負けない自分自身をつくることです。
ヤング壮年部の友。
社会で輝く実証を!
地域に深き信頼を!
信心の王者たれ!
佐渡御書 P957
『強敵を伏して始て力士をしる、悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし例せば日蓮が如し、これおごれるにはあらず正法を惜む心の強盛なるべし』
◇希望の明日へ
何があっても、自分自身の到達点を見失わず、挑戦し抜いた人、登り切った人が、人間としての勝利者である。有名人やお金持ちになることよりも、もっと浅い次元の人間の栄冠をつかんだ人である。
平4・5・21
☆若き君へ 新時代の主役に語る 第4回「新社会人に贈る」
−−実際に仕事を始めてみると「自分が想像していたのと違っていた。このままでいいのだろうか」と疑問に思うこともあります。「この仕事は自分には向いていない」と決めて、早々に辞めてしまう場合もあるようです。
名誉会長 まず大事なのは、自分一人で抱え込んで、早まって結論を出してしまわないことです。そういう時こそ、信頼できる人に、よく相談することです。
そもそも、はじめから自分の希望通りの仕事ができる人は、多くありません。夢と現実の落差に愕然とすることもあるでしょう。
単調で地味に見える基本を、着実に身につけてこそ、将来、大きく飛翔するための力となる。人がいやがる仕事や、陰の地道な仕事ほど、人間は磨かれます。
私も戸田先生の会社に入った時は、少年雑誌の編集者として勤め始めました。大好きな仕事でしたし、やりがいも感じていました。
ところが、先生の事業はやがて経営不振に陥りました。私かやることになったのは、全く畑違いで、最も苦手とする金融の営業でした。しかし、どうせ働くならば、この道の第一人者になろうと泣くような思いで努力しました。毎日が死に物狂いで、家に帰っても、しばらく動けないほど疲れ果てました。肺を病んでいたから、本当に苦しかった。
でも、その命がけの戦いがあったからこそ、戸田先生の事業を再建することができた。そこから、かけがえのない人間学を学ぶこともできました。広宣流布の師匠のために戦い、永遠に消えない福運を積むこともできました。
どこにあっても、受け身ではなく、職場の主体者、責任者の自覚に立つことです。そうすれば、辛いこともあるだろうが、喜びも大きい。まして、仕事で自分を磨けたら、これ以上に楽しいことはない。職場を、ただ、給料をもらうためだけの場にしてしまっては、もったいない。
私は、よく「十年一剣を磨け」と申し上げてきました。一つのことに徹すれば、着実に力がつく。たとえ、自分に不向きだと思った仕事でも、一つ一つ、無我夢中でやり遂げていく中で、自分でも気づかなかった秘められた天分が見つかることがある。
私が何度も語り合い、深い親交を結んだ、松下電器(現・パナソニック)の創業者・松下幸之助翁も述べておられた。
「一事を貫くということは、非常にむずかしいようであるけれども、いちばんそれが効率的やな。ああでもないこうでもないと迷って、転々とする人がある。転々とする人は転々としたことによって成功するという場合もあるけど、概して失敗が多い」と。
一事は万事に通じている。一事を貫く中で万事を学び、全てに勝利する力がついていくのです。
ともかく、戸田先生は、「仕事に左右されるな。仕事を左右せよ」と言われました。
環境に振り回されるのではなく、自分が環境を変えていくのです。いかなる烈風にも揺るがぬ富士の如く、何ものにも負けない自分自身をつくることです。
2012年5月25日金曜日
2012.05.25 わが友に贈る
女性が光り輝けば
一家も地域も輝く。
気高き母たちよ
聡明な乙女たちよ
さあ今日も元気で!
上野殿御消息 P1527
『親によき物を与へんと思いてせめてする事なくば一日に二三度えみて向へとなり』
◇希望の明日へ
前へ、また前へと進んでほしい。後ろを振り向かないで。仏法では「現当二世(現在世と未来世)」と教えている。すべてはこれからである。いつもこれからなのである。前進のなかに勝利がある。栄光がある。幸福がある。振り返らないことは、とても難しいことである。無理なことかもしれない。けれども、偉大な人は、あえて足を踏み出す人である。前へ。また前へ−−と。
平4・2・14
☆若き君へ 新時代の主役に語る 第4回「新社会人に贈る」
−−3月の語らいで、「あいさつ」の大切さを教えていただき、新社会人の皆さんにも、その実践を呼びかけていただきました。
企業のトップの方からも、本当に創価の青年は清々しい、爽やかだ等の声が寄せられています。
池田名誉会長 「あいさつ」は、瞬時に心と心を結びます。相手が初対面であっても、苦手なタイプであっても、心は通い合う。
相手があいさつを返さなくても、構いません。あいさつは、自分から先にした方が勝ちです。人を尊敬できる人が尊敬される人です。明るく誠実に、心を込めてあいさつできる人が、偉い人です。あいさつは境涯の芸術です。
「おはようございます!」「こんにちは、よろしくお願いします!」「ありがとうございます!」
どうせ、声を出すんだから、元気にやれば、お互いに気持ちがいいじゃないか。その生命の勢いが、一日の勝利の扉を大きく開きます。
どんどん、あいさつしていくんです。どんどん、味方を増やすのです。相手の心の諸天善神を呼び起こすんです。もちろん、声が出せない状況なら、目礼でもいい。
私が21歳で戸田先生の会社に入って実践したことがあります。
一つは、元気いっぱいのあいさつで先輩方を迎えることでした。
もう一つは、毎朝、始業時間の30分前には出勤して、職場を清掃することです。
元気なあいさつが響く会社は、発展します。職場がよく整理されている会社は、事故が無くなる。
戸田先生をお守りするために、先生の事業を発展させるために、誰に言われなくとも、私は実行しました。
朝が勝負です。朝で決まる。
戸田先生も「職場に遅れて来て、上司に叱られるような人間は偉くなれない。特に、新入社員として信用を積んでいくためには、朝早く出勤するべきだ」と語っておられた。
一日に勝つための生命の暁鐘が、朝の勤行・唱題です。
信心をしているからこそ、一日の出発を勝つ。そして、人生に勝利していくのだ──先生は、こう指導されたのです。
−−仕事で失敗して、すっかり自信を失ってしまうこともあります。
名誉会長 失敗は、敗北ではありません。いな、青年には、失敗や悩みは、前進の証拠です。前に進んでいるからこそ、向かい風がある。転ぶこともある。でも、それで下を向いてしまわない。また立ち上がるのです。
アメリカの大事業家であり、映画人でもあったウォルト・ディズニーは語っています。
「私は失敗した。だがそこで多くの事を学んだ。若いころにひどい目に会い、失敗する事は重要なんだって、思うね」
−−30年前、先生は長崎で、大切なお皿を誤って割ってしまった人のことを通して、指導してくださったことがあります。
取り返しのつかない失敗をしてしまった。どうお詫びしようかと身を小さくしていた人に、先生は「自分で悩んだのだから許されるんだよ」と励まされました。
名誉会長 そうだったね。これは、戸田先生の教えです。
ある青年が電車に乗り遅れて、大事な会合に大幅に遅れてしまったことがありました。その人は青い顔をしてお詫びの言葉を探していました。戸田先生は厳しい方でしたから、どんなに叱られるかと、周りもドキドキしていた。
すると先生は、「もういいよ。自分で悩み、苦しみ、それで償われているのだから、何も言うことはないよ」と語られました。
先生は、反省している青年の心をくみとってくださったのです。
−−池田先生は、戸田先生のエピソードを紹介され、「反省し、苦しんでいる人を、責めるような心の狭い人ではいけない。指導者は、人々の心をよく知っていかなければならない」と教えてくださいました。長崎の同志が大切にしているご指導です。
名誉会長 皿を割ってしまった人は、その失敗を原点として、本当にけなげに頑張ってきました。30年経った今も、その時のことを忘れず、「恩返しを」との心で後輩たちを励ましてくれている。私は「偉いな」と見守っています。
若い皆さんは、失敗を恐れないでほしい。もちろん失敗したら、反省は大切です。だからといって落ち込んで、それにひきずられては、何にもならない。一切が勉強であり、いくらでも取り返せるんだから。クヨクヨしてはいけない。
「失敗は成功の母」です。「挑戦しないこと」−−それが、青春の唯一の敗北だと、私は思う。
一家も地域も輝く。
気高き母たちよ
聡明な乙女たちよ
さあ今日も元気で!
上野殿御消息 P1527
『親によき物を与へんと思いてせめてする事なくば一日に二三度えみて向へとなり』
◇希望の明日へ
前へ、また前へと進んでほしい。後ろを振り向かないで。仏法では「現当二世(現在世と未来世)」と教えている。すべてはこれからである。いつもこれからなのである。前進のなかに勝利がある。栄光がある。幸福がある。振り返らないことは、とても難しいことである。無理なことかもしれない。けれども、偉大な人は、あえて足を踏み出す人である。前へ。また前へ−−と。
平4・2・14
☆若き君へ 新時代の主役に語る 第4回「新社会人に贈る」
−−3月の語らいで、「あいさつ」の大切さを教えていただき、新社会人の皆さんにも、その実践を呼びかけていただきました。
企業のトップの方からも、本当に創価の青年は清々しい、爽やかだ等の声が寄せられています。
池田名誉会長 「あいさつ」は、瞬時に心と心を結びます。相手が初対面であっても、苦手なタイプであっても、心は通い合う。
相手があいさつを返さなくても、構いません。あいさつは、自分から先にした方が勝ちです。人を尊敬できる人が尊敬される人です。明るく誠実に、心を込めてあいさつできる人が、偉い人です。あいさつは境涯の芸術です。
「おはようございます!」「こんにちは、よろしくお願いします!」「ありがとうございます!」
どうせ、声を出すんだから、元気にやれば、お互いに気持ちがいいじゃないか。その生命の勢いが、一日の勝利の扉を大きく開きます。
どんどん、あいさつしていくんです。どんどん、味方を増やすのです。相手の心の諸天善神を呼び起こすんです。もちろん、声が出せない状況なら、目礼でもいい。
私が21歳で戸田先生の会社に入って実践したことがあります。
一つは、元気いっぱいのあいさつで先輩方を迎えることでした。
もう一つは、毎朝、始業時間の30分前には出勤して、職場を清掃することです。
元気なあいさつが響く会社は、発展します。職場がよく整理されている会社は、事故が無くなる。
戸田先生をお守りするために、先生の事業を発展させるために、誰に言われなくとも、私は実行しました。
朝が勝負です。朝で決まる。
戸田先生も「職場に遅れて来て、上司に叱られるような人間は偉くなれない。特に、新入社員として信用を積んでいくためには、朝早く出勤するべきだ」と語っておられた。
一日に勝つための生命の暁鐘が、朝の勤行・唱題です。
信心をしているからこそ、一日の出発を勝つ。そして、人生に勝利していくのだ──先生は、こう指導されたのです。
−−仕事で失敗して、すっかり自信を失ってしまうこともあります。
名誉会長 失敗は、敗北ではありません。いな、青年には、失敗や悩みは、前進の証拠です。前に進んでいるからこそ、向かい風がある。転ぶこともある。でも、それで下を向いてしまわない。また立ち上がるのです。
アメリカの大事業家であり、映画人でもあったウォルト・ディズニーは語っています。
「私は失敗した。だがそこで多くの事を学んだ。若いころにひどい目に会い、失敗する事は重要なんだって、思うね」
−−30年前、先生は長崎で、大切なお皿を誤って割ってしまった人のことを通して、指導してくださったことがあります。
取り返しのつかない失敗をしてしまった。どうお詫びしようかと身を小さくしていた人に、先生は「自分で悩んだのだから許されるんだよ」と励まされました。
名誉会長 そうだったね。これは、戸田先生の教えです。
ある青年が電車に乗り遅れて、大事な会合に大幅に遅れてしまったことがありました。その人は青い顔をしてお詫びの言葉を探していました。戸田先生は厳しい方でしたから、どんなに叱られるかと、周りもドキドキしていた。
すると先生は、「もういいよ。自分で悩み、苦しみ、それで償われているのだから、何も言うことはないよ」と語られました。
先生は、反省している青年の心をくみとってくださったのです。
−−池田先生は、戸田先生のエピソードを紹介され、「反省し、苦しんでいる人を、責めるような心の狭い人ではいけない。指導者は、人々の心をよく知っていかなければならない」と教えてくださいました。長崎の同志が大切にしているご指導です。
名誉会長 皿を割ってしまった人は、その失敗を原点として、本当にけなげに頑張ってきました。30年経った今も、その時のことを忘れず、「恩返しを」との心で後輩たちを励ましてくれている。私は「偉いな」と見守っています。
若い皆さんは、失敗を恐れないでほしい。もちろん失敗したら、反省は大切です。だからといって落ち込んで、それにひきずられては、何にもならない。一切が勉強であり、いくらでも取り返せるんだから。クヨクヨしてはいけない。
「失敗は成功の母」です。「挑戦しないこと」−−それが、青春の唯一の敗北だと、私は思う。
2012年5月24日木曜日
2012.05.24 わが友に贈る
人と比べるより
自分に勝つことだ!
昨日よりも今日
今日よりも明日へ
成長の日々であれ!
顕仏未来記 P509
『伝教大師云く「浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり浅きを去つて深きに就くは丈夫の心なり』
◇希望の明日へ
決して無理をするということではないが、登るのが不可能に見える高山に挑み、頂を極めてこそ、喜びは大きい。高山に挑戦すれば、その分、自分の境涯も高められる。チャレンジなき平々凡々の安逸は、それ自体、敗北である。
平3・6・17
☆若き君へ 新時代の主役に語る 第4回「新社会人に贈る」
−−仕事で全く知らない土地へ移ったり、寮に入ったり、生活環境が大きく変わったりする場合があります。忙しくて学会活動はもとより、勤行・唱題も、ままならなくなることがあります。
名誉会長 新出発をした皆さんに申し上げたいのは、ともかく「焦らないで」ということです。また「粘り強く」ということです。要領が悪くたってかまいません。人と比べる必要もない。一つ一つ眼前の課題にベストを尽くしながら、足元を固めていくことです。
自らやってみて、その上で、自分一人ではできないことがあれば、人に素直にお願いすることも、よく分からないことを率直に尋ねることも、社会人として大事な条件です。
「教えてください」と、先輩たちにぶつかっていく青年は、ぐんぐん力をつけていきます。
誰もが乗り越えてきた道なのだから、心配することはありません。何かあれば、信頼できる先輩に相談してください。
御書には『助ける者が強ければ倒れない』(P1468、通解)と仰せです。学会は、最も心強い「善知識」の世界です。
忙しくて、なかなか会合に出られなくても、思うように題目があげられなくても、同志と連携を取り合っていくことが、どれほど支えになり、励みになるか。まさに福運あふれる"幸福の安全地帯"です。
だから絶対に離れてはいけません。少しでも縁していこうという心が大事です。
新社会人の友を受け入れる地域の方々には、どうか温かく迎えていただくよう、お願いします。
日蓮大聖人は、『御みやづかいを法華経とをぼしめせ、「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」とは此れなり』(P1295)と仰せになられました。
自分の仕事を法華経の修行であると思っていきなさい。現実社会のあらゆる営みは、全部、妙法と合致するものなのですと、教えてくださっています。
どんな仕事であれ、どんな立場であれ、題目を唱える自分自身が智慧を出し、力を尽くして、世のため、人のため、誠実に価値を創造していく。それは、全て「心の財」を積む仏道修行になります。
仕事と信心は、別々ではない。
むしろ、仕事を最大に充実させていく原動力が、信心であり、学会活動なのです。
−−大聖人が門下に『御みやづかいを法華経』と教えられたのは、御自身に3度目となる流罪の迫害が加えられるかもしれないという緊迫した状況の中でした。
名誉会長 その通りです。大聖人は、もし3度の流罪となれば『百千万億倍のさいわいなり』(同P)と悠然と見下ろされながら、弟子たちに自らの使命の職場で、一歩も引かずに、断固として勝利の実証を示し切っていくように、励まされたのです。
この御聖訓通りに戦って自身を鍛え上げてきたのが、学会の誇り高き伝統です。
草創期、職場で信心に反対されることが多かった先輩たちは、「信心は一人前、仕事は三人前」と歯を食いしばって、両方とも頑張ってきました。「仕事で実証を示してみせる!」と祈り抜き、仕事をやり切ってきました。
大変だからこそ、策によらず、真っ正面から腹を決めて祈って、人の何倍も努力し抜いたんです。
さらに今も、「仏法即社会」「仏法即勝負」の戦いを毅然と続けている、わが社会部、専門部の方々の勝利の体験を、私は感銘深くうかがっています。
仕事の姿勢には、その人の人生観も人間観も表れる。「何のために」生きるのかという一念が表れる。その最も深く、最も強く、最も正しい一念こそが、信心です。
皆さんには、広宣流布という、世界の平和と人類の幸福を実現しゆく究極の大目的がある。「広宣流布」という世界一の大願に立って、自らの日々の仕事に全力で挑むこと−−それが『御みやづかいを法華経』の心です。
「世界一の大願」に向かって戦う一人の青年として、「この仕事で世界一の自分にさせてください」「世界一の職場にさせてください」「世界一の会社にさせてください」と大きく強く祈ることです。
信心は、一個の人間としての実力となって発揮されます。真剣に祈り抜き、勉強し、精進し、創意工夫して、若いエネルギーを仕事にぶつけていく。そうして出た結果が、その時の最高の結果です。思うようにいかなければ、また祈って挑戦し、開拓すればいいんです。私もそうしてきました。
世界一の師匠に薫陶を受けているのだから、世界一の仕事をするのだ。世界一の戸田先生を仕事で宣揚してみせるのだと、私は祈り、働きました。
ともあれ、会社の大小や職場の環境で、自分の仕事や人生の勝ち負けは決まらない。全て自分です。自身の一念で決まるのです。
仕事と活動については、また、じっくり語り合おう。
自分に勝つことだ!
昨日よりも今日
今日よりも明日へ
成長の日々であれ!
顕仏未来記 P509
『伝教大師云く「浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり浅きを去つて深きに就くは丈夫の心なり』
◇希望の明日へ
決して無理をするということではないが、登るのが不可能に見える高山に挑み、頂を極めてこそ、喜びは大きい。高山に挑戦すれば、その分、自分の境涯も高められる。チャレンジなき平々凡々の安逸は、それ自体、敗北である。
平3・6・17
☆若き君へ 新時代の主役に語る 第4回「新社会人に贈る」
−−仕事で全く知らない土地へ移ったり、寮に入ったり、生活環境が大きく変わったりする場合があります。忙しくて学会活動はもとより、勤行・唱題も、ままならなくなることがあります。
名誉会長 新出発をした皆さんに申し上げたいのは、ともかく「焦らないで」ということです。また「粘り強く」ということです。要領が悪くたってかまいません。人と比べる必要もない。一つ一つ眼前の課題にベストを尽くしながら、足元を固めていくことです。
自らやってみて、その上で、自分一人ではできないことがあれば、人に素直にお願いすることも、よく分からないことを率直に尋ねることも、社会人として大事な条件です。
「教えてください」と、先輩たちにぶつかっていく青年は、ぐんぐん力をつけていきます。
誰もが乗り越えてきた道なのだから、心配することはありません。何かあれば、信頼できる先輩に相談してください。
御書には『助ける者が強ければ倒れない』(P1468、通解)と仰せです。学会は、最も心強い「善知識」の世界です。
忙しくて、なかなか会合に出られなくても、思うように題目があげられなくても、同志と連携を取り合っていくことが、どれほど支えになり、励みになるか。まさに福運あふれる"幸福の安全地帯"です。
だから絶対に離れてはいけません。少しでも縁していこうという心が大事です。
新社会人の友を受け入れる地域の方々には、どうか温かく迎えていただくよう、お願いします。
日蓮大聖人は、『御みやづかいを法華経とをぼしめせ、「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」とは此れなり』(P1295)と仰せになられました。
自分の仕事を法華経の修行であると思っていきなさい。現実社会のあらゆる営みは、全部、妙法と合致するものなのですと、教えてくださっています。
どんな仕事であれ、どんな立場であれ、題目を唱える自分自身が智慧を出し、力を尽くして、世のため、人のため、誠実に価値を創造していく。それは、全て「心の財」を積む仏道修行になります。
仕事と信心は、別々ではない。
むしろ、仕事を最大に充実させていく原動力が、信心であり、学会活動なのです。
−−大聖人が門下に『御みやづかいを法華経』と教えられたのは、御自身に3度目となる流罪の迫害が加えられるかもしれないという緊迫した状況の中でした。
名誉会長 その通りです。大聖人は、もし3度の流罪となれば『百千万億倍のさいわいなり』(同P)と悠然と見下ろされながら、弟子たちに自らの使命の職場で、一歩も引かずに、断固として勝利の実証を示し切っていくように、励まされたのです。
この御聖訓通りに戦って自身を鍛え上げてきたのが、学会の誇り高き伝統です。
草創期、職場で信心に反対されることが多かった先輩たちは、「信心は一人前、仕事は三人前」と歯を食いしばって、両方とも頑張ってきました。「仕事で実証を示してみせる!」と祈り抜き、仕事をやり切ってきました。
大変だからこそ、策によらず、真っ正面から腹を決めて祈って、人の何倍も努力し抜いたんです。
さらに今も、「仏法即社会」「仏法即勝負」の戦いを毅然と続けている、わが社会部、専門部の方々の勝利の体験を、私は感銘深くうかがっています。
仕事の姿勢には、その人の人生観も人間観も表れる。「何のために」生きるのかという一念が表れる。その最も深く、最も強く、最も正しい一念こそが、信心です。
皆さんには、広宣流布という、世界の平和と人類の幸福を実現しゆく究極の大目的がある。「広宣流布」という世界一の大願に立って、自らの日々の仕事に全力で挑むこと−−それが『御みやづかいを法華経』の心です。
「世界一の大願」に向かって戦う一人の青年として、「この仕事で世界一の自分にさせてください」「世界一の職場にさせてください」「世界一の会社にさせてください」と大きく強く祈ることです。
信心は、一個の人間としての実力となって発揮されます。真剣に祈り抜き、勉強し、精進し、創意工夫して、若いエネルギーを仕事にぶつけていく。そうして出た結果が、その時の最高の結果です。思うようにいかなければ、また祈って挑戦し、開拓すればいいんです。私もそうしてきました。
世界一の師匠に薫陶を受けているのだから、世界一の仕事をするのだ。世界一の戸田先生を仕事で宣揚してみせるのだと、私は祈り、働きました。
ともあれ、会社の大小や職場の環境で、自分の仕事や人生の勝ち負けは決まらない。全て自分です。自身の一念で決まるのです。
仕事と活動については、また、じっくり語り合おう。
2012年5月23日水曜日
2012.05.23 わが友に贈る
気候の変化が
大きい季節。
風邪など ひかないよう
体調管理の呼び掛けを!
皆、健康第一で!
生死一大事血脈抄 P1338
『相構え相構えて強盛の大信力を致して南無妙法蓮華経臨終正念と祈念し給へ、生死一大事の血脈此れより外に全く求むることなかれ』
◇希望の明日へ
若き挑戦の魂に行き詰まりはない。「幸運は、挑戦する人間にこそ微笑む」との西洋のことわざがあるが、すべては"行動"から始まる。行動を開始すれば、知恵がわく。道が見えてくる。道があるから歩くのではない。歩くから道ができるのである。
平3・3・16
☆若き君へ 新時代の主役に語る 第4回「新社会人に贈る」
池田名誉会長 はじめに、先日(5月6日)の竜巻で被災された茨城、栃木の皆様方に、あらためて心からお見舞いを申し上げます。
本当に甚大な被害でした。私も強盛に題目を送っています。
わが尊き友が懸命に復旧に当たられている様子を、胸を熱くして、うかがいました。青年部をはじめ多くの同志が応援に駆けつけてくださっていることも、感謝に堪えません。
−−池田先生と同じ心で、私たちも、全同志の健康、絶対の無事故を真剣に祈ってまいります。
慌ただしく新年度がスタートして、はや2ヵ月、新社会人として生活を始めたメンバーも、数多く奮闘しています。また、新しい職場や新たな立場になった人もいます。
今回は、ぜひ、フレッシュマンたちに励ましのエールをいただければと思います。
名誉会長 自分が希望する仕事に就いた人も、そうでない人もいるでしょう。でも、私は全ての新出発の友に、心から「おめでとう!」と申し上げたい。
私のところにも、多くの報告や決意が寄せられています。それぞれが、本当に凛々しく清々しい。
この真剣な新人たちの息吹こそ、職場を生き生きと発展させゆく力です。「新しい時代」の「新しい人材」が活躍しゆくことこそ、社会の宝であり、希望です。
みんな、体調は大丈夫か。朝ごはんは、ちゃんと食べているか。睡眠はとれているか……。
新社会人の皆さんが、健康で、元気はつらつと、悔いのない一日一日を前進していかれることを、私は祈りに祈り抜いています。
先輩たちから大いに学びながら、たくましく明るく、新鮮な力を発揮していってください。
もちろん、最初からうまくいく人なんていません。失敗もある。叱られることもあるでしょう。
「この仕事は向いてない」と悩む時もあるかもしれない。
でも、皆さんには、張り切って第一歩を踏み出した「初心」がある。大事なのは「今」の決心です。「これから」の行動です。
この仏法の「本因妙」の精神を、アメリカのジャズ音楽家のウェイン・ショーターさんは、実践的に、「初心を忘れないこと」と捉えていました。「初心」を堅持していく生命は、みずみずしく創造力を湧き立たせていけます。
皆さんには、「絶対勝利」の信仰があります。
『未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ』(P231)と記されている通り、決意して行動を開始した人は、現状がどうあれ、すでに勝つ因をつくった人です。私は未来の勝利者の皆さんに、最大の祝福を贈りたいのです。
大きい季節。
風邪など ひかないよう
体調管理の呼び掛けを!
皆、健康第一で!
生死一大事血脈抄 P1338
『相構え相構えて強盛の大信力を致して南無妙法蓮華経臨終正念と祈念し給へ、生死一大事の血脈此れより外に全く求むることなかれ』
◇希望の明日へ
若き挑戦の魂に行き詰まりはない。「幸運は、挑戦する人間にこそ微笑む」との西洋のことわざがあるが、すべては"行動"から始まる。行動を開始すれば、知恵がわく。道が見えてくる。道があるから歩くのではない。歩くから道ができるのである。
平3・3・16
☆若き君へ 新時代の主役に語る 第4回「新社会人に贈る」
池田名誉会長 はじめに、先日(5月6日)の竜巻で被災された茨城、栃木の皆様方に、あらためて心からお見舞いを申し上げます。
本当に甚大な被害でした。私も強盛に題目を送っています。
わが尊き友が懸命に復旧に当たられている様子を、胸を熱くして、うかがいました。青年部をはじめ多くの同志が応援に駆けつけてくださっていることも、感謝に堪えません。
−−池田先生と同じ心で、私たちも、全同志の健康、絶対の無事故を真剣に祈ってまいります。
慌ただしく新年度がスタートして、はや2ヵ月、新社会人として生活を始めたメンバーも、数多く奮闘しています。また、新しい職場や新たな立場になった人もいます。
今回は、ぜひ、フレッシュマンたちに励ましのエールをいただければと思います。
名誉会長 自分が希望する仕事に就いた人も、そうでない人もいるでしょう。でも、私は全ての新出発の友に、心から「おめでとう!」と申し上げたい。
私のところにも、多くの報告や決意が寄せられています。それぞれが、本当に凛々しく清々しい。
この真剣な新人たちの息吹こそ、職場を生き生きと発展させゆく力です。「新しい時代」の「新しい人材」が活躍しゆくことこそ、社会の宝であり、希望です。
みんな、体調は大丈夫か。朝ごはんは、ちゃんと食べているか。睡眠はとれているか……。
新社会人の皆さんが、健康で、元気はつらつと、悔いのない一日一日を前進していかれることを、私は祈りに祈り抜いています。
先輩たちから大いに学びながら、たくましく明るく、新鮮な力を発揮していってください。
もちろん、最初からうまくいく人なんていません。失敗もある。叱られることもあるでしょう。
「この仕事は向いてない」と悩む時もあるかもしれない。
でも、皆さんには、張り切って第一歩を踏み出した「初心」がある。大事なのは「今」の決心です。「これから」の行動です。
この仏法の「本因妙」の精神を、アメリカのジャズ音楽家のウェイン・ショーターさんは、実践的に、「初心を忘れないこと」と捉えていました。「初心」を堅持していく生命は、みずみずしく創造力を湧き立たせていけます。
皆さんには、「絶対勝利」の信仰があります。
『未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ』(P231)と記されている通り、決意して行動を開始した人は、現状がどうあれ、すでに勝つ因をつくった人です。私は未来の勝利者の皆さんに、最大の祝福を贈りたいのです。
2012年5月22日火曜日
2012.05.22 わが友に贈る
一瞬一瞬が
自分の弱さとの戦い。
仏法は勝負だ。
勝つと決めた者に
勝利の栄冠は輝く!
祈祷抄 P1352
『法華経の行者を諸の菩薩人天八部等二聖二天十羅刹等千に一も来つてまほり給はぬ事侍らば、上は釈迦諸仏をあなづり奉り下は九界をたぼらかす失あり』
◇希望の明日へ
青空が美しいのは、上空で強い風が走り、戦っているからである。その戦い(風)がやめば、空には雲がたれこめる。人生もまた同じである。戦いの中に、生命の美しき青空は開く。戦いのなかに、鍛えられ、清められた人間性の美が輝く。挑戦という戦いをやめれば、人生は掛りなく、たるんだ曇天の日々となろう。
平3・2・17
☆新時代第58回本部幹部会へのメッセージ
大好きな北海道の同志の皆さん方!
晴れ晴れと大勝利の総会、誠におめでとうございます!。
何よりも、初代・牧口常三郎先生と、2代・戸田城聖先生が、大切な故郷の広宣流布の大発展を、どれほど喜ばれていることか。
お二人が微笑みながら、後継の青年たちを見守っておられるお姿が、私の目に浮かんでまいります。
北海道をはじめ全国の同志の皆さんが尊い情熱を燃やして、聖教新聞の拡大に取り組んでくださっていることも、よくうかがっております。
きょうは、心からの感謝を込めて、小説『新・人間革命』の連載について、ご報告いたします。
現在、九州・熊本の同志との忘れ得ぬ歴史を綴る「人材城」の章には、おかけさまで、たくさんの声を寄せていただいております。
この「人材城」の章をもって、わが東北の友に捧げる「福光」の章から始まった第25巻が完結します。
そして、引き続き、来月の半ばからは、第26巻の連載を開始する予定です。
その第1章のタイトルは、「厚田」──。
愛する北海天地が舞台であります。
昭和52年(1977年)の秋10月、「生死不二の永遠の都」たる厚田の戸田記念墓地公園の開園を中心に描いていきます。
けなげな北海道の友と苦楽を分かち合いながら、戦い、そして、すべてに勝ってきた『今生人界の思出』(P467)は、幾重にも尽きることはありません。
あの小樽問答や、札幌の夏季折伏、夕張炭労事件など、これまで私の北海道への訪問は51回を数えますが、今回の「厚田」の章の執筆は、まさしく52回目の北海道訪問であるとの思いで、全道の皆さん方と心で対話をしながら、進めていく決心です。
私は、ますます元気で、万年の未来へ向かって、「師弟の勝利の叙事詩」を、書いて書いて、書き残していきますから、全国、全世界の同志の皆さん、どうか、楽しみにしていてください。
本日は、伸びゆく"人材の花"満開の「全国婦人部幹部会」、そして、華陽の女子部の「誓春大会」、心からお祝い申し上げます。
婦人部と女子部、母と娘、姉と妹が、仲むつまじく手を携えて、幸と平和のスクラムを広げていることを、御本仏・日蓮大聖人は「善哉 善哉」と諸手をあげて御賞讃くださっているに違いありません。
大聖人は、聡明な乙女・乙御前と、その気高い母である日妙聖人に、繰り返し、お手紙を送られ、激励されました。
大聖人が流罪された佐渡まで、鎌倉から母娘でお訪ねしたという、尊い求道の旅は、あまりにも有名です。
蒙古襲来という戦乱におののく、濁り乱れた悪世の中で、必死に生き抜いている母娘に、大聖人は、『法華経の行者は日輪と師子との如し』(P1219)と仰せであります。
この御聖訓を拝し、私は、敬愛する婦人部・女子部の皆さんに「太陽の如く、明るく朗らかに勝ち開け!」「師子の如く、強く正しく勝ち進め!」と申し上げたいのであります。
戸田先生は、故郷の北海道の婦人部に対して、「弾けるような題目をあげ、どんな障魔も、信心で吹き飛ばしていきなさい」と励まされました。
この母たちの強盛なる祈りを力として、創価家族は未来永遠に、いかなる苦難も乗り越え、勝ち越えていくのであります。
北海道の初代女子部長が友に語りかけていた言葉が、今も私の心に響いて離れません。
「私たち女子部が信心を根本に、一人一人、強くなり、幸福になっていくことこそ、師匠への報恩であり、広宣流布なのです」と。
幸福になるために、そして皆を幸福にするために、妙法を朗々と唱え、正義を堂々と語りながら、仲良く楽しく戦いましょう!
愛する家族も郷土も、社会も世界も、我ら創価の希望の光で、いよいよ明々と照らしていこうではありませんか!
35年前、厚田の墓園の開園に際して、私は、大河小説『永遠の都』の一節を申し上げました。
それは、「常に断崖の淵を歩いてきた人間にとって、最大の緊急事態も、いわば日常茶飯の出来事にすぎません」(ホール・ケイン著)と。
これが、創価の三代の師弟の覚悟であります。
広宣流布の大願のためには、何も恐れず、北風に向かい、怒濤に向かって、まっしぐらに前進する──この勇気を、わが不二の青年に託して、私のメッセージといたします。
健康第一で、悔いのない、大勝利の人生を歩み抜いていきましょう!
◎高さ世界一の自立式電波塔「東京スカイツリー」が、きょう営業開始
自分の弱さとの戦い。
仏法は勝負だ。
勝つと決めた者に
勝利の栄冠は輝く!
祈祷抄 P1352
『法華経の行者を諸の菩薩人天八部等二聖二天十羅刹等千に一も来つてまほり給はぬ事侍らば、上は釈迦諸仏をあなづり奉り下は九界をたぼらかす失あり』
◇希望の明日へ
青空が美しいのは、上空で強い風が走り、戦っているからである。その戦い(風)がやめば、空には雲がたれこめる。人生もまた同じである。戦いの中に、生命の美しき青空は開く。戦いのなかに、鍛えられ、清められた人間性の美が輝く。挑戦という戦いをやめれば、人生は掛りなく、たるんだ曇天の日々となろう。
平3・2・17
☆新時代第58回本部幹部会へのメッセージ
大好きな北海道の同志の皆さん方!
晴れ晴れと大勝利の総会、誠におめでとうございます!。
何よりも、初代・牧口常三郎先生と、2代・戸田城聖先生が、大切な故郷の広宣流布の大発展を、どれほど喜ばれていることか。
お二人が微笑みながら、後継の青年たちを見守っておられるお姿が、私の目に浮かんでまいります。
北海道をはじめ全国の同志の皆さんが尊い情熱を燃やして、聖教新聞の拡大に取り組んでくださっていることも、よくうかがっております。
きょうは、心からの感謝を込めて、小説『新・人間革命』の連載について、ご報告いたします。
現在、九州・熊本の同志との忘れ得ぬ歴史を綴る「人材城」の章には、おかけさまで、たくさんの声を寄せていただいております。
この「人材城」の章をもって、わが東北の友に捧げる「福光」の章から始まった第25巻が完結します。
そして、引き続き、来月の半ばからは、第26巻の連載を開始する予定です。
その第1章のタイトルは、「厚田」──。
愛する北海天地が舞台であります。
昭和52年(1977年)の秋10月、「生死不二の永遠の都」たる厚田の戸田記念墓地公園の開園を中心に描いていきます。
けなげな北海道の友と苦楽を分かち合いながら、戦い、そして、すべてに勝ってきた『今生人界の思出』(P467)は、幾重にも尽きることはありません。
あの小樽問答や、札幌の夏季折伏、夕張炭労事件など、これまで私の北海道への訪問は51回を数えますが、今回の「厚田」の章の執筆は、まさしく52回目の北海道訪問であるとの思いで、全道の皆さん方と心で対話をしながら、進めていく決心です。
私は、ますます元気で、万年の未来へ向かって、「師弟の勝利の叙事詩」を、書いて書いて、書き残していきますから、全国、全世界の同志の皆さん、どうか、楽しみにしていてください。
本日は、伸びゆく"人材の花"満開の「全国婦人部幹部会」、そして、華陽の女子部の「誓春大会」、心からお祝い申し上げます。
婦人部と女子部、母と娘、姉と妹が、仲むつまじく手を携えて、幸と平和のスクラムを広げていることを、御本仏・日蓮大聖人は「善哉 善哉」と諸手をあげて御賞讃くださっているに違いありません。
大聖人は、聡明な乙女・乙御前と、その気高い母である日妙聖人に、繰り返し、お手紙を送られ、激励されました。
大聖人が流罪された佐渡まで、鎌倉から母娘でお訪ねしたという、尊い求道の旅は、あまりにも有名です。
蒙古襲来という戦乱におののく、濁り乱れた悪世の中で、必死に生き抜いている母娘に、大聖人は、『法華経の行者は日輪と師子との如し』(P1219)と仰せであります。
この御聖訓を拝し、私は、敬愛する婦人部・女子部の皆さんに「太陽の如く、明るく朗らかに勝ち開け!」「師子の如く、強く正しく勝ち進め!」と申し上げたいのであります。
戸田先生は、故郷の北海道の婦人部に対して、「弾けるような題目をあげ、どんな障魔も、信心で吹き飛ばしていきなさい」と励まされました。
この母たちの強盛なる祈りを力として、創価家族は未来永遠に、いかなる苦難も乗り越え、勝ち越えていくのであります。
北海道の初代女子部長が友に語りかけていた言葉が、今も私の心に響いて離れません。
「私たち女子部が信心を根本に、一人一人、強くなり、幸福になっていくことこそ、師匠への報恩であり、広宣流布なのです」と。
幸福になるために、そして皆を幸福にするために、妙法を朗々と唱え、正義を堂々と語りながら、仲良く楽しく戦いましょう!
愛する家族も郷土も、社会も世界も、我ら創価の希望の光で、いよいよ明々と照らしていこうではありませんか!
35年前、厚田の墓園の開園に際して、私は、大河小説『永遠の都』の一節を申し上げました。
それは、「常に断崖の淵を歩いてきた人間にとって、最大の緊急事態も、いわば日常茶飯の出来事にすぎません」(ホール・ケイン著)と。
これが、創価の三代の師弟の覚悟であります。
広宣流布の大願のためには、何も恐れず、北風に向かい、怒濤に向かって、まっしぐらに前進する──この勇気を、わが不二の青年に託して、私のメッセージといたします。
健康第一で、悔いのない、大勝利の人生を歩み抜いていきましょう!
◎高さ世界一の自立式電波塔「東京スカイツリー」が、きょう営業開始
2012年5月21日月曜日
2012.05.21 わが友に贈る
人生の転機には
必ず励ましのドラマが!
満々たる生命力で
友に勇気と確信を送る
「抜苦与楽」の実践を!
祈祷抄 P1347
『いかでか仏前の御誓並びに自身成仏の御経の恩をばわすれて、法華経の行者をば捨てさせ給うべき』
◇今週のことば
「いかなる病
さはりをなすべきや」
題目の師子吼で
強く賢く朗らかに
「健康第一」の前進を!
2012年05月21日
◇希望の明日へ
人生は"強く"また"強く"生きることである。"前に"また"前に"進み続けることである。頭を上げて、堂々と生きる人は幸福である。その人に、人生は道を開ける。魔も逃げていく。
平2・11・28
☆御書とともにNo.76 揺るがぬ自己を築け
『賢人は八風と申して八のかぜにをかされぬを賢人と申すなり、利(うるおい)・衰(おとろえ)・毀(やぶれ)・誉(ほまれ)・称(たたえ)・譏(そしり)・苦(くるしみ)・楽(たのしみ)なり』(四条金吾殿御返事 P1151)
◇通解
賢人は八風といって八種の風に侵されないのを賢人というのである。八風とは利(うるおい)・衰(おとろえ)・毀(やぶれ)・誉(ほまれ)・称(たたえ)・譏(そしり)・苦(くるしみ)・楽(たのしみ)である。
◇同志への指針
信仰とは、何ものにも揺るがぬ、堂々たる自分を創り上げる力だ。目先の利害や毀誉褒貶に一喜一憂して、紛動される人生は儚い。人々のため、社会のため、広宣流布の大願に生き抜く人こそ、大賢人なのである。
八風に侵されず、わが使命の道を断固として歩み通すことだ。そこに、諸天善神が動く。誇り高き「人間革命」の凱歌の劇が光る。悔いなき大勝利の歴史が残る。
◎金環日食、もう始まってるよ!
必ず励ましのドラマが!
満々たる生命力で
友に勇気と確信を送る
「抜苦与楽」の実践を!
祈祷抄 P1347
『いかでか仏前の御誓並びに自身成仏の御経の恩をばわすれて、法華経の行者をば捨てさせ給うべき』
◇今週のことば
「いかなる病
さはりをなすべきや」
題目の師子吼で
強く賢く朗らかに
「健康第一」の前進を!
2012年05月21日
◇希望の明日へ
人生は"強く"また"強く"生きることである。"前に"また"前に"進み続けることである。頭を上げて、堂々と生きる人は幸福である。その人に、人生は道を開ける。魔も逃げていく。
平2・11・28
☆御書とともにNo.76 揺るがぬ自己を築け
『賢人は八風と申して八のかぜにをかされぬを賢人と申すなり、利(うるおい)・衰(おとろえ)・毀(やぶれ)・誉(ほまれ)・称(たたえ)・譏(そしり)・苦(くるしみ)・楽(たのしみ)なり』(四条金吾殿御返事 P1151)
◇通解
賢人は八風といって八種の風に侵されないのを賢人というのである。八風とは利(うるおい)・衰(おとろえ)・毀(やぶれ)・誉(ほまれ)・称(たたえ)・譏(そしり)・苦(くるしみ)・楽(たのしみ)である。
◇同志への指針
信仰とは、何ものにも揺るがぬ、堂々たる自分を創り上げる力だ。目先の利害や毀誉褒貶に一喜一憂して、紛動される人生は儚い。人々のため、社会のため、広宣流布の大願に生き抜く人こそ、大賢人なのである。
八風に侵されず、わが使命の道を断固として歩み通すことだ。そこに、諸天善神が動く。誇り高き「人間革命」の凱歌の劇が光る。悔いなき大勝利の歴史が残る。
◎金環日食、もう始まってるよ!
2012.05.20 わが友に贈る
広宣流布とは
人と会うことだ!
仏縁を広げた分だけ
わが心の財は輝く。
対話の華を爛漫と!
祈祷抄 P1351
『大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず』
◇希望の明日へ
"魂の試練"こそが、真の試練である。どんな困難にも敢然と戦い抜いて築いた、揺るぎない自我。それが、魂の試練で勝った人の姿である。ましてや学会員は、大聖人の弟子である。『臆病にては叶うべからず』(P1282)である。どのようなことが起ころうとも、平然と、いよいよ信心根本に試練に挑戦してゆく。そこにこそ三世永遠の幸福境涯である仏界が、開かれるのである。
平2・6・8
☆名誉会長と共に 今日も広布へ No.014「青年こそ創価の太陽!」
◇男子学生部の友に
いついかなる時も、君たちが生き生きと英知を磨き、躍動して戦ってくれている。君たちありて学会は盤石なりと、私は心から喜び、最大に信頼しています。
日蓮大聖人は『此の経文は一切経に勝れたり地走る者の王たり師子王のごとし・空飛ぶ者の王たり鷲のごとし』(P1310)と仰せです。世界一の大仏法を持った諸君は、一人一人が、師子王の如く、大鷲の如く、青春の王者となって戦い、勝ち抜いていただきたい。
私が世界に開いた道を厳然と受け継いでいくのが、諸君です。ゆえに、大いに学びに学ぶことです。そして大いにしゃべることです。青年は黙っていてはいけない。題目を朗々と唱え抜いて、行学の英雄となってください。
◇女子学生部の友に
信心こそ、どんな悩みも乗り越えながら、自分自身が成長し、生き生きと勝利しゆく究極の力であります。
大聖人は女性の弟子に『爾前経では秋冬の草木のようであった九界の衆生が、法華経の妙の一字の春夏の太陽におあいして、菩提心の花が咲き、成仏往生の実がなるのである』(P944、通解)と仰せになられました。
輝きわたる大仏法に生き抜く皆さんは、一人一人が、未来を無限に照らしゆく創価と広布の太陽です。
何でも良き先輩に相談しながら、希望に燃えて前進してください。世界一、仲良きスクラムで、朗らかに友情と仏縁を広げていただきたい。
健康で、絶対無事故の悔いない一日一日であってください。どうか、百人力の妙法の力を抱いて、青春を強く賢く楽しく生き抜いてください。
人と会うことだ!
仏縁を広げた分だけ
わが心の財は輝く。
対話の華を爛漫と!
祈祷抄 P1351
『大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず』
◇希望の明日へ
"魂の試練"こそが、真の試練である。どんな困難にも敢然と戦い抜いて築いた、揺るぎない自我。それが、魂の試練で勝った人の姿である。ましてや学会員は、大聖人の弟子である。『臆病にては叶うべからず』(P1282)である。どのようなことが起ころうとも、平然と、いよいよ信心根本に試練に挑戦してゆく。そこにこそ三世永遠の幸福境涯である仏界が、開かれるのである。
平2・6・8
☆名誉会長と共に 今日も広布へ No.014「青年こそ創価の太陽!」
◇男子学生部の友に
いついかなる時も、君たちが生き生きと英知を磨き、躍動して戦ってくれている。君たちありて学会は盤石なりと、私は心から喜び、最大に信頼しています。
日蓮大聖人は『此の経文は一切経に勝れたり地走る者の王たり師子王のごとし・空飛ぶ者の王たり鷲のごとし』(P1310)と仰せです。世界一の大仏法を持った諸君は、一人一人が、師子王の如く、大鷲の如く、青春の王者となって戦い、勝ち抜いていただきたい。
私が世界に開いた道を厳然と受け継いでいくのが、諸君です。ゆえに、大いに学びに学ぶことです。そして大いにしゃべることです。青年は黙っていてはいけない。題目を朗々と唱え抜いて、行学の英雄となってください。
◇女子学生部の友に
信心こそ、どんな悩みも乗り越えながら、自分自身が成長し、生き生きと勝利しゆく究極の力であります。
大聖人は女性の弟子に『爾前経では秋冬の草木のようであった九界の衆生が、法華経の妙の一字の春夏の太陽におあいして、菩提心の花が咲き、成仏往生の実がなるのである』(P944、通解)と仰せになられました。
輝きわたる大仏法に生き抜く皆さんは、一人一人が、未来を無限に照らしゆく創価と広布の太陽です。
何でも良き先輩に相談しながら、希望に燃えて前進してください。世界一、仲良きスクラムで、朗らかに友情と仏縁を広げていただきたい。
健康で、絶対無事故の悔いない一日一日であってください。どうか、百人力の妙法の力を抱いて、青春を強く賢く楽しく生き抜いてください。
2012年5月19日土曜日
2012.05.19 わが友に贈る
創価の青年よ
忙しい時ほど
学びの時間を創れ!
教養と人格光る
一流の人材に育て!
経王殿御返事 P1124
『此の曼荼羅能く能く信ぜさせ給うべし、南無妙法蓮華経は師子吼の如しいかなる病さはりをなすべきや』
◇希望の明日へ
仮に人生の短距離走で勝てなければ、中距離走で勝てばよい。それでも勝利に届かなければ、長距離走で勝てばよいのである。"最後には勝つ"−−この決心で、蓮しく、また達しく生き抜いてほしい。
平1・9・30
☆宮崎日日新聞 特別寄稿「日向に輝く文化の太陽」
「船はてて 上れる国は 満天の 星くずのなかに 山匂ひ立つ」
宮崎が生んだ歌人の若山牧水は、故郷の海原を旅して詠じました。
日向の海は広々と世界に開かれております。遣唐使の寄港地であった油津港など、いにしえより、人と文化が賑やかに往来し、麗しい友誼の縁を結んできた黄金の歴史が輝いています。
今、九州一帯は、アジア新時代の「環黄海経済圏」の基軸として注目を集めており、宮崎県が担いゆかれる役割にも、ひときわ大きな期待が寄せられております。
この宮崎の県立美術館で、東京富士美術館が企画する「地上の天宮 北京・故宮博物院展」が、意義深く開催の運びとなりました。宮崎日日新聞社をはじめ、ご尽力いただいた関係者の皆様方に、心より御礼申し上げます。
◇
この故宮展は、札幌、神戸、福岡、名古屋、松山、東京の六都市で、約九十万人の方々が鑑賞されました。国宝に当たる国家一級文物十八点を含む、二百点の至宝が出展されています。
今回、初めて海外に貸し出された名画「女孝経図」は、まさに宮崎を中継地の一つとして日中貿易が栄えた宋の時代に制作された国宝です。
明代の国宝である「馮媛当熊図」には、一人の女性が命を賭して、暴れる熊から皇帝を護る場面が描かれています。いざという時に毅然と発揮される勇気──それは、いかなる試練も明るく朗らかに勝ち越えきた、私と妻の敬愛する宮崎の母たちと、何と深く響き合っているでしょうか。
本展では、宮廷の女性たちの清々しい振る舞いとともに、皇子や皇女たちが、どのように学び、遊び、成長していたかも、絵画や学習用品・おもちゃなどを通じて知ることができます。
わが宮崎県は、子どもたちへのアンケートをまとめた「いい子どもが育つ都道府県ランキング」で日本一であり、出生率も第2位です。模範の子育てが光る宮崎での故宮展は、家族で、お子さん方と手を携えて楽しんでいただける趣向となっております。
また、伝統工芸が盛んな宮崎は、日向はまぐり碁石や榧(かや)碁盤・将棋盤、さらに紅渓石硯や宮崎漆器など、名匠の技が有名です。今回、展示される蒙古製の将棋や清代の玉製の碁石、また宮廷で使われた松花江石製の御用硯や朱塗りの道具などの逸品を通して、日中両国の一衣帯水の文化・技術の交流の歴史を、深く感じ取っていただけることでしょう。
◇
本年は、日中国交正常化より四十周年の佳節です。五年前の四月、温家宝総理が来日に際し、「友好の手本」と紹介された逸話があります。ここ宮崎と中国の閣に刻まれたドラマです。
──日中戦争の最中の一九四〇年八月、中国・華北で戦乱に巻き込まれ、両親を失って孤児となった日本人の幼い姉妹を、八路軍の聶栄臻(じょうえいしん)将軍が救い出し、手厚く保護しました。将軍は「この罪のない孤児を異国の山野に落命させてはならない」と手紙にしたため、村民に頼んで戦火の中を日本軍に送り届けてくれたのです。
時はめぐり、国交正常化後の一九八〇年、両国の関係者の真心によって、聶将軍と、助けられた都城の裕美穂子さんは、北京で感動の再会を果たすことができました。
この再会を契機に、都城市と、将軍の出身地である重慶市江津区は、友好都市として結ばれました。友情の輪は、さらに幾重にも広がっています。
たとえ政治や経済の次元は揺れ動いたとしても、民衆の心と心が深く結ばれていれば、平和友好の「金の橋」は盤石です。"文化の使者"というべき今回の展示会が、宮崎と中国との美しさ心の結合を、さらに強める契機となればご』れな上の喜びはありません。
◇
昨年、東日本大震災の影響で、多くの展覧会が中止を余儀なくされる中、故宮博物院は本展の開催を英断してくださいました。展示会の断行によって、お見舞いの心と友情のエールを、静かに熱く伝えてくださったのです。
なかでも宮崎県は、大震災の以前から、「口蹄疫」「鳥インフルエンザ」「新燃岳の噴火」など、相次ぐ災難に直面し、戦い続けてこられました。
私のよく知る延岡の養豚家の青年も、歯を食いしばっで苦境を乗り切りました。この春、全国の主張大会で、"宮崎は「日向」すなわち「太陽の宝土」です。どんな苦難にも負けません。東北と日本の復興に、青年が立ち上がりましょう"と叫んで、震災の被災地の友にも勇気を送ってくれました。
中華文化促進会の高占祥主席は、私との対談集の中で、「自然災害は、人間を屈服させることはできません。逆に人と人との間に思いやりの心と道徳力を湧き立たせるに違いありません」と言われております。
そして、文化の力こそ「人類の第二の太陽」と強調されていました。
本展には、大いに文化・学術を興隆させた乾隆帝が書写した法華経も、展示されています。この法華経には、「慧日は諸の暗を破し 能く災の風火を伏して 普く明らかに世間を照らす」と記されております。
その名も「不死鳥」という意義を持つフェニックスを県の木とする宮崎から、日本そしてアジアを照らしゆく、たくましい「智慧の太陽」が赫々と昇りゆくことを、私は祈ってやみません。
2012年5月17日
忙しい時ほど
学びの時間を創れ!
教養と人格光る
一流の人材に育て!
経王殿御返事 P1124
『此の曼荼羅能く能く信ぜさせ給うべし、南無妙法蓮華経は師子吼の如しいかなる病さはりをなすべきや』
◇希望の明日へ
仮に人生の短距離走で勝てなければ、中距離走で勝てばよい。それでも勝利に届かなければ、長距離走で勝てばよいのである。"最後には勝つ"−−この決心で、蓮しく、また達しく生き抜いてほしい。
平1・9・30
☆宮崎日日新聞 特別寄稿「日向に輝く文化の太陽」
「船はてて 上れる国は 満天の 星くずのなかに 山匂ひ立つ」
宮崎が生んだ歌人の若山牧水は、故郷の海原を旅して詠じました。
日向の海は広々と世界に開かれております。遣唐使の寄港地であった油津港など、いにしえより、人と文化が賑やかに往来し、麗しい友誼の縁を結んできた黄金の歴史が輝いています。
今、九州一帯は、アジア新時代の「環黄海経済圏」の基軸として注目を集めており、宮崎県が担いゆかれる役割にも、ひときわ大きな期待が寄せられております。
この宮崎の県立美術館で、東京富士美術館が企画する「地上の天宮 北京・故宮博物院展」が、意義深く開催の運びとなりました。宮崎日日新聞社をはじめ、ご尽力いただいた関係者の皆様方に、心より御礼申し上げます。
◇
この故宮展は、札幌、神戸、福岡、名古屋、松山、東京の六都市で、約九十万人の方々が鑑賞されました。国宝に当たる国家一級文物十八点を含む、二百点の至宝が出展されています。
今回、初めて海外に貸し出された名画「女孝経図」は、まさに宮崎を中継地の一つとして日中貿易が栄えた宋の時代に制作された国宝です。
明代の国宝である「馮媛当熊図」には、一人の女性が命を賭して、暴れる熊から皇帝を護る場面が描かれています。いざという時に毅然と発揮される勇気──それは、いかなる試練も明るく朗らかに勝ち越えきた、私と妻の敬愛する宮崎の母たちと、何と深く響き合っているでしょうか。
本展では、宮廷の女性たちの清々しい振る舞いとともに、皇子や皇女たちが、どのように学び、遊び、成長していたかも、絵画や学習用品・おもちゃなどを通じて知ることができます。
わが宮崎県は、子どもたちへのアンケートをまとめた「いい子どもが育つ都道府県ランキング」で日本一であり、出生率も第2位です。模範の子育てが光る宮崎での故宮展は、家族で、お子さん方と手を携えて楽しんでいただける趣向となっております。
また、伝統工芸が盛んな宮崎は、日向はまぐり碁石や榧(かや)碁盤・将棋盤、さらに紅渓石硯や宮崎漆器など、名匠の技が有名です。今回、展示される蒙古製の将棋や清代の玉製の碁石、また宮廷で使われた松花江石製の御用硯や朱塗りの道具などの逸品を通して、日中両国の一衣帯水の文化・技術の交流の歴史を、深く感じ取っていただけることでしょう。
◇
本年は、日中国交正常化より四十周年の佳節です。五年前の四月、温家宝総理が来日に際し、「友好の手本」と紹介された逸話があります。ここ宮崎と中国の閣に刻まれたドラマです。
──日中戦争の最中の一九四〇年八月、中国・華北で戦乱に巻き込まれ、両親を失って孤児となった日本人の幼い姉妹を、八路軍の聶栄臻(じょうえいしん)将軍が救い出し、手厚く保護しました。将軍は「この罪のない孤児を異国の山野に落命させてはならない」と手紙にしたため、村民に頼んで戦火の中を日本軍に送り届けてくれたのです。
時はめぐり、国交正常化後の一九八〇年、両国の関係者の真心によって、聶将軍と、助けられた都城の裕美穂子さんは、北京で感動の再会を果たすことができました。
この再会を契機に、都城市と、将軍の出身地である重慶市江津区は、友好都市として結ばれました。友情の輪は、さらに幾重にも広がっています。
たとえ政治や経済の次元は揺れ動いたとしても、民衆の心と心が深く結ばれていれば、平和友好の「金の橋」は盤石です。"文化の使者"というべき今回の展示会が、宮崎と中国との美しさ心の結合を、さらに強める契機となればご』れな上の喜びはありません。
◇
昨年、東日本大震災の影響で、多くの展覧会が中止を余儀なくされる中、故宮博物院は本展の開催を英断してくださいました。展示会の断行によって、お見舞いの心と友情のエールを、静かに熱く伝えてくださったのです。
なかでも宮崎県は、大震災の以前から、「口蹄疫」「鳥インフルエンザ」「新燃岳の噴火」など、相次ぐ災難に直面し、戦い続けてこられました。
私のよく知る延岡の養豚家の青年も、歯を食いしばっで苦境を乗り切りました。この春、全国の主張大会で、"宮崎は「日向」すなわち「太陽の宝土」です。どんな苦難にも負けません。東北と日本の復興に、青年が立ち上がりましょう"と叫んで、震災の被災地の友にも勇気を送ってくれました。
中華文化促進会の高占祥主席は、私との対談集の中で、「自然災害は、人間を屈服させることはできません。逆に人と人との間に思いやりの心と道徳力を湧き立たせるに違いありません」と言われております。
そして、文化の力こそ「人類の第二の太陽」と強調されていました。
本展には、大いに文化・学術を興隆させた乾隆帝が書写した法華経も、展示されています。この法華経には、「慧日は諸の暗を破し 能く災の風火を伏して 普く明らかに世間を照らす」と記されております。
その名も「不死鳥」という意義を持つフェニックスを県の木とする宮崎から、日本そしてアジアを照らしゆく、たくましい「智慧の太陽」が赫々と昇りゆくことを、私は祈ってやみません。
2012年5月17日
2012年5月18日金曜日
2012.05.18 わが友に贈る
広布の個人会場は
和楽と友情の広場だ。
人間革命の宝城だ。
提供者に深く感謝し
皆で清々しく前進!
日女御前御返事 P1244
『此の御本尊全く余所に求る事なかれ只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり』
◇希望の明日へ
過去を食べて生きている人は老人である。現在を食べて生きている人は中年である。それに対し、未来を食べて生きる人こそ若人であり青年である。これは、年齢の問題ではない。人生を生きゆく一念の姿勢の問題であり、心の境涯の問題にはかならない。
平1・8・17
☆御書とともにNo.78 信心こそ一切の根本
『南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤も大切なり、信心の厚薄によるべきなり仏法の根本は信を以て源とす』(日女御前御返事 P1244)
◇通解
「南無妙法蓮華経」とだけ唱えて、成仏することが最も大切である。ひとえに信心の厚薄によるのである。仏法の根本は、信をもって源とする。
◇同志への指針
正しい信心こそ、勝利の根本である。妙法を唱え抜く人が一番尊く、一番強い。強盛に「信力」「行力」を奮い起こせば、無量無辺の「仏力」「法力」を、わが生命にあらわすことができる。
どんな時も、まず題目だ。題目こそ、いかなる苦悩にも負けず、一切を打開していける究極の原動力なのである。
和楽と友情の広場だ。
人間革命の宝城だ。
提供者に深く感謝し
皆で清々しく前進!
日女御前御返事 P1244
『此の御本尊全く余所に求る事なかれ只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり』
◇希望の明日へ
過去を食べて生きている人は老人である。現在を食べて生きている人は中年である。それに対し、未来を食べて生きる人こそ若人であり青年である。これは、年齢の問題ではない。人生を生きゆく一念の姿勢の問題であり、心の境涯の問題にはかならない。
平1・8・17
☆御書とともにNo.78 信心こそ一切の根本
『南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤も大切なり、信心の厚薄によるべきなり仏法の根本は信を以て源とす』(日女御前御返事 P1244)
◇通解
「南無妙法蓮華経」とだけ唱えて、成仏することが最も大切である。ひとえに信心の厚薄によるのである。仏法の根本は、信をもって源とする。
◇同志への指針
正しい信心こそ、勝利の根本である。妙法を唱え抜く人が一番尊く、一番強い。強盛に「信力」「行力」を奮い起こせば、無量無辺の「仏力」「法力」を、わが生命にあらわすことができる。
どんな時も、まず題目だ。題目こそ、いかなる苦悩にも負けず、一切を打開していける究極の原動力なのである。
2012年5月17日木曜日
2012.05.17 わが友に贈る
題目に勝る力はない!
日々、真剣に
唱題行に徹し抜け!
「祈りとして
叶わざるなし」だ。
新池御書 P1439
『此の経にあひ奉りぬれば諸罪は霜露の如くに法華経の日輪に値い奉りて消ゆべし』
◇希望の明日へ
いかなる時も恐れなき人こそ勇者である。何かあればおじ恐れ、臆病となる人ほど惨めで、哀れなものはない。
昭63・11・4
日々、真剣に
唱題行に徹し抜け!
「祈りとして
叶わざるなし」だ。
新池御書 P1439
『此の経にあひ奉りぬれば諸罪は霜露の如くに法華経の日輪に値い奉りて消ゆべし』
◇希望の明日へ
いかなる時も恐れなき人こそ勇者である。何かあればおじ恐れ、臆病となる人ほど惨めで、哀れなものはない。
昭63・11・4
2012.05.16 わが友に贈る
楽しく話せる。
安心して聞ける。
和やかな語らいには
発展のリズムがある。
座談の花を咲かせよう!
三三蔵祈雨事 P1468
『夫れ木をうえ候には大風吹き候へどもつよきすけをかひぬればたうれず、本より生いて候木なれども根の弱きはたうれぬ、甲斐無き者なれどもたすくる者強ければたうれず、すこし健の者も独なれば悪しきみちにはたうれぬ』
◇希望の明日へ
いかなる世間の権威、名声も宇宙の大法則にまさるものではない。人を頼らず、ただ天を味方として正義の戦いに挑んでい。これが真の信仰者の崇高な確信の人生である。
昭63・10・12
安心して聞ける。
和やかな語らいには
発展のリズムがある。
座談の花を咲かせよう!
三三蔵祈雨事 P1468
『夫れ木をうえ候には大風吹き候へどもつよきすけをかひぬればたうれず、本より生いて候木なれども根の弱きはたうれぬ、甲斐無き者なれどもたすくる者強ければたうれず、すこし健の者も独なれば悪しきみちにはたうれぬ』
◇希望の明日へ
いかなる世間の権威、名声も宇宙の大法則にまさるものではない。人を頼らず、ただ天を味方として正義の戦いに挑んでい。これが真の信仰者の崇高な確信の人生である。
昭63・10・12
2012年5月15日火曜日
2012.05.15 わが友に贈る
会合に集い来た友を
仏のごとく迎えよ!
リーダーの感謝の心が
歓喜と前進の源だ。
仲良き創価家族、万歳!
聖人御難事 P1190
『過去現在の末法の法華経の行者を軽賎する王臣万民始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず』
◇希望の明日へ
信仰とは、むしろ、より厳しいほうへ、激しい苦難へと、勇んで進みゆく生き方にある。そこにこそ、人間としての崇高な輝きもあり、成長もある。
昭63・6・12
☆勝利の人間学第8回 座談会は拡大の推進軸
・座談会から出発
座談会は、創価の前進の生命線である。
私が戸田先生にお会いできたのも、座談会のおかげである。
広布発展の原動力は、一にも二にも、互いの顔が見える小単位の集いである。心と心を通わせる対話である。この一対一の絆を強固にしたから、学会は勝利してきた。
戸田先生は座談会を大切にされた。参加者が少なくても、逆に「じっくりと話ができる」と真剣であられた。嬉しそうでもあった。
地道な活動ほど強いものはない。
座談会から出発し、次の座談会を目指して挑戦する。その粘り強い繰り返しが、学会伝統の「勝利のリズム」である。
戸田先生は「座談会で広宣流布はできる」と断言なされた。
・青年が主体者
青年が一人いるだけで、座談会は変わる。
駆けつけてくるだけで、空気が一変する。
いわんや、青年が主体となった、にぎやかな座談会ほど、明るく楽しいものはない。
私も青年部時代から、皆が「本当に来てよかった」と思える会合にするために、参加者の顔を思い浮かべて祈り、準備して臨んだ。
青年部の振る舞いから、会合革命は起こる。
学会の新しい前進も、そこから始まるのだ。
・哲学を学べ体験を語れ
座談会には人生勝利の哲学がある。他者の人生に学ぶ触発がある。最も民衆に根ざした人間学の学校だ。勇んで求めてもらいたい。
御聖訓にも「心ざしあらん諸人は一処にあつまりて御聴聞あるべし」(御書951ページ)と仰せではないか。
皆で体験を語り合い、教学を学び合う。
これが一番正しい仏道修行の実践である。
座談会では「声を惜しまず」語ろう。
青年の声ほど、偉大な力はない。
青年が話せば、周りを元気にすることができる。声を出せば、自分も元気になる。皆に希望と勇気と活力を贈る集いを、一回一回、青年の力で勝ち取っていただきたい。
仏のごとく迎えよ!
リーダーの感謝の心が
歓喜と前進の源だ。
仲良き創価家族、万歳!
聖人御難事 P1190
『過去現在の末法の法華経の行者を軽賎する王臣万民始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず』
◇希望の明日へ
信仰とは、むしろ、より厳しいほうへ、激しい苦難へと、勇んで進みゆく生き方にある。そこにこそ、人間としての崇高な輝きもあり、成長もある。
昭63・6・12
☆勝利の人間学第8回 座談会は拡大の推進軸
・座談会から出発
座談会は、創価の前進の生命線である。
私が戸田先生にお会いできたのも、座談会のおかげである。
広布発展の原動力は、一にも二にも、互いの顔が見える小単位の集いである。心と心を通わせる対話である。この一対一の絆を強固にしたから、学会は勝利してきた。
戸田先生は座談会を大切にされた。参加者が少なくても、逆に「じっくりと話ができる」と真剣であられた。嬉しそうでもあった。
地道な活動ほど強いものはない。
座談会から出発し、次の座談会を目指して挑戦する。その粘り強い繰り返しが、学会伝統の「勝利のリズム」である。
戸田先生は「座談会で広宣流布はできる」と断言なされた。
・青年が主体者
青年が一人いるだけで、座談会は変わる。
駆けつけてくるだけで、空気が一変する。
いわんや、青年が主体となった、にぎやかな座談会ほど、明るく楽しいものはない。
私も青年部時代から、皆が「本当に来てよかった」と思える会合にするために、参加者の顔を思い浮かべて祈り、準備して臨んだ。
青年部の振る舞いから、会合革命は起こる。
学会の新しい前進も、そこから始まるのだ。
・哲学を学べ体験を語れ
座談会には人生勝利の哲学がある。他者の人生に学ぶ触発がある。最も民衆に根ざした人間学の学校だ。勇んで求めてもらいたい。
御聖訓にも「心ざしあらん諸人は一処にあつまりて御聴聞あるべし」(御書951ページ)と仰せではないか。
皆で体験を語り合い、教学を学び合う。
これが一番正しい仏道修行の実践である。
座談会では「声を惜しまず」語ろう。
青年の声ほど、偉大な力はない。
青年が話せば、周りを元気にすることができる。声を出せば、自分も元気になる。皆に希望と勇気と活力を贈る集いを、一回一回、青年の力で勝ち取っていただきたい。
2012年5月14日月曜日
2012.05.14 わが友に贈る
地区こそ
安心と成長の故郷。
希望の未来を開く
歓喜の大前進を!
友好の大拡大を!
三世諸仏総勘文教相廃立 P564
『心の不思議を以て経論の詮要と為すなり、此の心を悟り知るを名けて如来と云う』
◇今週のことば
対話はドラマを生む。
励ましは勇気を広げる。
「声仏事を為す」
創価家族の座談会から
広布の波動を起こせ!
2012年05月14日
◇希望の明日へ
人生というのは、いろいろなことがある。大水が押し寄せる高い波の時もある。低い波の時もある。また、なぎの時もある。苦悩の大火に焼かれる思いの時もあろう。大事なことは、たとえ、どういう時でも、"自分はこれだけやりきった"と納得できる生き方、悔いのない生き方を貫くことである。その人こそ、賢人である。勝者であり、幸福者であろう。人がどう言おうと、また、どう見ようと、それはそれである。あくまでも、自分の信念を貫くことである。
平5・11・30
安心と成長の故郷。
希望の未来を開く
歓喜の大前進を!
友好の大拡大を!
三世諸仏総勘文教相廃立 P564
『心の不思議を以て経論の詮要と為すなり、此の心を悟り知るを名けて如来と云う』
◇今週のことば
対話はドラマを生む。
励ましは勇気を広げる。
「声仏事を為す」
創価家族の座談会から
広布の波動を起こせ!
2012年05月14日
◇希望の明日へ
人生というのは、いろいろなことがある。大水が押し寄せる高い波の時もある。低い波の時もある。また、なぎの時もある。苦悩の大火に焼かれる思いの時もあろう。大事なことは、たとえ、どういう時でも、"自分はこれだけやりきった"と納得できる生き方、悔いのない生き方を貫くことである。その人こそ、賢人である。勝者であり、幸福者であろう。人がどう言おうと、また、どう見ようと、それはそれである。あくまでも、自分の信念を貫くことである。
平5・11・30
2012年5月13日日曜日
2012.05.13 わが友に贈る
新入会の同志を
一人も もれなく幸福に!
広宣の道を肩組み進む
温かな心と心の共鳴が
福徳の世界を開く!
御義口伝下 P762
『悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり、功徳とは即身成仏なり又六根清浄なり』
◇希望の明日へ
何があろうと"道を貫く""退転しない"これが人間としての勝利者の証である。正義の闘争に、悪意の中傷があるのは、当たり前である。何か言われると、すぐふらつく。何か書かれると、すぐ動揺する。それでは人間として、あまりに情けない。どこまでも、正義を叫び切っていく。真実を語りに語り抜いていく。ここに創価学会の折伏精神もある。広宣流布は、永遠不退の闘争であり、信念の言論戦なのである。
平5・4・20
☆名誉会長と共に 今日も広布へ No.013「対話で世界を結べ」
平和な世界を築くために、いかに対話が大切か。
戸田先生の力強い声が、わが胸に響いている。
「大聖人の御生涯の戦いは、折伏という対話に徹して生命を触発し、人間の覚醒を促す『精神の闘争』『思想の闘争』であられたではないか」
今、その偉大なる闘争を継ぐのが創価学会である。牧口先生は、真実の大聖人の御精神を叫び、実践し抜いていかれた。民衆の中に人つて、座談会を開き、一人一人の苦悩の解決に全力を注がれた。
それが学会の誇り高き栄光の歴史なのである。
文化や民族や宗教の違いを超えて、私は庶民と会い、世界の指導者と語り、共感と信頼の橋を懸けていった。
「文明を結ぶ」
「世界を結ぶ」
この壮大なる人間主義の連帯を広げゆくことが、戸田先生の願いであったからだ。
法華経寿量品に「未曾暫廃(未だ曾<かつ>て暫くも廃せず)」とある。この地上から悲惨の二字をなくすまで、仏の行動は瞬時も弛むことがない。
さあ、きょうも、我らは宝の友情を大きく広げよう!
新しい友と語る。そこには新鮮な喜びがある。対話は貴重な自身の財産となる。
人から学ぼう。その心があるかぎり、無限に自分を豊かにしていける。どこまでいっても、行き詰まりがない。
一生、探求である、
一生、勉強である。
フロンティア・スピリット(開拓者魂)を燃やし、思い切って新天地へ飛び込み、心弾む出会いを重ねたい。
対話で味方をつくるのだ。
対話で哲学を深めるのだ。
対話で歴史を開くのだ。
一人も もれなく幸福に!
広宣の道を肩組み進む
温かな心と心の共鳴が
福徳の世界を開く!
御義口伝下 P762
『悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり、功徳とは即身成仏なり又六根清浄なり』
◇希望の明日へ
何があろうと"道を貫く""退転しない"これが人間としての勝利者の証である。正義の闘争に、悪意の中傷があるのは、当たり前である。何か言われると、すぐふらつく。何か書かれると、すぐ動揺する。それでは人間として、あまりに情けない。どこまでも、正義を叫び切っていく。真実を語りに語り抜いていく。ここに創価学会の折伏精神もある。広宣流布は、永遠不退の闘争であり、信念の言論戦なのである。
平5・4・20
☆名誉会長と共に 今日も広布へ No.013「対話で世界を結べ」
平和な世界を築くために、いかに対話が大切か。
戸田先生の力強い声が、わが胸に響いている。
「大聖人の御生涯の戦いは、折伏という対話に徹して生命を触発し、人間の覚醒を促す『精神の闘争』『思想の闘争』であられたではないか」
今、その偉大なる闘争を継ぐのが創価学会である。牧口先生は、真実の大聖人の御精神を叫び、実践し抜いていかれた。民衆の中に人つて、座談会を開き、一人一人の苦悩の解決に全力を注がれた。
それが学会の誇り高き栄光の歴史なのである。
文化や民族や宗教の違いを超えて、私は庶民と会い、世界の指導者と語り、共感と信頼の橋を懸けていった。
「文明を結ぶ」
「世界を結ぶ」
この壮大なる人間主義の連帯を広げゆくことが、戸田先生の願いであったからだ。
法華経寿量品に「未曾暫廃(未だ曾<かつ>て暫くも廃せず)」とある。この地上から悲惨の二字をなくすまで、仏の行動は瞬時も弛むことがない。
さあ、きょうも、我らは宝の友情を大きく広げよう!
新しい友と語る。そこには新鮮な喜びがある。対話は貴重な自身の財産となる。
人から学ぼう。その心があるかぎり、無限に自分を豊かにしていける。どこまでいっても、行き詰まりがない。
一生、探求である、
一生、勉強である。
フロンティア・スピリット(開拓者魂)を燃やし、思い切って新天地へ飛び込み、心弾む出会いを重ねたい。
対話で味方をつくるのだ。
対話で哲学を深めるのだ。
対話で歴史を開くのだ。
2012年5月12日土曜日
2012.05.12 わが友に贈る
広布を陰で支える
役員の皆様に感謝を!
「当たり前」と思っては
信心の世界ではない。
真心には真心で応えよ!
佐渡御書 P961
『日蓮御房は師匠にておはせども余にこはし我等はやはらかに法華経を弘むべしと云んは螢火が日月をわらひ蟻塚が華山を下し井江が河海をあなづり烏鵲が鸞鳳をわらふなるべしわらふなるべし』
◇希望の明日へ
信念のためなら、死をも恐れない。それが本当の"革命児"である。人間として"偉い人"である。人間としての偉大さ−。それは、わが信念に忠実であったかどうかで決まる。信念を貫き通した人は偉い。どんなに理屈をつけようとも、信念を捨て、誓いをともにした同志を裏切ったならば、人間として最低の所業であろう。地位が人間をつくるのではない。財力が、権威が人間を高めるのではない。反対である。人間がどうかである。偉大な人間はいっさいを偉大に高める。卑しき人間はいっさいを卑しく、無価値にする。
平4・8・31
☆「Japan Times」紙特別寄稿 2015年へ「核兵器禁止条約」の推進を
イランの核開発問題や、北朝鮮による長距離ロケットの発射など、中東や北東アジアで地域的な緊張が高まる中、2015年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議に向けた準備委員会が、4月30日からウィーンで開かれる。<5月11日まで>
NPT発効から40年以上の歳月を経てもなお、やむことのない核兵器の拡散──。こうした現実を見るにつけ、NPT前文で謳われた「貯蔵されたすべての核兵器を廃棄し、並びに諸国の軍備から核兵器及びその運搬手段を除去する」とのビジョンに立ち返る以外、根本的には解決の道は開けないと思われる。
核兵器が存在する限り、他国を強大な軍事力で威嚇しようとする衝動が生き続け、それが多くの国々に不安や恐怖をもたらす。そして、その不安や恐怖が呼び水になって、新たな核拡散の脅威が広がり、世界をどれだけ不安定にさせてきたか計り知れない。こうした負のスパイラル(連鎖)は、核兵器に安全保障を依存する思考から全ての国が脱却しない限り、完全に断ち切ることはできないものなのだ。
かつてハンス・ブリクス氏らのWMD委員会は、「ある国々の手にある核兵器は脅威ではないが、他の国々の手にある核兵器は世界を破滅の危機に陥れる、というような考え方を認めない」との見解を示した。全く同感であり、核兵器というダモクレスの剣はどの国が保有しようと、人類の生存権を脅かす"絶対悪"であることには変わりなく、一律に禁止することが焦眉の課題といえよう。
国際社会がその課題に踏み出す上で、2010年のNPT再検討会議の最終文書は重要な礎となるものである。そこでは、「核兵器のいかなる使用も壊滅的な人道的結果をもたらすことに深い懸念を表明し、すべての加盟国がいかなる時も、国際人道法を含め、適用可能な国際法を遵守する必要性を再確認する」との一文が盛り込まれ、国際法の遵守において一切の例外を認めない旨が明記された。
今こそ、この合意を突破口に、「核兵器の非合法化」を明確な条約の形に昇華させるための挑戦を本格的に開始しなければならない。ウィーンの準備委員会では、2010年の最終文書を踏まえ「核兵器に対する国際法の適用」を議題の一つに乗せ、核兵器を包括的に禁止する「核兵器禁止条約」(NWC)を視野に入れた討議に着手すべきであると、強く訴えたい。
NWCの制定を求める声は、今や、162力国が加盟する「列国議会同盟」や、5,200以上の都市が加盟する「平和市長会議」をはじめ、各国の首相・大統領経験者による「インターアクション・カウンシル(OBサミット)」からも表明されるまでになってきた。また、マレーシアなどを中心にNWCの制定を求める決議が1996年以降、国連総会に毎年提出される中、昨年には130力国が賛成するまで支持が広がっている。
NWCの実現に向けて、カスケード(雪崩的な拡大)現象を巻き起こすためには、もうひと押しの努力が必要だ。私はそのために、従来の国際人道法の精神に加えて、「人権」と「持続可能性」を、グローバルな民衆の意思を結集するための旗印に掲げ、青年たちを先頭に「核兵器のない世界」を求める声を力強く糾合することを呼びかけたい。「人権」と「持続可能性」の観点に立てば、核兵器に基づく安全保障政策が維持されることで、同じ地球で暮らす多くの人々や将来世代にもたらされる被害と負荷の問題が浮き彫りになり、関心を高めることができると考えるからだ。
NWCの交渉開始という難関を突破する一つの方途として提案したいのは、基本条約と議定書をセットにする形で核兵器の禁止と廃絶を追求するアプローチである。つまり「『核兵器のない世界』の建設は人類
協働の事業であり、国際人道法と人権と持続可能性の精神に照らして、その建設に逆行する行為や、理念を損なう行為をしない」との合意を基本条約の柱とするものだ。その眼目は、全ての国が安心と安全を確保できるような"人類共同の事業"としての枠組みを打ち立てることにある。
そうした"脅威から安心への構造転換"を基本設計とする条約が成立すれば、次の段階となる議定書の発効が多少遅れたとしても、現在のような先行き不透明で脅威が野放図に拡散していく世界ではなく、明確な全体像に基づいた国際法によるモラトリアム(自発的停止)の状態が形成されていくのではないか。そのための準備を早急に開始することが必要であり、有志国とNGOが中心となって「核兵器禁止条約のための行動グループ」(仮称)を発足させることを呼びかけたい。
かねてより私は、原爆投下から70年にあたる2015年に、各国の首脳や市民社会の代表が参加して、核時代に終止符を打つ意義を込めた「核廃絶サミット」を広島と長崎で行うことを提案してきた。また、その一つの方式として、NPT再検討会議の広島・長崎での開催も呼びかけてきた。
被爆地での開催を念願してきたのは、会議の参加者が訪問を通じて「核兵器のない世界」への誓いを新たにすることが、核問題解決の取り組みを"不可逆で揺るぎないもの"にしていくと信じるからだ。その会議で、NWCの基本条約の調印か、最終草案の発表が行えるよう努力していくべきだ。
SGIとしても、平和市長会議やlCANをはじめ、志を共にする諸団体と連帯し、そのための国際的な機運を高めていく所存である。
「核兵器による悲劇は二度と繰り返されてはならない」「人類と核兵器は共存できない」──それこそが、広島と長崎への原爆投下から得た教訓だったはずだ。その教訓を明確に核兵器を禁止する条約の形に結実させるために、日本が、ウィーンでの準備委員会において建設的な議論をリードし、2015年のNPT再検討会議に向けて「核兵器のない世界」への潮流を形づくる役割を発揮することを切に願うものである。
役員の皆様に感謝を!
「当たり前」と思っては
信心の世界ではない。
真心には真心で応えよ!
佐渡御書 P961
『日蓮御房は師匠にておはせども余にこはし我等はやはらかに法華経を弘むべしと云んは螢火が日月をわらひ蟻塚が華山を下し井江が河海をあなづり烏鵲が鸞鳳をわらふなるべしわらふなるべし』
◇希望の明日へ
信念のためなら、死をも恐れない。それが本当の"革命児"である。人間として"偉い人"である。人間としての偉大さ−。それは、わが信念に忠実であったかどうかで決まる。信念を貫き通した人は偉い。どんなに理屈をつけようとも、信念を捨て、誓いをともにした同志を裏切ったならば、人間として最低の所業であろう。地位が人間をつくるのではない。財力が、権威が人間を高めるのではない。反対である。人間がどうかである。偉大な人間はいっさいを偉大に高める。卑しき人間はいっさいを卑しく、無価値にする。
平4・8・31
☆「Japan Times」紙特別寄稿 2015年へ「核兵器禁止条約」の推進を
イランの核開発問題や、北朝鮮による長距離ロケットの発射など、中東や北東アジアで地域的な緊張が高まる中、2015年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議に向けた準備委員会が、4月30日からウィーンで開かれる。<5月11日まで>
NPT発効から40年以上の歳月を経てもなお、やむことのない核兵器の拡散──。こうした現実を見るにつけ、NPT前文で謳われた「貯蔵されたすべての核兵器を廃棄し、並びに諸国の軍備から核兵器及びその運搬手段を除去する」とのビジョンに立ち返る以外、根本的には解決の道は開けないと思われる。
核兵器が存在する限り、他国を強大な軍事力で威嚇しようとする衝動が生き続け、それが多くの国々に不安や恐怖をもたらす。そして、その不安や恐怖が呼び水になって、新たな核拡散の脅威が広がり、世界をどれだけ不安定にさせてきたか計り知れない。こうした負のスパイラル(連鎖)は、核兵器に安全保障を依存する思考から全ての国が脱却しない限り、完全に断ち切ることはできないものなのだ。
かつてハンス・ブリクス氏らのWMD委員会は、「ある国々の手にある核兵器は脅威ではないが、他の国々の手にある核兵器は世界を破滅の危機に陥れる、というような考え方を認めない」との見解を示した。全く同感であり、核兵器というダモクレスの剣はどの国が保有しようと、人類の生存権を脅かす"絶対悪"であることには変わりなく、一律に禁止することが焦眉の課題といえよう。
国際社会がその課題に踏み出す上で、2010年のNPT再検討会議の最終文書は重要な礎となるものである。そこでは、「核兵器のいかなる使用も壊滅的な人道的結果をもたらすことに深い懸念を表明し、すべての加盟国がいかなる時も、国際人道法を含め、適用可能な国際法を遵守する必要性を再確認する」との一文が盛り込まれ、国際法の遵守において一切の例外を認めない旨が明記された。
今こそ、この合意を突破口に、「核兵器の非合法化」を明確な条約の形に昇華させるための挑戦を本格的に開始しなければならない。ウィーンの準備委員会では、2010年の最終文書を踏まえ「核兵器に対する国際法の適用」を議題の一つに乗せ、核兵器を包括的に禁止する「核兵器禁止条約」(NWC)を視野に入れた討議に着手すべきであると、強く訴えたい。
NWCの制定を求める声は、今や、162力国が加盟する「列国議会同盟」や、5,200以上の都市が加盟する「平和市長会議」をはじめ、各国の首相・大統領経験者による「インターアクション・カウンシル(OBサミット)」からも表明されるまでになってきた。また、マレーシアなどを中心にNWCの制定を求める決議が1996年以降、国連総会に毎年提出される中、昨年には130力国が賛成するまで支持が広がっている。
NWCの実現に向けて、カスケード(雪崩的な拡大)現象を巻き起こすためには、もうひと押しの努力が必要だ。私はそのために、従来の国際人道法の精神に加えて、「人権」と「持続可能性」を、グローバルな民衆の意思を結集するための旗印に掲げ、青年たちを先頭に「核兵器のない世界」を求める声を力強く糾合することを呼びかけたい。「人権」と「持続可能性」の観点に立てば、核兵器に基づく安全保障政策が維持されることで、同じ地球で暮らす多くの人々や将来世代にもたらされる被害と負荷の問題が浮き彫りになり、関心を高めることができると考えるからだ。
NWCの交渉開始という難関を突破する一つの方途として提案したいのは、基本条約と議定書をセットにする形で核兵器の禁止と廃絶を追求するアプローチである。つまり「『核兵器のない世界』の建設は人類
協働の事業であり、国際人道法と人権と持続可能性の精神に照らして、その建設に逆行する行為や、理念を損なう行為をしない」との合意を基本条約の柱とするものだ。その眼目は、全ての国が安心と安全を確保できるような"人類共同の事業"としての枠組みを打ち立てることにある。
そうした"脅威から安心への構造転換"を基本設計とする条約が成立すれば、次の段階となる議定書の発効が多少遅れたとしても、現在のような先行き不透明で脅威が野放図に拡散していく世界ではなく、明確な全体像に基づいた国際法によるモラトリアム(自発的停止)の状態が形成されていくのではないか。そのための準備を早急に開始することが必要であり、有志国とNGOが中心となって「核兵器禁止条約のための行動グループ」(仮称)を発足させることを呼びかけたい。
かねてより私は、原爆投下から70年にあたる2015年に、各国の首脳や市民社会の代表が参加して、核時代に終止符を打つ意義を込めた「核廃絶サミット」を広島と長崎で行うことを提案してきた。また、その一つの方式として、NPT再検討会議の広島・長崎での開催も呼びかけてきた。
被爆地での開催を念願してきたのは、会議の参加者が訪問を通じて「核兵器のない世界」への誓いを新たにすることが、核問題解決の取り組みを"不可逆で揺るぎないもの"にしていくと信じるからだ。その会議で、NWCの基本条約の調印か、最終草案の発表が行えるよう努力していくべきだ。
SGIとしても、平和市長会議やlCANをはじめ、志を共にする諸団体と連帯し、そのための国際的な機運を高めていく所存である。
「核兵器による悲劇は二度と繰り返されてはならない」「人類と核兵器は共存できない」──それこそが、広島と長崎への原爆投下から得た教訓だったはずだ。その教訓を明確に核兵器を禁止する条約の形に結実させるために、日本が、ウィーンでの準備委員会において建設的な議論をリードし、2015年のNPT再検討会議に向けて「核兵器のない世界」への潮流を形づくる役割を発揮することを切に願うものである。
2012.05.11 わが友に贈る
学会の会館は
安心と信頼の拠点。
駐輪・駐車のマナー守り
館外での私語は慎もう。 近隣に最大の配慮を!
日厳尼御前御返事 P1262
『叶ひ叶はぬは御信心により候べし全く日蓮がとがにあらず』
◇希望の明日へ
"真実"を語る人が、真実の人間である。本当のこと、正しいことを語る勇気の言論こそが、人間の証であり、平和の武器といえる。その意味で、平和のため、未来のために、信念を貫いてこそ人生の達人であり、その人は文化の達人、平和の達人でもある。
平4・7・29
☆我らの勝利の大道No.73 誓願の五月三日
「五・三」を祝賀する本部幹部会では、アメリカ創価大学出身のハワイの女子部のリーダーが、清新な決意を立派に述べてくれた。
私が、アメリカ初訪問の計画を発表したのは、会長に就任した翌月の本部幹部会であった。
『大願とは法華弘通なり』(P736)、『誓願と云うは題目弘通の誓願なり』(P846)との仰せのままに、世界広宣流布の大誓願に向かって行動を開始したのである。
早くも七月には、海外に在住するメンバーと連携をとるための「海外係」が発足。そして十月、ハワイに海外指導の第一歩を印したのである。以来、五十四力国・地域を訪れた。
「誓願」は即「行動」である。「誓願」は即「真剣勝負」なのである。
御聖訓には『物だね(種)と申すもの一なれども植えぬれば多くとなり』(P971)と示されている。
いずこにおいても、開拓の歴史は、一握りの友から始まった。自分が花を咲かせるのではなく、妙法の種を蒔き続けていく決心のリーダーだちから広がった。
そして今、創価の平和主義・文化主義・教育主義、さらに人間主義の運動は、百九十二力国・地域で美しい大輪の花を咲かせている。
地域広布も、世界広布も、その大河となりゆく流れは、誓いの一念を定めた「一人」のたゆまぬ挑戦と前進から始まるのだ。
この夏、ロンドン・オリンピックが開催される英国でも、地涌の同志は、希望に輝く「良き市民」として、社会に貢献を続けている。
我らのタプロー・コート総合文化センターは、英国五輪協会創設者のデズボロー卿ゆかりの建物である。
本年は、英国の作家ディケンズの生誕二百周年にもあたる。戸田先生の元に集った女子部の人材グループ「華陽会」で学んだ小説『二都物語』の作者である。
ディケンズは少年時代、靴墨工場で朝から晩まで働いた。その苦労を魂の滋養にして、やがて虐げられた人びとに寄り添う名作を残していったのである。
彼は自伝的作品の主人公にこう語らせている。
「徹底的で、熱心で、心底一途であることの代わりになるものなんか何もありはしない。全身を拠つべきものに、ほんの片手だけを置くような真似は絶対にしないし、また何であれ、自分の仕事を見くびるような真似は絶対にしない」
一事に徹し抜く情熱なくして大偉業は成し得ない。我らには、その燃える魂がある。希望がある。だから強い。恐れない。
人類史にあって、「一人も残らず幸福に!」という究極の生命の希望が文字に凝結したもの、それが法華経といえようか。大聖人の御書は、その精髄の"希望と勝利の経典"である。
御書発刊から六十周年、この不滅の希望の輝きは、いよいよ人類の未来を赫々と照らし出している。
さあ、元初の五月三日から、大いなる希望に燃えて、正義の師子吼を轟かせゆくのだ。今再び、異体同心の団結で、新たな一歩前進を開始しよう!
『声仏事を為す』(P708)−−私たちの誠実な対話、勇気の行動は、人間の勝利へ、最極の希望を創り広げゆく戦いなのだ。
広宣の
我らの元初は
この日かと
希望の彼方は
勝利の山々
安心と信頼の拠点。
駐輪・駐車のマナー守り
館外での私語は慎もう。 近隣に最大の配慮を!
日厳尼御前御返事 P1262
『叶ひ叶はぬは御信心により候べし全く日蓮がとがにあらず』
◇希望の明日へ
"真実"を語る人が、真実の人間である。本当のこと、正しいことを語る勇気の言論こそが、人間の証であり、平和の武器といえる。その意味で、平和のため、未来のために、信念を貫いてこそ人生の達人であり、その人は文化の達人、平和の達人でもある。
平4・7・29
☆我らの勝利の大道No.73 誓願の五月三日
「五・三」を祝賀する本部幹部会では、アメリカ創価大学出身のハワイの女子部のリーダーが、清新な決意を立派に述べてくれた。
私が、アメリカ初訪問の計画を発表したのは、会長に就任した翌月の本部幹部会であった。
『大願とは法華弘通なり』(P736)、『誓願と云うは題目弘通の誓願なり』(P846)との仰せのままに、世界広宣流布の大誓願に向かって行動を開始したのである。
早くも七月には、海外に在住するメンバーと連携をとるための「海外係」が発足。そして十月、ハワイに海外指導の第一歩を印したのである。以来、五十四力国・地域を訪れた。
「誓願」は即「行動」である。「誓願」は即「真剣勝負」なのである。
御聖訓には『物だね(種)と申すもの一なれども植えぬれば多くとなり』(P971)と示されている。
いずこにおいても、開拓の歴史は、一握りの友から始まった。自分が花を咲かせるのではなく、妙法の種を蒔き続けていく決心のリーダーだちから広がった。
そして今、創価の平和主義・文化主義・教育主義、さらに人間主義の運動は、百九十二力国・地域で美しい大輪の花を咲かせている。
地域広布も、世界広布も、その大河となりゆく流れは、誓いの一念を定めた「一人」のたゆまぬ挑戦と前進から始まるのだ。
この夏、ロンドン・オリンピックが開催される英国でも、地涌の同志は、希望に輝く「良き市民」として、社会に貢献を続けている。
我らのタプロー・コート総合文化センターは、英国五輪協会創設者のデズボロー卿ゆかりの建物である。
本年は、英国の作家ディケンズの生誕二百周年にもあたる。戸田先生の元に集った女子部の人材グループ「華陽会」で学んだ小説『二都物語』の作者である。
ディケンズは少年時代、靴墨工場で朝から晩まで働いた。その苦労を魂の滋養にして、やがて虐げられた人びとに寄り添う名作を残していったのである。
彼は自伝的作品の主人公にこう語らせている。
「徹底的で、熱心で、心底一途であることの代わりになるものなんか何もありはしない。全身を拠つべきものに、ほんの片手だけを置くような真似は絶対にしないし、また何であれ、自分の仕事を見くびるような真似は絶対にしない」
一事に徹し抜く情熱なくして大偉業は成し得ない。我らには、その燃える魂がある。希望がある。だから強い。恐れない。
人類史にあって、「一人も残らず幸福に!」という究極の生命の希望が文字に凝結したもの、それが法華経といえようか。大聖人の御書は、その精髄の"希望と勝利の経典"である。
御書発刊から六十周年、この不滅の希望の輝きは、いよいよ人類の未来を赫々と照らし出している。
さあ、元初の五月三日から、大いなる希望に燃えて、正義の師子吼を轟かせゆくのだ。今再び、異体同心の団結で、新たな一歩前進を開始しよう!
『声仏事を為す』(P708)−−私たちの誠実な対話、勇気の行動は、人間の勝利へ、最極の希望を創り広げゆく戦いなのだ。
広宣の
我らの元初は
この日かと
希望の彼方は
勝利の山々
2012年5月10日木曜日
2012.05.10 わが友に贈る
体調管理を賢明に。
リズム正しく
信心即生活の日々を。
朗々と勤行・唱題し
満々たる生命力で前進!
四条金吾殿御返事 P1151
『だんなと師とをもひあわぬいのりは水の上に火をたくがごとし』
◇希望の明日へ
大切なことは、自らの信念のままに、進むべき道を毅然と進むことだ。"自分は今、どうあるべきか"とつねに自分を見つめ、日々、使命の道に出発していく−−"倫理観の強さ"とは、このことであろう。幹部になったとか、ならなかったとか、厳しく言われたとか、ほめられたとか−−いちいち、そうしたことで心が揺れたり、役職や立場に安住して堕落したり、それでは信心とはいえない。
平4・5・12
☆我らの勝利の大道No.73 誓願の五月三日
朗らかな
微笑み絶やさぬ
母なれば
無量の人に
慕われ光りぬ
「五・三」は「創価学会母の日」でもある。
日本中、そして世界中で奮闘してくださる「太陽の婦人部」の皆様方に、あらためて深厚なる感謝の思いを捧げたい。
昭和三十五年(一九六〇年)の五月三日、第三代会長就任の夜、大田区小林町の小さな小さな自宅に、お祝いに訪ねてきてくれた、草創の関西の母がいる。
お祝いというよりも、「お葬式」との覚悟で、この日を迎えた、わが家の雰囲気に驚かれていた。その母へ、私は、色紙に「不変」と書き贈った。
師弟の誓いだけは何かあっても変えない、と決めたこの母は、常勝の人材城を築き上げてくれた一人である。晩年、若い人材の活躍に喜び語っておられた。
「"何かあれば題目。苦しい時こそ折伏精神で。そして今度も勝ってみせる"と、ヤングの婦人部たちまで自然に口にしています。
草創期に戦ってきた私たち以上に、大きく、たくましく成長している姿が、関西のどこでも見られます」
苦楽を分かち合い、戦い抜いてきた、功労の同志たちのことが、私の胸奥から離れることはない。
『日蓮に共する時は宝処に至る可し』(P734)と「御義口伝」に仰せの通り、我らは共々に、永遠に「常楽我浄」の生命の軌道を愉快に進みゆくのだ。
「五月三日」は、母たちへの感謝を捧げつつ、来る年来る年、賑やかに「地涌の菩薩」のスクラムを広げゆく、創価家族の晴れの祝日なのである。
今月の金環日食を経て、次に日本で見られるのは、二〇三〇年、北海道である。
恩師が逝去された翌年の昭和三十四年(一九五九年)一月十七日、私と同じ心で立ち上がってくれた北海道の同志に深謝しながら、私は忘れ得ぬ夕張の地で日記に記した。
「これらの強き同志あれば−−これからの闘争に、断じて敗れまい」
そして、私は心の奥にある思いを綴り残した。
「この人びとのために−−私は起たねばならぬ。時は……刻一刻と近づいて来た。どうしようもない。時の流れか、要求か、宿命か」
私は、いじらしい庶民の正義の心が脈打つ夕張で、一切の魔を断ち切らんと、今世の新たな大闘争への覚悟を深めていた。
私がよく知る北海道広布の開拓の父は、悪口罵冒の渦巻くなか、胸を張り広大な舞台を走り抜いてきた。
この父が宝としてきた、戸田先生の師子吼がある。
「貧乏人と病人の集まり」という学会への中傷を打ち破る恩師の叫びである。
「結構ではないか! 本当に苦しんでいる人びとを、創価学会以外に、一体、誰が、生命の根底から救うことができるのか!」
齢九十歳となられた、この多宝の父は、今も矍鑠(かくしゃく)と、「信心で勝負する人生が一番、強い」と、友を励まし続けておられる。
北海道で金環日食が観測される二〇三〇年は、創価学会創立百周年の佳節でもある。師弟有縁の三代城・北海道は、百周年の勝利を開く使命深き新天地だ。
ともあれ、日本のみならず世界の大舞台を、自由自在に舞いゆく若鷲こそ、今の未来部の友である。明日、五月五日は「創価学会後継者の日」−−わが生命の宝の子どもだちよ、大いなる希望の大空へ羽ばたけと、祈らずにいられない。
栄光の
世界の地涌の
ともどちが
誓願胸に
なんと晴れやか
リズム正しく
信心即生活の日々を。
朗々と勤行・唱題し
満々たる生命力で前進!
四条金吾殿御返事 P1151
『だんなと師とをもひあわぬいのりは水の上に火をたくがごとし』
◇希望の明日へ
大切なことは、自らの信念のままに、進むべき道を毅然と進むことだ。"自分は今、どうあるべきか"とつねに自分を見つめ、日々、使命の道に出発していく−−"倫理観の強さ"とは、このことであろう。幹部になったとか、ならなかったとか、厳しく言われたとか、ほめられたとか−−いちいち、そうしたことで心が揺れたり、役職や立場に安住して堕落したり、それでは信心とはいえない。
平4・5・12
☆我らの勝利の大道No.73 誓願の五月三日
朗らかな
微笑み絶やさぬ
母なれば
無量の人に
慕われ光りぬ
「五・三」は「創価学会母の日」でもある。
日本中、そして世界中で奮闘してくださる「太陽の婦人部」の皆様方に、あらためて深厚なる感謝の思いを捧げたい。
昭和三十五年(一九六〇年)の五月三日、第三代会長就任の夜、大田区小林町の小さな小さな自宅に、お祝いに訪ねてきてくれた、草創の関西の母がいる。
お祝いというよりも、「お葬式」との覚悟で、この日を迎えた、わが家の雰囲気に驚かれていた。その母へ、私は、色紙に「不変」と書き贈った。
師弟の誓いだけは何かあっても変えない、と決めたこの母は、常勝の人材城を築き上げてくれた一人である。晩年、若い人材の活躍に喜び語っておられた。
「"何かあれば題目。苦しい時こそ折伏精神で。そして今度も勝ってみせる"と、ヤングの婦人部たちまで自然に口にしています。
草創期に戦ってきた私たち以上に、大きく、たくましく成長している姿が、関西のどこでも見られます」
苦楽を分かち合い、戦い抜いてきた、功労の同志たちのことが、私の胸奥から離れることはない。
『日蓮に共する時は宝処に至る可し』(P734)と「御義口伝」に仰せの通り、我らは共々に、永遠に「常楽我浄」の生命の軌道を愉快に進みゆくのだ。
「五月三日」は、母たちへの感謝を捧げつつ、来る年来る年、賑やかに「地涌の菩薩」のスクラムを広げゆく、創価家族の晴れの祝日なのである。
今月の金環日食を経て、次に日本で見られるのは、二〇三〇年、北海道である。
恩師が逝去された翌年の昭和三十四年(一九五九年)一月十七日、私と同じ心で立ち上がってくれた北海道の同志に深謝しながら、私は忘れ得ぬ夕張の地で日記に記した。
「これらの強き同志あれば−−これからの闘争に、断じて敗れまい」
そして、私は心の奥にある思いを綴り残した。
「この人びとのために−−私は起たねばならぬ。時は……刻一刻と近づいて来た。どうしようもない。時の流れか、要求か、宿命か」
私は、いじらしい庶民の正義の心が脈打つ夕張で、一切の魔を断ち切らんと、今世の新たな大闘争への覚悟を深めていた。
私がよく知る北海道広布の開拓の父は、悪口罵冒の渦巻くなか、胸を張り広大な舞台を走り抜いてきた。
この父が宝としてきた、戸田先生の師子吼がある。
「貧乏人と病人の集まり」という学会への中傷を打ち破る恩師の叫びである。
「結構ではないか! 本当に苦しんでいる人びとを、創価学会以外に、一体、誰が、生命の根底から救うことができるのか!」
齢九十歳となられた、この多宝の父は、今も矍鑠(かくしゃく)と、「信心で勝負する人生が一番、強い」と、友を励まし続けておられる。
北海道で金環日食が観測される二〇三〇年は、創価学会創立百周年の佳節でもある。師弟有縁の三代城・北海道は、百周年の勝利を開く使命深き新天地だ。
ともあれ、日本のみならず世界の大舞台を、自由自在に舞いゆく若鷲こそ、今の未来部の友である。明日、五月五日は「創価学会後継者の日」−−わが生命の宝の子どもだちよ、大いなる希望の大空へ羽ばたけと、祈らずにいられない。
栄光の
世界の地涌の
ともどちが
誓願胸に
なんと晴れやか
2012年5月9日水曜日
2012.05.09 わが友に贈る
苦難の挑戦には
強き信心で応戦を!
その繰り返しが
自身を金剛に鍛える!
勇気で勝ち開け!
寂日房御書 P902
『夫れ人身をうくる事はまれなるなり、已にまれなる人身をうけたり又あひがたきは仏法是も又あへり、同じ仏法の中にも法華経の題目にあひたてまつる結句題目の行者となれり、まことにまことに過去十万億の諸仏を供養する者なり』
◇希望の明日へ
信念あるかぎり希望があり、信念強き人は、希望強き人である。"信念の人"こそが"希望の人"であり"幸福の人"である。ゆえに大切なのは、前へ進むことである。戦うことである。動くことである。御書の通りの行動−−その軌道は太陽のごとく、確実に、人生の"希望の春"を花開かせる。
平4・4・17
☆我らの勝利の大道No.73 誓願の五月三日
今月二十一日の朝には、珍しい「金環日食」が各地で見られる。
今回は、東京・神奈川などの首都圏から九州にかけての太平洋側で観測できるという。これほど広い範囲で見られるのは、平安時代以来、実に九百三十二年ぶりと言われている。
太陽、月、そして地球が一直線に並ぶ時に、日食は起こる。地球から見た太陽と月の大きさが、ほぼ等しいために「ゴールドリング」(金環)が見られる。
日本で見られた前回の金環日食は、昭和六十二年(一九八七年)の九月二十三日であった。
この折は、沖縄だけが、金環日食の見える範囲だった。「平和の要塞」である。私たちの沖縄研修道場でも観測できたという。
この時、私は、愛する兵庫の青年平和文化祭などに出席するため、"常勝関西"の地で指揮を執っていた。
日食の当日は、大阪の関西創価学園の「健康祭」に赴き、未来を担う学園生の溌剌たる雄姿を嬉しく見つめた。あれから二十五年、皆、どれほど逞しく成長していることか。地上の金星たる、わが学園生の鮮烈な命の輝きに思いを馳せる時、私の心は躍る。
豊かな詩心の沖縄では、日食を「太陽と月の結婚」とする美しい民話も伝えられる。それは、何とロマンあふれる"天体の結婚式"であろうか。
私には、まるで太陽と月が一体になったような、明るく仲睦まじい沖縄の父母たちの笑顔が目に浮かぶ。
いずこにもまして苦労を乗り越えられてきた沖縄の同志は、苦しむ友の心を、力強い陽光の如く励まし、優しい月光の如く癒やす不思議な力を持っている。
「世界最初の広宣流布のモデル地帯」を目指して、「イチャリバチョーデー」(行き会えば、皆、兄弟)という大海原のように開かれた心で、愛する沖縄家族は、今日も友情と信頼を広げておられる。
私は大好きな「沖縄健児の歌」を聴かぬ日はない。この五月十五日には、返還四十周年を迎える美しき「うるま島」(珊瑚の島)に、永遠の平和と繁栄と和楽あれと、いやまして祈りに祈り抜いている。
広宣の
先駆と模範の
沖縄勢
昭和二十七年(一九五二年)の五月三日、私と妻のささやかな結婚式で、実質の仲人をしていただいた戸田先生は短い祝辞をくださった。
「私の願うことはただ一つ、これからの長い人生を広宣流布のために、二人で力を合わせて戦い切ってもらいたい」
このご指導通りに、ただひたすらに、二人で歩んできた六十星霜である。
結婚六十年を、「ダイヤモンド婚」というそうだ。思えば結婚の時、私は、ダイヤの指輪を買ってあげることができず、「ダイヤだよ」とユーモア交じりに言って、ジルコン(ダイヤモンドのようにつやのある鉱石)の指輪を贈った。
そのジルコンの指輪は、年々、輝きが色槌せてしまい、妻と大笑いしたものだ。
だが、戸田先生の弟子として、ただただ広宣流布のために、一つまた一つと試練を乗り越えるたびに、戦友の絆が、ダイヤモンドの如く堅固の度を増してきたことは確かである。
『日月・両眼・さう(雙)のつばさと調ひ給へ』(P1118)との御聖訓通りに、二人して人生を切り開き、苦難の数だけ強くなった。
「男は力を持て」
「妻はどんな時も笑顔で」
これから、新たな家庭を築きゆく若さ夫婦に、私は恩師からいただいた、この指針を贈りたい。
強き信心で応戦を!
その繰り返しが
自身を金剛に鍛える!
勇気で勝ち開け!
寂日房御書 P902
『夫れ人身をうくる事はまれなるなり、已にまれなる人身をうけたり又あひがたきは仏法是も又あへり、同じ仏法の中にも法華経の題目にあひたてまつる結句題目の行者となれり、まことにまことに過去十万億の諸仏を供養する者なり』
◇希望の明日へ
信念あるかぎり希望があり、信念強き人は、希望強き人である。"信念の人"こそが"希望の人"であり"幸福の人"である。ゆえに大切なのは、前へ進むことである。戦うことである。動くことである。御書の通りの行動−−その軌道は太陽のごとく、確実に、人生の"希望の春"を花開かせる。
平4・4・17
☆我らの勝利の大道No.73 誓願の五月三日
今月二十一日の朝には、珍しい「金環日食」が各地で見られる。
今回は、東京・神奈川などの首都圏から九州にかけての太平洋側で観測できるという。これほど広い範囲で見られるのは、平安時代以来、実に九百三十二年ぶりと言われている。
太陽、月、そして地球が一直線に並ぶ時に、日食は起こる。地球から見た太陽と月の大きさが、ほぼ等しいために「ゴールドリング」(金環)が見られる。
日本で見られた前回の金環日食は、昭和六十二年(一九八七年)の九月二十三日であった。
この折は、沖縄だけが、金環日食の見える範囲だった。「平和の要塞」である。私たちの沖縄研修道場でも観測できたという。
この時、私は、愛する兵庫の青年平和文化祭などに出席するため、"常勝関西"の地で指揮を執っていた。
日食の当日は、大阪の関西創価学園の「健康祭」に赴き、未来を担う学園生の溌剌たる雄姿を嬉しく見つめた。あれから二十五年、皆、どれほど逞しく成長していることか。地上の金星たる、わが学園生の鮮烈な命の輝きに思いを馳せる時、私の心は躍る。
豊かな詩心の沖縄では、日食を「太陽と月の結婚」とする美しい民話も伝えられる。それは、何とロマンあふれる"天体の結婚式"であろうか。
私には、まるで太陽と月が一体になったような、明るく仲睦まじい沖縄の父母たちの笑顔が目に浮かぶ。
いずこにもまして苦労を乗り越えられてきた沖縄の同志は、苦しむ友の心を、力強い陽光の如く励まし、優しい月光の如く癒やす不思議な力を持っている。
「世界最初の広宣流布のモデル地帯」を目指して、「イチャリバチョーデー」(行き会えば、皆、兄弟)という大海原のように開かれた心で、愛する沖縄家族は、今日も友情と信頼を広げておられる。
私は大好きな「沖縄健児の歌」を聴かぬ日はない。この五月十五日には、返還四十周年を迎える美しき「うるま島」(珊瑚の島)に、永遠の平和と繁栄と和楽あれと、いやまして祈りに祈り抜いている。
広宣の
先駆と模範の
沖縄勢
昭和二十七年(一九五二年)の五月三日、私と妻のささやかな結婚式で、実質の仲人をしていただいた戸田先生は短い祝辞をくださった。
「私の願うことはただ一つ、これからの長い人生を広宣流布のために、二人で力を合わせて戦い切ってもらいたい」
このご指導通りに、ただひたすらに、二人で歩んできた六十星霜である。
結婚六十年を、「ダイヤモンド婚」というそうだ。思えば結婚の時、私は、ダイヤの指輪を買ってあげることができず、「ダイヤだよ」とユーモア交じりに言って、ジルコン(ダイヤモンドのようにつやのある鉱石)の指輪を贈った。
そのジルコンの指輪は、年々、輝きが色槌せてしまい、妻と大笑いしたものだ。
だが、戸田先生の弟子として、ただただ広宣流布のために、一つまた一つと試練を乗り越えるたびに、戦友の絆が、ダイヤモンドの如く堅固の度を増してきたことは確かである。
『日月・両眼・さう(雙)のつばさと調ひ給へ』(P1118)との御聖訓通りに、二人して人生を切り開き、苦難の数だけ強くなった。
「男は力を持て」
「妻はどんな時も笑顔で」
これから、新たな家庭を築きゆく若さ夫婦に、私は恩師からいただいた、この指針を贈りたい。
2012年5月8日火曜日
2012.05.08 わが友に贈る
人生は
毎日が新しい出発!
みずみずしい生命で
きょうを勝て!
さあ、これからだ。
一生成仏抄 P0384
『只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり是を磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし、深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり』
◇希望の明日へ
"戦わない人""行動なき人"は、他人の不幸を待ち望む。そうした妬みは、もっとも非生産的な感情である。無限に価値を創り、価値を広げゆく、"創価"と正反対の卑しい心である。まして、意図的な悪口を、見破れないようではしかたがない。これに対して、"信念ある人""行動する人"は、皆の幸福を心から願い、心から喜ぶことができる。自らが悩み、動き、戦うゆえに、人の心がわかる。共感できる。
平3・7・26
☆我らの勝利の大道No.73 誓願の五月三日
弘安二年(一二七九年)の五月、大聖人は仰せになられた。
『総じて日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ、さだにも候はば釈迦・多宝・十方の分身・十羅刹も御守り候べし』(P989)
「大聖人の如く、広宣流布の大願に生き抜く」−−これが、五月三日を貫く我らの誓いである。この蓮祖直結の「信力」「行力」という生命の底力を奮い起こしてきたゆえに、創価の師弟は、全宇宙の仏天をも揺り動かす偉大な「仏力」「法力」を満々と涌現できるのだ。
昭和三十二年(一九五七年)の五月三日。師の会長就任から六年を迎え、七十五万世帯の願業の完遂へ、怒濤の勢いで前進するなか、総会が行われた。
両国の国際スタジアム(後の日大講堂)を埋め尽くした弟子一同に、先生は叫ばれた。
「ただ自分だけが題目を唱えているのでは、時にかなう信心とはいえないのです。時にかなう信心というのは、折伏以外にない」
信心の根本は、どこまでいっても「自行化他」の行動である。
慈悲の心をもって、折伏精神に燃え、友のもとへと足を運び、仏縁を結ぶことが、最も時に適った仏道修行なのである。
尊き同志が、生き生きと広宣流布のため、立正安国のため、東奔西走しゆくなかで、五月三日を祝賀してくださる。この姿こそ、戸田先生が何より喜んでおられるに違いない。
戸田先生の大闘争の総仕上げへ向かう、昭和三十二年の五月三日の集いでは、最前線の「組」中心の活動が再び確認された。今で言えば「地区」「ブロック」に当たるであろう。
広宣流布の伸展においては、地区そしてブロックの勝利こそ、そのすべてであると言ってよい。全リーダーが地区に根差し、ブロックを全力で支え守りゆく布陣で前進してこそ、新しい人材が育ち、新しい活力が漲っていくのだ。
命にも及ぶ法難の佐渡にあって、大聖人は、わが子の病と闘う鎌倉の門下の夫妻に御手紙を送られた。
『当国の大難ゆり候はば・いそぎ・いそぎ鎌倉へ上り見参いたすべし、法華経の功力を思ひやり候へば不老不死・目前にあり』(P1124)
−−この大難を勝ち越えたならば、直ちにあなた方に会いに駆けつけますよ。間近で厳然と見守っていますから、断じて病魔を打ち破りなさいとの、大慈大悲が拝されてならない。
足を運ぶ。会って話す。
共に祈る。一緒に動く。
この御本仏の御心が、「地区」にも「ブロック」にも流れ通っているのだ。
ゆえに、わが地区から、
「大歓喜の題目を!」
「地涌の人材を!」
「勝利の旗を!」−−。
ドイツの哲人ニーチェは「堅固な岩のまわりに、堅固な根を」と叫んだ。
総本部完成の明年へ、日本、いな全世界の地区、ブロックからの大勝利の報告を、私は祈り待っている。
毎日が新しい出発!
みずみずしい生命で
きょうを勝て!
さあ、これからだ。
一生成仏抄 P0384
『只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり是を磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし、深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり』
◇希望の明日へ
"戦わない人""行動なき人"は、他人の不幸を待ち望む。そうした妬みは、もっとも非生産的な感情である。無限に価値を創り、価値を広げゆく、"創価"と正反対の卑しい心である。まして、意図的な悪口を、見破れないようではしかたがない。これに対して、"信念ある人""行動する人"は、皆の幸福を心から願い、心から喜ぶことができる。自らが悩み、動き、戦うゆえに、人の心がわかる。共感できる。
平3・7・26
☆我らの勝利の大道No.73 誓願の五月三日
弘安二年(一二七九年)の五月、大聖人は仰せになられた。
『総じて日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ、さだにも候はば釈迦・多宝・十方の分身・十羅刹も御守り候べし』(P989)
「大聖人の如く、広宣流布の大願に生き抜く」−−これが、五月三日を貫く我らの誓いである。この蓮祖直結の「信力」「行力」という生命の底力を奮い起こしてきたゆえに、創価の師弟は、全宇宙の仏天をも揺り動かす偉大な「仏力」「法力」を満々と涌現できるのだ。
昭和三十二年(一九五七年)の五月三日。師の会長就任から六年を迎え、七十五万世帯の願業の完遂へ、怒濤の勢いで前進するなか、総会が行われた。
両国の国際スタジアム(後の日大講堂)を埋め尽くした弟子一同に、先生は叫ばれた。
「ただ自分だけが題目を唱えているのでは、時にかなう信心とはいえないのです。時にかなう信心というのは、折伏以外にない」
信心の根本は、どこまでいっても「自行化他」の行動である。
慈悲の心をもって、折伏精神に燃え、友のもとへと足を運び、仏縁を結ぶことが、最も時に適った仏道修行なのである。
尊き同志が、生き生きと広宣流布のため、立正安国のため、東奔西走しゆくなかで、五月三日を祝賀してくださる。この姿こそ、戸田先生が何より喜んでおられるに違いない。
戸田先生の大闘争の総仕上げへ向かう、昭和三十二年の五月三日の集いでは、最前線の「組」中心の活動が再び確認された。今で言えば「地区」「ブロック」に当たるであろう。
広宣流布の伸展においては、地区そしてブロックの勝利こそ、そのすべてであると言ってよい。全リーダーが地区に根差し、ブロックを全力で支え守りゆく布陣で前進してこそ、新しい人材が育ち、新しい活力が漲っていくのだ。
命にも及ぶ法難の佐渡にあって、大聖人は、わが子の病と闘う鎌倉の門下の夫妻に御手紙を送られた。
『当国の大難ゆり候はば・いそぎ・いそぎ鎌倉へ上り見参いたすべし、法華経の功力を思ひやり候へば不老不死・目前にあり』(P1124)
−−この大難を勝ち越えたならば、直ちにあなた方に会いに駆けつけますよ。間近で厳然と見守っていますから、断じて病魔を打ち破りなさいとの、大慈大悲が拝されてならない。
足を運ぶ。会って話す。
共に祈る。一緒に動く。
この御本仏の御心が、「地区」にも「ブロック」にも流れ通っているのだ。
ゆえに、わが地区から、
「大歓喜の題目を!」
「地涌の人材を!」
「勝利の旗を!」−−。
ドイツの哲人ニーチェは「堅固な岩のまわりに、堅固な根を」と叫んだ。
総本部完成の明年へ、日本、いな全世界の地区、ブロックからの大勝利の報告を、私は祈り待っている。
2012年5月7日月曜日
2012.05.07 わが友に贈る
新聞休刊日
四条金吾殿女房御返事 P1135
『大将軍よはければしたがうものもかひなし、弓よはければ絃ゆるし風ゆるければ波ちゐさきは自然の道理なり』
◇希望の明日へ
立場等ではない。"信念に生きる"人が"本物の人間"なのである。また、一流の人間は一流の人間を見抜くものだ。
平3・4・25
☆我らの勝利の大道No.73 誓願の五月三日
偉大なる
同志がありて
創価の日
「園林諸の堂閣は
種種の宝もて荘厳し
宝樹は花菓多くして
衆生の遊楽する所なり」
私たちが、朝な夕な読誦している、親しみ深い法華経の自我蜀の一節である。
広宣流布の「園林」であり「堂閣」である創価の会館や研修道場は、この経文の如く、「守る会」の方々をはじめ、同志の深き真心で荘厳されている。
とくに薫風さわやかな五月は、大事な皆様方をお迎えする学会本部の接遇センターや周辺会館の宝樹も、ひときわ鮮やかである。
霧島ツツジやパンジー、藤、牡丹など、色とりどりの花が、誇らしげに笑顔を見せてくれている。
同志が丹精込めて届けてくださった藤の花は、別名を「二季草」という。春と夏とが出あい、行き交う季節を象徴するかのようだ。花言葉は「歓迎」である。
日蓮大聖人は、若き南条時光に仰せになられた。
『友達の一日に十度・二十度来れる人なりとも千里・二千里・来れる人の如く思ふて礼儀いささ(聊)か・をろ(疎)かに思うべからず』(P1527)
友を迎える時も、訪ねる時も、礼儀を重んじ、誠心誠意、交流していくのが、我らの生き方である。
『当起遠迎、当如敬仏(当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし)』
−−この法華経の経文を通し、「御義口伝」では、「最上第一の相伝」(P781)と教えられた。
対話の花を爛漫と咲かせ、「五・三」を祝ってくださる創価家族の皆様を、まさに「仏を敬う」心で讃嘆申し上げたい。
さらに、この五月三日を、日本、また海外の各界の友人の皆様方も、温かく慶祝してくださっている。この場をお借りして、満腔の感謝を捧げたい。本当に有り難い限りである。
私自身も、師匠・戸田城聖先生に、謹んでご報告させていただきたい。
「先生、今年もまた。『五・三』を大勝利で飾ることができました! そして、来年も必ず、大勝利で飾ってまいります」と。
五月三日には、「誓い」があり「実践」がある。
「団結」があり「報恩」がある。「希望」があり「勝利」がある。「出発」があり「前進」がある。
年年歳歳、広宣流布への決意を強め深めゆく日こそ「五・三」なのだ。
さらに、自我偈には−−
「諸天は天鼓を撃って 常に衆(もろもろ)の妓楽を作(な)し」とも説かれる。
この経文さながらに、音楽隊と鼓笛隊の尊き錬磨の友が、各地域の要請に応え、祝賀のバレード等でも大活躍してくれている。黄金の青春の舞に、皆で大喝采を送りたい。
四条金吾殿女房御返事 P1135
『大将軍よはければしたがうものもかひなし、弓よはければ絃ゆるし風ゆるければ波ちゐさきは自然の道理なり』
◇希望の明日へ
立場等ではない。"信念に生きる"人が"本物の人間"なのである。また、一流の人間は一流の人間を見抜くものだ。
平3・4・25
☆我らの勝利の大道No.73 誓願の五月三日
偉大なる
同志がありて
創価の日
「園林諸の堂閣は
種種の宝もて荘厳し
宝樹は花菓多くして
衆生の遊楽する所なり」
私たちが、朝な夕な読誦している、親しみ深い法華経の自我蜀の一節である。
広宣流布の「園林」であり「堂閣」である創価の会館や研修道場は、この経文の如く、「守る会」の方々をはじめ、同志の深き真心で荘厳されている。
とくに薫風さわやかな五月は、大事な皆様方をお迎えする学会本部の接遇センターや周辺会館の宝樹も、ひときわ鮮やかである。
霧島ツツジやパンジー、藤、牡丹など、色とりどりの花が、誇らしげに笑顔を見せてくれている。
同志が丹精込めて届けてくださった藤の花は、別名を「二季草」という。春と夏とが出あい、行き交う季節を象徴するかのようだ。花言葉は「歓迎」である。
日蓮大聖人は、若き南条時光に仰せになられた。
『友達の一日に十度・二十度来れる人なりとも千里・二千里・来れる人の如く思ふて礼儀いささ(聊)か・をろ(疎)かに思うべからず』(P1527)
友を迎える時も、訪ねる時も、礼儀を重んじ、誠心誠意、交流していくのが、我らの生き方である。
『当起遠迎、当如敬仏(当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし)』
−−この法華経の経文を通し、「御義口伝」では、「最上第一の相伝」(P781)と教えられた。
対話の花を爛漫と咲かせ、「五・三」を祝ってくださる創価家族の皆様を、まさに「仏を敬う」心で讃嘆申し上げたい。
さらに、この五月三日を、日本、また海外の各界の友人の皆様方も、温かく慶祝してくださっている。この場をお借りして、満腔の感謝を捧げたい。本当に有り難い限りである。
私自身も、師匠・戸田城聖先生に、謹んでご報告させていただきたい。
「先生、今年もまた。『五・三』を大勝利で飾ることができました! そして、来年も必ず、大勝利で飾ってまいります」と。
五月三日には、「誓い」があり「実践」がある。
「団結」があり「報恩」がある。「希望」があり「勝利」がある。「出発」があり「前進」がある。
年年歳歳、広宣流布への決意を強め深めゆく日こそ「五・三」なのだ。
さらに、自我偈には−−
「諸天は天鼓を撃って 常に衆(もろもろ)の妓楽を作(な)し」とも説かれる。
この経文さながらに、音楽隊と鼓笛隊の尊き錬磨の友が、各地域の要請に応え、祝賀のバレード等でも大活躍してくれている。黄金の青春の舞に、皆で大喝采を送りたい。
2012年5月6日日曜日
2012.05.06 わが友に贈る
わが振る舞いこそ広布!
「あの人に会うと
元気が出る!」
そう称賛される
大誠実の人たれ!
四条金吾御書 P1176
『とがありともせうせうの失をばしらぬやうにてあるべし、又女るひはいかなる失ありとも一向に御けうくんまでもあるべからず』
◇今週のことば
人材は実践の中で育つ。
青年は行学で成長する。
使命深き新入会の友と
一緒に祈り、一緒に動き
「皆が主役」の人材城を!
2012年05月06日
◇希望の明日へ
信念の闘争がなければ、人間としてのみずみずしさを失う。精神的に老い枯れる。悪を見抜き、悪と戦いゆくたくましい魂の応戦こそ、わが精神を永遠に若々しく輝かせゆく秘訣がある。
平3・3・18
☆勝利の人間学第7回 人材を育てたところが勝つ
・まず自らが人材に
「学会は、人材をもって城となすのだ」とは、恩師の師子吼である。
「人」で決まる。本物の「人材」がいれば、そこから勝利は広げられる。
「人がいない」と嘆く必要はない。
まず、自分が人材になればいい。
一人立てば、二人、三人と続く。これが「地涌の義」である。
「わが地域に必ず人材はいる」と決めて祈り、自ら成長していけば、人が見えてくる。人材を見つけ、会って語り、真心から成長を祈り、広宣流布の大舞台で、どんどん育てていこう。人を育てる人が、真の人材である。
・後輩を自分以上に
後輩を大事にするんだ。同志を大切にしていくんだよ。私は青年部の友を、『水魚の思を成して』(P1337)との御聖訓のままに大事にしてきた。皆、学会を担う方々だもの、成長する姿が嬉しくて仕方がなかった。
良いところを誉めて伸ばしていく。注意すべき時は、上手に指導する。威張って叱ってはいけない。真心の励ましが一番強い。
「後輩を自分以上の人材にしていこう!」という祈りと責任感が、学会の伝統だ。
広宣流布のために、この一人を人材に−−その一念は必ず通ずる。
・一緒に動き、一緒に戦う
「一緒に!」−−これが、人材育成の合言葉である。
一緒に祈る。一緒に学ぶ。一緒に語る。一緒に歩く。時には食事をしたり、お茶を飲んだり、そうやって楽しく前進していくことも大切であろう。
日蓮大聖人は『喜とは自他共に喜ぶ事なり』(P761)と仰せだ。友の成長を喜び、讃え合うなかにこそ、最高の歓喜と充実がある。
後輩を育てる心が団結を生む。
さあ、同志と一緒に勝利の一歩を!
(2012.5.2 創価新報掲載)
「あの人に会うと
元気が出る!」
そう称賛される
大誠実の人たれ!
四条金吾御書 P1176
『とがありともせうせうの失をばしらぬやうにてあるべし、又女るひはいかなる失ありとも一向に御けうくんまでもあるべからず』
◇今週のことば
人材は実践の中で育つ。
青年は行学で成長する。
使命深き新入会の友と
一緒に祈り、一緒に動き
「皆が主役」の人材城を!
2012年05月06日
◇希望の明日へ
信念の闘争がなければ、人間としてのみずみずしさを失う。精神的に老い枯れる。悪を見抜き、悪と戦いゆくたくましい魂の応戦こそ、わが精神を永遠に若々しく輝かせゆく秘訣がある。
平3・3・18
☆勝利の人間学第7回 人材を育てたところが勝つ
・まず自らが人材に
「学会は、人材をもって城となすのだ」とは、恩師の師子吼である。
「人」で決まる。本物の「人材」がいれば、そこから勝利は広げられる。
「人がいない」と嘆く必要はない。
まず、自分が人材になればいい。
一人立てば、二人、三人と続く。これが「地涌の義」である。
「わが地域に必ず人材はいる」と決めて祈り、自ら成長していけば、人が見えてくる。人材を見つけ、会って語り、真心から成長を祈り、広宣流布の大舞台で、どんどん育てていこう。人を育てる人が、真の人材である。
・後輩を自分以上に
後輩を大事にするんだ。同志を大切にしていくんだよ。私は青年部の友を、『水魚の思を成して』(P1337)との御聖訓のままに大事にしてきた。皆、学会を担う方々だもの、成長する姿が嬉しくて仕方がなかった。
良いところを誉めて伸ばしていく。注意すべき時は、上手に指導する。威張って叱ってはいけない。真心の励ましが一番強い。
「後輩を自分以上の人材にしていこう!」という祈りと責任感が、学会の伝統だ。
広宣流布のために、この一人を人材に−−その一念は必ず通ずる。
・一緒に動き、一緒に戦う
「一緒に!」−−これが、人材育成の合言葉である。
一緒に祈る。一緒に学ぶ。一緒に語る。一緒に歩く。時には食事をしたり、お茶を飲んだり、そうやって楽しく前進していくことも大切であろう。
日蓮大聖人は『喜とは自他共に喜ぶ事なり』(P761)と仰せだ。友の成長を喜び、讃え合うなかにこそ、最高の歓喜と充実がある。
後輩を育てる心が団結を生む。
さあ、同志と一緒に勝利の一歩を!
(2012.5.2 創価新報掲載)
2012年5月5日土曜日
2012.05.05 わが友に贈る
青春は悩みとの闘争。
苦労した分だけ
人の痛みが分かる。
全員が使命の人材だ。
負けじ魂で進め!
報恩抄 P293
『仏教をならはん者父母師匠国恩をわするべしや、此の大恩をほうぜんには必ず仏法をならひきはめ智者とならで叶うべきか』
◇希望の明日へ
真実は不滅である。ゆえに真実に生きるとき、人もまた不滅となる。信念は永遠である。ゆえに信念に生きるとき、若心は"永遠の青春"を生きる。一方、権威は無常である。ゆえに権威、権力に酔うとき、人は幻の人生を生きることになる。
平2・12・9
☆勝利の人間学第6回 広布前進の大目標団結は勝利の力
・一人立つ真の勇者たれ
団結は力である。勝つために団結するのだ。
どうすれば、皆が団結できるのか。まず、リーダー自らが「一人立つ」ことだ。誰かではない。自分が毅然と立ち上がることである。
戸田先生は、「青年よ、一人立て! 二人は必ず立たん、三人はまた続くであろう」と叫ばれた。これが、勝利の方程式である。
口先で「団結、団結」と言うだけで、心が一つになるわけではない。リーダーが真剣に祈り、同志を心から讃えることだ。
同志を尊敬し、自分は何と素晴らしい友と一緒に戦えるのかと感謝できるようになってこそ、勝利への歓喜の団結が生まれる。
・異体同心で前進
団結といっても、決して、一つの型に窮屈にはめるものではない。
『異体同心なれば万事を成し同体異心なれば諸事叶う事なし』(P1463)
「同体」ではなくして「異体」と仰せのように、一人一人の個性を尊重し合いながら、皆で仲良く助け合い、支え合って、それぞれの持ち味を最大限に生かしていくことだ。
「同心」の「心」とは、「信心」である。
戸田先生は、「この心が強ければ強いほど青年は敗れることはない」と言われた。青年学会は、永遠に「異体同心」で勝ち進もう!
・心を合わせる祈り
心を合わせた祈りから出発だ。私は、どんな戦いも、広宣流布のため、師匠のために断じて勝つと決めて、祈った。共に戦う同志に題目を送り続けた。皆で題目三唱する時も、呼吸を合わせ真剣に臨んだ。
「1+1=2」という "足し算" ではなく、合わせた力が「10」にも「100」にもなる。この希望の "掛け算" が、信心の団結の妙である。信頼と励ましのチームワークから、勢いがグングンと増していくのだ。
組織にはいろんな人がいる。皆、尊い使命の人だ。皆、大切な仏である。自分の感情で決めつけるのではなく、まず御本尊に祈り、大きな心で包容しながら、前進するのだ。
(2012.4.18 創価新報掲載)
苦労した分だけ
人の痛みが分かる。
全員が使命の人材だ。
負けじ魂で進め!
報恩抄 P293
『仏教をならはん者父母師匠国恩をわするべしや、此の大恩をほうぜんには必ず仏法をならひきはめ智者とならで叶うべきか』
◇希望の明日へ
真実は不滅である。ゆえに真実に生きるとき、人もまた不滅となる。信念は永遠である。ゆえに信念に生きるとき、若心は"永遠の青春"を生きる。一方、権威は無常である。ゆえに権威、権力に酔うとき、人は幻の人生を生きることになる。
平2・12・9
☆勝利の人間学第6回 広布前進の大目標団結は勝利の力
・一人立つ真の勇者たれ
団結は力である。勝つために団結するのだ。
どうすれば、皆が団結できるのか。まず、リーダー自らが「一人立つ」ことだ。誰かではない。自分が毅然と立ち上がることである。
戸田先生は、「青年よ、一人立て! 二人は必ず立たん、三人はまた続くであろう」と叫ばれた。これが、勝利の方程式である。
口先で「団結、団結」と言うだけで、心が一つになるわけではない。リーダーが真剣に祈り、同志を心から讃えることだ。
同志を尊敬し、自分は何と素晴らしい友と一緒に戦えるのかと感謝できるようになってこそ、勝利への歓喜の団結が生まれる。
・異体同心で前進
団結といっても、決して、一つの型に窮屈にはめるものではない。
『異体同心なれば万事を成し同体異心なれば諸事叶う事なし』(P1463)
「同体」ではなくして「異体」と仰せのように、一人一人の個性を尊重し合いながら、皆で仲良く助け合い、支え合って、それぞれの持ち味を最大限に生かしていくことだ。
「同心」の「心」とは、「信心」である。
戸田先生は、「この心が強ければ強いほど青年は敗れることはない」と言われた。青年学会は、永遠に「異体同心」で勝ち進もう!
・心を合わせる祈り
心を合わせた祈りから出発だ。私は、どんな戦いも、広宣流布のため、師匠のために断じて勝つと決めて、祈った。共に戦う同志に題目を送り続けた。皆で題目三唱する時も、呼吸を合わせ真剣に臨んだ。
「1+1=2」という "足し算" ではなく、合わせた力が「10」にも「100」にもなる。この希望の "掛け算" が、信心の団結の妙である。信頼と励ましのチームワークから、勢いがグングンと増していくのだ。
組織にはいろんな人がいる。皆、尊い使命の人だ。皆、大切な仏である。自分の感情で決めつけるのではなく、まず御本尊に祈り、大きな心で包容しながら、前進するのだ。
(2012.4.18 創価新報掲載)
2012.05.04 わが友に贈る
宝の子どもたちと
しっかり向き合い
心通わせる努力を!
楽しく有意義な
思い出をつくろう!
聖人御難事 P1190
『日蓮末法に出でずば仏は大妄語の人多宝十方の諸仏は大虚妄の証明なり、仏滅後二千二百三十余年が間一閻浮提の内に仏の御言を助けたる人但日蓮一人なり』
◇希望の明日へ
"確信の人"は強い。心に惑いがない。揺らぎがない。いかなる時も希望を失わず、人生をより良き方向へと開いていくことができる。−−そうした、良い意味で希望に燃えた"楽天主義"の生き方を教え、自分のものとしていけるのが、信心の一次元である。
平2・10・16
☆秋田魁新報特別寄稿「秋田は「東北合衆国」の柱」
秋田は歌のふるさとです。懐かしい「浜辺の歌」や「かなりや」など、多くの名曲を残した成田為三先生も、北秋田市の出身でした。
私も若き日、お邪魔した秋田の友のお宅で、美しく年輪を重ねた笑顔皺のお母様を囲み、一緒に何曲も楽しく童謡を歌ったことを思い出します。歌には、心を結び、喜びを分かち合う力があります。
私は、秋田がアピールする「あんべいいな」という言葉の響きが大好きです。
「あんべいいな」、つまり「案配がいい」とは、「もっともっと」という際限のない欲望を戒める賢き心です。「ほどよい」バランスを取り、共々に「満足しよう」とする美しい心でもありましょう。
それは、人類的な課題である「持続可能な未来」を創り開く上でも、大切なキーワードではないでしょうか。
「食は命」です。食料自給率が全国トップクラスの秋田は、食を支え、命を守ってくださる日本の宝土です。
この農業王国・秋田で、明治から大正にかけ、農民の連帯を築いて社会を再生させ。「農聖」と呼ばれたのが、石川理紀之助翁です。冷害による借金に苦しむ村々に飛び込み、率先垂範で立て直して、負債も完済されました。
出来上がった農作物の種子を交換する「種苗交換会」も創設しています。農業の成果を分かち合う、この画期的な取り組みは、戦時下でも続けられ、今秋、実に135回目を数えると伺いました。
私が対談した、インドの持続可能な「緑の革命」の父・スワミナサン博士は「農民の幸せな笑顔が、その国の幸福を決める」と言われました。
私の創立した創価大学に学んでくれた卒業生たちも、大潟村などで朗らかにたくましく、潮風害や豪雪などの試練と闘い、農業の振興と郷土の発展に尽力しています。
「労苦と使命の中にのみ人生の価値(たから)は生まれる」との大学の指針そのままに奮闘してくれていることが、創立者として何よりの誇りです。
伝統ある文化行事が行われる秋田は、民衆が喜び舞う大地です。秋田市の竿燈まつり、羽後町の西馬音内盆踊り、鹿角市の花輪ばやし、大仙市の花火大会、男鹿市のなまはげ等、日本中、世界中から大勢の観光客を迎えます。
近年、秋田港から対岸国と欧州までを結ぶ、遠大な「環日本海シーアンドレール構想」も提唱されています。
秋田魁新報の気鋭の連載「秋田げんきプロジェクト」では、誇り高く「ここに生きる」とのテーマが掲げられていました。誠心誠意、ペストを尽くして「ここに生きる」秋田の元気が、東北の元気となり、明日の元気と広がることを、皆が願っています。
仏典には「心こそ大切なれ」「心が清ければ国土も清し」と明かされています。
仙北市の桜の名所は、昭和初期に、不況と凶作に苦しむ中、振興策として行われた桧木内川の築堤事業が淵源です。堤の完成後、人々は美しい感謝の心で、一本一本、桜を植樹していったのです。
長年の地元の方々の丹精によって、今や延べ2キロにも及ぶ「桜のトンネル」となり、絶景と讃えられています。
故郷・秋田を愛し、描いた勝平得之画伯は語りました。
「我々の郷土は美しく、我々の自然は楽しい」
「我々の仕事が輝かしいばかりの花を開く時の来るのを信じている」と。
わが秋田の友の「美心」は、いやまして美しく豊かな宝土を光らせ、希望の花を、幸福の花を、そして勝利の花を、未来へ万柔と咲き広げゆくことでしょう。
(秋田魁新報 2012.04.25掲載)
しっかり向き合い
心通わせる努力を!
楽しく有意義な
思い出をつくろう!
聖人御難事 P1190
『日蓮末法に出でずば仏は大妄語の人多宝十方の諸仏は大虚妄の証明なり、仏滅後二千二百三十余年が間一閻浮提の内に仏の御言を助けたる人但日蓮一人なり』
◇希望の明日へ
"確信の人"は強い。心に惑いがない。揺らぎがない。いかなる時も希望を失わず、人生をより良き方向へと開いていくことができる。−−そうした、良い意味で希望に燃えた"楽天主義"の生き方を教え、自分のものとしていけるのが、信心の一次元である。
平2・10・16
☆秋田魁新報特別寄稿「秋田は「東北合衆国」の柱」
秋田は歌のふるさとです。懐かしい「浜辺の歌」や「かなりや」など、多くの名曲を残した成田為三先生も、北秋田市の出身でした。
私も若き日、お邪魔した秋田の友のお宅で、美しく年輪を重ねた笑顔皺のお母様を囲み、一緒に何曲も楽しく童謡を歌ったことを思い出します。歌には、心を結び、喜びを分かち合う力があります。
私は、秋田がアピールする「あんべいいな」という言葉の響きが大好きです。
「あんべいいな」、つまり「案配がいい」とは、「もっともっと」という際限のない欲望を戒める賢き心です。「ほどよい」バランスを取り、共々に「満足しよう」とする美しい心でもありましょう。
それは、人類的な課題である「持続可能な未来」を創り開く上でも、大切なキーワードではないでしょうか。
「食は命」です。食料自給率が全国トップクラスの秋田は、食を支え、命を守ってくださる日本の宝土です。
この農業王国・秋田で、明治から大正にかけ、農民の連帯を築いて社会を再生させ。「農聖」と呼ばれたのが、石川理紀之助翁です。冷害による借金に苦しむ村々に飛び込み、率先垂範で立て直して、負債も完済されました。
出来上がった農作物の種子を交換する「種苗交換会」も創設しています。農業の成果を分かち合う、この画期的な取り組みは、戦時下でも続けられ、今秋、実に135回目を数えると伺いました。
私が対談した、インドの持続可能な「緑の革命」の父・スワミナサン博士は「農民の幸せな笑顔が、その国の幸福を決める」と言われました。
私の創立した創価大学に学んでくれた卒業生たちも、大潟村などで朗らかにたくましく、潮風害や豪雪などの試練と闘い、農業の振興と郷土の発展に尽力しています。
「労苦と使命の中にのみ人生の価値(たから)は生まれる」との大学の指針そのままに奮闘してくれていることが、創立者として何よりの誇りです。
伝統ある文化行事が行われる秋田は、民衆が喜び舞う大地です。秋田市の竿燈まつり、羽後町の西馬音内盆踊り、鹿角市の花輪ばやし、大仙市の花火大会、男鹿市のなまはげ等、日本中、世界中から大勢の観光客を迎えます。
近年、秋田港から対岸国と欧州までを結ぶ、遠大な「環日本海シーアンドレール構想」も提唱されています。
秋田魁新報の気鋭の連載「秋田げんきプロジェクト」では、誇り高く「ここに生きる」とのテーマが掲げられていました。誠心誠意、ペストを尽くして「ここに生きる」秋田の元気が、東北の元気となり、明日の元気と広がることを、皆が願っています。
仏典には「心こそ大切なれ」「心が清ければ国土も清し」と明かされています。
仙北市の桜の名所は、昭和初期に、不況と凶作に苦しむ中、振興策として行われた桧木内川の築堤事業が淵源です。堤の完成後、人々は美しい感謝の心で、一本一本、桜を植樹していったのです。
長年の地元の方々の丹精によって、今や延べ2キロにも及ぶ「桜のトンネル」となり、絶景と讃えられています。
故郷・秋田を愛し、描いた勝平得之画伯は語りました。
「我々の郷土は美しく、我々の自然は楽しい」
「我々の仕事が輝かしいばかりの花を開く時の来るのを信じている」と。
わが秋田の友の「美心」は、いやまして美しく豊かな宝土を光らせ、希望の花を、幸福の花を、そして勝利の花を、未来へ万柔と咲き広げゆくことでしょう。
(秋田魁新報 2012.04.25掲載)
2012.05.03 わが友に贈る
大勝利の「創価の日」
本当にありがとう。
さあ大建設の時だ!
広宣流布の大願へ
共に励まし共に前進!
四条金吾殿御返事 P1165
『夫れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり』
◇希望の明日へ
"いざ"という時には、獅子の心でいかなくてはならない。自分を守ることに汲々として、あっちに付いたり、こっちに付いたりするような、信念のない、臆病な人間であってはならない。
平2・2・11
☆秋田魁新報特別寄稿「秋田は「東北合衆国」の柱」
◇不屈の人材が立つ大地 「陰徳あれば陽報あり」
若き日から親交を重ねてきた秋田の旧友たちに、敬愛を込めて贈った箴言です。
秋田の友は、陰で苦労して人に尽くしながら、喝采など求めない。誰が見ていようがいまいが、地道に誠実な行動を貫き通している。この友たちこそ、最も晴れがましい果報に包まれるべきだと、私は信じ、祈ってきました。
東日本大震災に際しても、試練の被災地を秋田の方々がどれほど支えてこられたか。
「秋田の友の励ましがあればこそ」などの感謝の声を、数え切れぬほど伺っています。その人知れぬ尊き献身は今もたゆみなく続いております。
私の知る由利本荘市の壮年は、宮城県の仮設住宅の建設を依頼されました。予定の工事が詰まっており悩んでいると、「今こそ人のために」と背中を押してくれたのは、家族でした。工事関係者も「被災者のためなら」と日程を変更し、協力してくれました。
真心込めて尽力する中で、自身も被災者の方から大きな勇気をもらったといいます。
秋田の方々は、原発事故による風評被害、観光業の冷え込みなど、幾多の苦難に立ち向かいながら、被災3県に寄り添っておられます。チェルノブイリ原発事故で被害にあったベラルーシへの医療支援の経験を生かし、福島への支援にも取り組まれています。
仏典には「人のために明かりを灯せば、自分の前も明るくなる」と説かれます。
秋田の懸命な貢献が、東北の復興はもとより、日本全国そして世界の前途を、必ずや明るく照らしゆくことを、私は強く確信してやみません。
私の師・戸田城聖先生も、秋田をはじめ東北の青年を深く愛していました。師の持論は「東北は一つ」であり、人体に讐えれば、秋田は「肺」であり「腕」である、と。
まさしく「東北合衆国」の柱の存在です。
地理的な観点とともに、常に新鮮な息吹と活力を漲らせ、新時代を切り開いている秋田人の雄々しき魂に光を当てた洞察でした。
日本最大と名高い能代市の「風の松原」についても、その歴史を師と学びました。
江戸時代、季節風が吹き上げる砂の害に困り果てていた民衆の生活を守るため、立ち上がったのが、秋田藩士・栗田定之丞と賀藤景林です。
悪戦苦闘の末に、不毛とされてきた砂浜に植林する方法を確立しました。さらに、その後に続く無数の人々の努力によって、700万本もの見事な松原が築かれたのです。
5年前、"アフリカの環境の母"ワンガリ・マータイさんは、秋田市の下浜海岸で青少年たちと1万本の植樹を行いました。あの快活な笑顔で、「皆で力を合わせれば、どんなに不可能と思われるようなことも、必ず成し遂げることができる」と語っていた信念の言葉が蘇ります。
日本三大美林の「秋田杉」は、なぜ美しいのか。それは、激しい寒暖差と風雪に耐え、じっくりと成長を続けることで、木目が細かく、きれいに揃うからだといいます。環境が厳しいからこそ、曰本一の杉が育つのです。
まさに、どんな吹雪にも胸を張って、粘り強く乗り越えてきた、秋田の偉大な先人たちの姿とも重なります。
教育県の秋田は、全国最優秀の学力・体力を誇ります。若き世代は父母の後ろ姿を見つめながら、まっすぐに堂々と育っています。この不屈の人材の林立こそ、「陰徳」を積む秋田に輝く、希望の「陽報」ではないでしょうか。
本当にありがとう。
さあ大建設の時だ!
広宣流布の大願へ
共に励まし共に前進!
四条金吾殿御返事 P1165
『夫れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり』
◇希望の明日へ
"いざ"という時には、獅子の心でいかなくてはならない。自分を守ることに汲々として、あっちに付いたり、こっちに付いたりするような、信念のない、臆病な人間であってはならない。
平2・2・11
☆秋田魁新報特別寄稿「秋田は「東北合衆国」の柱」
◇不屈の人材が立つ大地 「陰徳あれば陽報あり」
若き日から親交を重ねてきた秋田の旧友たちに、敬愛を込めて贈った箴言です。
秋田の友は、陰で苦労して人に尽くしながら、喝采など求めない。誰が見ていようがいまいが、地道に誠実な行動を貫き通している。この友たちこそ、最も晴れがましい果報に包まれるべきだと、私は信じ、祈ってきました。
東日本大震災に際しても、試練の被災地を秋田の方々がどれほど支えてこられたか。
「秋田の友の励ましがあればこそ」などの感謝の声を、数え切れぬほど伺っています。その人知れぬ尊き献身は今もたゆみなく続いております。
私の知る由利本荘市の壮年は、宮城県の仮設住宅の建設を依頼されました。予定の工事が詰まっており悩んでいると、「今こそ人のために」と背中を押してくれたのは、家族でした。工事関係者も「被災者のためなら」と日程を変更し、協力してくれました。
真心込めて尽力する中で、自身も被災者の方から大きな勇気をもらったといいます。
秋田の方々は、原発事故による風評被害、観光業の冷え込みなど、幾多の苦難に立ち向かいながら、被災3県に寄り添っておられます。チェルノブイリ原発事故で被害にあったベラルーシへの医療支援の経験を生かし、福島への支援にも取り組まれています。
仏典には「人のために明かりを灯せば、自分の前も明るくなる」と説かれます。
秋田の懸命な貢献が、東北の復興はもとより、日本全国そして世界の前途を、必ずや明るく照らしゆくことを、私は強く確信してやみません。
私の師・戸田城聖先生も、秋田をはじめ東北の青年を深く愛していました。師の持論は「東北は一つ」であり、人体に讐えれば、秋田は「肺」であり「腕」である、と。
まさしく「東北合衆国」の柱の存在です。
地理的な観点とともに、常に新鮮な息吹と活力を漲らせ、新時代を切り開いている秋田人の雄々しき魂に光を当てた洞察でした。
日本最大と名高い能代市の「風の松原」についても、その歴史を師と学びました。
江戸時代、季節風が吹き上げる砂の害に困り果てていた民衆の生活を守るため、立ち上がったのが、秋田藩士・栗田定之丞と賀藤景林です。
悪戦苦闘の末に、不毛とされてきた砂浜に植林する方法を確立しました。さらに、その後に続く無数の人々の努力によって、700万本もの見事な松原が築かれたのです。
5年前、"アフリカの環境の母"ワンガリ・マータイさんは、秋田市の下浜海岸で青少年たちと1万本の植樹を行いました。あの快活な笑顔で、「皆で力を合わせれば、どんなに不可能と思われるようなことも、必ず成し遂げることができる」と語っていた信念の言葉が蘇ります。
日本三大美林の「秋田杉」は、なぜ美しいのか。それは、激しい寒暖差と風雪に耐え、じっくりと成長を続けることで、木目が細かく、きれいに揃うからだといいます。環境が厳しいからこそ、曰本一の杉が育つのです。
まさに、どんな吹雪にも胸を張って、粘り強く乗り越えてきた、秋田の偉大な先人たちの姿とも重なります。
教育県の秋田は、全国最優秀の学力・体力を誇ります。若き世代は父母の後ろ姿を見つめながら、まっすぐに堂々と育っています。この不屈の人材の林立こそ、「陰徳」を積む秋田に輝く、希望の「陽報」ではないでしょうか。
2012年5月2日水曜日
2012.05.02 わが友に贈る
友の幸福を祈り
語りに語れ!
一対一の対話こそ
心と心を結ぶ
平和の原動力だ!
佐渡御書 P957
『外道悪人は如来の正法を破りがたし仏弟子等必ず仏法を破るべし師子身中の虫の師子を食等云云』
◇希望の明日へ
プライバシーという次元ではあるが、自分がひとたび誓った約束、誓いというものは、最後まで貫くべきものである。時には、守秘によって自分が不利益を受けることもある。秘密を口外されないのをいいことに、秘密を守ってくれている人を裏切り、逆にその人を攻撃し、陥れようとする場合すらある。私も、こうした裏切りや堕落の姿を、幾度となく見てきた。しかし、守るべき個人の尊厳や秘密は、厳として守り通してきた。それが仏法者としての生き方であり、信念である。
平1・9・6
☆山陰中央新報特別寄稿「幸せは地域に 希望は山陰に」
♪みどり豊かな
島根の旅路
うたも明るい安来節
私の人生の師・戸田城聖先生は、安来節が大好きでした。
戦時中は軍国主義と戦っで投獄され、終生、庶民の輪に飛び込み、けなげに奮闘する友へ勇気と希望を贈った師です。
郷土と隠脛への誇りを歌い、生きる喜びを楽しく舞う安来節は、恩師の人生哲学と深く共鳴していました。
幸せは遠くにあるのではない。身近な地域に根を張り、「強く」「仲良く」「朗らかに」生き抜く中にある。そうした幸福の実像を、私は敬愛する山陰の友に見いだすのです。
仏典には、「さいわいは心よりいでて我をかざる」と説かれています。
山陰を世界に誇る故郷と愛した小泉八雲も、日本人の幸福の源は「心の美徳」にありと、洞察しました。それは、常に失わないほほ笑みや思いやり、辛抱強さ、不屈の努力など、山陰の心そのものです。
私の懐かしい松江の友は、災害の時には不眠不休で救援に奔走しました。常にわが身を顧みず「どげしちょうや?」と仲間を案じ、「さあ、やらこいな!」。と励ましていました。
妻が知る島根県吉賀町のある母も、がんなど三つの大病を克服した体験を生かし、在宅介護のへルパーとして活躍されています。社会福祉協議会が運営する「ふれあいサロン」の中心者としても、地域に笑顔を広げる日々です。
「大好きな、大好きなこの天地で、人々のために尽くすことが、私の使命です」と。
'今、「国民総幸福量(GNH)」が注目されています。浜田市と石州和紙の技術交流を結ぶブータン王国が提唱した指標です。その根底には、「幸福な社会は皆で一緒に築くもの」との信念があります。
山陰は、高齢化や人口減少などの難問に粘り強く挑んできました。だからこそ、互いに力を合わせて、明るく充実した人生を生き抜く知恵が光っています。
ボランティア参加の活動者率では、鳥取と島根が日本最上位です。百歳以上の長寿者の数は、島根が全国一です。「日本一の田舎づくり計画」(島根)、「支え愛」体制づくり(鳥取)などの施策も注目されます。
山陰の豊かな共生の心こそ、次代へ受け継ぎたい日本の宝です。
島根県津和野町出身の文豪・森鴎外は叫びました。「命ある限り、失ってはならないもの、それは希望である」と。
高名な経済学者が、山陰の小中学生の瞳の輝きに感嘆されていました。私も同じ思いを抱いてきました。この清清しい若き命に、未来の希望はあります。
人の幸福感は、隣人や友人に、さざ波のように伝わることが、最近の医学の研究でも裏付けられています。
試練の冬にも負けない山陰の友から、希望の花、幸福の花が、一輪また一輪、咲き広がっていくことを、私は確信してやみません。
(2012年4月23日掲載)
語りに語れ!
一対一の対話こそ
心と心を結ぶ
平和の原動力だ!
佐渡御書 P957
『外道悪人は如来の正法を破りがたし仏弟子等必ず仏法を破るべし師子身中の虫の師子を食等云云』
◇希望の明日へ
プライバシーという次元ではあるが、自分がひとたび誓った約束、誓いというものは、最後まで貫くべきものである。時には、守秘によって自分が不利益を受けることもある。秘密を口外されないのをいいことに、秘密を守ってくれている人を裏切り、逆にその人を攻撃し、陥れようとする場合すらある。私も、こうした裏切りや堕落の姿を、幾度となく見てきた。しかし、守るべき個人の尊厳や秘密は、厳として守り通してきた。それが仏法者としての生き方であり、信念である。
平1・9・6
☆山陰中央新報特別寄稿「幸せは地域に 希望は山陰に」
♪みどり豊かな
島根の旅路
うたも明るい安来節
私の人生の師・戸田城聖先生は、安来節が大好きでした。
戦時中は軍国主義と戦っで投獄され、終生、庶民の輪に飛び込み、けなげに奮闘する友へ勇気と希望を贈った師です。
郷土と隠脛への誇りを歌い、生きる喜びを楽しく舞う安来節は、恩師の人生哲学と深く共鳴していました。
幸せは遠くにあるのではない。身近な地域に根を張り、「強く」「仲良く」「朗らかに」生き抜く中にある。そうした幸福の実像を、私は敬愛する山陰の友に見いだすのです。
仏典には、「さいわいは心よりいでて我をかざる」と説かれています。
山陰を世界に誇る故郷と愛した小泉八雲も、日本人の幸福の源は「心の美徳」にありと、洞察しました。それは、常に失わないほほ笑みや思いやり、辛抱強さ、不屈の努力など、山陰の心そのものです。
私の懐かしい松江の友は、災害の時には不眠不休で救援に奔走しました。常にわが身を顧みず「どげしちょうや?」と仲間を案じ、「さあ、やらこいな!」。と励ましていました。
妻が知る島根県吉賀町のある母も、がんなど三つの大病を克服した体験を生かし、在宅介護のへルパーとして活躍されています。社会福祉協議会が運営する「ふれあいサロン」の中心者としても、地域に笑顔を広げる日々です。
「大好きな、大好きなこの天地で、人々のために尽くすことが、私の使命です」と。
'今、「国民総幸福量(GNH)」が注目されています。浜田市と石州和紙の技術交流を結ぶブータン王国が提唱した指標です。その根底には、「幸福な社会は皆で一緒に築くもの」との信念があります。
山陰は、高齢化や人口減少などの難問に粘り強く挑んできました。だからこそ、互いに力を合わせて、明るく充実した人生を生き抜く知恵が光っています。
ボランティア参加の活動者率では、鳥取と島根が日本最上位です。百歳以上の長寿者の数は、島根が全国一です。「日本一の田舎づくり計画」(島根)、「支え愛」体制づくり(鳥取)などの施策も注目されます。
山陰の豊かな共生の心こそ、次代へ受け継ぎたい日本の宝です。
島根県津和野町出身の文豪・森鴎外は叫びました。「命ある限り、失ってはならないもの、それは希望である」と。
高名な経済学者が、山陰の小中学生の瞳の輝きに感嘆されていました。私も同じ思いを抱いてきました。この清清しい若き命に、未来の希望はあります。
人の幸福感は、隣人や友人に、さざ波のように伝わることが、最近の医学の研究でも裏付けられています。
試練の冬にも負けない山陰の友から、希望の花、幸福の花が、一輪また一輪、咲き広がっていくことを、私は確信してやみません。
(2012年4月23日掲載)
2012年5月1日火曜日
2012.05.01 わが友に贈る
誓願の月が到来!
「ちかいし願
やぶるべからず」
広布と人生の勝利へ
勇気で道を切り開け!
兄弟抄 P1088
『設ひいかなるわづらはしき事ありとも夢になして只法華経の事のみさはぐらせ給うべしし』
◇希望の明日へ
信念に生きる人は強い。心に弛みがない。少々の苦難や誘惑など弾き飛ばす勢いがある。信念や志がない人生は、いつしか心の張りや勢いを失ってしまい、安逸に流され、悪の道へと取り込まれてしまう。とくに悪世末法の現代では、そうした人生の落とし穴に陥りやすいものだ。その意味で、信心の大道に生き、広布の大願に立った人生ほど、価値ある幸福な生き方はないのである。
平1・5・16
☆名誉会長と共に 今日も広布へ No.012「皆の力で新時代をつくれ」
時代は目まぐるしく動いている。その変化を見据えていかなければならない。時代を先取りして手を打ち、皆の力で勝利を開くのだ。
今までと同じでは、勝ち抜けない。まず自分がカラを破り、人間革命していこう!
人間革命といっても、特別なことではない。
病気の人が健康になるのは、すごい人間革命だ。
人に親切に声をかける。
笑顔で親孝行していく。
自分だけの幸福でなく、悩む人、苦しむ人に寄り添い、共に幸福の道を歩んでいく。
自分が、よりよく変わっていく軌道が人間革命である。
その原動力は何か。広宣流布の信心である。
祈って誓いを立てて、自分を変え、状況を変え、一つ一つ勝利するのである。
御書には『湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり』(P1132)と仰せである。
不可能をも可能にしていける。これが法華経の兵法だ。
恩師・戸田先生は私たち青年部に語られた。
「私は毅然として、時を稼ぐ。君たちは、今のうちに勉強し、力を養い、次の時代には、敢然と躍り出て、広宣流布の実現をはかってもらいたい」「すべては、君たちに託す以外ないからである」
私も、全く同じ気持ちだ。
人知れず手を打ってきた。辛労を尽くしている。
青年部は、うんと苦労して自分を鍛えてもらいたい。
一番大変なところに飛び込んで、励ましを届け、活力を送り、喜びの花を咲かせていくのだ。皆の心を軽くし、明るくし、勇気と希望を送るのがリーダーの責務である。
「ちかいし願
やぶるべからず」
広布と人生の勝利へ
勇気で道を切り開け!
兄弟抄 P1088
『設ひいかなるわづらはしき事ありとも夢になして只法華経の事のみさはぐらせ給うべしし』
◇希望の明日へ
信念に生きる人は強い。心に弛みがない。少々の苦難や誘惑など弾き飛ばす勢いがある。信念や志がない人生は、いつしか心の張りや勢いを失ってしまい、安逸に流され、悪の道へと取り込まれてしまう。とくに悪世末法の現代では、そうした人生の落とし穴に陥りやすいものだ。その意味で、信心の大道に生き、広布の大願に立った人生ほど、価値ある幸福な生き方はないのである。
平1・5・16
☆名誉会長と共に 今日も広布へ No.012「皆の力で新時代をつくれ」
時代は目まぐるしく動いている。その変化を見据えていかなければならない。時代を先取りして手を打ち、皆の力で勝利を開くのだ。
今までと同じでは、勝ち抜けない。まず自分がカラを破り、人間革命していこう!
人間革命といっても、特別なことではない。
病気の人が健康になるのは、すごい人間革命だ。
人に親切に声をかける。
笑顔で親孝行していく。
自分だけの幸福でなく、悩む人、苦しむ人に寄り添い、共に幸福の道を歩んでいく。
自分が、よりよく変わっていく軌道が人間革命である。
その原動力は何か。広宣流布の信心である。
祈って誓いを立てて、自分を変え、状況を変え、一つ一つ勝利するのである。
御書には『湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり』(P1132)と仰せである。
不可能をも可能にしていける。これが法華経の兵法だ。
恩師・戸田先生は私たち青年部に語られた。
「私は毅然として、時を稼ぐ。君たちは、今のうちに勉強し、力を養い、次の時代には、敢然と躍り出て、広宣流布の実現をはかってもらいたい」「すべては、君たちに託す以外ないからである」
私も、全く同じ気持ちだ。
人知れず手を打ってきた。辛労を尽くしている。
青年部は、うんと苦労して自分を鍛えてもらいたい。
一番大変なところに飛び込んで、励ましを届け、活力を送り、喜びの花を咲かせていくのだ。皆の心を軽くし、明るくし、勇気と希望を送るのがリーダーの責務である。
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