2009年2月21日土曜日

2009.02.21 わが友に贈る

張り切って
人生を生き切れ!
広布正義の道こそ
わが人間革命の
晴れ舞台だ!

御義口伝巻下 P761
信の処に解あり解の処に信あり然りと雖も信を以て成仏を決定するなり

◇四季の語らい
大切なことは、今、生きている私どもが、希望をもち、幸福になっていくことである。その姿が、そのまま、生死不二で、故人の生命に喜びの波動を与えていく。また、故人の成仏の証明になっていく。悲しみに負ければ、故人が悲しむ。「生も仏」「死も仏」である。いつも、故人と一緒である。一体なのである。

◇今日のことば365
私はテレビ文化そのものを、否定しているのでは毛頭ない。ただ、その相対として、活字文化が軽視されるのを悲しむのである。テレビの楽しさを享受しつつも、それに埋没してはいけない。一人一人が主体性をもち、逆にテレビ文化を支配していくとき、初めてテレビ文化を超えたといいうるであろう。"家に本なきは、人に魂なきがごとし"と私は思うのである。

☆新時代第26回本部幹部会でのスピーチ
若き日の戸田先生の日記
「日に日に向上して、心に笑む可きのみ」
「運命も自己自ら開拓せざれば、鍵開きて来る可き筈はあらざるなり」
少し難しい表現であるが──自分が心から納得し、満足できるよう、日々成長していこう。わが運命の扉は、自分自身が切り開かなければ、決して鍵が開くことはない──という意味である。

──私の信仰は天下の正義である。この信仰の「信」「行」「学」を、私は、師匠である牧口先生のおかげで得ることができた。ゆえに私は、若人の情熱を失わないのだ──
当時、数え年で43歳
この言葉の意味も、非常に深い。師弟に生きる人生は、永遠に若い。全員が青年の心で進んでいただきたい。
広宣流布の途上において、何が起きても驚かない、悠然たる先生であられた。その闘争の際にはいつも、師弟一体の私がいた。

ある時、戸田先生は、広宣流布のために、「戸田に、どこまでもついてきなさい」と語られた。
「戸田についてきなさい」──この一言に、深い意味が込められている。

信心をすれば、現実の課題や悩みがなくなるのではない。悩みに負けない生命力が出るのだ。煩悩に振り回されたり、右往左往することがなくなる。賢明に越えていくことができる。それが、生命力が強くなるという意味であり、人間革命である。

試練と戦う関西婦人部の同志に、戸田先生は語られた。
「少しも心配いりません。私が知った以上、大丈夫です。あなたは信心をしっかりやり遂げればいいのです」
この先生の言葉の通り、いかなる戦いも、師と心を合わせ、信心をしっかりやり遂げればいいのである。
大阪の戦いを翌年に控えた昭和30年(1955年)の11月8日。
私は日記に記した。
「青年を、窒息させてゆく社会、機構、制度。誠実な青年が、実力に応じて、栄進出来ぬ、本末顕倒の社会。
指導者も悪い。社会も悪い。而し、それらをおしのけて起ち上がらぬ、青年も悪い。
この解決が、今、吾等が、実践している一日一日なのである。
頑張れ、青年よ」
私が27歳の時の率直な思いである。
そのまま、今を生きる若き皆さんに贈らせていただきたい。
頑張れ、青年部!