師子王の教団だ。
堂々と正義を語れ
"勇気対話"の
大波を起こせ!
報恩抄 P328
『日本・乃至漢土・月氏・一閻浮提に人ごとに有智無智をきらはず一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし、此の事いまだ・ひろまらず一閻浮提の内に仏滅後・二千二百二十五年が間一人も唱えず日蓮一人・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経等と声もをしまず唱うるなり』
◇四季の語らい
人間の心の中には、幸福のダイヤモンドがある。それを採掘するには、あきらめず、落胆せず、努力し続けることです。そこに、知恵がわき、工夫が生まれ、困難の壁を破る道が開かれる。
◇今日のことば365
未来を論ずる人は多い
しかし 未来を考える人は余りにも少ない
▽「伝統の2月」の勝利へ!新時代第26回本部幹部会 広布の人が最も美しい
☆「自らの命に生きよ」 戸田先生の指導より
人々の生活を見るときに、失敗の責任が、自分には無くて他人にあるようにいう人がある。十界互具、一念三千を説く大仏法を信ずるわれわれは、日常の生活の責任が、ことごとく自分にあるということを知らなくてはならない。
貧乏して悩むのも、事業に失敗して苦しむのも、夫婦喧嘩をして悲哀を味合うのも、それは皆自己自身の生活である。
すなわち、自己自身の生命現象の発露である。
かく考えるならば、いっさいの人生生活は、自己の生命の変化である。
ゆえに、よりよく変化して、絶えず幸福をつかんでいくことが大事ではないか。
されば、自己自身に生きよ・・いや、自己自身に生きる以外にはないのだ、ということを知らなければならない。
あの人が、こうしてくれればよいのだとか、この世の中がこうであればしあわせなのだといって、他人に生き、対境に生きるということは間違いではないか。
しかし、人間の力というものは弱いものである。
自己自身に生きていると、いかに力んでみても、他人に支配され、対境に支配されやすいものである。
されば、いかに観念的に、自己自身、自ら生きていると力んでみても、それで、幸福であると言えない場合が多い。そこで、自己自身の生命が、もっとも強く、もっとも輝かしく、もっとも幸福であるためには、十界互具、一念三千の仏法に生きる以外はないと、吾人は信ずるものである。
これこそ、七百年前に、日蓮大聖人が、大宇宙に呼号なされた大哲理である。
われらを、幼稚なる者と呼んで、一念三千の珠を授けて、幸福境涯を獲得せしめるとおおせられたのは、このゆえで、その一念三千の珠とは、弘安二年十月十二日ご図顕の大御本尊であらせられる。
されば、末代幼稚の輩は、この大御本尊を信じまいらせて、強くりっぱに自己自身に生きようではないか。