2018年1月15日月曜日

2018.01.15 わが友に贈る

◇今週のことば
地区は広布の母なる港。
友よ来れと賑やかに
栄光の船出の座談会を!
「うれしきかな」と
喜び勇んで拡大だ!
2018年1月15日

聖愚問答抄上 P494
『邪正肩を並べ大小先を争はん時は万事を閣いて謗法を責むべし是れ折伏の修行なり』

◇寸鉄 2018年1月15日
「男子部大学校」が発足。皆を一騎当千の人材に!ここから新しき歴史築け
中等部結成記念日。君らの大成長を世界が待つ。勉学と親孝行の博士に!
組織を動かすのは信仰への絶対の確信—戸田先生幹部は自らの体験を語れ
東京・新宿の日。本陣の創価家族は常に朗らか。幸福と勝利の花を爛漫と
22年後、4割が単独世帯に—推計。孤立進む時代。近隣の絆結ぶ対話を益々

☆紀行「SGIの源流を訪ねて」 グアムから始まった平和の潮流 第3回=完 2018年1月6日
◇戦争の宿命を転換し幸福楽土実現 混迷の21世紀拓く世界宗教の使命
SGIは仏法を基調として平和・文化・教育の活動を力強く推進しています。ここでは、発足の地の誇りも高く前進するグアムの同志を取材するとともに、SGI結成時の池田先生の平和外交とスピーチを振り返ります。(記事、グアムの写真=光澤昭義)

◇活路を開いた池田先生の外交
第2次世界大戦の終結時、核保有国は米国のみだったが、1960年代半ばまでに、ソ連(当時)、英国、フランス、中国が核実験に成功。70年代半ばにはインドが地下核実験を成功させた。核兵器の拡散は進む一方だった。
また、60年代を通じ、社会主義のイデオロギー路線を巡る中国とソ連の対立が激化。69年には国境沿いで武力衝突が起き、核兵器を保有する両国間の軍事的緊張が高まっていた。
世界情勢が緊迫の度を強める中、池田先生(当時は創価学会会長)は74年5月、中国を初訪問。9月にはソ連を初めて訪問し、アレクセイ・コスイギン首相と会談した。
同年12月初旬には再び中国へ。中ソ対立の溝を埋めようと、コスイギン首相から託された"不戦の意思"を中国の首脳に伝えた。
5日には、周恩来総理と会見し、信義の絆を強めた。
そして、75年1月初めから米国本土へ。ニューヨークの国連本部でクルト・ワルトハイム事務総長と会談。学会青年部が行った戦争絶滅と核廃絶を訴える1000万人の署名簿を手渡した。
さらに13日、小雪が舞う首都ワシントンDCでは、ヘンリー・キッシンジャー国務長官との初会見に臨んだ。
「あなたたちは、世界のどこの勢力を支持しようとお考えですか」とのキッシンジャー長官の問いに、池田先生は「東西両陣営のいずれかにくみするものではありません。中国に味方するわけでも、ソ連に味方するわけでも、アメリカに味方するわけでもありません。私たちは、平和勢力です。人類に味方します」と答えた。
二人は8回にわたり会談を重ねることになる。
池田先生は後年、『随筆 人間世紀の光』で綴った。
「東西冷戦下の対立や不信の氷壁をとかし、人と人を結び続けた激動の一年であった。時をつくり、対話の大潮流を起こしゆく一日一日であった」と。
池田先生は米国での諸行事を行い、グアムへ移動する。
1月26日、グアムには世界51カ国・地域の代表158人が集い合い、「世界平和会議」が盛大に開催された。
池田先生が世界平和を展望し、民間外交を果敢に推進される中、SGIは誕生したのである。

◇再び紛争地域となる恐れ
1980年代末、東西冷戦は終結した。その後、国家や地域などの境界を越えて社会や経済が一体化するグローバリゼーションの動きが加速し、時代が急激に変化した一方で、21世紀を迎えた今も戦争・紛争は世界の各地で後を絶たない。
核兵器開発やテロリズムの脅威は、既存の国際秩序を揺るがす要因となっている。
なかでも、北朝鮮は国連安全保障理事会の制裁が10回に及んでいるにもかかわらず、核・ミサイル開発を強行している。
SGI発足の頃は中ソの対立が焦点だったが、今日では、米朝間の緊張の高まりが国際社会の不安定要因となっている。
その結果、グアムと太平洋地域は再び戦場となりかねない状況に。しかも核戦争の危険をはらんでいる。平和への期待が高まるのは当然といえよう。
75年1月26日、SGIが発足した平和会議で、グアム(政庁)の知事だったリカルド・ボダーリヨ氏は強い期待を寄せた。
「グアムの住民は、人間の歴史の上で最も悲惨な戦争と(激しい地震や台風など)各種の災害に苦しみました。平和会議の会場が、グアム島に選ばれたことは、最も適切であると思います」
"現実の脅威"に直面する中、平和への闘争を思う時、SGI発足の地・グアムと太平洋地域に刻まれる歴史的意義を考えざるを得ない。
平和会議の会場となったITC(国際貿易センター)ビルは、グアム中心部のランドマーク的存在として今もそびえ立つ。
道路を挟み、ITCのすぐ向かいにある公園内に、2010年1月16日、「SGI発足記念碑」が設置された。

◇妙法の種蒔く尊い一生を
昨年11月26日の昼下がり、グアム上院議会の元議長であり、SGIメンバーでもあるジュディ・ウォンパット氏に取材した。
彼女は、グアムとSGIの歴史を振り返った後、「私たちの愛するグアムは、幾度もの試練に直面してきました。仏法の眼から見れば、グアムのカルマ(宿命・宿業)といえます。池田先生は、宿命深い社会を変革する方途を示してくれているのです」と涙ながらに語っていた。
グアムと同様、太平洋戦争の戦禍に苦しんだ沖縄には、東西冷戦のさなか、核ミサイル「メースB」の発射基地が配備された。
時が過ぎ、恩納村の創価学会沖縄研修道場内には発射台が跡地として残っていた。取り壊しが検討されていた1983年、池田先生は現場を視察し、「基地の跡は、永遠に残そう」と提案。その場所には今、「世界平和の碑」が建立されている。
核ミサイルの発射基地が一転、世界平和の発信地として生まれ変わったのだ。
御聖訓には「此の心の一法より国土世間も出来する事なり」(御書563ページ)と仰せである。
戦争という宿命に翻弄された地を、平和の天地へと転ずる——。
SGIの平和活動は、一人の人間革命を通じて、わが国土を仏国土へと変革し、最も幸福な社会を建設していく戦いである。
「地平線の彼方に、大聖人の仏法の太陽が、昇り始めました」——75年の平和会議の席上、池田先生は力強く訴え掛けた。
「皆さん方は、どうか、自分自身が花を咲かせようという気持ちでなくして、全世界に妙法という平和の種を蒔いて、その尊い一生を終わってください。私もそうします」
この一文は「SGI発足記念碑」の中央に刻まれている。
11月26日午前、記念碑の前に、アメリカSGIグアム本部のメンバーが集い、記念撮影を行った。
今年で発足から43年。一人一人の笑顔に浮かぶ「平和の光彩」が眩かった。

◇池田先生の平和外交
〈1974年〉
5月30日 中国を初訪問
9月8日 ソ連(当時)を初訪問
17日 ソ連のコスイギン首相と会談
12月2日 中国を再び訪問。ソ連には中国を攻撃する意思がないことを伝える
5日 中国の周恩来総理と会見

〈1975年〉
1月10日 国連のワルトハイム事務総長と会談。学会青年部が行った戦争絶滅と核廃絶を訴える1000万人の署名簿を手渡す
13日 キッシンジャー米国務長官と初会見
26日 グアムで開催された「世界平和会議」に出席。創価学会インタナショナル(SGI)が結成され、SGI会長に就任