最も偉大な勝利とは
「自分に勝つこと」。
今日という一日を
悔いなく生き抜こう!
さあ一歩でも前へ!
単衣抄 P1514
『三十二より今年五十四に至るまで二十余年の間或は寺を追い出され或は処をおわれ或は親類を煩はされ或は夜打ちにあひ或は合戦にあひ或は悪口数をしらず或は打たれ或は手を負う或は弟子を殺され或は頚を切られんとし或は流罪両度に及べり、二十余年が間一時片時も心安き事なし』
◇寸鉄 2018年1月11日
「一人を大切に」を現実で実践する学会員に感銘—韓国市長。わが振舞から
大事なことは全同志が力を出し切れるかだ—戸田先生。励ましこそ万の力
組織発展の鍵は副役職者にあり。正副の連携密に。皆が長と同じ自覚で前進
「お試し」のつもりが定期購入…通販の問題多発。契約内容の事前確認必ず
北日本中心に吹雪・暴風・高波に警戒を—気象庁。無冠の友よ絶対無事故で
☆新春随想 2018年1月1日
地球に広がる地涌誓願の連帯
「一対一の対話」から変革が始まる
森中理晃 教学部長
◇21世紀の「立正安国」の精神
「旅客来りて嘆いて曰く……」(御書17ページ)
昨年11月、中南米のパナマとペルーでそれぞれ行われた教学研修会において、「立正安国論」の冒頭の一節を、参加した各国のSGIメンバーと共に拝した。
「牛馬巷に斃れ」「並べる尸を橋と作す」(同ページ)。スペイン語に翻訳された御書を皆で一緒に音読し、第一段を読み終えた時、参加者の一人一人が、胸に迫る日蓮大聖人の仰せに大きく頷いていた。
それは、700年以上前の日本に限定された出来事ではなく、混迷が続く諸国にあって、まさに現在の"光景"として受け止めたからだと、皆が感想を語ってくれた。
だからこそ、大聖人が一貫して、民衆の嘆きに同苦し、憂いの側に立っていることに、メンバーは感動を禁じ得ないのだ。
今回は御文に沿って、「安国論」全体の大意を確認したのだが、参加者が特に大きく共鳴した箇所があった。
それは、"悪僧への呵責は、斬罪でなく布施を断つべきことだ"という内容である(同30ページ)。
つまり、信奉する側が思想の正邪を見極め、主体的に意識変革の行動を起こすことが重要であるとの大聖人の仰せを、皆がしっかりと理解していたのである。
また、同書の最後、客が主人に対して、人々の意識変革を促す対話の実践を誓うところに、皆が共感していた様子も印象深かった。
研修会終了後、参加者たちが口々に、「私たちの一対一の対話こそが社会の底流を着実に変革する、21世紀の立正安国の実践ですね」と力強く語っていたことが、何より頼もしかった。
◇眼前の一人一人が最も大事
最近、各国のSGIメンバーと語らいを重ねるたびに、池田先生が展開されてきた人間主義の教学が、極めて深い次元で一人一人に根付いていると感じることが多い。
その基軸こそ、「地涌の誓願」の決意ではないだろうか。
一国の広宣流布とは、「一対一の対話」を基調として、一人一人の精神の変革を促し、その国に地涌の連帯を広げ、平和と真実の幸福を築く地道な挑戦である。だからこそ、何よりも「眼前の一人」が大切なのだとメンバーは熱く決意を語っている。
「一対一の対話」が世界を変える——池田先生が貫かれてきた、この行動と信条が、そのまま、全世界のメンバーの実践になっている。その事実をあらためて考える時、これこそがSGIの強さなのだと確信する。
世界のいずこの国でも、地域でも、各人が師弟不二の心で、地涌の誓願に生き抜いているのだ。
◇差異乗り越える根源のルーツ
よくメンバーから質問されることがある。それは、「人類全員が地涌の菩薩なのか」という問いである。これには、"選民"という、従来の宗教が持つ救済観との差異を明確にしておきたいとの背景があるのかもしれない。
解答のヒントは、すでに先生から教えられている。先生はかつて、"人間の「根源のルーツ」は「地涌」の大地"という新しい表現で、人類の真に拠って立つべき基盤を指し示されているのだ。
実際に私たち学会員は、「目の前の一人」を励まし抜く地涌の対話によって、日々、他者の地涌の生命を呼び覚ます行動を貫いている。そのこと自体、他者のうちに地涌の生命の内在性を確信していることの証左であろう。
そしてまた、地涌の生命に目覚めた人が、さらに周囲に励ましを広げていく。まさに「地涌の義」である。この地涌の生命の限りない触発こそ、国家や人種、イデオロギーといったあらゆる差異を超えて、人間の根源の「慈悲」の生命を、自他共に涌現する源泉となる。それゆえに、「共生」と「平和」をもたらすグローバルな調和的連帯が可能になる。その起点が、メンバー一人一人の「誓願」の行動にあるのだ。
◇青年こそ太陽の仏法の主人公
そもそも法華経自体が、菩薩の誓願に満ちている経典である。
自身だけの覚りにとどまっていた声聞は内なる菩薩の誓願に目覚め、また、菩薩たちは悪世における衆生の救済を誓う。そのために、「願兼於業(人を救うため、あえて宿業を背負い、願って悪世に生まれる)」の法理が説かれ、「三類の強敵」に立ち向かう師子吼の誓願が示される。
そして何よりも、滅後の広宣流布を託される地涌の菩薩こそ、「如蓮華在水」と説かれる通り、泥水の中で美しい花を咲かせる蓮華のごとく、悪世の闇を希望の光で照らしゆく、太陽の仏法の主役なのである。
その意味で、法華経の主題とは、釈尊から地涌の菩薩への付嘱——師から弟子への"誓願のバトンタッチ"であるともいえよう。
この地涌の誓願に基づく信仰こそ、世界宗教として飛躍する創価学会の根幹なのである。
本年は、広宣流布大誓堂完成5周年。2013年11月、落慶記念勤行会で、池田先生は、次のメッセージを贈られた。
「『広宣流布の大願』と『仏界の生命』とは一体です。だからこそ——この誓いに生き抜く時、人は最も尊く、最も強く、最も大きくなれる。この誓いを貫く時、仏の勇気、仏の智慧、仏の慈悲が限りなく湧き出でてくる。この誓いに徹し切る時、どんな悩みも変毒為薬し、宿命をも使命へと転じていける」と。
「誓願」に生きる人生が、なんと尊く、豊かに彩られていくことか。
今年は3・16「広宣流布記念の日」60周年の佳節を刻む年でもある。全世界の地涌の青年たちが、誓願を共有し、先頭に立って、広布と平和創造への新たな地涌のスクラムを築く年である。
創価の誓願の舞台が、ますます大きく広がりゆく、心躍るこの時に、意気軒高な青年たちと共に前進することを、深く誓い合いたい。