2016年4月30日土曜日

2016.04.30 わが友に贈る

絶対無事故の
有意義な連休を!
くれぐれも安全運転で!
戸締りや火の元も
指さし点検で厳重に!

兵衛志殿御返事 P1090
『今度はとのは一定をち給いぬとをぼうるなりをち給はんをいかにと申す事はゆめゆめ候はず但地獄にて日蓮をうらみ給う事なかれ』

☆四季の語らい
自らの地位と権力の安泰のために、伸びゆこうとする青年の成長の芽を摘みとる指導者もいる。また、自分のために青年を利用し、その犠牲のうえに、自身の栄誉を築こうとする指導者もいる。

☆女性に贈ることば 四月三十日
今いる場所で
自分自身に負けず 勝ち抜き
人と比べることなく
自分自身の誇り高き使命の道を
実直に前進する人が
幸福着であり 人間としての勝利者だ

☆今日のことば365 四月三十日
男の一生は、どういう仕事をしたか、そしてまた、自分の選んだ仕事の上で、どれだけの功績を残したかによって決まると思う。要は、自分のありったけの力を仕事にぶつけたか、そして、生命を完全に燃焼させて、その時代、その社会に自己の燃焼エネルギーによっていかなる利益をもたらしたか、ということではないだろうか。

☆本紙創刊65周年 記念特集 池田SGI会長と聖教新聞�
◇苦闘の中での師弟の語らい
聖教新聞の「創刊原点の日」は、8月24日である。
戦後、創価学会の再建に奔走していた戸田第2代会長。だが、1950年(昭和25年)に入ると、経営する信用組合が危機に直面する。事業の破綻が決定的になると、それを聞きつけた新聞記者がやってきた。
同年8月24日——記者の取材を受けた後、戸田会長はSGI会長に語った。「一つの新聞をもっているということは、実に、すごい力をもつことだ。学会も、いつか、なるべく早い時期に新聞をもたなければいけない」
師弟の最大の苦境の中から、聖教新聞の構想は生まれたのだ。
翌51年(同26年)3月には、戸田会長を中心に、初の企画会、そして編集会議を開催。「聖教新聞」の名称が決まる。
戸田会長は叫んだ。「この新聞をもって、広宣流布の火蓋を切っていくのだ。あらゆる意味で言論戦の雄とならねばならぬ!」
SGI会長は、この日の日記に記した。「日本一、世界一の大新聞に発展せしむる事を心に期す」と。
51年4月20日、聖教新聞は産声を上げた。
当初の発行部数は、5000部。旬刊(10日に一度の発行)、2ページ建ての紙面である。程なく編集室は、戸田会長が顧問を務める会社の事務所と同じ、東京・市ケ谷のビルへ。机二つでいっぱいの小さな部屋だった。

聖教新聞は、旬刊から週刊、やがて週3回の発行となり、65年(同40年)7月15日付から日刊となった。
当初、日刊化は10月からの予定だった。だが、「もう少し、早くできないだろうか」というのが、SGI会長の思いだった。
「学会の前進は、日ごとに速まっている」「会員の皆さんからも、このところ、毎日のように、日刊にしてほしいという要望がきている」(小説『新・人間革命』言論城)
後に、SGI会長は本紙への思いを、随筆にこう記している。
「『真実の言論紙』たる『聖教新聞』には、希望の太陽となって21世紀を照らしゆく使命がある。私も書く。断じて書き続ける」

◇小説・随筆など間断なき執筆
SGI会長は本紙を舞台に、小説をはじめ随筆や講義、詩や和歌の執筆などを間断なく続けてきた。
編集を担当した記者は、かつて会長から原稿を受け取った際の様子を、こう述懐する。
1980年(昭和55年)、宗門事件の余波が続き、学会への烈風が吹き荒れていたころのことである。
「池田先生は、原稿について何度も『これでいいか』と尋ねられました。
私がそのたびに『はい!』と答えると、再度、『本当にいいのか!』と強く言われました。そして次のように語られたのです」
「私は真剣勝負なんだ。学会員はひとたび社会に出れば、周りから批判をされたり、苦しい立場で戦っている。私は毎回、原稿を書く時、『これで、皆が本当に勇気を持てるのか。希望を持てるのか』——そういう思いで、命を削って書いているんだ」
「もし、君が原稿を見て、こうしてほしいとか、こうやればみんなが立ち上がれるとか、そういうところがあれば、何回でも、何十回でも書き直すつもりなんだ。何かあったら、どんどん意見を言いなさい」

81年12月、SGI会長の大分訪問に同行した記者は語る。大分もまた、悪侶の圧迫によって同志が苦しめられた地だった。
「朝、池田先生との懇談の機会に、青年部が指針を求めているとお伝えした人がいました。これを聞かれるやいなや先生は、『青年が待っているのか』と言われました。
そして、直後から怒濤の詩の口述が始まったのです」
「先生は、その場に青年部の幹部も呼んでくださり、先生の口からほとばしる言葉を、皆で書き取りました。さらにそれを、先生が推敲してくださったのです。
ものすごい勢いでした。青年のために、ここまでしてくださるのかと、本当に感動しました」
その内容は夜の会合で即座に発表された。そして翌日、長編詩「青年よ 21世紀の広布の山を登れ」として聖教に掲載されたのである。
間断なく続く言論の闘争。SGI会長は、その真情を、"わが愛する同志への手紙をつづる思いである"と記している。

◇各国の識者と語り未来を展望
SGI会長は、これまで54カ国・地域を歴訪。世界の識者と対話を重ねてきた。
中国の周恩来総理、統一ドイツのヴァイツゼッカー大統領、ソ連のゴルバチョフ大統領らをはじめ、大学の学長や著名な芸術家、科学者、宇宙飛行士など、あらゆる分野の要人と会った。
全てが、世界に平和と文化と教育の橋を架けゆく言論の闘争であり、その語らいの内容は混迷の時代を照らす英知と啓発にあふれていた。聖教新聞は、そうした珠玉の語らいを伝えてきた。
"外交戦"の連続のなかにあっても、SGI会長の心には、常に聖教の読者があった。
ある識者との会見の折には、次のように語っている。
「きょうは私が"記者"となって、さまざまな質問をさせていただきます。聖教の多くの読者が紙面を待っているんです。楽しみにしているんです」
また、海外の識者の寄稿などが掲載された際には、深い感謝の思いを伝えることもあった。
世界に広がるSGI会長への信頼と友情のネットワークは、国際色豊かな紙面の原動力となっている。

かつてSGI会長は、聖教への期待をこうつづった。
「わが聖教新聞は、師弟の心の金剛不壊の絆であり、世界の民衆を結ぶ架け橋である。民衆の、民衆による、民衆のための、かけがえのない言論城なのだ」
「聖教よ、邪悪の闇を斬る、破邪顕正の宝剣たれ! 勝利の道を照らす、民衆の希望の灯台たれ! 世界を結ぶ、人間主義の哲学の旗手たれ!」
聖教は、今後もSGI会長の思想と行動を伝えるとともに、希望と幸福の哲理を世界へ発信していく。

2016年4月29日金曜日

2016.04.29 わが友に贈る

さあ飛び出そう!
人と会った分だけ
友と語った分だけ
広布の裾野は広がる。
まず祈りから出発!

守護国家論 P71
『夫れ三悪の生を受くること大地微塵より多く人間の生を受くるは爪上の土より少し、乃至四十余年の諸経に値うことは大地微塵よりも多く法華涅槃に値うことは爪上の土より少し』

☆四季の語らい
先駆者の行動は、はじめは理解されにくいものだ。あとになって、少しずつわかってくる。しかし、「偉大な行動人」は、だれが理解しようとしまいと、一人、なすべきことを、断固としてなす人である。

☆女性に贈ることば 四月二十九日
子どもなのだから、時には、いたずらをするのも結構である。たとえ叱られたとしても、それが善悪を判断し、正義というものを考える手だてになれば、かけがえのない人生経験ではないか。
貴重な人生の学問を、子どもは自然のうちに学びとり、血肉としていくに違いない。

☆今日のことば365 四月二十九日
幸福というものは、決して他からあたえられるものではない。自己の生命の内に築いていくものである。人生には、嵐の日もあり、雪の日もあろう。だが、自己の胸中の大空には常に希望の太陽が輝き、青空が美しく広がっていればよいのである。

☆四季の励まし 苦難の彼方に栄光の虹 2016年4月24日
君よ
今の苦難の彼方にも
必ずや虹の輝く
栄光満足の時が 待っている。
君よ
断じて諦めるな
断じて臆するな
そしてまた
決して前進を忘れるな
戦いをやめるな!
人間の目的は
勝つことであり
幸福になることである。
なぜ、試練に立ち向かうのか?
断固と勝ち越えて、
悩める友に希望の励ましを
贈りゆくためだ!
民衆のため、社会のため、
あえて艱難を迎え撃っていくのだ。
忍耐の坂の彼方に、勝利あり。
さあ、健康のために信心を!
幸福のために活動を!
三世のために勇気を!
逆境を大転換し、
それまで以上の
境涯の高みへ跳躍する。
この生命の大歓喜の劇を、
万人に開いたのが
「変毒為薬」の哲理である。
変えられぬ宿命など
断じてない。
ゆえに、決して嘆かずともよい、
そして絶対に諦めなくともよい
希望の光が、ここにあるのだ。
私も行動の人間である。
友好の"第一歩"を、
確かな"道"へ、
民衆と民衆の心通う"大道"へ
広げることを、自らに課してきた。
「友情と信頼の道」を
開くことだ!
「平和と文化の虹」を
かけることだ!
我らの前に、
希望の新世界は、
洋々と開かれている。

中部の大空に、鮮やかな虹がかかった。1990年(平成2年)10月、池田SGI(創価学会インタナショナル)会長が、名古屋市内でカメラに収めた。
同月の中部総会で、SGI会長は訴えている。「一番、苦難と戦った人が、一番、境涯を開いていく。これが信心の大功徳である」
嵐を越えた勝利の象徴——それが虹であろう。ハワイには「雨が降らなければ、虹はかからない」という言葉があるそうだ。
災害に直面する友がいる。病などの人生の試練と闘う友がいる。そして、広布の「道」を開くために、懸命に挑みゆく同志がいる。ともどもに励まし合いながら進みたい。苦難の彼方に、栄光の虹を仰ぎ見る日を目指して——。

◎今日は田植えで、今から田舎に出発です! なので明日のわが友は休みます。

2016年4月28日木曜日

2016.04.28 わが友に贈る

大いなる理想が
大いなる自分を築く。
わが青春の誓いに
断じて生き抜け!
その人が真の勝利者だ。

上野殿御返事 P1537
『欲界第六天の魔王無量の眷属を具足してうち下り、摩竭提国の提婆阿闍世六大臣等の身に入りかはりしかば形は人なれども力は第六天の力なり』

☆四季の語らい
リーダーに、自らの「人間としての生き方」を常に問いかけ、向上していこう、成長していこうという息吹があるかどうかである。その求道心がリーダーにあれば、全体が躍動していく。

☆女性に贈ることば 四月二十八日
前を見よ
後ろを見るな
前には
希望と勝利と栄光の人生がある

☆今日のことば365 四月二十八日
程度の違いこそあっても、人間であれば、だれだって、過ちをおかしたらり、失敗したりするものです。
そして、そうした失敗を通じ、人間は、経験という、最高の人生の財産を、自分のものとし、いっそう強い、人間になっていくことができるのです。

☆仏法の教え 周公旦の教え 2016年4月24日
◇相手を敬い、真心を尽くす
むかし、中国・周の国に、伯禽という人がいました。伯禽は、周がおさめる魯という小さな国へ行って、そこをまとめるよう、命じられます。しかし、自分にできるかどうか不安です。
「困ったなぁ。私にはそんな力はないし、魯の人々にバカにされて、泣く泣く帰ってくることになるんじゃないだろうか……」
伯禽は、そう思っていました。
ある人は「人の上に立つ立場になるんだ、椅子に座ってふんぞり返っていればいいのさ」と、言います。
また、ある人は「小さい国といえども、あなたが国のあるじとなるのだ。下の者をこき使えばいいじゃないか」と、言いました。
伯禽は悩みます。
椅子に座ってふんぞり返っていたり、下の者を、こき使ったりしていて、本当にいいのでしょうか。

3日後には、魯の国へ行かなければいけません。どうしましょう。
伯禽が街をトボトボと肩を落として歩いていると、友人に呼び止められました。
「なにをそんなに悩んでいるんだい」
「もうすぐ私は魯へ行かなければいけないのだが、私には国をまとめる力なんてないんだ」
「何を言ってるんだよ。そんなことなら、君のお父さんに聞けばいいじゃないか。君のお父さんは周という大きな国を立派にまとめているじゃないか?」
「父が?」
伯禽は、友人に問い返しました。
「そうだよ」
「父は王さまを助ける補佐役だよ。主君ではないよ」
補佐役というのは、今で言えば、副リーダーのことです。本当のリーダーの陰でリーダーを支えている人です。
友人は重ねて言います。
「周の国をさらに大きくしたのも、周の人々が幸せに暮らしているのも、すべて君のお父さんのおかげじゃないか」
伯禽の父親は「周公旦」と呼ばれ、人々から尊敬され慕われていました。

いよいよ明日、伯禽が魯の国へ旅立つという夜のことです。
「お父さん。国をまとめるには、どうすればいいんでしょうか?」
伯禽は意を決して聞きました。
「国をまとめ人々を幸せにするのは、自分ひとりでできる仕事ではない。知恵と力と志のある人を集めなければいけない」
周公旦は言います。
「どうすれば、そういう人たちを集めることができますか?」
伯禽は「教えてください」と、深く頭を下げました。
「私はいままで、相手が自分より身分の低い者であっても、まごころをこめて謙虚に接してきた。ある日、私が風呂に入っていると、3人の客が次々とたずねてきた。私はそのたびに髪をしぼり、風呂からあがって客に会った。また別の日には、食事中に3人の客がたずねてきたことがあった。私は3度とも食べ物を吐き出し、口のなかをきれいにして客に会ったのだ」
「そうだったんですか」
「私は、こころをつくして人に会い、人材を逃さないようにと、心掛けてきた。お前も、この教えを忘れるでないぞ。決して、おごるな。決して、いばるな。そして、まごころをこめて人々につくしていけ! いいな!」
周公旦は強い声で言いました。
「ありがとうございます。私は教えを決して忘れません」
伯禽は誓い、晴れ晴れとした気持ちで魯へ旅立ちました。
そして、伯禽は父の教えを立派に守り、人々をしあわせにしました。

◇おうちの方へ
今回の物語で取り上げた周公旦は、中国・周代の政治家で、『史記』などに記されています。
周公旦は殷の紂王を倒して周王朝を開いた武王の弟で、王の名補佐役として活躍しました。また、武王の死後は幼い成王を助けて、周王朝の基礎を築きました。
社会の道徳を慣習化した「礼」を社会秩序の基盤としたので、孔子等の儒者から、尊敬されたといわれています。
日蓮大聖人は四条金吾に与えられた「崇峻天皇御書」で、四条金吾が短気をおこすことを戒められて、『周公旦と申せし人は沐する時は三度握り食する時は三度はき給いき』(P1174)と、謙虚な姿勢で学ぶ重要性を教えられています。

2016.04.27 わが友に贈る

「行動」を受け継ぎ
「未来」を開く。
それが真の後継だ。
青年よ 勇気の旗高く
新たな拡大の波動を!

上野殿御返事 P1557
『とにかくに法華経に身をまかせ信ぜさせ給へ、殿一人にかぎるべからず信心をすすめ給いて過去の父母等をすくわせ給へ』

☆四季の語らい
多くの人々の意見に、ともかく耳を傾けることである。すべてを実行できるかどうかは別にして、「耳を傾ける」誠実さに、指導者の真価が光る。

☆女性に贈ることば 四月二十七日
平凡なるよき市民、よき隣人として、誰からも信頼され、荒れすさんだ友の心を浄化していく、地域、職場の良心となってほしい。

☆今日のことば365 四月二十七日
なんといっても大事なことは、幅広く、本を読み、人生の正しい生き方を、知ることです。小説でも、伝記でも、けっこうです。あるいは、思想、哲学の書でも、いいと思います。自分が、読みたいと思う本、友だちや、先生が、すすめてくれる本を、どしどし読むのです。

☆仏法の教え 故人との別れ� 2016年4月23日
◇広布に生き抜いた人生は所願満足
連載「生老病死を見つめて」では、創価学会員が信心を根本に、生老病死という「四苦」を乗り越えてつかんだ信仰の確信と仏法の哲理をルポ形式で紹介する。「故人との別れ」の第3回は、広布に生き抜いた同志の姿を通して、真の充実の人生について考察する。

◇1740人の友人葬を担当
世界的なジャズ・ピアニストであり、SGIメンバーのハービー・ハンコックさんは、1985年、飛行機事故で最愛の妹を亡くした。その時の模様を、『ジャズと仏法、そして人生を語る』の中で語っている。
——母親の悲しみを案じながらハンコックさんが駆けつけてみると、30人近くの人が集まっていた。惨事で亡くなったにもかかわらず、明るい雰囲気で、皆が故人を偲び、その人生を讃えていた。そして母親も一緒になって、題目を唱えたという——。
池田SGI会長は、そのことについて次のように語っている。
「気高き妹さんの人生の大勝利の象徴ですね。多くの方々から惜しまれ、偲ばれることは、それ自体が『成仏』の目に見える証拠と言えます。そのことは、おのずとご家族に感得されていくものでしょう。これは、学会の友人葬で感銘を広げている清々しい光景でもあります」
広布に生き抜いて最期を迎えた同志の葬儀には、悲しみの中にも荘厳さがあり、時に感動さえ感じる。
仮に不慮の事故や突然の死であっても、「寂光の往生を遂げ須臾の間に」(御書574ページ)と日蓮大聖人が仰せのように、すぐに広宣流布の陣列に戻ってくることは間違いない。
何より、妙法に殉じた同志の"生きざま"は不滅の光を放ち、多くの人々の心に刻まれている。

1000人以上の「友人葬」の導師を務めた壮年が神奈川にいると聞き、先月、横須賀市を訪れた。
「昨年11月まで総県儀典部長を務め、これまでに1740人の友人葬を担当してきました。今も個人的な依頼などで、月に数回は友人葬の導師を行っています」
角田佳穂さん(84)=方面参事、横須賀正義県主事=は、笑顔で語る。91年(平成3年)から葬儀で導師を務め、一人一人を真心込めて送ってきた。
「友人葬には、未入会の家族や地域の友人など、多くの方が参列します。友人葬は『学会理解の輪を広げる最前線』との意識を持って取り組んできました。
葬儀の前には、必ず遺族や友人から故人の来し方を聞き、私のあいさつで触れるようにしています。遺族の心に寄り添いながら、故人の苦難の人生や勝利のドラマ、人柄などを伝えています」

◇他者への奉仕と貢献に徹する
長年、同志との"別れの場"に立ち会ってきた角田さんが、実感していること——。
それは、学会員の絆のありがたさであり、広布に戦い切った人生の荘厳さである。
「『生老病死』や『愛別離苦』という人生の根源的苦悩に直面した友が、再び前を向いて進んでいけるのも、学会という組織があるからです。学会員の同苦と励ましが、どれほど多くの人々の心に希望の灯をともしているか計り知れません」
角田さん自身も24歳で入会して以来、多くの同志から励ましを受けてきた。学会と共に人生を歩んできたからこそ、"今の自分"があると確信している。
84歳になり、学会員だけでなく多くの友人や知人との別れも経験するようになった。華やかな人生のように見えても、苦悩を抱え、孤独な人もいる。社会的に成功を収めていても、幸福につながっているとは限らない。
その点、良き友に恵まれた学会員としての人生には、常に励ましがあり、希望がある。人生最期の時に「満足した人生だった」と言えるかどうか——。その一瞬は、自身が何のために生き、何をなしてきたのかという来し方と表裏一体だと角田さんは考える。
記者が「これまでで印象深い葬儀は?」と尋ねると、角田さんは幾つかの事例を挙げた上で、こう答えた。
「亡くなった人の人生を振り返ると、皆、"生きた証し"や"人生の軌跡"があります。私が担当した友人葬にも1740通りのドラマがありました。
世間的には無名でも、学会には『庶民の王者』ともいうべき、他者への奉仕と貢献に徹し抜いてきた同志が大勢います。自他共の幸福を目指して、愚直に信仰を貫いた同志の姿は本当に素晴らしいと思います」

◇充実の「生」と安らぎの「死」
御書には、広宣流布に徹した人の成仏について、『喜ばしいことに、一仏二仏ではなく、また百仏二百仏でなく千仏までも来迎し手を取ってくださるとは、歓喜の涙を抑え難い』(P1337、通解)と記されている。
最後まで戦い、生き抜いた先には、必ず安らぎの「死」が訪れることを大聖人は断言されている。
角田さんは先日の友人葬でも、この点を強く実感したという。
89歳で亡くなった壮年は、長年、夫妻で純真な信仰を貫いてきた。17年前に妻を亡くしたが、悲しみにも負けずに前進してきた。
「奥さんが亡くなった後、男性は初めて海外旅行に出掛け、知人らとアメリカ創価大学(SUA)や、池田SGI会長が2度講演したハーバード大学などを訪問しました。
その素晴らしさに感銘を受けた男性は帰国後、"来世は必ずSUAやハーバードで学び、医師になろう"と決意。80歳を超えてからラジオで英語を学び始め、かなり上達したそうです。
最後まで挑戦の心を持ち、本人は今世で戦い切って、来世へ希望の旅立ちをしたのだと確信しました」
実際、学会には高齢になっても挑戦の心を持ち、はつらつと活動に励む同志が数多くいる。また、病気などで体は不自由になっても、心は負けずに奮闘している友も多い。常に前進し、成長しようという姿自体が、周囲に希望を送っている。
角田さんは語る。
「人間は年を重ねる中で老いや病に直面し、次第に体が弱くなったり、気力が衰えてきたりします。しかし仏法では、どのような状況でも生き抜き、自身の使命を果たしていくことを教えています。広布のために戦い抜いた先にある死は、荘厳で満ち足りている——。友人葬は、その事実を証明している場でもあるのです」

2016年4月26日火曜日

2016.04.26 わが友に贈る

女子部・婦人部は
「10帰運動」の徹底を!
「これぐらいは」との
油断が事故を招く。
深き用心を怠るな!

佐渡御勘気抄 P891
『いたづらにくちん身を法華経の御故に捨てまいらせん事あに石に金をかふるにあらずや、各各なげかせ給うべからず』

☆四季の語らい
木は嵐に耐え、風雪に耐えてこそ、大樹と育つ。人間も同じである。さまざまな困難を毅然と耐え、毅然と乗り越えてこそ、境涯は深まる。リーダーとしての資質も磨かれる。風格も身についていく。

☆女性に贈ることば 四月二十六日
タンポポは、なぜ」 踏まれても、踏まれても、負けないのだろうか。強さの秘密は、地中深くに伸ばした根っこだ。長いものだと、地下一メートル以上にもなるという。
人間も同じであろう。悪戦苦闘を耐え抜き、自身の人生の根っこを、何ものにも揺るがぬ深さまで張った人が、まことの勝利者だ。

☆今日のことば365 四月二十六日
活躍する時には大いにしよう
休息をとる時はゆっくりと
休息することだ
休息なき戦いは自らも疲れ
なんら効果を生まないからだ

☆〜新会員のための仏法入門〜 第24回 勇猛精進
◇創価の師弟に脈打つ精神
「勇猛精進。名称普聞」(勇猛精進して、名称は普く聞こえ……)。私たちが毎日の勤行で読誦している、法華経方便品第2の中に出てくる一節です。今回の「みんなで学ぶ教学」では「勇猛精進」についての理解を深めます。

◇法華経に説かれる仏道修行
「勇猛精進」は、法華経の方便品第2と見宝塔品第11に出てきます。
方便品では、仏の智慧が大変深く、量ることができない理由として「仏はかつて、百千万億の無数の諸仏に親しみ近づき、諸仏の量り知れない教えを行じ尽くされたのである。どんな修行にも勇猛精進し、その名前は普く聞こえている」(法華経106ページ、通解)と説かれています。
師匠である釈尊が、弟子である舎利弗に対して、自ら過去世において「勇猛精進」してきたことを語られています。すなわち、仏は、過去に仏道修行に励み、勇敢に努力精進して、最高の覚りの境涯を得たのである、と。
見宝塔品では、釈尊が弟子たちに、仏の滅後に妙法を弘めることを勧める中で「この法華経は持ちがたく、少しの間でも持つなら、私は歓喜する。諸仏も同様であり、この経を持つ人を諸仏が賛嘆する。このことが勇猛であり、精進なのである」(同393ページ、通解)と説いています。
大難が競い起こる未来世で、法華経を持ち弘める「勇猛精進」の弟子たちに対する諸仏の称賛は間違いない、と宣言されています。
師匠も勇猛精進。
弟子も勇猛精進。
「勇猛精進」こそ、師弟一体の仏道修行の肝要にほかなりません。

◇「南無妙法蓮華経は精進行」
「勇猛精進」の「勇猛」とは「信心」のことです。
池田SGI会長は「私たちの仏道修行である勤行は、わが生命における挑戦と創造のドラマです。信心で勇み立てば、絶望と不安の闇が消え、希望と前進の光が注ぐ。この『勇んで立ち上がる心』こそ、『信心』なのです」(「法華経 方便品・寿量品講義」、『池田大作全集』第35巻所収)と述べています。
また、「精進」とは、自行化他にわたる「題目」の実践にほかなりません。
「私たちの唱題の実践にあっては、純粋に、たゆみなく日々、持続することが大切となる。それであってこそ、私たちの生命錬磨、一生成仏の修行となるのです」(同)
「御義口伝」には「一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり所謂南無妙法蓮華経は精進行なり」(御書790ページ)とあります。
自身の宿命転換はもとより、友人・知人の幸福、さらには自らを取り巻く環境や社会がより良くなっていくことを願って、真剣に悩みながら祈り抜く。智慧の限りを尽くしつつ、勇んで行動する。
「勇猛精進」の実践を重ねる人の胸中にこそ、「本来無作の三身」、すなわち仏の生命が涌現するのです。

◇広宣流布の未来開く実践を
日蓮大聖人は、32歳で立宗宣言されて以来、『今度・強盛の菩提心を・をこして退転せじと願じぬ』(P200)との誓願のままに妙法流布に生き抜かれました。二度にわたる流罪をはじめ、数々の大難に遭われましたが、少しもひるむことはありませんでした。
さらに大聖人は、門下に対しても『日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず』(P1282)等、いかなる困難を前にしても臆することなく、勇気の信心を奮い起こしていくべきことを何度も訴えられました。
この大聖人の仰せのままに「勇猛精進」の信心に励み、日本はもとより、世界広布の時代の到来を現実のものにしたのが、池田SGI会長であり、会長と心を一つにして師弟の大道を前進する私たち創価学会員一人一人にほかなりません。
「『勇猛精進』『死身弘法』こそ、創価学会の魂である。私は、この精神に寸分違わず戦い抜いてきた。
『勇猛精進』の師子ありてこそ、多くの同志が功徳を受けられる。
『死身弘法』の人がいなくなれば、学会の未来はない。広布の未来も、人類の希望も閉ざされてしまう。
わが弟子たちよ、今こそ勇敢に戦え! 『創価の師弟』の力を満天下に示せ!」(創立記念日最高協議会での池田SGI会長のスピーチ。2006年11月22日付本紙掲載)

2016年4月25日月曜日

2016.04.25 わが友に贈る

◇今週のことば
万人に幸福と安穏あれ!
この立宗の大精神を
創価は世界で実践する。
「いまだこりず候」
不屈の魂で対話に挑戦!
2016年04月25日

唱法華題目 P7
『悪知識と申すは甘くかたらひ詐り媚び言を巧にして愚癡の人の心を取つて善心を破るといふ事なり』

☆四季の語らい
常に皆の先頭に立ち、率先して道を開く。皆に代わって、襲いかかる嵐を一身に受けて立つ−−これが開拓者である。狡賢く苦難を避けて立ち回っていては、「開拓」はできない。

☆女性に贈ることば 四月二十五日
躾とは、日々の生活を、開運に、円滑に、自他ともに楽しく、回転させていくためのリズムを、「身」に「美しく」体得していくことといえるかもしれない。

☆今日のことば365 四月二十五日
人間の幸福への勝負は
 四十代 五十代であると
  思うから
そのために
 今日も 着実に
自身らしく
 思う存分に振る舞うことだ

☆随筆 永遠なれ創価の大城 第5回 民衆厳護の言論王
◇御聖訓「妙とは蘇生の義なり」—不撓不屈の大九州たれ!
このたび九州の熊本県、大分県で起こった大地震により、被災された全ての皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
熊本地方、阿蘇地方、そして大分県……打ち続く地震に、眠れぬ夜を過ごされている方々を案じ、胸をかきむしられる思いです。
また、南米エクアドルでも大きな地震があり、心を痛めております。
日蓮大聖人は、『汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を?らん者か』(P31)と、「立正安国」の根本の祈りを示してくださいました。
甚大な災難が、突然、人びとの絆を断ち切るが如く襲いかかる時、その試練をはね返すものは、我ら民衆の、何があっても共に守り合い、生き抜いていくという誓いであり、祈りではないでしょうか。
自分も負けない。決して屈しない。とともに、苦しんでいる人を絶対に置き去りにしない。手を取り合い、支え合って、断固と乗り越えてみせる——この最も強く温かな心を燃え上がらせ、進んでくれているのが、愛する九州家族です。
御聖訓には、『真実一切衆生・色心の留難を止むる秘術は唯南無妙法蓮華経なり』(P1170)と、厳然と仰せであります。
色心を苦しめる、いかなる難にも怯まず、一つ一つ必ず打開していく原動力が、妙法の信心です。
『妙とは蘇生の義なり』(P947)です。不退の負けじ魂で、蘇生の希望の光を広げゆかれる同志に、私も、日々、懸命に題目を送っております。
苦難に遭遇した時に、「師子王の心」を取り出し、最大の生命の底力を発揮して、一切の艱難の山を登り切ってみせる。これが日蓮仏法の極意であり、創価の師弟の誇りです。
わが熊本の同志よ!
わが大分の同志よ!
世界一の勇気と同志愛で先駆する、わが大九州の勇者たちよ!
断じて、負けるな!
今こそ不撓不屈たれ!
『未来までの・ものがたり(物語)なに事か・これにすぎ候べき』(P1086)と謳われゆく「異体同心」と「変毒為薬」の凱歌の歴史を頼みます。

◇「人間主義」の旗
今、あらためて思うことは、東日本大震災の時も、阪神・淡路大震災の時も、聖教新聞に報じられる同志の姿が、大きな勇気と希望の光となった事実である。
未曽有の震災の中、「負げでたまっか!」「負けたらあかん!」と悲しみに耐え抜き、前進する能忍の魂。家族のため、友のため、地域のために行動し、励ましを送り続ける尊貴な姿。同苦の涙と汗を流しながら、懸命に救援活動、復興支援に奮闘し抜く勇姿——。
いかなる大難にも壊されない「心の財」を持つ生命の光彩を伝えてきたのが聖教新聞である。
四月二十日は、この聖教新聞創刊の日——。
一九五一年(昭和二十六年)、恩師・戸田先生の第二代会長就任に先駆け、広宣流布の闘争開始を告げる「吶喊(鬨の声)」の如く誕生したのだ。今年で六十五周年の歴史を刻んだ。
戸田先生は、"地涌の菩薩を旗頭として、その使命完遂のために聖教新聞は働くのである"と宣言されている。
聖教新聞は、「人間主義」の旗を掲げる新聞である。災害時などには、逆境の中で輝く人間の真価を、尊厳なる生命の宝として宣揚し抜いてきた。
聖教新聞は、「立正安国」の言論城である。徹して民衆の側に立ち、正義と人道の連帯を広げる力となってきた。
法華経には、地涌の菩薩の英姿を、「志固くして怯弱無し」「難問答に巧みにして 其の心に畏るる所無く 忍辱の心は決定し」(創価学会版法華経四七二ページ)と記される。
まさしく聖教新聞は、この地涌の力用をもった言論紙なのである。
「信念」の新聞であり、「勇気」の新聞である。「智慧」の新聞であり、「対話」の新聞である。「慈悲」の新聞であり、「堅忍不抜」の新聞である。その言論力で、広宣流布の大誓願を完遂していくのだ!
一号また一号、今日もまた、明日もまた——。

◇新聞が結ぶ奇跡
「毎日、新聞が出るということはそれ自体すでに奇跡であります」と言ったのは、チェコの作家チャペックであった。
社会に巣くう悪、さらに暴虐非道のナチスなどに、「民衆新聞」の記者としてペンを武器に挑んだ勇者である。ゆえに、真実を追求し伝える新聞が読者の元に届くことが、いかに至難であり重大であるかを知り抜いていたのであろう。
この"奇跡"というべき発展の歴史を、気高き同志の力の結集で、わが聖教新聞は歩んできた。その歩みは、今や一万九千号を超えた。
日々、限られた時間の中で懸命に紙面を作り上げ、確実に読者のもとへ届けていく、編集、整理、電送、印刷、輸送、販売店など全ての方々の尽力の結晶である。
最前線の躍動する息吹を伝えてくれる通信員の皆様の奮闘も光る。
この熱き心のリレーのアンカーを、雨の日も、風の日も担われているのが、"無冠の王"たる配達員の皆様である。尊き陰徳に、「冥の照覧」は、絶対に間違いない。
さらに聖教は、新聞長をはじめ幾多の同志、幾百万の読者の皆様に支えられている。
聖教新聞は、労苦をいとわぬ全ての方々の心血が注がれた、広宣流布への正義の弾丸である。

◇世界市民の誕生
本年二月、「セイキョウオンライン」が刷新され、約百四十カ国・地域で閲覧されていると伺った。
また世界各地で、日本の聖教新聞や大白蓮華に当たる機関紙誌が刊行されている。その数は八十以上にも上る。
先のチャペックは、「世界市民は新聞を読むことから生まれた」とも言っていた。
今、聖教新聞と姉妹紙誌を共感と対話の広場として世界に広がりゆく、平和・文化・教育のスクラム——それは、万人の尊厳性を確信し、「自他共の幸福」を願って行動する草の根のネットワークである。
ここに、「新たな世界市民」の誕生の黎明を見るのは、私一人ではないはずだ。
「聖教新聞を、日本中、世界中の人に読ませたい」と願われた恩師・戸田先生がどれほど喜ばれていることだろうか。

◇文字と言葉の力
目覚ましい発展を続けるスペインSGIにも、機関誌「シビリサシオン・グロバル(地球文明)」がある。以前、その編集長を務めていたのが、カプート理事長である。
彼は十五年ほど前、来日した折に、念願だった聖教新聞の配達を、新宿婦人部の"無冠の友"に同行して体験した。
「まるで宝物のように新聞を優しく抱きかかえ、同志の元へ。その姿が肌寒い早朝の大気を温めているかのようでした」——彼は、配達の感動を語っている。
日々、一軒また一軒と、"無冠の友"が聖教新聞を届けてくださる真心は、そのまま広宣流布への「一対一の対話」の真心に通じていよう。
大聖人が『仏は文字に依って衆生を度し給うなり』(P153)と仰せの通り、広宣流布は「文字の力」「言葉の力」で友に希望を送りゆく戦いであるからだ。
相手の仏性を信じ、一人また一人と語りかける我らの勇気の対話こそ、大聖人のお心に直結した慈悲の行動である。
大事なことは友の幸福を祈り抜くことだ。立正安国への誓願の祈りだ。その深き祈りを根本とした言論こそ、無敵の力なのである。

◇民衆の声は偉大
私が欧州に初めて一歩を印したのは、五十五年前、デンマークの首都コペンハーゲンであった。
この国で活躍された女性詩人・グレース博士と、私たちは深い友情を結んできた。博士の詩に、こうあった。
「ささやかな一言が 世界を善く変えられる ささやかな一言が人間を善く変えられる」
庶民が持つ変革の力を確信する博士の口癖は、「ふつうの人の声が大事なんです。ふつうの民衆を尊敬し、崇めるべきなのです」であった。
わが同志の確信の言葉によって、どれだけの人が奮起し、苦しみから立ち上がってきたことか。
日々の学会活動で紡がれる言葉一つ一つは、無上の価値を持つ。
同じ言葉でも、発する人間の誠意で重みは変わる。いわんや友の幸福を願い続けた心が届かないはずはない。行動に裏打ちされた真心、言外にあふれる思いが相手の胸に染み入るからである。
最も誠実な民衆の声、すなわち仏の声を、聖教は発信し続けるのだ。

◇越せぬ坂はない
一九八一年(昭和五十六年)の師走——永久に忘れ得ぬ歴史がある。
競い起こる三障四魔の迫害の嵐と戦い、必死に激闘する大分、熊本、そして福岡の同志の元へ、私は飛び込んでいった。
大分で私が発表した長編詩「青年よ 二十一世紀の広布の山を登れ」を即日の作業で紙面に掲載し、日本全国の同志へ電撃的に伝えてくれたのは、聖教新聞であった。
阿蘇の"白菊講堂"への道で、若き友の手作りの凧を仰いだことも、私は忘れない。正義の旗の如く寒風に翻っていた。
あの竹田の岡城址、さらに熊本市の壱町畑公園で結んだ不滅の"師弟の一会"を、大きく引き延ばした見開きの写真と記事で紹介したのも、聖教であった。皆と歌った「荒城の月」と「田原坂」は、我らの胸に凱歌の如く轟き渡っている。
「雨はふるふる 人馬はぬれる 越すにこされぬ 田原坂 ……」
創価の師弟に、「越せない坂」は絶対にない!
これが、未来永遠に変わらざる九州同志と私との不撓不屈の誓いだ。

◇立正安国の挑戦
六十五年前の五月三日、第二代会長に就任された戸田先生は、「楽土日本を築くのだ」「この地上から『悲惨』の二字を無くすのだ」との一念で、一段と強盛なる祈りを開始された。
弟子の私も、第三代に就任した五月三日(一九六〇年)より、いやまして強く、祈り続けてきた。
「世界が平和であるように」
「大地震がないように」
「豊作であるように、飢饉がないように」
三災七難に負けずに、民衆の安穏と社会の繁栄、そして地球の平和を実現する。この人類の悲願へ、我らは自行化他の妙法を朗々と唱え、立正安国の挑戦を貫いていくのだ。
いかなる災害や危機にも、断固と立ち向かう希望の大城が創価であり、その揺るぎなき言論の柱、民衆厳護の言論王こそ、聖教新聞である。
さあ、今日も、聖教と共に、「生命はかくも尊厳なり。無窮なり」と、人間革命の讃歌を、民衆勝利の大叙事詩を、綴りゆこうではないか!

2016年4月24日日曜日

2016.04.24 わが友に贈る

陰で奮闘する友を
最大に讃えよう!
「感謝の言葉」
「温かな心配り」が
前進への原動力となる。

上野殿御返事 P1540
『千丁万丁しる人もわづかの事にたちまちに命をすて所領をめさるる人もあり、今度法華経のために命をすつる事ならばなにはをしかるべき、薬王菩薩は身を千二百歳が間やきつくして仏になり給い檀王は千歳が間身をゆかとなして今の釈迦仏といはれさせ給うぞかし、さればひが事をすべきにはあらず、今はすてなばかへりて人わらはれになるべし』

☆四季の語らい
「一人の人を大切に」「一人の心を大切に」−−そうでなければ、組織に"人間"が押しつぶされてしまう。指導者は「生きた精神」をもって、人々の心にだれよりも敏感に、だれよりも真剣に、こまやかに応える−−そういう「ハートのある人」であってほしい。

☆女性に贈ることば 四月二十四日
平凡でもいい
私はいつも
春風の笑顔を 忘れずにいたい
太陽の希望を はつらつと輝かせたい
月光と語らいながら 知性を深めたい
白雪のごとく 清らかに光る人でありたい

☆今日のことば365 四月二十四日
時を知ることほど大切なことはない。百千万の作戦も時を得なけえば成功しない。事業も、人の出処進退も、時を誤れば、混乱と敗北を招くだけである。

☆仏法の教え 立正安国 2016年4月16日
◇自他共の幸福を実現する指標
「日蓮大聖人御一代の御化導は立正安国論に始まり、立正安国論に終わる」といわれます。大聖人は、現実社会を舞台に自他共の幸福を実現していく実践の指標として「立正安国」の原理を示されました。今回は「立正安国」について学びます。

〈Q〉「立正安国」の法理について教えてください。
〈A〉仏法の生命尊厳・人間尊敬の理念に基づいて、社会の平和・繁栄を実現することです。
『一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を?らん者か』(立正安国論、P31)

「立正安国」は、「正を立てて、国を安んず」と読みます。「立正」とは、人々が人生のよりどころとして正法を信受すること、さらにいえば、仏法の生命尊厳・人間尊敬の理念が社会の基本原理として確立されることです。そして「安国」とは、社会の平和・繁栄を実現することです。
相次ぐ自然災害や飢饉・疫病に苦しむ民衆の姿を目の当たりにされた日蓮大聖人は、民衆を救う道を探求され、「立正安国」の原理を示した「立正安国論」を時の最高権力者である北条時頼に提出されました。
池田SGI会長は、小説『新・人間革命』「力走」の章で、「立正安国論」の『一身の安泰を願うなら、まず世の静穏、平和を祈るべきである』(P31、通解)との一節を引用し、次のように述べています。
「宗教者が人類的課題に眼を閉ざし、社会に背を向けるならば、宗教の根本的な使命である『救済』の放棄となる。荒れ狂う現実社会に飛び込み、人びとを苦悩から解放するために戦ってこそ、真の仏法者なのだ」
創価学会が仏法の理念を根本に、平和・文化・教育など多彩な活動に取り組んでいるのも、「立正安国」の法理に基づいた実践にほかなりません。

〈Q〉仏法では思想と社会の関係についてどのように説かれていますか。
〈A〉思想が乱れれば社会も乱れる——ゆえに卓越した思想・哲学が求められます。
『国土乱れん時は先ず鬼神乱る鬼神乱るるが故に万民乱る』(立正安国論、P31)

日蓮大聖人は「立正安国論」の中で「仁王経」の『国土が乱れる時はまず鬼神が乱れる。鬼神が乱れるゆえに万民が乱れる』(P31、通解)との一節を引用され、続けて『今、この文について、つぶさに現状を考え合わせると、百鬼は早くから乱れ、万民は多く死亡している。鬼神が乱れると、万民が乱れるという先難は、このように明らかである。国土が乱れるという後災が起こることを、どうして疑うことができようか』(同P、通解)と綴られています。
ここでいう国土とは、自然環境的な側面だけでなく、広く「社会」を意味します。そして「鬼神」とは、『鬼とは命を奪う者にして奪功徳者と云うなり』(P749)と仰せのとおり、生命自体を破壊し、福運を奪う「人間の内なる働き」を意味します。現代的には、人の心を蝕む「思想」「宗教」といえるでしょう。
社会が乱れる時には、最初に人間の思想・宗教の乱れが起きる。人格を織りなす基となる思想・宗教の乱れは、必然的に人間の心と行動の乱れを引き起こし、やがては万民の乱れ、社会の混乱へとつながっていく——。ゆえに、いつの時代にあっても、未来を開く卓越した思想・哲学が求められるのです。

〈Q〉私たちは具体的に何をすればいいのでしょうか。
〈A〉一対一の誠実な対話こそ「立正安国」の実践にほかなりません。
『独り此の事を愁いて胸臆に憤?す客来って共に嘆く?談話を致さん』(立正安国論、P17)

『自分も一人でこのことを憂い、胸の中で憤って、もどかしい思いでいたところ、あなたが来て同じことを嘆くので、しばらく、これについて語り合おうと思う』(P17、通解)——度重なる災難を嘆く客に対する"主人の返答"であり、ここから二人のやりとりが始まる「立正安国論」。
同書は、北条時頼を想定した「客」と、日蓮大聖人を想定した「主人」の十問九答の問答形式で展開されています。このこと自体、「立正安国」の実現の方途が"対話"にあることを示していると拝することができます。
誤った教えに執着していた客は、初めのうちは主人に反発しましたが、理路整然と訴える主人の言葉に次第に胸襟を開いていきます。そして『速に実乗の一善に帰せよ』(P32)との主人の言葉を受けて、謗法の教えを捨てて妙法に帰依することを決意。さらに『唯我が信ずるのみに非ず又他の誤りをも誡めんのみ』(P33)との客の誓いの言葉で「立正安国論」は結ばれています。
誠実な対話によって、当初は無理解だった友が新たな同志として立ち上がっていく——。「立正安国論」に描かれる一対一の対話こそ、私たちが目指すべき「立正安国」の実践の手本といえるでしょう。

〈智慧の扉〉 大聖人が最も重視された書
日蓮大聖人は、文応元年(1260年)に北条時頼に「立正安国論」を提出したものの、鎌倉幕府は黙殺の態度をとりました。
同書の提出を契機に、幕府や既成の宗教勢力からの迫害が本格化しましたが、大聖人の立正安国の精神が揺らぐことはありませんでした。その後も「立正安国論」を添えて諫暁を重ねられ、後世に残す御配慮の上からも、「立正安国論」を自ら何度も清書されています。
御入滅される直前に武蔵国の池上の地で最後に講義されたのも「立正安国論」でした。「立正安国論」こそ、大聖人御自身が最も重視された書なのです。

2016年4月23日土曜日

2016.04.23 わが友に贈る

あの人の胸に希望を!
その祈りと行動が
わが生命を輝かせる。
自他共の幸福の実現が
我らの信仰の目的だ。

種種御振舞御書 P916
『依智にして二十余日其の間鎌倉に或は火をつくる事七八度或は人をころす事ひまなし、讒言の者共の云く日蓮が弟子共の火をつくるなりと』

☆四季の語らい
慢心によって、人の忠告を聞けなくなってしまえば、もはや成長はない。幸福もない。自身の破壊に通ずる。特に、人の意見、なかんずく、女性の意見に「耳を傾ける」ことは、指導者の鉄則である。「聞かない」のは、指導者失格である。

☆女性に贈ることば 四月二十三日
私は、生涯青春という言葉が好きである。
いわゆる若さとは、決して年齢によって決まるものではない。自分のもつ目標に向かって、たくましく生き抜く情熱の炎によって決まると信じているからだ。
若くして心の老いた人もいる。一方、どんなに高齢になっても希望を失わず、心の若々しい人は生渡青春である。

☆今日のことば365 四月二十三日
テレビによって育てられたともいえる現代っ子は、ものごとの直感的な把握という面ではすぐれた感覚をもっている。だから、そういう意味での観察は鋭いし、反応も速い。しかも、表現も感覚的でおもしろい。

☆仏法の教え 常勝は大歓喜の闘争の中に 2016年4月12日
『迦葉尊者にあらずとも・まいをも・まいぬべし、舎利弗にあらねども・立ってをどりぬべし、上行菩薩の大地よりいで給いしには・をどりてこそいで給いしか』(P1300)。
池田先生は、この「大悪大善御書」の一節について、「あの『大阪の戦い』で関西の不二の同志と心に刻んだ御聖訓である。どんな大悪も大善に変えてみせると、勇気と団結の舞を舞いながら、未曽有の拡大と勝利を飾った」と綴ってくださった。「"まさか"が実現」の大闘争から60周年の今こそ、あらためて「大悪大善御書」を拝し、常勝の歴史を切り開く要諦を確認したい。

◇広宣流布に生き抜く門下に示された要諦
「大悪大善御書」を繙くと、"私たち日蓮大聖人門下が広宣流布の大闘争に勝利するために大切なことは何か"を学ぶことができる。
その第一は、「困難を前進の力に」である。
「大悪大善御書」の執筆年次は不明である。しかし、内容から、大聖人が身延に入られて以降と考えられる。すなわち、当時、大聖人が「立正安国論」で予言された自界叛逆難、他国侵逼難が、それぞれ二月騒動、蒙古襲来として現実のものとなり、大聖人門下も厳しい迫害の嵐にさらされていた。
そうした中にあって、大聖人は『大事には小瑞なし、大悪をこれば大善きたる』(P1300)と仰せになられた。大悪が起きているからには、次に大善がやってくることは間違いない、と断言されたのだ。
それは、"大善が起こるのをただ待っていればよい"ということではない。置かれた状況が厳しければ厳しいほど、成長の好機と捉えて新たな前進を開始しようという力強い決意と勇気の実践を促されたのである。
そして第二には「師匠と心を合わせる」ことである。
大聖人は、当時の社会情勢を踏まえて『すでに大謗法・国にあり大正法必ずひろまるべし、各各なにをかなげかせ給うべき』(同P)と述べられている。"今こそ大正法が弘まるべき時なのだ。弟子たちよ、何を嘆くことがあろうか"との御本仏の大確信に触れた門下の心に、無上の勇気が湧き上がったであろうことは想像に難くない。師匠の心に連なった時、弟子の一人一人が、自身の限界を超える大きな力を発揮することができる。
第三は「歓喜の心で戦う」ことである。
大聖人は、成仏の法を聞いて大歓喜に舞い踊った迦葉や舎利弗のように、また、妙法流布を担おうと大地から躍り出た(地涌の菩薩の上首である)上行菩薩のように、どんなに厳しい苦難を前にしても、喜び勇んで広布に邁進するよう教えられている。
「生命尊厳」「人間尊敬」を説く日蓮仏法に巡り合い、この大法を弘めていく以上の喜びはない。その尊き使命を想起する時、私たちの生命は生き生きと躍動するのだ。

◇「あんな楽しい戦いは経験したことがない」
「戸田会長に代わって、このたびの戦いの指揮は、私が執らせてもらいます!」
1956年(昭和31年)、若き池田先生が関西を舞台に繰り広げられた「大阪の戦い」は、まさに「大悪大善御書」に示されている"勝利の要諦"をそのまま実践するものであった。
困難を前進の力に——。当時の関西の同志は人数も少なく、その大半が入会して日の浅いメンバーだった。しかし、前年から一念に億劫の辛労を尽くしてこられた池田先生は、1月5日の地区部長会において、現状の厳しさをつぶさに語った上で「強盛な祈り」と「最高の作戦、最高の行動」を訴えられ、同志の一念を一変させた。
その後の活動の中で、「大悪大善御書」の一節を拝して"不可能を可能にする戦いを信心で勝ち取ろうではないか"と同志に呼び掛けられたこともあった。
拡大を進める中、メンバーが事実無根の容疑で逮捕され、悪意のマスコミが学会を「暴力宗教」と報道するなど、新たな困難が行く手を阻もうとしたこともあった。しかし、「そないに有名な学会の座談会や、あんたも来てみまへんか?」等と切り返し、中傷すらも前進の原動力に変えて、5月の1カ月間で1万1111世帯の弘教という不滅の金字塔を打ち立てたのだ。
師匠と心を合わせる——。"大阪の地から、貧乏人と病人をなくしたい!"と叫ばれた戸田先生。恩師の掲げた理想を実現するべく、池田先生は「師弟不二」の闘争を展開された。池田先生の「早朝の御書講義」や「徹底した個人指導」によって、師弟の精神が会員一人一人の心にみなぎり、勝利の鼓動が脈打っていったのだ。
歓喜の心で戦う——。それは「大阪の戦い」の当初から始まっていた。1月の地区部長会の折、池田先生は、緊張して硬くなっていた空気をほぐすかのように「黒田節」を歌おうと提案され、自ら見事に舞われた。皆も次々と即興の踊りを披露した後、「このたびの戦いは、このように舞を舞って戦うのです。楽しく前進しましょう」と呼び掛けられた。
もちろん、困難な戦いの連続であり、苦労も多かった。しかし、この歴史的な戦いに参加した草創の先輩に話を伺うと、誰もが「あんな楽しい戦いは経験したことがない」と口をそろえる。

◇「阪神・淡路大震災」で被災した友への激励
「大悪をこれば大善きたる」。池田先生は、95年(平成7年)の「阪神・淡路大震災」の時も、この一節を拝して渾身の励ましを送ってくださった。一番大変な時に、一番苦しんでいる人のもとへ、真心の励ましを送る——池田先生の温かさをあの時ほど感じたことはなかった。
1月17日の震災の報を聞かれた先生は、ハワイ大学スパーク・マツナガ平和研究所と東西センターの招聘を受けてのハワイ訪問のための離日を4日延期し、被災地への激励の手を次々と打ってくださった。
そして、28日にハワイで開催された「世界青年平和文化祭」に出席。関西吹奏楽団の代表と共に参加していた私の心が感動に打ち震えたのは、その最中であった。関西吹奏楽団が「常勝の空」を演奏した時、先生が、かぶっていた白い帽子を手に取り、大きく左右に振り始められたのだ。「関西の同志に届け!」「兵庫の空まで届け!」とばかりに——。
ハワイでの諸行事を終えられた池田先生は、2月2日に関西国際空港に到着。4日に関西文化会館で開催された「追善勤行法要」において「広宣流布へと戦い、生命に積んだ福徳は、事故等では絶対に破壊されない」「生死不二であるゆえに、再び私どもの広布の陣列に入ってこられるのである」と激励された。
親しい人を亡くしたり、経済的な基盤を失ったりした人の苦悩は、計り知れない。だが、だれもが"師匠が見てくださっている。絶対に負けるわけにはいかない"と歯を食いしばり、勇気の一歩を踏み出し始めた。

?今再びの 陣列に
 君と我とは 久遠より
 誓いの友と 春の曲
 愛する関西 勇み立て

78年(昭和53年)7月に池田先生が万感の思いを込めて作ってくださった「常勝の空」。この歌詞に込められた意味について、池田先生は、小説『新・人間革命』の中で次のように綴られている。
「関西の同志との絆は、決して偶然でもなければ、今世限りのものではない。広宣流布を誓願して躍り出た地涌の菩薩として、久遠の使命に結ばれたものだ」
社会が閉塞感に覆われている今こそ、久遠の使命に目覚めた友が、「困難を前進の力にして」「師匠と心を合わせて」「歓喜の心で戦う」時にほかならない。
「いざや前進 恐れなく」——。同志と共に「常勝の空」を高らかに歌いながら大歓喜の闘争を繰り広げ、世界広布新時代の「常勝の金字塔」を打ち立てる決意である。

2016.04.22 わが友に贈る

誠実と真心を
わが声に響かせよ!
渾身の一言には
友の心を鼓舞し
一変させる力がある。

女人成仏抄 P471
『心地観経に云く「有情輪回して六道に生ずること猶車輪の始終無きが如く或は父母と為り男女と為り生生世世互いに恩有り」等云云』

☆四季の語らい
指導者は、人を愛することです。皆を大事にすることです。皆を愛した分だけ、自分も愛される。人を救った分だけ、自分も救われる。これが仏法で説く因果の理法であるし、人間性の進歩の軌道です。

☆女性に贈ることば 四月二十二日
子どもの前で陰険な夫婦喧嘩は避けたいものだ。子どもたちは、たとえ見ぬふりをしていても、つぶらな瞳を通し、柔らかい皮膚を通して、鋭敏に両親の振舞いを感受し、それに感応していることを、つねに忘れてはならない。

☆今日のことば365 四月二十二日
民衆の心の奥底まで揺り動かして、あらゆる人々を納得せしむる言論こそ、世の一切を指導し、時代を左右していく原動力である。

☆御書と歩む 第12回 全世界の同志が祈っている!
『何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり』(呵責謗法滅罪抄、P1132)

◇通解
どのように世の中が乱れていても、あなた方のことを「法華経や十羅刹女よ、助け給え」と、湿った木から火を出し、乾いた土から水を得ようとする思いで強盛に祈っている。

◇同志への指針
熊本・大分など各地で続く地震の被災者の皆様に心からお見舞い申し上げます。大好きな九州家族を苦しめる災害の終息を祈り抜いています。
大悪をも大善に変えるのが変毒為薬の妙法です。最も大変な時に最も偉大な勇気の光を放つのが、地涌の菩薩です。
わが大九州の宝友を、諸天よ、断じて護り給え!と、全国全世界の同志と共に、強盛に題目を送り続けていきます。

2016年4月21日木曜日

2016.04.21 わが友に贈る

我らの「5・3」へ
勇気と希望の拡大を!
創価家族の連帯固く
一歩また一歩と
眼前の山を登りゆけ!

上野殿御返事 P1561
『願くは此の功徳を以て普く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん』

☆四季の語らい
自分が偉いのではない。支えてくれている人々が偉いのである。謙虚に感謝し、尊敬しなければならない。倣憎になり、独りよがりになった人間は、必ず堕落してしまうものだ。

☆女性に贈ることば 四月二十一日
何があろうとも絶対に卑屈になってはならない。うつむいてはならない。誇りと自信をもって、輝く瞳をあげ、堂々と生き抜く人が幸福者である。

☆今日のことば365 四月二十一日
僕は 確信はあるが
 独善にはなりたくない
常に協議していく姿勢のあるところに
 民主主義の力と光が
  輝くことを知っているからだ

☆世界広布新時代第17回本部幹部会への池田SGI会長のメッセージ
輝き光る我らの5月3日を、全世界の創価家族と、希望に燃えて飾ることができました。わが誉れの同志の皆さん、誠におめでとう!
特に55カ国・地域から、勇躍、集われた気高きリーダーの皆さん、ようこそ、お越しくださいました! 本当にありがとう!

◇世界宗教の大潮流
思えば、恩師・戸田城聖先生が第2代会長に就任されたのは、1951年の5月3日。まさしく、20世紀の折り返し点であり、人類史の大いなる分岐点でありました。その時に先生は、東洋、さらに世界の民衆の苦しみをわが苦しみとされ、「地上から『悲惨』の二字をなくしたい」と立ち上がったのであります。
それは、『閻浮提に広宣流布して断絶せしむること無けん』(P505)との、釈尊、そして日蓮大聖人の師子吼に応えゆく大闘争の出陣でありました。
以来65星霜——。創価の師弟が呼び出した地涌の菩薩は、世界192カ国・地域に陸続と登場し、社会に貢献しております。人類の幸福と地球の平和を実現しゆく「一閻浮提広宣流布」の流れは、もはや、いかなる魔性たりとも、決して断絶させることのできない21世紀の世界宗教の大潮流となりました。
我らは、威風堂々と「創価は勝ちたり!」「未来永遠に勝ちゆくなり!」と、大勝利の宣言をしたいと思いますが、どうでしょうか。

◇不思議な生命の縁
戸田先生は、会長就任の記念の写真の裏に、和歌を記して私に贈ってくださいました。
「現在も 未来も共に  苦楽をば 分けあう縁  不思議なるかな」と。
広宣流布、また立正安国という大誓願を果たしゆくために、不二の心で苦楽を分かちあい、どこまでも共に戦い抜いていく。この最も尊く、強く、美しい、不思議なる生命の縁で結ばれているのが、私たちです。私と一緒に、どんな労苦もいとわずに、荒れ狂う娑婆世界で奮闘し続けてくれている全同志に、心から感謝を表したいのであります。
なかんずく、聖教新聞の創刊65周年に当たり、毎日毎朝、「冥の照覧」光る配達を担ってくださっている無冠の友の皆さんの健康と絶対無事故を祈りつつ、万雷の大拍手をお送りしようではありませんか!

◇勇んで信念の対話へ
戸田先生が学会の発迹顕本を期して、強調された御聖訓があります。
『国中の諸人我が末弟等を軽ずる事勿れ』(P342)——日本国中の人々よ、私(大聖人)の末弟たちを軽んじてはならない——との一節であります。
悪世末法において、自行化他の題目を唱える「地涌の菩薩」ほど、尊貴な存在はいない。諸宗の元祖などより百千万億倍も勝れている。それこそ、わが学会員なのである。そして、この学会員の「一対一の膝詰め談判」によって、広宣流布は成し遂げられると、先生は叫ばれました。
巡り来る5月3日は、一人一人が久遠元初の生命の太陽を輝かせ、地涌の菩薩の最極の誇りに奮い立つ時です。歓喜踊躍して信念の対話に打って出て、新たな「一歩前進」を恐れなく開始する時なのであります。

◇幸福境涯を勝ち開け
昨晩(14日)の九州・熊本の地震に際し、心からお見舞いを申し上げます。
被災地の方々のご無事を祈り、仏天の加護も厳然であれと、題目を送っております。
どうか、いずこにもまして強く温かな、わが九州家族の不屈の団結で、『わざはひ(禍)も転じて幸となるべし』(P1124)との御聖訓の通り、変毒為薬していかれるよう、お願いいたします。私たちも全力で応援をいたします。
現在、神戸市の関西国際文化センターで行われている展示会を通して、東北の被災地で復興に挑む方々へ多くのエールが届けられています。
阪神・淡路大震災を乗り越えてきた兵庫の一人のご婦人からは、「共に同じ体験をした私たちは、断じて世界一、いや宇宙一の幸福者に!」とのメッセージが寄せられておりました。
何があっても絶対に負けない。妙法と一体の無限の生命力を発揮し、自他共にこれ以上ないという幸福境涯を勝ち開いてみせる。この創価の人生こそ、世界を照らし、未来を照らす希望の光ではないでしょうか。
インドの最高峰の知性であられるロケッシュ・チャンドラ博士は、「人類が何千年もの間、抱き続けてきた夢——その夢の中から生まれ、今、聞こえてくる歌声。それが創価学会なのです」と語ってくださいました。

◇後継の青年の使命
今、男女青年部が立派に成長し、スクラムを拡大してくれ、頼もしい限りです。私が青年室長の任命を受けた、その時に心肝に染め、我ら青年の使命と定めてきた御金言を、後継の君たちに託し伝えたい。
すなわち、『結句は勝負を決せざらん外は此の災難止み難かるべし』(P998)と。
わが創価の青年よ、勇敢に朗らかに粘り強く、戦い進め! 正義の君たちが一つ一つ勝ち切って、民衆の幸福と平和の凱歌を、断固と轟かせてくれたまえ! と申し上げ、私のメッセージといたします。
皆さん一人一人の「人間革命」の勝利、そして皆さんの地域と国土の「立正安国」の安穏・繁栄を祈り、題目を送り続けていきます。
わが愛する同志の皆さん、お元気で! お達者で!

2016年4月20日水曜日

2016.04.20 わが友に贈る

連絡・報告は正確に。
対応は迅速に。
緻密な連携と団結から
大きな力が生まれる。
心一つに進もう!

聖人御難事 P1191
『をくびやう物をぼへずよくふかくうたがい多き者どもはぬれるうるしに水をかけそらをきりたるやうに候ぞ』

☆四季の語らい
命令や、かけ声で人を動かそうとするだけでは、組織主義であり、人間主義ではない。あまりにも安易である。危険である。

☆女性に贈ることば 四月二十日
母親も、立派な一個の社会人である。視野を社会に大きく広げてこそ、人間としての幸福も、母親としての幸福も、見えてくるのではないだろうか。

☆今日のことば365 四月二十日
青年よ、いつまでも、甘い考えを抱いておってはならぬ。現実は、厳しい。向上、成長と、堕落への戦いが、青年時代だ。青年は、真剣に、目的に進む時、最も尊い。されど決して、微笑を忘れてはならぬ。常に快活であれ。

☆御書と歩む 第11回 題目こそ幸福の源泉
『只南無妙法蓮華経とだにも唱へ奉らば滅せぬ罪やあるべき来らぬ福や有るべき、真実なり甚深なり是を信受すべし』(聖愚問答抄、P497)

◇通解
ただ南無妙法蓮華経とだけでも唱えるならば、滅しない罪があろうか。訪れてこない幸福があろうか。このことは真実であり、極めて深い法門である。これを信受すべきである。

◇同志への指針
全ては「祈り」から始まる。
真の祈りとは、漠然とした願望などではない。「断じて成し遂げてみせる!」という深き強き「誓願の祈り」だ。それが自分自身の崩れぬ境涯を開くのだ。
題目の功力は、宿業を転換し、福徳を呼び起こす。この真実にして甚深なる妙法を信受して進むのだ。真剣に唱題し抜いた人は、いかなる苦難があっても、最後は必ず勝つ。

2016年4月19日火曜日

2016.04.19 わが友に贈る

「励まし」には
「万の力」がある。
逆境と闘う友に
真心と確信の言葉を!
共に支え合って前へ!

兵衛志殿御返事 P1090
『貪欲瞋恚愚癡と申すさけにえいて主に敵し親をかろしめ師をあなづるつねにみへて候』

☆四季の語らい
ローマ帝国も、あれほどの繁栄を誇ったが、滅亡した。その原因は外敵以上に、内部の腐敗にあったとされる。「ローマは自らの力によって倒れる」(ホラティウス)です。指導者が「理想」を失ってしまった。「哲学」がなくなった。すなわち、人格を支える「心の柱」が腐り、倒れてしまった。大帝国の滅亡は、指導者の心の中から始まったのです。

☆女性に贈ることば 四月十九日
家庭ではよき娘となり、職場では、皆に慕われ、信頼される存在となって光っていくことだ。

☆今日のことば365 四月十九日
独創性は、まず、徹底的な模倣から生まれるものであるかもしれない。しかし世間では、模倣だけで終わってしまう人が大半です。その人の人生は、結局、安逸と惰性に流されていく結果となります。

☆新時代第9回全国男子部幹部会から SGI会長のメッセージ
◇歴史回天の使命の地に 堅塁の旗よ翻れ
広布の名城そびえ立つ大中部での男子部幹部会、誠におめでとう!
わが愛弟子の諸君が、天下の中心たる大中部で、勇敢に正義の拡大の旋風を巻き起こしてくれて、これほど頼もしいことはありません。
古来、中部は宿命的に新たな歴史を開く決戦場であった。
戸田先生がお好きだった天下人・織田信長は、"生のあるあいだに何をしておこうか"と、よく歌った(太田牛一著、榊山潤訳『信長公記(上)』ニュートンプレスを参照)。そして、徹して攻め続けて勝ち戦の歴史を残しました。
広宣流布と立正安国こそ、青年として、人間として、生あるあいだに成し得る、最高無上の偉業であります。ゆえに、断じて一歩も退いてはならない。
私が、苦楽を分かち合ってきた、愛知、三重、岐阜の草創の戦友たちは、「絶壁も、よじ登ってみせる」「大誠実で道を切り開く」という心意気で、一つ一つ勝ち抜いてくれました。
今日、私は、この大中部の「団結の旗」「不屈の旗」「勝利の旗」を、誇り高き堅塁の父母たちと一緒に、後継の諸君に確かに手渡します。
日蓮大聖人は、「如説修行抄」に仰せになられました。
『忍辱の鎧を著て妙教の剣を提げ一部八巻の肝心・妙法五字の旗を指上て未顕真実の弓をはり正直捨権の箭をはげて大白牛車に打乗って権門をかっぱと破りかしこへ・おしかけ・ここへ・おしよせ』『或はせめ返し・せめをとしすれども・かたきは多勢なり法王の一人は無勢なり今に至るまで軍やむ事なし』(P502)と。
大聖人に直結する創価の師弟が、忍辱の鎧を身につけ、智慧の宝剣を提げ、正義の旗を掲げて、如説修行の大闘争に挑み抜いていく。そのなかにこそ、妙法とともに隆々と栄えゆく平和と安穏の社会建設があることを、深く強く確信していただきたいのであります。
ともあれ、勝つために歴史回天の大中部を使命の舞台として、今この時に躍り出た君たちだ。
眼前にある乱世の現実は過酷であり、熾烈である。
だからこそ、何があっても異体同心の同志と励まし合いながら、一人一人が職場で社会で、堂々と勝利者となってもらいたい。
一人また一人と、この友情と青春勝利の連帯を、賢く朗らかに広げてもらいたい。
そして、我らの決めた誓願の「この道」で、不退の堅塁中部の旗を翻し、断固として勝利の歌を高らかに歌い上げていってくれたまえ!
「法華経の兵法」の祈りを忘れず、健康で無事故で一日一日を勝ち切っていく前進であれ!
また、明るい笑顔で親孝行を頼みます。
世界広布新時代の一番星、堅塁中部男子部、万歳!
炎の革命児たち、万歳!

2016年4月18日月曜日

2016.04.18 わが友に贈る

◇今週のことば
我らの聖教の65周年。
尊き無冠の友・通信員・
新聞長のご尽力に深謝!
苦難に断じて負けない
勇気の言論力を一段と!
2016年04月18日

☆四季の語らい
こまやかに心を砕き、柔軟に、聡明に、友の心に応えていく。これがリーダーの条件である。そうでなければ、多くの人と心を通わせることはできない。

☆女性に贈ることば 四月十八日
恋愛をするならば、大いなる創造への精神力がわき出づるような、互いに高めあうものであってほしい。

☆今日のことば365 四月十八日
我らは、今日も一歩前進しなくてはならない
そのために 休息を十分とりながら
生命力満々と すべてに挑戦してゆくことだ

☆新時代を創る 第13回 創価家族の励ましを世界へ
日蓮大聖人は『志有らん人人は互に之を語れ』(P967)と仰せである。
座談会をはじめ、広宣流布の志で語り合う学会の会合は、一つ一つが、まさしく仏の会座だ。
私も日々、無事故と成功を真剣に祈念し、集われる友に題目を送っている。
「未来部の日」の10日、桜の散るころに戸田先生をお見送りした青山の地を通って、先生と縁の深い東京・港区の麻布文化会館へ向かった。昭和54年秋にオープンし、本部幹部会も行った法城である。
会館の正面には「ファミリー勤行会」の手作りの案内板が立っていた。新入生歓迎の意義を込めた明るくにぎやかな創価家族の集いである。担当者の方々に感謝は尽きない。無限の希望に満ちた未来部の友の健やかな成長を、さらに皆で祈り、応援していきたい。
会館では、壮年部・太陽会の方々の会合も行われ、創価班・牙城会の友が凜々しく着任してくれていた。
港の同志は、地道な地域貢献を誠実に重ね、信頼を広げている。学会ほど社会に根を張り、世代を超えて励まし合い、人材を育て、価値を創造しゆくスクラムが、どこにあろうか。

この日は愛知で全国男子部幹部会が意気軒高に行われた。中部の若人は"我らは勝つために生まれてきた"と誇り高く歌い上げた。
戸田先生から学んだ広布と社会の「勝利の9項目」を、わが友に贈りたい。
�朝の早い人は、勝ち。
�勤行唱題の人は、勝ち。
�健康を心がけて、生き生きと挑戦する人は、勝ち。
�調和してチームワークをとれる人は、勝ち。
�後輩を大事にする人は、勝ち。
�弱い立場の人を理解し、包容し、励ます人は、勝ち。
�智慧のある人、力のある人、努力の人を大事にする人は、勝ち。
�人間外交のできる人は、勝ち。
�善と悪、正と邪を鋭く見極めていく人は、勝ち。
まさに『仏法と申すは道理なり道理と申すは主に勝つ物なり』(P1169)との御聖訓の実践である。

世界から、尊き求道の友も研修に来日されている。
創価家族の励ましの連帯こそ、人類の希望である。
さあ、自身のため、一家のため、同志のため、広布のため、世界の宝友と共にきょうも勝利の一日を!

2016年4月17日日曜日

2016.04.17 わが友に贈る

いかなる困難も
必ず変毒為薬できる。
それが妙法の
偉大な力用だ。
今こそ不屈の信心を!

☆四季の語らい
目の前にいる人を励ますのは、当然である。それ以上に、その人を支える陰の人たちに、どれだけ目を向けられるか。ここに指導者の真価がある。一人の人の背後には、家族、友人をはじめ、多くの人のつながりがある。その方々のことを、どこまで考え、配慮できるか。−−数千人の社員の家族一人一人の状況を全部、覚えていたというアメリカの社長の話もある。

☆女性に贈ることば 四月十七日
教育も子育ても、時間のかかる作業です。一生懸命に取り組んでも、その結果がすぐに表れないかもしれない。でも、子どもたちに幸福の種を植え、その心を豊かに耕した事実は残ります。
あなたの労苦は、すべて子どもたちの宝として実っていくのです。

☆今日のことば365 四月十七日
趣味に、本当の喜びを感ずるのは、自分がやるべきことを立派にやりぬいている時である。それまでの緊張感をちょっとした変化で和らげ、新しい活力の源泉となっていくような趣味は、もっとも充実したものであろう。いわば、趣味というだいご味は、ここにあると思う。

☆四季の励まし 失敗を恐れぬ人が伸びていく 2016年4月10日
若い皆さんは、
失敗を恐れないでほしい。
一切が勉強であり、
いくらでも取り返せるのだから。
クヨクヨしてはいけない。
「失敗は成功の母」である。
「挑戦しないこと」——
それが、青春の唯一の敗北だと、
私は思う。

朝の決意が、
一日の勝利につながる。
朝の勢いが、
社会の開拓となる。
朝を大切にする。
それは、
時間を大切にすることだ。
信心の「一念」とは、
限りある時間の中で、
生命を凝結させて、
最大の価値を
創造しゆく力なのである。

自分で決めたところが、
自分の"使命の舞台"となり、
"人間革命の道場"となる。
「足下に泉あり」である。
まずは今いる職場で、
「自分らしく戦い切った」という
努力と結果を
残していくことだ。
そこから、勝利の人生を
絶対に開いていけるからである。

どんなことも、
自分の成長の力に変えてみせる!
そう肚を決めた青年は、
無敵である。
いかに意地悪な人間も、
その誇り高き魂だけは、
絶対に侵すことはできないのだ。
私は待っている。
君たち、あなたたちが、
人生と社会の
「勝利の達人」と飛翔しゆく、
その時を!

柔らかな春の光に照らされ、モミジの若葉が輝いている。
池田SGI(創価学会インタナショナル)会長が、兵庫・芦屋市の旧・関西戸田記念館で、カメラに収めた。1985年(昭和60年)4月のことである。
春4月は、若人が、新しい使命の舞台に躍り出る季節。「初心」を抱き続ける人は、常にみずみずしく、成長を続けることができる。新社会人も、それを迎える人たちも、「フレッシュマン」「フレッシュウーマン」の心意気で、挑戦を開始しよう。

2016.04.16 わが友に贈る

わが地域こそ
広宣流布の本舞台だ。
足元から信頼の拡大を!
近隣から慕われる
誠実と真心の人たれ!

☆四季の語らい
「自分のために、皆を使おう」という心では、人も自分も伸びない。「皆のために、自分が戦おう」という心であれば、皆も伸びるし、自分も成長する。この微妙な一念の違いが、重大な違いをもたらすのである。

☆女性に贈ることば 四月十六日
「忙しい」という字は、「心を亡くす」と書きます。あわただしさのなかで、ただ追われる生活に流されてしまえば、大切なことまで見えなくなってしまいます。
その時こそ、「何のため」という問いかけを思い起こすことです。

☆今日のことば365 四月十六日
愛というものは、人間の内から発する真実の告白であるということだ。たんなる言葉だけの愛、あなたを利用して、自己を満足させればよいといった仮面の愛は、見破っていかねばならない。

☆池田華陽会御書30編に学ぶ 開目抄� 2016年4月9日
◇本抄について
本抄は、日蓮大聖人が佐渡に着いた直後から構想され、文永9年(1272年)2月に四条金吾を介して門下一同に与えられました。
題号の「開目」とは、文字通り「目を開く」ことであり、末法の一切衆生を救いゆく「大聖人に目を開け」との呼び掛けとも拝されます。本抄は、大聖人こそが末法の御本仏であることを明かされた「人本尊開顕の書」です。
当時、大聖人だけでなく、門下にも迫害が及び、弾圧を恐れた多くの門下が退転しました。
本抄では、当時、弟子たちが抱いていた"大聖人が法華経の行者であるならば、なぜ諸天の加護がないのか"等の疑問に対し、法華経を経文通りに実践すれば三類の強敵が競い起こることは必然であり、その通りの難に遭っている大聖人こそ真の法華経の行者であると示されています。
初めに、人々が尊敬すべきものとして主師親の三徳を示され、儒教・外道・仏教の主師親について述べられます。さらに、釈尊のあらゆる教えの浅深を検討され、法華経本門寿量品の文底に秘沈されている一念三千こそが成仏の法であることを明らかにされます。
そして、当時の諸宗が、謗法の教えによって人々を不幸に陥れていることを指摘し、こうした中で大聖人が妙法弘通に立ち上がり、大難を受けてこられたことを述べられます。
その上で、大聖人が法華経の行者であるならば、どうして諸天善神の守護がないのか、あるいは大聖人は法華経の行者ではないのか。本抄は、こうした門下の疑いに答える書であると示されます。

◇御文
『我等程の小力の者・須弥山はなぐとも我等程の無通の者・乾草を負うて劫火には・やけずとも我等程の無智の者・恒沙の経経をば・よみをぼうとも法華経は一句一偈も末代に持ちがたしと・とかるるは・これなるべし、今度・強盛の菩提心を・をこして退転せじと願じぬ』(P200)

◇通解
「我々のような力のない者が須弥山を投げることができたとしても、我々のような通力のない者が枯れ草を背負って、劫火の中で焼けることはなかったとしても、また、我々のような無智の者がガンジス河の砂の数ほどもある諸経を読み覚えることができたとしても、たとえ一句一偈であっても末法において法華経を持つことは難しい」と説かれているのは、このことに違いない。私は、今度こそ、強い求道心をおこして、断じて退転するまい、と誓願したのである。

◇解説 不退転の決意が苦難を乗り越える力に
「誓願」こそ、法華経の行者の魂であり、日蓮仏法の根幹です。今回の御文の前段で日蓮大聖人は、立宗宣言の直前の模様を回想されています。
具体的には、諸宗が謗法の教えを説いて人々を悪道に堕とす悪縁となっていることを知ったのは、大聖人お一人であると述べられます。
この謗法を責めれば三障四魔が競い起こることは必然であり、しかし一方で、言わなければ無慈悲のゆえに無間地獄に堕ちることも経文に照らして明らかである——大聖人は、このように考えて、「言うべきである」と決心されました。
しかし、法を説き始めて権力者からの難を受け、その結果、退転するくらいなら思いとどまった方がよいと、思索を続けられます。こうした中で大聖人は、法華経宝塔品に説かれる「六難九易」を思い起こされます。
六難九易は、釈尊滅後に法華経を受持し弘通することがいかに困難であるかを示しています。これは、およそ不可能なことを九つ挙げて、法華経を受持・弘通する等の六つの事柄に比べれば、九つの方がまだ容易であるというものです。
掲げた御文では九易のうち、"須弥山を他方の無数の仏土に投げ置く""枯れ草を背負って大火に入っても焼けない"などが挙げられています。どれも、実現が不可能な難事です。しかし、これ以上に難事なのが、釈尊滅後に法華経を受持・弘通することなのです。それは、釈尊滅後に法華経を受持・弘通すれば、釈尊が受けた以上の激しい難を受けるからです。
その上で釈尊は法華経の会座で弟子たちに向かって、民衆救済のために滅後弘通の誓いを述べるよう促します。
大聖人は、この宝塔品の説法に込められた仏の民衆救済の心を思い起こし、「今度・強盛の菩提心を・をこして退転せじと願じぬ」との不退転の誓願を立て、末法広宣流布に立ち上がられました。「強盛の菩提心」とは、何があっても成仏を求めていく求道の心です。
大聖人は、どこまでも民衆救済を願う法華経の心に生き抜く中に成仏があると決めて、妙法弘通に立ち上がられました。この大聖人の広布の闘争を支えた原動力こそ、民衆救済の誓願です。誓願を立てて貫いていく中で、生命の奥底から限りない智慧や勇気が湧き、いかなる大難も乗り越えることができるのです。
栄光の「5・3」へ、師弟の誓願を貫き、広布の黄金の歴史をつづっていきましょう。

◇理解を深めよう 主師親の三徳
『夫れ一切衆生の尊敬すべき者三あり所謂主師親これなり』(P186)——日蓮大聖人は本抄の冒頭で、一切衆生の尊敬すべきものとして、「主の徳」「師の徳」「親の徳」という仏の三徳を挙げられています。
主の徳は、人々を守る力・働き。師の徳は、人々を導き、教化する力・働きであり、親の徳は、人々を育て、慈しむ力・働きのことです。
この三徳を兼ね具えた存在は誰かを明らかにすることが、本抄全体のテーマの一つです。
本抄の結論部分で大聖人は、『日蓮は日本国の諸人にしうし父母なり』(P237)と述べられ、民衆救済へ戦い抜く御自身こそ、主師親の三徳を具えていることを断言されています。
法華経には仏の主師親の三徳が、それぞれ"この現実世界は、全て私の所有するところである""私一人のみが、彼らを救い護ることができる""その中の衆生は、ことごとく、わが子である"等と説かれます。
大聖人のお振る舞いで言えば、国土の安穏を実現するための立正安国の実践が主の徳、凡夫成仏の大法である南無妙法蓮華経を末法万年の民衆のために顕し残されたことが師の徳、さらに謗法を責めて民衆の苦しみを取り除かれた実践が親の徳に当たると拝せます。
末法の御本仏である大聖人をどこまでも尊び、御本尊への真剣な祈りを根本に、広布のため自行化他の実践に励む中に無上の幸福があると確信し、報恩感謝の心で前進していきましょう。

◇SGI会長の講義から
力なき凡夫でも、悪世において誓願をもって信を貫けば、自分の生命の奥底から仏界の力を涌現して、苦難を越え、自分を変革していける。
反対に言えば、どんなに"大力"の者も、"神通力"の者も、"智慧"者であっても、成し遂げ難いのが、一人の人間の生命の変革なのです。

仏教において「誓願」は、宿業の鉄鎖を切り、過去に縛られた自分を解放して、新しい未来に向かう自分をつくる力と言えます。仏の教えで自分を磨きつつ、確立した心によって、未来の自分を方向付け、それを実現していく努力を持続していけるのが「誓願の力」です。
誓願とは、いわば「変革の原理」です。
それは、自分自身の変革はもちろんのこと、薬草喩品の仏の誓願に見られるように、全民衆を変革していくための原理であると言えます。
(『開目抄講義』上巻)

2016年4月15日金曜日

2016.04.15 わが友に贈る

苦労を味わった分だけ
友の心に寄り添える。
困難を乗り越えてこそ
偉大な人間になれる。
君よ 断じて負けるな!

☆四季の語らい
青年を育てることは、未来を育てることである。人材育成の温かな光を、さらに社会に広げていきたい。人を見つけていこう、人を育てていこう、そのための種を蒔いていこう−−リーダーに、この一念があるところ、人材は育っていく。

☆女性に贈ることば 四月十五日
歩みは、遅くてもよい。一歩また一歩、前進する人が、勝利者です。

☆今日のことば365 四月十五日
偉くなってはいけない
偉く見せようとすることもいけない
また偉くさせてもいけない
謙虚でなくてはいけない

☆御書と歩む 第10回 幸福広げる太陽たれ!
『法華経の師子王を持つ女人は一切の地獄・餓鬼・畜生等の百獣に恐るる事なし』 (千日尼御前御返事、P1316)

◇通解
法華経の師子王を持つ女性は、一切の地獄、餓鬼、畜生などの百獣に恐れることはない。

◇同志への指針
4・11「ヤング・ミセスの日」30周年、おめでとう!
現実は戦いだ。悩みも尽きない。しかし、題目の師子吼を唱える女性は負けない。所願満足の人生を勝ち開くことができる——これが、御本仏の絶対のお約束である。
飾らず、つくろわず、ありのままの姿でいい。今の苦労が皆を照らす希望の光となる。一歩一歩と前進し、自他共の幸福を広げる太陽たれ!

◎熊本の皆さん、大丈夫ですか?

2016年4月14日木曜日

2016.04.14 わが友に贈る

何でも相談できる
良き先輩を見つけよう!
「たすくる者
強ければたうれず」
善知識こそ人生の宝だ!

☆四季の語らい
すべてのことは、事前の準備で決まる。どのような局面になっても対処していけるよう、万全の態勢を整えておく−−。そうした中心者の透徹した責任感と、人知れぬ努力があって、人々をも守ることができる。勝利を開くことができる。

☆女性に贈ることば 四月十四日
自分の振舞いを通して教えてこそ、本当の教育である。口先だけでなく、行動が伴って初めて、教育に魂が入る。

☆今日のことば365 四月十四日
人間にとって、自分を一番よく知ってくれる人物に会うほど、嬉しいこともなければ、生き甲斐を感ずることもないのです。

☆新時代を創る 第12回 福徳と人材の花よ薫れ
戸田先生の祥月命日である2日、恩師の「法難頌徳之碑」がある東京・品川文化会館を訪問した。
この近くに先生の私塾・時習学館があった。創価教育学会が創立された当時からの師弟共戦の城であったが、空襲で焼失した。
大弾圧による2年間の投獄を耐え抜かれた先生は、出獄の日、その焼け跡に立たれた。昭和20年(1945年)の7月3日のことである。
獄死なされた牧口先生の不二の弟子として、正義と平和の巌窟王の大闘争を開始されたのである。
この原点の誇りに燃えて力走する品川の友の心意気を映すように、爛漫たる桜が頌徳の碑を包んでいた。
『鉄は炎打てば剣となる賢聖は罵詈して試みるなるべし』(P958)である。
いかなる試練が襲いかかろうとも、恐れない。その中で自らを鍛え抜いて、金剛不壊の宝剣のような生命を輝かせていく。これが、創価の師弟の魂なのだ。

戸田先生の命日は、創価大学の開学の日である。
開学から45周年を祝して創価大学、創価女子短大を訪れ、新入生を迎えたキャンパスを回った(6日)。
フレッシュな学生たちが皆、元気で嬉しかった。
創大が立つ丘は、戸田先生が「将来、創価の大城を」と指さし定めた地である。
思えば、先生は、時代に先駆け、地球民族主義を提唱されていた。
今、創大は、文部科学省「スーパーグローバル大学創成支援」事業の採択校として、海外への留学や派遣も一段と充実している。五大州と教育交流を結んで、世界市民を育成し、語学力の向上も実に目覚ましい。
折から、周桜が咲き誇り、中国の若き学究者の方々も交流に来学されている。
立派な大学になった。私と同じ心で、学生を薫陶してくれている教員、職員、また応援してくださる多くの方々に感謝は尽きない。
昭和46年(1971年)の開学の日の朝に、私は詠んだ。

創大生
 万歳 叫ばむ
  君達が
 世紀の指導者
  晴ればれと

創価の福徳と人材の花よ、いよいよ晴ればれと薫れ!と私は祈っている。

2016年4月13日水曜日

2016.04.13 わが友に贈る

歓談差が大きい時期。
体調管理に気を付けよ。
環境の変化による
疲労の蓄積にも注意。
健康第一の声賭けを!

☆四季の語らい
皆をどっしりと支え、皆に励ましの栄養を送っていく。何があっても揺るがない。動じない。そして、「この人と一緒にいれば大丈夫だ!」という、限りない安心感を与える。これが、リーダーの徳と言えるのではないだろうか。

☆女性に贈ることば 四月十三日
徹する姿勢…これこそ、幸福のカギである。わが道に徹し
てこそ、後悔なき所願満足の人生が開かれていく。

☆今日のことば365 四月十三日
中学時代は、人間に一生の中でも、もっとも大事な時期だと思います。なんでも、吸収できる年代です。それだけに、悪いことを覚えるのも早いのです。自分の人生が良い方向にすすんでいくか、悪い道に入ってしまうかは、この中学時代の自覚と努力によって決まるといっていいでしょう。

☆創価小学校入学式への創立者のメッセージ
◇早寝早起き 読書 勇気の太陽に
新1年生の皆さん、入学、おめでとう!
ご父母の皆さま、ご家族の皆さま、心からお祝いを申し上げます。
笑顔いっぱいの新入生の皆さんの姿を思い浮かべると、私の胸は高鳴ります。皆さんが太陽の光をいっぱいに浴びながら、堂々と天高く、大樹と育ちゆく日を、何よりも楽しみにしています。
創価小学校の皆さんは、かがやく未来の宝です。皆さんが立派に、のびのびと成長するのを、世界中の人々が待っています。
きょうからみんなで、三つの太陽を目指しましょう。
一つ目は「早寝、早起きの太陽になろう」です。
一日の始まりは、のぼりゆく太陽とともに、元気に起きて出発です。
朝ご飯をしっかり食べて、はつらつと「おはよう!」と、あいさつをしましょう。それが、じょうぶな体、強い気持ちをつくる基本となります。
早く起きるには、夜はできるだけ早く寝ることです。皆さんは、ぜひ、この毎日のリズムを、かしこくつくってください。
二つ目は「読書の太陽になろう」です。
よい本は、心の光です。読書をすると、太陽がかがやくように、自分の心が強く、あたたかく、ゆたかになります。よい本を開けば、多くの人たちと出あい、新しい世界を学ぶことができます。おどろくような発見や、胸がわくわくするようなぼうけんも、たくさんあるでしょう。
皆さんは、一さつ、また一さつ、読書に挑戦し、みんなを明るくてらしていく人になってください。
三つ目は「勇気の太陽になろう」です。
困っている友だちに、親切にできる人。間違ったら、すなおに「ごめんなさい」、助けてもらったら、「ありがとう」と言える人。その人が、勇気の人です。
苦手なことに挑戦するのも勇気。もう少し頑張ろうと、勉強にとり組むのも勇気です。勇気という"負けない心"があれば、皆さんは無敵の太陽です。
さあ、これから楽しい学校生活が始まります。どこまでもほがらかに、そして元気いっぱいに、毎日をすごしてください。
お父さんやお母さんに、親孝行のできる、力ある人になってください。私はいつもいつも、皆さんの健康と成長と勝利を祈り、見守っています。
大好きな創価小学校の皆さん、万歳!
新入生の王子・王女の皆さん、万歳!

2016年4月12日火曜日

2016.04.12 わが友に贈る

朝に勝つことから
人間革命の挑戦を!
朗々たる勤行・唱題が
豊かな生命力の源だ。
一日を勢いよく出発!

☆四季の語らい
人間は、たった一言の言葉で、悩むこともあれば、傷つくこともある。また安らぎも感じれば、勇気を奮い起こしもする。ゆえに、言葉が大事になる。言葉への気遣いは、人間としての配慮の深さにほかならない。友に"希望の言葉""勇気の言葉""励ましの言葉""正義の言葉"を発し続ける人が、まことの指導者といえよう。

☆女性に贈ることば 四月十二日
親は子どものよき友だちであれと私は願う。子どもに愛情をもたぬ親はないが、もうひとつ、友情をもてと言いたい。友情をもつというのは、子どもを立派な人格として尊重することである。

☆今日のことば365 四月十二日
よい報告は遅くなってもよい
とくに悪い報告は早くせよ
次の戦いに先手が打てるよう
悪い報告ほど 早く報告できる人は偉い
責任のある人だ
黙っていたり にぎりつぶす人は
卑怯で ずるい人だ

☆創価学園入学式の創立者のメッセージ
私にとって、新しい希望が無限に生まれ出ずる最上の喜びの日——それが、わが創価学園の入学式であります。
今年の新入生の皆さんは、いかなる縁でしょうか、21世紀の開幕の時に誕生しました。
実は、私の師匠で、創価教育学の道を開かれた戸田城聖先生は西暦1900年に生まれ、20世紀に輝く不滅の歴史を残されました。
それから、ちょうど1世紀を隔てて躍り出たのが、皆さん方なのです。
ですから、皆さんの学びとともに、21世紀は明るくなる。皆さんの努力とともに、21世紀は栄える。皆さんの友情とともに、21世紀は平和になる。その大いなる心意気をもって、きょうから、偉大な学園生活を開始していただきたいと思うが、みんな、どうだろうか!
ご家族の方々、いまだ厳しい経済情勢のなか、学園に送り出してくださり、誠にありがとうございます。
教員の先生方、職員をはじめ、陰に陽にお世話になる方々、どうか、人類の宝たる、この英才たちの薫陶を、よろしくお願い申し上げます。

◇人類の幸福と 平和に貢献せよ
きょうは、学園桜の舞いゆくキャンパスを、皆さんと歌声も高らかに、共に行進する思いで、3点、指針を贈らせていただきます。
第一に、「世界を結ぶ『英知の翼』を鍛えゆけ!」ということです。
わが創価学園は、東西ともに、文部科学省の「スーパーグローバルハイスクール」に指定されております。これまでにもまして、学園生が、いよいよ力強く世界へ羽ばたいていく時代に入っているのです。
昨年の秋、世界的な文化人類学者である、ハーバード大学のヌール・ヤーマン博士を、学園にお迎えしました。トルコ出身の博士は、若き日から、英語、フランス語、ドイツ語など、語学力を磨きに磨き、イギリスの名門ケンブリッジ大学へと進学しております。
博士は、私との対談の中で、語られました。
「人間にとって大事なことは、できるかぎり心を開いて、他の言語や他の思想、他の体験や他の人びとに接しながら、それらの優れた点に学んで、自らの社会を豊かにしていくことにあります」と。
皆さんも、この学園で、語学をはじめ、思う存分に「英知の翼」を鍛えていってください。翼が強ければ強いほど、自由自在に世界を飛び回り、人類の幸福のため、地球の平和のために貢献できるからです。

◇暴力やいじめは 断じて許さない
第二に、「桜梅桃李の『友情の園』を広げよ!」ということです。
学園には、桜は桜、梅は梅、桃は桃、李は李と、互いの人格を最大に尊重し合い、一人一人が自分らしく伸び伸びと、個性を開花させていく麗しい伝統があります。暴力やいじめは、断じて許しません。
学園生に深い期待を寄せられる「詩心の母」であり、アメリカ・エマソン協会の会長を務められたワイダー博士は語られていました。
「他の人と活発に考えを分かち合うことで、自分一人では辿り着けなかった場所に行き着くのです」と。
皆さんは、人類73億人の中から、不思議にも集い合った仲間です。
寮や下宿生活、また長距離の通学、クラブ活動などで、明るく楽しく励まし合いながら、世界一の「友情の園」を広げていってください。

◇負けじ魂を胸に 勝利の歌声高く
第三に、「朗らかに『挑戦』そして『勝利』の歌を響かせよ!」と申し上げたい。
学園生は、私の命です。学園生のご一家は、私の家族です。
関西校の1期生で、お父さんが闘病中の学園生がいました。私も、寮から実家に一緒に電話して、ご両親を激励させていただきました。
彼女は、学園で学ばせてくれている父母の真心に何としても応えるのだ、後輩の道を開くのだと努力を重ねて、立派な医師になりました。後に弟さんも東京校を卒業し、医師となって、姉弟で活躍してくれています。
どんなに苦しいことがあっても、学園生には「負けじ魂」がある。自分のため、父母のため、未来のため、朗らかに不屈の挑戦を貫いてください。
そして、勝利の歌を断固と響かせていただきたいのです。
私も、皆さんと、ご家族のことを、懸命に祈り抜いていきます。
結びに、わが愛する皆さんの新出発を祝して、

学園生
 君の力は
  無窮なり
 学び出せよ
  世紀のために

との一首を贈り、私のメッセージといたします。

2016年4月11日月曜日

2016.04.11 わが友に贈る

新聞休刊日

千日尼御前御返事 P1313
『日本国の一切の女人を扶けんと願せる志はすてがたかるべし』

☆四季の語らい
あらゆるものが動いている。生命は「動き」である。宇宙もまた「動き」である。生きるということは「動くこと」である。「前進は生」「停滞は死」である。コマは、回転しているからこそ安定している。宇宙で、じつとしているものは何もない。全力で動くなかに安定が生まれる。

☆女性に贈ることば 四月十一日
長い人生といえども、一瞬一瞬が積み重ねねである。所詮、よくなるか悪くなるかのどちらかしかない。それを決めるのは自分目身である。

☆今日のことば365 四月十一日
少年よ
 いつも 太陽とともに起きよう
少年よ
 太陽の心を懐いて 勉強に励もう
太陽の沈むとき
 静かに休もう
明日の黎明のために

☆おはなしカフェ 女優 芸術部女性部長 久本雅美さん 2016年4月4日
== 進んでやれば人生の幅が広がるよ。==
Question
入会から2年が経ち、地区やブロックでいろいろと責任を任されることが増えてきました。でも私は、いつも"○○しなければ"と考えてしまい、正直、荷が重いと感じる時もあります。
(東京都 40代 女性)

分かる〜。私も、いろんな話がくるたびに"できるかな?"って思って不安になるしね。
でも、責任を任されるってこと自体が、あなたの信心の素晴らしさですよね(拍手)。誠実に、真面目に、一生懸命に、やっていらっしゃるからだよ。
そもそも、いろんな使命をいただけるって本当にありがたいよね。それだけ自分の人間革命、境涯革命ができるチャンスが増えるってことだから。
私自身も広布の責任をいただいて、たくさんの人の人生劇に触れさせてもらってる。一人一人、年齢も悩みも環境も違う。だからこそ関わった分だけ、信心の素晴らしさを教えていただけるし、自分の人生の幅も広がる。今まで、どれほどの感動と歓喜をいただいたか計り知れないと、つくづく思う。
私が女子部だったころ、仕事で会合に遅れることが多かった。そっと会場に入ると、「久本さんが駆け付けてくれました。ぜひ一言!」って必ず言われるの。そのたびに、"えっ、私ですか?"って、いつも気持ちが引いちゃってた。
だけど、一緒に活動していた本部長は違ったの。彼女も仕事が忙しくて、会合にはよく駆け付けてきた。「じゃあ、本部長」って話を振られると、「はい!」って気持ちよく返事して、今の状況や決意を述べるの。彼女は仕事でも実証を示してた。
その姿に、何事も自ら進んでやった分だけ、人生は開けるんだなって思った。変に遠慮したり、嫌々やってると、どんどん苦しくなっちゃう。だから私も"潔く生きよう"と決めた。その中で、仕事の幅が広がって、大きな仕事も任されるようになっていったんだ。
"ちょっと大変だな"と思ったら、すぐ先輩に相談することが大事だと思う。先輩方も、いろんな経験をされているから。話を聞いてもらって、アドバイスをもらえば、きっと心が軽くなるよ。
責任を感じるってことは、あなた自身が成長しようと思っている証拠だよ。そんなあなたと共に広布に進めば、地域の皆さんも成長できることは間違いなし! 自分らしく、真心の励ましを送っていこう。

2016年4月10日日曜日

2016.04.10 わが友に贈る

◇今週のことば
座談会の勢いが
わが地域の希望の力だ。
「声仏事を為す」
創価家族の明るい声で
幸と友情の花を爛漫と!
2016年04月10日

如説修行抄 P502
『万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず、代は羲農の世となりて今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん時を各各御覧ぜよ現世安穏の証文疑い有る可からざる者なり』

☆四季の語らい
何があろうと、毅然と前へ前へと進むべきである。リーダーが毅然として前進しなければ、民衆は不幸である。歴史をみても、偉大な仕事は往々にして、同時代の人々には理解されず、迫害されるものだ。しかし嵐に向かい、嵐を越えてこそ、不朽の事業はできあがる。

☆女性に贈ることば 四月十日
努力という短い言葉のなかに、勝利と栄光が光っている。

☆今日のことば365 四月十日
生涯をかけて
 私は 私の仕事を通して
高名な建築家よりも見事な
 無名の人生の
  建築をしてみたいのだ

☆〜新会員のための仏法入門〜 第24回 桜梅桃李
◇一人一人が個性を存分に発揮
桜前線が日本列島を次第に北上し、桜の開花情報が連日、マスコミをにぎわせています。今回の「みんなで学ぶ教学」のテーマは「桜梅桃李」。私たちの信奉する日蓮仏法が、一人一人の個性を最大に生かし、その人ならではの魅力を開花させる教えであることを確認します。

◇どこまでも自分らしく!
「桜梅桃李」は、「御義口伝」の中に出てくる言葉です。
日蓮大聖人は『森羅万象のすべてに、三身(仏に具わる法身・報身・応身という三つの側面、すなわち真理、智慧、慈悲)がもともと具わっており、妙法の働きによって、各々の本来の姿を改めずにそれらを顕すことができる』(P784、趣旨)ことを教えられています。
その分かりやすい譬えとして、『桜梅桃李の己己の当体を改めずして無作三身と開見す』(同P)——桜、梅、桃、李が、それぞれ色や形、香り等の特質を改めることなく、ありのままで見事に咲き薫る姿を成仏に譬えられています。
桜は桜、梅は梅……と、それぞれ形や色彩、香りは異なりますが、その花ならではの魅力があります。桜が梅をうらやんだり、桃を目指したりはしませんし、その必要もありません。
どこまでも自分らしく開花していく——。それは私たち人間も同様です。十人十色である容姿や性格について、他人と比較して自分を卑下したり、周囲を妬んだりするのではなく、自身の個性を伸ばしていけるところに仏法の醍醐味があります。

◇自身の「仏の生命」を開く
「御義口伝」には『自体顕照(ありのままの姿を、顕し照らしていく)』(同P)とも説かれています。
私たちが目指す「成仏」とは、今の自分自身とは全く別の"特別な存在"になることでもなければ、現実世界を離れた"理想郷"に行くことでもありません。
『成は開く義なり』(P753)——自身の内に本来具わる仏の生命を開くことであり、『はたらかさず・つくろわず・もとの儘』(P759)——ありのままの自分を伸び伸びと輝かせていくことなのです。
もちろん、ここでいう"ありのまま"は「何もしなくていい」ということではありません。いかなる人間性も、現実の悩みや葛藤と向き合い、それを乗り越えていく中で磨かれます。
大聖人は、万人の仏の生命を開く方途として、南無妙法蓮華経の唱題行を説き顕されました。御本尊への真剣な祈りを根本に、自身の課題に勇んで挑戦することで、自分らしい、自分にしかない個性を存分に発揮していけるのです。

◇「異体同心」の団結で前進
一般に"組織"というと"人間を画一的に縛ろうとするもの"と感じる人もいるかもしれません。しかし、創価学会の組織は全く異なります。
大聖人は、団結について『異体同心なれば万事を成じ同体異心なれば諸事叶う事なし』(P1463)と仰せです。
「異体同心」すなわち、同じ目的を持った一人一人が、それぞれの個性や特質を生かして活躍するならば、何ごとも成就できます。反対に「同体異心」すなわち、表面的には同じ行動をとっているようでも、心がバラバラであれば、力を十分に発揮することはできません。
学会の組織が発展を続けているのは「異体同心」の団結で前進しているからであることは言うまでもありません。
また、学会の同志の輪の中には、老若男女、多種多様な人材がいます。
御書には『悦しきかな汝蘭室の友に交りて麻畝の性と成る』(P31)とあります。
蘭のように芳しい人格の友と交われば、おのずと良き感化を受けて、麻のように真っすぐな心になり、わが生命を律し、高めていくことができる——。魅力に満ちた多くの同志と切磋琢磨していく中で、「自分らしさ」を一層、錬磨していくことができるのです。
「あなたには、あなたにしか咲かせることのできない使命の花が必ずある。一人ひとりがもつ個性を、一番良い方向へ発揮させていけるのが信心である。飾らず、ありのままでよい。『自分自身に生きよ』とは、戸田先生の教えだ。遠慮したり、卑下してはならない。広宣流布の劇は、皆が主役である。全員が『桜梅桃李』の名優たれ!」(池田SGI会長の指針集『御書とともに』)

2016年4月9日土曜日

2016.04.09 わが友に贈る

宝の未来部の育成に
全力を挙げよう!
家族で会合に参加し
輝く金の思い出を。
幸福の大道を共に!

大白牛車御消息 P1584
『法性の空に自在にとびゆく車をこそ大白牛車とは申すなれ、我より後に来り給はん人人は此の車にめされて霊山へ御出で有るべく候、日蓮も同じ車に乗りて御迎いにまかり向ふべく候』

☆四季の語らい
迫害を誉れとして生き抜いていく−−そのくらいの「深い人生」「強い人生」を築かなくては、真の指導者の資格はない。

☆女性に贈ることば 四月九日
人間にとって、信用ほど大切なものはない。信用こそが最高の財産である。信用されない人は、いつしか、わびしい孤触の敗北者となっていく。

☆今日のことば365 四月九日
経験を総括し、次の発明、発見をしていくことだ
それが新しい時代を構築する決め手である

☆仏法の教え 健康な生き方のために
「昨日から急にトイレが近くなって、手洗いに行ってもすぐに出したくなります。出す時、痛いし、血液も出ているようなんです」
医師は検尿を顕微鏡でのぞき見ながら、「ああ、膿がいっぱい出ていますね。細菌も多いし赤血球も見えています。膀胱炎ですね」。泌尿器科の診察室でよく見られるやりとりです。
顕微鏡をのぞくと、膿と表現された白血球や細菌などが見えます。白血球は、敵が体内に侵入してきた時、それを撃退する働きをします。いわば膀胱を"戦場"として、細菌と白血球との"戦争"が起こっているのです。
こうして"戦場"になったことで、膀胱は荒れて真っ赤に腫れ上がり、少しの刺激にも敏感になって、少し尿がたまっても、すぐに手洗いに行きたいと感じます。
赤く腫れ上がった膀胱からは、出血して血尿が出る場合もあります。このようにして膀胱で起こっている細菌との"戦争"を膀胱炎といいます。
こうした敵との小競り合いは、いつも起きていますが、敵が少ないうちは症状が出ません。敵が多くなると、症状を伴った疾患と診断されます。
膀胱炎では、おりものが多い時や多くの細菌が入ってきた時、症状が出ます。また、水分を取らなかったり、排尿を我慢した時にも、細菌が増殖して症状が表れます。さらに、風邪をひいたり、無理をして疲れると抵抗力が弱まり、症状が出てきます。
こうした敵との戦いは全身で起こっていて、恒常的に自身の抵抗力で、病気になることを防いでいます。この、病気を防ぐ力を免疫機能(免疫力)といいます。

◇定期的な検診で早期にがんを発見
例えば、がん細胞は、私たちの体の中で毎日、4000個以上、つくられているとされ、これは免疫機能によって、日々、発見され、増殖する前に破壊されているといわれます。
しかし、がん細胞との初戦に敗れると、あっという間にがん細胞は増殖し、免疫力では抑えきれなくなり、やがて症状を伴うがんへと発展します。
早期発見・早期治療が、がん治療の鉄則ですので、定期的な検診で症状が出ないうちにがんを発見することが大切です。
と同時に、日常的に私たちにできることは、自身の免疫機能を高めることです。
これに関して、ある画期的な発表がありました。ロンドン大学の外科チームが、乳がん患者に病名を告げて手術し、その5年後の状態を調べたのです。
この研究の特徴的なところは、病名を告げた後の精神状態と、病気の予後との関係を探った点でした。
結果は、闘争心を持ってがんと闘い抜いた人や全く以前と変わらない生活を送った人は、5年後の再発率は低く、死亡率も低いというものでした。一方で、不安や恐怖を感じながら、毎日、おびえて生活を送った人たちは、再発率が高く、死亡率が高かったのです。
この研究をきっかけに、心の状態と免疫機能との関係について研究がなされ、心と体とは密接に結び付いていることが分かってきました。笑ったり、気持ちが明るかったり、前向き、意欲的な時に、免疫機能は高まるのです。

◇人の力になることで人が自らの支えに
しかし、心は常に変化します。ふとした縁に触れて、不安や恐怖が頭をもたげるのも、人の常です。
そこで、もう一つ大切になるのが「支援ネットワーク」です。これは、自身の支えとなる人間関係のことです。自身が大変な時に人が心配をして励ましてくれることは、病と向き合っていく上でも大きな力になります。
では、どうすれば多くの人を自分の支援ネットワークにすることができるのでしょうか。それは、やはり日頃から自分が人の心配をして励ましを送り、他人の力になることなのだと思います。
日蓮大聖人は『譬へば人のために火をともせば・我がまへあきらかなるがごとし』(P1598)と仰せになっています。人のための振る舞いは、同時に自分自身のためにもなるものです。
私は多くの方々の病気の相談に関わってきました。どの方も抱えきれない不安を胸に相談に来られます。そんな時、まずお話しするのは、病気になったことには必ず意味があるということです。
例えば大聖人は、ご主人が病気を患う門下に『病によりて道心はをこり候なり』(P1480)と励まされ、病をきっかけとして、より信心を深める生き方を教えられています。

◇元気になって人々に恩返し
病気になることが、そのままマイナスなのではありません。病に直面しても、それをきっかけとして、自らの人生をより意味あるものにできるかどうかこそが問われるのです。
さらに、私は相談を受ける中で、医療の現場では主治医が"主役"なのではなく、病に苦しんでいる患者さんこそが"主役"であると語っています。患者さんの意識を、運命に身を任せるしかない状態から、運命を切り開く主体者だと自覚する状態へと変えていくためです。これは、もちろん主治医の言うことを聞かないという意味ではありません。要は、主治医さえも自身の支援ネットワークの一員にするということです。
その上で、一日一日、一瞬一瞬を何のために生きるのか。こうした人生の目的や"原点"となることを、相手が再確認できるように話を伺います。
とはいえ、病気になると、どうしても弱気になるのも事実です。その結果、自分だけが苦しい、不幸だと思いがちです。いわば、命が狭まっていきます。
しかし、"自身は独りぼっち"ではありません。自分のことを心配してくれる人が周囲にいる場合は多くあります。そうした人々の存在が見えてくると、その人たちも、悩みや苦しみを抱えながら、人を支えようとしていることがわかってきます。すると、何としても病気を乗り越えて恩返しをしたいと、前向きになることができるのではないでしょうか。
私も、これまで支えてくれた同志の方々への感謝は尽きません。この感謝を胸に、これからも患者さんをはじめとする多くの人々のために力を尽くす人生をと決意しています。

泌尿器科医 山川弦一郎
やまかわ・げんいちろう 山口市内の泌尿器科医院で院長を務める。泌尿器科専門医。医学博士。59歳。1976年(昭和51年)入会。山口池田総県副総県長。中国方面ドクター部書記長。

〈コラム〉 病に勝つと決める
病気になると、不安になり、思い悩むことが、誰しもあるでしょう。
日蓮大聖人は、病に悩む門下に何通も励ましのお手紙を送られています。その中に、こういう一節があります。
"あなたもまた、御信心は月が満月になり、潮の満ちてくるようにいよいよ強盛ですから、どうして病が癒えず、寿命が延びないことがあろうかと強い思いをもって、御身を大切にし、心の中であれこれ嘆かないことです"(P975、趣旨)
ここでは、強盛な信心が病苦を乗り越える根本の力であると励まされるとともに、あれこれ嘆かないことを強調されています。
そして、大聖人は続けて、"我らは仏になることは絶対に疑いないとお思いになれば、何の嘆きがあるでしょうか"(P976、趣旨)と述べられています。必ず病苦に打ち勝ってみせると心を定める大切さを示された仰せとも拝されます。
"必ず病を乗り越える"と決めて病気と闘う姿勢が、病苦に打ち勝つためにも、やはり不可欠なのです。

2016.04.08 わが友に贈る

リーダーの成長こそ
組織発展の原動力。
惰性・油断を拝し
壁破る挑戦を!
瑞々しい信心で立て!

四条金吾殿御返事 P1136
『大難来れども憶持不忘の人は希なるなり、受くるはやすく持つはかたしさる間成仏は持つにあり』

☆四季の語らい
リーダーには、大きなストレスがあるものだ。しかし、リーダーならば、それを「前進のカ」に変えなければならない。新たな挑戦の力にしなければならない。「ストレスに強い人」とは、自分に与えられた条件を、最大に生かす人といえるでしょう。いわば「価値創造の人」です。そういう人にグチはない。

☆女性に贈ることば 四月八日
心の大地に深く板を張った人生か。それとも人の日をたえず気にして生きる人生か−−。
人生の基準は、自分自身にある。自身の胸中宣こそある。

☆今日のことば365 四月八日
苦難の嵐に立ち向かった方が、青年は生き甲斐がある場合が多いものだ。次の嵐に再び向かって進もう。それが、建設しゆく青年の、勇敢さと、情熱の発露だ。

☆4月度男子部「御書活動者会」研鑽のために 法蓮抄
『餓鬼は恒河を火と見る・人は水と見・天人は甘露と見る、水は一なれども果報にしたがって見るところ各別なり』(P1050)

◇通解
餓鬼は恒河(ガンジス河)を火と見、人は水、天人は甘露と見る。水は一つのものであるが、果報にしたがって見方はそれぞれ別なのである。

◇背景と大意
本抄は1275年(建治元年)、日蓮大聖人が54歳の時に身延で認められ、下総国葛飾郡曾谷郷(現在の千葉県市川市)の領主であった曾谷教信という門下に与えられたお手紙である。
曾谷教信は「竜の口の法難」「佐渡流罪」という最大の法難の渦中にあっても動揺することなく戦い抜いた。その信心を称賛された大聖人は、教信を「法蓮上人」と呼ばれている。
本抄は、教信が自分の父の十三回忌にあたり、御供養とともに、父の追善供養の時に読み上げる文を大聖人に送ったのを受け、その孝養の心をたたえ、種々、御指南されたものである。

◇解説
今回学ぶ御文の直前で、大聖人は『法華経の文字は皆生身の仏なり我等は肉眼なれば文字と見るなり』(P1050)と仰せである。
凡夫には文字としか見えないが、法華経・寿量品の自我偈の五百十字は、そのまま五百十の仏となって亡き父を訪ね助けるだろうと、大聖人は曾谷教信を大激励されている。
拝読御文では、涅槃経の経文から、渇きを癒やすはずのガンジス河(恒河)の水も、欲望に支配された餓鬼界の衆生には火に見えるとの例えを引用されている。
さらに、ガンジス河の水は、人間として平穏な心で見れば、そのまま水と見え、喜びに満ちた天人には甘露(=不死の飲料)に見える、と述べられている。
私たちが毎日、朝晩に読誦している自我偈。その一つ一つの文字は、凡夫にはただの文字にしか見えない。しかし、仏眼で見れば一文字一文字が仏なのである。
その見え方の違いは「果報」による。果報とは、過去世の行いによる「結果」と「報い」のこと。過去のさまざまな振る舞いは、全てが自身の生命に刻まれる。それが境涯の違いとなる。
だが、一人一人の境涯は変えていくことができる。『今法華経・寿量品を持つ人は諸仏の命を続ぐ人なり』(同P)と大聖人が仰せのように、凡夫であっても自行化他の仏道修行に励んでいくならば、仏の生命を涌現し、境涯を高めていけるのだ。
自身の境涯によって物事の見え方が変わる——それは多くの同志の実感でもある。
ある男子部員は職場の環境に悩み、"なぜ、自分ばかり仕事量が多いのか"と、不満を抱えながら仕事をしていた。
しかし、男子部の先輩から励ましを受け、"自分の心一つで環境は変えられる"と決意。勤行・唱題を実践し、学会活動にも挑戦する中で、"仕事が楽しい"と感じられるようになった。
彼を取り巻く職場の状況が、劇的に改善されたわけではない。変わったのは、彼の心である。彼は、仕事と学会活動の両立を真剣に考え、時間の使い方を工夫するようになった。また、多い仕事量も"自分が期待されている証しだ"と、前向きに捉え、仕事に取り組むようになった。

◇池田SGI会長は語っている。
「人生の目的は何か。それは『幸福』である。幸福の決め手は何か。それは『境涯』である。同じ環境にあっても、その人の境涯によって、幸福ともなり不幸ともなる。そして、信心とは、自身の境涯を限りなく広げ続けゆく『自己拡大作業』である。その根本は唱題である」
新年度の出発に際し、環境の変化に直面する人も多いだろう。慣れない人間関係など、思わぬ苦難に直面することもあるかもしれない。そんな時こそ、「自分が成長すれば必ず状況は変わる」との強き一念で御本尊に祈り、全てに挑戦していきたい。勝利への力は、わが胸中にあると確信して!

2016年4月7日木曜日

2016.04.07 わが友に贈る

地域・職場での
信頼の拡大は
日々の振る舞いから!
弾む声 弾む命で
さわやかな挨拶を!

立正安国論 P26
『予少量為りと雖も忝くも大乗を学す蒼蝿驥尾に附して万里を渡り碧蘿松頭に懸りて千尋を延ぶ』

☆四季の語らい
使命を自覚した青年の力は、無限である。青年に託す以外に道はない。青年は、純粋である。使命のために立ち上がり、損得の"計算"などしないものだ。そうした青年の中に入って、一緒に戦おう。その若い力を、よい方向に引き出していこう−−これがリーダーの根本の精神である。

☆女性に贈ることば 四月七日
日々新鮮な魂で
喜び舞いゆくあなたよ!
悲しむこともなく
負けることもなく
今日も愉快に勝ち進む
あなたの名は
「幸福博士」だ

☆今日のことば365 四月七日
自分の境遇がどうあれ、過去がどうあれ、未来を築きゆく運命の星は、ほかならぬ自分自身の胸中にある。

☆創価大学・創価女子短期大学入学式 創立者のメッセージ 2016年4月3日
創価大学は46期生の皆さん!
創価女子短期大学は32期生の皆さん! 
また、大学院生の皆さん!
さらに、通信教育部の皆さん!
そして、最優秀の留学生の皆さん! 
万朶の桜も寿ぎ、青春の無限の希望光る入学式、誠におめでとうございます!
英知輝く我らの"桜の城"には、今、47カ国・地域から俊英が勇み集われています。
この開かれた若き世界市民の舞台で、きょうから思う存分に、真理の探究と価値創造、そして平和の連帯の誇り高き青春の劇を演じていってください。
大切なお子さま方を深い深いお心で送り出してくださった、ご家族の方々に、私は創立者として厚く御礼を申し上げます。
誠に誠に、ありがとうございます!

◇努力の果てに 偉大な歴史が
きょうは、光栄にも、わが創大が交流を結ぶ、台湾の名門・高雄大学の?肇瑞学長ご一行、また、私も対話を重ねてきた、世界的な平和学者のクレメンツ博士ご夫妻はじめ、ご来賓の先生方、さらに中国の交換教員の先生方が、若き皆さんの新たな門出を温かく見守ってくださっております。
大拍手をもって、感謝と歓迎を表そうではありませんか(大拍手)。
もう40年以上も前になりますが、中国からお迎えした最初の留学生の皆さん方と一緒に、私は桜吹雪の舞う構内を楽しく対話しながら歩んだ、忘れ得ぬ思い出があります。
本日も、愛する新入生の皆さん方と、春の息吹が漲るキャンパスを、共に語らい散策する心で、祝福のエールを、3点、贈りたいと思います。
第一に、「志高く雄大に学び抜く、感激の青春たれ!」と申し上げたい。
ここで一つ提案したいことがあります。
それは、皆さんがきょうの晴れの日までにお世話になった方々の顔を思い浮かべてみよう、ということです。
お父さん、お母さん、ご家族、また学校の先生や先輩・友人、さらに、皆さんの合格・進学を、わがことのように喜んでくれた地域の方々もいるでしょう。
まさに、無数の方々の熱い真心に包まれて、皆さんは、今ここに立ちました。その方々の恩に応え、報いていくためにも、決然と志を高く雄大に掲げていただきたい。
かの孫文先生の盟友に、台湾の崇高なる教育者、于右任先生がおられます。于右任先生が青年を励まされた言葉を、私は、高雄大学の?学長とご一緒に、新入生の皆さんへ、お伝えしたいのであります。
「多くの英雄豪傑の種々の偉大な功績や、人びとを感激の涙にむせばせる事蹟をなしたのをあまねくみれば、立志に始まらないものはない」(西出義心著『于右任傳 金銭糞土の如し』)と。
父母のため、民衆のため、社会のため、世界のためにと、大いなる志を立て、学び抜く挑戦には、それだけ労苦も多いでしょう。壁に突き当たることも多々ある。しかし、だからこそ、真の充実がある。尽きることのない喜びがあります。
どうか、皆さんは、忍耐強い努力、また努力の果てに、やがて人々をも感激せしめる偉大な歴史を創っていっていただきたいのであります。

◇多様な文化を 結ぶ対話の力
第二には、「足元から友情の橋、平和の橋を広げる世界市民たれ!」と申し上げたい。
創価教育の道を開かれた、わが恩師・戸田城聖先生は、「地球民族主義」の理念を示されました。この師の心を心として、私は世界の識者と文明を結び、人類を結ぶ対話を続けてきました。
現在は、ブルガリア科学アカデミーのジュロヴァ博士とも、新しい対談を進めています。
ソフィア大学を代表する女性の知性のリーダーである、このジュロヴァ博士にも、師匠から受け継いだ信念があります。それは、「人間と人間の間に、人生の究極的な目標である平和の橋、相互の友好関係の橋を築く」ということです。
そこにこそ、「創造的人間」が世界の人々のために果たすべき責任があるといわれるのです。そして、この博士が、世界の多様な文化を尊重し、人々を結ぶ対話の力を発揮することを期待してやまないのが、わが創価の青年なのです。
創大と世界の大学との交流は、52カ国・地域の179大学にまで広がっています。グローバルな人材を育成するためのさまざまなプログラムも、短大の語学研修制度も、ますます拡充していきます。
皆さんの舞台は地球です。世界の友と闊達に語学を磨き合い、異文化への理解を深めながら、友情の橋、平和の橋を大いに架けていってください。

◇創価教育創始 90周年へ前進
そして、第三に「生命尊厳の正義の賢者たれ!」と申し上げたい。
わが創大・短大は、時空を超えて、遠大なスケールで、人類の魂の巨人たちをも、心の友としていく学舎です。
この講堂の緞帳に描かれたソクラテス、プラトン、アリストテレスたちも、また、大学キャンパスに像がある、ナワイー、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ビクトル・ユゴー、トルストイ、ホイットマン、ホセ・リサール、タゴール、マリー・キュリー等々も、新たな地球社会を創造しゆく皆さん方の精神の盟友なのです。
その一人レオナルドが、眼光鋭く自然と人間の生命の実相を探究して得た一つの結論があります。それは、「まことに、生命を尊重しないものは生命に値いしない」(杉浦明平訳『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記 上』)ということです。
日本の軍国主義と戦い獄死した、創価教育の父・牧口常三郎先生の揺るぎない信念の根幹も、「生命の尊厳」でありました。
世界には、ますます生命を蹂躙する暴力が噴出しております。それゆえに私たちは、生命尊厳の旗を、いやまして勇敢に聡明に掲げてまいりたい。
レオナルドが「魂の中の最善なるものは智慧である」(足立重訳『レオナルド・ダ・ヴィンチの手帖 文学・思想篇』)と洞察した如く、正義と人道と共生の智慧の力をいよいよ強めていきたいのであります。
生命の尊厳といっても、抽象論ではありません。皆さんが賢者となって、自身と、縁する一人一人の生命を大切にすることから始まります。留学などの機会も増えます。乱れた時代であるがゆえに、一日また一日、強く賢く朗らかに、健康で、また絶対に無事故で、わが生命の可能性を遺憾なく引き出していっていただきたいのです。
私は、わが生命そのものである、かけがえのない皆さん方が、断固として守られるように、日々、妻と祈り抜いております。さらに真剣に祈り切ってまいります。私と心を同じくしてくださる先生方、職員の方々、どうか、これからも、何卒よろしくお願い申し上げます。
46期生の皆さんが卒業する2020年は、創価教育の創始から90周年、大学の開学から50年目です。
短大も先日、30回目の卒業生を送り出し、新時代の希望の建設が始まっております。
新たな創価教育の黄金の歴史を築いていくのが、皆さんです。その皆さんの前途に思いを馳せつつ——

青春の
 無限の価値を
  創りゆけ
 学びの翼で
  世界へ 未来へ

と贈ります。
新入生、万歳! 留学生、万歳! わが愛する君たち、あなたたちよ、断じて勝ちゆけ! きょうは、本当におめでとう!

2016年4月6日水曜日

2016.04.06 わが友に贈る

新社会人の友よ
「真剣」「率先」
「努力」で光れ!
清新なる決意で
一日一日を勝ちゆけ!

忘持経事 P976
『槃特尊者は名を忘る此れ閻浮第一の好く忘るる者なり今常忍上人は持経を忘る日本第一の好く忘るるの仁か』

☆四季の語らい
リーダーは、皆を「ほめたたえていく」ことである。大誠実で「尽くしていく」ことである。心が小さい人は、人をほめられない。「ありがとう」「ご苦労さま」「立派だね」「素晴らしいね」と、心からほめたたえていける指導者であってほしい。ほめるのは「おだてる」のとは違う。誠意をもって、希望と張り合いを与え、その人が喜びをもって活躍できるようにしていく励ましである。

☆女性に贈ることば 四月六日
子どもが楽しく喜んで学校に通うことができるかどうかは、長初のスタートにかかっています。
わずかの時間でも、お母さんが笑顔で送り出し、また子どものほうから何か話しかけてきた時には、決して面倒がらずに、しっかり耳を傾けてあげること。それが、どれだけ子どもの心を安定させるか、計り知れません。

☆今日のことば365 四月六日
青春は人生の花である。それが、生命の自然のあり方であり、当然すぎるほどの道理でもあろう。人間のつくり出した文化は、青春から、喜びを奪い、苦痛に満ちた灰色の世界に変えてしまった。自然の道理をゆがめている、このような文化が、正しいものであるか、どうか。私は疑問を抱かずにはいられない。

☆御書と歩む 第9回 誠実と忍耐で勝ち光れ
『仏法は体のごとし世間はかげのごとし体曲れば影ななめなり』(諸経と法華経と難易の事、P992)

◇通解
仏法は体であり、世間は、その影のようなものである。体が曲がれば影はななめになる。

◇同志への指針
春4月。新社会人の友も、新天地で出発の友も、健康第一で明朗に新風を、と祈りたい。
仏法は一人一人が胸を張って社会に貢献し、人生を勝利するための根本の柱である。
我らには、一切を打開できる信心がある。励まし合える同志がいる。大変な時ほど、題目を唱え、負けじ魂で立ち向かうのだ。わがフレッシュマンよ、誠実に粘り強く、勝ち光ってくれ給え!

2016年4月5日火曜日

2016.04.05 わが友に贈る

わが「命」を
何に「使」うのか。
常に自身に問い掛けよ!
広布の使命を自覚した時
無限の希望が生まれる。

南条兵衛七郎殿御書 P1495
『これらをもつてしるべし善なれども大善をやぶる小善は悪道に堕つるなるべし』

☆四季の語らい
民衆に仕え、民衆に尽くし、そして民衆から愛されゆくことは、指導者の最高の栄冠であろう。愚人にほめられる必要などない。それほど恥ずかしいことはない。

☆女性に贈ることば 四月五日
過去にとらわれるのではなく、「これから」「今から」「今日
から」−−と、つねに前に進んでいく強き一念を忘れまい。

☆今日のことば365 四月五日
戦災に 残りて咲きし桜花
空は蒼空 落花紛々

その背景は 現実の廃墟
花仰がずして 民憐れなり

流浪の彼方 厳しや
親子の道

群居の波に開花あり
夜明けの彩色か 桜花

ああ複写あり この存在
権力人と 平和人

散る桜 残る桜も 散る桜 と
謳いし人あり

青春桜 幾百万
なぜ 散りゆくか 散りゆくか

南海遠しや 仇桜
爛漫未熟に 枝痛し

残りし友も いつの日か
心傷あり 理念界

諸行は無常か 常住か
それも知らずに 散りゆくか

散る桜 残る桜よ 永遠に
春に 嵐と 咲き薫れ

☆新時代を創る 第11回 威風堂々と師弟の桜道を
爛漫と
 師弟の勝ち鬨
  桜かな

わが師・戸田先生の祥月命日を前に、師弟原点の地・大田区の文化会館で、懇ろに報恩感謝の勤行を行った(3月30日)。
先生は桜がお好きであった。厳寒の冬を耐えて咲き誇る桜花のごとく、大難を越え、爛漫たる広布と人生の凱歌を飾られた。そして桜の花の咲く頃に、霊山へ旅立たれたのである。
来る年来る春、門下が桜を仰ぎつつ、後継の決意を新たにして、「五月三日」へ勢いを増していけるようにと、前進のリズムを留めてくださった。
桜は希望と平和の象徴である。学会から大田区に寄贈された千本の桜の若木も、40年を経て立派な大樹となり、各地の方々に愛でられている。
記念の月間を勇み走る、ふるさと大田の同志をはじめ、わが友の健闘を讃え、福徳と人材の花よ、咲け! そう祈って、"桜の城"の会館で、ピアノを弾いた。
「さくら」「森ケ崎海岸」、そして先生と幾たびとなく歌った"大楠公"……。
師匠を思えば、力は無限に湧いてくるのだ。

日蓮大聖人は『さくらはをもしろき物・木の中よりさきいづ』(P1492)と仰せになられた。
——明るく美しい桜の花が暗いゴツゴツした木から咲き出ずるように、凡夫の心からも、最極の仏の生命を絶対に涌現できる、と。
御本仏が示された通り、我らは一人また一人と「人間革命」の花を咲き薫らせてきた。「幸福」と「平和」の創価の桜道を、日本中、世界中に開いているのだ。

尊き"桜守"の方々は、見事な開花のためには、咲いていない時の手入れこそ勝負と教えてくれる。
人材を育てるのも、友情を育むのも、道理は同じだ。陰の労苦を惜しんではならない。真心込めて祈り、励ましの声をかける。勇気と誠実の対話を、粘り強く重ねることだ。
『各各我が弟子となのらん人人は一人もをくしをもはるべからず』(P910)との御聖訓のまま、勇敢に拡大に打って出よう!
いかなる試練の風雪も、断じて恐れることはない。「冬は必ず春となる」——この希望の勝利劇を、いやまして威風堂々と示していこうではないか!

2016年4月4日月曜日

2016.04.04 わが友に贈る

◇今週のことば
わが青年部が力走する
「正義拡大月間」だ。
励ましの春風を広げ
対話の花を爛漫と!
若き熱と力で新時代を!
2016年04月04日

☆四季の語らい
リーダーとしての大切な要件は「誠実」にある。決して、威張らず、友に尽くしていくことである。正直さ、優しさ、責任感、信念、庶民性−−そうした「人間性」を皆は求めている。ゆえに、自分らしく、「人間として」成長していくことだ。

☆女性に贈ることば 四月四日
母よ 大楽観主義者の母よ!
誰でも あなたの名を呼ぶとき
暖かな春が 胸に よみがえる
誰でも あなたの声を開くとき
懐かしい故郷から 生きる力を得る

☆今日のことば365 四月四日
将来、社会人として経験する、−−会社の先輩、後輩も、競争相手も、表面に見る姿は、千差万別であるが、その基底に、人間としての理解があってこそ、はじめて、それを生かしていくこともできるのであろう。

☆随筆 永遠なれ創価の大城 第4回 正義の王者の誇り
「創価学会は宗教界の王者である!」
昭和三十三年(一九五八年)の三月十六日——わが師・戸田城聖先生は、不滅の「広宣流布記念の大儀式」において、宣言された。
それは、戦時中の大弾圧を勝ち越え、七十五万世帯の弘教を成就された先生の凱旋であられた。
そして、門下の私たち青年に、厳然と託してくださった宝冠である。
日蓮大聖人は、毅然と同志の先頭に立つ千日尼へ、『此の経文は一切経に勝れたり地走る者の王たり師子王のごとし・空飛ぶ者の王たり鷲のごとし』(御書一三一〇ページ)と仰せになられた。
「宗教界の王者」とは万人成仏の法を明かした「一切経の王」たる法華経の精神を身に体して、広宣流布という最も至難な大聖業を遂行する王者のことである。
「地走る者の王」の如く走り叫び、民衆を不幸に陥れる邪悪を打ち破る正義の師子王のことだ。
我ら創価の師弟は、未来永遠にこの「王者」の心で、威風も堂々と戦い続けていくのである。

◇恩師の夢を抱き
「3・16」の儀式に続く日々は、対話の一瞬一瞬が、師から弟子への相伝の宝の時間であった。
ある日の朝、先生は、私を傍らに呼ばれた。
「大作、メキシコへ行った夢を見たよ」
「待っていた、みんな待っていたよ。日蓮大聖人の仏法を求めてな」
体は衰弱されていても、恩師の胸には、壮大なる世界広宣流布の夢が広がっていたのである。
御書に『広宣流布の時一閻浮提の一切衆生・法華経の行者となるべきを涌出とは云うなり』(八三四ページ)と仰せである。
誰もが、地涌の菩薩の使命をもっている。必ず、その尊き使命に目覚める時が来るのだ。
「みんな待っていたよ」との言葉から、先生の悠然たる大確信が伝わってきた。
先生は私に言われた。——生きろ。うんと生きるんだぞ。そして、世界に征くんだ!
不二の弟子は、「空飛ぶ者の王」鷲の如く勇気と智慧の若き翼を広げ、嵐も恐れず、一閻浮提広布の天空へ舞いゆけ——この師の熱望に応えて、私は先陣を切った。

私がメキシコに第一歩を印したのは、先生との語らいから七年後(一九六五年)である。
先生が夢にまで思い描かれた天地で、メキシコの革命記念塔などを同志と共に視察した。
以来、広布五十周年の佳節を迎えた昨年、その革命記念塔の目の前に、創価の宝城「メキシコ平和文化センター」が誕生した。半世紀前、約十人だった宝友は、今や七千人の地涌の連帯と輝いている。
十七世紀のメキシコで活躍した女性詩人ソル・フアナは詠った。「ひとつ苦しむごとに、あなたは栄光に近づく」と。
わがメキシコの同志の前進にあっても、あまりにも尊き太陽の母たち、女性たちの無数の労苦があったことを、私は忘れない。
メキシコ発展の礎は、「求道」の一念である。
私がメキシコに足跡を留めたのは五回。飛行機の乗り継ぎで立ち寄り、空港に着いたのが明け方の時もあった。それでも、友は駆け付けてくれた。その一期一会が、永遠の黄金の思い出である。
二十年前、キューバ、コスタリカを初訪問してアメリカへ向かう際、カリブ海に臨む港湾都市ベラクルスでも、空港が出会いの舞台となった。
空港ロビーで「ヨウコソ!」と歓迎してくれた少女も、その後、白蓮グループのリーダーとして活躍し、地域で社会で、立派に貢献している近況を伝えてくれた。
わが同志が、世界のいずこでも、福徳と勝利の実証を示してくれていることが何より嬉しい。
広宣流布は、人間に会い、仏縁を結ぶことだ。妙法の種を蒔き、一人ひとりの生命に具わる無限の可能性を解き放っていくことだ。そして「人間革命」という王者の勝利劇を、共々に綴っていくことである。

◇世界照らす太陽
「観心本尊抄」には、『天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか』(御書二五四ページ)と明言なされている。
この太陽の仏法を受持した若人が、己の誓願の国土で、時代の闇を晴らす希望の光を放つのだ。
アフリカ各国の青年部も、世界広布新時代の「3・16」を勝ち飾っている。
カメルーンの青年部は、これまでで最大の千二百人の総会を行い、席上、百人の友へ新たに御本尊が授与された。
「アフリカの世紀」を担い立ち、勇気の波動を広げるリーダーが凜然と決意を寄せてくれた。
「自身が勝ち、皆が勝利できるように一人ひとりを支え、そして偉大な世界宗教の道をいよいよ邁進していきます」と。
創価の若き世界市民の連帯は、生命尊厳の宝塔を揺るぎなく林立させながら、平和の地球社会を照らし始めているのだ。

◇未来を恐れない
真の「王者」は、次代の発展のため、確固たる後継の流れを創り上げる。
恩師が「一度会ってみたいものだ」と言われたインドの初代首相ネルーも、独立が実現した後、社会改革の"継承"のため、真摯に手を打っている。
世代間に生ずる意識の差など困難な課題を直視しつつ、次の世代を薫陶し、根本の精神性を伝え、若き生命の最善の力を引き出すことに焦点を定めていた。
この"継承"を信じるゆえに、ネルーは「わたくしは未来を恐れない」と言い切ったのである。
今、仏教発祥の天地たる、このインドでも、法華経の人間主義の源流を受け継いで前進する創価の青年たちに、絶大なる信頼が寄せられている。
大聖人は、地涌の菩薩の強さを、『能く能く心をきた(鍛)はせ給うにや』(御書一一八六ページ)と洞察なされた。
仏道修行という、最も地道にして、最も偉大な生命の錬磨によって、心を鍛えている地涌の若人ほど、頼もしき正義の後継者はいないのだ。
この誇りと自信をもって、青年部の君たちは胸を張ってもらいたい。

それは、大聖人の御精神を踏みにじる、民衆蔑視の邪宗門との熾烈な攻防が続いていた二十五年前(一九九一年)の三月のことであった。
「3・16」を記念する全国青年部幹部会が愛知・名古屋を舞台に、意気高く開催された。勇んで出席した私は、創価の「この道」を走りゆく、わが中部青年部に、後継を頼むと熱願した。
さらに、「『魂の炎のバトン』を君たちに」と題するメッセージを若き弟子たちに贈ったのだ。
本門の師弟の力走を続けて、私が神戸の大通りにそびえ立つ兵庫の文化会館を初訪問したのは、この年の十月である。
記念の総会では、大阪事件の無罪判決の歴史を通し、苦楽を共にしてきた常勝関西の同志と、あらためて「仏法は勝負」と、生命に刻んだ。
——いかなる悪戦苦闘をも突き抜けて、断じて勝ち切るのだ! 弟子の勝利こそ、師への最高の報恩となるからだ、と。
わが兵庫、わが関西の共戦の友は、その四年後の阪神・淡路大震災の悲劇も決然として乗り越えてきてくれた。
この兵庫の文化会館で先月、全国男子部幹部会が行われた。師弟の大道を歩み抜く青年たちの姿が、私は頼もしかった。
「不幸な人の味方となり、真実に全民衆が、安心して暮らしていける世の中を築き上げよう」
私が、大阪事件の勝訴の前夜に尼崎で叫んだ、この「立正安国」の闘魂を、常勝の負けじ魂の若人たちは朗らかに発揮してくれているのだ。

◇追撃また前進だ
「追撃の手を緩めるな!」——これは私たち青年が、恩師・戸田先生から直々に頂戴した最後の指針である。
追撃だ! 前進だ! 立つ時は今だ。前進なくして勝利も幸福もない。
先日、久方ぶりに訪れた文京区の同志との合言葉も「前進」である。
広宣流布は、永遠に仏と魔との戦いだ。あえて三障四魔をも駆り出し、勇猛に打ち破り、生命の凱歌を上げていくのだ。
栄光の「5・3」へ、いよいよ、わが男女青年部の「正義拡大月間」がスタートした。
さあ、青春乱舞の四月。
青年よ進め。広布後継の「魂の炎のバトン」を握り、快活に進め!
激流が巌を越えて進むように勢いよく、四月も断固と勝ち切ろう!

烈々と
 広布を継ぎゆけ
  弟子なれば
 王者の闘魂
  日々に光らせ

2016.04.03 わが友に贈る

苦労が人をつくる。
挑戦が未来を開く。
新たな歴史の建設へ
はつらつと進もう!
若々しい息吹で!

開目抄上 P200
『今度強盛の菩提心ををこして退転せじと願しぬ』

☆四季の語らい
信仰で培った人間性の輝きは、行動となって、社会に、生活にと反映されていく。人々に希望の光をおくり、地域に貢献していく。それが仏法者のあり方である。
自分が今、住んでいる地域を、だれよりも愛し、大切にしていってほしい。その場所を"より良いところ"に変えていってほしい。地域に根を張れ。地域の人々に慕われよ。人と人を結ぶ中心軸たれ−−。誠実にして、温かな振る舞いのあるところ、必ずや人間共和の世界が広がるにちがいない。

☆女性に贈ることば 四月三日
何かに縛られているように感じる時。すべてが受け身になっている時。なんとなく迷いが感じられる時。
そういう時ほど、一念を逆転させて「さあ、この道を貫こう!」と決めていくことだ。
その一念のなかに、真実の「春」が到来する。

☆今日のことば365 四月三日
人間が人間として「豊かさ」をかみしめるのは、目先の簡便さなどではなく、自分自身が額に汗を流し、前精魂を傾けた労働にある時が多い。

☆四季の励まし 冬に耐えて「勝利の春」の喜び 2016年3月27日
桜は、厳しい冬を
耐えて、耐えて、耐え抜いて、
遂に迎えた春を、
歓喜の勝鬨のごとく咲き誇る。
今しかない、今しかないと、
命の限り、
清浄なる白き炎となって、
燃えて咲きゆく景観は、
皆の心に、
安堵と平穏の憩いを与えてくれる。
「瞬間即永遠」である。
今を生き抜き、
断固として、勝ち取るなかに、
三世に薫る、
「勝利」と「栄光」の人生の
開花がある。

互いに励まし合える世界は
「喜び」に満ちていく。
反対に、他人と比べて
一喜一憂する生き方は、
最終的に必ず行き詰まってしまう。
人生は桜梅桃李である。
自分が他人になることはできない。
自分は自分らしく、
大輪を咲かせていけばよいのだ。
自分の"過去と現在"を比べて
成長しているかどうかである。
「昨日より今日」
「今日より明日」という生き方こそ、
仏法の生き方なのである。

春、万歳!
学会は常に春だ。
人生の春だ。
完勝の春だ。
握手と握手の春だ。
春風は
残酷な苦悩も
皆、吹き飛ばしていく。

春が来た!
厳しき寒風を
乗り越えて
桜とともに
春が来た!
我らの大きな希望にも
一段と明るく
春が来た!

きょう3月27日は「さくらの日」。古代中国の暦で「桜始開(さくらはじめてひらく)」がこのころであることなどから、定められたという。
「さまざまの事おもひ出す桜かな」(松尾芭蕉)。池田SGI(創価学会インタナショナル)会長は、桜の命の輝きの中に、在りし日の恩師・戸田第2代会長を重ねてきた。事業が苦境にある中、「厳寒の冬を耐えて、また、あの桜が咲いたよ」と語った姿。桜とともに、広宣流布の偉大な生涯を閉じた1958年(昭和33年)の4月2日——。
SGI会長は万感を込めて、毎年のように桜をカメラに収めてきた。写真は2008年(平成20年)4月、八王子市の東京牧口記念会館で撮った一枚である。
今年も、桜前線が北上を始めた。爛漫の花の命を仰ぎつつ、「5月3日」へ、満々たる勢いで進んでいきたい。

2016年4月2日土曜日

2016.04.02 わが友に贈る

足を運び続ける。
悩みに寄り添い続ける。
粘り強い励ましが
友の心に灯をともす。
誠実第一の人たれ!

撰時抄 P266
『南無妙法蓮華経と一切衆生にすすめたる人一人もなし、此の徳はたれか一天に眼を合せ四海に肩をならぶべきや』

☆四季の語らい
仏法は、あくまでも道理である。社会から離れて、また現実から離れて、仏法はない。ゆえに、良識豊かに、そして、常識を大事にしていくことである。社会を尊重し、社会と調和していく。人間を敬い、人々の中に入っていく。これが仏法のいき方である。

☆今日のことば365 四月二日
恩師・戸田先生は、「恩を返すのが最上の人間だ」と言われた。
報恩の人生は美しい。お世話になった人に恩返しをしていこうという心が、一番、自分を成長させる。限りない向上のエネルギーとなっていく。
報恩の人こそ、人生の勝利者である。

☆今日のことば365 四月二日
自分の道は誰にも頼らず、自分で決めることだ。どんな苦難にもくじけない、強い自己の建設のみが、新しい自己の革命となるのである。

☆大白蓮華巻頭言 2016年4月号 一人ももれなく!喜びの舞を
悠久のシルクロードの天地で語り継がれてきた英知の言葉が、思い起こされる。
それは、「良き人と友情を結べば、人生において、すべてを勝ち取ることができる」というのである。
人間同士の豊かな「つながり」は、健康と長寿においても、かけがえのない力を持っていることが、今、医学的に多次元から立証されている。
深刻な孤立や無縁が憂慮され、心の砂漠が広がる少子高齢社会にあって、温かな思いやりに潤う命のオアシスこそ、創価の地区であり、ブロックである。
我らは、来る日も来る年も、勇気と誠実の対話を重ねながら、人類をつなぐ友情のシルクロードを、遂に世界百九十二カ国・地域まで開いてきたのだ。
御聖訓には、『無一不成仏と申して南無妙法蓮華経を只一度申せる人・人として仏にならざるはなし』(P1373)と記されている。
人々を幸福にする妙法の功力とは、これほどまでに大きい。ゆえに仏縁を結ぶことが、いかに大切か。
また、広宣流布の陣列に、ひとたび縁した一人一人が、いかに大事な存在か、計り知れないのだ。
日蓮太聖人は門下に、『一日片時であっても私の命を助けてくれた人々であるから、どうして他人のように思えようか』(P1489、趣意)と仰せである。
そして、その人の難しい立場を思いやられ、『何があろうとも、どうして、あなた方を見捨てるようなことがあるでしょうか』(同P、趣意)と明言された。
御本仏の慈悲は、あまりにも広大無辺であられる。
このお心を拝する創価家族のスクラムは、この世で最も明るく、麗しく、大らかな人間の絆なのだ。
今、思うように会合に参加できない同志もいる。
あるいは、組織から遠ざかって久しい場合もあろう。
しかし皆、宿福深厚なるゆえに、妙法を受持した地滴の菩薩である。心田に蒔かれた仏種が、芽吹き、育ち、花開いていかないわけがない。
だからこそ、強盛に題目を送り、「歓喜の中の大歓喜」の波動を、友の生命に伝え広げていくのだ。
真心込めて訪問・激励を、粘り強く重ねていくのだ。
創価の励ましの達人たちは、まさに「柔和忍辱の衣」を帯して、慈愛の包容力を発揮してくれている。
たとえ、すぐに相手が発心しなくとも、焦ることはない。折り、動き、打ち込んだことは、「一念三千」の力用で、未来までも変えていくからである。
「一人」のためにと、二日がかりで、九州まで足を運ばれた、牧口常三郎先生は語られた。
「私の足跡の後に必ず青年が続々と続きます」と。
創立の父の率先垂範を偲びつつ、私が九州へ第一歩を印したのは六十年前、大阪の戦いの渦中であった。
九州の宝友は、私と不二の心で立ち上がってくれた。
広宣流布、立正安国の大誓願に勇んで挑む歓喜踊躍の舞は、必ずや新たな地滴の友を呼び出すのだ。
さあ、栄光の五月三日から、創価女性の月・六月へ、青年凱歌の七月へ、楽しく賑やかに大前進を!

幸福と
 勝利をつかむ
  広布施
 あの友この友
  皆で愉快に

2016年4月1日金曜日

2016.04.01 わが友に贈る

輝く桜花の如く
生き生きと進もう!
生命力が大切だ。
祈りを根本に
わが課題に挑め!

道妙禅門御書 P1243
『只肝要は此の経の信心を致し給い候はば現当の所願満足有る可く候、法華第三に云く「魔及び魔民有りと雖も皆仏法を護る」第七に云く「病即消滅して不老不死ならん」との金言之を疑う可からず』

☆四季の語らい
人間関係を豊かにしていく上で、最も大切なことは何か。「誠実」である。結局、「誠実」しかない。「誠実」は強い。最高の武器である。最後は、「誠実」な人が信頼され、勝利する。

☆今日のことば365 四月一日
太陽は、うまず、たゆまず、自らの軌道を進み、万物を照らし、育んでいく。
女性は、一家の太陽です。太陽の如く明ふく、太陽の如く力強く、太陽の如く健康に、「今日も、何かに挑戦しよう!」「今日も、一歩進もう!」と、目標をもって、掛りのある一日一日を積み重ねていってほしい。

☆今日のことば365 四月一日
人の一生の重さを計る基準は、単に生きた年数の長短によって決まるのではない。
その人生の価値内容によるものだ。

☆仏法の教え 心をあらためたアジャセ王
◇人生の師と共に正しい道を
とおいとおい むかしのおはなしです。
インドのマガダ国に ひとりの王子が生まれました。
生まれるまえから すでに父をにくんでいたという ふかい業をもつ、この男の子は、アジャセと名づけられました。
やがて、アジャセは、せいちょうし、青年となりました。
ところが、こまったことに、ダイバダッタという たいそうおそろしい男が王子にちかづいてきて、あれこれとわるいたくらみをはじめます。
ある日、ダイバダッタは、いいました。
「王子、今こそ、父上をなきものにして、王の座をうばうチャンスですぞ」と。
そそのかされたアジャセは、おそろしいことに、たいせつな父親をころしてしまったのです。
こうして、アジャセは、マガダ国の王になりました。
しばらくして、ダイバダッタは、さらに、とんでもないくわだてをします。
「アジャセ王どの、つぎは、シャクソンをなきものにしたらいかがか、と」
またしても、そそのかされたアジャセ王は、あろうことか、とうといシャクソンさまをころそうとします。
コブが三つもある大きなゾウに酒をたくさんのませてよっぱらわせ、シャクソンさまをおそわせたのです。
「ぱぁー。ぱぁー。ぱぉぉおーん!」
よっぱらいゾウは、ながいはなをふりまわし、くるったようにおおあばれ。
のっしのっしと むらじゅうの家をこわし、ひとびとをふみつけました。
さすがに、よったゾウといえども、シャクソンさまをころすことはできませんでしたが、おおくのでしたちが いのちをおとしてしまいました。

ほどなくして、ある日、ごおーっというものすごい地ひびきがしました。
いなずまとともに、大地がふたつにさけました。すると、そのさけめに、あのダイバダッタが、すいこまれるようにおちていったではありませんか。
ダイバダッタは、わるいことを つみかさねたむくいで、じごくにおちたのでした。
このことをしったアジャセ王は、うろたえました。
「あぁ、つぎは、わたしのばんだ。わたしもおなじように じごくにおちることになるにちがいない」
じっさい、からだじゅうにはれものができ、ねっとうをかけられたようにあつく、きりきりといたみ、すでにじごくのくるしみを あじわっていました。
そこへ、ギバという医者があらわれて、つげました。
ギバは、シャクソンさまのでしでした。
「王さまのやまいをなおすのは、仏のおしえのほかありません」
「仏だと。あのシャクソンさまを なきものにしようとしたわたしが、仏の道などゆるされようはずがあるまい」
アジャセ王は、父をころし、シャクソンさままで なきものにしようとした罪をたいへんにくいていました。
「ああ、なんてことをしてしまったのだ! わたしの罪はおもい。すくってもらうことなどできようか」
すると、ギバは、そんなアジャセ王をまっすぐにみつめ、つつみこむように、かたりました。
「たしかに、王のされたことは、わるいことです。しかし、あやまちをみとめ、仏のおしえをうけようと ひとたびきめたならば、だれにでもびょうどうに 道はひらかれているのです。さあ、シャクソンさまのもとへ いそぎましょう」

こうしてかけつけたふたりをシャクソンさまは、とてもあたたかくむかえました。
「アジャセ王よ、安心しなさい。わたしのもとにやってきたということは、いま、まさに、仏の道をあゆみはじめたということなのです」
シャクソンさまのまごころのことばに、アジャセの目から ひとすじのなみだが こぼれおちました。すると、ふしぎなことに、からだじゅうのはれものが すうっときえたのです。
「ああ、ありがたい。これからは、仏をうやまい、民のために王として力をつくさねば」
アジャセ王は、このときのちかいどおりに、みなから したわれる りっぱな王へとかわりました。
そして、こころざしあつく仏をうやまいつづけ、シャクソンさまなきあとも 仏の教えをひろめることに、こころをつくしたのでした。