2015年2月8日日曜日

2015.02.08 わが友に贈る

◇今週のことば
�互いに常に語り合え�
御書の通りの座談会こそ
われらの力の源泉なり。
皆が主役で快活に!
会場のご家族に深謝を。
2015年02月08日

松野殿御返事 P1389
『命終りなば三日の内に水と成りて流れ塵と成りて地にまじはり煙と成りて天にのぼりあともみえずなるべき身を養はんとて多くの財をたくはふ、此のことはりは事ふり候ぬ但し当世の体こそ哀れに候へ』

◇人生の座標
人生や戦いには、前進するときもあれば、退いたりするときもあります。休んだほうがよいときもある。さまざまな変化があるものだ。目標達成のためには、さまざまな変化があってもかまわないのです。

☆100文字の幸福抄
真の国際友好とは何か。
国と国の関係といっても、
人と人の関係に帰着する。
互いの信頼、友情こそが全ての基盤となる。
ゆえに「人間」を育て、「人間」を結びたい。
後に陸続と続くであろう青年たちに、
道を開く人生でありたい。

☆第40回「SGIの日」記念提言 「人道の世紀へ誓いの連帯」(上)�
◇ガンジーの信条と仏法の「中道」思想
そうした事態に歯止めをかけて、政治や経済の軌道修正を図るには、どのような原則に立ち返ることが必要なのか——。
私は、マハトマ・ガンジーが友人に贈った次の言葉を、一つの手掛かりとして挙げたいと思います。
「これまでに会った中で最も貧しく、最も無力な人の顔を思い出して下さい。そしてあなた自身に次のように問いかけて下さい。自分がしようと思っていることは彼の役に立つだろうか?」(『私にとっての宗教』)
つまりガンジーが、重大な判断を下す時に忘れてはならない点として促したのは、政治の力学でもなければ、経済の理論でもない。自分と同じ世界に生き、苦境に陥っている人々の姿にあったのです。私はここに、仏法が説く「中道」の思想と通底するものを感じてなりません。
「中道」とは、単に極端な考えや行動を排することではなく、"道に中(あた)る"と読むように、自分の判断や行動が「人間としての道」に反していないかどうか、常に問い直しながら、自分の生きる証しを社会に刻み続ける生き方に本義があるといえます。
その意味では、釈尊が最晩年の説法で"ダルマ(法)を洲とせよ"と強調した際、"一人一人が自分自身を拠り所とせよ"と同時に促していた点は、「中道」の本義を示唆したものとも解されましょう。
自らを拠り所にするといっても、自分本位の欲望のままに振る舞うといった意味では決してない。仏教学者の中村元博士は、釈尊の真意を、「だれの前に出しても恥かしくない立派な、本当の自己というものをたよること」(前掲『原始仏典を読む』)と提起しましたが、私も深く同意します。
一人一人が、自分の行動によって影響を受ける人々の存在を思い浮かべ、その重みを絶えず反芻しながら、「本当の自己」を顕現する手掛かりとし、人間性を磨いていく。その営みが積み重ねられる中で、政治や経済のあるべき姿への問い直しも深まり、再人間化に向けた社会の土壌が耕されていく——。「中道」の真価は、この変革のダイナミズムにこそあると、私は強調したいのです。

◇牧口初代会長が尋問で訴えた信念
自らの決断が時として、社会の空気や時流に逆らうものと非難される場合があるかもしれない。それでもなお、信念を貫き通さなければ「不善」となり、結果的に多くの人々を苦しめる「大悪」を招くことになると訴えたのが、創価学会の牧口初代会長でした。
第二次世界大戦中の日本で思想統制を強行する軍部ファシズムに対し、牧口会長はその誤りを正すべく行動を続けました。
会合を監視され、機関紙も廃刊に追い込まれ、ついに投獄された牧口会長は、当局の尋問に対し、次のように主張していたことが記録に残されています。
「世間的な毀誉褒貶等に気兼して悪くはないが、善もしない所謂世間並に暮せばそれで足れりとして、小善に止まり甚しきに至っては法律に触れさえしなければ何をしても良いと謂う生活を総べて謗法と申します」(『牧口常三郎全集第10巻』)
「謗法」とは一般的に、仏教の教えに反し、それを破ることを意味しますが、牧口会長の言葉には、より広い意味での「人間としての道」に反することへの問い直しが込められていたといえましょう。
翻って現代、政治と経済の影響によって悲惨な事態が生じる背景には、「法律に触れさえしなければ何をしても良い」といった、他者の痛みを顧みない自己正当化の風潮が強まっていることが、往々にしてあるのではないでしょうか。
その風潮が続く限り、一時的に繁栄を謳歌できているようにみえても、後に残るのは"わが亡き後に洪水よ来たれ"という身勝手さが招く悲惨ばかりで、「持続可能性の追求」など望み得べくもありません。

◇未来の鍵を握る5%の人々の力
こうした事態を防ぐには、政治と経済の主眼を絶えず"人々の苦しみを取り除くこと"へ向け直す——すなわち、「政治と経済の再人間化」の回路を社会にビルトインする(組み込む)挑戦が必要です。
その動きは、すでにいくつか生まれており、例えば政治の分野では、国連人権理事会などが呼び掛けてきた「国内人権機関」が110カ国に広がっています。
人権に関する法制度や人権教育などの推進を確保するための国内機関で、私も1998年の提言で、NGO(非政府組織)との建設的なパートナーシップを目指す中で、より望ましい機関のあり方を模索することを提唱してきました。
また経済の分野では、昨年5月、EU(欧州連合)加盟国の中で11カ国が「金融取引税」を共同導入することに合意しました。
マネーゲームの過熱が金融危機を引き起こし、世界経済に深刻な打撃を与えた2008年のリーマン・ショックの教訓を踏まえ、金融取引に一定の課税を行い、過剰な投機の抑制と租税を通じた再分配を目指すもので、明年からの制度開始が予定されています。
私は6年前の提言で、この取引税をはじめ、各国がアイデアを競いながら、「ミレニアム開発目標」を促進する国際連帯税の輪を広げることを呼び掛けましたが、今後、国連の新目標を推進するにあたり、その必要性はさらに増しているのではないでしょうか。
こうした「政治と経済の再人間化」の最大の原動力となるのが、人間として譲れない一線に基づき、声を上げる民衆の連帯です。
牧口会長も、「社会の精神とはいえども各個人を離れて存在するにあらず」として、一人一人の意識変革が「相伝播(でんぱ)し、連絡し、遂に社会の全員に及ぼし、以って大なる社会精神なるもの生ずるなり」と強調しました(『牧口常三郎全集第2巻』)。
以前、この社会変革の方程式をめぐり、平和学者のエリース・ボールディング博士と語り合った際、「共同体を構成する一人一人の成長に全力を傾注していく以外に、平和で健全な地球の未来は見えてこない」(『「平和の文化」の輝く世紀へ!』、『池田大作全集第114巻』所収)と、博士が強調していたことが忘れられません。
それだけに、博士がある時に述べていた、「本当に未来の社会の動向を決定するのは、わずか5%の、活動的で献身的な人々の力なのです。その5%の人々が、やがて文化の総体を変革していくのです」との言葉が、希望のメッセージとして胸に迫ってきます。
「政治と経済の再人間化」を前進させる鍵は、人数の多寡ではなく、連帯の底深さにあります。誰の身にも悲惨が及ぶことを望まない民衆の連帯を、国内でも国際社会でも築くことが、時代変革の波を大きく形づくるのです。