2015年2月27日金曜日

2015.02.27 わが友に贈る

新たな人材の活躍こそ
未来の発展の力なり。
新入会の友らと共に
対話拡大に挑戦を!
そこに歓喜が広がる。

千日尼御返事 P1320
『故阿仏房一人を寂光の浄土に入れ給はずば諸仏は大苦に堕ち給うべし、ただをいて物を見よただをいて物を見よ、仏のまことそら事は此れにて見奉るべし』

◇人生の座標
「自分のもてる力を、全部、出しきって生きてみよう」と決心して、努力また努力を重ねた人だけが、本当に「個性的」に輝いてくる。そういう人であってこそ、他の人の個性も尊敬できるし、大切にできるものです。

☆100文字の幸福抄
お金で青空は買えない。
太陽や風を、
ひとりじめすることもできない。
自然を壊すのは、人間を壊すことになる。
自然との一体感を忘れてはならない。
大自然を破壊するのも、
調和をとるのも、人間であるからだ。

☆勝利の人間学 第68回 陰の労苦が幸福の礎に
◇人知れぬところで努力を
人間として光っている人——その人たちに共通する点がある。それは、人知れぬ努力を重ねていることだ。また、労苦をいとわず、人のために尽くしていることだ。
創価の尊き同志は、目に見えないところで、友の幸福を祈り、どんなに悪口を言われようとも、社会の繁栄と平和に尽くし抜いてきた。だからこそ、世界を照らしゆく、今日の学会の大発展があるのだ。
『陰徳あれば陽報あり』(P1178・1180、「陰徳陽報御書」・「四条金吾殿御返事」)である。わが青年部の皆さんは、日々、誇り高く偉大な信念の陰徳を積み、未来に偉大な勝利の陽報を輝き光らせていただきたい。

◇青春時代にうんと苦労せよ
日本を代表する経済人・松下幸之助さんは、しみじみ言われた。「やっぱり、若い時の苦労は、買ってでもせな、あきまへんなぁ」と。
仕事でも、芸術でも、スポーツでも、一流の次元に到達するためには、修行の道がある。良き師、良き先輩について、無我夢中で努力するなかで、本物の力が鍛えられる。
人生は戦いである。鍛錬である。それを知った人間が勝つ。なかんずく、仏道修行は、仏の生命を鍛え上げる大道である。
何があっても、『苦楽ともに思い合せて』(P1143、「四条金吾殿御返事」)題目を唱え抜き、友と励まし合い、朗らかに乗り越えゆくのだ。

◇人生の土台を今、築きゆけ
青年にとって、失敗は、全て次の勝利への出発である。ゆえに、失敗を恐れるなかれ! 挑戦しない臆病こそを恐れよ!
厳しく叱られたことも、クヨクヨしないで、前向きに自分の成長につなげればよい。
私も、戸田先生に、どれだけ叱られたことか。全部、かけがえのない訓練であった。
青春は、人生の土台作りの時だ。それは、地味であり、地道である。しかし、土台さえ磐石であれば、いくらでも大きな建物が建てられる。何事にも揺るがぬ自分になれる。
学会活動の中で、究極の人間学を学びながら、人生勝利の土台を築いてくれ給え!

2015年2月26日木曜日

2015.02.26 わが友に贈る

人知れぬ努力が
揺るがぬ基盤を築く。
「堅実」「忍耐」で
水が流れるように
たゆまず前へ!

四条金吾殿御返事 P1165
『長き夜のあけとをき道をかへりたるがごとし』

◇人生の座標
勇気のある人は、何でも乗り切っていける。自分を変えるにも勇気がいる。また勇気は慈悲に通じていく。
反対に、臆病な人は、何も変えられない。それでは満足もないし、不幸である。

☆100文字の幸福抄
幸福というものは、
他から与えられるものではない。
自己の生命の内に築いていくものである。
人生には、嵐の日も雪の日もある。
だが、自己の胸中の大空に、
希望の太陽を輝かせ、
青空が美しく広がっていればよいのである。

☆世界広布新時代第16回各部代表者会議 名誉会長がメッセージ
世界広布新時代第16回の各部代表者会議が16日、東京・新宿区の常勝会館で行われ、池田名誉会長が記念の和歌とメッセージを贈った。
その中で名誉会長は「御本仏・日蓮大聖人の御生誕の日を、私たちは広宣流布への誓願の祈りと行動をもって荘厳している。これこそ、最も喜んでくださる報恩感謝なりと申し上げたい」と呼び掛けた。
また、寒風の中で奮闘する全同志に心から感謝。広布の組織にあって、心臓部の使命を果たしゆくリーダーを最大に讃えた。
続いて、「顕仏未来記」の『日本国中に日蓮を除いては誰人を取り出して法華経の行者と為さん汝日蓮を謗らんとして仏記を虚妄にす豈大悪人に非ずや』(P507)を拝読。大聖人の本眷属として、自行化他の信心を正しく行じているのは、創価学会だけである。学会のみが、御書を虚妄にせず、大難を勝ち越えて、世界192カ国・地域に地涌の菩薩を呼びいだし、平和・文化・教育の大連帯を築き広げてきた。この大確信に立って、題目を唱えゆく時、自他共に師子奮迅の力が漲らないわけがないと強調した。
さらに、『仏法と申すは勝負をさきとし』(P1165、「四条金吾殿御返事」)を拝し、「闘諍言訟の極まる末法において、我らは師子王の心をいだして、『広布』即『立正安国』の戦いに挑み、一つ一つ断固と勝ち切っていくのだ」と力説。この粘り強い仏道修行を通してこそ、皆が、仏の異名である「世雄」(せおう=社会の英雄)という金剛不壊の大境涯を、生々世々に開いていけることを忘れてはならない」と訴えた。
そして「嗚呼(ああ)黎明は近づけり」の一説「君が愁いに 我は泣き 我が喜びに 君は舞う」(大阪高等学校全寮歌、作詞=沼間昌教)に触れ、今こそ、学会精神の団結で、いよいよ励まし合い、支え合い、守り合いながら、全同志の喜びと功徳あふれる希望の春を、断じて勝ち飾っていこうと念願した。

閻浮提
 大聖人の
  未来記を
 永遠(とわ)に証明
  創価の師弟が

2015年2月25日水曜日

2015.02.25 わが友に贈る

「いよいよ強盛の
御志あるべし」
惰性を打ち破れ!
燃え上がる情熱こそ
飛躍へのエンジンだ。

国府尼御前御書 P1324
『釈尊ほどの仏を三業相応して一中劫が間ねんごろに供養し奉るよりも末代悪世の世に法華経の行者を供養せん功徳はすぐれたりととかれて候、まことしからぬ事にては候へども仏の金言にて候へば疑うべきにあらず』

◇人生の座標
「勇気」は、裏を返せば「慈愛」です。裏が慈愛、表が勇気です。勇気の裏には、必ず慈愛がある。悪はない。悪があったら勇気ではない。

☆100文字の幸福抄
真の国際友好とは何か。
国と国の関係といっても、
人と人の関係に帰着する。
互いの信頼、友情こそが全ての基盤となる。
ゆえに「人間」を育て、「人間」を結びたい。
後に陸続と続くであろう青年たちに、
道を開く人生でありたい。

☆御書とともに� 第47回 同志の絆こそ勝利の源泉
『心ざしあらん諸人は一処にあつまりて御聴聞あるべし』(寺泊御書、P951)

◇通解
志のある人々は、同じ場所に集まって、この文(=本抄)を聴聞しなさい。

◇同志への指針
文永8年(1271年)、大難の渦中、越後の寺泊(現・新潟県長岡市)で認められた御聖訓である。佐渡流罪から満600年後、新潟に誕生された牧口常三郎先生はこの仰せ通り、乱世に忍難弘通の座談の波を起こしていかれた。
同志が集まって共に祈り、御書を拝して励まし合う。この会座から、我ら創価家族は尽きることのない勇気と活力を発揮して勝ち進むのだ!

2015年2月24日火曜日

2015.02.24 わが友に贈る

寒暖差が激しい時期。
体調管理を万全に!
生き生きと若々しく
広布の大道を歩む
健康第一の日々を!

上野殿後家尼御返事 P1505
『法華経の法門をきくにつけてなをなを信心をはげむをまことの道心者とは申すなり、天台云く「従藍而青」云云、此の釈の心はあいは葉のときよりもなをそむればいよいよあをし、法華経はあいのごとし修行のふかきはいよいよあをきがごとし』

◇人生の座標
勇気をもっていない人は、堕落、敗北、横道にそれてしまう。苦しいことから逃げて、楽をしようとする。だから勇気のない人は、人のために尽くせない。
自分を向上させられない。立派な仕事を成し遂げられない。ちょうど「壊れたエンジン」をもっているようなものです。

☆100文字の幸福抄
一番身近な「家計」こそ、
経済の一切の基点となる。
経済の本義は、
「経世済民」(世を経め民を済う)と言われる。
我が家の生活をどう安定させていくか。
しっかりした家計こそが、
いざという時に家族を守ってくれる。

☆名誉会長と共に新時代を駆ける 第5回 王者の心で! わが勝利劇を
日蓮大聖人の御生誕の月であり、戸田先生の誕生月でもある2月、かけがえのない一日一日を勇気凛々と前進したい。
真の充実は、自他共の幸福を築く行動にある。ゆえに、学会活動にかなうものはない。
『南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜』(P788、「御義口伝」)と仰せの通りだ。広布の人生にこそ、最高の喜びは光る。

わが青春は、激戦を越えて、師匠に勝利の報告をすることが、無上の光栄であった。二月闘争も、師弟一体の勝利劇だ。
きょうも師と共に!——これほど尊く、楽しく、生きがいに満ちた人生の軌道はない。
戸田先生は叫ばれた。
「この信心をして幸福にならないわけがない。
心は王者でいきなさい。
創価学会の名誉ある一員として誇りも高く生き抜きなさい」
戦いの中で後継は育つ。皆、偉大な福運と使命があるのだ。
どんどん人と会い、心豊かに学び、友情を広げていきたい。
勢いよく飛び出して、境涯を開くのだ。
全ては、仏になるための修行であり、『今生人界の思出』(P467、「持妙法華問答抄」)となる。

何があっても、妙法に生きる人は、「転重軽受」で軽く受けている。必ず「変毒為薬」していける。
御聖訓に『我等が居住して一乗を修行せんの処は何れの処にても候へ常寂光の都為るべし』(P1343、「最蓮房御返事」)と仰せだ。
どんな場所であれ、状況であれ、悠然と題目を唱え、わが使命を果たしていくのだ。一切を希望と幸福の方向へ変えていくのだ。これが創価の師弟である。
わが友よ、信心で勝ちゆけ!
寒い日が続く。皆、体を大事にして、健康第一で、絶対無事故であっていただきたい。

2015年2月23日月曜日

2015.02.23 わが友に贈る

◇今週のことば
地域と社会の変革は
壮年と青年の勇戦から。
浅きを去って深きに就く
「丈夫の心」に燃えよ!
壮男の金剛の絆で進め!
2015年02月23日

生死一大事血脈抄 P1338
『相構え相構えて強盛の大信力を致して南無妙法蓮華経臨終正念と祈念し給へ、生死一大事の血脈此れより外に全く求むることなかれ』

◇人生の座標
「いじめ」をやめさせるのも「勇気」です。耐え抜いて、生き抜いていくのも「勇気」です。一日一日、堅実な日常生活を生き抜いていこうというのも、立派な「勇気」です。
反対に、堕落した人は、「日常生活の中の勇気」がなかったのです。

☆100文字の幸福抄
真の国際友好とは何か。
国と国の関係といっても、
人と人の関係に帰着する。
互いの信頼、友情こそが全ての基盤となる。
ゆえに「人間」を育て、「人間」を結びたい。
後に陸続と続くであろう青年たちに、
道を開く人生でありたい。

☆未来の翼〜世界が君を待っている〜 第11回 ドミニカの庭
はじめに、自由自在に地球を一周する思いで、思い浮かぶ国の名前をあげてみよう。みんな、幾つくらいあげられるかな。
実に、たくさんの国があるね。
私が世界への旅を開始して、今年で55周年。今、私たちSGIの平和と文化と教育の連帯は、192カ国・地域にまで広がりました。
いずこにも、大変なところ、目立たないところで、民衆のため、社会のために奮闘している友がいます。そうした"真の英雄"に、一人でも多くお会いし、労苦をねぎらいたい、讃えたい。そして、一緒に未来への平和と繁栄の道を開いていきたい。この思いで、私は世界中を走ってきました。
その一つが、「カリブの宝石」と呼ばれる中米のドミニカ共和国です。尊き友の心がダイヤモンドの如く光る国です。28年前の1987年2月に訪問しました。

カリブ海で2番目に大きな島・イスパニョーラ島の3分の2を占めるドミニカ共和国は、九州と高知県を合わせたほどの広さで、約1,000万の人々が暮らします。
晴れ渡る青空、太陽に輝く白い砂浜、澄みきった大海原、人情豊かで陽気な人々——。まるで、おとぎの国のような天地です。世界王者となった、野球の強豪国でもあります。
1492年、新大陸に到達したクリストファー・コロンブス(クリストバル・コロン)がヨーロッパ人として初めて、この島に上陸しました。翌年、移住者たちによって建設された最初の町が、今日の首都サントドミンゴでした。
スペインの植民地として栄えたサントドミンゴには、今でもいたるところに、中世からの街並みが残っています。新大陸で最初の病院や大学も、ここで誕生しました。旧市街は、ユネスコの世界遺産に登録されています。
大変、日本に親しみを持つ国です。それは、日本から移住した方々が、汗と涙と努力によって信頼を勝ち広げてきたからです。
第2次世界大戦後、荒廃した日本では、国の政策として中南米への移住が奨励され、ドミニカ共和国にも大勢の日本人が渡っていきました。
しかし、豊かな耕地と聞かされていた土地は、石だらけで灌漑(かんがい)の設備もなく、実際には耕作は不可能でした。ジャングルに分け入り、バナナやオレンジで空腹をしのがねばならない人もいるほどでした。移民ではなく「棄民(きみん=国から棄てられた人々)」といわれ、最終的には8割以上の方々が、この国を去らねばならなかったのです。

ドミニカの広宣流布は、移住の苦労を重ね、踏みとどまった草創の数少ない同志から始まりました。1966年に支部を結成し、来年で広布50周年の佳節を迎えます。
日本から送られてくる聖教新聞や大白蓮華を、皆でボロボロになるまで回し読みして、この地に生きる使命を何度も確認し合いました。そして、「良き市民」として、誠実に粘り強く信頼の根を張り、社会に尽くしていったのです。
支部ができた翌年、桜の咲くころに、日本に一時帰国した友と、懇談する機会がありました。日焼けした頬を涙でぬらしながら、苦労を語ってくれました。
私は、心で涙しながら、この尊き開拓の丈夫に語りました。
「ドミニカの大地に信心の根っこを張り、あなたが大樹として育ってください」
「今は苦しいかもしれないが、必ずいっぺんに花咲く時が来ます。仲良く、団結して、包容力をもって進んでください」
この友は、ドミニカSGIの中心者となり、良き同志と力を合わせて、社会で実証を示していきます。やがて日系人協会の会長も務めるようになりました。
87年2月、夜のサントドミンゴ近郊の空港で、出迎えてくれた彼の肩を抱き、私は「もう大丈夫だよ。長い間、本当によくがんばったね」とねぎらいました。多くの友が、小旗を振って歓迎してくださいました。鼓笛隊が歓迎の演奏をしてくれ、未来部員も目を輝かせていました。
異体同心の団結で、人材と幸福の花を爛漫と咲き薫らせていたのです。雨が上がった空には、ふくよかな月と、またたく星座が見守ってくれていました。
『冬は必ず春となる』(P1253、「妙一尼御前御消息」)です。信心を貫いた人が、最後には必ず勝ちます。
4日間の滞在中、行事の合間のひととき、宿舎の窓から外に目を向けると、彼方に、陽光に照らされた海がエメラルド色に輝いていました。眼下には、美しく整備された緑の庭園が広がっていました。そして、そこには黙々と庭の整備を続ける方がいました。
自分がなすべきことに、黙々と取り組む陰の人がいて、皆の心が輝く。その人こそ"真の英雄"だ——ドミニカの同志の姿と重ね合わせ、私は合掌する思いで、静かにシャッターを押しました。

この訪問で、私はバラゲール大統領とお会いしました。
質素で「預金口座をもたない大統領」としても有名です。週末にはヘリコプターで何百キロも移動し、地方の村を訪ね、人々の要望に真剣に耳を傾けてきた奉仕のリーダーです。だから、全土の地名が、すべて頭に入っていました。
大統領は少年時代から、天才詩人として名を馳せました。貪るように本を読み、詩の才能を培い、胸中に人間愛を育みました。
14歳で詩集を発表し、17歳で文学賞を受賞。大学に進学しましたが、ほとんど独学でした。遠距離通学と仕事のため、大学に通うことすら難しかったからです。それでも、時間をこじあけて、猛勉強。優秀な成績を収め、フランスへの留学も勝ち取りました。やがて、弁護士、ジャーナリスト、政治家として大活躍していきます。
内戦後の混乱から安定へ、大統領として、「奇蹟」と呼ばれる繁栄へ導きました。私がお会いしたのは、ひとたび政権から離れた後、86年の選挙で、もう一度、大統領に選ばれた半年後のことでした。
バラゲール大統領は環境保護にも力を入れ、国土には今、豊かな森と農地が広がり、その先見は世界の指導者が称賛しています。
私は大統領との会見の席上、大統領が青春時代につくった詩「自立」を朗読しました。
「僕はいつも毅然さと誇りを保ち続けてきた。それを失うようなことを微塵も考えたことはない。
僕は決して自分に鎖をはめることを望まなかった」
「それはただ、自立、自由意志を求めつつ完璧な自分自身を宿した人間になりたいからだ」
自分は自分らしく、自分自身に生き切る。ありのままで誇り高く進むのだ!——青春の魂の叫びが響いてきます。
大統領は、長年の激務と白内障で、両目の視力を失っておられました。私が日本語で詩を朗読し、通訳がスペイン語で読み上げている時、大統領が穏やかな表情で、うれしそうに聞いてくださった光景は、今も忘れられません。目には、光るものがあったようにも見えました。
大統領は謳っています。
「何ものもわが旗を切り裂くことはできない 柏の木は折り曲げられても 決して軋(きし)まず その枝にとまった鳥の囀(さえず)りに耳を傾ける」
青春の誓いに生き抜く——その信念の旗を高く掲げ続ける人は、どんな苦難も嘆かない。いかなる逆境にあってさえも、自分を頼りにする者を抱擁し、断じて見捨てることはない、と。
青春の信念の道を、一生涯、一歩また一歩と歩み抜いた人こそが栄光をつかむことができます。

労苦を教師に! 努力を友に!
苦しみの中でも、生命の讃歌を朗らかに謳い上げながら!

大統領とお会いした後、私は最高位勲章「クリストバル・コロン大十字勲章」を拝受しました。授賞式を終えた後、宿舎に戻った私は、待っていたドミニカの友に、直ちにメダルをお見せしました。この栄誉は、ただただドミニカの同志たちの功労への勲章である。ゆえに、一人一人の胸につけて差し上げたいとの思いからでした。
一番苦しんだ人が、一番幸福になる権利があります。
一番苦労した人が、一番の栄光と勝利の人です。
一番努力した人が、一番大きな花を咲かせていけるのです。
これが妙法の世界です。宇宙と生命と人生を貫く、厳粛なる因果の理法です。
苦労した人は、友の痛みに誰よりも同苦できます。
ドミニカの同志は、2010年に起こった隣国のハイチ大地震の際にも、いち早く救援に当たってくれました。
さらに、同じカリブ海に浮かぶ、キューバの同志とも励まし合いながら、平和のスクラムを仲良く広げてくれています。
『陰徳あれば陽報あり』(P1178、「陰徳陽報御書」)とは、日蓮大聖人の仰せです。人知れぬ労苦は、必ず大きな果報となって現れます。
花は、咲く時期も、咲き方も、それぞれ異なる。人間もそうです。努力は、いつか必ず花を咲かせます。だから、決してあせることはありません。

栄光と勝利と幸福の花を!
自分にしかない使命の花を!

その花がまた、周囲に笑顔を広げていく。社会に、世界に、春を告げる大輪となるのです。
2月は、「立春」を迎えます。まだまだ厳しい寒さのなか、"勝利の春"を目指し、勉強やクラブ活動に懸命に励む皆さんの雄姿が浮かんできます。特に、奮闘する受験生の健康と栄光を、私は祈らずにはいられません。
ドミニカの思想家ペドロ・エンリケス・ウレニャは、「行動をしないよりは、未熟であっても試みることが大切である」と、挑戦の大切さを教えています。
誰が見ていようがいまいが、地道に積み重ねた努力は、間違いなく自身の力となります。
労苦こそ、青春の"根っこ"です。ほかの人には分からなくても、少しずつ、しかし着実に、心身を育む養分を蓄え、人格をつくっているのです。
最後まであきらめない人が、真の勝利者です。最後まで努力し抜いた人が、偉大な幸福博士です。
今月11日は、戸田城聖先生が誕生して満115年の佳節です。先生は、私たち青年に、「人生は強気でいけ!」と励まされました。
私も、皆さんに、「一度しかない青春を強気でいけ!」「『絶対に勝つ』と決めて頑張り抜こう!」との言葉を贈りたい。
私がこれまで世界で訪問できたのは、54カ国・地域です。訪れたい国は、まだまだたくさんあります。でも、行けなかった国々とも、後継の皆さん方が、私に代わって友情を深め、平和の連帯を強めてくれると確信しています。
だから、私は幸福です。

2015年2月22日日曜日

2015.02.22 わが友に贈る

目標の達成まで
粘り強く挑戦を!
その日々の努力の中に
偉大な成長がある。
前進即勝利だ!

立正安国論 P31
『悦しきかな汝蘭室の友に交りて麻畝の性と成る』

◇人生の座標
「一人立つ」勇気をもってこそ、平和の方向へ、善の方向へもっていけるのです。その「勇者」が団結し、連帯してこそ、社会が変わるのです。
まず、自分が勇気を出すことだ。そこから、すべては始まる。

☆100文字の幸福抄
学び続ける人、行動し続ける人は永遠に若い。
向上しゆく生命は清らかさがある。
仕事の場でも家庭でも、
日常の瑣事の中からでも、
得がたい勉強をしていくことができる。
「多忙」そのものさえ
「学び」に変えていけるのだ。

☆シカゴに「池田大作通り」が誕生 SGI会長がメッセージ

1・26「SGIの日」40周年を慶祝し、アメリカ各界から、池田大作SGI会長とSGIの平和貢献を讃える顕彰が相次いでいる。同国第3の国際都市イリノイ州シカゴ市では、SGIのシカゴ文化会館に接する通りが「池田大作通り」と命名された。標識の除幕式が1月25日、同会館で開催されたシカゴ圏のSGI結成40周年記念総会に続き、盛大に行われた。さらに、イリノイ州、同州上院議員、クック郡からの宣言書がSGI会長に贈られた。

「このほどシカゴ市の決定により、この会館の正面の通りが『池田大作通り』と命名されました!」——サプライズの発表に、集った1,300人を超える参加者から歓喜の拍手が湧き起こった。
1995年の開館以来、地元の同志が楽しく集い合う「宝城」として親しまれてきたシカゴ文化会館。同会館はまた、シカゴ市を初めて訪れた際(1960年)に人種差別なき社会の建設を誓ったSGI会長の心を伝えるセンターとして、「平和の文化」構築や環境保全を促す展示を開催するなど、創価の人間主義を広げる発信地となってきた。
同会館が誕生してから20年、地元住民から"SGIの存在が地域の活性化と治安改善にも大きな役割を果たしている"との声が多く寄せられている。
シカゴ市はこうしたSGIの地域貢献に鑑み、結成40周年の佳節を慶祝し、長年にわたってリーダーシップを取ってきたSGI会長に対する顕彰を決定。市議会の決議を経て、会館に接する南ワバッシュ通りを「池田大作通り」と命名する運びとなった。
シカゴ圏の記念総会では、壮年部代表が華麗なオーケストラ演奏を披露し、ネパール出身のグリシュマ・チタラカールさんが家族の病を乗り越えた体験を発表。席上、SGI会長の記念のメッセージが紹介された。
この中でSGI会長は、世界広布新時代の躍進も、全ては自身の変革から始まる。世界平和といっても、身近な地域で行動することから始まっていくと強調。「今、自分自身がいる場所が、久遠より誓い、躍り出た使命の舞台」であると述べ、「いよいよの信心で、確かな幸福の実証を示しつつ、地域に希望と信頼の輪を広げて、わが誓願の人生を朗らかに生き抜いていってください」と念願した。

2015年2月21日土曜日

2015.02.21 わが友に贈る

地域に希望を送る
広布の女性に最敬礼!
婦人部・女子部の皆様
今日も無事故第一で
仲良く朗らかに前進を!

孝子御書 P1100
『其の上貴辺の御事は心の内に感じをもう事候、此の法門経のごとくひろまり候わば御悦び申すべし』

◇人生の座標
ただ「みんなと一緒であればいい」というのは、勇気ではなく、臆病だ。
民主主義ではなく、ファシズムです。民主主義というのは、民衆一人一人が「自分が社会の主人公だ。自分に責任があるんだ」と自覚しなければいけない。

☆100文字の幸福抄
借りものではない自分の意見、
自分の価値観をはっきり持っていく。
人まねではなく、確固たる信念に生きる。
周囲に紛動されない。
幅広い知識と共に、
人生や社会の本質を見抜く見識をもつ。
それが教養ある人である。

☆勝利の人間学 第67回 「宿命を使命に」と闘う君へ
◇断固、生き抜け、祈り抜け
私の青春時代は、病気との闘いであった。それだけに、闘病する青年のことは、わが身のことと思って、強盛に題目を送っている。
日蓮大聖人は、重い病に罹(かか)った南条時光を『(信心強盛であるあなたが)もはや仏に成ることは間違いないと見えたからこそ、天魔や外道が病にさせて脅そうと、試みているのでしょう』(P1587、通解、「法華証明抄」)と励まされた。
仏法の眼から見れば、病にも深い意味がある。宿命を使命に変えて、自他共に仏の生命を勝ち取るための重大な転機なのである。
怯んではならない。恐れてもならない。
『病によりて道心はをこり候なり』(P1480、「妙心尼御前御返事」)と仰せの如く、いよいよ信心の炎を燃え上がらせ、断同と祈リ抜き、生き抜くのだ!

◇一切を御本尊に任せて勝つ
長い人生、生老病死の苦悩は、誰人も避けられない。家族の病気で悩む場合もあろう。
しかし、我らには妙法がある。苦しい時こそ御書を拝し、一切を御本尊に任せていくのだ。
『南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや』(P1124、「経王殿御返事」)と断言なされているではないか。
変毒為薬の仏法である。必ず打開できる。題目の師子吼を轟かせ、『常楽我浄』という永遠の幸福の軌道を勝ち聞いていくのだ。

◇若き友よ 健康第一であれ!
恩師・戸田城聖先生は、「大病を患った人は人生の深さを知っている」と言われた。
病の人に寄り添い、支えることも、同じだ。試練を乗り越えてこそ、より深い境涯を築いていける。より丈夫になり、強い生命になれる。そして、人の苦しみを知リ、心から励ませる自分になれるのだ。
仏法では、この『一日の命』は、『三千界の財』すなわち大宇宙の財宝も及ばないと説かれる(P986、「可延定業書」)
若き友よ、どうか、聡明に健康第一であれ! かけがえのない青春の一日一日、命という尊極の宝を、思う存分、輝き光らせてくれ給え! と、私は祈っている。

2015年2月20日金曜日

2015.02.20 わが友に贈る

たとえ倒れても
再び立ち上がって進む。
その人が真の勝利者。
何があっても
負けない人生たれ!

聖人御難事 P1190
『各各師子王の心を取り出していかに人をどすともをづる事なかれ、師子王は百獣にをぢず師子の子又かくのごとし、彼等は野干のほうるなり日蓮が一門は師子の吼るなり』

◇人生の座標
執念をもって、目標へ突き進んでほしい。中途半端はいけない。執念をもってやった場合には、かりに失敗しても悔いがない。成功すれば、大きな花が咲く。いずれにせよ、次の道につながっていく。

☆100文字の幸福抄
音楽は、国境も、言語も、民族も超えて、
人々の心の奥深くまで届く。
それは、音楽が、
直接「生命」に語りかけるからである。
音楽は、「人類普遍の言語」であり、
宇宙にも融合しゆく
生命と生命の共鳴だ。

☆御書とともに� 第46回 社会で勝利の実証を
『強盛の大信力をいだして法華宗の四条金吾・四条金吾と鎌倉中の上下万人乃至日本国の一切衆生の口にうたはれ給へ』(四条金吾殿御返事、P1118)

◇通解
強情な大信力を出して、法華宗の四条金吾、四条金吾と、鎌倉中の上下万人をはじめとして日本国の全ての人の口に褒めたたえられていきなさい。

◇同志への指針
職場や地域で信頼されてこそ、真の「信心即生活」「仏法即社会」である。信心を根本に真心と智慧を尽くし、どこまでも誠実な「人の振る舞い」に徹していくことだ。
激動の社会、変化の時代である。だからこそ「強盛の大信力」を奮い起こし、わが使命の舞台で、断じて勝利の実証を打ちたてよう!
「うたはれ給へ」——これが、広宣流布の希望の劇だ。

2015年2月19日木曜日

2015.02.19 わが友に贈る

広布の労苦は全て
わが身を飾る福運に。
陰徳あれば陽報あり。
誰が見ていなくとも
朗らかに誓いの道を!

閻浮提中御書 P1589
『願くは我が弟子等は師子王の子となりて群狐に笑わるる事なかれ、過去遠遠劫より已来日蓮がごとく身命をすてて強敵の科を顕せ師子は値いがたかるべし』

◇人生の座標
どんなに立派な夢をもち、どんなに立派な理想をもち、どんなに素晴らしい希望を抱いていても、「実行」するのは「勇気」です。心の中に、素晴らしい考えや、計画、思いやりをもっていたとしても、それを「実行」する勇気がなければ、現実には、何も実を結ばない。結局、心に何もなかったことと同じになってしまう。

☆100文字の幸福抄
人を傷つける心ない言葉が
氾濫している現代だからこそ、
思いやりのある言葉を
かけ合うことを大切にしたい。
その第一歩は、「あいさつ」である。
始めは硬い表情でも、あいさつから笑顔が生まれ、
心の通った対話が広がる。

☆希望の虹〜世界の偉人を語る〜 第11回 南アフリカマンデラ元大統領
新しい一年が始まって1カ月。
みんな、元気かな?
はりきって目標を立てたけど、「三日ぼうず」でとぎれてしまったという人もいるかもしれない。
でも、たとえ三日でも、がんばったことは、それだけ前進できたということです。だから、また、きょうから、挑戦すればいいんだ。
あきらめないチャレンジのくりかえしのなかで、強くなるんです。
本当に強い人というのは、たおれない人ではありません。何度、たおれても、また立ち上がって、前へ進んでいく人です。
その人間の「真の強さ」を示し切ってこられた偉人が、私も尊敬する、南アフリカ共和国のネルソン・マンデラ元大統領です。

マンデラさんの国・南アフリカは、長い間、まちがった法律で「白人が上」「黒人が下」と決められていました。その国を、だれもが同じ人間として平等に大切にされ、だれもが夢や目標をもって生きられる「虹の国」に変えることを目指して、立ち上がったリーダーが、マンデラ青年です。
そのために、いじめられ続け、自由をうばわれました。それでも、断じて負けませんでした。そして、自由を勝ち取り、黒人初の大統領となって、夢を実現したのです。
多くの人は、何十年も続いてきた差別をなくすのは「むりだ」「むずかしい」と思っていました。しかし、マンデラさんは、「必ずできる!」と心に決めていました。
あきらめない人には、希望がある。希望があるから、がんばれる。その人が、まわりに希望を広げるのです。
私は2度、お会いし、平和のために語り合いました。おととし、95歳で亡くなられましたが、マンデラさんの笑顔は、今も私たちの心にかがやきわたっています。

1918年の7月18日、マンデラ少年は、南アフリカの小さな村で生まれました。外で友だちと遊ぶのが大好きな、元気な男の子でした。
9歳のころ、お父さんが病気で亡くなったため、父親の友人のところへあずけられました。お母さんや妹たちと、はなれて暮らし、さびしい思いもしましたが、新しい家族や友だちと仲良くなり、すくすくと成長していきました。
しかし、そのころの南アフリカには、肌の色のちがいによる差別がありました。それは、マンデラさんの青年時代に「アパルトヘイト」という、もっときびしい「国のきまり」になってしまいます。
白人と黒人は、同じ所に住めない。結婚できない。黒人は教育も満足に受けられず、政治にも参加できませんでした。レストランや乗り物やトイレも別々。「黒人と犬は立ち入り禁止」という、ひどい、ひょうしきが立っている場所もありました。
マンデラ青年は、こうした差別を目の当たりにし、多くの正義の友と語り合いながら、平等を勝ち取るために、力をつけていきます。
学びに学んで弁護士となり、苦しんでいる人によりそいながら、行動を開始しました。そして"すべての南アフリカ国民の権利を守ろう"と人々に呼びかけ、連帯を広げていったのです。
しかし——白人の政府は、人々が団結するのをおそれました。抗議をするために集まった、武器を持たない人々に向かって、警官が銃をうち、死人やけが人が出るような、悲しい事件も起こりました。
世の中がくるっている時は、正義の人がいじめられます。
太平洋戦争中、民衆の幸福を訴えた創価学会の初代会長・牧口常三郎先生、第2代会長の戸田城聖先生も、正しいゆえに、ろうごくに入れられました。それでも、お二人は信念をつらぬき通して、牧口先生は、ろうごくで亡くなられたのです。
1962年、マンデラさんたちもまた、国家にさからった罪でたいほされ、裁判にかけられました。
マンデラさんは、そこで堂々と主張しました。
——南アフリカは、そこに住むすべての人々のためのものであり、この理想のために私は生きぬく。理想を実現するためなら、私は死ぬこともおそれない、と。
判決は、刑務所から一生、出られないという「終身刑」。マンデラさんが46歳の時のことでした。
刑務所の生活は、ひどいものでした。体の大きさに合わない服に、そまつな食事。ひとりぼっちにさせられ、お母さんが亡くなっても、息子を事故で亡くしても、お葬式にいけませんでした。
それでもマンデラさんは、屈しませんでした。大変になればなるほど、ほがらかでした。
なぜなら、「苦難は希望に変えられる」と信じていたからです。
マンデラさんは、ろうごくでも「通信教育」で、大学の勉強をしていきました。たくさんの本も読み続けました。人間は、どんな環境でも学ぶことができるのです。その姿は、困難ななかで学ぶ人々にとって、大きなはげましとなっています。
そうしたマンデラさんの生き方に、見はり役の看守たちでさえ、味方に変わっていきました。
入獄して16年後、マンデラさんは、ようやく娘のゼニさんと面会できました。彼女は産んだばかりの赤ちゃん、つまり、マンデラさんの孫を連れてきて、名前をつけてほしいと頼みました。
彼がつけた名前は「ザジウェ」。「希望」という意味でした。この子が大きくなるころには、差別が昔話になり、みんなが仲良く暮らす「虹の国」になっているという希望を、その名にたくしたのです。

断じて正義の戦いをやめないマンデラさんをはじめ、南アフリカの民衆の戦いは世界の人々の知るところとなり、政府へ、ひなんの声が続々とあがりました。その声におされて、政府はついに、マンデラさんをかいほうすることにしました。
じつに27年半、1万日におよぶろうごくでの戦いを勝ち越え、1990年2月11日に、マンデラさんは新たな一歩をふみ出しました。
私もひときわうれしく、そのニュースに大拍手を送りました。その日は、生きておられれば、私の師匠である戸田先生の"90歳"のお誕生日だったからです。(今年は生誕115年)。
マンデラさんは、その後、応援してくれた方々への感謝を伝えるために、世界を回りました。
私が初めてお会いしたのは、この年の10月。ろうごくで読んだ雑誌の中に私の言葉が紹介されていて、マンデラさんは私をごぞんじだったのです。
私は、多くの青年たちと熱烈に歓迎しました。72歳のマンデラさんは「英知の思想は不滅です」と出会いを喜ばれ、私たちは固い友情を結びました。

生きているかぎり、希望はあります。希望がなくなる時は、自分で自分のことを「もうダメだ」とあきらめた時だけです。
苦しみだって、成長するためのバネになる。もしも、希望がなければ、自分で希望をつくろう! 見つけよう!
マンデラさんは叫びました。
「人生最大の栄光は一度も転ばないことではなく、転ぶたびに立ち上がることにある」と。
ししの子のみなさんが一人ももれなく、希望あふれる人生を歩みゆくことを私は信じています。
日蓮大聖人は、『冬は必ず春となる』(P1253、「妙一尼御前御消息」)とはげまされています。
君よ、あなたよ、平和な未来の春を呼ぶ、希望の太陽たれ!

2015年2月18日水曜日

2015.02.18 わが友に贈る

小事が大事だ。
報告や相談には
迅速・誠実な対応を!
その積み重ねが
大発展の原動力となる。

妙一尼御前御消息 P1253
『法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる』

◇人生の座標
正義など、どうでもいいというのは気楽かもしれないが、その代わり、人生の本当の深さも、喜びも、充実も、向上も、価値も、幸福も、何ひとつ味わえない。ただ動物のように、欲望に流されていくだけの人生です。何という、つまらない人生か。

☆100文字の幸福抄
現代社会は、殺伐とした荒れ野のように
ストレスが充満している。
心を疲弊させ、
不幸へと引きずろうとする悪縁も少なくない。
だからこそ、最も身近な「家庭」が大地となり、
「家庭の心の結合」で
支え守り合うことが大切である。

☆台湾で青年音楽会 SGI会長がメッセージ
台湾SGIの青年音楽会が1月24・25の両日、台湾・新北市の新荘文化芸術センターで行われた。また、同SGIの勝利大会が25日、彰化県の彰化文化会館で意気高く開かれた。いずれもSGI発足40周年および1・27「台湾SGI師弟原点の日」を記念するもの。池田SGI会長は、それぞれの催しにメッセージを贈り、社会貢献の模範と輝く台湾の同志の奮闘を心から賞讃した。そして、草創期からの労苦を忘れず、新時代を築く開拓者にと呼び掛けた。

台湾青年部・未来部の多彩な音楽・芸術グループが一堂に会して行われた音楽会。
24日の公演のクライマックスは、楽聖・ベートーベンの「第九」(歓喜の歌)。台湾全土から集った青年部員たちの歌声が会場を圧倒した。
苦悩を突き抜け歓喜に至れ——不朽の名曲に脈打つメッセージは、台湾SGIの不屈の歩みそのものだ。
同SGIの「師弟原点の日」の淵源である1963年1月27日は、台北の松山空港で、池田SGI会長が朱萬里(しゅまんり)名誉理事長(当時・支部長)ら草創の同志を激励した日。この時、SGI会長は語った。「何があっても、どんなに辛くとも、台湾の人々の幸福のために、絶対に仏法の火を消してはならない。本当の勝負は、30年、40年先です」「冬は必ず春となります」
当時、台湾では戒厳令が敷かれていた。やがて当局から支部の解散命令が下され、学会活動は厳しく制限されていった。
まさに、この"冬の時代"の中で、友は文化の力を通し、人材を育て、社会に仏法の人間主義を広げゆくことを着想し、ハーモニカ隊を結成した。ここに、今や百花繚乱と咲き薫る台湾SGIの文化運動の原点がある。
24日の公演では、黎明舞踏団、天使鼓笛隊、太平洋合唱団、天鼓楽団、和光弦楽団、創価勝利管弦楽団が熱演。閉幕時には、出演者が学会歌「誓いの青年よ」を歌い上げた。
25日は、未来部員で構成される新世紀合唱団、和光弦楽希望団、黎明舞踏グループが出演。学会歌などの楽曲や民族舞踊に、平和への願いを託した。
一方、台湾SGIの勝利大会は新世紀合唱団の歌声で開幕した。
同大会の会場となった彰化文化会館が立つ台湾中部は、1999年の台湾大地震で甚大な被害を受けた地域。台湾SGIは震災直後から救援活動に率先し、復興を願う音楽祭や教育支援の活動などを続けてきた。
勝利大会では、男女学生部の代表が、知勇兼備の人材に成長する決意などを披歴。林�理事長は「2030年の学会創立100周年を目指し、青年と共に希望と平和の新世紀を開こう」と訴えた。
音楽会と勝利大会には、長谷川SGI副会長らSGIの台湾訪問団が出席。長谷川SGI副会長は、広布躍進の"春"を迎えた台湾の友をたたえ、どこまでも師弟不二の道を貫き、自他共に輝く幸福勝利の人生を築きゆこうと激励した。

2015年2月17日火曜日

2015.02.17 わが友に贈る

地域友好の拡大は
近隣への心配りから。
礼儀正しく 親切に
垣根のない語らいで
心の交流を広げよう!

崇峻天皇御書 P1174
『蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり、此の御文を御覧あらんよりは心の財つませ給うべし』

◇人生の座標
「人に尽くそう」と決め、勇気を出して「行動」を開始したとき、もっと強い自分になれる。人間としての器が、もっと大きくなる。
多くの大人たちは、その勇気を、もう失ってしまっている。年をとればとるほど小さく固まって、「自分を守る心」が強くなっていく。

☆100文字の幸福抄
「非暴力」とは、
単に暴力を使わないというだけではない。
暴力は、問題や対立の原因を
「人のせい」にするところから生まれる。
非暴力とは、その反対に、
「まず自分が変わろう」とする
生き方なのである。

☆新時代を駆ける 第4回 道を開け! 法華経の兵法で
いよいよ新時代の2月闘争が始まった。
今年は、戸田先生の生誕115周年。私の胸には、厳しくも温かい恩師の声が響く。
ある時、対話拡大に走る同志を、こう励ましてくださった。
「仏法の話をして、誰も話を聞いてくれなかったとしても、諸天善神が聞いてくださっているよ。あなたを必ず護る」
誰が見ていなくとも、御本仏が御照覧である。
広布のための、どんなささいな努力も、苦労も、諸天は見逃さない。仏法の因果の理法は、絶対であるからだ。
いかなる立場になろうとも、真剣に、誠実に、師弟の誓願に生き抜く。そう決めれば、恐れるものはない。
三世の生命から見れば、権威や名声も、はかないものだ。
信心で戦い、友を救い、人を育てた歴史こそが、永遠に光り輝く。
何があっても、「これで、もっと題目があげられる」と喜び勇んで前進すれば、全ては無量の福運に変わる。

人生も、社会も、現実は変化の連続だ。ゆえに肝心なことは、状況に応じて、時を逃さず、どう先手を打っていくかである。
仏法では、「随縁真如の智」と説く。幸福と勝利に必要な智慧——それは、題目をあげ、広布の最前線に飛び込む中で、湧き上がってくる。
所詮は、自行化他の実践以外にない。
『なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし』(P1192、「四条金吾殿御返事」)との御聖訓をわが生命に刻み、新しい智慧、新しい行動で、勇敢に、全ての勝利の道を開こうではないか。
そして誉れある我らの天地に、新時代の広布の金字塔を、晴れ晴れと打ち立てよう!

2015年2月16日月曜日

2015.02.16 わが友に贈る

◇今週のことば
「一文一句なりとも
かたらせ給うべし」
地道な対話の持続こそが
負けない自分をつくる。
希望の連帯を広げる。
2015年02月16日

聖人御難事 P1190
『月月日日につより給へすこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし』

◇人生の座標
勇気がある人は力強く、前へ前へ進んでいける。自分が描いていた「山」を登り、「谷」を下り、自分の目指す理想へ、希望へと向かっていける。まさに「勇気」の二字が「力」となっていく。

☆100文字の幸福抄
新たな社会の希望の活力は、
女性のソフト・パワーである。
女性の知恵が発揮されれば、
職場であれ、地域であれ、
創造性が漲り、調和が図られていく。
女性が安心して伸びやかに働ける社会を
皆で作っていくことが大切である。

☆第40回「SGIの日」記念提言 「人道の世紀へ誓いの連帯」(下)�
◇共通のプラスを一緒に生み出す
加えて、私が期待を寄せるのは、ここ十数年の間に積み上げられてきた3国間協力です。99年に環境分野での3国間協力がスタートして以来、他の分野でも協力が模索される中、今や18の閣僚級会議を含む「50以上の対話メカニズム」と、「100を超える協力プロジェクト」が存在するまでになりました。
さらなる発展を期すためには、政治的な緊張が高まった3年前から途絶えたままになっている、「日中韓首脳会談」の再開が強く望まれます。国連の新目標の採択を控えた今、できるだけ早い時期に、「日中韓首脳会談」を行い、緊張緩和の流れを確実にするとともに、「持続可能なモデル地域協定」の検討に着手してはどうでしょうか。
戦後70年を迎える本年、過去の教訓を礎に「不戦の誓い」を世界に向けて宣言した上で、国連の新しい挑戦を後押しする地域協力を通じて、崩れない信頼を築く出発点にすべきであると呼び掛けたいのです。
私がこれまで、中国の周恩来総理や韓国の李寿成元首相をはじめ、両国の指導者や識者と対話を重ねる中で共に展望してきたのは、日本と中国、また日本と韓国が友好を深め、地球益・人類益のために力を合わせて行動する姿でした。
数世紀にわたって対立してきたフランスとドイツの和解の道を開くために尽力したジャン・モネは、かつて欧州各国との協議の場でこう呼び掛けました。
「我々は共同作品を作るためにここにいるのだ。プラスを得るために交渉するのでなく、共通のプラスが我々のプラスなのだ」(『ジャン・モネ—回想録—』)
すでに3カ国の間には、2011年9月に設置された日中韓三国協力事務局=注6=があります。
その役割の一つに「潜在的な協力案件を探求し及び特定すること」とありますが、国連の新目標に関わるあらゆる分野で「共通のプラス」を生み出す活動を、幾重にも広げるべきではないでしょうか。
先述したように、SGIでは、仙台での国連防災世界会議の関連行事として、日中韓3カ国の市民社会の代表が集い、防災と復興における地域協力を模索する会議を行います。
同事務局の協力などを得て開催するものですが、国連の新目標を後押しする地域協力は、政治のレベルのみならず、草の根の民衆レベルでも積極的に裾野を広げてこそ、大きな実りをもたらすと確信します。
そこで、この裾野を広げるための提案を行いたい。
一つめの提案は、青年交流の拡大です。
フランスとドイツの戦後史を顧みる時、1963年のエリゼ条約を機に本格化した青少年交流の意義が、よく指摘されます。
「積年の敵意は深い友情に場所を譲ることができる」——これは、条約締結50周年に際し、フランスのファビウス外相とドイツのヴェスターヴェレ外相が共同で寄稿した一文に記された印象深い言葉です。
この言葉通り、これまで800万人以上の青少年が交流する中で、両国を結ぶ社会的な紐帯が形づくられてきたのです。
日中韓の間でも8年前から青少年交流事業が始まっていますが、戦後70年を機に規模を大幅に拡大することを呼び掛けたい。高校生や学生を対象にした教育交流や文化交流の拡充はもとより、国連の新目標や3国間協力に関する活動に、青年たちが積極的に携われるような「日中韓青年パートナーシップ制度」を設けてはどうでしょうか。
環境問題や防災など共通の課題をめぐって苦労を分かち合い、一緒に汗を流す経験は、若い世代にとって"自分たちの手で未来を切り開く"という何物にも替え難い人生の糧となるだけでなく、互いの国を将来にわたって結ぶ信頼の礎になると思うのです。
創価学会の青年部でも、85年に中華全国青年連合会(全青連)と交流議定書を結んで以来、30年間にわたって往来を続けてきました。昨年5月には、今後10年間に関する交流議定書に調印し、友誼の潮流をさらに高めることを約し合いました。
日本と韓国の間でも、九州青年部を中心に、さまざまな機会を通じて交流を広げてきました。顔と顔とが向き合う交流で育まれた青年のネットワーク以上に、「平和と人道の21世紀」を築く強靱な力はないと信じるからです。

◇自治体同士での姉妹交流を倍増
二つめは、国連の新目標の達成期限となる2030年に向けて、「日中韓における自治体の姉妹交流の倍増」を目指すことです。
思えば40年前、周総理にお会いした時、双方の最大の関心事は、いかに両国の民衆の友好を深めるかという一点にありました。
国交正常化提言(68年9月)で私は、「国交の正常化とは、相互の国民同士が互いに理解しあい交流しあって相互の利益を増進し、ひいては世界平和の推進に貢献することができて、初めて意義をもつ」と訴えましたが、周総理も、民衆と民衆が心から理解し合い、信頼し合う関係になってこそ真に友好は結ばれると考えておられたからです。
その信念の背景には、若い頃に留学を通して日本で1年半にわたって生活した時の経験があったのではないかと思われます。
中国からの留学生とも交流していた思想家の吉野作造は、約100年前、周総理が留学する前年(1916年)に、険悪化する日中関係を見据えつつ、次のように述べていました。
「国民的信任尊敬の関係があれば、時々個々の政治上経済上の問題に付て反目や誤解やがあっても、それは恰も風のまにまに起る大海の上の漣波の如きものであって、其底を流るる所の親善の関係と云うものには何等の動揺を見ないのである」(『吉野作造選集8』)
私の年来の信条も同じであり、国籍は違っても互いを大切に思い、幸せを願う心の交流を幾重にも根付かせていく中で、友好の大樹はどんな風雪にも耐え、豊かに枝葉を茂らせて、未来へと受け継がれていくのではないでしょうか。
これまで、日中では356、日韓では156、中韓では151にのぼる自治体の姉妹交流が結ばれています。今後さらに姉妹交流を拡大し、一対一の友情の絆を育む潮流を共に高めていくべきだと思うのです。

◇国籍は「世界」
以上、三つの柱に基づいて提案を行いましたが、国連の新目標をはじめ、多くの課題に取り組む最大の原動力となるのは「民衆の連帯」にほかなりません。
思えば40年前の1月26日、グアムでSGIが発足した時、私の胸に去来していたのは、"地球上から悲惨の二字をなくしたい"との戸田第2代会長の熱願であり、「地球民族主義」のビジョンでした。
発足の場となった会議で行った署名の国籍欄に、私が「世界」と記したのも、師の思いを果たす誓いを込めてのものだったのです。
会議では、51カ国・地域から集まったメンバーとともに採択した宣言で、SGIの基本精神を次のように確認し合いました。
「平和創出のために、政治や経済の絆より強いものは、生命の尊厳に目覚めた民衆と民衆の心と心の連帯である」
「永続的な平和は、人類のすべてが幸福を享受し得て、初めて実現する。したがって、われわれは、人類の幸せと、その未来の存続に『何をもって貢献できるか』という慈悲の理念を、今後の新しい思想の因子としていくことをめざしていく」
192カ国・地域に活動の輪が広がった今も、その精神は変わりません。
今後も、対話と友情の拡大を基盤に、「核兵器と戦争のない世界」の実現をはじめ、悲惨の二字をなくす挑戦に全力で取り組み、すべての人間の尊厳が輝く世界への道を切り開いていきたいと思います。

2015年2月15日日曜日

2015.02.15 わが友に贈る

大変な時こそ
大きく変われる
チャンスだ!
題目根本に 勇気の
行動で道を開け!

諸法実相抄 P1361
『鳥と虫とはなけどもなみだをちず、日蓮はなかねどもなみだひまなし、此のなみだ世間の事には非ず但偏に法華経の故なり』

◇人生の座標
現今の世相をみると、人と人との真剣な精神の打ち合いが欠けているようにも思える。いや、企業、学校を問わず多くの団体にあって、なあなあの人間関係が目立っていまいか。
互いに切磋琢磨する人間関係が失われ、馴れ合いという、ぬるま湯につかってしまえば、新しい発展は望めない。

☆100文字の幸福抄
愛情を持って育てられた人は、
「競争」によって他人を蹴落とすのではなく、
社会のため、人々のために
貢献する生き方を志向していくことができる。
知識だけに偏らず、
円満な人格を育む。
人間教育の根本は、愛情である。

☆第40回「SGIの日」記念提言 「人道の世紀へ誓いの連帯」(下)�
◇オーストリアが表明した"誓い"
以上、核兵器の非人道性について、兵器としての破壊力の観点にとどまらず、フレームを「核時代の継続が招く非人道性」にまで広げる形で、三つの角度から論じてきました。
そこで浮かび上がってくるのは、核兵器が使用される事態を未然に防ぐために必要と主張されてきた核抑止政策が、どれだけ多くの負荷を世界にもたらしてきたかという現実です。
広島と長崎への原爆投下以降、核兵器の使用を思いとどまらせるブレーキの役割を果たしてきたのは、抑止力よりも、「核兵器の使用がもたらす壊滅的な人道的結果」への責任の重みではなかったでしょうか。
実際、"核の傘"の外にある国々も、核攻撃の対象にされたことはありませんでした。例えば、非核兵器地帯のように核軍備の選択肢を共同で放棄したケースでは、「非核への誓いの重み」が、保有国に踏み越えてはならない一線を刻印する重要な要素になったのではないでしょうか。
先月のウィーン会議では、オーストリアが議長国の立場を離れ、一国としての誓いを表明しました。
受け入れがたい非人道的な影響と危険性を踏まえ、「核兵器のない世界」を実現するために、他の国や国際機関、市民社会などと協力して道を切り開くことへの誓いです。
会議に先立ち、SGIがウィーンで、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)や世界教会協議会と共催した宗教間パネルでも、キリスト教、イスラム教、ヒンズー教、仏教の信仰者が、核兵器廃絶の道を探る討議を行いました。
その成果を、「私たちは誓う」と明記した共同声明としてとりまとめ、ウィーン会議の一般討論の席上、市民社会からの声の一つとして発表したのです。
「核兵器のない世界」を実現する"行動の共有"を生み出す鍵は、こうした誓いを、広島と長崎への原爆投下から70年を迎える本年に、どれだけ結集できるかにかかっていると思えてなりません。

◇膠着状態を破る実りある討議を
そこで、次の二つの具体的な提案を行いたい。
一つめは、NPTに基づいて核軍縮に関する制度づくりを進めることです。
先月の国連総会で、重要な意義を持つ決議が採択されました。本年の再検討会議で、NPT第6条が要請する「核軍縮のための効果的措置」の枠組みに関し、あらゆる選択肢を検討することを求める決議です。
振り返れば、1995年にNPTの無期限延長が決定して以降、さまざまな合意がされながらも、ほとんどの内容が進展をみないまま、課題ばかりが山積する状況が続いてきました。
総会の決議に169もの国々が賛同したのも、核問題をめぐる膠着状態が続くことへの強い危機感の表れといえましょう。
ゆえに私はまず、できるだけ多くの首脳が再検討会議に出席することを呼び掛けたい。そして、各国の首脳らを前に「核兵器の人道的影響に関する国際会議」の総括報告を行う場を設けることを提案したい。
また、各国の首脳もしくは代表がスピーチする際、2010年の再検討会議で全加盟国が一致して懸念を表明した「核兵器のもたらす壊滅的な人道的結果」を引き起こさないために、自国としてどのように行動するかについて、言及することを望むものです。
その上で、NPT第6条が要請する効果的措置の検討を進め、特に「核軍縮」に関する項目については、新しい制度を設けて着実な履行を図ることを提唱したいと思います。
NPTの三本柱のうち、拡散防止と原子力の平和利用に関しては、国際原子力機関が活動しているほか、CTBTや核安全保障サミットなどがあるものの、核軍縮については継続的に討議し、履行を確保する制度がありません。
今一度、2000年の再検討会議で「核兵器の全廃を達成するという保有国による明確な約束」が行われたことを想起し、その約束を具体的かつ速やかに実行に移すための「NPT核軍縮委員会」ともいうべき条約の補助機関を新設してはどうでしょうか。
例えばNPTには、加盟国の3分の1の要請で、会議を招集できる仕組みがあります。そこで「NPT核軍縮委員会」の設置を図り、軍縮計画や検証体制などに関する内容をとりまとめ、核兵器ゼロの基盤となる"後戻りができない大幅な核軍縮"を進めるべきだと思うのです。

◇被爆国の日本が果たすべき役割
二つめの提案は、「核兵器禁止条約」の締結に関するものです。
私は、さまざまな困難や課題はあるものの、広島と長崎への原爆投下から70年を迎える本年を機に、「核兵器禁止条約」の交渉に、いよいよ本格的に踏み出すことを呼び掛けたい。
NPT再検討会議の成果なども見定めた上で、条約交渉のためのプラットフォームを立ち上げることを提案したいと思います。
2年前に国連で行われた「多国間核軍縮交渉の前進に向けたオープン参加国作業部会」をベースに、NPTとの協議を交えた条約交渉の場として発展させる形もあるでしょう。
その上で例えば、国連総会の決議で2018年までの開催が要請されている、「核軍縮に関する国連ハイレベル会合」を明年に行い、条約案をまとめることを目指していってはどうか。被爆国の日本が、他の国や市民社会と力を合わせて、「核兵器のない世界」を築く挑戦を加速させることを強く望みたい。
広島では、8月に国連軍縮会議が、10月と11月に世界核被害者フォーラムが行われるほか、長崎ではパグウォッシュ会議の世界大会が11月に開催されます。
SGIでも、他のNPTと協力して「核兵器廃絶のための世界青年サミット」を9月に開催することを検討しています。
昨年、創価学会青年部では、核兵器の廃絶を求める512万人もの署名を集めました。サミットで、世界の青年の名において核時代との決別を誓う宣言を採択し、「核兵器禁止条約」を求める青年の連帯をさらに強めていきたい。
思い返せば、70年代前半に歴史学者のトインビー博士と対談した折、核問題の解決には「自ら課した拒否権」を世界全体で確立することが鍵になると博士が強調していたこと(『21世紀への対話』、『池田大作全集第3巻』所収)が思い起こされます。
今月21日、アメリカとキューバが国交正常化交渉を開始しましたが、国交断絶の翌年に起きたキューバ危機を解決に導いたのも、核使用を取り下げるという「自ら課した拒否権」を、米ソ両国が互いに示し合ったことによるものだったのではないでしょうか。
私が「核兵器禁止条約」を展望する時にイメージするのは、この「自ら課した拒否権」を各国が持ち寄り、重ね合わせることで、「どの国の人々も、核兵器の使用がもたらす惨害に見舞われることがない時代」を共同で築き上げることにほかならないのです。

◇人材育成に努め成功事例を発信
最後に第三の柱として、"行動の共有"を呼び掛けたいのは、持続可能な地球社会の建設です。
温暖化をはじめとする地球環境問題に立ち向かうためには、教訓や経験を分かち合って事態の悪化を防ぐとともに、循環型社会への転換の道を共に模索する努力が欠かせません。
それは、国連の新目標を進める上でも重要な鍵を握り、とりわけ近隣国同士の協力は、かけがえのない基盤となるものです。
そこで私は、日本と中国と韓国が協力して「モデル地域」づくりに取り組み、人材育成をはじめ、成功事例の発信などに力を入れることを提案したい。
昨年11月、日中首脳会談が約2年半ぶりに実現しました。緊張が高まった関係の改善に向け、一歩を踏み出せたことを、両国の友好を願い行動してきた一人としてうれしく思います。
首脳会談を受け、「日中省エネルギー・環境総合フォーラム」が先月再開し、今月12日には「海上連絡メカニズム」に関する協議が行われました。
不測の事態を回避するための仕組みの確保は急務となっていただけに、首脳会談で合意された早期の運用開始が実現するよう、準備が順調に進むことを願ってやみません。
また本年は、日本と韓国の国交正常化50周年にあたります。
両国の間でも政治的な緊張を解消することが課題となっていますが、毎年、500万人もの人々が往来するなど、交流の裾野は着実に広がっています。
国交正常化当時の往来は年間で1万人でしたが、現在では日中間の往来を上回る規模に拡大しました。
また、互いの国に良い印象を持たない人々の割合は依然として高いものの、日韓関係を重要と認識する人は共に6割を超えていること(言論NPOと東アジア研究院による「第2回日韓共同世論調査」)も注目されます。

2015年2月14日土曜日

2015.02.14 わが友に贈る

青年と女性の意見に
真剣に耳を傾けよ。
それが時代の流れだ。
若い感性と聡明な声こそ
社会の発展の力なり!

法華証明抄 P1586
『いかなる過去の宿習にてかかる身とは生るらむと悦びまいらせ候上の経文は過去に十万億の仏にあいまいらせて供養をなしまいらせて候いける者が法華経計りをば用いまいらせず候いけれども仏くやうの功徳莫大なりければ謗法の罪に依りて貧賎の身とは生れて候へども又此の経を信ずる人となれりと見へて候』

◇人生の座標
見栄を張り、虚栄を追い求めるような人生は、結局、確かな法則から外れてしまう。自分らしく、人知れず、地道にこつこつ努力しぬいた人が、最後は勝つ。

☆100文字の幸福抄
いじめを受けている子どもたちは、
わが身をすり減らして
社会や大人に警鐘を鳴らしてくれている。
そのサインを見逃さず、
子どもたちが伸び伸びと成長していけるよう、
学校と家庭と地域が協力できるか否か、
そこに「教育力」の真価が問われている。

☆第40回「SGIの日」記念提言 「人道の世紀へ誓いの連帯」(下)�
◇ロートブラット博士の高い評価
そこで私は、検討を進めるための視座を、「兵器としての破壊力」だけにとどまらず、核兵器が他の兵器とはまったく性質の異なる存在として帯びている「より広い意味での非人道性」に関し、さまざまな角度から掘り下げることで提起したいと思います。
一つめの観点は、「核兵器が地上から一瞬にして何を消し去るのかという重み」に根差した非人道性についてです。
ウィーン会議の討議結果をまとめた文書で、私が強い共感をもって受け止めたのは次の一節です。
「人間性を打ちのめし、今となっては誰にとっても受け入れがたいものである拷問のケースと同じく、核兵器使用による惨禍は法的問題に留まらず、道徳的観点からの評価を必要とするものである」(ピースデポ「核兵器・核実験モニター」第462号)
なぜなら、この問題提起は、私の師である戸田第2代会長が、冷戦対立の深まりで核開発競争が激化した頃(1957年9月)に発表した「原水爆禁止宣言」(『戸田城聖全集第4巻』所収)で、最も強調していた点と重なり合っていたからです。
その中で戸田会長は、「核あるいは原子爆弾の実験禁止運動が、今、世界に起こっているが、私はその奥に隠されているところの爪をもぎ取りたいと思う」と訴えました。
仏法では、人間の尊厳に対する最も深刻な脅威は、一人一人の存在の重みを無に帰し、生きていることの意味そのものを奪い去る、「他化自在天」という生命の根源的な迷妄から生じる悪にあると説きます。
戸田会長は、核兵器の奧に隠されているのは、この最も深刻な悪にほかならないと指摘し、核実験の禁止はもとより、問題の根本解決のためには、多くの民衆の犠牲を前提にしなければ成り立たない核抑止の思想からの脱却を、世界の民衆が持つ「生存の権利」の名において求め抜くしかないと主張したのです。
この宣言発表と同じ年に発足したパグウォッシュ会議で、長らく中心者を務めたジョセフ・ロートブラット博士が、以前、次のような評価を寄せてくださったことがあります。
「核兵器への対応には二通りあります。一つは法律的なアプローチで、もう一つは道義的なアプローチです。後者が、宗教者として戸田氏がなされたことであると思っています」(『地球平和への探究』)と。
拷問に関し、どんな理由でも正当化できない禁止規範が確立してきたように、核兵器についても道義的な問い直しを本格的に深めるべきではないでしょうか。

◇高度な技術でも復元できぬもの
戦後、アメリカに続いてソ連が核開発に成功し、その後、イギリス、フランス、中国が続き、NPTが発効した後も核拡散がやまない中で、核兵器の対峙が、あたかも国際社会にとって"動かし難い基本的与件"であるかのような状態が続いてきました。
しかし、その土台にある核抑止政策が究極的にもたらすのは、「敵側に属する民衆の殲滅(せんめつ)」と「核攻撃の応酬に伴う自国民への甚大な被害」です。
それは、戸田会長が剔抉(てっけつ)していたように、「敵—味方」の範疇(はんちゅう)を超えて、一人一人が生きてきた証しや、社会や文明の営みを一瞬にして無にし、あらゆるものから存在の意味を奪うものにほかなりません。
NPT再検討会議での上映に向けて、原爆投下以前の広島の復元映像を製作するプロジェクトの代表を務める田邊雅章氏は、「いかに高度なCG(コンピューター・グラフィックス)技術を用いても決して復元できないものがある」と述べています。その一言が、失われたもののかけがえのなさを、かえって物語ってはいないでしょうか。
また、核抑止のもとで生きるということは、あらゆるものを"かりそめの現存在"に貶める不条理が、絶えずつきまとう世界に生きることを意味します。そうしたニヒリズム(虚無主義)によって、社会や文明が蝕まれるような状態が、これ以上続くことを決して許してはなりません。
しかもウィーン会議で焦点の一つとなったように、核兵器が存在する限り、人為的ミスや技術上の欠陥、サイバー攻撃などによって「偶発的に核爆発が引き起こされる可能性」は常に残るといえます。
何より、その問題は、核抑止政策にとって想定外の事態であるばかりか、核抑止政策を続ける国の数だけ危険性が増す構造であることに、留意する必要がありましょう。
キューバ危機の際には、米ソ首脳が解決を模索し、熟慮を重ねる「13日間」という時間がありました。
一方、何らかの理由で偶発的に核ミサイルが発射される事態が生じた場合に、攻撃目標に達するまでに残された時間は、わずか「13分」ほどしかないといわれます。その結果、多くの人々が避難もままならず、尊い命が容赦なく一瞬にして奪われ、攻撃目標となった地域の営みも、なすすべなく丸ごと破壊されてしまうことになるのです。
幸福な人生を歩むためにどれだけ人間が努力を重ねようと、長い時間をかけて文化や歴史を育もうと、一切合切、無意味なものにしてしまう——この言語に絶する"理不尽さ"にこそ、圧倒的な破壊力という数値だけでは推し量ることのできない、「非人道性」の核心部分があるように思えてなりません。

◇核開発と近代化がもたらす歪み
二つめの観点は、「核開発や近代化の継続が世界にもたらす歪み」に基づく非人道性についてです。
先月のウィーン会議で、核実験の影響が初めて議題に取り上げられました。
「ヒバクシャ」という共通語が示す通り、世界各地には2,000回以上にわたって行われてきた核実験の影響で、深刻な被害を受けてきた人々は少なくありません。
例えば、マーシャル諸島共和国が、12年間にわたって経験することになった核実験の爆発規模を換算すると、1日あたり、広島型原爆1.6個分に相当するといいます。
この事実が示すのは、核兵器の使用を防いできたと主張される核抑止政策が、実際、何をもたらしてきたかという点です。
つまり、核抑止政策は、脅威がさらなる脅威を呼ぶ核軍拡競争を引き起こし、実験という形での核爆発が何度も行われたために、「いかなる国家や民族も背負ってはならない重荷」(マーシャル諸島のデブルム外相)を世界に積み増す結果を招いてきたのです。
包括的核実験禁止条約(CTBT)が96年に採択されて以来、核爆発を伴う実験はゼロでないものの、ほぼ行われなくなりました。しかしこの状態は、183カ国が署名しながらも、CTBTが発効をみていない中、辛うじて保たれているにすぎません。
また、CTBTでは「核兵器の近代化」は禁じられていませんが、ある国が近代化を図ると他の国も追随する構造は、核抑止政策が続く限り避けることはできず、世界全体で年間1,050億ドルにも達する核兵器の関連予算がさらに増額する恐れもあります。
その莫大な資金が、保有国の福祉や保健の向上のために充当され、また貧困などに苦しむ他の国々の支援に向けられれば、どれほど多くの人々の生命と尊厳が守られることにつながるか計り知れません。
そもそも核開発を継続すること自体、世界の経済資源と人的資源の軍備転用を最少にすることを求めた国連憲章第26条の精神に反するだけでなく、助けることが可能な人々の窮状が続く状況を結果的にもたらしているという面で、「地球社会の歪み」を半ば固定化させる非人道性を生じさせてはいないでしょうか。

◇軍事的な緊張に周囲を巻き込む
三つめの観点は、「核態勢の維持が多くの国を常に軍事的な緊張に巻き込む」という面での非人道性についてです。
2010年のNPT再検討会議で核保有国は、速やかに取り組む課題として、安全保障政策における核兵器の役割と重要性の一層の低減を誓約しました。
昨年、その進捗状況が報告されましたが、ほとんど変化はみられません。多くの保有国の指導者が、核兵器の使用が想定される状況は極めて考えにくく、今日的な脅威に核兵器では対応できないとの認識を示しているにもかかわらず、「核抑止政策の維持」を理由に誓約が果たされない状態が続いているのです。
保有国にとって、自国と同盟国が核攻撃に脅かされる懸念を、現段階で完全に払拭(ふっしょく)することは難しいかもしれません。しかし、たとえそうであったとしても、あくまで先決なのは、緊張の要因を一つ一つ粘り強く取り除くことであり、「核兵器使用の威嚇」による対抗が唯一の方法とならない状況をつくりだす努力ではないでしょうか。
そもそも、核兵器の使用はもとより、その威嚇も、国際司法裁判所の96年の勧告的意見で示された通り、一般的に違法とされるものにほかなりません。
審理にあたったフェラリ・ブラボ判事が意見書で、「国連憲章第二条第四項と第五一条の間を隔てる川が、核抑止論という大きな石のために広がった」(NHK広島 核平和プロジェクト『核兵器裁判』)と述べたように、核抑止政策の存続は、憲章が当初想定していた自衛権をめぐる状況を大きく変えたと思われます。
つまり、第2条第4項で「武力による威嚇または武力の行使」が原則的に違法とされているものの、甚大な被害をもたらす核兵器の対峙が続くために、武力攻撃を受けた場合のみの例外であって安全保障理事会が必要な措置をとるまでの期限付きとされる、第51条の「個別的または集団的自衛権」に基づく備えを、常に必須のものとする状況——いわば、原則と例外の逆転現象を招いてきたのではないかという点です。
冷戦の終結以降も、この構造は変わっていません。国家間で武力衝突はおろか、対立が深まっていなくても、核抑止に基づく威嚇はそのまま背景において機能し続けるため、多くの国が軍事的緊張に常に巻き込まれてしまうのです。
その結果、保有国や同盟国の間で、核兵器の機密保護や核関連施設の保安を淵源とする、セキュリティー第一主義ともいうべき態勢が敷かれるようになる一方、核兵器の威嚇にさらされる国の間で、核開発や軍備増強への誘因が高まる状況もみられます。それがまた最悪の場合には、他国による予防的な武力行使の検討さえも誘発しかねないという悪循環を生んではいないでしょうか。

2015.02.13 わが友に贈る

「体験」が光る!
「哲学」が輝く!
創価の座談会は
希望と勇気の光源だ。
共感の語らい広げよう!

西山殿御返事 P1474
『夫れ雪至つて白ければそむるにそめられず漆至つてくろければしろくなる事なし、此れよりうつりやすきは人の心なり、善悪にそめられ候、真言禅念仏宗等の邪悪の者にそめられぬれば必ず地獄にをつ、法華経にそめられ奉れば必ず仏になる』

◇人生の座標
親が貧しいから、親が無学だから、夫婦げんかがあるから−−「だから自分は不幸だ」。そうではない。「だからこそ、人間らしい世界であり、人間らしい自分になれるのだ」。こう思ってもらいたい。

☆100文字の幸福抄
「母への感謝」を忘れた時、
人は傲慢になる。
大切な「何か」を見失ってしまう。
そのままではやがて、
不幸の方向へと進んでいくことになる。
「母への感謝」をもち続ける人は、
正しく、心豊かな人生を歩んでいける。

☆第40回「SGIの日」記念提言 「人道の世紀へ誓いの連帯」(下)�
◇被災地・仙台での国連防災世界会議
二つめの提案として、多くの難民を受け入れている地域で、難民のエンパワーメント(内発的な力の開花)に、近隣諸国が共同で取り組む仕組みを整備することを呼び掛けたい。
近年、紛争や内戦に加えて、災害や異常気象などによって、大勢の人々が難民状態に置かれる事態が相次いでいます。
この問題をめぐって私が注目するのは、明年にイスタンブールで開催される「世界人道サミット」に向け、各地域で行われてきた準備会合での議論です。
「世界人道サミット」は、紛争や貧困をはじめ、災害や異常気象などが引き起こす、さまざまな人道的危機に対し、国際社会が一致して立ち向かうための方策を探るもので、昨年7月に東京で行われた準備会合では、災害への対応が焦点となりました。
そこで終始強調されたのは、人道支援活動の中心に「被災した人々」を据え、人々へのエンパワーメントをより強めて「尊厳ある暮らし」ができるようにする取り組みです。
この観点は、災害に見舞われた地域の復興を目指す上で、私どもSGIが最も重視してきたものでもありました。深い苦しみに直面した人であればこそ、同じような苦しみを抱える人の"かけがえのない心の支え"となり、前に進もうとする力を共にわき出すことができるからです。
東日本大震災から4年となる本年3月には、仙台で第3回国連防災世界会議が行われます。
SGIでも、会議の関連行事として、「北東アジアの連帯によるレジリエンスの強化」をテーマにした会議を開催します。
「レジリエンス」とは、災害に伴う被害の拡大を防ぎ、復興を後押しする「社会の回復力」ともいうべきものですが、この分野でどのような協力を深めていけるのか、日本と中国と韓国の市民社会の代表が集い、その可能性を追求することになっています。
また、東北青年部の主催で「防災・復興における青年力」をめぐるシンポジウムを行うほか、宗教団体の復興支援のあり方に関する「信仰を基盤とした組織の役割」の討議にも参加する予定です。
いずれの会議でも、「エンパワーメントの強化」を通じて、一人一人の人間、特に被災した人々がレジリエンスの担い手となることに焦点が当てられますが、このテーマは、「長期化難民」が増加する中、難民の尊厳と人権の問題を考える上でも、同じく重要になってくると考えます。
人道的危機においては、紛争や災害といった原因の違いがあっても、慣れ親しんできた家を追われ、人生と生活の足場を失った苦しみ自体に変わりはなく、何よりも大切なことは「一人一人が生きる希望を取り戻すことができるかどうか」にあるからです。
難民の8割以上を途上国が受け入れる中、この「長期化難民」の問題に関して注目されるのがアフリカの取り組みです。
AU(アフリカ連合)やECOWAS(西アフリカ諸国経済共同体)(注5)を通し、難民問題への地域協力が模索され、枠組みづくりが進んできました。
なかでも興味深いのは、アフリカでは庇護国での難民の長期滞在が一般的となる中、「事実上の統合」が進んできたケースもあると、専門家が指摘している点です。
「事実上の統合」には、�強制送還の恐れがない、�キャンプなどに住むことが強要されない、�援助に頼らず、生計を立てることができる、�教育、職業訓練、医療などにアクセスできる、�冠婚葬祭などを通じて受け入れ地域との社会的ネットワークがある、といった特徴がありますが、アフリカのいくつかの農村部でその特徴がみられるというのです。
またECOWASでは、2008年の閣僚理事会で、加盟国の市民と域内の難民を平等に扱うことが提言され、ナイジェリアなどに滞在する難民は、出身国から旅券の発行を受けられることになりました。その結果、難民は移住労働者としての新しい地位を得ることができ、正式に庇護国で定住する道が開かれたという事例もあります。

◇より人間的な顔を世界に与える
ナイジェリアの作家で、私が友情を結んだウォレ・ショインカ氏の言葉に、「ほかの人の身になって想像力を働かせることが正義の基本」(「読売新聞」1995年11月29日付)とあります。
アフリカでは、古くから人々の交流が盛んで、異なる文化を持つ人々を寛大に受け入れる慣習があるといわれますが、その精神が息づいたアプローチに、私は、難民問題の解決を考える上での新しい地平をみる思いがするのです。
振り返れば、55年前に国連本部を初訪問した折、独立まもないアフリカの国々の代表が清新な息吹で討議に参加している姿をみて、「21世紀は、アフリカの世紀になる」と確信したことを思い出します。
マンデラ元大統領の人権闘争や環境運動家のワンガリ・マータイ博士の植樹運動をはじめ、人類が希求する「平和と人道の21世紀」を先取りするような偉大な挑戦は、アフリカから起こってきました。
同じく、困難に直面しながらも、地域での協力を模索し、難民問題への対応を積み上げてきたアフリカの経験も、新しい国際目標の挑戦を始めようとしている国連への、「世界にもっと人間的な顔を与えるという贈り物」(スティーヴ・ビコ『俺は書きたいことを書く』)となるのではないでしょうか。
多くの難民を受け入れているアジア太平洋地域や、シリアの内戦で難民が急増する中東などでも、アフリカの事例などを参考にしつつ、「難民の人権を守るための地域協力」を充実させることを提案したい。
例えば、難民の受け入れ国に対して、近隣国が協力する形でエンパワーメントの強化を担い、受け入れ国の青年や女性も一緒に教育支援や就労支援などを受けられる仕組みを設け、「域内市民への共同エンパワーメント」として推進していってはどうか。
その機会を通じて、難民と受け入れ国の人々との個人的な絆を強めることが、難民支援における大きな支えとなり、地域全体のレジリエンスの強化にもつながると考えるのです。

◇155カ国・地域が賛同した共同声明
第二の柱は、「核兵器のない世界」を実現するための"行動の共有"です。
国連の創設に伴い、最初に取り組むべき課題として提起されたテーマは何か。それは、総会の第1号決議として採択された核兵器の問題にほかなりません。
国連憲章が検討されていた段階では、核兵器の存在は公になっていなかったため、軍縮よりも安全保障に議論が集中しました。
しかし、憲章の採択から1カ月余り後、広島と長崎に原子爆弾が投下され、世界中に衝撃が広がる中、国連でも早急な対応を求める声が高まったのです。
決議は、「原子爆弾を他の大量破壊兵器とともに国家の軍備から撤廃する」との明確な表現をもって、例外のない完全廃棄を求めたものでした。
その呼び掛けは、冷戦対立の激化で立ち消えそうになりながらも、朝鮮戦争での核兵器使用を思いとどまらせる上で影響を及ぼしたといわれる「ストックホルム・アピール」の署名運動や、東西対立を超えて集まった科学者らによって1957年に結成されたパグウォッシュ会議が提起した内容などが基礎となり、核兵器を規制する条約づくりを求める機運が次第に高まるようになりました。
こうした市民社会での機運の高まりと、核戦争が瀬戸際まで迫った62年のキューバ危機などの教訓も相まって、ようやく70年に発効をみたのが核拡散防止条約(NPT)でした。
そこで核軍縮の誠実な追求が約束され、国連創設以来の未完のプロジェクトがNPTに託されたものの、発効から45年となる現在も廃絶は達成されず、核軍縮は停滞したままです。
しかし現在、「核兵器のない世界」を求める動きが新しい形で広がりをみせており、昨年10月には「核兵器の人道的影響に関する共同声明」に155カ国・地域が賛同しました。
国連加盟国の約8割にあたる国が、いかなる状況下でも核兵器が使用されないことを求める、共通の意思を明確に示したのです。

◇3回の国際会議で検証された内容
また、2013年3月にノルウェーのオスロで、最初の「核兵器の人道的影響に関する国際会議」が開催されて以来、オーストリアのウィーンで先月に行われた会議まで3回にわたり、核兵器の使用がもたらす人道的影響についての検証が続けられてきました。
一連の会議で浮き彫りになった事実の中で、被害を受ける人間の側から見て、特に重要と思われるのは、以下の3点です。
�いかなる国も国際機関も、核爆発によって引き起こされた直接的被害に適切に対処し、被災者を救援するのは困難であること。
�核爆発の影響は国境内に押しとどめることは不可能で、深刻で長期的な被害をもたらし、人類の生存さえ脅かしかねないこと。
�間接的な影響で社会開発が阻害され、環境も悪化するために、貧しく弱い立場に置かれた人々が最も深刻な被害を受けること。
ウィーン会議では、初めて参加したアメリカとイギリスからも、非人道性をめぐるさまざまな議論が行われてきたことを理解するとの立場が示されました。
核兵器の使用がどれだけ深刻な事態を引き起こすのかという実態の検証は、保有国にとっても向き合わざるを得ない重みを持っているといえましょう。
ただし、そこからどう前に進めば良いのかは、意見が分かれています。
会議の参加国の大半が"壊滅的結果を回避する唯一の保証は、核兵器の廃絶しかない"との認識を示す一方で、保有国とその同盟国の間では"核拡散が進む中では核抑止政策を続けつつ、段階的に措置を積み上げる形で核兵器のない世界を目指すべきである"との考えが根強いからです。
では、国連創設以来の未完のプロジェクトの達成に向け、どのように"行動の共有"を形づくっていけば良いのか。
まず、双方を隔てる溝は深いように見えて、実は同じ岩盤でつながっている——つまり、共同声明への賛否とは別に、「核兵器の使用がもたらす壊滅的結果とその影響」に懸念を抱く点では変わりはないことを、出発点に据えることが大切だと考えます。
その上で肝心なのは、取り返しのつかない惨害が"自国や同盟国"に及ぶことだけを防ぐのではなく、"すべての国"で生じないようにするために、どのような新しい構想が必要かを見つめ直すことです。

2015年2月12日木曜日

2015.02.12 わが友に贈る

「後輩を自分以上の
人材に!」
リーダーの一念が
未来を決する。
深き祈りから始めよ!

御義口伝下 P762
『悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり、功徳とは即身成仏なり又六根清浄なり』

◇人生の座標
人生は「マラソン」だ。初めのうちビリであったって、何もかまわない。それで自分をあきらめて、走るのをやめたら、それこそ「終わり」です。つまらない人間になってしまう。
今、夢がある人も、ない人も、ともかく走り続けることだ。
また、人生は「総合競技」です。一競技で負けたって、ほかで勝てばいい。何かで勝てばいい。「あきらめない」ことです。そうやって苦しんだ分だけ、自分の「魅力」になっていくんです。

☆100文字の幸福抄
いやなことも、つらいことも、大人が先回りして
経験させないようにすることが、
子どものためになるとは限らない。
本当の教育とは、
誰とでも公正に付き合える強い人間、
何が起きても乗り越えられる人間を
つくることである。

☆第40回「SGIの日」記念提言 「人道の世紀へ誓いの連帯」(下)�
続いて、地球上から悲惨の二字をなくすために、従来の発想を超えた創造的なアプローチが早急に必要となると思われる課題について、具体的な提案をしたいと思います。

◇ハマーショルド事務総長の信念
創設70年を迎える国連の歴史を振り返る時、胸に浮かぶ言葉があります。
それは、私がニューヨークの国連本部を初めて訪れた年(1960年)の年次報告書で、ダグ・ハマーショルド第2代事務総長がつづっていた一節です。
「国連は我々の世代を取り巻く政治状況がつくり出した有機的な産物である。しかし同時に、国際社会はその中で政治的な自意識というべきものを実現化したため、国際社会は国連という組織を有意義に用いることで、国連をつくり出すことになった政治状況に影響を与えることができる」
国連は主権国家の集合体としての制約や限界に常に直面しながらも、一方で、国連を舞台に育まれてきた"国際社会としての意識"こそが、国連の本来の使命を果たす突破口となりうるということです。
例えば、世界人権宣言に象徴されるように、国連憲章の精神を実現するために"どの国であろうと揺るがしてはならない原則"を明確に打ち出すことで、各国の政策にも影響を及ぼしてきました。
世界人権宣言の起草に深く関わった哲学者のジャック・マリタンは、「理論的な考え方において対立している人々も人権のリストに関して純粋に実践的な合意に到達することができる」(『人間と国家』)と強調しましたが、異なる思想的、文化的背景を持ったメンバーが最終的に意見を集約させることができたのも、国連という場の力があったからだと思えてなりません。
その後も国連は、「持続可能な開発」や「人間の安全保障」などの重要な指標の提起や、国際年と国際の10年を通し、喫緊の課題に焦点を当ててきました。
また、女性への暴力や児童労働をはじめ、国内レベルでは見過ごされがちだった深刻な問題を次々と取り上げ、国際的な対応を呼び掛けてきました。
私は、こうした各分野での重なり合うコンセンサス(意見の一致)の形成と、虐げられた人々が直面する問題への注意喚起を通し、国際法の対象を「国家」だけでなく、「一人一人の人間」に向け、生命と尊厳の保障を図る領域を広げてきたことに、国連でしか成し得なかった重要な役割があったと考えます。
「ミレニアム開発目標」よりも踏み込んだ内容が期待される新目標の採択に向けて歩み出そうとする今、必要なのは、ハマーショルド事務総長が「慣習的な思い込みや型にはめられた手法といった鎧を脱ぎ捨てて」挑むことを呼び掛けていた国連の「創造的進化」(マヌエル・フレーリッヒ「世界機構の政治哲学を求めて」、『世界平和への冒険旅行』所収)を、国際社会が力を合わせて成し遂げることではないでしょうか。
昨年6月、その先駆けともいえる国連機関の強化が一つ実りました。
国連環境計画の強化策として、国連のすべての加盟国が参加できる討議の場が設置され、ケニアのナイロビで初めての「国連環境総会」が開催されたのです。そこには、環境問題に取り組む市民社会の代表や企業の代表も参加しました。
私はかねてから、地球的問題群の解決に臨む前提として何よりも欠かせないのは、「すべての国の討議への参加」を確保し、「国連と市民社会との協働」を積極的に進めることであると訴えてきました。
環境の問題だけでなく、人間の生命と尊厳を脅かす多くの課題に立ち向かうために、その二つの要素に支えられた"行動の共有"を築くことに、創設70年を迎える国連が果たすべき「創造的進化」の主眼はあると思われるのです。
そこで今回は、国連の使命を踏まえつつ、地球から悲惨の二字をなくすために"行動の共有"が急務になると思われる、�難民と国際移住者の人権保護、�核兵器の禁止と廃絶、�持続可能な地球社会の建設——に関して、それぞれ提案を行いたい。

◇難民や避難民が5,120万人に
第一の柱は、難民と国際移住者の人権を保護するための"行動の共有"です。
最初に提案したいのは、今秋に国連で採択が予定される新しい国際目標の項目に、「すべての難民と国際移住者の尊厳と基本的人権を守ること」を盛り込むことです。
冒頭で触れた通り、私の師である戸田第2代会長が"地球上から悲惨の二字をなくしたい"と訴えた時、念頭にあったのは、1956年のハンガリー動乱で、多くの人々が難民となり、塗炭の苦しみにさいなまれている姿でした。
20世紀を"難民の世紀"と呼んだ哲学者のハンナ・アレントは、「自分が生れ落ちた共同体への帰属がもはや自明ではなく絶縁がもはや選択の問題ではなくなったとき」、その人々は「市民権において保証される自由とか法の前での平等とかよりも遙かに根本的なものが危くされているのである」(『全体主義の起原2』)と警鐘を鳴らしました。
まさに人間の尊厳の土台となる"自分を自分たらしめてきた世界"を丸ごと失い、人権が根こそぎ奪われる悲惨にこそ、難民の人々の苦しみの根源があるといえましょう。
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は当初、1950年に暫定的な機関として設置されたものでした。主要な目的は、第二次世界大戦によって生じたヨーロッパの難民を保護することにあったからです。
それが、大規模な難民流出を引き起こしたハンガリー動乱を経て、アジアやアフリカなどでも難民問題が相次ぎ、何度も活動期限が更新される中、2003年の国連総会で「難民問題が解決するまで恒久的に存続する機関」とすることが決まった経緯があります。
これまで多くの難民を救援してきたUNHCRの貢献は大きく、SGIもさまざまな形で活動の支援に取り組んできました。
しかし近年、世界が混迷を深める中で難民問題は一段と深刻化し、国外に逃れた難民の数に、国内避難民や庇護申請者を合わせた数は、5,120万人にのぼります。しかも、難民の半数を18歳未満の子どもたちが占めているのです。

◇牧口会長が提起した三つの自覚
なかでも懸念されるのは、5年以上、自国から離れて生活することを余儀なくされている「長期化難民」の状況です。
その数は、UNHCRが支援対象とする難民の半数以上にも達します。また、滞在年数の平均が約20年に及ぶため、避難してきた人々の子どもや孫の世代までもが、政治的にも経済的にも社会的にも著しく不安定な立場に置かれる恐れが広がっているのです。
また、世界で1,000万人以上と推定される「無国籍者」の問題も深刻です。UNHCRでは、今後10年間で「無国籍者」をなくすキャンペーンを、昨年から開始しました。
国籍がないために、医療や教育を受けられないばかりか、家族の安全を守るために身分を隠して生活せざるを得ない人も少なくありません。人権抑圧や暴力から逃れようと避難する中で出産した場合、出生証明書が得られずに、子どもたちまで無国籍者になるケースも増えています。
私はこの点に関し、牧口初代会長が『人生地理学』で提起した、人間の三つの自覚を思い起こします。
つまり人間は、�地域に根差した「郷民(ごうみん=郷土民)」、�国家の中で社会生活を営む「国民」、�世界との結びつきを意識して生きる「世界民(世界市民)」、の三つの自覚を併せ持つことができ、その重層的なアイデンティティーを自分らしく輝かせる中で、人生の可能性を豊かに開花できる、と牧口会長は強調していたのです(『牧口常三郎全集第1巻』を参照)。
その意味で、長期化難民や無国籍者となった人々に閉ざされてしまうのは、国民として社会生活を営む道だけではありません。
地域で自分らしさを保ちながら近隣の人たちと心を通わせて暮らすことも、他国の人々と連帯して自分たちが望む世界に向かって行動を起こす道も、断たれてしまうのです。
こうした人々の苦しみを取り除くことを、国連の「創造的進化」に基づく対応が求められる課題として位置付け直すことが、新目標の骨格として志向される"あらゆる場所"や"すべての人々"との包摂性を、追求する上で欠かせないのではないでしょうか。
そして、その挑戦こそが、世界人権宣言が希求する「普遍的な人権」の本旨に適うものではないかと強調したいのです。

◇生きづらさと疎外感の高まり
難民をめぐる課題と並んで、世界で2億3,200万人に達する国際移住者を取り巻く問題に目を向け、人権状況の改善を図ることも急務となっています。
経済不況が長引き、社会不安が広がる国の間で、移住労働者の存在が悪いイメージで語られ、家族にまで差別や敵視が向けられる空気が強まっています。
その結果、正規雇用の機会をはじめ、教育や医療を受ける権利が著しく制限されたり、日常生活で不当な扱いを受けても問題視されないために、移住労働者と家族が生きづらさと疎外感にさいなまれる状況が広がっているのです。
そうした中、国連でも、移住労働者への誤解や偏見を改めることが呼び掛けられるようになりました。2年前の「国際移住と開発に関するハイレベル対話」でも、移住とその開発に対する重要性が、新しい国際目標に反映されるべきとの合意をみています。
しかし私は、このテーマを開発の次元だけにとどめず、移住者と家族が直面する苦しみを取り除くことに重点を置く形で、その基本的人権の保護を新目標に明確に盛り込むことを訴えたいのです。
90年に採択されながらも加盟国がまだ少ない、移住労働者権利条約=注4=の批准促進や、国際労働機関が提唱する「ディーセント・ワーク」(働きがいのある人間らしい仕事)の確保など、既存の枠組みも活用しながら、国際移住者に焦点を当てた対策を強化すべきと思うのです。

2015年2月11日水曜日

2015.02.11 わが友に贈る

友のもとへ足を運ぶ。
悩みに耳を傾ける。
その地道な励ましこそ
地域広布の土台だ。
喜び勇んで最前線へ!

千日尼御返事 P1319
『故阿仏房の聖霊は今いづくにかをはすらんと人は疑うとも法華経の明鏡をもつて其の影をうかべて候へば霊鷲山の山の中に多宝仏の宝塔の内に東むきにをはすと日蓮は見まいらせて候』

◇人生の座標
「時を知る」「人の心がわかる」----これは、リーダーの資質として不可欠である。深く、息の長い運動を展開してゆくには、運動に確かなリズムを与えていくことだ。リーダーの人知れぬ苦労は、人々と時代が何を求めているかを的確に知り、いかに運動のリズムをつくってゆくかに、払われるものである。

☆100文字の幸福抄
お金で青空は買えない。
太陽や風を、
ひとりじめすることもできない。
自然を壊すのは、人間を壊すことになる。
自然との一体感を忘れてはならない。
大自然を破壊するのも、
調和をとるのも、人間であるからだ。

☆第40回「SGIの日」記念提言 「人道の世紀へ誓いの連帯」(上)�
◇舎利弗と天女をめぐる仏教説話
この問題を考える時、示唆的と思われるのが、大乗仏典の「維摩経」に描かれている、舎利弗と天女のエピソードです。
——釈尊の意を受けた文殊が、病気になった在家の信徒・維摩詰(ゆいまきつ)の家を見舞いに訪れることになり、舎利弗たちも同行した。
見舞いの場は、文殊と維摩詰との「仏教をめぐる対話」の場となり、それがクライマックスに達した時、その場にいた天女が喜びを表すかのように、花を皆に振りまいた。
その花が自分の身にも付いた舎利弗は、修行者である自分にはふさわしくないと、急いで振り払おうとするが一向に取れない。
その様子を見ていた天女は、"花は人を分別していないのに、あなたは花で人を分別しようとしている"と述べ、その執着が舎利弗の心を縛り、動きのとれない状態にしていることを、鋭く指摘した。
納得はしたものの、その後も、天女に質問を続ける舎利弗に対し、天女は神通力を用いて、舎利弗を天女の姿に、自らを舎利弗の姿へと変化させた。
驚き戸惑う舎利弗に、天女は、彼がまだ分別に深くとらわれていることを重ねて諭し、元の姿に戻した。その思いもよらない体験を通し、舎利弗は、目に見える姿の違いで心を縛られてはならず、どんな存在にも本来、固定した特性はないことを深く悟るにいたった——という話です。
私がまず重要だと思うのは、舎利弗が天女の姿に入れ替わったことで、"相手に向けていたまなざし"がどんなものであったのかを身につまされて感じた結果、過ちを胸に刻むことができたという点です。
グローバル化に伴い、多くの人が、住む場所を離れて移動することが日常的になった現代にあって、知らず知らずのうちに他の集団に向けていたまなざしを、他国を訪れたり、移住するようになった時、今度は自分が同じような形で向けられている経験をすることは少なくないと思います。
だからこそ、相手の立場を互いに理解する努力が、ますます重要になってきています。
その努力を欠いてしまえば、緊張が高まった場合などに、自分たちにとっての「平和」や「正義」が、他の人々の生命と尊厳を脅かす"刃"となる事態が生じかねません。
その際、舎利弗が味わったまなざしの反転——つまり、自分と相手を取り巻く構図が反転して、他者を傷つける"刃"が、自分や家族に向けられるようになった状況に想像力を働かせてもなお、自分の主張や立ち位置は揺らがないままでいられるでしょうか。
そもそも舎利弗が、釈尊から最初に見舞いに行くよう促された時、固辞したのも、維摩詰と顔を合わせることを躊躇する気持ちが先立ったからでした。文殊らと共に維摩詰の家に行った時に気になったのも、自分たちの座るべき席が見当たらないことだった。
一方の維摩詰は、病気の理由を文殊から尋ねられた時、「一切衆生病むを以って、是の故に我れ病む」と答えました。自分の身を案じてくれるのであれば、病気で苦しむ他の人々を同じように気に掛け、励ましてほしいとの思いが、そこには満ちていました。
いわば、舎利弗の心を大きく占めていたのは"自己へのこだわり"であったのに対し、維摩詰の心は自他彼此の区別なく"苦しみを抱えたすべての人々"に向けられていたのです。
この対比を描いた「維摩経」の話を、現代の状況に照応させた時、次のような教訓が浮かび上がってくるのではないでしょうか。
本来、共有すべき善であるはずの平和や正義も、"自己へのこだわり"によって分割され、角突き合わせるようになれば、自分とは異なる集団への暴力や人権抑圧を正当化する免罪符となりかねない。
そうではなく、地球温暖化に伴う異常気象の増加や核兵器の使用による壊滅的な被害といった、誰もが望まない悲惨を引き起こさないために、「課題を共有する連帯」を広げることが、人々の苦しみを取り除く鍵となる——と。

◇互いの物語に耳を傾け合う
その連帯を築くため、誰もがいつでもどこでも実践できるのが、対話の拡大であり、友情の拡大です。
かつて、私がイスラムと仏教をめぐる対話を重ねたインドネシアのワヒド元大統領は、「民族性や文化的な違い、あるいは歴史的な背景にかかわらず、対話は人々に"人間の顔"を与えることができる」(『平和の哲学 �容の智慧』)と強調していました。
出会いを結び、対話を重ねる中で、互いの人生の物語に耳を傾ける。そのプロセスの中で、民族や宗教などの属性が双方にとって大切な重みを持つことを深く理解しつつも、その一点だけで向き合うのではなく、出会いを通して育まれた共感や信頼を機軸に、相手としか奏でることのできない生命と生命のシンフォニーを豊かに響かせていく——そこに友情の真価があるのではないでしょうか。
「真の世界の風景は計り知れない価値で輝いている」(『東から西へ』)とは、歴史学者アーノルド・J・トインビー博士の忘れ得ぬ言葉ですが、まさに友情とは、互いの属性に心を縛られることなく、相手の人間としての生命の輝きを見つめ、心を通わせる中で、自在に紡ぎ出すことのできる関係性にほかならないのです。
トインビー博士との43年前の対話を起点に、さまざまな民族的、宗教的背景を持つ各国の指導者や識者と、人類の未来をめぐる課題の共有を紐帯にした対話を重ねる中で、一つまた一つと大切に育んできたのも、そうしたかけがえのない友情の輝きでした。
私どもSGIは、この一対一の友情を基盤に、排他主義に支配された「戦争の文化」から、差異を多様性の源として喜び合い、互いの尊厳を守り抜くことを誓い合う「平和の文化」への転換を目指してきました。
まず、教育交流と文化交流を通し、一人一人が顔を向き合わせ、信頼関係を築く中で、友情の絆を幾重にも広げてきました。
国家間で緊張が高まり、排他主義に傾きかけた時に、この友情の絆が、傾斜を少しでも元に戻そうとするスタビライザー(安定化装置)の役割を担い、集団心理に流されない社会の頑強性につながっていくことを願ってきたのです。
また、政治や経済の関係が冷え込んだ時にも、交流を絶やさずに「対話と意思疎通の回路」を維持することを心掛け、この努力を世代から世代へと受け継いできました。
私が創立した民主音楽協会に、昨年、新たに民音音楽博物館付属研究所が発足しました。半世紀にわたり105カ国・地域と交流を深めてきた経験をもとに、音楽をはじめとする「文化の力」が平和構築に果たす可能性を追求していきたいと考えています。

◇「最良の自己」を共に顕現する道
さらにSGIでは、文明間対話や宗教間対話に積極的に取り組む中で、憎悪と暴力の連鎖を断ち切るための方途を探り、教訓を分かち合ってきました。
そこで根幹としてきたのは、"人々の苦しみを取り除くこと"を出発点とし、課題を共有する中で、互いの文明や宗教が育んできた英知を結集し、事態の打開に必要となる倫理や行動規範を浮き彫りにしていく、「問題解決志向型」のアプローチです。
この挑戦を続けるにあたり、私が共感を深めてきたのは、交友を結んだチェコのハベル元大統領が以前、21世紀を展望して述べた次の言葉でした。
「来たるべき世紀のヨーロッパに課せられている唯一無二の重要課題は、〈最良の自己〉であること、すなわち、その最良の精神的伝統を蘇らせ、それを通じて、新たな形の地球規模の共生の実現に創造的に関わっていくことである」(ウルズラ・ケラー/イルマ・ラクーザ編『ヨーロッパは書く』)
ここで論じられているヨーロッパを、それぞれの文明や宗教に置き換えれば、私どもSGIが目指してきた対話のモデルと合致するからです。文明間対話と宗教間対話の最大の意義も、互いの「最良の精神的伝統」の息吹を通い合わせ、互いの人間性を十全たらしめるためのまなざしを磨き合う中で、「最良の自己」に基づく行動を共に力強く起こすことにあるのではないでしょうか。
SGIでは、この一連の取り組みを進めることで、互いが暴力や抑圧に加担せず、共生の精神の磁場となることを誓い合う「不戦の防波堤」を築くとともに、自分が望まない悲惨を誰にも味わわせないための「人道の連帯」を広げる挑戦を重ねてきました。
先ほど触れた「維摩経」には、釈尊のもとに集った500人の青年の前に、全世界を包み込む宝蓋が現れるシーンがあります。
その巨大な美しい傘は、どのようにして現れたのか。「はじめから一本の傘があったわけではなく、五百人の人々のそれぞれの傘(すなわち、共生できる社会をつくろうとする願い)が合わさった結果が一本の傘となった」(菅沼晃『維摩経をよむ』)ものに、ほかなりませんでした。
それぞれが手に持つ傘で、雨風や強い日差しから自分の身だけを守るのではない。別々の人生を歩んできた青年たちが、あらゆる差異を超えて心を一つにすることで現出した、全世界を包む巨大な宝蓋のイメージに、私は、人間の連帯が生み出す限りない可能性をみる思いがします。
国連が2030年に向けて推進する新しい国際目標の眼目も、地球上のすべての人々の生命と尊厳を、あらゆる脅威と悲惨から守るための"連帯の傘"をつくり上げることにあるのではないでしょうか。

2015年2月10日火曜日

2015.02.10 わが友に贈る

学会の強さは
信心の団結にあり!
「水魚の思を成して
異体同心にして」
さあ心一つに躍進!

撰時抄 P288
『日蓮が法華経を信じ始めしは日本国には一?一微塵のごとし、法華経を二人三人十人百千万億人唱え伝うるほどならば妙覚の須弥山ともなり大涅槃の大海ともなるべし仏になる道は此れよりほかに又もとむる事なかれ』

◇人生の座標
立場等ではない。"信念に生きる"人が"本物の人間"なのである。また、一流の人間は一流の人間を見抜くものだ。

☆100文字の幸福抄
女性のもつ、愛するものの生命を慈しむ心、
家族を守ろうとする力の偉大さ。
女性が深い人間性に支えられて、
「母性」からの正義を叫び訴える時、
それはすべてのものを
破壊から建設へと

☆第40回「SGIの日」記念提言 「人道の世紀へ誓いの連帯」(上)�
◇人生の出来事の意味を練り直す
二つめの鍵は、人生の意味を紡ぎ直す営みが、悲惨の拡大を防ぎ、連鎖を断つ力となると、エリクソンが考えていたことです。
人生はやり直せない。しかし、その歩みを他の人に「語り直す」ことで、過去の出来事に新たな意味づけを行い、「練り直す」ことができる。その可能性に、エリクソンは人生の希望を見いだそうとしました(鈴木忠・西平直『生涯発達とライフサイクル』)。
この可能性は、私どもSGIが、信仰活動における大切な基盤としてきた体験談運動を通し、メンバーの一人一人が日々実感し、確信として深め合ってきたものにほかなりません。
それは、牧口初代会長の時代以来、「座談会」という少人数の集いを中心に行ってきた伝統です。
人生の喜びや生きがいはもとより、家族の喪失、病気や経済苦、仕事や家庭の悩みをはじめ、差別や偏見などに直面してきた体験を赤裸々に語り合うことで、「一人一人が生きてきた人生の重みとかけがえのなさ」を皆で一緒に受け止める場となってきました。
人生の喜びや悲しみに共に涙し、悩みを懸命に乗り越えようとする姿を全力で励ます。その体験の分かち合いを通し、体験の語り手は、どんな出来事も"今の自分を形づくる上で欠くことのできない一里塚"であったことに思いをはせ、今後の人生を切り開く糧へと転じることができる。
聞き手もまた、自分が抱える課題に立ち向かう勇気を、体験からくみ取り、わき立たせることができる。こうした同苦に基づく「エンパワーメントの連鎖」を、私たちは信仰を通して広げてきたのです。
その上で強調したいのは、エリクソンが自らの哲学の生きたモデルとしてガンジーに着目し、評伝まで手がけて描き出したように、苦悩を抱えながらも、それを使命に変えた一人の人生の物語(生きざま)は、国境を超え、世代を超えて、多くの人々に「希望と勇気の波動」を広げていくという点です。
評伝では、ガンジーのもとに集った若者たちの姿が、「打ち棄てられた者、迫害された者に対する、若い頃からの心痛む関心——それは初め彼らの家庭内にとどまっていたが、次第に広範囲にわたる強烈な関心になっていった——によって一つに結ばれていたように思われる」(『ガンディーの真理2』)とつづられています。
それは、ガンジーを突き動かしていた精神と同根だったに違いありません。
青年時代に受けた人種差別をきっかけに、南アフリカで人権闘争を開始し、インドでも非暴力闘争に挺身したガンジーの最大の願いは、人々が一人残らず抑圧から解放されることにありました。その尽きせぬ情熱が、若者たちにも深い感化を与えたのです。
その生きざまは、ガンジーが逝去した後も、キング博士や南アフリカのマンデラ元大統領をはじめ、人間の尊厳のために闘う人々にとっての"導きの星"となってきました。
マンデラ氏と再会した時(1995年7月)、私がガンジーの生誕125年を記念し寄稿した学術誌に、氏もガンジーの獄中闘争に関する論文を寄せていたことが話題になりました。
その氏の論文には、「今世紀の初頭、囚人ガンジーも、その苦しみに耐えた。時代は離れているが、ガンジーと私との間には、ひとつの絆がある。それは共通の獄中体験であり、不当な法律への抗議であり、平和と和解への私たちの志が、暴力によって脅かされたという事実である」と、記されていました。
マンデラ氏が27年半に及ぶ獄中闘争を勝ち越えることができたのも、自分と同じ茨の道を歩んでいた先人ガンジーの存在が、大きな心の支えとなっていたからではないでしょうか。
今から半世紀前、私がライフワークとしてきた小説『人間革命』の執筆を開始するにあたり、主題をこうつづりました。
「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」
この主題とも響き合う、国境を超える空間的広がりと、世代を超える時間的広がりにこそ、「エンパワーメントの連鎖」が持つ可能性の真骨頂があるのではないでしょうか。

◇個々の人権侵害を決して見逃さない
第三は、共生の世界を築くための「差異を超えた友情の拡大」です。
近年、紛争や内戦の様相に大きな変容がみられるようになる中で、新たな懸念が高まっています。
例えば、当事者以外に他の国や集団が関わる「国際化した国内紛争」の割合が増える中、シリアでの内戦などのように停戦や和平が難しくなってきています。
加えて、軍事行動の目的が、クラウゼヴィッツの『戦争論』で説かれていたような"力によって相手に自分たちの意志を認めさせる"という伝統的なものから、"敵とみなした集団の排除を進めること"へと重心が移る傾向がみられることも指摘されます。
また、遠隔攻撃などによって、子どもを含む一般市民を巻き込んでしまう事態が、紛争地域で多発するようになっています。
敵とみなす集団に属している人々も、自分と同じ「人間」であり、「生存の権利」があるのではないか——そんなためらいさえ、介在する余地が失われつつある状況の行き着く先は、一体何か。強い懸念を感じてなりません。
いずれにしても、兵器の飛躍的な発達と、排除の思想が相まって引き起こされる惨劇は、国際人道法のみならず、「人間としての道」に照らして許されるものではないと思います。
その意味で、昨年、国連で殺人ロボット兵器に関する議論が始まりましたが、紛争の現実は"戦闘の自動化"の一歩手前にまで進もうとしている実態に、目を向ける必要があるのではないでしょうか。
それと同時に、留意しなければならないのは、排除の思想が紛争地域だけでなく、世界の多くの場所で広がっていることです。
国連も2年前から「人権を最優先に」と題するイニシアチブを開始し、個々の人権侵害を警鐘として受け止め、大規模な残虐行為や戦争犯罪に発展する前に、できるだけ早く対処することを呼び掛けています。
昨今、多くの国々で社会問題になっているヘイトスピーチ(差別扇動)は、ヘイトクライム(憎悪犯罪)のような直接的な暴力を伴わないものの、明確な憎悪に基づいて他者を意図的に傷つけるという点で、根は同じであり、どの集団に対するものであろうと、決して放置してはならない人権侵害です。
そもそも、差別に基づく暴力や人権抑圧が、自分や家族に向けられることは、誰もが到底受け入れられないもののはずです。
しかしそれが、異なる民族や集団に向けられた時、バイアス(偏向)がかかり、"彼らが悪いのだからやむを得ない"といった判断に傾く場合が少なくない。事態のエスカレートを問題の端緒で食い止めるには、何よりもまず、集団心理に押し流されずに、他者と向き合う回路を開くことが欠かせません。

2015年2月9日月曜日

2015.02.09 わが友に贈る

新聞休刊日

顕仏未来記 P509
『天台云く「雨の猛きを見て竜の大なるを知り華の盛なるを見て池の深きを知る」等云云、妙楽の云く「智人は起を知り蛇は自ら蛇を識る」等云云』

◇人生の座標
すべての人に、自分でなければできない、自分の使命がある。使命がなければ生まれてきません。
「使命があるんだ」ということを忘れない人は、強い。どんな悩みがあっても、負けない。悩みを全部、希望へのエネルギーに変えていけるのです。

☆100文字の幸福抄
幸福というものは、
他から与えられるものではない。
自己の生命の内に築いていくものである。
人生には、嵐の日も雪の日もある。
だが、自己の胸中の大空に、
希望の太陽を輝かせ、
青空が美しく広がっていればよいのである。

☆第40回「SGIの日」記念提言 「人道の世紀へ誓いの連帯」(上)�
◇経済的な困窮と社会的な孤立
第二は、苦しみを共に乗り越えるための「エンパワーメント(内発的な力の開花)の連鎖」です。
東日本大震災をはじめ、中米ハイチでの地震やフィリピンを襲った台風など、近年、災害や異常気象が、世界各地に深刻な被害をもたらしています。
20年前には阪神・淡路大震災が、10年前にはスマトラ沖地震とインド洋大津波があったように、災害は常に世界にとって重大な人道問題となってきました。
国連の統計によれば、2013年だけでも、世界で2,200万人が避難生活を余儀なくされ、その数は、紛争で家を追われた人の3倍にも及ぶといいます。
家を失う深い悲しみ——振り返れば私の家族も、戦時中、父の病気や兄たちの相次ぐ出征で経済状況が悪化し、生家を手放さざるを得なくなったことがあります。転居先の家も、空襲の類焼防止を理由に取り壊され、次の移転先も、引っ越した直後に焼夷弾が命中して全焼しました。
そうした体験からも、愛する人を失い、住み慣れた場所を離れざるを得なくなった方々の無念さや悲しみは、いかばかりかとの思いが募ります。それは、「自分が生きてきた世界を失う苦しみ」にほかならず、復興の真の課題は、被災した人たちが一人残らず「生きる希望」を取り戻せるよう、社会で支え続けることにあると思えてなりません。
その上で私が提起したいのは、災害のような緊急時に顕著となる"居場所や安心の拠り所を失う悲しみ"は、目立たないながらも社会で日常的に生じており、多くの人々を苦しめる悲惨でもあることです。
実際、日本をみても、65歳以上の高齢者の2割が貧困状態に置かれ、食事さえ十分にとれないなど、貧困に苦しむ子どもも6人に1人の割合に達しています。
その多くが「経済的な困窮」に加えて、「社会的な孤立」という二重苦にさいなまれています。
問題を打開する糸口を探るにあたり、私が着目するのは、アメリカの政治哲学者マーサ・ヌスバウム博士の考察です(『正義のフロンティア』)。
社会契約説(注2)などの伝統的な理論が、高齢者や子ども、女性、障がいのある人などを、対象に入れずに構想されてきたことを指摘する博士は、こうした人々の苦しみが見過ごされがちな要因の一つとして、功利主義を挙げ、その危険性をこう述べています。
「ある個人の大いなる苦痛と窮乏は、複数の人びとの幸運がそれに超過することで相殺されうる。ここでは各人の人生は一度きりであるという、もっとも重要な道徳的事実が、ぬぐいとられている」
そこで博士は、「相互有利性」(互いの存在が利益を生むこと)を社会の唯一の基本原理であるかのように考える発想から脱却し、誰も排除しない「人間の尊厳」に基づく社会の再構築を呼び掛けました。
そしてまた、どのような人であっても、病気、老齢、事故などで、他の人々の支えを絶対的に必要とする状況が生じかねないという現実を見つめ、社会の軌道修正がすべての人々に深く関わる課題であることに思いをいたすべきであると、強調しています。

◇「生老病死」への仏法のまなざし
このヌスバウム博士の問題提起は、釈尊が出家を決意する機縁になったとされる四門遊観(注3)の逸話に象徴されるように、生老病死に伴う苦しみにどう向き合うかを根本課題としてきた、仏法のまなざしにも相通じるものです。
ここで私が強調したいのは、釈尊がこの時、胸を痛めたのは、老いや病気そのものがもたらす苦しみにとどまらず、道端で孤独に死を迎えなければならない人や、誰からの世話も受けられずに病に伏す人の姿——つまり、周囲との関わりが断たれてしまい、独りで苦しみを抱えている状況に、深く胸を痛めたのではないかという点です。
実際、釈尊が教法に努める傍ら、自ら足を運んで介護や看病にあたったのは、そのような人々に対してでした。弟子たちにも、黙って見過ごすことを厳しく戒めていたのです。
「事がおこったときに、友だちのあるのは楽しい」(『ブッダの真理のことば 感興のことば』)との教えもありますが、病気になろうと高齢になろうと生命の尊さに変わりはない。にもかかわらず、周囲から疎外され、自分をありのままに受け止めてくれるつながりを得られず、苦しさばかりが募る状況を、釈尊は看過できなかったのです。
大乗仏教では、生命と生命が織り成す連関性によって世界の森羅万象が形づくられるという縁起の法理が説かれます。その連関性を通じて、自分の生命も相手の生命も尊厳の輝きで照らし合うことができ、病気や老いさえも、人生を荘厳する糧に昇華できる、と。
しかし、その連関性はおのずとプラスの方向に転じるのではなく、『鏡に向って礼拝を成す時浮べる影又我を礼拝するなり』(P769、「御義口伝」)とある通り、他者の尊厳を自己の尊厳と同様にかけがえのないものと感じ、大切にしたいと願う思いがあってこそ、初めてギアが入る。そして、そこで交わされる涙や笑顔が、そのまま、「生きる勇気」を灯し合うのです。
「アイデンティティー」の概念を提唱したことで知られる心理学者のエリク・エリクソンは、縁起のダイナミズムにも通じる視座を、次のように描いていたことがあります。
「『共に生きる』というのは、単なる偶然のつながりという意味ではない」
「一方が動くと、他方も動く歯車のように噛み合いながらすすみいくものである」(『洞察と責任』)
そこで私は、エリクソンの思想を交えながら、縁起が生み出す無限の可能性をさらに浮き彫りにしてみたいと思います。
すなわち、苦しみを抱えた人自身が、自らの尊厳を輝かせることを通じて、地域や社会を照らす「エンパワーメント」の担い手として、いかに力を発揮できるかというテーマです。

◇ボールディング博士の晩年の姿
まず、一つめの鍵は、「成熟した人間は必要とされることを必要とする」(『幼児期と社会1』)との思想です。
この言葉を、私なりに読み解くと、次のような光景が想起されます。
人間はどんな状況にあっても、誰かに必要とされていることを実感した時、相手の気持ちに応えたいとの思いがわき上がってくる。その思いの高まりが、生命に具わる内発的な力を呼び覚まし、尊厳の光を灯すエネルギーになっていく。
この点を考えるにつけ、思い浮かぶのは、先ほど言葉を紹介した平和学者エリース・ボールディング博士の晩年の姿です。
——博士が亡くなられる数年前、SGIのメンバーが訪問した時、80歳を過ぎていた博士は、「最近は、自分の本を書くような力はもう出せないけれど、仲間や後輩が出す本に序文を寄せるぐらいはできます。だから、どれだけ依頼が来ても、一生懸命、書くように努力しています」と近況を語ったそうです。
病気を患い、介護施設に入所してからも、「たとえ行動できなくても、自分に何ができるのか」との思いをめぐらしながら、毎日を送りました。
見舞いに訪れた弟子のクレメンツ博士にも、「微笑みを忘れず、皆を称え、医療関係者の思いやりに感謝を述べることなどを通して、周りの人を幸せにすることは可能だと思う」と声を掛けたといいます。
そして、亡くなられる直前も、かつて自宅を訪問した人たちを真心で出迎えていた時と同じように、見舞いに訪れた人たちに「美しいもてなしの心」を発揮しておられた、と。
このように、どんな状況に置かれても、その人自身の存在を通して「つながり」が保たれている限り、周囲の人々が少しでも幸福な時間を過ごすことができ、人間性の輝きを増すようにできる。そして、その時間を通して、自分の心を相手の心に灯し、「生きてきた証し」を周囲に伝え残すことができる——。
この生命の尊い輝きに、私は、いついかなる時でも人間が発揮できるエンパワーメントの偉大な力をみる思いがするのです。

2015年2月8日日曜日

2015.02.08 わが友に贈る

◇今週のことば
�互いに常に語り合え�
御書の通りの座談会こそ
われらの力の源泉なり。
皆が主役で快活に!
会場のご家族に深謝を。
2015年02月08日

松野殿御返事 P1389
『命終りなば三日の内に水と成りて流れ塵と成りて地にまじはり煙と成りて天にのぼりあともみえずなるべき身を養はんとて多くの財をたくはふ、此のことはりは事ふり候ぬ但し当世の体こそ哀れに候へ』

◇人生の座標
人生や戦いには、前進するときもあれば、退いたりするときもあります。休んだほうがよいときもある。さまざまな変化があるものだ。目標達成のためには、さまざまな変化があってもかまわないのです。

☆100文字の幸福抄
真の国際友好とは何か。
国と国の関係といっても、
人と人の関係に帰着する。
互いの信頼、友情こそが全ての基盤となる。
ゆえに「人間」を育て、「人間」を結びたい。
後に陸続と続くであろう青年たちに、
道を開く人生でありたい。

☆第40回「SGIの日」記念提言 「人道の世紀へ誓いの連帯」(上)�
◇ガンジーの信条と仏法の「中道」思想
そうした事態に歯止めをかけて、政治や経済の軌道修正を図るには、どのような原則に立ち返ることが必要なのか——。
私は、マハトマ・ガンジーが友人に贈った次の言葉を、一つの手掛かりとして挙げたいと思います。
「これまでに会った中で最も貧しく、最も無力な人の顔を思い出して下さい。そしてあなた自身に次のように問いかけて下さい。自分がしようと思っていることは彼の役に立つだろうか?」(『私にとっての宗教』)
つまりガンジーが、重大な判断を下す時に忘れてはならない点として促したのは、政治の力学でもなければ、経済の理論でもない。自分と同じ世界に生き、苦境に陥っている人々の姿にあったのです。私はここに、仏法が説く「中道」の思想と通底するものを感じてなりません。
「中道」とは、単に極端な考えや行動を排することではなく、"道に中(あた)る"と読むように、自分の判断や行動が「人間としての道」に反していないかどうか、常に問い直しながら、自分の生きる証しを社会に刻み続ける生き方に本義があるといえます。
その意味では、釈尊が最晩年の説法で"ダルマ(法)を洲とせよ"と強調した際、"一人一人が自分自身を拠り所とせよ"と同時に促していた点は、「中道」の本義を示唆したものとも解されましょう。
自らを拠り所にするといっても、自分本位の欲望のままに振る舞うといった意味では決してない。仏教学者の中村元博士は、釈尊の真意を、「だれの前に出しても恥かしくない立派な、本当の自己というものをたよること」(前掲『原始仏典を読む』)と提起しましたが、私も深く同意します。
一人一人が、自分の行動によって影響を受ける人々の存在を思い浮かべ、その重みを絶えず反芻しながら、「本当の自己」を顕現する手掛かりとし、人間性を磨いていく。その営みが積み重ねられる中で、政治や経済のあるべき姿への問い直しも深まり、再人間化に向けた社会の土壌が耕されていく——。「中道」の真価は、この変革のダイナミズムにこそあると、私は強調したいのです。

◇牧口初代会長が尋問で訴えた信念
自らの決断が時として、社会の空気や時流に逆らうものと非難される場合があるかもしれない。それでもなお、信念を貫き通さなければ「不善」となり、結果的に多くの人々を苦しめる「大悪」を招くことになると訴えたのが、創価学会の牧口初代会長でした。
第二次世界大戦中の日本で思想統制を強行する軍部ファシズムに対し、牧口会長はその誤りを正すべく行動を続けました。
会合を監視され、機関紙も廃刊に追い込まれ、ついに投獄された牧口会長は、当局の尋問に対し、次のように主張していたことが記録に残されています。
「世間的な毀誉褒貶等に気兼して悪くはないが、善もしない所謂世間並に暮せばそれで足れりとして、小善に止まり甚しきに至っては法律に触れさえしなければ何をしても良いと謂う生活を総べて謗法と申します」(『牧口常三郎全集第10巻』)
「謗法」とは一般的に、仏教の教えに反し、それを破ることを意味しますが、牧口会長の言葉には、より広い意味での「人間としての道」に反することへの問い直しが込められていたといえましょう。
翻って現代、政治と経済の影響によって悲惨な事態が生じる背景には、「法律に触れさえしなければ何をしても良い」といった、他者の痛みを顧みない自己正当化の風潮が強まっていることが、往々にしてあるのではないでしょうか。
その風潮が続く限り、一時的に繁栄を謳歌できているようにみえても、後に残るのは"わが亡き後に洪水よ来たれ"という身勝手さが招く悲惨ばかりで、「持続可能性の追求」など望み得べくもありません。

◇未来の鍵を握る5%の人々の力
こうした事態を防ぐには、政治と経済の主眼を絶えず"人々の苦しみを取り除くこと"へ向け直す——すなわち、「政治と経済の再人間化」の回路を社会にビルトインする(組み込む)挑戦が必要です。
その動きは、すでにいくつか生まれており、例えば政治の分野では、国連人権理事会などが呼び掛けてきた「国内人権機関」が110カ国に広がっています。
人権に関する法制度や人権教育などの推進を確保するための国内機関で、私も1998年の提言で、NGO(非政府組織)との建設的なパートナーシップを目指す中で、より望ましい機関のあり方を模索することを提唱してきました。
また経済の分野では、昨年5月、EU(欧州連合)加盟国の中で11カ国が「金融取引税」を共同導入することに合意しました。
マネーゲームの過熱が金融危機を引き起こし、世界経済に深刻な打撃を与えた2008年のリーマン・ショックの教訓を踏まえ、金融取引に一定の課税を行い、過剰な投機の抑制と租税を通じた再分配を目指すもので、明年からの制度開始が予定されています。
私は6年前の提言で、この取引税をはじめ、各国がアイデアを競いながら、「ミレニアム開発目標」を促進する国際連帯税の輪を広げることを呼び掛けましたが、今後、国連の新目標を推進するにあたり、その必要性はさらに増しているのではないでしょうか。
こうした「政治と経済の再人間化」の最大の原動力となるのが、人間として譲れない一線に基づき、声を上げる民衆の連帯です。
牧口会長も、「社会の精神とはいえども各個人を離れて存在するにあらず」として、一人一人の意識変革が「相伝播(でんぱ)し、連絡し、遂に社会の全員に及ぼし、以って大なる社会精神なるもの生ずるなり」と強調しました(『牧口常三郎全集第2巻』)。
以前、この社会変革の方程式をめぐり、平和学者のエリース・ボールディング博士と語り合った際、「共同体を構成する一人一人の成長に全力を傾注していく以外に、平和で健全な地球の未来は見えてこない」(『「平和の文化」の輝く世紀へ!』、『池田大作全集第114巻』所収)と、博士が強調していたことが忘れられません。
それだけに、博士がある時に述べていた、「本当に未来の社会の動向を決定するのは、わずか5%の、活動的で献身的な人々の力なのです。その5%の人々が、やがて文化の総体を変革していくのです」との言葉が、希望のメッセージとして胸に迫ってきます。
「政治と経済の再人間化」を前進させる鍵は、人数の多寡ではなく、連帯の底深さにあります。誰の身にも悲惨が及ぶことを望まない民衆の連帯を、国内でも国際社会でも築くことが、時代変革の波を大きく形づくるのです。

2015.02.07 わが友に贈る

受験生の勝利へ
皆で祈り励まそう!
宝の人材の大成長こそ
地域の希望と喜びだ。
家族にも温かな配慮を!

一生成仏抄 P383
『都て一代八万の聖教三世十方の諸仏菩薩も我が心の外に有りとはゆめゆめ思ふべからず、然れば仏教を習ふといへども心性を観ぜざれば全く生死を離るる事なきなり』

◇人生の座標
志は、魂の栄養である。理想を失うと、人は深みを失う。

☆100文字の幸福抄
「知識」と「お金」は、
どちらも手段であり目的ではない。
知識があるから
幸せになれるのではない。
知識を善のために活かしていく
「強い心」と「他者への愛情」を育てることだ。
教育は、人生に勝利するためにある。

☆第40回「SGIの日」記念提言 「人道の世紀へ誓いの連帯」(上)�
SGIの発足40周年を記念して、平和と人道の波動を民衆の連帯で広げ、地球上から悲惨の二字をなくすための方途を展望したいと思います。

◇新しい国際目標が目指す方向性
未来は、今この瞬間に生きる人々の誓いの深さで決まります。たとえ自らが試練に見舞われたとしても、「同じ苦しみを他の誰にも将来の世代にも味わわせない」道を開く力が、人間には具わっています。
創設以来70年、グローバルな諸課題に立ち向かうために活動の地平を広げてきた国連で、今、注目すべき動きがみられます。
貧困や飢餓などに直面する人々の状況の改善を目指してきた国連の「ミレニアム開発目標」に続く、新たな枠組みの検討が進む中、「持続可能な開発目標」に関するオープン作業部会が昨年7月、国連総会に目標案を提出しました。
特筆すべきは、「あらゆる場所で、あらゆる形態の貧困に終止符を打つ」「すべての年齢の人々の健康な生活を確保し、福祉を推進する」などの項目が掲げられているように、すべての尊厳が一切の例外なく守られるべきとの方向性が打ち出されている点です。
極度の貧困状態にある人が7億人減少し、初等教育の男女格差が大幅に解消されるなど、国連の「ミレニアム開発目標」は、一定の成果を上げてきました。しかし、改善の波が思うように広がらない地域や、取り残された人々への対応は積み残されています。
作業部会の目標案は、その課題を念頭に置き、外してはならない一点を明確にした意義があります。
私もこれまでの提言などで、誰も置き去りにしないことを、「ポスト2015開発アジェンダ」と呼ばれる新しい国際目標の基調にするよう、繰り返し訴えてきただけに、心から賛同するものです。

◇戸田第2代会長の地球民族主義
思い返せば、私の師である創価学会の戸田城聖第2代会長は、ハンガリー動乱(注1)で塗炭の苦しみを味わった人々に思いをはせ、「世界にも、国家にも、個人にも、『悲惨』という文字が使われないようにありたい」(『戸田城聖全集第3巻』)と呼び掛けたことがありました。
人権運動の指導者マーチン・ルーサー・キング博士の言葉に、「正義とは分割できないもの」(『良心のトランペット』)とありますが、戦時中の日本で思想統制に抗して、牧口常三郎初代会長と共に投獄された戸田会長にとっても思いは同じでした。
自分たちだけの平和と安寧も、自分たちだけの繁栄と幸福もないと考えていたからです。
朝鮮戦争が激化した時も、「夫を失い、妻をなくし、子を求め、親をさがす民衆が多くおりはしないか」(『戸田城聖全集第3巻』)と、わが事のように案じていました。
すべての立脚点は、民衆の苦しみに同苦する精神にあったのです。
ゆえに戸田会長は、どの国で暮らし、どの民族に属しようと、人間には誰しも平和で幸福に生きる権利があると、「地球民族主義」のビジョンを提唱しました。その骨格をなす"地球上から悲惨の二字をなくしたい"との戸田会長の熱願こそ、私どもSGIが、国連支援を柱とする平和・文化・教育の運動の源流としてきたものなのです。
"あらゆる場所"や"すべての人々"との包摂性を「ミレニアム開発目標」の後継枠組みの基盤に据え、さらなる協力の強化を図ることは、困難に満ちた道のりかもしれません。
しかし、国連憲章の精神——「戦争の惨害から将来の世代を救い」「基本的人権と人間の尊厳及び価値」に関する信念を再確認し、「すべての人民の経済的及び社会的発達を促進する」との誓約が刻まれた前文に立ち返り、そこに記された「将来の世代」や「人間」や「すべての人民」には、例外などなかったことを、今一度、想起すべきではないでしょうか。
そこで今回は、国連の新しい国際目標を軌道に乗せ、地球上から悲惨の二字をなくす取り組みを加速させるために、鍵を握ると思われるアプローチについて、三つの観点から提起したいと思います。

◇世界人権宣言が明確にした役割
第一は、悲惨を生む要因を取り除くための「政治と経済の再人間化」です。
昨年8月、私の創立した戸田記念国際平和研究所が、トルコのイスタンブールで上級研究員会議を開催しました。
会議では、シリアでの内戦、イスラエルとパレスチナの紛争、イラクやウクライナをめぐる情勢、東アジアで高まる緊張などについて、事態の悪化を招いてきた要因を探る一方、世界で芽生え始めている希望的な要素に着目し、その動きを強めるための課題について意見交換を行いました。
そこで、「国連などの国際機関の強化」や「他者の痛みへの想像力と時代を開く創造性を持った青年の育成」などと併せて、重要な課題として浮かび上がったのが、政治の主眼を一人一人の人間の苦しみを取り除くものに向け直す「政治の再人間化」です。
国連憲章や世界人権宣言などで、基本的人権を守る役割が明確にされたはずの国家が、人々の生命や尊厳を脅かす事態を引き起こしてしまうケースが、しばしばみられます。
この問題をめぐっては、私も、会議を主宰した平和学者のケビン・クレメンツ博士(同研究所総合所長)と語り合いました。
その最たるものが紛争で、第2次世界大戦以降、紛争と完全に無関係だったのは、一握りの国にすぎないといわれます。
また、安全保障を理由に人権を制限したり、国力の増強を優先するあまり、弱い立場にある人々への対応が後回しになって、窮状がさらに深まるような場合も少なくありません。
加えて近年、災害や異常気象など、大勢の人々が突然、困窮の危機にさらされる事態が相次いでおり、そうした状況に政治が真剣に向き合うことが、強く求められています。
同様の懸念は、経済にも当てはまります。
以前、ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇が、「路上生活に追い込まれた老人が凍死してもニュースにはならず、株式市場で二ポイントの下落があれば大きく報道されることなど、あってはならない」(『使徒的勧告 福音の喜び』)と訴え、経済のあり方に警鐘を鳴らしたことが話題となりました。
実際、経済成長率をはじめとするマクロ指標の動向ばかりが注視される中で、ともすれば、現実の社会で生きている一人一人の生命と尊厳と生活が隅に追いやられ、経済の活力を高める施策が人々の生きづらさの改善につながっていない面もみられます。

◇安心の拠り所をつくり出す働き
そもそも、政治を意味する英語のポリティクスが、ギリシャ語の「ポリテイア(市民国家のあり方)」などから派生し、経済という言葉も、「経世済民」に由来するように、民衆が幸福に生きる社会を築くことに元意があったはずです。
ところが現代では、その元意がいつしか抜け落ち、政治や経済を突き動かす行動原理が、厳しい境遇にある人々をかえって苦しめてしまうような状態が生じてはいないでしょうか。
この問題を考える時、私が想起するのは、原始仏教で、釈尊が人間の生きる道の根本として強調していた「ダルマ」です。
ダルマとは、サンスクリット語で"たもつもの"を意味する「ドフリ」からつくられた言葉で、漢訳仏典では「法」、もしくは「道」と訳されてきました。
つまり、一人一人の人間には、自分自身を"たもつもの"がなければならず、「人間として守らねばならない道筋」がある。それを、ダルマと呼んだのです(中村元『原始仏典を読む』を引用・参照)。
政治や経済が、時代の変遷につれて様相を変化させるのは、ある意味で当然だったとしても、そこには、曲げてはならない原則や、無視してはならない基準があるはずです。その根本を貫くダルマに則って生き抜くことを促した釈尊は、最晩年の説法で、ダルマを「洲」に譬えました。
つまり、洪水が発生し、あたり一面が水没しそうな時に、人々の命を守り、安心の拠り所となる「洲」に譬えることで、ダルマの働きが実際の社会でどのように現れるかを、分かりやすく示したのです。
その譬えを敷衍すれば、政治と経済が本来担うべき役割も、社会が試練に直面した時に一人一人の民衆、なかんずく最も弱い立場にある人々のために「安心の拠り所」をつくり、「生きる希望」を取り戻すための足場を築くことにあるといえないでしょうか。
政治の成り立ちを民衆の目線から見つめ返してみれば、その源流には、投票などを通じて「少しでも社会をよくしたい」との祈りにも似た思いがあるはずであり、経済の源流にも、仕事などを通して「少しでも社会の役に立ちたい」との種蒔く人の思いが息づいているはずです。
にもかかわらず、それがマクロの規模になると、政治の世界で民主主義の赤字(多くの民意があっても政策に反映されない状況)が発生したり、経済の世界でマネー資本主義の暴走(実体経済の規模をはるかに超える金融市場での過剰な投機が、実体経済に破壊的なダメージを及ぼす事態)が起きてしまっている。

2015年2月6日金曜日

2015.02.06 わが友に贈る

積雪や路面凍結による
転倒・スリップに注意!
時間に余裕をもって
慎重に行動を!
無事故が幸福の基盤だ。

道妙禅門御書 P1242
『祈祷に於ては顕祈顕応・顕祈冥応・冥祈冥応・冥祈顕応の祈祷有りと雖も只肝要は此の経の信心を致し給い候はば現当の所願満足有る可く候』

◇人生の座標
だれが何を言っても気にしてはいけない。笑う者には笑わせておけばいい。一生懸命やっている人間を笑う人間なんて、くだらない人間だ。くだらない人間に、いくら笑われたって平気なはずだ。
「逃げないで、ぶつかってみる」----結果はどうあれ、その「勢い」が自分を磨き、「魅力ある人間」に鍛えてくれるんです。

☆100文字の幸福抄
学び続ける人、行動し続ける人は永遠に若い。
向上しゆく生命は清らかさがある。
仕事の場でも家庭でも、
日常の瑣事の中からでも、
得がたい勉強をしていくことができる。
「多忙」そのものさえ
「学び」に変えていけるのだ。

☆随筆民衆凱歌の大行進 第17回�「SGI」40周年に誓う
私たちには、人類の希望である後継の未来部が続いてくれている。
結成50周年を祝賀する中等部の大会(12日)には、SGI研修会で来日中の南米パラグアイのメンバーが参加してくださった。富士中学生合唱団のスペイン語の歌声にも大感動されていた。
希望の歌声は、世界を結び、未来を開く。
SGI発足の日「1月26日」を誕生日とする音楽家がいる。
1905年のこの日にオーストリアに生まれ、ミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」のモデルとなった、マリア・フォン・トラップさんである。
彼女と家族はナチスのために歌うことを拒否してアメリカに亡命したが、入国審査の際に勾留されてしまった。
だが、自らも囚われの身となりながら、苦闘の友のために歌い続けた。
「歌をきいていると、かかえている問題でくよくよしている気持ちが晴れるのだ」と。
私が対談集を発刊した「平和研究の母」エリース・ボールディング博士は、このトラップ一家と交友を結ばれていた。
博士は語られていた。
——ご一家の姿が「平和は必ず再建できる」との信念を呼び覚まし、今、生きている「その場所」で「平和の創出者」として行動を始めるよう促してくれた、と。
私たちSGI家族は、歌声も朗らかに、異体同心のスクラムで「不屈の力」「乗り越える力」「励ましの力」を漲らせ、今いる場所から、民衆の平和の連帯を創り、世界に広げていきたい。

「世界広布新時代 躍進の年」の主役は誰か?
それは、「苦楽ともに思い合せて」の唱題を根本に、決然と戦いを起こす勇気の一人だ。
今日も自らの地域の大地で、妙法という平和の種を蒔く誠実の一人だ。
その一人ひとりの地道な挑戦は、地球社会の安穏へ深く連動し、遙かな未来へ花を咲かせる。
さあ、師子の君よ! 太陽の貴女よ!
共々に、大歓喜の春を勝ち飾り、栄光の創立85周年の山を堂々と、登りゆこうではないか!

決めた道
 躍り進まむ
  盟友と
 誓いを胸に
  平和の峰へ

2015年2月5日木曜日

2015.02.05 わが友に贈る

挑戦なくして成功なし。
何事も体当たりで
まず取り組もう!
真に越えるべき壁は
自身の臆病の心だ!

日眼女造立釈迦仏供養事 P1187
『譬えば頭をふればかみゆるぐ心はたらけば身うごく、大風吹けば草木しづかならず大地うごけば大海さはがし、教主釈尊をうごかし奉ればゆるがぬ草木やあるべきさわがぬ水やあるべき』

◇人生の座標
人間、だれでも、何かコンプレックスをもっている。「あの人が……」と思うような人でももっている。要は、それに「負けない」ことだ。
どんなコンプレックスがあっても、それをバネにし、じつとこらえて、「今に見ろ!」と自分を励ましながら進むのです。

☆100文字の幸福抄
借りものではない自分の意見、
自分の価値観をはっきり持っていく。
人まねではなく、確固たる信念に生きる。
周囲に紛動されない。
幅広い知識と共に、
人生や社会の本質を見抜く見識をもつ。
それが教養ある人である。

☆随筆民衆凱歌の大行進 第17回�「SGI」40周年に誓う
歌は躍進の力である。青年の歌声の湧くところ、希望が高鳴る。
歌は友情の絆である。民衆の歌声の響くところ、平和が広がる。
新春、九州の若人が歌い上げてくれた「歓喜の歌」の大合唱は、世界の友の心にもこだましている。
今月中旬、イギリスのタプロー・コート総合文化センターに30カ国のリーダーが集った"欧州広布サミット"では、ドイツの代表が「歓喜の歌」を力強く披露された。
第2次世界大戦の終結から70周年の今年——フランクフルトには、新たに創価の平和文化会館が誕生する。今こそドイツから新生の平和の光をとの心意気に、欧州同志は拍手喝采を送った。
ドイツの詩人・ヘルダーリンは詠じた。
「おお兄弟たちよ われらは盟約(ちかい)をむすんだのだ/美(うる)わしい幸(さち)にみちた 永遠の盟約をむすんだのだ」
私も、愛する創価の同志に「おお久遠の誓いで結ばれた兄弟姉妹よ!」と呼び掛けたい。
不思議な宿縁の盟友である。苦しみ悩む友を救うため、確かな平和の連帯を広げるため、時を同じくして生まれ来た地涌の菩薩であるからだ。
思えば、非道な軍部政府に抵抗し、投獄されていた戸田先生が、師・牧口先生の獄死を告げられたのは、70年前(1945年)の1月であった。
戸田先生は、その慟哭と憤激の中で心に定めた誓いを、後年、こう述懐なされている。
「先生の死をお聞きした時、だれが先生を殺したんだと叫び、絶対に折伏して、南無妙法蓮華経のために命を捨てようと決心したのであります」「命を捨てようとしたものに、なんで他の悪口、難が恐ろしいものであろうか」
先師を奪った魔性への仇討ちは即、広宣流布の大誓願であった。
自分は何のために生きるか。使命とは、その自覚の異名である。
自分の「命」を、いったい何に「使う」のか。大目的に生き抜く使命を深く自覚した瞬間から、境涯は大きく広がる。「偉大な師弟の理想のため、わが命を使うのだ」と決めた人生は、もはや何ものにも屈しない。

地上から「悲惨」の二字をなくしたい——これが恩師・戸田先生の熱願であり、我ら師弟の立正安国の使命である。
「立正安国」とは、何よりも尊厳な生命を、暴力的に侵し、奪い去るものとの戦いでもある。民衆の目から悲嘆や絶望の涙を拭い、幸福と平和の世界を創る大挑戦なのだ。

1月17日、「阪神・淡路大震災」から20年の節を刻んだ。亡くなられた全ての方々に、あらためて懇ろに追善回向させていただいた。
わが兵庫、わが関西の友は、消えることのない悲しみも、身も心も潰れそうな労苦も、不屈の闘志で堪え、押し返しながら、生きて生きて、生き抜いてこられた。
『大悪をこれば大善きたる』(P1300、「大悪大善御書」)との御金言を命に染めた常勝の盟友は、「悲嘆の涙」を「誓いの祈り」に変えていった。
被災されたある婦人の苦闘を、私の妻は胸に刻んできた。
その婦人は、大震災で19歳の愛娘を亡くし、残された生後4カ月の孫娘を引き取った。悲嘆に暮れる間もなく、育児に追われた。母乳をもらいに近所を歩きもした。
孫娘は、祖父母を「父母」、生みの母を震災で亡くなった「姉」と信じて育った。ようやく真実を伝えられたのは、孫娘が小学3年生の時だった。
自分が本当は「おばあちゃん」だと明かすと、孫娘は言った。「お母さんは、お母さんやん……」
今、孫娘は20歳。産んでくれた母、育ててくれた母、"二人の母"への感謝を胸に成長を誓う。
この乙女をはじめ、大震災に前後して誕生した若き友たちが、今年、晴れて成人式を迎えた。
新成人——若き生命には無限の希望がある。
正月の「箱根駅伝」で、懸命に力走した創価大学の走者たちも、20歳を中心とするメンバーだ。
新時代を開く大使命の友の幸福と栄光勝利を、祈らずにはいられない。

1975年、SGIが発足した原点の地グアムで、40周年の記念行事が盛大に行われた。ご出席くださった知事、市長をはじめ各界の方々のご厚情に心から御礼申し上げるとともに、地元の同志の真心に深く感謝を捧げたい。
女性の活躍がひときわ光るグアム社会の繁栄を伺い、感無量である。
当初の51カ国・地域から192カ国・地域へ——今やSGIは人類を照らす平和と文化と教育の大連帯となった。
『日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり』(P589、「諫暁八幡抄」)——日蓮大聖人が示された「仏法西還」の法理を、学会は現実の地球で厳然と証明してきた。
この道を開いてくださったのは、東洋広布を叫び、「地球民族主義」を師子吼された戸田先生であられる。70年前、敗戦の荒野に一人立った、わが恩師である。
御書に云く、『一は万が母』(P498、「聖愚問答抄」)と。
「世界広布新時代」の躍進といっても、全ては、一人の一歩から始まる。
自らが一人立ち、一人と語り、一人を励まし、一人の心に希望の火を灯すことから始まるのだ。
この新時代は、まだまだ草創期である。これからも、試練の嵐や壁があるだろう。だが——。
「人間の営みにあっては、恐れではなく希望が、創造の原理となる」とは、英国の哲学者ラッセルの信念であった。
人間は今よりも、必ず、より良い未来を築いていくことができる! この透徹した希望を、絶対に手放してはならない。わが生命に具わる最極の可能性を信じてこそ、一人の人間の心を変え、環境をも変えられるのだ。
御聖訓には、『久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり』(P1337、「生死一大事血脈抄」)と結論なされている。
題目を唱え、広宣流布に生きる一人ひとりが、いかに尊貴であり、偉大であるか。大宇宙の根本の法則たる妙法と一体不二であり、久遠元初の仏の大生命が脈々と流れ通っていく。我々自身が、究極にして不滅の「希望」の当体なのだ。
それを自覚すれば、自在の智慧と力が出る。いかなる生死の苦悩も打開できないわけがない。

2015年2月4日水曜日

2015.02.04 わが友に贈る

空気が乾燥する冬は
火災に厳重警戒!
可燃物は放置せず
火の元にも注意を。
未然に事故を防げ!

顕謗法抄 P446
『仏菩薩を信じたるも愛子夫婦なんどをあいし父母主君なんどをうやまうには雲泥なり、仏菩薩等をばかろくをもえるなり』

◇人生の座標
苦労を避けてはならない。断じて悩みに勝たなければならない。自分の宝は自分でつくる以外ない。自分自身が自分自身で「良かった」「勝った」といえる人生の価値を創ること、その人が栄光の人、人格の人である。

☆100文字の幸福抄
子どもたちが良書と出合えるように、
心を砕いていくことは、大人社会の責任である。
良書に親しむ中でこそ、
創造力も批判力も鍛えられる。
活字文化の衰退は、
人間が人間らしく生きるための
精神の泉をからしてしまうからだ。

☆女子部ロマン総会への名誉会長夫妻のメッセージ
楽しく、希望に満ちた「ロマン総会」、誠におめでとうございます!
「女子部は全員が幸福に」——これは、恩師・戸田先生が示された、わが女子部の永遠の原点です。
信心とは、幸福を勝ち取る、究極の生命哲学の実践です。
私たちには、広宣流布という、自他共の幸福と世界の平和を創り広げゆく、限りないロマンがあります。
日蓮大聖人は、『人のために火をともせば・我がまへあきらかなるがごとし』(P1598、「食物三徳御書」)と説かれました。
妙法を唱え、友のため、社会のため、心を尽くし、行動した分、わが生命が磨かれ、青春も、人生も、幸福の方向へ輝いていく。そして、その生命尊厳のスクラムが、世界を、未来を、明るく照らしていくのです。
どんなに苦しいことがあっても、共に祈り、学び、『冬は必ず春となる』と励まし合いながら、一つ一つ乗り越え、勝ち越えてこられたのが、創価の誉れの母たちです。
偉大な使命と福運を抱いた女子部の皆さんは、この創価の道を、自信を持って、最高の幸の仲間と友に、仲良く、朗らかに、進んでいってください。ロマン薫る、この道こそが、人類の希望の門を開くからです。
大切な大切な皆さんが、一人も残らず、健康で、これ以上ないという充実と歓喜の日々であるよう、また、一家一族の永遠のご多幸を、私も妻も、毎日、一生懸命、祈り抜いてまいります。
どうか、体を大事に。風邪などひかれませんように。お元気で! 何があっても負けない「幸福の太陽」の皆さん、万歳!

2015年2月3日火曜日

2015.02.03 わが友に贈る

職場で苦闘する友よ
断じて負けるな!
信心とは無限の希望だ。
絶対に諦めない勇気だ。
周囲も温かな激励を!

光日上人御返事 P934
『何に況や今の光日上人は子を思うあまりに法華経の行者と成り給ふ、母と子と倶に霊山浄土へ参り給うべし、其の時御対面いかにうれしかるべきいかにうれしかるべき』

◇人生の座標
強くなるんです。強くなれば、悲しみさえも栄養になる。苦悩が自分を清めてくれる。自分が押しつぶされそうな苦しみの底で、はじめて人生と生命の真髄が心にしみ通ってくるのです。だから、苦しんだからこそ生きなければならない。前へ前へ進むんです。

☆100文字の幸福抄
優れた書物が我々に与えてくれるものは、
単なる知識でもなければ、
刹那的に消えゆく刺激でもない。
生きることへの自信と、
人間としての英知と勇気、
そして生命の尊厳への深い畏敬の念を
呼びさましてくれるのだ。

☆米デポール大学「池田大作教育研究所」開所式にメッセージ
アメリカ・デポール大学に設立された「池田大作教育研究所」の開所式が14日、イリノイ州シカゴの同大学で盛大に開催された。同大学の教職員・学生、地元市民のほか、カナダのラバル大学などから来賓が出席。デポール大学のポール・ザイオンツ教育学部長があいさつし、南イリノイ大学カーボンデール校教授のラリー・ヒックマン博士、バージニア工科大学教授のジム・ガリソン博士が記念講演した。これには池田大作SGI会長がメッセージを寄せた。
会場となった壮麗な講堂。あふれるほど詰め掛けた参加者の姿が創価教育への高い関心を物語っていた。
デポール大学は昨年4月、創価の人間主義の教育思想と実践を研究する機関として「池田大作教育研究所」を設立。三代会長の教育理念と行動を探究し、教育者や研究者、学生らに学びの場を提供することを目指す。
開所式に寄せたメッセージで池田SGI会長は、多様な価値観が出あい、急速に変化を続ける現代社会にあって、異なる思想・文化から謙虚に学び、相互理解を深めていく中で新しい価値創造のエネルギーは生まれると指摘。その担い手となる「世界市民」の育成が一段と重要になっていると強調した。
そして「貴大学との世界市民教育の新たな連帯が、21世紀の地球社会に、創造的な『平和の種』を蒔きゆく、確かなる一歩となることを心から確信しております」と述べた。

2015年2月2日月曜日

2015.02.02 わが友に贈る

◇今週のことば
私自身の二月闘争だ!
「仏種は縁に依って起る」
勇んで対話に打って出て
仏縁を広げゆこう!
黄金の交遊録を楽しく!
2015年02月02日

諸法実相抄 P1360
『いかにも今度信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給うべし、日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか』

◇人生の座標
一番、悲しかった人が、一番、晴れやかに輝く人です。

☆100文字の幸福抄
音楽は、国境も、言語も、民族も超えて、
人々の心の奥深くまで届く。
それは、音楽が、
直接「生命」に語りかけるからである。
音楽は、「人類普遍の言語」であり、
宇宙にも融合しゆく
生命と生命の共鳴だ

☆大白蓮華巻頭言2015年2月 「我此土安穏」の地域づくりを!
わが家には、朝な夕な清々しい勤行の響きがある。それが、どれほど躍動する幸福のリズムであるか。
御書には、『家に讃教の勤めあれば七難必ず退散せん』(P1374、「南部六郎殿御書」)と伝教大師の文を引かれている。
勤行は、大宇宙の究極の法則たる妙法に合致して、生きる喜びを謳い上げていく生命の讃歌である。
自我偈には『我此土安穏』、即ち『衆生は劫尽きて大火に焼かるると見る時も我が此の土は安穏にして天人は常に充満せり』(法華経P491)と説かれる。
どんな濁世にも、我らは勤行の会座から出発する。そして三世十方の仏天を揺り動かし、いかなる災難も不幸も打ち払いながら、自らの使命の天地から「我此土安穏」の世界を創り開いていくのだ。
日蓮大聖人は、『法妙なるが故に人貴し・人貴きが故に所尊し』(P1578、「南条殿御返事」)と仰せになられた。
妙法を信受して行動する人こそ、貴き仏の生命を、自他共に限りなく輝かせてゆける「宝の人」である。
「宝の人」のいるところ、互いに尊敬し、支え合う「宝の絆」が結ばれる。その連帯から、何ものにも壊されない立正安国の「宝土」が広がりゆくのだ。
いずこにも、経文通りの「悪口罵詈」を堪え忍び、血の滲む努力を重ね、地域の信頼を勝ち取ってきた無名にして尊貴な父母の勝利劇が刻まれている。
忘れ得ぬ熊本県天草の功労の母は、村八分の圧迫にも、邪宗門の迫害にも屈せず、また台風の被災など、越すに越されぬ試練の坂を勝ち越えてこられた。
「大好きな郷土から不幸を断ち、皆を幸福にしたい。このために生まれてきた地涌の菩薩が私です。この私の誓願の人生を見なっせ! 負けんばい! 反発する人たちも、私の信心を鼓舞してくれていると思うと感謝が湧き、救わずにおれんとです」と、今も新たな対話に挑戦を続ける。この宝の心を、お子さん方も、地域の青年たちも受け継いでいる。
16年前、台湾はマグニチュード7.6の大地震に見舞われた。救援活動に献身するSGIの同志に、私は祈りを込めて「我此土安穏天人常充満」と認め、お贈りした。
わが友が不屈の闘魂と団結で、この苦難を変毒為薬し、復興に貢献してこられた歴史を、私は忘れない。
思えば、敗戦の焼け野原に、戸田城聖先生が一人立たれて、人類の生存を脅かす魔性への戦いを開始されてより70年——。今や、民衆の平和と幸福のネットワークは、揺るぎなく地球を包んでいる。
恩師は、広布の拡大に励む友に呼びかけられた。
「誰に対しても、大誠実でいこう! 一念三千であるゆえに、わが一念に仏性を現していけば、相手の境涯も必ず変わっていく。自分が動き、語った分、地域を安穏の楽土に変えていけるんだよ!」と。
何より心強いことは、我らには日本中、世界中に「異体同心」の同志がいる。「従藍而青」の人材が続いている。共に祈り、共々に励まし、守り合って、今年も「我此土安穏」の地域づくりに勇んで挑もう!

今生の
 楽しき思い出
  今日もまた
 縁の地域を
  広布の宝土へ

2015年2月1日日曜日

2015.02.01 わが友に贈る

「一は万が母」だ。
大目標の達成も
足元の一歩から。
「私は勝った!」と
胸を張れる一日を!

四条金吾殿御返事 P1136
『大難来れども憶持不忘の人は希なるなり、受くるはやすく持つはかたしさる間成仏は持つにあり』

◇人生の座標
大変なときに、変わらずに頑張れば、あとで尊敬される。状況が厳しかろうが、人が変わろうが、自分は自分の決めた道を貫く。その人が「人間として」 の王者です。

2.01
趣味は豊かな心の泉である。
その泉より、自然に湧き出るものが
尊いのである。
趣味は、人間性の美しい色彩でもある。
平凡のなかに、キラリと輝く人間性。
ここに真実の美しさ、気品があり、
趣味の真髄がある。

☆米デポール大学「池田大作教育研究所」開所式にメッセージ
アメリカ・デポール大学に設立された「池田大作教育研究所」の開所式が14日、イリノイ州シカゴの同大学で盛大に開催された。同大学の教職員・学生、地元市民のほか、カナダのラバル大学などから来賓が出席。デポール大学のポール・ザイオンツ教育学部長があいさつし、南イリノイ大学カーボンデール校教授のラリー・ヒックマン博士、バージニア工科大学教授のジム・ガリソン博士が記念講演した。これには池田大作SGI会長がメッセージを寄せた。
会場となった壮麗な講堂。あふれるほど詰め掛けた参加者の姿が創価教育への高い関心を物語っていた。
デポール大学は昨年4月、創価の人間主義の教育思想と実践を研究する機関として「池田大作教育研究所」を設立。三代会長の教育理念と行動を探究し、教育者や研究者、学生らに学びの場を提供することを目指す。
開所式に寄せたメッセージで池田SGI会長は、多様な価値観が出あい、急速に変化を続ける現代社会にあって、異なる思想・文化から謙虚に学び、相互理解を深めていく中で新しい価値創造のエネルギーは生まれると指摘。その担い手となる「世界市民」の育成が一段と重要になっていると強調した。
そして「貴大学との世界市民教育の新たな連帯が、21世紀の地球社会に、創造的な『平和の種』を蒔きゆく、確かなる一歩となることを心から確信しております」と述べた。