2014年6月30日月曜日

2014.06.30 わが友に贈る

◇今週のことば
「青年の月」来る。
妙法の力は無限だ。
行き詰まりはない。
強き祈りで壁を破れ!
新しき人材と共々に!
2014年06月30日

妙法尼御前御返事 P1404
『日蓮幼少の時より仏法を学び候しが念願すらく人の寿命は無常なり、出る気は入る気を待つ事なし風の前の露尚譬えにあらず、かしこきもはかなきも老いたるも若きも定め無き習いなり、されば先臨終の事を習うて後に他事を習うべし』

◇希望の明日へ
人類の歴史は、戦乱と貧困をはじめとする悲惨の連続である。余りにも長く、民衆の不幸が繰り返されてきた。この人類の業ともいうべき流転に対し、だれかが、いつか、転換へのクサビを深く打ち込まねばならない。国連は、二度にわたる世界大戦という甚大な犠牲のうえに、人類の英知の結晶として、また希望の砦として、やっと生まれた平和の殿堂である。人類が大きな産みの苦しみを味わって、初めて誕生させた国際共和への唯一の機関である。まだ十分な存在ではないかもしれない。また多くの課題や批判があることも事実である。しかし、現実的には、国連を最大限に守り、育んでいくことこそが、永遠の平和への人類の正道である。そのために、これからも平和の戦士として、生涯、行動していきたい。
平1・2・13

☆光の言葉 幸福の曲 「学べ!自分自身を信じよ」
「学は光」であり、
「知は力」である。
学理、道理には、
国境を越えて、
万人を納得させる
普遍の光がある。
暴君さえも屈服させる
正義の力がある。

現実との格闘なき哲学は、
卑しく、
みすぼらしい存在となる。
宗教もまた、同じであろう。
自ら信じる正義を守り貫く闘いにこそ、その人の哲学の真価は現れるそして、邪悪と闘う知性こそ真の知性である。

「学び」は、
自分自身との戦いだ。「力」は、苦闘の果てに勝ち取るものだ。
それもまた、
真の指導者に
絶対的に必要な条件なのだ。

学んだ人と
学んでいない人、
訓練を受けた人と
受けていない人とでは、
後になって大きな違いが出る。
青春時代に悔いなく学んだ人。
何かに徹して打ち込んだ人。
その人は、
時がたつほどに
光ってくる。
勝利者となる人である。

君よ!貴女よ!
自分自身の可能性を信じ、
決意と挑戦の連続に
身を投じるのだ
大願が偉大な行動を生む。
大願が偉大な自分をつくる。

明日30日は学生部結成記念日。
「新しき世紀を担う秀才の集いたる学生部」——1957年(昭和32年)の結成の日に寄せた祝電の中に、池田名誉会長の「学生」に対する万感の思いが集約されている。
知性を磨き、それを生涯、民衆のため、平和のために燃焼させゆく人材を、名誉会長は待望する。
そのために学生部に期待し、薫陶した。世界貢献の学府として、創価大学、創価女子短期大学、アメリカ創価大学を創立した。
自ら世界の大学を訪れ、講演し、対談し、学生らと語らった。
写真は93年(平成5年)9月、講演のために訪れたアメリカ・ハーバード大学を撮った1枚。陽光に映える赤レンガが、みなぎる「知の力」を表している。

◎昨日(6.29)の聖教4面、声の欄に東京中野区の寒河江さんの投稿内容に「女子部の相場貴子さんも4月13日、職場の友人への御本尊流布が実りました。」
とありました。相場支部副さんのお孫さんです
素晴らしいですね(^^)/
また、羨ましい事に、久本雅美さんと同じ地区だそうです
by 川畑支部婦人部長より

2014年6月29日日曜日

2014.06.29 わが友に贈る

朗々たる祈り!
真心の励まし!
我らの声が地域に
社会の希望を拡大!
「声仏事を為す」だ。

諸法実相抄 P1360
『釈迦仏多宝仏十方の諸仏菩薩虚空にして二仏うなづき合い、定めさせ給いしは別の事には非ず、唯ひとへに末法の令法久住の故なり』

◇希望の明日へ
近年、国家を基軸にして地球をとらえるのではなく、国境を超えた人類共同体としての意思をまとめ、地球が生き残るための方策を考えることが、国連の重要な役割となっている。この場合、利害が複雑にからんだ主権国家だけに任せておいては問題の解決はなかなか困難である。そこで、何よりも今日要請されるのは"国家の顔"よりも"人間の顔"−−すなわち、国連が真実"人類の議会"をめざすならば、従来、あまりにも目立ちすぎた"国家の顔"ではなく"人間の顔"をもてるよう努力をしてこそ、よりよい機能を発揮することができるであろう。
平1・1・26

☆世界広布新時代第8回の各部代表者会議が24日、東京・新宿区の常勝会館(本部第2別館内)で行われた。
これには、池田名誉会長がメッセージを贈り、"創価女性月間"の今月、全国・全世界で輝く婦人部・女子部の目覚ましい大前進をねぎらい、「おめでとう! ありがとう!」と心から讃えた。
続いて、「究極の信念とは何か。それは実行することにある。行動から変化が起きる。価値が生まれる。結果が出る。なかんずく、リーダーの皆さんの勇気ある実践こそが、大法弘通の道を開いていくのだ」と訴えた。
ここで、『賢人は八風と申して八のかぜにをかされぬを賢人と申すなり、利(うるおい)・衰(おとろえ)・毀(やぶれ)・誉(ほまれ)・称(たたえ)・譏(そしり)・苦(くるしみ)・楽(たのしみ)なり」「此(こ)の八風にをかされぬ人をば天はまほらせ給うなり』(P1151、「四条金吾殿御返事」)を拝読。
「この御聖訓の通り、いかなる毀誉褒貶などの八風にも、微動だにせず、広宣流布の大誓願をまっしぐらに貫き通しているゆえに、創価の大城は、梵天帝釈からも厳然と護られてきたのである。我らは永遠に、嵐に揺るがぬ富士の如く、不動の師弟の一念で、祈り切り、戦い抜いていくのだ」と力を込めた。
そして「どんな難所があろうとも、『隨縁真如の智』と『異体同心の団結』で悠然と突破していただきたい。全部、万年の未来のための勉強であり、訓練である」と強調。
「ともあれ、日蓮大聖人は、ありとあらゆる次元において、壮大なスケールで、『一閻浮提第一』の道を示してくださっている。なればこそ、創価の青年は小さな境涯にとどまってはならない。宇宙大の妙法を唱え弘めながら、希望に燃えて、世界一の人材群が躍り出る青年城を、断固と築き上げていただきたい」と念願した。
さらに、今月30日に晴れの結成記念日を迎える、男女学生部の成長と活躍を、嬉しく頼もしく見つめている真情を述べた。
最後に「さあ、『青年の月』7月だ。原田会長を中心に、皆で、一段と励まし合い、支え合って、気持ちのいい、爽快な戦いをしよう! お元気で!」と全同志に呼び掛け、メッセージを結んだ。

2014.06.28 わが友に贈る

「真剣な言葉」が
人の心を動かす。
「真剣な行動」に
皆の信頼が集まる。
自らが先頭に立て!

御義口伝巻上 P737
『今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は与如来共宿の者なり、傅大士の釈に云く「朝朝仏と共に起き夕夕仏と共に臥し時時に成道し時時に顕本す」と云云』

◇希望の明日へ
世界のほとんどの国を網羅した国連のような国際平和組織が、戦後四十年余の長きにわたって、ともかくも存続し続けてきたという"時間の要素"を、私は、まず評価したい。どんなに意見が対立しようと、討議を交わす場であり「人類の議会」として国連が存在すること自体の意義の大きさは計り知れない。世界の民衆に、想像以上に安堵を与えてきたはずである。
昭61・1・26

2014.06.27 わが友に贈る

広布の城を輝かせる
「守る会」に感謝!
屋外での帽子着用や
水分・塩分補給など
暑さ対策も賢明に!

可延定業書 P986
『きわめてまけじたましの人にて我がかたの事をば大事と申す人なり』

◇希望の明日へ
"民衆の幸福"こそが国家の根本の目的である。その根本を見失い、転倒させてしまうところに、さまざまな悲劇が生まれる。しかし、たとえ一時は困難に直面しても、民衆という原点に立ち返り、忍耐強く進んでいくならば、時とともに必ず道は開けていくのである。
平3・12・19

2014年6月26日木曜日

2014.06.26 わが友に贈る

人間外交の真髄は
誠実と迅速にあり。
打てば響く反応から
信頼の絆は生まれる。
振る舞いで勝ち光れ!

食物三徳御書 P1598
『食には三の徳あり、一には命をつぎ二にはいろをまし三には力をそう』

◇希望の明日へ
日本と韓国、日本と中国といった、"国家対国家"の見方ではなく、"世界の民衆と国家の権力"という視座も大切になってくるであろう。国家主義と人間主義、民衆主義は、どうしても相いれない。特に真の仏法者は、どこまでも民衆の側に立つ。牧口先生、戸田先生も、そのために国家権力に弾圧された。その心を継いで、"世界の民衆の連帯"を築き続けているのである。
平4・10・7

☆「なぜ信心をするか」 戸田先生の指導より
信仰というものは、修養のためとか、あるいは、気休めとかというために、するのではない。
信仰して、利益、すなわち、生活上のしあわせがなければ、やっても無駄です。

日本の国の人々がみんな困っている。
その困っている時に功徳があるから広まっていくのです。
理屈や学問で広まるのではないのです。
御利益で広まるのです。

それならどうすればいいかというと、今度は今生において、布施をし、善根を積んで、来世においてしあわせに生まれてくると、こういうふうになっている。
これが、今、仏法を信じない人は、皆、このいき方をしなければならないことになっているが、だれも善根を積む者がいないから、来世はますますひどくなるにきまっているのです。
大聖人様が、これでは、かわいそうだと、おもし召しあそばれたのです。
そこに日蓮大聖人様の仏法と、釈迦の仏法との、根本的相違があるのです。
これをわかるのは日蓮正宗だけなのです。

そこで大聖人様は、末法の衆生をかわいそうに思われて、どうなさったかといいますに、これはいかん、末法の衆生には過去世にりっぱな行いがないと。
それであるから、これを捨てておいたならば、その貧乏、あるいは病気あるいは、いろいろの不幸をそのまま背負って死ななければならない。
それでは、かわいそうだ・・・、そうおっしゃった。

この大御本尊様を受持すれば、過去世においてつくらなかった、原因をくださるという約束がある。
即座に下さるのですよ、原因を。
あとは自分の信心と、折伏によって、結果を勝ち取らなければいけない。

御本尊様のことを、縷々御説明くださっている観心本尊抄という御書のなかに「この五字を受持すれば、釈尊の因行果徳の二法を譲り与え給う」という約束がある。
この五字とは、お曼荼羅のことであります。
御本尊様のことであります。

ただ、この御本尊様は、富士大石寺しかないのです。
ほかの寺々で、どんなにうまいことを言っても、絶対に富士大石寺の御本尊様しか、功徳がないということは、この御書において明らかなのです。
ですから、あなた方が、この御本尊様を受持して、ちゃんと信心をりっぱにしまして、折伏を行じておれば、必ず、必ず、しあわせになることを、私は誓っておく。
安心して、折伏をしなさい。
功徳は必ず出ます。すなおな信心をしなさい。
必ず功徳がでます。
また、あなた方が、しあわせになるために熱心に折伏をし、信心をしていれば、
しぜんに広宣流布の時がきます。

しかし、広宣流布は、一日も早くしなければならんと、私は思っております。
仏天の加護を、国家のために、仏天の加護を願おうとするならば、一国謗法であっては、仏天の加護は無いのです。
ですから、一国謗法の罪をのがれるために、一日も早く、広宣流布をしなければならない。
さあ、そうなると、迷う人があるかもしれない。
ほかでもやっていいのではないかと。だが、ほかでは絶対だめなのです。これだけは、絶対、日蓮正宗でなけらばだめなのです。

広宣流布の暁には、大聖人様が御存生中に、広宣流布ができたならば紫宸殿へかざって、時の天皇に拝ませなさいと、予言をなさっておつくりになった、紫宸殿御本尊という御本尊様があるのです。

だから、身延には広宣流布する資格がないということが、はじめからわかっている。
ましてや、このごろできたてのニセ日蓮宗などはあるわけがない。

この、紫宸殿御本尊のある寺こそ、広宣流布をする寺なのです。
それが、この紫宸殿御本尊というのは、七百年も近く、富士大石寺に、厳然として奉持し奉っているのです。
この一事をもっても、われわれ日蓮正宗の者は、広宣流布をしなければならない責任があるということになっているのです。

だから、広宣流布だなどと、マネをしだした時に、この一事をもって、きゅっと押さえてやらなければいけない。
まあ、これだけで、あとは、あなた方が、しっかりと信心をして、功徳を受けますように。
昭和30年8月23日 蒲田支部函館地区総会

2014年6月25日水曜日

2014.06.25 わが友に贈る

女性は無事故第一で!
夜は暗い道を避け
早め早めの帰宅を!
油断は大敵だ。
声を掛け合って進め!

日女御前御返事 P1243
『爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん竜樹天親等天台妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を末法二百余年の比はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し奉る』

◇希望の明日へ
国家と国家との確執の宿痾を癒し
確固たる友好の礎を築きゆくのは
より広く より探き
民衆と民衆との心の連帯だ
そこにこそ
新たなる世紀の扉は
豁然と開かれゆくにちがいない
平3・4・22

◎日本、頑張ったね(^^♪

2014年6月24日火曜日

2014.06.24 わが友に贈る

日々の訪問激励など
地道な活動の中にこそ
福徳の大輪は咲き薫る。
「陰徳あれば陽報あり」
愚直な信心の人たれ!

上野殿御返事 P1561
『とにかくに死は一定なり、其の時のなげきはたうじのごとし、をなじくはかりにも法華経のゆへに命をすてよ、つゆを大海にあつらへちりを大地にうづむとをもへ』

◇希望の明日へ
確かに国家権力そのものが、戦争などをはじめとする、「人類への悪」「人間と生命への悪」を生み出してきた。権力は、本来、人間の尊厳に奉仕するための手段にほかならない。にもかかわらず、それを目的としてしまったところに、人間の悲劇の歴史が刻まれてきたのである。この国家悪をどう克服するか。ここに、人類の長年の課題がある。そして、相互依存を強める現代の世界にとって、ますます焦点の課題になってきたといえる。
平2・10・5

☆名誉会長と共に 新時代を開く 第23回 最高峰の哲学に生きよ
時代は、世界は、揺るぎない精神の柱を求めている。
今こそ、大確信をもって、妙法の素晴らしさを語るのだ。それが折伏である。
折伏は最高の仏の仕事である。ゆえに、苦しんでやるのではなく、楽しく悠々と仏縁を結んでいくのだ。
戸田先生は言われた。
「初めから立派過ぎたのでは人々の中に入っていけないから、われわれは仏法を弘めるためにわざわざ凡夫の姿をとって生まれてきたんだよ」と。
苦労しているから、人に寄り添える。悲哀に負けないから、嘆きの友を励ませる。
悩める人を幸福にするために、自らが悩みを乗り越え、勝利の実証を!──これが広布に生きる師弟の誓願である。
われ、地涌の菩薩なり!──この偉大なる使命を自覚した人は強い。何も恐れない。
大変な時こそ御書を拝するのだ。一切は御書に明鏡のごとく示されている。

何のための一生か。幸福とは何か。どうしたら、強い自分になれるか。
人生の根本命題に、文証・理証・現証から、一つ一つ明快に答えてくれるのが、最高峰の仏法の生命哲学である。
御義口伝には『始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり』(P788)と説かれる。
自身が本来、尊極の仏の当体なのだ。妙法を唱え広めゆく生命には「歓喜の中の大歓喜」が躍動する。
人類よ、自らの尊厳に目覚めよ!──そう仏法は教える。
仏法の光が、人間を高め、民衆を結び、世界を照らす時、崩れぬ平和が生まれる。
「行学の二道」が、試練を勝ち越える力となる。限りなき精神の宝庫の扉を開く。
わが心に、希望輝く大哲学の柱を打ち立てるのだ。

2014年6月23日月曜日

2014.06.23 わが友に贈る

◇今週のことば
苦労は即「充実」
忍耐は即「栄光」
青年よ 負けるな!
友情と感動のドラマを
思う存分に綴れ!
2014年06月23日

華果成就御書 P900
『よき弟子をもつときんば師弟仏果にいたりあしき弟子をたくはひぬれば師弟地獄にをつといへり、師弟相違せばなに事も成べからず』

◇希望の明日へ
ボーダーレス時代にあっては、新たな"知"のあり方が求められている。知識のみが独り歩きして、核時代や地球規模の環境破壊を招き寄せてしまった旧来の"知"ではなく、世界の平和や民衆の幸福に奉仕し、国益よりも、むしろ人類益にこそ奉仕しゆく全体知、総合知をめざすべきであろう。
平2・8・23

☆「仏法は勝負である」 本部幹部会 S28.12.21
わたくしは、毎月諸君らの確信を聞くたびに、悲しい気がする。
というのは、折伏をするのが、まるで数字の計算のようであるからだ。
どこそこが勝った、やれ負けたと相撲か、野球でも見るような気持ちで来る人が、この中にいるんです。しかし、折伏は遊戯のようにやっても功徳がある。相撲を見て、自分のひいきが負ければ悲しいし、入場料を損する。ここは、ただで見られる。

仏法は勝負で、国法は正邪、世法は評判である。
この三つがわからぬと戸田の哲学がわからない。

やみの米を運ぶことが、良いか悪いかと聞かれる。病に病んでいる夫を持ち、子を持っているならば、どうするのだ。どしどし、やみ米を運びなさいという。
国家できめた国法では悪いが、仏法では悪くない。国民の生活を維持できないのは、国の政治が悪いのではないか。つかまらないようにやるのが仏法だ。
国法と仏法とけんかして、仏法は必ず勝つ。戸田は悪人であると評判しても、罰することは出来まい。

罰せられるようなことをしないわたくしは、こんど謗法しました。いままで謗法しないと思うた。しかし謗法はよくやるが、わからぬのだ。
わたくしは、病気で気持ちが悪いときがあった。声がでなくなり、のどがつまり、息ができぬ。その原因は、本部ができて、嬉しくてたまらなかった。さぞかし、静かであろうと思ったら、毎日題目でわんわんであり、うるさいと思った。とたんに謗法でこのとおりになっていた。
ただ題目をとなえれば良い。うんとあげなさい。

もうひとつ、謗法しては悪いから言うとくそれは子どもがきていろいろこわす。
どんどんきてこわしている。これを、こわされる方も謗法であれば、こわす方も謗法である。
ゆえに、いま懺悔している。ほんとうに懺悔しているのは、御本尊様に向かう以外にない。
いまぼくが三百円盗んだとする。懺悔できない。言ったらいけない。キリストと違う。
これを「まさに懺悔せんと欲せば端座して実相を想え。衆罪は霜露の如し。慧日良く之を消除す」といわれている。
これがほんとうの懺悔といわれる。題目を唱えれば良い。こんどの病気は懺悔してなおった。きょう、支部長がほらを吹いたから、きみたちもほらを吹くのだ。仏法ではほらの貝を法羅という。
本年十八万というが、そんなにやらなくてもよい。八万で結構だ。十五万できれば広宣流布できることを知っている。いくらやっても、学問教育がなかったら、なにごともできぬ。虱の集団である。
来年二十五万世帯になったら、手に負えない。わたくしが教学を立てなければつぶれる。会長の願いは、十八万やらなくてもよいから、八万やってもらいたい。

2014.06.22 わが友に贈る

妙法を語る人にも
聞く人にも
偉大な功徳が!
大確信の祈りで
下種仏法の実践を!

佐渡御書 P956
『此文は富木殿のかた三郎左衛門殿大蔵たうのつじ十郎入道殿等さじきの尼御前一一に見させ給べき人人の御中へなり、京鎌倉に軍に死る人人を書付てたび候へ』

◇希望の明日へ
東西の冷戦状態に終止符が打たれた今、もはや仮想敵国は存在しなくなったという意味で、エネミーレス(敵・敵性対象の消滅)という言葉がしきりに使われるようになった。しかし、核兵器という最大の脅威は依然として残っており、地球環境の破壊や貧困といった問題から派生するさまざまな人道上の脅威は、少しも軽減されていない。まさに国益にとらわれず人類益というグローバルな視座から、解決の方途を求めねばならない正念場の時を迎えている。
平2・8・20

☆大白蓮華巻頭言昭和31年2月号 「自らの命に生きよ」
人々の生活を見るときに、失敗の責任が、自分には無くて他人にあるようにいう人がある。十界互具、一念三千を説く大仏法を信ずるわれわれは、日常の生活の責任が、ことごとく自分にあるということを知らなくてはならない。

貧乏して悩むのも、事業に失敗して苦しむのも、夫婦喧嘩をして悲哀を味合うのも、それは皆自己自身の生活である。
すなわち、自己自身の生命現象の発露である。
かく考えるならば、いっさいの人生生活は、自己の生命の変化である。
ゆえに、よりよく変化して、絶えず幸福をつかんでいくことが大事ではないか。
されば、自己自身に生きよ・・いや、自己自身に生きる以外にはないのだ、ということを知らなければならない。
あの人が、こうしてくれればよいのだとか、この世の中がこうであればしあわせなのだといって、他人に生き、対境に生きるということは間違いではないか。
しかし、人間の力というものは弱いものである。
自己自身に生きていると、いかに力んでみても、他人に支配され、対境に支配されやすいものである。
されば、いかに観念的に、自己自身、自ら生きていると力んでみても、それで、幸福であると言えない場合が多い。そこで、自己自身の生命が、もっとも強く、もっとも輝かしく、もっとも幸福であるためには、十界互具、一念三千の仏法に生きる以外はないと、吾人は信ずるものである。

これこそ、七百年前に、日蓮大聖人が、大宇宙に呼号なされた大哲理である。
われらを、幼稚なる者と呼んで、一念三千の珠を授けて、幸福境涯を獲得せしめるとおおせられたのは、このゆえで、その一念三千の珠とは、弘安二年十月十二日ご図顕の大御本尊であらせられる。
されば、末代幼稚の輩は、この大御本尊を信じまいらせて、強くりっぱに自己自身に生きようではないか。

2014.06.21 わが友に贈る

未入会のご家族に
最大の感謝と配慮を!
温かな理解と協力で
広宣流布は前進。
幸福の大道を共に!

春初御消息 P1585
『過去の仏は凡夫にておはしまし候いし時五濁乱漫の世にかかる飢えたる法華経の行者をやしなひて仏にはならせ給うぞとみえて候へば法華経まことならば此の功徳によりて過去の慈父は成仏疑なし』

◇希望の明日へ
今日、核兵器という一般の人の手の届かないものによって、地球の運命が左右されようとしている。こうした異常な事態に対して、人間はただ手をこまねいて傍観しているわけにはいかない。まさに人類一人一人が世界市民として連帯し、この狂気の事態を正常な状態に戻さねばならない。
平3・6・27

☆勝利の人間学 第54回 先駆の使命の学生部
◇力ある人間指導者に
夕張事件、大阪事件——「三類の強敵」が競い起こる中、わが学生部は誕生した。
恩師・戸田城聖先生は、「ただ嬉しいという言葉以外にない」と喜ばれた。
正義の力ある人間指導者よ、踊り出でよ!
権力の魔性と戦う矢面にあって、私は北海天地から祈りを込めてメッセージを送った。
日蓮大聖人は、『智者とは世間の法より外に仏法を行ず、世間の治世の法を能く能く心へて候を智者とは申すなり』(P1466、「減劫御書」)と仰せである。
男女学生部の皆さんは、どこまでも民衆を守り抜き、社会に勝利の旗を打ち立てる英知と勇気のリーダーに成長していただきたい。

◇苦労と挑戦の日々を
苦労即鍛錬である。悩みを恐れず、労苦をいとわず、黄金の青春の劇を創造するのだ。その中でこそ、心も頭も体も鍛え上げられる。全てが自分のかけがえのない財産となる。
挑戦即勝利である。あえて高い目標に挑むのだ。自らの無限の可能性を開拓するのだ。
祈って、動いて、戦い抜いて、失敗してもなお挑戦し続けた人が、最後は必ず勝つ。
私も働きながら夜学で学んだ。師匠の事業を支える悪戦苦闘の渦中も、研鑽を止めなかった。大変だったからこそ、今の私がある。
『鉄は炎打てば剣となる』(P958、「佐渡御書」)との御聖訓を、若き宝剣の皆さんに贈りたい。

◇大目的を胸に学び抜け
牧口常三郎先生は、軍部政府の弾圧によって投獄された独房で「青年時代からあこがれて居た本が読めるので、却つて幸ひである」(獄中書簡)と悠然と学ばれていた。
学ぶことは、人間の最高の権利である。
人は学び続ける限り、行き詰まらない。幸福勝利の軌道を向上していける。
ゆえに君よ、貴女よ、今日も学びゆけ!
我ら創価の人間革命の運動は、100年先、200年先の人類が進む平和の大道を開いているのである。その偉大な大目的に向かって、「先駆」の誇りに燃え、学び勝ちゆけ!

2014年6月20日金曜日

2014.06.20 わが友に贈る

多忙な日々の中で
地域貢献に励む友を
最大に讃えよう!
仏法即社会の実践が
信頼の輪を広げる。

四条金吾殿御消息 P1114
『法師品に云く「則遣変化人為之作衛護」疑あるべからず、安楽行品に云く「刀杖不加」普門品に云く「刀尋段段壊」此等の経文よも虚事にては候はじ』

◇希望の明日へ
世界は今、対話と協調の新しい時代に突入しつつある。こうした平和への流れを、より確かなものとして定着させ、本格的な軍縮を実現するための第一歩として、創価学会は核実験の即時全面禁止を要請している。
平2・5・7

☆2006年3月度本幹で紹介された先生のスピーチ
広宣流布の大回転にあっても、新しい人材が爆発的に誕生すべきである。スターバストを例にしながら言及。今こそ勇気と戦闘力と学会精神を爆発的に爆発させていく時である。
その戦いの根本は何か。自分自身の人間革命である。組織をどう動かすかではない。自分を革命することだ。自分が生まれ変わっていくことだ。
一番地道な人が一番偉大です。大聖人の仏法は、逆境にある人が必ず幸せになる宗教である。信心で苦難に立ち向かえば、すごい仏の力が出る。その人こそ本当にみなを励ますことができ、悩める人の味方になることができるのだとの、戸田先生の指導を紹介された。

☆御書講義の心構えについて
1.熟読すること
2.明快に解釈すること
3.理論的であること
4.必ず体験を通し幅広く講義すること

2014年6月19日木曜日

2014.06.19 わが友に贈る

新時代を先駆する
俊英の学生部よ!
師弟の精神を胸に
勇気光る対話で
拡大の黄金の歴史を!

法華初心成仏抄 P553
『なにしにか仏は強いて法華経を説いて謗ずるも信ずるも利益あるべしと説き我不愛身命とは仰せらるべきや、よくよく此等を道心ましまさん人は御心得あるべきなり』

◇希望の明日へ
核兵器が、なぜ"絶対悪"であるのか−−それは、核兵器が、通常兵器の延長線上では考えられない、否、考えてはならない、いわば、運命的兵器だからである。黙示録的兵器といってもよい。それは、通常兵器に対するのとは異なった対応と、思考様式をわれわれに要請している。
昭61・1・26

☆今日の発心 2014.06.15
『我が門家は夜は眠りを断ち昼は暇を止めて之を案ぜよ一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ』富木殿御書(P970)

◇通解
わが一門の者は夜は眠りを断ち、昼は暇なくこのことを思案しなさい。一生空しく過ごして万歳に悔いることがあってはならない。

【わが地域に対話の大旋風を】
寸暇を惜しんで仏法を学び、邪法を破折するなど、悔いない一生を送るよう教えられています。
1994年(平成6年)、転勤のため、福岡から千葉へ転居。仕事は多忙を極め、学会活動との両立に悩みました。
男子部の先輩から「できないことを嘆くより、今できる最大の戦いに挑戦しよう」と励まされ、反省。その日から、仏法対話や男子部メンバーの激励について目標を定め、挑戦を開始しました。大変でしたが、数々の感動的な思い出を刻むことができました。
2001年9月に東京牧口記念会館で行われた第1回「千葉青年部総会」で渾身の指導をしてくださった池田先生の姿は、生涯忘れることができません。「平和を願うならば、平和の準備をせよ! すなわち、断固として広宣流布せよ!」との師子吼に、いかなる困難に直面しても、先生と共に、広布へ前進しようと決意しました。
来月に開催される「第1総千葉創価青年平和大会」に向け、勢いよく進む青年部と共に、勇気凜々と対話の大旋風を起こし、師弟勝利の新たな金字塔を築きます。
千葉・佐倉総県長 陣ノ内善信

◎あの時、参加したメンバーには、胸にこみ上げてくるシーンですね(^^♪

2014年6月18日水曜日

2014.06.18 わが友に贈る

勇気の人は明るい。
信念の人は朗らか。
さあ今日も
誓願の題目から出発!
周囲に活力送る日々を。

諸法実相抄 P1359
『たえて弘めん者をば衣を以て釈迦仏をほひ給うべきぞ、諸天は供養をいたすべきぞかたにかけせなかにをふべきぞ大善根の者にてあるぞ』

◇希望の明日へ
ごく普通の一般市民が担う反核・反戦の運動の高揚と国境を超えた広がりは、新しい民衆の時代の胎動を感じさせるものである。核兵器の廃絶を求め、飢餓や貧困を地上から追放しようとする平和、人権、環境保護のための民衆の運動が、政府や国際機構と並んで強力な組織体として活発に活動していることの意義は、いくら強調してもしすぎることはない。
昭61・1・26

☆名誉会長と共に 新時代を開く 第22回 あの人を人材に!幸福に!
◇時代を動かすのは青年だ。
今、日本の各地で、男子部が大いなる弘教のうねりを起こしている。女子部も、婦人部の温かい励ましのもと、楽しく、にぎやかにスクラムを広げている。先駆の学生部も凛々しい。創価家族に育まれ、大勢の未来部が、青年大会に集っている。
うれしい限りだ。わが愛する後継の友の健康・無事故・大成長を、私は毎日、一生懸命、祈っている。

あの人を人材に!
この人も幸福に!
強き祈りと大誠実ありて、人は動く。友が奮い立つ。
深き誓願で同志と結ばれれば、何倍もの力が出る。そこから新たな歴史が始まる。
戸田先生は語られた。
「広宣流布は長い。一生の戦いである。いな、永遠の戦いである。たとえ苦闘の嵐があっても、君たちよ、断じて負けるな!」
広宣流布の大願があるゆえに、我らは断じて負けない。
我らの生命には、偉大なる勇気と希望の太陽がある。この太陽を、共々に励まし合い、限りなく輝き光らせていくのだ。

信心こそ勝利である。信心こそ栄光である。信心こそ永遠の凱歌である。
日蓮大聖人は、病と闘う弟子に「一日の命は三千界の財にもすぎて候なり」『而して法華経にあわせ給いぬ一日もいきてをはせば功徳つもるべし』(P986)と信仰の真髄を教えておられる。
何があろうと、恐れることはない。いざという時こそ、もう一歩、強盛なる執念で、題目を唱え抜いていくことだ。
大事なのは、勇猛精進の祈りだ。師子奮迅の戦いだ。異体同心の前進である。
君よ、貴女よ、わが青春を、悔いなき勝利の劇で飾れ!勝って勝って勝ち抜いて飾れ!

2014年6月17日火曜日

2014.06.17 わが友に贈る

若き友の成長こそ
未来の希望なり!
壮年部と婦人部の
祈りと励ましで
人材の流れを大河に!

新池殿御消息 P1437
『諸経は随他意なり仏一切衆生の心に随ひ給ふ故に、法華経は随自意なり一切衆生を仏の心に随へたり、諸経は仏説なれども是を信ずれば衆生の心にて永く仏にならず、法華経は仏説なり仏智なり一字一点も是を深く信ずれば我が身即仏となる』

◇希望の明日へ
核兵器やそのシステムが、人間の手で作り上げられたものであるかぎり、人間の手によって、それを縮小し廃絶することができないはずはない。もし手をこまねいているとすれば、創価学会は後世から、夢を迫ってばかりいた"無気力者″との汚名を着せられてしまうであろう。それどころか、その後世の存在すら危うくしかねないのが、現在の核兵器による"全体的破滅″の脅威である。
昭60・1・26

☆光の言葉 幸福の曲 意気に燃えてこそ「壮年」
壮年の「壮」の字には、
「勢いが盛ん」
「意気に燃えている」
等の意味があり、
ほかにも「元気づける」
という意がある。
自分だけでなく、
周囲を励ます力を持つのが、
「壮年」とはいえまいか。

青年にあれこれ言うのではなく、
率先して模範の姿を示していこう。
大事なのは「今」である。
壮年が立ち上がるのだ。

仏法は勝負だ。
断じて勝たねばならない。
その偉大な父の背に、
青年が陸続と続くのだ。

人間同士の交流が希薄な現代だ。
だからこそ今は、
いぶし銀のように
"黙して語らず"よりも、
気さくな「おじさん」の
励ましの一言の方が、
金の光を放つ。
壮年は皆、
それぞれ風雪に鍛えられた
顔を持っている。
だが、そこに醸し出される威厳と
"威張る"ことは違う。
気難しくなったり
気取ったりせず、
周囲に心を配り、声を掛け、
何か手を差し伸べていくことだ。

ご主人が朗らかで、
毎日愉快な気持ちであれば、
家族も楽しく安心する。
笑顔と思いやりの一言があれば、
奥様の方でも態度は変わる。
お互いに、
温かな笑顔で朗らかに、
毎日を生きていただきたい。

カーネーションが彩る「母の日」に比べると地味であるが、今日6月15日は「父の日」である。
全国で今、婦人部の希望総会が真っ盛り、だが、多忙な中でも、わずかの時間でいい。社会と地域で踏ん張る壮年陣に、家族と同志から、ねぎらいの言葉を掛けたい。

2014年6月16日月曜日

2014.06.16 わが友に贈る

◇今週のことば
勇者は最前線に光る。
リーダー率先こそ
広布拡大の鉄則だ。
今日も誉れの同志と
尊き使命の現場を走れ!
2014年06月16日

阿仏房御書 P1304
『多宝如来の宝塔を供養し給うかとおもへばさにては候はず我が身を供養し給う我が身又三身即一の本覚の如来なり、かく信じ給いて南無妙法蓮華経と唱え給へ、ここさながら宝塔の住処なり』

◇希望の明日へ
大聖人の仏法は「立正安国」の大法である。妙法を唱える人が増えれば、その国、その社会は、根本的に、繁栄へのリズムに乗っていく。これほどの永遠的な民衆への貢献はない。
平6・4・16

☆わが町わが誇り 千葉 松戸総県 宝の人生を共に生き抜け
東京の葛飾・柴又から、江戸川を越えると千葉・松戸の矢切。「矢切の渡し」の船が、今も往来している。
松戸広布の草創期、学会の同志も、弘教や訪問激励に、この渡し船を利用したという。
松戸市は、人口48万の千葉県第3の都市。柏市などと、県北西部に一大都市圏を形成している。
ある地域の第2、第3の規模の組織を、強い「心臓部」「電源地」に育て、中心地を刺激することによって、地域全体の広布の勢いを増していく——これが池田名誉会長の"将軍学"の一つ。
神奈川であれば川崎、大阪であれば堺、兵庫であれば尼崎である。
千葉において、名誉会長が「心臓部」と呼んだのが松戸総県であった。
「松戸、市川、柏は千葉の心臓部、大きく言うならば日本の心臓部ともなっていただきたい」
1982年(昭和57年)6月9日、松戸会館を訪れ、3圏合同の勤行会で励ました。これが、松戸の永遠の指針となった。
市川市内の功労者宅を訪れた後、同日午後、松戸初訪問を果たした名誉会長。
勤行会だけでなく、その前後にも、3圏の中心者と懇談し、功労者や運営役員らを激励する手を休めることはなかった。
当日、男子部の役員として参加した木下茂太郎さん(副総県長)。
激励を終え、玄関に向かう名誉会長に駆け寄り、「ありがとうございました!」。感謝を伝えたいという、いちずな思いからの行動だった。
名誉会長は「優しくね」といって、手を差し出した。
「"優しく握手しよう"という意味だと思いました。お疲れのはずなのに、一青年のぶしつけな行動に、真心で応えてくださった。先生の手の温もり、やわらかさは忘れられません」と木下さん。
自宅は、同会館と目と鼻の先にあり、「近隣を大切に」との思いは、人一倍強い。
父の代から町会で活動し、現在は副会長。「友好を重ねてきたからでしょう。今では『夜に会館の明かりを見るとホッとする』といってくれる人もいるんです」と喜ぶ。
同じく役員として参加した熊谷敬さん(副第3総千葉長)。
長年、中華料理店や、企業の社員食堂を営んできた経験などを生かし、仕事を退いた今は、地域の行事で、豚汁作りや出店の調理を買って出る。
学会においては圏長、県長等を歴任。名誉会長から数々の激励を受けてきた感謝は尽きない。
地域の友人、同志の垣根なく、一人一人を訪ねて、声を掛け、励ます日々。「地域のため、できることは、やらせてもらおうと思っています!」
さらに、千種恵美子さん(婦人部主事)、高山安雄さん(県主事)、斎藤輝子さん(県婦人部主事)ら、当時参加した友が、今も元気で広布の最前線へ。
「長寿であってください。妙法とともに、広布とともに、学会と共に生き抜いてください」
——あの日の励ましを胸に、訪問激励、地域友好に歩いている。
「青年の鍛錬が必要です」。これも21世紀を展望しつつ、松戸で示された指針の一つだった。
総県青年部では今、第3総千葉の創価青年大会(7月)へ向けて、拡大の勢いが増している。
大会で、ダンスに出演する岡田卓也さん(地区副リーダー)は入会して6年。両親と共に梨園を営む。
松戸は「20世紀梨」が生まれた地で、梨にちなんだ地名も多い。岡田さんの所属する支部も「梨香台支部」だ。
東京で一度は就職したが、岡田さんで6代目になる家業を継ぐと決め、3年前に松戸に戻った。
後継者不足で、廃業する梨園も多い中、直売の常連客を大切にしながら、新しい栽培技術の習得にも意欲的。今年から農協青年部や消防団の活動を始めた。
売り上げを大きく伸ばした昨年には、弘教も達成。「自分が、松戸の梨の伝統を受け継いでいきたい」と意気込む。

君もまた
 私も三世の
  同志かな
 共に宝の
  人生生きなむ

名誉会長が、松戸の友に贈った励ましの歌であ。老いも若きも、師と共に、松戸広布新時代へ——友は今、6・9の「松戸の日」記念月間を喜び進んでいる。

2014.06.15 わが友に贈る

創価家族を守り
支える壮年部の皆様
いつもありがとう!
人知れぬ労苦と奮闘を
諸天・諸仏も賛嘆!

種種御振舞御 P911
『さりし程に念仏者持斎真言師等自身の智は及ばず訴状も叶わざれば上郎尼ごぜんたちにとりつきて種種にかまへ申す』

◇希望の明日へ
弱き善は、つねに、強き悪に敗れてきた。残酷なようだが、これが歴史の実相である。この宿命を転換してこそ恒久的な平和がある。そのためには"強き善″"悪とは徹底して戦い、勝つ善″の勢力と連帯を広げていく以外にない。
平4・4・10

☆サッカーワールドカップ開幕へのメッセージ
貴・ブラジル連邦共和国で、64年ぶりに行われる待望のFIFAワールドカップの開幕に際し、ジルマ・ルセフ大統領はじめブラジル国民の皆様方、そしてサッカーを共にこよなく愛する全世界の皆様方へ、心からの祝福とエールを送らせていただきます。
「ブラジルの心」と「サッカーの心」は、幾重にも強く美しく響き合っております。
これは、1958年(昭和33年)にブラジルがスウェーデン大会で初優勝を果たした2年後に、憧れの貴国を初訪問して以来の私のいつわらざる実感であります。
その意味において、今回の歴史的なブラジル大会から、21世紀の世界へ赫々たる希望の光が広がりゆくことを、私は深く確信してやみません。
その希望の光の第一は、地球を結ぶ開かれた友情の力です。
貴国の文豪ジョゼ・リンス・ド・ヘゴは、「サッカーは、カーニバルのように友情を結ぶ力である」と語りました。
あらゆる民族や人種や宗教の差異を超えて、人間と人間を結び合い、心と心を高め合う——この一点において、「人種デモクラシーの大国」ブラジルの文化と、サッカーの文化は、共に何と力強い「平和の文化」の模範を、人類に示してくれていることでしょうか。
いまだ分断に苦しむ国際社会を照らす、かけがえのない平和と共生への希望の光が、ここにあります。
第二の希望の光は、人間の尊厳を謳い上げる信念の絆です。
本年3月、貴・ブラジルの代表チームは、南アフリカとの親善試合に、故ネルソン・マンデラ元大統領へ哀悼を捧げる腕章をつけて臨まれました。
その光景に、私は元大統領と出会いを重ねた一人として、熱い感動を禁じ得ませんでした。
思えば、マンデラ元大統領が、反アパルトヘイト(人種隔離)の獄中闘争を貫き通された、あの過酷なロベン島の刑務所にあっても、サッカーは「魂の自由と解放」、そして「人間の尊厳」の象徴としてプレーされ、それはやがて「虹の国」建設の大いなる力ともなっていきました。
貴国そして世界のサッカー・ファミリーは、断固たる信念の絆でいかなる差別や暴力にも屈することなく、人間の尊厳を誇り高く守り抜いておられます。私も最大の敬意を込めて、連帯の心を表したいのであります。
そして、第三の希望の光は、試練に怯まず未来のゴールへ挑みゆく勇気です。
サッカーは、どんな逆境も恐れず、最後まで諦めず、皆で力を合わせて、勝利へ挑戦し抜く勇気に満ちあふれております。
そして、その最高峰の祭典であるワールドカップそれ自体も、幾多の困難を勇敢に忍耐強く勝ち越えて、地球家族を一つに結合し、人類の生命を躍動させゆく大事業でありましょう。
ここで繰り広げられる熱戦の一つ一つが、未来を担う全世界の若人の心へ、限りない勇気と夢を贈る宝なのであります。
さあ、友情の心に満ちたブラジルの天地で、世界の人々が待ちに待った感動のドラマが、いよいよ始まります。
希望の大国ブラジルで開催される、このたびの希望の祭典が、人類の連帯を深め、平和という地球文明の栄光のゴールへ新たな前進を開始しゆく出発となることを、心よりお祈り申し上げ、私のメッセージとさせていただきます。
パラベンス、ブラジル!(ブラジルの皆さん、おめでとう!)
アバンチ、ブラジル!(ブラジル、前進を!)
フィールドにボールが転がると、全世界を魅了する祭典が始まる!

2014.06.14 わが友に贈る

弘教・拡大への
勇気の挑戦を
互いに讃え合おう!
そこに歓喜と新たな
前進の波動が広がる!

富木殿御書 P969
『夫れ賢人は安きに居て危きを歎き佞人は危きに居て安きを歎く』

◇希望の明日へ
いずこの国にあっても、もっとも弱い人がもっとも悲惨な目にあうのが戦争である。ゆえに絶対、平和主義でいかねばならない。
平3・6・1

☆高等部結成50周年記念大会へのメッセージ
「世界広布新時代」の先頭をさっそうと進みゆく「正義の走者」の皆さん!
栄光輝く高等部結成50周年の集い、誠におめでとう!
日蓮大聖人は、若き南条時光の成長を深く喜ばれ、『青は藍より出でて藍より青く、氷は水より出でて水より冷たい』(P1554、通解、「上野殿御返事」)と仰せになられました。
すなわち後継の弟子は、父母よりも、師匠よりも、さらに立派に成長していくのだという『従藍而青』の原理です。
私が、恩師・戸田城聖先生の後を継いで第三代会長に就任して最初に結成したのは、他でもない、誉れ高き高等部です。私は、わが高等部の『従藍而青』の成長こそを何よりの楽しみとし、張り合いとして、いかなる迫害にも耐え抜き、世界広宣流布の道を切り開いてきました。高等部こそが、私の最大の誇りであり、未来の無限の希望なのであります。
高等部が誕生した1964年(昭和39年)、アメリカでは人権の闘士キング博士や人道の母パークスさんたちの長き信念の戦いが実り、人種差別を撤廃する「公民権法」という法律が勝ち取られました。この運動が勝利した大きな原動力はどこにあったか。
私はキング博士の盟友である歴史学者のハーディング博士と語り合いました。
それは、青年の歌の力です。「ウィ・シャル・オーバーカム(私たちは必ず勝利する)」と歌い上げた青年たちが、苦難にも負けず、人間の自由と平等の夢をかなえていったのです。
そして、今この時、世界の友とスクラムを組んで「正義の走者」の歌を高らかに歌いゆく皆さんが、必ずや広宣流布という人類の幸福と永遠の平和の壮大なる夢を実現してくれることを、私は大確信しております。
わが不二の愛弟子である君たち、貴女(あなた)たちよ! 次の新たな50年を断じて頼みます。何があっても、題目の師子吼を忘れず、強く朗らかに、学び、鍛え、負けじ魂で、前へ前へ、走り抜いていってください。
大切な大切な皆さんの使命の力走を祈ります。勝利を待っています。
高等部、万歳!
明るく、勉学第一、健康第一、親孝行第一であれ!

2014年6月13日金曜日

2014.06.13 わが友に贈る

未来部員と一緒に
会合へ参加を!
共に感動し
共に学ぶなかに
信心の継承がある。

南条兵衛七郎殿御書 P1494
『たとへば朝につかふる人の十年二十年の奉公あれども君の敵をしりながら奏もせず私にもあだまずば奉公皆うせて還つてとがに行はれんが如し』

◇希望の明日へ
今こそ真の平和へと立ち、行動すべきときである。たしかに、平和への兆候はある。しかし、戦争がないことがイコール平和ではない。平和の内実は、あえていえば人権の実現であろう。その意味では、まだまだ平和にはほど遠い。いわんや深刻な環境汚染があり、また次の局部的戦争への危険が消えたわけではない。ゆえに平和への行動をしないのは、自分たちの未来に対する無責任に通じてしまう。平和を勝ち取る努力、育てる努力の放棄は、自身の人間性の放棄にも等しい。
平3・4・15

2014年6月12日木曜日

2014.06.12 わが友に贈る

一人が信心に立てば
家族も幸福の道に。
君よ一家を照らす
希望の太陽たれ!
和楽の柱と光れ!

椎地四郎殿御書 P1448
『此の経を一文一句なりとも聴聞して神(たましい)にそめん人は生死の大海を渡るべき船なるべし』

◇希望の明日へ
民衆の魂の声こそが平和への根源の力である。生きた大波であり、怒涛である。
平2・10・24

☆世界広布新時代第6回本部幹部会へのメッセージ
明るい明るい、希望輝く創価女性大会、誠に誠におめでとうございます!
母たち、女性たちの幸福を、何より願われた日蓮大聖人も、釈尊も、さらに牧口・戸田両先生も、どれほど喜んでおられることでしょうか。
崇高なる「求道」の心で勇み集われた、世界21カ国・地域のリーダーの皆さん方、はるばると、本当にようこそ、お越しくださいました。
アメリカの皆さん、アルゼンチンの皆さん、欧州各国の皆さん、台湾の皆さん、南アジア婦人部の皆さん、そして韓国の皆さん、本当に本当にご苦労さまでございます。
婦人部と女子部を中心として、世界の創価家族の楽しく賑やかな集いとなり、私も妻も、こんな嬉しいことはありません。
はじめに、本日のお祝いの和歌を贈らせていただきます。
まず一首──

陰徳の
 母は断固と
  勝ちにけり
 女性の世紀に
  陽報いやまし

次に──

凜として
 華陽の青春
  幸光り
 世界の空へ
  希望の虹を

きょうは、皆さんと一緒に、あらためて深く拝読したい御聖訓があります。
それは、日蓮大聖人が「日女御前」、いうなれば"太陽の女性"と讃えられた女性門下への一節です。創価の"太陽の女性"たちへの御金言と、私は拝してきました。
すなわち、『此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、是を九識心王真如の都とは申すなり』(P1244、「日女御前御返事」)と。
「御本尊」つまり根本として尊敬すべき当体は、自分自身を離れて、どこか特別な場所にあるのではない。
妙法を信受して題目を唱え、広宣流布に励みゆく、ありのままの私たちの「胸中の肉団」に、おわします。
これこそ、最も清らかで何ものにも汚されず、最も尊貴で何ものにも壊されない「元初の心の都」なのです。
これまでの「人間観」「宗教観」を根底から革命する究極の生命尊厳の大哲理を、大聖人は、かくも明快に女性に示してくださいました。
そして、『此の御本尊も只信心の二字にをさまれり』(P同)と仰せであります。
「信心の二字」に生き抜く一人の女性の胸中から、無量の宝の光は放たれ、末法の闇を晴らします。
まさしく、わが学会の婦人部・女子部の皆さん方の強く正しく美しき「信心」があればこそ、御本尊の功徳力は、あますところなく現れて、今、一閻浮提を包んでいるのです。

私と妻の忘れ得ぬ宝友である南米の広布の母は、夫の工場の倒産や家庭不和、命に及ぶ大病の中、妙法に巡りあい、一つ一つ変毒為薬し、宿命転換していきました。
一人また一人と信心の大歓喜を語り伝え、個人で750世帯、ご一家で1000世帯を超える折伏を成し遂げて、悲しみの涙を幸せの涙に転じゆく今世の人間革命の劇を見事に飾られたのです。
この母は語られていました。
「人には御本尊と同じ生命があります。時間がたてば求める時が必ず来る。だから大切なのは妙法の種をまくこと。そして友人であり続けることです」「幸せになるために、一番必要なのは勇気です」と。
「現代の奇跡」と讃嘆される世界広宣流布の伸展。これこそ、まぎれもなく、日蓮大聖人に直結する創価の女性の「信心の勝利なり」「勇気の勝利なり」と、ここに晴れ晴れと大宣言したいと思いますが、皆さん、いかがでしょうか。
「人間不在」また「女性不在」さらに「生命不在」の宗教やイデオロギーに裏切られ続けてきた人類は、信ずるに足る真の希望の哲学を渇仰しています。
私たちは、伸びゆく青年と共に、いよいよ生き生きと、大仏法を求め、学び、声を惜しまず語り抜きながら、一人でも多くの友の心に「生命歓喜の都」を、「幸福勝利の都」を、そして「永遠平和の都」を開き、輝かせていこうではありませんか!

私も、おかげさまで、ますます元気に、全世界の同志と、日々、心の語らいを進める思いで、執筆を重ねております。
小説『新・人間革命』も、今の「激闘」の章に続いて、まもなく、新たな章に入ります。
章のタイトルは「求道」。1978年(昭和53年)5月、東北の宮城・福島訪問、さらに6月の北海道訪問の黄金の歴史を綴っていきます。
けなげな婦人部・女子部の尊き「求道」の心を鑑(かがみ)として、我ら創価家族は、どこまでも仲良く朗らかに、世界広布の誓いの旅を勝ち進みましょう!
終わりに──

太陽の
 生命なれば
  恐れなし
 平和のスクラム
  地球を照らせや

と贈ります。
偉大なる創価女性学会、万歳! 全同志に健康と福徳よ、咲き薫れ! と申し上げて、私と妻のメッセージとさせていただきます。

2014年6月11日水曜日

2014.06.11 わが友に贈る

偉大なる「志」が
偉大なる人生を創る。
同じ一生ならば
広布の大願に生きよ!
悔いなき歴史を刻め!

呵責謗法滅罪抄 P1132
『何なる世の乱れにも各各をば法華経十羅刹助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり』

◇希望の明日へ
隣国と深い友好をもたないことは、足元に大地がないようなものである。それでは空中を歩くようなもので、永久の友好、平和は望めない。そこで大事なのは行動である。観念のうえで平和を論ずる人は多い。しかし、平和を論ずるなら、行動しなくてはならない。困難があっても、どのように、友好と平和をもたらすか。困難を克服するために努力することが人間にとっての根本条件である。
平2・7・31

2014年6月10日火曜日

2014.06.10 わが友に贈る

励ましの要諦は
「話す」より「聴く」。
まず「理解する」。
前進への勇気と力は
温かな共感から!

種種御振舞御書 P917
『今の世間を見るに人をよくなすものはかたうどよりも強敵が人をばよくなしけるなり』

◇希望の明日へ
平和の根本は人間である。人間同士の信頼である。そして、確かな信頼関係を築くには、互いに、一個の人間として、人格としての、相手への尊敬がなければならない。権威や駆け引きだけでは、信頼を生むことは不可能である。そんな簡単なものではない。簡単に考えているのは、社会を、世界を知らないからである。ゆえに、人間としての裸の自分を立派に建設していくことが、平和の基本となっていく。
平2・7・14

☆随筆 民衆凱歌の大行進No.6 希望の太陽・婦人部万歳!
母たちの
 心の種から
  幸 爛漫

6月10日の「婦人部の日」を記念し、今、地域に開かれた「希望総会」が、日本列島の各地で楽しく、にぎやかに行われている。
折から、二十四節気の「芒種」の季節を迎えた。「芒種」とは"穀物の種を蒔く"意味である。
幸福の種、希望の種、平和の種を、一人でも多くの友に蒔いていこうと、朗らかに対話する婦人部の月にふさわしい。
6・4「世界池田華陽会の日」を爽やかに迎えた女子部と合同の記念月間も、本当におめでとう!
「あなたが、自分自身と未来に対し、希望をいだき続けるならば、きっと、世界をもっと住みやすい場所にすることができるはずです」とは、私たちが敬愛するアメリカの「公民権運動の母」ローザ・パークスさんの信念の言葉である。
その通りに、いかなる試練にあっても、希望の光を自身の胸中から放ちながら、家庭を、地域を、社会を、未来を明るく照らしているのが、わが創価の女性たちである。

わが師・戸田城聖先生は、よく言われた。
「二人でも三人でもいれば、御本尊の話、学会の話をして、みな、感激に満ちて帰っていく。そこから、いまの組織が発祥し、できあがっていったのである」
広宣流布は、少人数の小さな集いから始まる。婦人部の「希望総会」こそ世界広布新時代の最重要の最前線なのである。
皆、それぞれに人知れぬ悩みとの戦いがある。
日蓮大聖人は、『松栄れば柏悦ぶ 芝かるれば蘭なく 情無き草木すら友の喜び友の歎き一つなり』(P934、「光日上人御返事」)と仰せになられた。
友の喜びを我が喜びとし、友の歎きを我が歎きとする──共に泣き、共に笑う、最も麗しく、最も強き生命の共生の絆こそ、信心の世界であり、創価の集いである。ここにこそ、苦悩を希望へ転換しゆく、生命の安全地帯があるのだ。
いかに小さな単位であれ、一つの会合を開くには、多大な労苦を要する。
けれども、希望を胸に灯して、帰路に就く友の笑顔こそ、何よりの報いであり、誇りであろう。友の幸せを強盛に祈り、智慧を出し、心を尽くして、誠実に動いた功徳は計り知れない。

『一切衆生・南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり』(P1143、「四条金吾殿御返事」)
これが御本仏の御断言であられる。
題目は、究極の希望だ。題目を唱え、弘めゆく、創価の女性の生命こそ、希望の当体なのである。
女子部時代に関西の白樺グループ(看護者の集い)で戦い、今はアメリカで夫と共に社会貢献の日々を送る女性から、貴重な発心の原点を伺った。
それは、人生の大きな壁に直面し、信心の確信も揺らいでいた時のことであったという。
ある夜、看護師として病室を巡っていた際、一人の重篤な老婦人が呂律の回らない口で、一生懸命、語りかけてきた。「しんじん」「なんみょうほうれんげきょう」……。
「えっ?」。驚いて聞き返すと、「うちはこんな体になってしもうたから、私の代わりにあんたに南無妙法蓮華経あげてほしいねん」と言うのである。
老婦人は多くの病気を併発し、認知症も患われていた。だが不思議にも、学会員と告げたこともないのに、彼女に"題目を"と語ったのだ。まるで彼女の悩みを鋭く感じ取ったかのように──。この老いたる庶民の母との約束が彼女の蘇生への力となった。
「御義口伝」には、たとえ一句でも妙法に結縁すれば、その功徳は億劫にも失われることはない。仏の生命という最極の宝珠を研き顕していくことができる、と説かれる(P793、趣意)。
誰人も避け得ぬ病や老いの現実にあっても、自他共に必ず生命の宝珠を輝かせていける。これが、妙法に巡りあえた宿福深厚の人生である。
『生も歓喜、死も歓喜』という永遠の希望の力が、自行化他の題目を行ずる創価の信心にはあるのだ。
本年9月に発足40周年を刻む「ヤング・ミセス」の健気な奮闘も、妻がいつも嬉しそうに伝えてくれる。
皆、日々、家計のやりくり、家族の世話、子育て、地域友好など、目の回るような忙しい毎日であろう。しかし、それはまた、家族を、眷属を幸福の軌道へと導く、強く賢き女性に成長していく修行でもあるのだ。
6月6日は牧口常三郎先生のお誕生日である。
思えば、先生が獄中で最も頼りにされたのが、幼子を抱えた若きお嫁さんであった。先生は手紙の中で、常に孫のことを気遣われるとともに、何度も「留守を頼む」「身体を大切に」、そして「信仰が第一です」と励まし続けられたのである。
ともあれ、名作『赤毛のアン』で有名な作家モンゴメリーは訴えている。
「困難を笑いの種にし、それを乗りこえよ」
信心で乗り越えられない苦難など、断じてない。困難が大きいほど深い信心に立ち、"先駆の太陽"として、常に笑顔で皆を照らしゆくヤング・ミセスに贈りたい言葉だ。
未入会の家族を抱えた人もいる。だが、焦る必要はまったくない。幸福になるための信仰である。
灯台が一つあれば、皆を正しく導いていける。ゆえに互いを尊重し、理解し、大きな心で包み込んでいくのだ。明るく、聡明に、仲の良い、笑顔輝く和楽の家庭をつくるために、忍耐強く努力していくことだ。

私が東北の友と心肝に染めてきた御金言に、『大悪は大善の来るべき瑞相なり』(P1467、「減劫御書」)とある。
苦難の烈風の中でこそ、金剛不壊の「心の財」は、厳然と輝き現れる。
私がよく知る仙台市の母も、宿命に挑む2人の息子に、「幸せは自分で開け!」と教えてきた。
進行性の筋ジストロフィーという難病と闘う息子たちである。人生を暗く覆い尽くすような絶望の中で、一歩も退かず、親子は懸命に祈った。
頻繁に吐き気に襲われ、背中を丸めて苦悶する我が子……。その背を、母は小さな手で夜通しさすった。ただただ祈りを込めてさすり続けた。
母の祈りに、息子たちも応えようと闘った。負けなかった。母の笑顔が見たい!——と、苦しみの涙を感謝の涙に変えていった。やがて息子たちは、命の種火を熱く燃え上がらせて、大いなる創造の光を発揮する。
今、兄は花の絵を描く「パソコン画家」として、弟は希望の詩を紡ぐ「五行歌人」として、堂々と活躍されている。
「幸せは自分で開け!」と言い切れる母の強さ。その奥には、そうさせてみせるという母の断固たる一念が漲っていたに違いない。
母の手の10本の指は、2人の息子の介護で全部曲がった。家族を支え、幾重にもシワを刻んだ手だ。その仏の慈悲の手を、私は、最大の尊敬の心で包んで差し上げたい。
今年は「白ゆり長」「副白ゆり長」が誕生して10年となる。それ以前は正副のブロック担当員であったが、もう何十年も「白ゆり長」と呼んできた気がするのは、私だけではないだろう。それほど、勇気凜々と、美事に活躍してこられた。
広宣流布の"第一線"のブロックが、意気揚々と戦いを起こすことほど、強いものはない。
皆様が白ゆりのように「希望」を薫らせ、地域の「太陽」として輝いていけばいくほど、創価の前途は明々と広がる。
歌人・与謝野晶子も言うように、「創造は過去と現在とを材料としながら新しい未来を発明する能力」である。
地域ごとに状況は様々であろうが、御書には『我等が居住の山谷礦野皆皆常寂光の宝処なり』(P734、「御義口伝」)と仰せだ。ゆえに誇り高く、"わがブロックに人材の黄金の城を!"と、真剣に祈り、粘り強く行動していくことだ。必ず道は開ける。
その歓喜の波動の中で、一人また一人と青年部・未来部を励まし、育てていただきたい。後継の友の成長こそ創価の未来の希望であり、新時代の夜明けであるからだ。

「太陽万歳と叫ぼう。かくも美しい光をわれわれに与えてくれるのは太陽なのだ」と、フランスの巨匠セザンヌは言った。
我らも、声高らかに叫び、讃えたい。
"地域の幸福と平和の責任者"である白ゆり長、副白ゆり長、そして総白ゆり長の皆様、万歳!
「創価の太陽」「励ましの太陽」、さらに「希望の太陽」と世界に輝き渡る婦人部、万歳、万々歳!
今日も、愉快に晴れやかに、題目第一で満々たる生命力を! 日々、楽しく勇敢に、真心の対話で和楽と安穏の門を開きゆかれることを!

白ゆりの
 清き祈りの
  希望道

2014年6月9日月曜日

2014.06.09 わが友に贈る

新聞休刊日

妙心尼御前御返事 P1480
『このやまひは仏の御はからひかそのゆへは浄名経涅槃経には病ある人仏になるべきよしとかれて候、病によりて道心はをこり候なり』

◇希望の明日へ
いつの時代でも、独裁者、権威者は怖い。学会も、戦時中に軍部から大きな弾圧をうけた。牧口初代会長は獄死、戸田第二代会長は二年間を獄中で送った。戦争に反対して投獄された人は信頼できると考え、戸田第二代会長に師事したのである。以来、仏法を基調に、戦争への力と戦いつつ、平和の道を走り続けてきているのである。
平2・4・8

☆勝利の人間学 第53回 世界に広がる華陽のスクラム
◇賢く聡明に使命の道を
女子部は「学会の宝」である。「広布の門」である。女子部員が一人いれば、周囲の皆がパッと明るくなる。希望が大きく開かれる。
女子部の皆さん方が一人も残らず、絶対に幸福になること。これが私の祈りである。
皆、自分を大事にしていただきたい。価値的に行動し、夜は帰宅が遅くならないよう、無事故で健康第一の前進をお願いします。
ともあれ、「聡明」であることが「幸福」の条件である。悪縁に振り回されることなく、賢く毅然と、尊き使命の道を歩み抜くのだ。

◇自分らしく あなたらしく
「御義口伝」には、『自身の内なる妙法を悟って、自身の宮殿に入るのである。南無妙法蓮華経と唱えていくことは、自身の宮殿に入っていくのである』(P787、通解)と仰せである。
広宣流布に生きゆく皆さん自身の心に、幸福の大宮殿が晴れ晴れと広がっている。
人と比べて落ち込む必要など全くない。心ない悪口を言われようと、一喜一憂せず、自分らしく凛として生きることだ。
「桜梅桃李」ゆえに、人は人、自分は自分である。どこまでも信心で、わが生命を磨き、あなたらしく輝きを放っていくことだ。

◇仲良きところに幸福がある
戸田先生は、女子部の友に語られた。
「鎖の輪は、一つ一つガッチリと組み合って、切れることがない。人間も同じだ。心強き一人ひとりが、固く手を結べば、広宣流布は必ず進む。人と人との輪を作りなさい」と。
一人は気ままなようで、わびしい。境涯も深まらないし、可能性も閉ざされてしまう。
人を幸福にする人が、幸福である。
人を喜ばせゆく人が、喜びに包まれる。
だからこそ、伸び伸びと心を開いて、善き友人、善き同志、善き先輩に触れ、深き友情のスクラムを築いていこう!
華陽姉妹の皆さんは、お父さん、お母さんを大切に! 友と友との仲良き人華の花園を、地域へ職場へ、社会へ世界へと、朗らかに咲き薫らせていっていただきたい。

2014年6月8日日曜日

2014.06.08 わが友に贈る

◇今週のことば
求道の心で若々しく
婦人は女子部と共に!
壮年は男子部と共に!
創価家族の励ましで
わが地域の青年勝利を!
2014年06月08日

松野殿御返事 P1381
『末世には狗犬の僧尼は恒沙の如しと仏は説かせ給いて候なり、文の意は末世の僧比丘尼は名聞名利に著し上には袈裟衣を著たれば形は僧比丘尼に似たれども内心には邪見の剣を提げて我が出入する檀那の所へ余の僧尼をよせじと無量の讒言を致す、余の僧尼を寄せずして檀那を惜まん事譬えば犬が前に人の家に至て物を得て食ふが、後に犬の来るを見ていがみほへ食合が如くなるべしと云う心なり、是くの如きの僧尼は皆皆悪道に堕すべきなり』

◇希望の明日へ
平和に関して多次元のアプローチが、絶対に必要である。人間自身が、一面的な存在ではない。当然、社会も時代も人類も、多面的であり、複雑で奥行きをもった変化を続ける。ゆえに、世界の平和への挑戦も、偏ったものであってはならない。包括的な知恵と、現実の動きに即した行動・運動が不可欠である。これが仏法の精神である。
平2・3・11

☆名誉会長と共に新時代を開く 第21回 生き生きと! 戦う人は美しい
流れている川は美しい。
戦っている心は美しい。
心の美しい人に、豊かな福徳は輝く。心を磨き、信心を深めゆく婦人部・女子部のスクラムほど神々しいものはない。
有名な御聖訓には『大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも・潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのかなはぬ事あるべからず』(P1351、「祈祷抄」)と仰せです。誓願の祈りに勝るものはありません。どんな行き詰まりも絶対に打開できるのです。

自分らしく、強く生きるのです。強く生き切った人が幸福です。皆も幸福にしていける。どんな姿であっても、人のために祈り、語り、心を尽くす。その人はすでに菩薩であり、仏です。大事なのは、信心そして行動なのです。
日寛上人は明言されました。『我等、妙法の力用に依って即蓮祖大聖人と顕るるなり』(当体義抄文段)
広宣流布の大精神で進めば、偉大な仏の生命力が湧現する。これが究極の法理です。何があっても、自身が妙法の当体なりとの大確信で、苦しみも楽しみに変え、全てを変毒為薬しながら、はつらつと、勝ち進んでください。
あの人も、この人も、明るく仲良く包み、一人一人が大功徳を山のように積んでいってください。そこに自分自身の、そして一家眷属の「幸福の門」が開かれ、広宣流布の新たな「人材の門」が広がっていくからです。
私も、皆さん方に一生懸命、題目を送り続けていきます。
どうか、お体を大切に!
人生は楽しく! 生活は生き生きと聡明に!
胸中に希望の太陽を昇らせながら、喜び光る日々であられんことを!

2014.06.07 わが友に贈る

苦難の時には
「挑戦の唱題」!
順風の時にも
「感謝の唱題」を!
たゆまぬ信心を貫け!

陰徳陽報御書 P1178
『わどのの正直の心に主の後生をたすけたてまつらむとをもう心がうじやうにしてすれんをすすればかかるりしやうにもあづからせ給うぞかし此は物のはしなり大果報は又来るべしとおぼしめせ』

◇希望の明日へ
平和のための協力は、政治、経済、文化、教育といった次元で当然、必要と思うが、その一方で、宗教が、いかに自律の人間を数多く輩出し得るか−−それは平和構築へ資するところ極めて大である。
平2・1・26

☆未来の翼〜世界が君を待っている〜 第3回 ブラジルの花
幾多の苦難を乗り越え、人のために戦い続けたアタイデ総裁は、何ものにも揺るがぬ巌のような、信念の方でした。それとともに、破顔一笑、笑顔が素敵な方でもありました。青年と語り合うことをこよなく愛した総裁の一言一言は、強き楽観主義に貫かれ、ユーモアにあふれていたのです。
アタイデ総裁は、「どんな悪状況でも、未来を信ずることだ」と常に語っていました。
あまりにも大きな困難を前にして、未来なんか信じられない、という時があるかもしれない。
しかし、絶対にあきらめてはいけない。そんな時こそ、題目を唱えて、自分で自分を励ますのです。自分にしかない使命を信じ、未来を信じ抜くのです。
その人が苦悩の暗雲を吹き払い、心に太陽を燦々と輝かせ、周囲を照らすことができる。その君たち、あなたたちの「信じる力」が、全人類の希望の光となるのです。
ブラジルの作家で、文学アカデミーの会員でもある巨匠パウロ・コエーリョは言います。
「一つだけ忘れないで欲しい。あなた方はみんな、自分で思っているよりも、ずっとすばらしいということを」
たとえ、君たちが自分自身を信じられなくとも、私は君たちを信じています。皆さんには、お父さん、お母さん、そして創価家族の同志が、ついています。だから、あせらず、堂々と、悩みを笑い飛ばしながら、進んでいこう!

私がブラジルを初めて訪れたのは1960年10月。初の海外への平和旅の折でした。2回目は、66年。74年にも訪れようとしましたが、当時、ブラジルは軍事政権下であったため、入国のビザ(査証)が発給されず、断念せざるをえませんでした。
ブラジルSGIの草創の友は、事実無根の誹謗や中傷の嵐の中、歯を食いしばり、社会に貢献し、一人また一人、信頼と幸福の連帯を広げてきました。
「ムイト・マイス・ダイモク!(もっと題目を!)」を合言葉に、日本の約23倍という大地のすみずみにまで、妙法という平和と幸福の種子を蒔いていきました。
84年、ついに18年ぶりの訪問が実現しました。「ブラジル大文化祭」の会場で轟いた、「ピケ! ピケ!」との2万人の王者の勝ちどきは、今も私の耳の奥から離れることはありません。
私は、「戸田城聖先生とともに」との思いで、毎回、この国を訪れました。4度目の訪問は、93年2月から3月にかけてです。
戸田先生の生誕目にあたる2月11日には、リオの地で、小説『人間革命』の全12巻完結の「あとがき」を次のように記しました。
「私のなすべきことは、恩師に代わって、『世界の平和』と『人類の幸福』のために戦い、生き抜き、この世の使命を果たしゆくことと思っている。それが、弟子としての報恩の道であり、先生が開き示された人間革命の道であるからだ」
師弟の誓願に生き抜く時、いかなる烈風も恐れずに、朗らかに前進する勇気が、心の底から湧き上がってきます。
その精神を今、王者ブラジルの若き友が受け継いでくれていることを、私は何よりもうれしく思います。
ブラジルのベリッシモという作家は、「世界は広い。僕たちが見るべき、やるべき価値のあるものが世界には、溢れ返っているんだよ」と呼びかけました。
その通りです。
皆さんは、心広々と世界から学びに学び、語学の力も楽しく身につけていってください。そして、ブラジルをはじめ、世界に友情の花を咲かせ、平和のスクラムを広げていただきたいのです。
この地球という星を、真実の友人が、たくさんいる、皆さんの「ふるさと」として!

2014.06.06 わが友に贈る

大雨、土砂崩れ、
突風等の自然災害に
厳重警戒せよ!
配達員の皆様はじめ
全同志の無事故を祈る!

転重軽受法門 P1000
『修利槃特と申すは兄弟二人なり、一人もありしかばすりはんどくと申すなり、各各三人は又かくのごとし一人も来らせ給へば三人と存じ候なり』

◇希望の明日へ
平和運動は、これまで、ともすると、"一部の人々のもの"と、見られがちであった。しかし、平和といっても、決して日常を離れたところにあるものではない。現実の生活のなかに、また一人一人の生命と人生に、どう根本的な平和の種子を植え、育てていくか。ここに、永続的な平和への堅実な前進があり、創価学会の活動の眼目がある。
平1・10・24

☆未来の翼〜世界が君を待っている〜 第3回 ブラジルの花
日蓮大聖人の御名前には、「日」という太陽と「蓮」という蓮華の花が入っています。
太陽は最も明るい存在であり、蓮華は最も清らかな存在です。
この日蓮仏法の真髄である題目を唱えていくならば、わが生命を太陽のように明るく輝かせ、蓮華のように清らかに咲き誇らせていけるのです。
皆さんは「勝つため」に生まれてきました。唱題は、どんなに苦しいことがあっでも、今日という日を生き抜き、勝ち切っていく原動力です。
私は、試練と戦うブラジルの友と語り合いました。
「自分が強くなる以外にない。自分が大木になれば、どんな大風も平気である。むしろ楽しんでいける」
「目には見えないが、木は毎日、生長している。私どもの唱題も、目には見えないが毎日、自分自身を福運の大木へと育てている」と。
題目は『歓喜の中の大歓喜』(P788、「御義口伝」)です。その歓喜が、自身の生命を、大きく、また太く立派な大樹に成長させていくのです。その伸びゆく命には、あきらめや敗北はありません。どこまでも朗らかに、明るく悠々と、人生を勝ち進んでいける。
朗らかな人が、最後に勝利する人なのです。
私が敬愛してやまぬ大先輩に、ブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁がいます。新聞記者として正義のペンを振るい、独裁政権から投獄・国外追放される迫害にも屈しなかった言論の闘士です。
さらに、「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である」と謳った国連の「世界人権宣言」の起草にもブラジル代表として尽力し、世界から仰がれた生命尊厳の賢者でした。
総裁とお会いしたのは1993年2月、リオデジャネイロでのことでした。94歳というご高齢にもかかわらず、わざわざ私を空港まで迎えにきてくださいました。
出会った瞬間、「力を合わせて、人類の歴史を変えていきましょう!」と語り合ったことが、今でも鮮やかに蘇ります。
総裁は、親孝行の人生を歩んでこられた人です。
「人権」といっても、「人間」を大切にすることから始まります。その出発は親孝行なのです。
総裁は振り返られていました。
「母は陽気で笑いを絶やさない人でした」「母をたくましくしたのは、12人の子どもたちをはじめ、その倍以上の数の孫や、見知らぬ他人の子どもたちを育て、生きる喜びを与えることを、自分の最大の喜びとし続けてきたからだと思う」と。
地域の人たちに尽くし、幸福の花束を贈る、皆さんのお母さん方と二重写しに思えてなりません。
生きる喜びを与えることを、自分の喜びにしていける人は幸福です。その人には、本当の朗らかさ、明るさ、そして強さがあります。

2014.06.05 わが友に贈る

目標への真剣さは
祈りの姿勢に表れる。
きょうも朗々たる
誓願の題目で
諸天を揺り動かせ!

生死一大事血脈抄 P1337
『金は大火にも焼けず大水にも漂わず朽ちず鉄は水火共に堪えず賢人は金の如く愚人は鉄の如し貴辺豈真金に非ずや法華経の金を持つ故か』

◇希望の明日へ
仏法では十界といって、どんな人間の生命にも十通りの生命境界があることを説いている。戦争に巻き込まれた人間の生命状態は、このうちもっとも低い 「地獄界」「餓鬼界」「畜生界」「修羅界」の三悪道・四悪趣に覆われたもので、本能と欲望に、支配されるままの状態といえる。そうした状態の、人間の思慮や行動は、愚かで野蛮なものを免れないのは道理である。ゆえに、仏法の視点からいえば、個々の人間の"心の中に平和"をいかに築き上げるか、それこそが世界の平和建設への源泉となるのである。仏法の思想こそ"心の救済″すなわち"心の平和″の構築という、真の平和主義の哲理だと考えている。
平1・10・11

☆未来の翼〜世界が君を待っている〜 第3回 ブラジルの花
「真実の友人がいれば、そこがふるさとである」
これは、私の大切な友で、ブラジルを代表する音楽家のビエイラさんと分かち合う信条です。
ですから私には、「真実の友人」がいる日本中、世界中に「ふるさと」があると思っています。
中でも、底抜けに朗らかな友人たちがいるブラジルは、大好きな大好きな「ふるさと」なのです。

青空には、真白き大雲が悠然とほほ笑み、緑の大地は、どこまでも雄大に広がっていました。花も木々も、そよ風と語らい、鳥も蝶も、喜び舞っていました。
1993年2月、私はブラジルSGI自然文化センターを訪れました。ブラジル最大の都市サンパウロ近郊でも、とりわけ景観が美しいといわれる森林地帯です。
センター内には、蓮華やヒマワリ、コスモスなど20種類以上の色とりどりの花々が咲き香っていました。メンバーの真心の作業で育てられたものです。
環境と人間の調和を目指して。ブラジルSGIが研究拠点を設置しているアマゾンの珍魚や、大西洋、カリブ海の30数種の魚も泳いでいました。
私は時間を見つけては、青年たちと、この花と緑の楽園を散策し、語り合いました。
まばゆいばかりの陽光に包まれ、ひときわ鮮やかに輝く一角がありました。紫とピンク色の花が美しいクワレズメイラの庭です。
クワレズメイラは、ノボタン(野牡丹)科の花樹で、南米原産とされています。サンパウロの街を歩くと、あちこちに植えられていて、緑の葉の間から天に向かって、生命を爆発させるかのように開花します。
英語では「紫の栄光の木」ともいわれる、この花の如く、わがブラジルの友は、幾多の嵐にも負けず、強く明るく晴れ晴れと、栄光の人生を歩んできました。

誰が見ていようといまいと、花は自分らしく思い切り、生命の讃歌を謳い上げます。ゆえに、花は周りに人を呼び、皆の笑顔をほころばせてくれます。
同じように、朗らかな人は、周囲を笑顔にします。自然のうちに、快活さを伝え、挑戦の息吹を広げていくのです。
朗らかな人には、かなわない。どんな苦難も、どんな障害も──。
ブラジルには、「歌う者は、自分の不運を追い払う」という、ことわざがあります。
誰だって、つらいことや悲しいことがある。だからこそ歌を歌って、陽気に笑い飛ばしていくのだ。希望がなければ、自分でつくればよいのだ──そんなブラジルの友の心意気が感じられる言葉です。
ブラジルは、「未来の大国」といわれてきた南米最大の国です。
その広大な国土と大自然、異なる多彩な人種の融合が織りなす世界に、多くの人々が魅了されてきました。私も、ブラジルの人々の優しさと強靭な楽観主義を、こよなく愛する一人です。
間もなくサッカーのワールドカップも、ブラジルで開催されます。サッカー王国・ブラジルは、ボール一つで、どんな人とも友達になれるフレンドリーな国柄です。
また、大勢の人が仮装し、サンバのリズムに合わせて踊り、行進するリオデジャネイロのカーニバルも有名です。
1993年2月、リオの文化会館を訪れた時、ブラジルの友と共に「創価文化カーニバル」を開き、サンバの楽器を手に声援を送ったことも懐かしい。
御書には、『大悪が起これは必ず大善がくる』『あなた方は何を嘆かれることがあろうか。迦葉尊者でなくとも(喜んで)舞でも舞うべきところである。舎利弗でなくとも、立って踊るべきところである。上行菩薩が大地から涌出された時には、踊りながら出られたではないか』(P1300、通解、「大悪大善御書」)とあります。
仏法の眼から見れば、困難があるということは、必ず勝利できるという瑞相なのです。
だからこそ、大変であればあるほど、大きく変わるチャンスだと、力強く舞を舞うように喜び勇んで立ち向かっていく。これが、私たちの信心です。勇気ある信心が、最大のピンチを最大のチャンスに変えるのです。

2014年6月4日水曜日

2014.06.04 わが友に贈る

季節の変わり目。
気温の激しい変化で
体調を崩さぬよう
賢明な対処を!
健康が勝利の土台だ。

新池御書 P1439
『うれしきかな末法流布に生れあへる我等かなしきかな今度此の経を信ぜざる人人』

◇希望の明日へ
平和のためには当然、政治家同士の話し合いが重要である。しかし、同時に草の根の文化、教育交流こそ、現代にあっては良質の安全保障になるということを確認したい。民衆同士の連帯を欠いた平和の取り決めがどんなに脆いものであったかは、歴史のよく示すところである。
平1・1・26

2014年6月3日火曜日

2014.06.03 わが友に贈る

聖教の拡大は
平和と幸福の拡大。
尊き言論戦に先駆する
新聞長の皆様に感謝!
福徳の栄冠は燦然!

御義口伝巻上 P750
『末法に於て今日蓮等の類いの修行は妙法蓮華経を修行するに難来るを以て安楽と意得可きなり』

◇希望の明日へ
仏法者として、怒りや憎悪、エゴイズムによる分断の心等の殺害への衝動に、真正面から挑戦していかなくてはならない。それらをことごとく慈悲と智慧に輝く崇高な魂へと転じ、昇華していく"生命の戦い″こそ、すべての平和連動の基盤に位置づけられるべきである。
昭63・12・6

☆希望の虹〜世界の偉人を語る〜 第3回 大学の創立者福沢諭吉
みなさんは、本当に「偉い人」とは、どんな人だと思いますか?
世の中では、いまだに有名人や人気のある人、お金持ちや位のある人などが「偉い人」として注目されています。
でも、本当にそうでしょうか?
すでに、140年以上も前に、福沢諭吉という大教育者は、「偉い人」とは「学ぶ人(学問をする人)」であると宣言しました。
今回は、この福沢諭吉と語り合うような思いで、人間の「偉さ」と「学ぶ」ことの意義をいっしよに考えていきましょう!

福沢諭吉の名前を初めて聞いたという人も、その顔はどこかで見たことがあるかもしれません。今の一万円札に描かれている人物です。
日本を代表する私立大学である慶応大学を創立しました。
この慶応大学の病院は、東京の信濃町にあり、創価学会の総本部のご近所になります。
「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」
これは、日本が江戸時代から明治時代へと変わった直後に、福沢諭吉が書いた『学問のすすめ』の始まりの言葉です。この本は、当時、日本中の十人に一人が読んだともいわれ、小学校の教科書としても使われました。
なぜ、諭告はこのようなことを書き、それが、どうして、多くの人の心をつかんだのでしょうか?
それまでの江戸時代には、「士農工商」という身分制度があり、身分の上下が決められていました。生まれた時から家の階級にしばられ、差別されていたのです。
明治になって、みんなが平等に生きていく時代が始まりました。しかし、人の心はなかなか変わりません。
そのなかで、諭告は『学問のすすめ』を通して、みんなに、はげましを送っていったのです。
この本は、今まで"学問"したことのない人でも読めるよう、やさしい言葉で書かれており、多くの人が学び始めるきっかけとなりました。
どんな人でも勉強すれば偉くなって、人々の幸福のため、社会の発展のため、つくしていける。福沢諭吉は、そういう時代を願って、教育に力を注いでいったのです。

みんなに学問をすすめるくらいだから、きっと諭告は子どものころから勉強が大好きで、頭がよかったんだろうな、と思う人がいるかもしれません。
でも、じつは、諭吉少年は、勉強が大きらいだったんです。
福沢諭吉は、1835年、5人きょうだいの末っ子として、お父さんの仕事先だった大阪で生まれました。
お父さんは九州の中津藩(今の大分県)に仕える武士でした。まじめで、学問が好きで、すぐれた人でしたが、階級が低かったので地位が上がらず、家は貧しかった。そのうえ、諭告が1歳の時、お父さんが病気で亡くなり、一家は中津へ帰ることになりました。
しかし、言葉づかいなども違って、引っ越し先でのくらしになじめません。友だちができず、木登りや水泳も苦手でした。手先が器用で家の手伝いをよくしましたが、本を読むのは大きらいでした。
そんな諭吉少年にお母さんは、お父さんが亡くなる前に「勉強して立派になってほしい」と願っていたことを聞かせたこともありました。
ようやく学校に通うようになったのは14歳ごろ、今でいう中学生のころです。まわりは自分より年下の子たちばかり。しかし、諭告は、負けじ魂を燃やして、むちゅうで勉強しました。やってみるとおもしろくなり、みんながとちゅうで投げ出してしまう、15巻もある中国の歴史の本を、11回も読み返したといいます。
このねばり強さで、みんなに追いつくだけでなく、だれにも負けない力をつけていったのです。
勉強は苦手だなあ、好きな科目がないなあと思っている人も、心を決めてまず一つ、じっくり挑戦してみると、必ずわかるようになります。そうすれば、がんばることが楽しくなる。
創価教育の父である牧口常三郎先生は、よく「学は光」と語られました。みんなの「学ぼう!」という心が、のぼりゆく太陽のように光を放っていくのです。

江戸時代の日本が交流していた西洋の国は、オランダだけでした。そのため、福沢諭吉は19歳で長崎へ行ってオランダ語を学び、西洋の学問をどんどん吸収していきました。
その後、大阪の緒方洪庵という有名な学者のもと、「適塾」で猛勉強しました。そこには、日本中から最新の学問を求める青年が集まり、みんな時間をおしんで学びぬいたのです。
そうして力をつけ、23歳で江戸(現在の東京)へ出て、オランダ語の塾を開きました。
諭吉は、ある日、外国との貿易が少しずつ始まった横浜に行きました。ところが、出会った外国人に話しかけても言葉が通じない。店にかかる外国語のかんばんも読めない。
それもそのはず、見るもの聞くもの、オランダ語ではなく、英語であふれていたのです。すでに時代は変わり、今まで勉強してきたことが役に立たない。大きな大きなショツクでした。
けれども、くよくよと落ちこんでいる諭吉青年ではありませんでした。
"こんどは英語の勉強だ"——横浜から帰った翌日から、さっそく英語を学び始めたのです。
大変な時に負けない。カベにぶつかつたら、もっと力を出して乗りこえる。この勇気の心にこそ、希望の虹はかがやきます。
そうして勉強していくと、諭吉は、英語がオランダ語に似ていることに気づき、語学の力をみがきました。
「苦労して学んだことは、むだにはならない。必ず役に立つ」と、私の師匠である戸田城聖先生も言われていました。
その後、諭吉は、江戸幕府の使節団として、アメリカやヨーロッパヘ行き、進んだ文化を学びに学びました。そして、みがき、きたえた英知の力をはっきして、時代を動かしていったのです。

1868年、江戸時代が終わり、明治時代になった年のこと。新しい政府の軍隊と、反対する人たちとの間の戦いが始まりました。
この時、福沢諭吉は、自らが創立した慶応義塾(現在の慶応大学)で、経済学の授業をしていました。
ドカーン、ドドドーン!
遠くのほうで、大砲の音がひびきました。しかし諭吉は、まったく動ずることなく、授業を続けました。心には、ゆるぎない信念が燃えていました。
「ペンは剣よりも強し」
学問の力は、武器の力よりも強い。新しい時代を開く力は、断じて学問であり、教育である、と。
慶応大学の図書館のステンドグラスには、今でも、この言葉がラテン語で残されています。
勉強する人が、偉い人です。
努力する人が、勝利者です。
その人には、だれもかなわない。
みなさんのお父さんやお母さんも、創価学会という「学ぶ会」で、みんなを幸福にし、世界を平和にしていく生命の大哲学を学び、実践しています。世界一偉い人だと、私は誇りに思っています。
みなさんは、その後継者です。
勉強は、いつでも、どこでも始められます。だれからでも、何からでも学ぶことができます。学んだことは、すべていかしていくことができます。
「学」は、栄光と勝利の道です。
さあ、きょうから、今から、偉人な学びの道を歩み始めよう!
一歩また一歩、一日また一日、朗らかな負けじ魂で!

2014年6月2日月曜日

2014.06.02 わが友に贈る

◇今週のことば
さあ、心はずむ女性月間
「白ゆり」と「華陽」の
花のスクラムを満開に!
世界を明るく照らすのは
創価の偉大な女性達だ!
2014年06月02日

御義口伝巻上 P751
『今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱え奉る者は皆地涌の流類なり』

◇希望の明日へ
現代の世界的危機や、科学的実証主義の中には、残念ながら人間の倣慢が横たわっているように思える部分がある。人間の倣慢こそ、真理と平和への脅威である。人間は、自己の倣慢との戦いを決して忘れてはならない。
昭63・8・26

◎昨日はとても暑かったですね。そんな中、自転車で神崎大橋(往復100Km)まで行ってきました(^^♪

2014.06.01 わが友に贈る

学び続ける人
行動の人には
精神の輝きがある。
求道の心を燃やし
黄金の自分史を綴れ!

四条金吾殿御返事 P1194
『多くの月日を送り読誦し奉る所の法華経の功徳は虚空にも余りぬべし』

◇希望の明日へ
未来を担う青年たちが、民衆のなかに入り、真撃な対話を重ねつつ、人々に奉仕する。そのことによって、自己自身を鍛えるとともに、自己と他者の生命の深奥に非暴力・平和の炎を点火し、燃え上がらせていくことが、人々を混迷の闇に陥れる、暴力という"生命の魔性″を打ち破る光源となるのであろう。
昭63・1・7

☆大白蓮華巻頭言 2014年6月「青春の宝の命を開きゆけ!」
青春は「挑戦の勇気」である。いかなる試練にも勇敢にチャレンジする。そこにこそ、青春の喜びがあり、充実があり、誇りがあると言えまいか。
ゆえに挑戦の人は、何歳になろうと、青春の人だ。
アメリカ・ルネサンスの民衆詩人ホイットマンも青年に「私は納得のいく結果が得られるまで、挑戦し、挑戦し、さらに挑戦する。そして必要ならば、もう一度、一からでも挑戦してみせる」と語った。
我ら創価家族は「広宣流布」という誓いを掲げ、来る日も来る日も、皆で励まし合いながら、不屈の挑戦を続けている。青年はもちろん、壮年も婦人も皆が一体となって、「地湧の青春」を挑み舞いゆく喜びの劇を、明るく賑やかに織り成していきたい。
現実の社会には、青年から伸びやかな自信を奪い、挑戦の意欲を抑えつけようとする障壁が立ちはだかる。しかし、断じて負けてはならない。
人類の未来にとって最もかけがえのない宝、最も頼もしいエネルギーは何か。それは青年の生命だ。
御書の「一念三千法門」には、『十人の人がいて、それぞれの蔵に宝を積んでいる。しかし気づかないまま、みすみす飢えや凍えで死に瀕する。その時、一人の賢人が宝に気づいて、そのことを皆に教えて助けていく』(P413、趣意)という譬喩が説かれる。
その蔵の宝とは、誰人にも具わる最も尊い生命の仏性であり、それに目覚め、皆も目覚めさせていく賢人の行動こそ、仏法の発露である。
一人ひとりの青年が、妙法を唱え、この宝の生命を開いて、自他共に最高最大に光り輝かせていく。ここに、創価の「人間革命」の行進がある。
この大仏法の哲理を、一人でも多くの若人に語り、共々に胸を張り、希望と充実と栄光の人生を開拓していくことだ。そこから、家庭にも、職場にも、地域にも、若々しい創造の活力が漲るからである。
わが師・戸田城聖先生は、悪戦苦闘する健気な同志を抱きかかえて激励された。
「この世には、必ず使命があって生まれてくる」「皆、地涌の菩薩として、広宣流布を誓い願って、生まれてきたんだ。そのことがドンと腹に決まれば、いくらでも福徳を開いていけるんだよ!」と。
草創の四国の母は高知で空襲に遭い、戦後のどん底の苦労の中で入会した。悪口罵詈など笑い飛ばしながら、「挑戦なくして勝利なし」と苦学を重ねて教員となった。人間教育の太陽と輝き、70代の今も青年と共に、青年のためにと対話に励んでいる。
「今どんな姿であっても、人は変われます。私は恐れません。幸福を願い、仏法を求めてやまない、人々の本当の心の声が聞こえてくるからです」と。
気高き多宝の父母たちは、生命の荘厳な宝塔から「常楽我浄」の香風で皆を包まずにはおかないのだ。
わが後継の青年たちよ! 壮大に広がった世界192カ国・地域の誓いの友と手を携えて、人類の生命の至宝を限りなく開いていってくれ給え!

勝ちまくれ
 仏の力は
  偉大なる
 広布に生き抜く
  誓いの生命に

2014.05.31 わが友に贈る

生命を守り育む
女性の力は偉大なり!
婦人部の慈愛の心
笑顔輝く語らいで
平和の文化の潮流を!

『たとひ明師並に実経に値い奉りて正法をへたる人なれども生死をいで仏にならむとする時にはかならず影の身にそうがごとく雨に雲のあるがごとく三障四魔と申して七の大事出現す』

◇希望の明日へ
SGIの最大の目標は仏法を基調にした世界平和の実現にある。SGIの基本路線は生命の尊厳を根本的に説き明かした日蓮大聖人の仏法に基づき、恒久平和の実現と人間文化・教育の興隆をめざすことである。さらに戦争をはじめとするあらゆる暴力を否定し、人類の幸福と世界の繁栄に尽くしていくことをめざしている。このために核兵器廃絶と世界不戦の実現を大きな目標とし、国連憲章の精神を支持し世界平和維持の努力に協力する路線を進んでいる。
昭61・1・26