一人一人の
責任と目標が明確。
幹部が最前線で
拡大の模範を示せ!
当体義抄 P510
『一妙真如の理なりと雖も悪縁に遇えば迷と成り善縁に遇えば悟と成る悟は即ち法性なり迷は即ち無明なり』
◇わが大切な同志にこの言葉を贈る
勝負の気を
常に心に置く時は、
自然勇気長ずるなり。
幕末の思想家 吉田松陰
◇四季の語らい
「春の喜び」−−それを知るのは、「冬のつらさ」を知る人だけである。人生も同じである。
◇今日のことば365
歌は心で聴くものだ。そうすれば、その歌の精神が明瞭にわかるだろう。聴く心がなければ、言葉はわかっても、その歌の精神はわかるはずがない。
★世法と仏法
質問:世法と仏法との区別について、たとえば、信心している人とは思えない、利己主義の行動を見うけることがありますが。
これは、面倒な問題です。立派な信心だから行動も立派であるというようにはなかなかいきません。
ここに紺のよい染料があっても、染地によって違ってきます。木綿とスフとは上がりが違います。
現代の人間は、スフのほうが多い。よく染まるようになるまでには、時間がかかります。半年や一年では、その人のずるいところは治りません。
それが人間であって、そうでないのはおばけです。そこに競争が起こり、その中で堂々と生活するまでには、よほどの信心が必要であります。
我々の性分は変わらないが使い方が変わり、ずるい性分は、良い人と交るときには出てこなくて、ずるい人間同士のときは、大きく出てきます。
怒りっぽいのも同様であり、これが調和されるには時間がかかります。
各人よく自分を見つめてみなさい。末法に文底の仏法が現れ、上行菩薩が行じて民衆を救うというが、末法には怒りっぽいのや、やきもちやきや、疑いっぽいのや、バカな人間が生まれてくることになっており、一応の仏法では救えません。
そこで仏様は御内証の無作三身の姿を、我々の前に現され、やきもちやき、憎しみ等の調和をとってやろうというのであります。
そこで、世法は仏法とたて分けながら、渾然一体となっていくのであります。