2008年10月22日水曜日

2008.10.22 わが友に贈る

本因妙の仏法だ。
「さあ、前へ!」
「よし、これからだ!」
この一念で
未来を切り開け!

観心本尊抄 P254
天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか

◇四季の語らい
「若い」ということは、「無限の希望」「無限の力」「無限の財宝」である。権力者よりも、富豪よりも、著名人よりも、何千億倍も尊く、偉大であり、幸福である。若いうちから、いい家なんかいらない。早く偉くなろう、金持ちになろう−−そんな必要はない。自分のなすべき使命に生き抜いていけば、必要なものは、ちゃんとあとからついてくる。

◇今日のことば365
岩に、さえぎられた苗木は、まっすぐに伸びることはできない。かといって、温室で育てられたものは、はやく生長するが、風雪に対する抵抗力が弱いものである。伸び伸びと、自由な空気のなかで、しかも、自然な試練のなかに、きたえられていくことが、本人にとって、最も幸せな道ではないだろうか。

★お金のでるほうが多い
質問:お金が入るより、出るほうが多いのですが、なんとかなりませんか。

「大白蓮華」に、過去世に泥棒をやってきたものは、毎日毎日入ってくるお金はあるけれども、それより早くお金が出ていってしまうと、私が書いたのですけれども、勝手に書いたのではないのです。
それは、釈尊が言っているのです。私が言ったのではありません。
その次には、日蓮大聖人様がおっしゃっていることがあるのです。「般泥おん経に云く」とおっしゃっているのです。ここが問題なのです。
経の内容は「おまえは貧乏人だと、どういうわけかというと、前の世に泥棒したから貧乏なのだ」と。
「はあ、そうでございますか」といって、「それでは、私過去に泥棒したのですか、よくわかりました」と言っただけでなんになりますか。
このなかにも、そうとう過去世の泥棒がいるらしい。さきほどの奥様が、永遠の生命論を教えてくれと言ったが、それを聞いただけでなんになりますか。
いま私のところにお金がないのは、過去世の泥棒のせいだ、これから泥棒してはあいならん、また未来世においてこういう貧乏すると言われて、それが最もだとわかってどうしますか。
貧乏を喜んでいけますか。そこに、釈尊の仏法と、日蓮大聖人様の仏法との相違があるのです。
いろいろ貧乏をしているのは、過去に泥棒したからとわかっても、「申しわけありません」と、誰に謝るのですか。誰のを盗ったのかわかっていないし、覚えていません。
わかっていれば返しに行けるけれども、誰のを盗ったのか覚えていない。それなのに文句をいわれて、貧乏人にされるのは迷惑です。仏様もずるいです。
我々にはわからないのですから。「そういうわけで、おまえは貧乏しているのだから、がまんしていろ」というのは、それはお釈迦様のほうがずるいです。
それを、日蓮大聖人様が、「そう辛抱することはいらんぞ。どうせ前の世では、おまえらろくなものではないのだから助けてやる」と大慈大悲を起こされたのです。
観心本尊抄という御書に、はっきりしていますが、「ここで大御本尊をおまえたちに預けておくから、この御本尊を拝め。過去世でいかなることをしておろうとも、過去世で仏になるくらいの資格をつくった人の功徳と、同じ功徳をおまえらにくれるぞ」とおっしゃって、御本尊様をお与えくだされたのが、日蓮大聖人様なのです、心配いりません。
日蓮大聖人様の五字七字の御本尊を、三大秘法の御本尊を拝むところにおいて、権・迹・本の仏の因、如是因と言いますが、そういうものを、我々にくださっているのです。
過去世で謗法をやっていてもいいのです。牢になど連れていきませんし、刑事も引っ張りにきません。
前の世にやったことですから。安心して御本尊様を拝めば、大金持ちの種を植えたことになるのですから、安心して金持ちになって、そしてどこかへ遊びに行っていらっしゃい。