2019年12月25日水曜日

2019.12.25 わが友に贈る

最も難しい勝利は
自分に打ち勝つこと。
受験生よ 負けるな!
悔いなき一日一日を!
健康を祈っています。

御義口伝巻上 P727
『宝聚とは三世の諸仏の万行万善の諸波羅蜜の宝を聚めたる南無妙法蓮華経なり、此の無上宝聚を辛労も無く行功も無く一言に受取る信心なり』

【通解】
宝の聚りとは、三世の諸仏のあらゆる修行、善行を集めた南無妙法蓮華経である。この無上宝聚をを何の苦労も修行の功徳もなく、妙法の一言によってわが身に受け取ることのできる信心である。

名字の言 宝石はどこにある? 2019年12月25日
言葉が話せるテディという名の犬がいる。ただし会話ができる相手は詩人と子どもだけ。児童文学作品『テディが宝石を見つけるまで』はそんな設定の物語だ▼飼い主である詩人が"君が宝石を見つけられるといいな"と言い残して亡くなる。ある日、テディは、吹雪で遭難した幼いきょうだいを救助する。その後、無事に子どもたちと再会した母親がテディに"あなたは宝よ"と涙して感謝を伝え、話は結ばれる。つまり、他者に尽くしたテディ自身が「宝」だった▼法華経に「衣裏珠の譬え」がある。貧しい男のために親友が衣の裏に宝珠を縫い付けてやる。だが男は気付かず、貧乏な生活は続いた。後に事実を知り、歓喜するという内容。縫い付けられた珠とは、万人に備わる仏の生命という無上の宝のことであり、それを磨く仏道修行の大切さを教えている▼先日、水晶の産地・山梨県のジュエリーミュージアムを訪れた。さぞかし輝きに満ちた宝石ばかり飾られているだろうと予想したが、意外に原石や研磨・加工の工具、職人を紹介する展示が多かった。宝石へ磨かれる過程も「宝」なのだと感じた▼今年も同志と信心を錬磨し合えたことに感謝が込み上げる。自身を磨き抜く中に宝の人生は築かれると確信し、明年も師と共に前進しよう。(白)

寸鉄 2019年12月25日
永遠に残る壮大な歴史を綴れ—恩師。若人よ、目標は高く。前進は着実に!
創価班・牙城会・白蓮Gこの一年、ありがとう。薫陶と成長の宝の青春譜
常勝の源流「中大阪の日」不撓不屈の勇者の大連帯新時代の栄光の旗今こそ
最もひどいパスワードは123456と。ネットやカードは自身で防御を
人の動き多い年末は特に流感感染に注意—厚労省手洗い・マスク等で予防

☆世界写真紀行 イタリア・ナポリ 2019年12月16日
◇我らの目的は広宣流布
ゲーテはつづった。
「人々が何と言おうが、語ろうが、また絵に描こうが、この景観の美はすべてにたち超えている」
「壮麗なるナポリ、湾の平らな岸辺に沿うて何マイルも連なる人家、岬、地峡、岩壁。それからたくさんの島とそのうしろに海がある。見る人をして恍惚たらしめる美しい眺めであった」(ともに相良守峯訳『イタリア紀行(中)』岩波書店)
希代の文豪を魅了した、イタリア・ナポリの情景である。
首都ローマから車で約2時間半。ナポリは、南イタリアに位置する風光明媚な観光都市。「ナポリを見てから死ね」という有名な言葉が、その美しさを物語っている。丘の上から望む市街やナポリ湾の見晴らしは、圧巻の一言だ。
周辺にもポンペイや、「青の洞窟」が人気のカプリ島、温泉で有名なイスキア島などの観光地があり、年中、多くの人々でにぎわっている。
1995年には、ナポリの歴史地区が世界遺産に登録された。
日本ともゆかりが深く、「東洋のナポリ」と呼ばれる鹿児島市とは、姉妹都市の提携を結んでいる。
池田先生が、このナポリを訪れたのは、63年1月20日。2年ぶり2度目のイタリア訪問の折であった。
先生は、車窓から見えるナポリ湾や、欧州有数の活火山であるベスビオ火山を望みつつ、近郊のポンペイへ。
ポンペイは、紀元79年に起こったベスビオ火山の大噴火によって壊滅し、地中に埋もれてしまった古代都市。人口約2万人のうちの1割が犠牲になったと推定されている。
そして、18世紀半ばに再発見され、発掘が続けられた結果、かつての繁栄の姿が、よみがえったのである。
先生にとって、ポンペイとの出あいは、イギリスのリットン卿の歴史小説『ポンペイ最後の日』であった。
恩師・戸田先生も愛読した一書であり、女子部の人材グループ「華陽会」の研修教材としても使用された。
現地に到着した池田先生はガイドの案内で遺跡を見学。極限状態における人間模様を描き、人生にとって何が最も大切かという、根本問題を問い掛ける同小説を通し、同行の友に語った。
その模様は、小説『新・人間革命』第7巻「早春」の章に記されている。
「私たちは、日蓮大聖人の仏法を持ち、地涌の菩薩の使命を自覚して、人類を救うため、広宣流布のために働いている。最も大切な生命を、最も崇高な目的のために使う、最高の人生なんだ」
さらに、通訳を務めた日本出身の欧州女子部のリーダーには、こう述べている。
「仏法という永遠常住の法に生き抜くならば、永遠の幸福の道を開くことができる。だから、確固不動の自分をつくり、何があっても、どんなに苦しく、辛いことがあっても、生涯、広布の使命に生き抜くことだよ」と。
当時のイタリアは、まだメンバーが少なかった。だが、先生は大発展する「時」を信じ、人材の「核」を育むことに力を注いだ。
1960年代、先生が5度の訪問を通して、イタリアに蒔いた妙法の種子は、やがて開花の「時」を迎える。
70年12月には、ローマにイタリア支部が発足。先生の6度目の訪問が実現する81年を前にして、ナポリを州都とするカンパニア州にも、最初の学会員が誕生した。
現在はナポリと、サレルノを中心に、2方面5本部14支部の体制へと発展。イスキア島には支部があり、カプリ島にも同志がいる。同州と境界を接するバジリカータ州にも支部が結成された。
2001年、カンパニア州議会が先生に「平和・人権特別最高顕彰」を授与。この前年には、イスキア島のフォリオ市から「名誉市民」称号が贈られるなど、地域社会からの信頼も厚い。
かつて先生は、イタリアの友に語った。
「『ローマは一日にしてならず』と言う。『ポンペイは一夜にして滅んだ』と言われる。すべて"建設は死闘""破壊は一瞬"である。永遠のイタリアの繁栄のために、すべてを賢明に乗り越えていっていただきたい」
広宣流布という永遠の繁栄を築く挑戦は今、ナポリそしてイタリア全土で勢いを増している。