2019年12月24日火曜日

2019.12.24 わが友に贈る

親子の絆を強める鍵は
子どもの話を優先して
じっくり「聞く」こと。
共に過ごす時間を大事に
笑顔あふれる冬休みに!

撰時抄 P265
『仏の御使として南無妙法蓮華経を流布せんとするを或は罵詈し或は悪口し或は流罪し或は打擲し弟子眷属等を種種の難にあわする人人いかでか安穏にては候べき』

【通解】
仏の御使いとして、南無妙法蓮華経を流布しようとする人を、日本国の王臣ならびに万民などが、あるいは罵ったり、あるいは悪口を言ったり、あるいは流罪にし、あるいは打ち叩く、さらには、その弟子や眷属などを種々の難にあわせる、そのような人々が、どうして安穏でいられようか。

名字の言 この一年の幸せな思い出は何ですか? 2019年12月24日
「時計の針が/前にすすむと『時間』になります/後に進むと『思い出』になります」——劇作家の寺山修司はそう表現した(詩「思い出の歴史」)。一年を振り返り、どれだけ「幸福な思い出」を刻めたか▼「最高の出発になりました」と語る壮年がいる。2歳の時、両親が離婚。父方の実家に引き取られ、祖父と祖母を「父ちゃん、母ちゃん」と信じた。多感な中学時代に事実を知る。"捨てられた"と思った▼投げやりになり、社会に出ても職を転々。それが11年前、学会に入って一変した。同志と触れ合い、祈るうちに、親への"恨み"が"感謝"に変わった。親がいてこそ自分はある。おかげで学会に出合い、人に尽くすようになれた、と▼今夏、そんな彼のもとに父から連絡が。「すまん。でも、お前のことを思わなかった日は、一日もなかった……」。声を詰まらせながら、そう語る父。再会し、対話を深めると、父は「お前と同じ哲学で生きたい」と。先月の入会記念勤行会では、二人で決意を発表した。「親子で人間革命の競争をします!」▼仏法は「現当二世」を説く。今を真剣に生きる時間が未来を輝かせる。過去の「思い出」さえ全て価値に転じていける。信仰を胸に進めば、希望は広がり続ける。壮年の笑顔を見て、その確信を深めた。(誠)

寸鉄 2019年12月24日
御本尊の功徳は生命力が絶対的に旺盛になる事—恩師。強盛な題目で前へ
地域広布の城支える「守る会」「宝城会」に感謝。偉大な陰徳に陽報は厳然
他者の幸福願うと不安が減少し精神状態も改善—研究。自他共の喜びこそ
医療費の「還付金詐欺」が急増と。無人ATMに行かせる手口。皆で注意を
軽減税率、6割が「評価」7割「混乱なかった」と。公明よ庶民守る政策更に

☆仏法思想の輝き 白樺会副委員長 伊藤清子 2019年12月17日
◇尊敬の念をもって接する
【プロフィル】いとう・きよこ 看護師として長年、病院に勤務し、看護局長、副院長を経て退職。1960年(昭和35年)入会。神奈川県横浜市在住。婦人部副本部長。白樺会(婦人部看護者の集い)副委員長。

◇小児医療の現場で
看護とは、人の生老病死の喜びや悲しみに寄り添い、人の健康を支えていく仕事です。41年間の看護師としての歩みを振り返り、あらためて、この職業に誇りを感じています。
看護学校を卒業後、希望通りに、小児専門病院に看護師として就職しました。ところが、医療の現実は厳しい場面の連続で、時には、生まれてすぐに亡くなる赤ちゃんを前に、呆然とすることもありました。そんな折、白樺の先輩は、「生命は永遠」と説く仏法の生命観を通して温かく励ましてくれました。
その後も、子どもたちの闘病や死を目の当たりにする経験を重ねるたびに、仏法の生命観、死生観を心に刻み付けました。こうした日々の中で、仏法を持った看護師として、人の死に直面しても、患者さんやご家族に慈愛の心で寄り添い、祈ることができること、また、患者さんやご家族が、いかなる状況であっても勇気と希望を持ち、その人らしい生を全うすることができると学んだことが、看護人生における、かけがえのない宝となりました。

◇母の闘病と看取り
日本は今、世界に類を見ないほどのスピードで、超高齢・多死社会へと進んでいます。住み慣れた自宅で、家族に囲まれながら看取られる人も少なくありません。
私自身、母の闘病経験と看取りは、看護師として避けられない「死」を考えさせられる、とても貴重な経験となりました。
私の兄の死をきっかけに創価学会に入会していた母は、いつも笑顔で、常に感謝の人でした。
父が亡くなり、母と同居を始めた際、母は肝硬変が進行して末期の状態でした。しかし、入院治療はできないと告げられた時も、通院治療が難しくなった時も、母に嘆きはありませんでした。いつもユーモアたっぷりで、「大丈夫だぁ」「ありがとう」が口癖でした。
また、訪問医やケアマネジャー、訪問入浴サービスの職員、ヘルパーさんにも恵まれました。当時、私は働いていたため、母の介護は、週2日はヘルパーさんが、週3日は姉妹が交代で、シフトを組んでくれました。休日や夜間の介護は、夫が最大の協力者でした。実は、介護といっても、皆が母に癒やされていました。子どもや孫が訪問するたびに、母は、「お母さんは幸せ」「世界一幸せな母親」と笑顔で、皆の心を優しくしてくれました。
やがて母は、末期といわれながら4年も寿命を延ばし、家族に囲まれながら、わが家で穏やかに息を引き取りました。
御書には、「自身法性の大地を生死生死と転ぐり行くなり」(724ページ)と仰せです。生命は、三世永遠にわたって生死を繰り返していくと見るのが、日蓮仏法の死生観です。死は「生の終わり」ではなく、「新たな生への出発」なのです。
亡くなった母の安らかな顔は、まさしく次の生への旅立ちのような優しい表情でした。そして、母の闘病の姿は、家族の絆をさらに強め、私たちに、人としての強さや優しさを教えてくれました。人間が抱く恐怖や不安といった感情を、喜びや勇気、慈愛の感情へと変えていくことができるのが、仏法の生き方なのだと、私自身、確信を深めました。

◇医師と看護人と患者
人生100年時代を迎え、新たな働き方が注目される中、医療・介護の職場環境も、改善が求められています。過酷な勤務環境の中で自信を失い、健康を害する医療者が増えているのも現実です。患者さんやご家族の人権を守ることはもちろんのこと、ケアを提供する医療者自身の人権も、守られる必要があります。
私は、病院管理者となってから、患者さんへのより良い医療の提供とともに、働く職員の健康と幸福を、真剣に祈ってきました。
ある時、患者さんから、「手術の翌日に担当医が長椅子で眠り、牛乳でパンを流し込んでいる姿を見て、私も頑張ろうと思いました」という声を聞きました。献身的に働く医師への感謝の言葉でした。こうした言葉は、医療者にとって何よりの励ましです。
池田先生は、てい談集『健康と人生』で「仏法医学」について言及する中で、医師と看護人と患者の三者が協力し合い、病に対処することで、それぞれの人生が充実し、真の医療が確立すると語っています。
医療者の健康管理や環境改善はもちろん、医療者と患者さんが互いに尊敬と感謝の気持ちを持つことが、これからの医療に必要なのではないでしょうか。
御書には、「我心本来の仏なり」(788ページ)とあります。万人に仏性を見いだす日蓮仏法は、あらゆる人々の尊厳性を敬う哲学です。
かつて、池田先生が看護に携わる友に贈った指針には、こうあります。
「その人に会うと、安心して息ができる、息を詰めなくていい、ホッとできる。そんな人が、ひとりでもいれば——苦しくても、生きていける」
全ての人を大切にする社会の構築へ、自身の立場で、苦しむ人に寄り添いながら、皆に希望と安心を送っていきたい——そう決意しています。

◇[視点]同苦の精神
日蓮大聖人は、門下の悩みや悲しみに寄り添い、膨大な書簡を残されています。長患いに苦しむ女性信徒に対しては、「ご病気のことは、我が身の上のことと思って昼夜に諸天に祈っています」(御書978ページ、通解)等、何通もの励ましのお手紙を送られました。また、"16歳になる息子が急死した"との訃報を受けて認められたお手紙では「(亡くなったことが)夢か幻か、いまだに分からないのです」(同1567ページ、通解)とつづられ、母の深い嘆きに思いを馳せられています。
苦しんでいる人に、徹底して寄り添い、同苦し抜く——。これが御本仏のお心です。この大聖人のお心のままに、日々、行動しているのが創価学会なのです。