◇今週のことば
勝利の年を飾る座談会。
互いの奮闘を讃え合い
会場のご家族に感謝を!
ヤング白ゆりの光と共に
明るく新年へ出発だ。
2019年12月8日
四条金吾殿御返事 P1136
『大難来れども憶持不忘の人は希なるなり、受くるはやすく持つはかたしさる間成仏は持つにあり』
【通解】
大難が来ても、この法華経を常に思い持って忘れない人はまれである。法華経を受けることはやさしく、持ち続けることは難しい。そして、成仏は持ち続けることにある。
名字の言 「モモ」に学ぶこと 2019年12月8日
忙しい時こそ、読み返したくなる一書がある。ドイツの児童文学作家ミヒャエル・エンデの小説『モモ』である▼「時間がない」と、せわしなく生きている大人が増え、人間らしさを失って殺伐としていく社会に警鐘を鳴らした作品だ。そうした大人たちと対照的に描かれるのが、主人公の少女モモである。彼女は話を聴く名人。ただじっと相手を見つめ、悩みや愚痴に耳を傾ける。相手は話を聴いてもらううちに、不思議と勇気や希望、知恵が湧き、自信を取り戻すのだ▼多忙を極めると失いがちなのが、人と向き合う心の余裕。「忙」という字を「心」が「亡ぶ」と書くのも合点がいく。どんなに忙しくとも、悩める友を前にして「何か力になれないか」と寄り添う心を、失いたくはないものだ▼仏の別名を「如来」という。「如々として来る」、つまり瞬間瞬間の生命のことである。友に尽くす中で境涯を広げ、一瞬一瞬の生命を最大に輝かせていく姿こそ、仏法の説く生き方にほかならない▼池田先生は「人間が人間らしくあること、本当の意味での充足感、幸福感は、"結びつき"を通してしか得られない」と訴えた。支え合う人生を生きよう。人のために心を使った分だけ、自分の心も大きくなり、時間の使い方も豊かになる。(之)
寸鉄 2019年12月8日
世界のために戦う会長がいる日本は幸せ—作家。師弟に生きる誉れも高く
北九州の日。火の国の友が対話の旋風!堂々たる"先駆の中の先駆"を頼む
「かくれての信あれば・あらはれての徳あるなり」御書。信心は純真・地道に
異例の早さで流感が流行と。手洗い・マスク着用の徹底を。集団感染防げ
感謝を伝えると相手との絆も強く—心理学。同志に「ありがとう」の言葉を
☆負けじ魂ここにあり 第24回 関西校
◇関西創価学園と創立者・池田先生(2003〜05年度)
関西の地に創価の学舎が誕生して30年余り。卒業生は、1万人になろうとしていた。
創立者・池田先生は、平和・文化・教育のための行動を一段と大きく展開。国内外の識者らと会い、次々と語らいを重ねていた。
そうした激務の中、時間をこじあけるようにして、たびたび学園生と出会いを結んだ。
先生は学園生に、こう信頼を寄せる。「皆さん方のために、世界へ続く道を完璧に開いておきます。私が開いた『平和と人道の連帯』の正道を、皆さん方が、さらに大きく、豊かに、無限に広げゆくことを願い、期待し、信じております」
2004年11月10日。秋に色づく東京・八王子市の創価大学のキャンパスを、関西創価高校の3年生20人が歩いていた。翌春、創大・女子短期大学への進学を予定する生徒の代表である。学長や学部長と懇談などを行う研修のため、関西から訪れていたのだ。
池田記念講堂付近を散策していた時だった。講堂脇の坂の下からゆっくりと車が近づいてきた。後部座席の窓が開くと、そこには池田先生ご夫妻の姿が。
"先生だ!"
集まる生徒たちに、先生は次々と声を掛けていく。
「お母さんによろしく。お母さんを大事にね」
「皆のことを、ずっと待っていたんだよ」
「とても優秀だね。頑張りなさい」
温かな振る舞いに、学園生の笑顔がはじける。皆、思い思いの決意や感謝を述べた。交流はわずかな時間だったが、先生の慈愛は若き心に深く強く刻まれた。
◇温かな振る舞い
藤田将大さん(高校30期)は、法学部進学予定者の代表として参加した。小学校から学園で学び、東京校と中継で結んで行われる行事では、画面越しに先生の姿を見ることが多く、どこか遠い存在のように思っていた。
「物理的な距離は関係ありませんでした。先生は常に学園生のことを気に掛けてくださっているのだと実感しました」
"成長した結果で応えたい"と、藤田さんは創大で一層、勉学に励む。3年次には交換留学でアルゼンチンに渡った。
しかし帰国後、就職活動で苦難に直面する。リーマン・ショックで不況の嵐が吹き荒れたのだ。藤田さんは300社以上にエントリーし、次々と試験を受けるも不採用が続いた。ようやく内定を勝ち取ったのは32社目に受けた大手製薬会社。創大の新卒として初の採用だった。
就職後は営業マンとして奮闘し、ある指定難病の薬剤で全国一の売り上げを7年連続で達成。藤田さんの入社をきっかけに、創大出身者の採用も続いた。現在は、グループ会社の非常勤取締役も務める。
◇偉くなれ!
2005年9月16日、創大の本部棟前。ここでも、池田先生と学園生との忘れ得ぬ出会いが刻まれた。
集まっていたのは、修学旅行で訪れていた関西創価小学校生。そこへ、先生の乗った車が到着する。先生は手前で車を降りると、歩いて児童たちの元へ。
「よく来たね!」
「会えて、うれしい」
「みんな優秀だ」
先生は、その場にいた6年生110人全員と握手を交わし、一人一人に声を掛けていく。
「負けちゃいけないよ」
「親孝行するんだよ」
藤井伸夫さん(高校37期)は緊張しながら、自分の所まで先生が来るのを、今か今かと待っていた。
「1年生の時からお会いするのを、楽しみにしていました!」
藤井さんが元気いっぱい叫ぶと、先生は「そうか」と抱き締める。
「偉くなりなさい。偉くなってまた会おう。創大に来るんだよ。お父さん、お母さんを大事にね」
藤井さんは大阪に戻ると、感動のままを両親に話した。
しかし、困ったことが一つ。幼い頃から医療の道を志していたため、他大学への進学を考えていたのだ。藤井さんは母の勧めで、思いの丈を書き、先生に手紙を送った。すると、すぐに返事が。
「学園を出れば、創大を出たのと同じだから、わが道を堂々と歩み抜きなさい」
藤井さんは青春の決意のまま勉学に挑み、私立大学の歯学部を経て、昨年から国立大学の付属病院に勤務する。口腔外科の歯科医師として、夢への第一歩を踏み出した。
「"偉くなってまた会おう"との先生の言葉を胸に、患者の心までケアできる一流の歯科医師に成長していきます!」
◇青春の生き方
リー幸代さん(中学34期)も、創大での励ましを胸に刻む一人。池田先生の柔らかな手の感触を、今も鮮明に覚えている。
先生はあの日、リーさんに「お父さん、お母さんによろしくね」と語った。
アメリカ人の父と日本人の母のもとに生まれたリーさん。学園に入学して以来、両親は、創立者と娘の出会いをずっと念願していた。
"本当に先生は何でもご存じなんだ"。家に帰って報告すると、両親も一緒に喜んでくれた。
顔を太陽の方へと向ければ影は後ろに回る。常に正しく朗らかに、希望に燃えて前へ!
中学を卒業後、リーさんは家族でハワイに移った。学校の授業は当然、英語。友達もなかなかできなかった。
"ずっと学園だったら良かったのに……"
寂しい生活の中で、励みとなったのは、学園時代に友人たちと学んだ、池田先生のスピーチやメッセージ。
とりわけ、中学の入学式に寄せられたメッセージを繰り返し読んだ。その中で、先生はニュージーランドの先住民マオリの言葉「顔を太陽に向けよ! そうすれば、影はあなたの後ろに回る」を通して訴えた。
「これが、青春の生き方の真髄です。悩みに負けたり、悪い縁に紛動されたり、小さな感情に流されたりして、暗く、わびしい影に入ってはなりません。常に、正しく、明るく、朗らかに、前へ、また前へ、希望に燃えて進みゆくことです」
"暗くなっちゃいけない!"。奮起したリーさんは、4年間の予定だった高校を2年で卒業。奨学生にも選ばれ、短期大学で美術史を学んだ。
現在は、ホテル内にある服飾店で働く傍ら、ハワイの隠れた魅力を紹介するテレビ番組でリポーターとしても活躍する。
番組で取り上げた店や地域が旅行客でにぎわい、現地の人々にも喜ばれている。
正しく、明るく、朗らかに——心にはいつも先生の指針が輝いている。
2005年11月、先生は、関西学園歌「関西創価 わが誇り」を贈った。
♪見つめむ未来に
父ははの
笑顔の誓いを
忘れずに
師弟は共に
世界をば
関西創価よ
常勝の
おお大関西
永遠に勝て
学園生は希望の未来を見つめながら、わが人生の"常勝の道"を力強く進んでいる。
(月1回の掲載を予定)
【池田先生の主な足跡】(2003年4月〜06年3月)
2003年
〈5月9日〉
「随筆 新・人間革命」<「平和の園」関西創価学園>を発表。「関西創価の同窓のスクラムこそ、私の命であり、また私と妻の宝である。さらにまた、わが家全員の夢であり、そして、我ら関西家族みなの希望でもある」とつづる
2004年
〈9月15日〉
修学旅行で東京を訪れていた関西創価小学校6年生を激励(新宿区内)。「万歳と 皆で叫ばむ 創価小 未来の偉人よ 負けずに育てと」との和歌を贈る
〈11月10日〉
翌春、創価大学・女子短期大学への進学を予定している生徒の代表を激励(創大)
2005年
〈3月3日〉
関西創価学園の草創期をつづった、小説『新・人間革命』「希望」の章の新聞連載が開始(〜5/23)
〈4月29日〉
パラグアイ国立イタプア大学の名誉博士号授与式に高校2年生が出席(東京・渋谷区内)
〈9月16日〉
修学旅行で東京を訪れた小学6年生を激励(創大)
〈11月8日〉
中学3年生らの創大研修で、関西学園歌「関西創価 わが誇り」の歌詞を贈る(本紙発表は11月11日付)