2019年12月7日土曜日

2019.12.07 わが友に贈る

「会うと元気になる」
「話すと勇気が湧く」
そう慕われる人に!
真心と誠実で光る
人格の王者たれ!

常楽我浄御書 P1301
『仏は一人なり外道は多勢なりしかども外道はありのごとし仏は竜のごとく師子王のごとくましませしかばこそせめかたせ給いぬ』

【通解】
仏は一人であり、外道は多勢であったけれども、外道は蟻のようなものであり、仏は竜のようで、また師子王のようであられたので、責め勝たれたのである。

名字の言 命のビザ——杉原千畝の思いとは 2019年12月7日
第2次世界大戦中、ナチスに迫害されたユダヤ人にビザを発給し、多くの命を救った外交官・杉原千畝。彼は少年期を名古屋市内で過ごした▼当時の居住地付近から出身校の愛知県立第五中学校(現・県立瑞陵高校)を結んだルートが「杉原千畝 人道の道」と名付けられている。彼が歩んだ道と眺めた風景に触れながら、足跡をしのぶことができる▼現在、名古屋市で「勇気の証言——ホロコースト展 アンネ・フランクと杉原千畝の選択」愛知展が開催されている(9日まで)。彼は困難な状況下でビザを発給したことについて、後年、「大したことをしたわけじゃない。当然のことをしただけです」と語った▼真に偉大なことは、日常の地道な振る舞いの中にあるのかもしれない。池田先生は「友好や平和といっても、彼方にあるのではない。身近な一人に、どんな思いで接し、何をするのかにかかっている」と。目の前の一人を大切に、真心込めて励ましを重ねていく。ここに生命尊厳の世界を築く道がある▼明年1月1日で杉原千畝の生誕120年。彼が救った約6000人の命は今、その子孫を含めると約25万人に広がるといわれる。ささやかに見える私たちの「挑戦の一歩」もまた、いつか多くの人々の幸福を開く道になると確信したい。(当)

寸鉄 2019年12月7日
法華経と申すは一切衆生を仏になす秘術—御書。語った分だけ幸福は拡大
神奈川青年部「師弟勝利の日」。対話に率先!堂々たる正義後継のスクラム
あらゆる人間関係で近隣の重要性をまず考えよ—哲人。友情の輪を地道に
統監担当者に感謝。緻密な労作業こそ学会の礎。支える陰徳に陽報は燦然
手口を知っていても騙された—これ詐欺被害者の実態。粘り強く注意喚起

☆心に御書を 第10回 会場提供の福徳は無量
◇御文
『家に讃教の勤めあれば七難必ず退散せん』(南部六郎殿御書、1374ページ)

◇通解
(伝教大師は言っている。)「家に正法を褒めたたえる勤めがあれば、七難は必ず退散する」

◇池田先生が贈る指針
妙法の音声が響く家庭は仏天に必ず守られる。
いわんや、自宅を広布の会場に提供してくださるご一家の福徳は、無量にして永遠である。諸難に打ち勝っていける。
地涌の宝友が喜び集う個人会館、個人会場は、現代の「法華経の会座」だ。地域の宝城である。
尊き真心に感謝し、ご家族や近隣にも配慮して、皆で一段と大切に!

☆12月度男子部 同生同名御書
◇信心貫く人が勝利者 "陰の戦い"に陽報は必ず
12月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では「同生同名御書」を研さん。仏法の因果の理法により、広布に尽くす行動は全てが福徳に変わることを学ぶ。

◇御文
『人の身には同生同名と申す二のつかひを天生るる時よりつけさせ給いて影の身に・したがふがごとく須臾も・はなれず、大罪・小罪・大功徳・小功徳すこしも・おとさず・かはるがはる天にのぼて申し候と仏説き給う、此の事ははや天も・しろしめしぬらん、たのもしし・たのもしし』(御書1115ページ)

◇通解
人の身には、同生と同名という二人の使いを、天は、その人が生まれたときからつけられている。(この二人の神は)影が身に随うように、寸時も離れず、その人の大罪・小罪・大功徳・小功徳を少しもおとさず、かわるがわる天に昇って報告していると、仏は説かれている。このこと(日眼女が夫・四条金吾を佐渡に送り出したこと)は、すでに天も知っていることであろう。まことに、頼もしいことである。

◇背景と大意
本抄は文永9年(1272年)4月、流罪地の佐渡・一谷に日蓮大聖人を訪ねた四条金吾に託し、鎌倉で留守を守る金吾の妻・日眼女に与えられたお手紙である。
武士として江間氏に仕えた四条金吾は、純真な信仰を貫き、鎌倉の門下の中心的存在として活躍。大聖人から「崇峻天皇御書」など数々の御書を頂いている。
本抄で大聖人は、金吾夫妻の強盛な信心と、遠く隔てた佐渡の地まで夫の金吾を送り出した日眼女の志を称賛。その功徳は必ず御本尊に通じると述べ、不退の信心を勧められている。

◇解説
本抄の題号に掲げられている「同生」「同名」とは、それぞれ「同生天」「同名天」のことである。
人が生まれた時から常に両肩にいて、瞬時も離れずに、その人の全ての行動の善悪を天に報告するという神であり、別名を倶生神ともいう。
二人の神が示すのは、生命の「因果の理法」である。すなわち、私たちの一念や振る舞いは、誰が知らなくても、全て自己の生命に刻まれ、必ず善悪の報いを受ける。この因果律は、仏法が明かす根本的な原理である。
拝読御文の「此の事」は、日眼女が、佐渡の地へと夫の四条金吾を送り出したことを指す。
この前段で大聖人は、頼れる使いもいない、乱れた世で、夫を送り出した日眼女の真心は「大地よりも厚い」「虚空よりも高い」(御書1115ページ、通解)と、その潔い志をたたえられている。
そして、同生天・同名天の法理を通して、「此の事」を、必ず諸天が見守っていると確信を込めて仰せである。
陰の立場で仏法に尽くす日眼女は、どれほど励まされたことであろうか。
大聖人が四条金吾に宛てられた別の御書には、「陰徳あれば陽報あり」(同1178ページ)とも仰せである。
陰の労苦を惜しまず信心を貫いた四条金吾夫妻の生き方は、私たちが取り組む広宣流布のための行動一つ一つにも、無量の功徳が輝くことを示しているといえよう。
こうした御文に照らして、日々の会合参加や訪問・激励、仏法対話、そして創価班・牙城会をはじめとする"陰の戦い"は、誰が見ていなくても、全て自身の福徳となって積まれていくことは間違いない。
池田先生は語っている。
「因果の理法は峻厳です。自分が、どう祈り、どう戦っているか、どう行動してきたかは、自身の生命に厳然と刻み残されている。どこまでも真面目に、誠実に信心を貫いた人が、絶対に最後は勝つ。必ず無量の福運を積んでいけるのです」
明「前進・人材の年」開幕まで、あとわずか。
「冥の照覧」を確信しながら、自身の人間革命に挑み抜き、本年を総仕上げしていきたい。