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人材育成の城を守ろう!
佐渡御書 P957
『畜生の心は弱きをおどし強きをおそる当世の学者等は畜生の如し』
【通解】
畜生の心は、弱い者を脅し、強い者を恐れる。いまの世の諸宗の学者どもは畜生のようである。
〈寸鉄〉 2019年8月29日
南米の最高学府から名誉博士号。「会長の思想こそ平和の文化築く力」総長
国際部の日。国境超えて語学と人格で友情結ぶ賢者よ!世界広布の先陣を
民衆救済の大聖人の情熱を読み取れ―恩師。さあ青年教学2級まで1カ月
乳幼児は脱水症状になりやすく。水分補給まめに。残暑の日々も警戒怠らず
国連「核実験に反対する国際デー」。廃絶は人類の悲願。市民社会の声更に
☆ロータスラウンジ 第8回 薬草喩品第五・授記品第六
◇授記の本意は仏と同じ生命の軌道を歩ませることにある
法華経について、皆で学び、深めよう――「ロータスラウンジ――法華経への旅」の第8回は、「薬草喩品第五」と「授記品第六」です(前回は7月30日付。原則、月1回掲載)。
■大要(薬草喩品)
「信解品第四」で、迦葉・須菩提・迦旃延・目犍連(目連)の四大声聞が、「長者窮子の譬え」を通して、釈尊の説法を領解したことを示しました。それを受けて、「薬草喩品第五」では、釈尊が「三草二木の譬え」を通し、仏の慈悲が平等であることを説き、妙法を信解した功徳を述べます。それでは、内容を追ってみましょう。
●シーン1
釈尊が、迦葉たち弟子に告げます。
「すばらしい、すばらしい。迦葉よ、善く仏の真実の功徳を説いた。全くその通りである」
釈尊は、弟子が領解した内容を認めます。
その上で、「仏は諸法の王であり、説く法は、皆を仏の智慧の境地に導くのである」と述べ、その意味を分かりやすく伝えるために、「三草二木の譬え」を語ります。
●シーン2
――三千大千世界(全宇宙)にある山や川、渓谷や大地に、多くの樹木や薬草が生えているとします。それらは、さまざまな種類があり、それぞれの名前や形も異なっています。
そのような所へ、厚い雲が空いっぱいに広がり、あまねく世界を覆い、雨が降り注ぎます。
その雨は、上・中・下(大・中・小)の薬草と、大小の樹木をあまねく潤します。
雨は一つの雲から平等に降り注ぎますが、草木は、それぞれの性質にしたがって生長し、異なった花を咲かせ、異なった実がなります。
同じ大地に生育し、同じ雨に潤されても、多くの草木にはそれぞれ差別があるのです――。
●シーン3
仏の説法も、この譬えと同じです。
仏がこの世に出現するのは、大雲が湧き起こるようなものです。
また、大音声をもって天界・人界・修羅界に至るまで、偏ることなく等しく法を説くのは、雲が空を覆い、平等に雨を降らせるようなものです。
大衆の中で、釈尊は次の言葉を唱えます。
「いまだ救われていない者は救っていこう。いまだ理解していない者には理解させよう。いまだ安穏でない者は安穏にしていこう。いまだ涅槃を得ていない者には涅槃を得させていこう」
さらに、「私は、一切知者(一切を知る者)・一切見者(一切を見通す者)・知道者(道を知る者)・開道者(道を開く者)・説道者(道を説く者)である」と述べます。
続いて釈尊は、大衆を前に「皆、法を聞くために集まりなさい」と、呼び掛けます。
●シーン4
仏は、機根や、修行に取り組む姿勢などを分別して、衆生に応じて法を説くのです。
その法を聞き終わった衆生は、「現世安穏、後生善処」の功徳を得ます。
つまり衆生は、それぞれの能力に応じて、仏の説く法を理解し、成仏の軌道に入ることができます。
それは、大きな雲が現れて雨を降らし、さまざまな草木を潤し、それぞれが特性に応じて成長するようなものです。
仏の説く教えは、一相一味(いかなる衆生も成仏させる功徳があること。一仏乗を表す)ですが、相手に応じて法を説き、最後には一切種智(仏の境地)に至らせます。
衆生は、法を聞き、受持し、読誦し、説の如く修行して得た功徳を、自ら知ることはできません。それは、さまざまな草木が、自らの形や性質を知らないようなものです。
同じように、仏が衆生の機根などに応じて法を説くことは、理解しがたいことですが、迦葉たちがそれを信じ、受持できたことは、まことに希有なことです。
最後に、「汝等が行ずる所は 是れ菩薩の道なり 漸漸に修学して 悉く当に成仏すべし」と、理解することではなく、自他共の幸福を実現する菩薩の道によって、仏に成ることができると記されています。
■大要(授記品)
四大声聞に、授記(未来に仏になれるとの記別を授ける)する様子が描かれています。
●シーン1
釈尊が大衆に告げます。
「我が弟子の迦葉は、未来世において、三百万億の諸仏に仕え、最後は仏になることができる」
そして、「仏としての名は『光明如来』。出現する国は『光徳』。時代は『大荘厳』である……」と、光明如来が住する国土や衆生の様子が描かれていきます。
そして、その国では、「魔や魔民がいても、皆、仏法を護るのである」と記されます。
●シーン2
迦葉への授記を見ていた目犍連・須菩提・迦旃延たちは、一心に合掌して、眼を離すことなく、釈尊を仰ぎ見ながら語ります。
「私たちを哀れだと思って、記別を授けてください」
そして、目犍連たちは、譬えによって、自分たちが覚りを求める思いを伝えます。
――授記を望む心は、飢えた国からやって来て、最高級の食事である「大王の膳」が目の前にあっても、疑って食べられないようなものです。王の許しがあれば安心して食べられるように、「声聞も成仏できる」という一仏乗の教えを聞いて納得したけれども、仏から明確な授記をしてもらえなければ、真の安心は得られません――と。
●シーン3
釈尊は、弟子たちの求道心を認め、授記を行います。
須菩提は、「有宝」という時代に「宝生」という国で「名相如来」という仏になる。迦旃延は、「閻浮那提金光如来」という仏になる。目犍連は、「喜満」という時代に「意楽」という国で「多摩羅跋栴檀香如来」という仏になる――。
偈文の末尾で「我及び汝等が 宿世の因縁 吾は今当に説くべし 汝等よ善く聴け」と、仏である私との過去世からの因縁を説くから、善く聴きなさいと述べます。
『法華経の智慧』から 絶えず仏界を強めていく
状況も違う、個性も違う、機根も違う具体的な一人一人を、どうすれば成仏させることができるか。個々の人間という「現実」から一歩も離れずに、成仏への道筋を明かすのが法華経です。
"一人を大切に"こそ、法華経の「人間主義」であり、「ヒューマニズム」なのです。それが「仏の心」です。"一切衆生の成仏"という法華経の根本目的も、"一人を大切に"から出発し、そこを徹底させる以外にないのです。
◇
端的に言えば、成仏とは、一つの「ゴール」に至ることというよりも、絶えず仏界を強め続けていく「無上道の軌道」に入ることなのです。
法華経の迹門では、まだ歴劫修行の成仏観から出ていません。それで、「遠い未来に成仏する」という授記になる。しかし、その本意は、「仏と同じ道を歩ませること」にあるのです。仏が歩んだ「生命の軌道」「絶対的幸福へのレール」に確かに乗ったよ、と保証するのが授記です。
「色相荘厳の仏に成る」という爾前迹門の成仏ではない。仏が歩んだのと同じ「軌道」を歩み続けること自体が成仏なのです。
(普及版〈上〉「薬草喩品」「授記品」)
◇一人を大切に 分け隔てない仏の慈悲
「薬草喩品」に出てくる有名な「三草二木の譬え」は、衆生の多様性と同時に、仏の慈悲の平等性が強調されています。
仏は、一切衆生を仏子として、自身と同じ仏の境涯に高めようとしています。
同品には、「我は一切を観ること 普く皆平等にして 彼此 愛憎の心有ること無し 我に貪著無く 亦限礙無し 恒に一切の為に 平等に法を説く 一人の為にするが如く 衆多も亦然なり」(法華経250ページ)と記されています。
いかなる人に対しても差別する心なく平等に、多くの人がいても、目の前の"一人"のために法を説くのです。
ここで大事なことは、"衆生に差異がない"のではありません。"仏が衆生を差別しない"のです。仏法は多様性を尊重しているのです。
違いを最大に生かし、どこまでも一人一人の個性を伸ばしていくのが仏の慈悲なのです。