新しい出会いは
新しい成長への扉だ。
他者に学ぶ姿勢が
人生を豊かにする。
誠実に友情を結ぼう!
乙御前御消息 P1220
『是は御ために申すぞ古への御心ざし申す計りなし其よりも今一重強盛に御志あるべし、其の時は弥弥十羅刹女の御まほりもつよかるべしとおぼすべし』
【通解】
これは、あなたのために言うのです。あなたの前々からのお志の深さについては、言い尽くせません。しかし、それよりもなおいっそう、強盛に信心をしていきなさい。その時は、いよいよ、(諸天善神である)十羅刹女の守りも強くなると思いなさい。
〈寸鉄〉 2019年8月23日
未来部員が「E―1GP」に奮闘。語学は世界への旅券。各部一体で大応援
「頭を使え、智慧を出せ」戸田先生。後半戦の出発へ。幹部は準備を入念に
勝利は勇敢な者に微笑む―飛行士。男子部大学校生よ語れ!弘教の先駆を
熱中症の搬送者、いまだ多し。厳しき残暑続く。深き祈り根本に体調管理
介護現場で働く人2割が60歳以上と。安心の幸齢社会へ。公明党よ旗振れ
☆扉をひらく 第4回 ノーベル物理学賞受賞者 香港中文大学・高錕学長
◇「知識」を幸福への「知恵」に
◇「価値創造」の橋を架けよ
この一瞬一瞬にも、膨大な情報が飛び交うデジタル社会。今や地球の反対側にいる人とも、いつでも電話やメールでのやり取りが可能となった。
こうした今の"当たり前"を支える技術こそ、秒速約30万キロという光の速さを利用して情報を伝達する「光ファイバー通信」だ。パソコンや携帯電話から発信された情報は、水深8000メートルに及ぶ海底ケーブルの光ファイバーを通し、世界各地を瞬時に結ぶ。
この光ファイバー通信の実用化に大きく貢献し、2009年、ノーベル物理学賞に輝いたのが、高錕(チャールズ・カオ)氏である。
中国・上海に生まれ、14歳の時に香港へ移住。イギリスに留学し、卒業後は同国の通信会社へ。研究者として奔走する中、1987年に香港中文大学の第3代学長に抜てきされる。以来9年間、同大学の運営に力を尽くした。
そんな高氏が池田先生と出会いを結んだのは90年代――。同大学を世界に通用する学府へ発展させようと、東奔西走していた時であった。
◇
春らんまんの創価大学。色とりどりの草花が風にそよいでいた。
「ようこそ!」
91年4月5日、創立者の池田先生が高学長を迎えた。
香港中文大学は、創大が初めて学術交流協定を結んだ大学である。池田先生は歴代学長と親交を結び、大学の使命や教育論を語り合ってきた。この日の会談も、話題はいつしか文明論に。
科学技術が著しく発展する時代を、いかに生きるか。先生が力を込める。
「たしかに情報と知識は、あふれんばかりにあります。しかし、人間がその分、賢くなったとはいえない。ここに現代の大学教育の課題もあります。知識をどう『知恵の開発』に結びつけるか。専門化し、細分化した『知識』と『知識』に橋を架け、人間の幸福のために、どう関連づけ、生かしていくか。そうした価値創造への知恵と信念をもった『創造的人間』の育成を、"創価教育"は目指しています」
深くうなずく高学長。創価教育の理念に共感を示し、こう言った。
「技術者や科学者は、自分の研究が、人間の生活・人生に、どんな影響を与えるかという責任を自覚すべきであり、また自覚せざるをえない時代になっています」
技術の急速な発展や社会的変化の中で、「人間の幸福」という根本の目的を見失い、人間を手段化してはならない――二人の意見は一致した。
会談では、高学長から、これまでの教育交流に加え、文化交流も進めていきたいとの提案も。先生は「"美"は人の魂を高め、"芸術"は人の心を感動で結びます」と賛意を示した。
この時の約束は、94年、香港中文大学文物館での「東京富士美術館所蔵 日本美術名宝展」に結実している。同展は、戦後のアジア初となる本格的な日本美術展としても注目を浴びた。
高学長は折に触れて、語っている。
「交通や産業、情報が世界を狭くはしても、民族と民族、人と人を結ぶものは、文化交流であり、教育交流です。この信念のもと多彩な活動を展開する創価の皆さまに対し、最大の敬意を表したい」
◇
「湾岸戦争の勃発で明け、ソ連邦の消滅で幕を閉じた昨年は、世界史が、文字どおり、地殻変動ともいうべき大揺れを演じた一年でありました」
92年1月30日、香港中文大学の会議場に池田先生の力強い声が響いた。
この日、先生は同大学初となる「最高客員教授」称号を授与され、記念のスピーチを行っている。イデオロギーが猛威を振るう国際情勢にあって、平和を築くために何が必要か――。
先生は、香港中文大学のモットーである『論語』の「博文約礼」――博く学べ、しかし博識をもって満足せず、礼すなわち実行によって知識をまとめていくことが大切である――に触れ、中国には、常に「人間」を基軸にした発想があると指摘する。
そして、中国古来、最高の徳目の指標である「中道」「中庸」に論及。同国に脈打つ"自律の精神性"こそ、新たな世紀への鍵であると訴えた。
"中国思想の精髄"を示したスピーチに、聴衆は総立ちの拍手で応えている。
同年12月、池田先生の大学講演や提言を収めた中国語版の書籍『世界市民的展望』が、香港最大手の出版社である三聯書店から発刊された。高学長は8ページにわたる序文を寄せている。
同書には、香港中文大学での講演も収録。高学長は「中国思想と現代文明への深い見解に、私たちは共鳴し、自己を見つめ直そう」と記している。
そう賛辞を寄せた高学長自身、常に自分を律し、「中道」の精神を体現した人物だった。
ある時、香港中文大学での行事で、大学運営に不満をもつ学生が突然、壇上に上がり、高学長からマイクを奪って持論を述べるという一幕があった。
騒然とする中で、記者が駆け寄る。「先ほどの学生に、どのような処分が下されますか?」。すると学長は、驚いた様子で問い返した。「なぜ学生を罰する必要があるんでしょうか」
どこまでも学生を第一に考え、愛情をもって接してきた高学長。自らポケットマネーをはたき、人知れず、貧しい学生たちを援助していた。「私は理想主義で、周りからは"世間知らず"と批判されているかもしれません。ですが、これが私の性分なのです。世間知らずということへの反論は、私が、単純に誠実であるということです」
「私は鎧を身にまとっています。誠実を貫くという厳しい自己規律によって、いつも安らかに眠り、自由に意見を述べてきました」
冷静沈着。腰が低く、気さくに声を掛ける――高学長の温かな微笑みを、当時の学生は今も忘れない。
池田先生と高学長が出会いを結んだ91年を境に、香港中文大学は飛躍的な発展を遂げていく。
高学長は、エンジニア学部や教育学部などを次々と新設。研究と教育の強化を両輪とし、学生はもちろん、教職員たちも張り合いをもって成長していけるようにと、あらゆる手を打った。
現在、大学の学生数は当時の倍以上に増加。世界大学ランキングでアジア9位、コミュニケーション・メディアの分野で世界15位に位置している。
今も創大との学術交流が盛んに行われ、留学生たちが深い友情を育む。
高学長が退任する際、大学の教職員たちは、「高学長が、私たちの大学を"世界の大学"へと変えてくれました」と、別れを惜しんだ。
◇
現代社会に不可欠な光ファイバーの通信技術。だが高学長は、同技術の特許を取得しなかった。
ある時、周囲から「特許が無くて後悔はないですか」と問われ、「全くありません」と笑顔を見せた。
高学長が願っていたのは「私の幸せ」ではなく、「私たちの幸せ」であった。常々、「世界中の人々が無料でインターネットを使えるようにすることが、私の夢なのです」と語っている。
理想を掲げ、行動し続けた高学長。その根本には未来への確信があった。
「世界の変化は、ますます速く、大きくなっています。ですが、私たちが心を合わせた先には、必ずや素晴らしいドラマが待ち受けているのです」
こう・こん 1933年、中国・上海生まれ。電気工学者。英語名はチャールズ・カオ。ロンドン大学を卒業後、英国の通信会社で研究・開発に従事。66年に光ファイバー通信に関する論文を発表し、実用化の基礎を築いた。87年、香港中文大学の第3代学長に就任し、同大学の教育改革に貢献。その後、アメリカのソフトウエア会社の最高経営責任者などを歴任。2009年、光ファイバー通信の発展への貢献がたたえられ、ノーベル物理学賞を受賞した。昨年9月、84歳で死去。