2019年8月3日土曜日

2019.08.03 わが友に贈る

昨日の自分を超え
今日の自分に勝つ。
地道な積み重ねが
偉大な人生をつくる。
朗らかな挑戦の日々を!

一代五時鶏図 P631
『有縁の者何ぞ来らざるを得ん譬えば百川の海に潮す応須が如し縁に牽れて応生すること亦復是くの如し』

【通解】
縁ある者がどうして(同じ仏の世界に)生まれて来ない事があろうか。たとえば、百の川がすべて海に集まり注ぐようなものである。
縁にひかれて、(同じ仏の世界に必ず)生まれてくることもまた、同じ原理である。

〈寸鉄〉 2019年8月3日
SGIの青年がいれば世界は変えられる—博士。師の哲学と行動継ぐ誉れ
自分自身を信じれば進む道が見えてくる—文豪。使命のない人はいない!
「父母の恩のおもき事は大海のごとし」御書。親孝行の夏に。成長が恩返し
携帯電池の発火事故が増加と。膨張、発熱、異臭など異変あれば即使用中止
最低賃金900円台。引き上げ額も最大に。公明よ氷河期世代の支援等も更に

☆人生の価値はここに 創価大学同窓の友を訪ねて 第3回 栃木
◇この一生を輝かせるため
栃木駅の北口広場に立つ文学碑に、こんな言葉が刻まれている。「たったひとりしかない自分を、たった一度しかない一生を、ほんとうに生かさなかったら、人間、生まれてきたかいがないじゃないか」
栃木出身の作家・山本有三の小説『路傍の石』の一節である。向学心に燃えた有三は、郷里の父母のもとを離れ、東京の大学へと進んだ。この小説の主人公であり、貧しい生まれの少年・吾一もまた、古里を後にして東京で働きながら学ぶ生活を目指していく。
一度きりの人生。自分はどう生きるのか。小山市の戸澤峻さん(37期、文学部卒)がこの問いと向き合うようになったのは、創価大学に進学してからだった。
大手ハウスメーカーの営業マン。誰とでもすぐに打ち解け合える物腰の柔らかさと、顧客の要望を真摯に汲み取る誠実さに定評がある。しかし「もともとは、人と深く付き合うことを避ける性格だったんです」。
祖父や両親からの強い勧めで創大へ。滝山寮に入寮した。生活を共にした仲間たちは個性的で、出身地も実に多彩。最初は彼らの勢いに圧倒されたが、積極的に対話の場が設けられる毎日を過ごすうち、「他者の人生の物語を分かち合う」喜びを知っていく。1年生の寮生をサポートする"残寮生"が深夜に一人、机の明かりをともして勉学に励んでいた背中にも、どれほど触発を受けたか。
創立者・池田大作先生から受けた励ましは、数知れず。「みんなが喜ぶなら、私は何でもしてあげたいんだ」——そう折々に語り、行動する創立者の姿から、「人生の価値」とは「人の喜びのために生きること」から生まれると学んだ。
現在の仕事においてもその信念は変わらない。「お客さまが、どんな人生の物語を生きたいと願われているか」。その思いに耳を傾ける。就職2年目にして、北関東エリアの営業成績優秀者として表彰されたことも。住宅を購入した夫婦が後日、生まれたわが子の健やかな成長に目を細めながら、「戸澤さんに相談してよかった」と言ってくれたことが忘れられない。
課題は多い。悩みも尽きない。それでも「何のため」との問いへの答えが、揺らぐことはない。
◆◇◆
良き出会いは、人生を彩る宝であろう。
創立者・池田先生が折に触れて振り返る、小学校時代の出会いがある。5、6年生の時の担任だった恩師・檜山浩平先生だ。檜山先生は栃木の出身だった。
「お世話になった教師の励ましを、人は、一生涯、忘れないものだ」と、創立者は語っている。
竹中美枝子さん(14期、教育学部卒)が郷里の日光市で小学校教員になった理由も、「私がたくさんの宝の出会いに恵まれて育ったから、その恩返しを」との願いからだったという。
小学6年生の時に父を亡くす。笑顔を絶やさず、快く創大に送り出してくれた母に感謝は尽きない。地域の壮年・婦人や"お兄さん・お姉さん"たちも、わが事のように喜んでくれた。
人間教育とは何か。創立者の心を学び求め続けた4年間は、自分の無力さを痛感して悩み続けた4年間でもあった。それでも創立者から幾度となく励ましを受けるたび、感じたことがある。「池田先生は、何があっても一人の可能性を信じ抜く人なんだ」
教壇に立ってからも悩みや葛藤の連続だった。創立者が示した"全生徒、全教職員、全保護者から信頼される教員に"との指針を、朝な夕なと心に刻む毎日。児童の表情の微妙な変化から、いじめの芽を早い段階で見つけ、摘んだことがある。いじめに悩んだ児童とその母親が、卒業式の日に「竹中先生のおかげで学校が楽しくなりました」と手紙を渡してくれたことも、忘れ得ぬ思い出だ。後年、成人した教え子が近況をうれしそうに報告しに来てくれたこともあった。
現在、教頭として後進の育成にも励みつつ、人間教育に献身する。「今、縁している人たちはもちろん、これまで出会った全ての子どもたちと保護者の方々が皆、幸せな人生を歩めるように」と祈りながら。

那須塩原市に立つアウトレットモールの一角に、ゴルフウエアとグッズを販売する店舗がある。
明るい内装。愛くるしいキャラクターがあしらわれた商品の数々。「いらっしゃいませ!」と張りのある声で迎えてくれたのは、店長の矢島秀浩さん(21期、経営学部卒)である。
約150店舗がしのぎを削るモール内で、第3位の業績を出したこともある人気店。"なくてはならない店舗"であるために、商品の品質の高さはもちろん、「また来たくなる居心地の良さ」が求められる。話すと元気になる。矢島さんはそんな人だ。「あなたに会いに来たよ」と、来店する人も少なくない。海外の観光客が後日、購入したゴルフウエアを身にまとい、写真を送ってくれたことも。
矢島さんの"人間力"は創大の硬式野球部時代に磨かれたものだ。
投手としての腕を買われて創大へ進学したものの、けがにも泣かされ、3年目まで鳴かず飛ばず。ベンチにすら入れなかった。だが「人間野球」とのモットーは、逆境の中でこそ輝きを増す。岸監督や仲間たち、そして創立者の励ましに支えられて「それでも前を向く強さ」を培った。
4年生でエースナンバーを背負い、マウンドへ。東京新大学野球連盟のリーグ戦で春秋連覇を果たし、最優秀投手にも選ばれた。
その後、社会人野球でも活躍。営業職や事務職として働いた時期もある。慣れない仕事に挫折の連続。その経験も「人間修行」の機会に変えた。
現在の仕事も一日一日、勝つか負けるかの真剣勝負だ。その緊張感は、一試合一試合、ピッチャーマウンドに立つ感覚にも通じる。だが押しつぶされることはない。創大野球部時代、心から信頼する仲間たちの存在を背中に感じつつ、思い切り腕を振った充実の日々を思い出す。今は、妻・麻衣子さんや最高のスタッフと共に店舗に立つ毎日だ。
人生という「一度きりの大試合」に勝つために、創立者との誓いを胸に。