何の多延の人生か。
自らの使命を胸に問い
自覚した人は強い。
「私はこう生きる!」と
誓いを貫く信仰者たれ!
上野尼御前御返事 P1576
『やすやすとあわせ給うべき事候、釈迦仏を御使としてりやうぜん浄土へまいりあわせ給へ、若有聞法者無一不成仏と申して大地はささばはづるとも日月は地に堕ち給うともしをはみちひぬ世はありとも花はなつにならずとも南無妙法蓮華経と申す女人のをもう子にあわずという事はなしととかれて候ぞ、いそぎいそぎつとめさせ給へつとめさせ給へ』
【通解】
(亡くなられたご子息に)やすやすとお会いになる方法があるのです。釈迦仏を御使いとして、霊山浄土へ参り、会われるがよいでしょう。
(法華経方便品第二に)「若し法を聞く者あらば、一人として成仏せずということ無けん」と言って、大地をさして外れることがあっても、日月は地に落ちられても、潮の干満がなくなる時代はあっても、花は夏に実にならなくても、南無妙法蓮華経と唱える女性が、愛しく思う子に会えないということはない、と説かれているのです。急いで急いで唱題にお勤めなさい、お勤めなさい。
〈寸鉄〉 2019年8月14日
戸田先生と池田先生の出会いの日。不二の絆こそ勝利の本因。青年よ継げ
関西・師弟原点の日。常勝の共戦譜は世界の憧れ。歴史開く新たな一頁頼む
民音、東京富士美の夏休み企画好評。親子で一流に触れる好機。共に成長
台風の進路情報に注意。「自分は大丈夫」の油断禁物。無冠の友も無理せず
脳梗塞は夏に多発。飲酒や炎暑での脱水がリスク高めると。小まめに給水
☆四季の励まし 悩みに負けない生命力を 2019年8月4日
人生の目的は何か。
「勝利者」になること、
「幸福」になることだ。
では「幸福」とは何か。
その中身は「充実」である。
では「充実」とは何か。
「苦難」と戦うことだ。
苦難がなければ充実はない。
充実がなければ幸福ではない。
何の苦労もない幸福など、
どこにもない。
信心したからといって、
悩みの「汚泥」が
なくなるわけではない。
「悩みに負けない生命力」が出る
ということだ。
むしろ、
悩みをいっぱいもっていくことだ。
それらの悩みに
どれだけ挑戦できるかを
楽しみにできるような
境涯になることである。
大いなる境涯の人は幸福である。
広々とした心で、
毎日を生きぬいていける。
強き境涯の人は幸せである。
苦しみにも負けることなく、
悠々と一生を楽しんでいける。
清らかな境涯の人は幸せである。
その人のまわりには、
常に爽やかな喜びが広がっていく。
希望に満ちて、
自己の課題に
挑戦している人は強い。
どんな困難に直面しても、
希望を失わないことだ。
希望の火が消えない限り、
やがて、いかなる闇をも
燃やし尽くすことができる。
いのちある限り、希望はあり、
希望ある限り、道は開ける。
その強靱な
"希望の一念"を育む根源の力が、
信仰なのである。
信仰こそ"永遠の希望"である。
夏の暑さの中、凜と咲く蓮の花。その気高い美しさに心が洗われる——本年6月、池田大作先生が都内でカメラに収めた。
法華経では、白蓮華が泥水の中にあっても美しい花を咲かせるように、末法濁世にあっても、決して世法に染まることのない清らかな「地涌の菩薩」の姿を、「如蓮華在水(蓮華の水に在るが如し)」と譬えている。
かつて池田先生はつづった。「どんなに厳しい現実の悩みや、人生の宿命に直面しても、白蓮が泥沼の中から尊貴な大輪の花を薫らせていくように、必ず必ず最高無上の幸福の花を咲き誇らせていける」と。私たちも自身の悩みに負けず、幸福の大輪を咲かせていきたい。