2019年8月17日土曜日

2019.08.17 わが友に贈る

猛暑に厳重注意!
�適切な湿度・室温調整
�適度な水分・塩分補給
�日中の外出は控える
熱中症対策を十分に!

上野殿御返事 P1558
『かつへて食をねがひ渇して水をしたうがごとく恋いて人を見たきがごとく病にくすりをたのむがごとく、みめかたちよき人べにしろいものをつくるがごとく法華経には信心をいたさせ給へ、さなくしては後悔あるべし』

【通解】
飢えたときに食べ物を求め、のどが渇いたときに水をほしがるように、恋しい人にあいたいと思うように、病気になって薬を頼りにするように、きれいな人が紅や白粉をつけるのと同じように、法華経に信心していきなさい。そうでないと後悔することになります。

〈寸鉄〉 2019年8月17日
「御書を心肝に染め」と日興上人。日々、一節でも一行でも繙けば勇気百倍
文芸部結成50周年。破邪顕正の言論勇者よ。ペンの力で偉大な民衆城護れ
人生の価値は闘争の過程に—印首相。無上の輝きを放つ広布誓願の菩薩行
子供座席、正しく使う人は4割と。取り付け方法確認を。子の命守るため
大学生の6割「戦争体験を直接聞いた事がない」。悲惨な記憶を未来へ必ず

☆池田華陽会御書30編に学ぶ 開目抄(下) 2019年8月10日
◇勝利の要諦は"不退の信心"に 誓いを貫いてこそ「真の弟子」
今月は、「開目抄」の後半を学びます。
池田先生は、本抄を拝してつづられました。
「弟子が偉大な広布の人生を歩んでいくことを、師匠は願い続けています。弟子の成長こそが、師匠の楽しみであり、本懐なのです。(中略)かつて私は未来を担う若人に、一首の和歌を詠みました。この和歌を、今再び、全世界の同志にあらためて贈ります。
この世にて/師弟に勝る ものはなし/君よ忘るな 勝利の絆を」
"偉大な師匠に続きゆく!"との、師弟不二の誓いを光らせ、行学錬磨の夏を溌剌と前進していきましょう。(拝読範囲は、御書203ページ15行目〜本抄末尾です)

◇本抄について
本抄は、日蓮大聖人が流罪地の佐渡に到着した直後から構想・執筆され、文永9年(1272年)2月、四条金吾に託して門下一同に与えられました。
題号の「開目」とは「目を開く」ことであり、末法の一切衆生に対して、人々を不幸に陥れる思想への執着を打ち破り、真の法華経の行者、すなわち大聖人に「目を開け」との呼び掛けと拝されます。
当時、大聖人一門には激しい弾圧が加えられ、退転する門下が続出しました。
本抄で大聖人は、当時、人々から寄せられた"大聖人が法華経の行者であるなら、なぜ諸天の加護がないのか"との疑問に対し、経文通りに実践すれば、三類の強敵の出現は必然であり、その通りの難に遭っている大聖人こそ、真の法華経の行者であると示されます。
そして、大難を覚悟で妙法弘通を貫く大聖人が、一切衆生にとって「主師親の三徳」を具えた末法の御本仏であることを明かされていきます。

◇御文
『我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし』(御書234ページ7行目〜9行目)

◇通解
私ならびに私の弟子は、諸難があっても、疑う心がなければ、自然に仏界に至ることができる。
諸天の加護がないからといって疑ってはいけない。現世が安穏でないことを嘆いてはいけない。
私の弟子に朝夕、このことを教えてきたけれども、疑いを起こして皆、信心を捨ててしまったようである。
拙い者の習性として、約束したことをいざという時には忘れてしまうものである。

◇解説
掲げた御文の直前で、大聖人は、ある貧しい女性が、溺れながらもわが子を最後まで離さなかった功徳で、梵天に生まれ変わったという「貧女の譬え」を引き、妙法を受持し抜くことで、求めずとも必ず成仏に至ることを明かされます。
続く「我並びに我が弟子」で始まる一節は、"大聖人と同じ不惜身命の決意と実践で、妙法流布に生き抜こう"との、門下に対する呼び掛けと拝されます。
法華経には、"正法を弘通すれば必ず難が起こる"と説かれています。
一方で、妙法を弘通する人は諸天善神に守護され、今世で安穏な境涯になることも説かれています。
当時の大聖人門下の中に、"妙法を弘通する自分たちが現世安穏ではないのはなぜか"と疑問を抱く人々がいました。
大聖人は本抄で、法華経の行者としての御自身の御境地を、「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」(御書232ページ)と明かされます。
身命をなげうつ覚悟で、一切衆生の幸福のために戦う大聖人にとって、もはや諸天の加護の有無は重要ではありません。
よって、"難が起こった時に、「諸天の加護がない」「現世が安穏でない」と嘆き、妙法を疑ってはならない"と戒められているのです。
信心を疑い、生命が無明に覆われてしまえば、成仏への道は閉ざされ、妙法の無限の力を発揮することはできません。
そこで重要なのが、広宣流布への「大願」であり、その実現のための不惜身命の「覚悟」です。
大聖人は、法華経の行者には必ず難があること、その時こそ強盛な信心を貫くべきであることを、門下に繰り返し教えられました。
しかし実際には、多くの門下が疑いを起こして退転したのです。そのことを、「つたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし」と仰せになっています。
苦難に直面した時に、師弟不二の不退の信心で立ち向かえるか——ここに成仏、すなわち人生勝利の要諦があります。
行学の実践に励む私たちは、「まことの時」に誓いを貫く「真の弟子」へ成長していきましょう。

★池田先生の講義から
苦難は、人間を強くします。
大難は、信心を鍛えます。
難に挑戦して信心を鍛え抜けば、我が己心に「仏界」を現していくことができる。
大難が襲ってきても「師子王の心」で戦い続ける人は、必ず「仏」になれる。(『開目抄講義』下巻)
◇ ◆ ◇
"我が弟子たちよ、師と同じように立ち上がれ!"
"師子王の子らしく、疑いと嘆きを打ち破れ!"
"まことの時に信心を忘れる愚者になってはならない!"
「大聖人とともに」と、師と同じ決意で立ち上がり、広宣流布に邁進してこそ真の弟子です。誰人であろうと、大聖人と同じ心に立ち「日蓮が一門」(御書1360ページ)となった時、実は、すでに成仏への道は広々と開かれているのです。(中略)
自分と同じく万人を「偉大な人間」にする。それが仏教の本質です。
ゆえに仏教は、どこまでも師と同じ心で戦いゆく弟子の育成が眼目となる。
仏教は、「師弟の宗教」にほかならないのです。(同)

研さんのために
○…『開目抄講義』上・下巻(聖教新聞社)
○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第21巻(同)