皆に喜んでもらおうと
陰で汗を流す人が偉い。
家族・親族・地域のため
心を砕くその行動に
感謝の言葉で応えよう!
新池御書 P1441
『人の子として我が親を殺したらんものの我に物をえさせんに是を取るべきや、いかなる智者聖人も無間地獄を遁るべからず、又それにも近づくべからず与同罪恐るべし恐るべし』
【通解】
人の子として、自分の親を殺した者が自分に物を与えようとしたとき、これを受け取ることができようか。
謗法を犯せばどのような智者や聖人でも無間地獄を逃れることはできない。また、それに近づいてもならない。与同罪を恐れるべきである。
〈寸鉄〉 2019年8月10日
「礼儀いささか・をろかに思うべからず」御書。爽やかな振舞で友情を拡大
学会の墓園で諸精霊追善法要。広布の歩みが最高の追善。後継の誓い新た
子どもの本当の名前は何か。それは未来—文豪。担当者の献身ありて盤石
各地で帰省ラッシュ。運転時のイライラは事故の元。無理せず安全第一で
がんの5年生存率が改善—調査。早期発見が鍵。公明よ命を守る対策更に
☆地域を歩く 東京・檜原村 2019年7月30日
◇東京にある"秘境"
今、世界の熱い視線が集まる東京には、急峻な山々に囲まれた"秘境"がある。
人口2200人の檜原村。本州における東京唯一の村だ。
JR五日市線の終点・武蔵五日市駅から、車で檜原街道を西へ約15分。村に入ってすぐの渓谷沿いに、村のシンボルともいえる、民家の形をした総ヒノキ作りの公衆トイレが姿を現す。さらに進むと、沿道の茂みから野生の猿が出迎えてくれた。
村観光の定番は滝巡り。浅間尾根を挟むようにして流れる北秋川と南秋川には、幾つもの滝が点在する。東京でただ一つの「日本の滝百選」に選ばれた「払沢の滝」は、人気の観光スポット。「檜原都民の森」にある全長1キロの「大滝の路」は、リラックス効果が立証された「森林セラピーロード」として都内初の認定を受けている。
村の魅力は、こうした「自然の豊かさ」だけでなく、「居住環境の先進性」にもある。
檜原村は西多摩地域でいち早く光ファイバーを導入し、通信インフラを充実させた。下水道は山奥まで整備され、斜面の山道にもマンホールがある。
役場など村内数カ所には、電気自動車の充電スタンドや、太陽光で携帯電話を充電できる独立電源システム(自立型ソーラースタンド)がある。これにはWi—Fi中継機が付属し、夜間はLED照明が点灯する。
「自然」と「先進性」の両方が息づく、この東京の村で、桧原常勝支部のメンバーたちは、さらなる活力を村にもたらしている。その源は、揺るぎない「地域貢献の志」である。
◇村こそ"改革の先進地" 共生の新しいモデルを
「皆さんの"足を支える仕事"です。誠心誠意、働かせてもらっています」
檜原村出身の峰岸明雄支部長は、妻の佐代子さん(婦人部副本部長)と共に自動車の整備・修理業を営む。車社会の村では、家族全員がそれぞれ車を持つ世帯も多い。
信心の原点は青春時代。かつて村で唯一の創価班メンバーとして、立川文化会館で任務に就いていた折、会館を訪れた池田先生から「皆さん、本当にありがとう。よく頑張ってくれているね」と声を掛けられた。その後、村外で暮らした時期もあったが、"村の発展のために生きたい"と20年前に帰郷した。週末には2時間以上かけて山奥まで通い、訪問激励に家々を回っている。
峰岸さんの母・奈津子さん(支部副婦人部長)は、檜原村広布の功労者。村の女性で初めて運転免許を取得し、山野を駆け巡ってきた。
「一人で車に乗ることは、ほとんどなかったよ。いつも隣に近所の人を乗せて、買い物も通院も、全部、手伝ってきました」
5人の子を育て、村のガラス工場で65歳まで働いた。老人会の会長なども歴任してきた。「なっちゃんがいれば、村は安心」と周囲から慕われ、何人もの友人が入会。当初は信心に反対だった夫も、20年越しの対話が実り、信心を始めた。
現在、元気はつらつの88歳。畑で採れた野菜を近所に配り、楽しく対話に歩く。「休んではいられません。"人のためになろう"ってのが信心ですから」
コンニャクは檜原村の名産品の一つ。井上文喜さん(副本陣長)は、地場産業が貴重な村にあって、コンニャク製造会社「井上食品」の2代目社長を務める。
こだわりは「バッタ練り製法」。すりつぶしたコンニャク芋を、独特なひねりのある羽が付いた練り機で、バッタン、バッタンと丹念にかき回す。「昔ながらの手法です。手間暇をかけた分、いい味が出ます」
幼少時代、闘病する母のためになればと父が信心を始めた。すると母の健康が回復。生命力を強める信心の力を目の当たりにした。井上さんは18歳で入会し、やがて父の仕事を継いだ。
販路を全国へ拡大し、二十数年前に工場をリニューアル。新たに「見学室」を設けると、小学校の社会科の教科書でも取り上げられ、村外の児童が課外授業で訪れるようになった。
井上さんは現在、「人里もみじの里」委員会の会長でもあり、この6年間で7000本のもみじを山に植えた。毎秋主催する「もみじ祭り」は、今では3000人が参加するまでに発展している。
「100年後には、立派な紅葉が見られるようになります。子どもたちへの贈り物です」
夜は満天の星がまたたく檜原村。ある壮年部メンバーたちは、月に2回ほど"夜カフェ"と称した懇談会を開き、励まし合っている。
参加者の一人は、2年前に入会した中村邦彦さん。特に大きな悩みがあったわけではない。「みんな本当の家族のように温かい。学会のアットホームなところに魅力を感じまして」
4歳の時に東京・大田区から村へ移住。同級生の大半は、村外へ越していった。
「地域がしてくれることを待つ」のではなく、「地域のためにできることを探す」という学会の哲学に感銘し、「以前は村を出たいと思っていましたが、今は村で暮らす意義を感じています」。
一方、"夜カフェ"の主催者である山�誠さん(本陣長)は、東京・立川市の出身。結婚を機に入会し、子育てのために妻の実家がある檜原村へ移住した。息子の優人さんは、学会員の輪の中で元気に育ち、創価大学を卒業。広布後継の人材に育っている。
山�さんは、中村さんと決意し合う。「夜カフェを、たくさんのメンバーでにぎわう団らんの場にしたい。皆で団結し、村のために頑張ります」
1982年(昭和57年)5月31日、池田先生は檜原村を訪問。広布功労者の川杉重雄さん(故人)が、南秋川の渓谷沿いに建てた家に足を運んだ。
清流の涼やかな音が聞こえてくる室内。先生は勤行を行い、「檜原村の広布を祈ったよ」と語った。後に、この家は「川杉栄光会館」となり、支部の会場として使われている。
「あの日から、村のメンバーの心に火が付きました。聖教新聞の購読推進にも力を注ぎ、今では村の半分以上の人が聖教の購読経験を持つほど、理解が広がりました」
重雄さんの息子である地区部長の忠愛さんは、草創の先輩たちの奮闘を追想する。
かつては学会と地域の間に心の垣根があったが、今や学会員は、清掃や草刈りなどの地域活動に率先し、伝統の獅子舞の祭りでは踊り手を担う友もいる。
川杉さんは、不動産経営に従事する傍ら、10年前から畑仕事を始めた。野菜を手に、対話を広げる日々だ。
檜原村で育った小室多恵子支部婦人部長。「支部の焦点は青年育成です。壮年部・婦人部で力を合わせ、青年たちを全力で励ましたい」と意気込む。
そうした支部のホープと輝く一人が飯岡学さん(男子部部長)。多くのファミリー層が暮らす村営住宅へ、7年前に移住した。共働きで4人の子どもを育てるため、妻の実家の近くで生活することを選んだ。
勤め先は村外。長時間の車通勤など、多くの課題がある。だが23歳で入会した時から、"地域の役に立つ人生を"と池田先生に誓ってきた。
仕事と家事、子育てに全力投球の毎日にあって、日頃から「困ったことはない?」と家を訪ね、声を掛けてくれる学会の先輩たち。その思いに応えたいと、飯岡さん自身、時間をつくっては部員の激励に歩く。地域の消防団員としても汗を流す。
「地域おこしのために移住してきた青年も増えています。若い力を合わせて、村を発展させたいと決意しています」
かつて檜原村の多くの人々が、「村出身」であることに引け目を感じていたという。
坂本義次村長は、「だからこそ、村の発展は"意識改革"から始まります」と強調してやまない。
「"東京にある檜原村"ではなく、"檜原村が東京にある"。言い方一つですが、そうやって村民が誇りを持つことが一番大事だと思うんです。課題が多い地域ほど、新しい改革のモデルを発信できる先進地。発想の転換です。常に"半歩先を行く村"を目指しています」
近年は、次々と村営住宅を建設。さらに、充実した子育て支援政策に力を入れている。
檜原村は高齢化が著しく進む一方で、昨年の合計特殊出生率は、島嶼部を除く東京都内の区市町村トップに当たる1・71。他の地方自治体が視察に来るまでになった。
長年、地域の福祉向上に尽くす学会員の姿を見つめてきた坂本村長。村のさらなる発展へ、こう期待をにじませる。
「創価学会の素晴らしいところは、人と人を結ぶ連帯を世界中に築かれている点です。どんどん地域の中へ入り、村の活性化のために活躍してほしい」
地域貢献の強き思いが光る檜原村——。ここから、東京の新しい未来が育まれていく。
◎7日深夜から大阪に行って来ました。名古屋よりも大阪の方が運転注意!!