2019年5月31日金曜日

2019.05.31 わが友に贈る

「曖昧な的に放った矢が
当たるわけがない」先師。
目標を定めるのも勇気。
達成を祈るのも勇気。
行動に移すのも勇気だ!

日女御前御返事 P1244
『曼陀羅と云うは天竺の名なり此には輪円具足とも功徳聚とも名くるなり、此の御本尊も只信心の二字にをさまれり以信得入とは是なり』

【通解】
曼陀羅というはインドの言葉であり、訳すれば輪円具足とも、功徳聚ともいうのである。この御本尊も、ただ信心の二字に収まっている。以信得入(信を以って入ることを得たり)とあるのは、このことである。

〈寸鉄〉 2019年5月31日
出会いを大切にする会長の戦いで学会は発展—識者。縁した一人を味方に
大事なのは、今、ここにある人生—詩人。現当二世の妙法持つ人は生涯青春
AI時代、人間関係築く等の「総合力」が重要に。学会活動こそ人格磨く道
依存症は国際的な疾病—WHO。専門医への相談が有効と。環境整備急務
日本は社会的安定が際立つ—英研究所会長。公明よ確かな未来への舵取れ

☆人生の価値はここに 創価大学同窓の友を訪ねて 第1回 沖縄
◇労苦と使命の中にこそ
創価大学(東京・八王子市)の文系校舎A棟前に立つブロンズ像の台座には、創立者・池田大作先生が贈った言葉が記されている。
「労苦と使命の中にのみ 人生の価値は生まれる」
学問に挑み抜き、社会に羽ばたいた卒業生たちが胸に刻む指針である。新企画「人生の価値はここに」では、今いる場所を使命の天地と定めて奮闘する創価大学同窓生を紹介する。第1回は沖縄の友を訪ねた。

「沖縄には縁もゆかりもなかったんですが……」と仲村こず江さん(23期、法学部卒)は言う。東京・大田区育ち。しかし「今は、ここが第二の故郷です」。
沖縄出身で創大卒業生の剛さん(27期、法学部卒)との結婚を機に沖縄へ。夫妻で那覇市に弁護士事務所を構えて8年になる。
原点は創大の国家試験研究室で刻苦勉励した4年間と、東京でアルバイトをしながら司法試験に挑戦し続けた日々。「最も苦しんでいる人のために」との理想を、学友たちと幾たび語り明かしたことか。「もうダメだ」と自暴自棄になるたび、何時間も話に耳を傾けてくれた友は数知れず。食事を振る舞ってくれた先輩の真心も忘れられない。
「十年一剣を磨く」。創立者から贈られた指針を抱き締め、"学の剣"を研ぎ続けること10年余。ついに試験を突破する。隣で励まし続けてくれる"伴走者"の大切さを肌身で感じた。
弁護士として独立した沖縄で、こず江さんは奔走した。「次は私が誰かの伴走者に」と。沖縄弁護士会の委員会活動の一環で「女性のための法律相談」制度を設置。虐待等の理由から民間の子どもシェルターに避難した子を支える"子ども担当弁護士"も務めた。
沖縄では離婚にまつわる係争が多いという。不利な立場に置かれやすい女性の声に、こず江さんは耳を傾ける。予定時間を過ぎることや話が脱線することも。それでも寄り添い続ける中でしか生まれないものがある。裁判に勝ち負けは付きものだが、「こず江さんがいてくれたから」と涙ながらに語る依頼者の姿に、救われたことも少なくない。
葛藤の連続ではある。それでも依頼者の笑顔に接するたびに思う。「沖縄の力になるために、私は創大で学んだんだ」
◆◇◆ 

宜野湾市内に「ライフフォース カイロプラクティック」という名の整体院がある。院長である川満伸夫さん(27期、文学部卒)の矯正技術は折り紙付きだ。
創大卒業後、アメリカに留学し、カイロプラクティック博士課程を修了。カイロプラクティック医師免許を取得した。帰国後、東京の銀座や六本木の有名整体院で院長を5年間務め、2万人を診た実績を持つ。
今では男子プロバスケットボールチームの外国人選手にも施術し、「ケガの防止やパフォーマンス向上に欠かせない」等と評判だ。
「実は僕も、バスケットの選手だったんですよ」と川満さん。高校のバスケットボール部で副キャプテンを務め、全国大会準優勝に導くほどの実力だったという。だが無理がたたり体を故障。同級生がスポーツ推薦で大学進学を決める中、失意のバスケ少年を励ましてくれたのは、沖縄から創大に進んだ先輩だった。
「身なりはいわゆる"貧乏学生"。それでも創立者のもとで学ぶ誇りを語る先輩の姿は輝いていました」
少年は夢を抱く。「創大で英語力と人間力を磨き、沖縄とアメリカを結ぶ懸け橋になりたい」と。最初は教職の道を志したが、米国でカイロプラクティックの師と出会い、現在に至る。
胸に刻む創立者の長編詩がある。「建学の精神に 君らしい それぞれの形を 与え 光あらしめること—— それこそ 私が 期待する 君たちの使命だ」(「滝山城址に立ちて」)
整体院の顧客の中には、かつての自分のようなバスケ少年も。施術の手に祈りにも似た思いがこもる。アメリカ人の顧客から感謝の握手を求められるたび、自分の使命を実感する。
沖縄を、日本一の長寿県に、平和と希望の島に——川満さんの新たな夢だ。

地方銀行に勤める高江洲聖美さん(39期、法学部卒)は、6人きょうだいの4番目。全員が創価の学舎に進学した。「一人ももれなく創立者のもとへ。それが父と母の願いでした」
父・均さんは懸命に働いた。だが家計は火の車。聖美さんもアルバイトをしながら予備校に通った。
忘れられない父の笑顔がある。教育ローンの融資が得られた時のことだ。なぜお金を借りて喜ぶのか、不思議でならなかった。
創大に進学して、納得した。世界に開かれた気風。充実の学習環境。理想を分かち合える仲間たち——。「ここは世界一の大学だ」
しかし2010年秋、父が倒れる。脳腫瘍の中で最も悪性度の高い「神経膠芽腫」だった。聖美さんに創立者から激励が届く。何度も、何度も。「池田先生が隣で見守ってくださっているような」毎日だった。
翌年5月、父は安らかに旅立った。命燃え尽きる瞬間まで人を励ました父だった。病床でも創立者の書籍を読み、創価教育の偉大さを語り続けた父だった。
「創大に学んだ使命を、必ず果たすからね」。聖美さんは、そう誓った。
卒業後、現在の職場へ。当初は上司から叱られてばかり。目を腫らしたまま朝を迎えたことも。体当たりする思いで仕事に臨んだ。
7人の子を抱えるシングルマザーが、窓口に相談に来た時がある。「教育だけはしっかり受けさせてあげたくて……」と。目の前の「一人」の向こうには、たくさんの大切な人がいる。夢がある。未来がある——今なら父の思いが分かる。
「真剣」と「誠実」こそ「信頼」の源であろう。聖美さんは年々、実績を積み重ね、昨年度には支店の人事評価で最高評価を得た。
上司が在りし日の父の姿を教えてくれた。
「うちの銀行で融資が決まった時にね、お父さんは『これで娘を大学に送り出せる』って、目に涙を浮かべていたんだよ」
創立者のもとで学ばせてくれて、ありがとう——聖美さんは、きょうも心の中の父に笑顔で語り掛ける。

☆開学20周年へ 未来を開くアメリカ創価大学 第1回 新しい街と共に
◇「ここから21世紀を創める」
2021年に開学20周年を迎えるアメリカ創価大学(SUA)。今月末には第15回卒業式が開催され、同窓生のスクラムは約1400人となる。新連載では、卒業生や在学生の特色などを紹介し、世界を結ぶSUAのネットワークに光を当てる。第1回は、SUAキャンパスが立つ、カリフォルニア州オレンジ郡アリソビエホ市との歩みについて——。

◇理想的な天地
カリフォルニア州南部、ロサンゼルスとサンディエゴの中間に広がるオレンジ郡。その名の通り、かつて一帯には広大なオレンジの果樹園があった。
面積は東京都よりやや大きい約2500平方キロメートル。地中海性気候で夏は涼しく、冬は暖かい。ディズニーランドやラグナビーチなどの有名な観光地も多い。
同郡アリソビエホ地区の小高い丘の上にSUAキャンパスの設置が決定したのは、1995年のこと。建設の槌音に合わせるかのように、周辺には高速道路や図書館、ショッピングセンターなどが整備されていった。
2001年5月3日、オレンジ郡キャンパスが開学。その2カ月後、アリソビエホが市として正式に登録された。21世紀の開幕とともに、新しい大学と街が一緒に産声を上げたのだ。
キャンパスを設計した建築家のノーマン・ファイファー氏。歴史光るロサンゼルス中央図書館の増築など、数々の公共施設のデザインを手掛けた人物である。「現在のアメリカにおいて、全く新しい大学が、全く新しい土地に建設されることは、極めて異例なことです」
メディアも注目した。「オレンジ郡南部ビジネス・ダイジェスト」誌(1998年5月号)は「平和」「人権」「生命の尊厳」というSUAの思想性を評価。その存在が地域の「倫理的支柱になっていく」と期待した。

1971年春、開学間もない創価大学(東京・八王子市)の首脳に、池田先生は語った。
「次はアメリカに大学をつくろう」
それを聞いた首脳は"50年、100年先の話だろう"と思ったという。
だが、先生は本気だった。海外に大学をつくることは、戸田先生の薫陶を受けた青春時代からの構想でもある。
80年、ロサンゼルスを訪れ、アメリカ在住の創大卒業生からなる「アメリカ創友会」を結成。この頃から、大学建設の本格的な歩みが始まる。当時、先生は、周囲に何度も強調した。
「アメリカは民族融和の国です。アメリカで創価教育が成功すれば、全世界で成功します」
87年2月には、ロサンゼルス市近郊のカラバサスに創大ロサンゼルス分校が開校。後にSUAの大学院が開学し、4年制の大学を創立する大きな一歩に。
やがて「世界市民の育成」という理念に共感する人々から、"オレンジ郡にキャンパスを設置してはどうか"との提案が寄せられ、検討が重ねられた。
池田先生は、戸田先生の遺言を常に大切にしてきた。
「牧口先生の悲願である、創価の学舎には、最高の教育環境を整えてもらいたい」
先師・恩師の志を継いで創立した創価学園は、清流が流れる武蔵野の地に。創価大学は、緑に包まれた丹木の丘に。ともに富士の秀峰が見える。関西創価学園は、万葉の里として知られる交野の地に——いずれも、大志と詩情が湧き立つような豊かさがある。
オレンジ郡キャンパスの建設が決まった直後に行われた創大・創価女子短大の入学式(95年4月)で、先生は述べている。
「見渡す限り、緑の丘陵がなだらかに続く。一つ山を越えると、青き太平洋が雄大に広がる。まさに『太平洋文明構築の電源地』にふさわしい。この理想的な天地に、大きく夢を広げながら、荘厳なる『教育の城』を建設してまいりたい」

◇多様性の縮図
SUAのキャンパスには、市の街並みが一望できる約1マイル(1・6キロ)の緑豊かな遊歩道がある。
「ミレニアム・トレイル(千年紀の道)」としてアメリカ政府の認定を受けており、ジョギングやサイクリングを楽しむ市民も多い。
2011年には「創価芸術センター」がオープン。クラシックやジャズ、民族音楽などのコンサートが催され、キャンパスは市民の憩いの場に一変する。
"地域に開かれた大学"。それは池田先生が示した指針でもあった。かつて創大ロス分校が開校した折、こう述べている。
「木や花を研究し、キャンパスを美しくしてください」「地元の方にも開いていってください。来られた方が、本当に来てよかったと思われるように」
その理想の姿が、SUAに結実している。

「SUAには週に何度も足を運んでいます。出勤前にカフェテリアでコーヒーを飲んだり、家族で食事をしに来ることもあります」
そう語るのは、アリソビエホ市のロス・チュン市長。市制が始まった2001年に同市へ移り住み、ソフトウエア会社を運営する傍ら、市議を6年務めてきた。SUAの開学式には、一市民として参加している。
SUAでは、大学と市の"誕生日"を祝う意義を込め、開学翌年の02年から毎年5月に「インターナショナルフェスティバル」を開催。多彩な民族・文化のステージや模擬店でにぎわい、今年は6000人が集った。チュン市長も、毎年欠かさず参加し、自身のルーツであるハワイの音楽や食文化に触れる貴重な機会になっているという。「SUAは、私にとっても、わが子と先祖の文化を学び合う"教育の場"です」
市の人口は現在、5万2000人。最近ではマイクロソフトなどの国際企業が進出し、「ビジネス、教育、生活と、バランスのとれた市」に発展している。
一方、ここ数年で東欧、アジア、ヒスパニック系の人々も増加。"多様性の縮図"でもあるSUAの存在感は年々増していると、市長は指摘する。
「海外からの留学生が苦労して学ぶ姿は、多くの青少年の触発になっています。市の発展のためにも、さらに多くの人たちがSUAの魅力を知っていけるよう尽力したい」

アメリカは、ハーバード大学などを"知の拠点"とし、教育の力で成長を遂げた。
SUAは、新世紀の幕開けと同時に、人類の未来を開く新しい大学として、新しい街と共に船出した。
先生は言う。「ここから、21世紀を創めるのです。ここから、21世紀を創るのです」
地域に愛される"世界市民のキャンパス"から、新たな希望の建設は始まる。