地区部長・婦人部長こそ
地域の幸福責任者
広布の勝利責任者だ!
皆をたたえ励まし
異体同心の大行進を!
本因妙抄 P874
『彼の天台大師には三千人の弟子ありて章安一人朗然なり、伝教大師は三千人の衆徒を置く義真已後は其れ無きが如し、今以て此くの如し数輩の弟子有りと雖も疑心無く正義を伝うる者は希にして一二の小石の如し』
【通解】
かの天台大師には、三千人の弟子がいたが、章安一人だけが同じ明朗な悟りを得ている。
伝教大師は、三千人の多くの門下を置いたが、一番弟子の義真の後は、同じ悟りを継ぐ人はいなかった。
今も、それと同じようなものである。幾人かの弟子がいるといっても、疑う心がなく、正義を伝える者は希であって、一、二の小石のようなものだ。
〈寸鉄〉 2019年5月30日
初訪中45年。「池田先生は両国友好開いた先駆者」中国教授。師の魂、万代へ
常に大衆の中で世論を生むことが大事—戸田先生地道な対話こそ変革の要
心豊かな友と過ごせば人生は何倍も意義深くなる—哲人。尊き同志と共に
ごみゼロの日。持続可能な社会を足元から。皆で抑制、再使用などに挑戦
市民の声受け止める公明の存在は心強い—識者。三千の議員網で更に戦え
☆知性の架け橋 海外学術講演45年 中国 北京大学 1980年4月22日(第1回)
「個別」を通し「普遍」を見る中国文明貫く人間への視座
1898年に創立された中国最高峰の名門学府・北京大学。国の未来を双肩に担う若き英才を輩出する同大学に、池田先生は第1次から第7次訪中まで毎回、足を運んでいる。
先生はこれまで、同大学で3回にわたり講演。1980年は「新たな民衆像を求めて」、84年は「平和への王道」、90年は「教育の道 文化の道」と題して、いずれも中国文化の底流に脈打つ"人間を根本とする伝統"について洞察している。
その第1回となる80年の記念講演で先生は、「神のいない文明」としての中国文明がもたらした世界観の特徴を取り上げた。
司馬遷が『史記』で発した「——わたしははなはだ思い惑う——いわゆる天道は是なのか、非なのか」(『中国古典文学大系 11』野口定男訳、平凡社)との問いに触れ、自分自身を襲った悲劇という個別性の上に「天道」の是非をただす生き方は、「個別を通して普遍を見る」ことであり、中国文明の底流をなすものであると言及。一方、西洋文明は19世紀末に至るまで、絶対普遍の神の摂理の是非を、人間の側からよりも、神という「普遍を通して個別を見る」ことが多かった——いわば、神という"プリズム"を通して、人間や自然を捉えてきたと論じている。
そして「新しい普遍主義」の主役は、新たな民衆、庶民群像でなければならないとし、中国の歴史と現実の歩みは、そうした未来を開くエネルギーを秘めていると期待した。
同講演について北京大学の王学珍元校務委員会主任は、多くの教職員、学生の間で話題となり、池田先生に対する認識を一変する機会となったと指摘し、こう語っている。
「新たな庶民の群像によって未来を開け——中国の歴史観と現実を踏まえたうえでの期待の声は、文化大革命が終息し、新しい時代を迎えた北京大学にとって、最も必要な視座ではなかったかと、今となってあらためて感嘆する内容でした」
初訪問となった74年の図書贈呈の申し入れに始まり、両国の民衆を結ぶ先生の教育交流の拠点となってきた同大学。2006年には創価大学北京事務所がオープン。開設10周年の佳節に記念の行事が北京大学で開かれるなど、友情の絆は滔々と受け継がれている。
◇講演から
中国文明は、人々の人間観や世界観にどのような特徴をもたらしたでしょうか。浅学を省みずに言えば、私は「個別を通して普遍を見る」という言葉に要約できるのではないかと思うのであります。(中略)
それは、ある種のプリズムをとおして物事を見るのではなく、現実そのものに目を向け、そこから普遍的な法則性を探り出そうとする姿勢であります。私の親しく交際していた英国の歴史家トインビーは、晩年、中国が世界史の今後の軸になるだろうとの予感を持っていました。彼はその最大の理由として「長い中国史の流れの中で中国民族が身につけてきた世界精神」を挙げております。
キリスト教には極めて批判的な彼は、中国史に蓄積されてきた精神的遺産の中に、侵略的色彩の強いヨーロッパの普遍主義とは違った、ある種の世界精神の萌芽を感じとっていたに違いないと思うのであります。
だからといって私は、中国数千年の歴史をそのまま美化しようとするつもりはありません。分裂あり、内乱、侵入あり、度重なる洪水や旱魃で、民衆が塗炭の苦しみをなめたことも数知れません。(中略)
そのうえで、なおかつ精神的遺産と申し上げたいのであります。長い間に培われた精神の原質ともいうべきものは、そう簡単に変わるものではないし、また、すべてを変えるのが得策ともいえないでしょう。むしろそうした原質を、よい方向、建設的な方向へ磨き上げていくことこそ、中国のみならず、アジアや世界の今後に、多大な貢献がなされるに違いないからであります。
☆知性の架け橋 海外学術講演45年 メキシコ グアダラハラ大学 1981年3月5日
◇詩心と笑顔で結びゆく"心の回路"が平和の砦に
メキシコの名門グアダラハラ大学の創立は1792年。長い伝統を誇り、学生数が28万人を超える総合大学である。
池田先生が同大学で「メキシコの詩心に思うこと」と題して講演したのは、1981年3月5日。
これに先立つ2月26日、先生がメキシコの空港に到着した際、報道陣から「世界各地で続く戦争状態をどう思うか」とマイクを向けられた。
中南米では先の見えない紛争が続き、さらに前年の80年にはイラン・イラク戦争が勃発していた。
先生は「私は仏法者です。仏法は平和主義です。戦争に対しては絶対反対である」と即答し、今回の訪問でも平和・文化・教育の交流のために行動を貫くとの決意を語った。
グアダラハラ大学の講演で先生は、戦乱の中でも失われることのなかったメキシコの人々の"心の豊かさ"をたたえ、同国で67年に「トラテロルコ条約」が結ばれた事実に言及。「人間が人間らしく生きるための骨格ともいうべき、自由、平等、独立などに対するメキシコの人々の鋭い人権感覚が投影されている」と語った。そして国際化の時代を迎えるにあたって、国と国、民族と民族の間に平等互恵が徹底されなければならず、それには民衆相互の心の交流が不可欠であると指摘した。
講演後、聴講したサルドバル・ラミレス教授(当時)は「池田氏のヒューマニズム、幅広い体験と見識の一端を知る思いがした」と述べた。
また、メキシコ中部の名門グアナファト大学人文学研究センターのルイス・リオンダ所長(同)は、講演を通して創価の哲学に共感。後にリオンダ所長の推挙によって、グアナファト大学から先生に、最高名誉博士号が贈られた(90年3月)。
さらに2004年には、グアダラハラ大学から先生に名誉博士号が授与され、翌05年には創大と同大学が学術交流協定を結んだ。
池田先生の講演が築いた両国の架け橋を、現在まで多くの学生が往来。互いの文化に触れつつ、触発し合い、"心の豊かさ"を学んでいる。
◇講演から
詩心(スピリット・オブ・ポエム)そして笑顔——。それは何よりも、心と心の回路の開放を意味しております。平和といい文化交流といっても、肝心の心の回路が開かれていなければ、絵にかいた餅に等しい。有名なユネスコ憲章の「戦争は人間の心の中に生まれる。だから心の中に平和の砦を築かなければならない」との一節も、そのことを意味しているといえましょう。(中略)
たしかに自由といい、平等、独立といっても、それを完全に実現することは至難の業であります。近代メキシコの歴史も、多くの曲折をたどった試行錯誤の過程であったといってよいかもしれません。政治、経済面をはじめ、課題は数多く残されており、あげて皆さま方の今後の努力と建設作業にかかっているわけであります。しかし私は、三百年にわたるスペイン統治下の凍てついた大地の下でしぶとく生き続け、独立や革命を経て鍛え上げられてきたメキシコの人々のアルマ(魂)は、将来にわたって、必ずや見事な実を結ぶであろうことを信じてやみません。