2019年5月20日月曜日

2019.05.20 わが友に贈る

◇今週のことば
仏法は「桜梅桃李」。
皆の持ち味に光を当て
悦びあふれる座談会を!
「ほむれば弥功徳まさる」
人材の波を勢いよく!
2019年5月20日

兵衛志殿御返事 P1108
『各各みわきかたきもたせ給いたる人人なり、内より論出来れば鷸蚌の相扼も漁夫のをそれ有るべし、南無妙法蓮華経と御唱えつつしむべしつつしむべし』

【通解】
あなた方はそれぞれ法華経のゆえにはっきりした敵を持つ身である。
それ故、内輪から論争をおこしたりしては、鳥のシギと貝のハマグリが争いあって共に魚夫に捕えられてしまったように、結局、敵の乗ずるところとなるでしょう。南無妙法蓮華経と題目を唱え、よくつつしんできなさい、つつしんでいきなさい。

〈寸鉄〉 2019年5月20日
学会の対話は家庭や地域から平和築く壮大な運動—市議。足元で信頼拡大
岩手「女性の日」「青年部の日」。郷土に励まし送る皆様こそ福光世紀の希望
「わざはひも転じて幸となる」御書。変毒為薬の仏法。大確信で祈り抜け
5月は小学生の交通事故多し。交差点の左右確認等、親から子へ注意喚起
運動習慣・健康的な食事・禁煙が認知症予防に重要—WHO。聡明に工夫を

☆ふるさとを照らす誉れの長者 農漁光部 2019年5月2日
「私たちの生命の営みは、『食』を生産する方々の尊き尽力によってこそ成り立っている」と、池田先生はつづった。「この一点において、農漁村にこそ、最大の感謝と最敬礼が捧げられるべき」とも訴えている。私たちの「命」を支える農漁光部の代表を紹介する。

愛知・西尾市 深谷守さん
●"日本一のシイタケ農家"に
俗に「香りマツタケ、味シメジ」というが、「やっぱりシイタケが一番でしょう」。深谷守さん(副支部長)は、そう胸を張る。
生まれ故郷の愛知・西尾市でシイタケをつくり続けて41年。名古屋市や刈谷市などの市場に加えて、JA西三河管内全ての産直店舗に出荷している。
シイタケを推すのには訳がある。栄養素が豊富な上にカロリーが低く、料理への汎用性も高い。鍋、すき焼き、豚汁、パスタ、バーベキュー。天ぷらや炊き込みご飯にしてもおいしい。
深谷さんが営む「三河園」では、十数人の従業員がにぎやかに働いている。道ゆく人々がその様子を見て、「楽しそうな職場だねえ」と、声を掛けてくるほど。「自慢のシイタケをつくっている」という誇りが一人一人に脈打っているのだ。
手法は、天然のナラの木のおがくずを使用した菌床栽培で、無農薬。色が白く肉厚で、ほどよい香りが食欲を誘う。ぷりぷりとした食感の良さも評判だ。菌床栽培による生シイタケの品質を競い合う、全国サンマッシュ生産協議会主催の品評会で、最高位の特別賞と2度の金賞に輝いている。
「功徳としか言いようがありません。一番大変だった時を耐え抜いたからこその……」(深谷さん)
親から譲り受けた農地でシイタケの原木栽培を始めたのは1978年。当初は順調だったが、平成に入って中国産の輸入が解禁されたことに伴い、日本産の価格が下落。国内のシイタケ農家が次々と廃業に追い込まれていく。「三河園」も数千万円の借金を背負った。乗り越えることができたのは、「妻、そして同志の支えがあったからです」。
妻・悦子さん(支部副婦人部長)は、何があっても朗らかだった。地域の同志の祈りと励ましにも、どれほど勇気づけられたか。夫妻は当時、地区部長・地区婦人部長。自宅を広布の会場として提供していた。
「古里に恩返しがしたい」——この至誠が、諸天を動かしたのだろう。思わぬ形で資金を借り入れることができ、これを元手に原木栽培から菌床栽培に切り替えた。その後、少しずつ販路を拡大し、借金を返済することができたのである。
三河園の作業場には、シイタケの品評会の表彰状がいくつも飾られている。その中に手書きの「感謝状」が。従業員たちから深谷さん夫妻に贈られたものだ。そこには「あなたは、あなたにしかできない愛と、あなただからこそできる祈りによって、ずっとずっと三河園を守り続けて下さいました」と記されている。
うれしいことに孫の征斗さんが後継者として生産に携わるようになった。男子部大学校2期生でもある。
古里への尽きせぬ愛、そして「日本一のシイタケ農家に」という祈りは、次代へ受け継がれていく。

兵庫・坊勢島 上田知春さん
●漁業をもり立て郷土を守る
漁師の朝は早い。上田知春さん(地区部長)・千穂さん(地区婦人部長)夫妻の朝は、さらに早い。漁に出る知春さんの無事故を、じっくりと祈る時間を確保するためだ。
兵庫・姫路港から定期船で約30分、瀬戸内海に浮かぶ坊勢島(姫路市)。夫妻はこの島に生まれ育った。知春さんは父親から続く漁師の2代目である。
未入会だった知春さんが「とにかく題目をよくあげる」千穂さんと結婚したのは、1981年。2年後、知春さんは船引き網のネットローラーに巻き込まれる大事故に遭う。命を落としてもおかしくはなかった。「でも不思議なことに骨一本、折れなかったんです」
ふと、妻の千穂さんが、朝な夕なと真剣に唱題してくれていた姿を思い出す。「守られたんだ」。以来、毎朝、夫妻で御本尊の前に座ることが日課となった。
"守られた"と感じたことは一度や二度ではない。ほかの漁師が不漁に悩む中で安定した漁獲量を維持できたり、老朽化した船を抱えて資金繰りに困った時、比較的新しい船を無料で提供してくれる漁師仲間が現れたり。早朝の祈りを欠かさず、学会活動にも一歩もひかず挑戦する中で、いくつもの功徳を実感した。
坊勢島の漁師は技術が高い。皆が日々、創意工夫を重ねている。捕る魚の大きさに合わせて網目の大きさを調整し、網を編む針も自分で作るのが当たり前。漁獲高は兵庫県でトップレベルだ。また「漁師の平均年齢が日本一若い島」といわれ、40代以下の漁師が全体の約4割を占める。
漁業をもり立てることは郷土を守ること。その担い手である漁師一人一人のため、後継の若者のために、できることは何でもやろう——これが、知春さん・千穂さん夫妻の誓いである。
その実践は、決して特別なことではない。何か困っていることはないか、誰かと会うたびに笑顔で声を掛ける。頼まれたことはすぐにやる。若手の育成にも余念がない。千穂さんは、島の漁業協同組合婦人部副会長や中学校のPTA副会長を歴任した。
胸に刻む御書の一節がある。「濁れる水には月住まず枯たる木には鳥なし」「法華経を持つ女人は澄める水の如し」(1395ページ)
信心強き人の心は、澄んだ水のように美しい。魚が清い水に集まるように、人間もまた、美しい心の人の周りに集まるものだろう。上田さん夫妻は、森良治さん(支部長)・佐由美さん(支部婦人部長)夫妻と力を合わせて、学会理解を大きく広げてきた。
今春、「春告魚」と呼ばれるイカナゴは例年にも増して高値が付いた。知春さん自身、一日の水揚げ量で過去最高記録を残すこともできたという。関西各地の食卓で、イカナゴのくぎ煮の味と香りを楽しんだ人も多いに違いない。これからいよいよシラスの季節だ。
「一つ一つ、実証を示す"戦い"です」。まだ夜の明けきらない坊勢島の港から、きょうも知春さんを乗せた船が出る。