熱中症に厳重注意!
室内でも油断せず
水分補給・温度調整を!
特に高齢の方々には
事前対策への声掛けも!
御義口伝巻上 P750
『末法に於て今日蓮等の類いの修行は妙法蓮華経を修行するに難来るを以て安楽と意得可きなり』
【通解】
末法において、今、日蓮等の類いの修行は、妙法蓮華経を修行するのに、難が襲ってくることをもって、安楽であると心得るべきである。
〈寸鉄〉 2019年5月28日
"人と語る"とは人格を懸けて戦う事—恩師。創価の全権大使の気概で開拓
宮城県婦人部の日。希望送る対話を今日も!女性の世紀は"青葉の森"から
生活満足度、社会との繋がりが強い人ほど高く。幸の大道歩む我らが証明
増やしたい生活習慣は睡眠、運動—調査。着実な時間革命で価値ある日々を
物が二重に見える子ども増加と。携帯の過剰使用等、家庭で規則決め防げ
☆御書と歩む� 第71回 病魔に敢然と立ち向かえ
『此の人のやまいを忽になをして・かへりてまほりとなりて鬼道の大苦をぬくべきか』(法華証明抄、1587ページ)
◇通解
(鬼神どもよ)この人(南条時光)の病をすぐに治して、(三世十方の仏の大怨敵となるのと)反対に、この人の守りとなって餓鬼道の大苦から免れるべきではないか。
◇同志への指針
日蓮大聖人は、重病と闘う南条時光に"天魔の威しなど断じて恐れるな"と励まされた。そして鬼神に対しては、"直ちに病を治し、善神となって守護せよ"と烈々と呵責されている。この後、時光は回復し、50年も寿命を延ばして使命を果たした。
妙法受持の我らは御本仏とご一緒に、病魔を叱り飛ばす大生命力で断固と生き抜くのだ! 同志を護り抜くのだ!
☆御聖訓に学ぶ勝利の要諦 テーマ「師子王の心」 2019年5月21日
◇臆病の心に負けるな 恐れなく迎え打て!
「広宣流布のために進めば、必ず三障四魔が競い起こる。その時こそ、成長できる。『人間革命』『宿命転換』のチャンスである。臆病の心に負けてはならない。怯んでしまえば、そこに魔は増長して付け込んでくる。『師子王の心』を取り出して、恐れなく迎え打てば、魔は退散するのだ」(『勝利の人間学』)。逆境や問題に直面した時こそ、御本尊への強盛な祈りから始めよう! 師子王の心で、強気で立ち向かおう! あらゆる魔性を打ち破り、広布と人生の勝利をつかみ取ろう!
勇敢に突破口を開け
●御文
『各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ、師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし』(聖人御難事、1190ページ)
●通解
あなたがた一人一人が師子王の心を取り出して、どのように人が脅そうとも、決して恐れることがあってはならない。師子王は百獣を恐れない。師子の子もまた同じである。
弟子よ、恐れるな!
私と同じように、勇敢に立ち向かえ!
師匠の渾身の励ましに、門下はどれほど勇気づけられたことでしょう。
本抄は、弘安2年(1279年)10月1日、身延で認められ、門下一同に与えられました。
当時、「熱原の法難」の渦中であり、門下もまさに命懸けで信仰を貫かなければならない状況でした。
大聖人は弟子たちに、弾圧が厳しければ厳しいほど、「師子王の心」を取り出すように教えられています。
臆病な心に支配されれば、気持ちが萎縮してしまい、事態はますます望まない方向に進んでしまうものです。
逆に、勇気をもって、強気で立ち向かっていけば、必ず突破口が開けます。
「師子王の心」とは、どんな迫害にも屈することのない勇気です。生命の底力です。
"取り出す"と仰せなのは「師子王の心」が、人からもらうものでも、与えられるものでもなく、わが生命に具わっているものだからです。
取り出すか、取り出さないか——それは、どこまでも弟子の信心に懸かっています。
大聖人は弟子を「師子の子」と仰せです。私たちも「師子王」となれるのです。
そのためには、仏法の師弟に連なる誇りを胸に、勇敢に拡大に打って出ることです。戦う勇気の人が、師子王であり、勝利者なのです。
◇油断なく"今を勝つ"
●御文
『師子王は前三後一と申して・ありの子を取らんとするにも又たけきものを取らんとする時も・いきをひを出す事は・ただをなじき事なり』(経王殿御返事、1124ページ)
●通解
師子王は前三後一といって、蟻の子を取ろうとする時にも、また、猛々しいものを取ろうとする時にも、その飛びかかる勢いは、全く同じである。
師子は、たとえ弱い敵であったとしても、必ず全力で立ち向かいます。だからこそ、百獣の王たりえるのです。
本抄は、文永10年(1273年)8月15日、病気の子をもつ門下に与えられたお手紙です。諸天をも揺り動かす、強盛な信心、確信の祈りによって、願いは叶えられると教えられています。
どんなに圧倒的な力を持っていたとしても、"たいしたことない""これぐらいで大丈夫だろう"といった、慢心や油断があれば、そこに魔が付け込み、予想だにしない敗北を喫してしまうものです。
負けの原因は、往々にして、敵にあるのではなく、自身の心の隙にこそあるのです。
だからこそ、大事なことは、魔を寄せ付けないことです。些細なこと、簡単に思えることでも、持てる力を出し切って挑んでいくことです。
私たちの実践にあっては、どんな小さなことも、御本尊に強盛に祈っていくことです。そうすれば諸天が守ります。何より、仏界の生命という最高の勇気が湧き、どんな敵にも全力で挑んでいくことができるのです。
真剣な人、真面目な人には、誰もかないません。その全力投球の必死な姿に触れて、周りの人も応援したくなります。悪鬼・魔民をも味方にしていくことができるのです。
戦いに臨んで、油断なく、"今を勝つ""ここで勝つ"と、全力を注ぐ人にこそ、勝利の栄冠は誇り高く輝くのです。
◇コラム 師子吼
日蓮大聖人は、「師子王の心」と共に、「師子吼」の大切さを教えられています。
「師とは師匠授くる所の妙法子とは弟子受くる所の妙法・吼とは師弟共に唱うる所の音声なり作とはおこすと読むなり、末法にして南無妙法蓮華経を作すなり」(御書748ページ)
「おこす」とあるように、受け身ではなく、弟子が自らの決意、覚悟で立ち上がってこそ、師弟一体の師子吼となるのです。
さらに、「譬えば一の師子に百子あり・彼の百子・諸の禽獣に犯さるるに・一の師子王吼れば百子力を得て諸の禽獣皆頭七分にわる」(同1316ページ)と教えられています。
師子王の咆哮に力を得て、百子が禽獣を打ち破るのです。弟子の戦いで、一切の障魔を打ち破っていくのです。
池田先生は「師と弟子が、共に心を合わせ、広宣流布の拡大へ、正義の声を上げていく——これが『師子吼』の真髄である。『師子吼』なればこそ、創価三代の師弟はすべてに勝ってきた」(『勝利の人間学』)と。
師匠と同じ誓願に立ち、戦ってこそ、不二であり、実践と勝利のあるところに、創価の師弟の魂は脈打つのです。