2019年5月19日日曜日

2019.05.19 わが友に贈る

使命を自覚した時
可能性は大きく開く。
「何のため」を忘れず
広布と人生の勝利へ
宝の同志と前進しよう!

四条金吾殿女房御返事 P1135
『大将軍よはければしたがうものもかひなし、弓よはければ絃ゆるし風ゆるければ波ちゐさきは自然の道理なり』

【通解】
大将軍の心が弱ければ従う兵卒もふがいない。弓が弱ければ絃もゆるい。風がゆるやかであれば波も小さいのは自然の道理である。

〈寸鉄〉 2019年5月19日
学会の「常住御本尊」記念日。慈折広宣流布へ。我らは永遠に師と共に邁進!
熊本の日。勇気の師子吼で拡大に先駆を!火の国に共戦の人材城は堂々と
「元品の無明を対治する利剣は信の一字」御書。祈り貫け。これ勝利の源
「友情を育て、信用される人になりたまえ」詩人。信頼結ぶ振舞に仏法は脈動
マルチ商法の被害相談、20代が突出。必ず儲かるは嘘だ。絶対騙されるな

☆世界に魂を 心に翼を 第15回 沖縄芸能の光彩(下)
◇百年先も変わらぬ思い
「平成」の音楽シーンは、沖縄のアーティストを抜きには語れない。
とりわけ、本土復帰から20周年を迎えた平成4年(1992年)は、安室奈美恵がデビューし、THE BOOMの「島唄」がヒットするなど、沖縄の音楽文化が脚光を浴び始めた転機の年だった。
当時、沖縄タイムス社の芸能担当記者だった上間正敦氏(現・読者局長)。「まさにターニングポイントでした。それまで抱いていた言葉や文化へのコンプレックスから抜け出し、明るく大きく沖縄文化を捉え、誇りを持とうとした時代です。その代表作が『大航海』。そう紙面でも取り上げてきました。初めて民音の存在を意識した公演でもあります」
民音が企画・制作した「大航海」は、500年前の琉球を舞台としたミュージカル。91年に沖縄で初演され、翌92年に全国で公演された。
沖縄の民俗芸能を初めて舞台化した「沖縄歌舞団」の公演(69年)以来、民音は一貫して沖縄芸能の魅力を伝える公演を主催してきた。
そうした歴史を俯瞰しつつ、上間氏は語った。「芸能に携わった者として感服します。沖縄だけでは、これほど大がかりな企画はできない。『大航海』に関わった人たちが、今、第一線で活躍しています」
◇ ◆ ◇
ミュージカルの舞台は、琉球王国がアジア諸国と活発な交流を重ねていた「大交易時代」。
島を飛び出した5人の若者が、中国、タイ、マレーシア、インドネシアの各地で、さまざまな人や文化、芸能と巡り合い、沖縄文化のルーツを知る——という物語である。
原作は伝統芸能研究の第一人者である三隅治雄氏、脚本・音楽監督を作曲家の中村透氏が担当。照喜名朝一氏や照屋林賢氏、普久原恒勇氏らが音楽、幸喜良秀氏が演出、佐藤太圭子氏が振り付けを手掛けるなど、沖縄を代表する顔ぶれがそろった。
主役の5人は、オーディションで選ばれた若手舞踊家たち。沖縄歌舞団などで活躍した熟練の踊り手が演技指導を担い、そこに、アジア各国から招いた芸術家が加わった。
沖縄芸能を継承しゆく各世代の芸術家と、アジアを結ぶ民音のネットワーク。その総力を結集した舞台が「大航海」であった。
「さまざまな事情やしがらみを背負った若者が、沖縄人らしい明るさやしたたかさで、外の文化を吸収する。一人また一人と仲間に加わり、共に大きな目標へと達していく——ストーリーに"夢"がありました」
そう「大航海」を振り返るのは、主役を務めた一人、玉城盛義氏(玉城流三代目家元)。伝統芸能を中心に、現代演劇や映画など、ジャンルを超えて幅広く活躍する。先月、天皇陛下御在位30年を記念し、東京・国立劇場で伝統の組踊を上演した。
「大航海」に出演した当時、玉城氏は大学生。幼少から古典舞踊に親しんできたが、演劇も海外の舞踊家との共演も初めての経験だった。
「とにかく"飛び込もう"と思いました。沖縄歌舞団以来となる大きな公演です。歌舞団の公演は、その後、沖縄から発信する芸能のベースとなっていきました。出演した先生方が、歌舞団の公演を誇らしく語っていたことを覚えています」
アジア各国の舞踊家と「大航海」のステージを共にする中で、玉城氏は文化の力を実感した。「芸能を通して、どんな国の人とも一つになれる。そう確信した原点です」
後に、日韓関係が冷え込んだ折、玉城氏が韓国・済州島で行われた文化行事に参加したことがある。
済州島は、沖縄と同様に差別に苦しんだ歴史を持つ。島の人々と語らう中で、「過去は過去。今を生きる私たちは前を向こう」と、対立を超える人間の絆を約し合った。
玉城氏は語る。「見聞を広めるほどに、『大航海』のテーマは普遍的であったと感じます。"沖縄ブーム"が起こる直前、沖縄に生きる素晴らしさを、改めて認識した公演でした。国家間などの次元を超えて、人は手を取り合える——今、より求められているテーマではないでしょうか」
◇ ◆ ◇
91年11月、「大航海」は那覇市民会館を皮切りに、沖縄の7会場を巡回。行く先々で喝采を浴びた。
沖縄の浜辺から始まり、アジア各国を旅する全9景。豊かな演技とともに観客の心を打ったのが、テーマソング「イチャリバチョーデー(行き逢えば兄弟)」である。歌い上げられる"沖縄の心"に、イントロが流れるだけで涙する人もいた。
民音創立者の池田先生は、各会場の模様を耳にするたび、公演の成功を祝福し、伝言を寄せている。
先生の沖縄への思いは深い。何度も足を運んで対話を重ね、沖縄返還の具体的道筋が見えなかった67年、本土復帰を求める提言を発表。畢生の書である小説『人間革命』も沖縄の地で起稿した。ミサイル基地跡を核廃絶を訴える拠点へと蘇らせ、各国の指導者・学識者を招いてきた。
ミュージカル「大航海」が話題を呼んだ91年と92年、先生は相次いで沖縄を訪れている。92年2月には、本土復帰20周年を記念するアジア平和音楽祭(沖縄研修道場)に出席。"栄えゆく沖縄の姿が、何よりもうれしい。10年前、20年前に、今日の沖縄の発展を誰が予想できただろうか""第一級の国際人である沖縄の人々の心に学び、人間交流の大航海時代へ出航を"と語り、交歓会では太鼓を持って舞に加わった。
この年の秋、東京から始まった「大航海」の全国公演は、23都市を巡演。各地で大きな感動を呼び起こし、沖縄の新たな時代を感じさせた。
◇ ◆ ◇
今、沖縄で"奇跡の舞台"と評されるステージがある。
伝統の「組踊」をベースに、ダイナミックな舞、大迫力の音楽などを取り入れた「現代版組踊」である。
その主役は子どもたち。伝統芸能を喜び舞う中高生の姿は、全国ネットなどでもたびたび取り上げられ、青少年の人材育成や地域おこしの場としても大きな関心が集まる。
この"沖縄版ミュージカル"の生みの親は、「大航海」にも出演した平田大一氏。現代版組踊の推進協議会会長を務め、甲子園の応援歌などで人気の「ダイナミック琉球」を作詞したことでも知られる。
「『大航海』がなければ『現代版組踊』もなかった」と氏は言う。
「沖縄を見つめ直すきっかけになりました。足元にある古典芸能や琉球舞踊の重みに気付き、もう一度、沖縄から出発したいと思えた。僕の芸術性の方針を決めてくれたんです」
人口500人の小浜島で育ち、東京の大学へ。自作の詩を朗読する舞台に取り組んでいた時、「大航海」の主役に抜てきされた。
「大航海」で描かれた、アジアの国々との麗しい文化の絆。ある日、その系譜を自らの目で確かめようとインドネシアへ飛んだ。バリ島で見た笛の作り方が、小浜島と瓜二つなのを目の当たりにし、心が躍った。
92年の「大航海」をへて、数々の舞台で脚本や演出を手掛けてきた平田氏。那覇市芸術監督や県の文化観光スポーツ部の部長等も歴任し、沖縄のさらなる発展に尽くす。
「子どもたちに"感動"してもらえるかどうか——それが全ての始まりです。若い人が生き生きと躍動する姿が、この街の未来に直結する。『大航海』という舞台に育ててもらった僕が、今度は子どもたちに沖縄の素晴らしさを伝えていきたい」
◇ ◆ ◇
これまで30カ国以上で琉球舞踊を披露してきた玉城敦子さん(玉城敦子琉舞道場主宰)。「特段、意識はしませんが、『大航海』は常に私の中にあります。稽古をつける時も、いつの間にか公演の話をしていますから」と歯切れ良く語る。
玉城さんにとっても、初めてのミュージカル。かつて、これほどの時間をかけて一つの作品に向き合った経験はなかったという。
演出家の指導を受けながら役柄を掘り下げる。厳しい指摘に納得がいかず、他の主役メンバーと夜通し意見をぶつけ合った。「あの時、こういうことを言いたかったのかと、今になって理解できることもたくさんあります。沖縄のみならず、アジアの一流の芸術家の力が結集した舞台でした。まさに民音のなせる技です」
主役の一人一人に思いをはせながら、玉城さんは言葉を継いだ。
「一時的な取り組みではなく、民音は、それこそ半世紀にわたって、沖縄に限らず、日本の芸能を後押ししてきた。ずっと同じ思いで応援してくれた。その思いは、次の世代にグラデーションのように継がれているんです。百年先も変わらない熱さで応援してくれると思う。だから私も民音を語り継いでいきたい。支えてくださる方がいるから、自分がこれだけ輝けるのだと」
◇ ◆ ◇
民音が沖縄歌舞団の公演を行ってから、ちょうど50年。埋もれかけていた沖縄芸能の魅力を"再発見"し、新たな"創造"の場を紡いだ半世紀は、世代を超えて芸能の魂をつなぎ、次代の担い手を育みゆく挑戦でもあった。
その原点は、池田先生の沖縄を思う心にほかならない。
「芸術は、生きる歓びの歌である。芸術は、人間を結びあう力である」「この芸術の真髄の魂が、いずこにもまして躍動する天地こそ『万国の津梁(懸け橋)』沖縄である」
不変の原点を胸に、民音は文化の未来を照らし続ける。これまでも、これからも。