2019年5月27日月曜日

2019.05.27 わが友に贈る

◇今週のことば
仏の異名は「大橋梁」。
我らは社会へ 世界へ
高き「希望の端」を!
光る「平和の端」を!
胸を張って建設だ。
2019年5月27日

四条金吾殿御消息 P1113
『かかる日蓮にともなひて法華経の行者として腹を切らんとの給う事かの弘演が腹をさいて主の懿公がきもを入れたるよりも百千万倍すぐれたる事なり、日蓮霊山にまいりてまづ四条金吾こそ法華経の御故に日蓮とをなじく腹切らんと申し候なりと申し上げ候べきぞ』

【通解】
このような日蓮にともなひて、法華経の行者として腹を切ろうと言われたことは、かの中国の弘演が自分の腹をさいて主人の懿公の肝を入れたことよりも、百千万倍すぐれたことである。
日蓮が霊山に詣でた時には、まず四条金吾こそ法華経の故に、この日蓮と同じように腹を切ろうとしたと言いましょう。

〈寸鉄〉 2019年5月27日
アメリカ創価大学で卒業式。平和の世紀は君らの双肩に。世界に羽ばたけ
神奈川婦人部の日。勇気の対話で新時代の勝利の歴史を!正義の心で前進
「法自ら弘まらず」御書。故にわが地域に人材の大河開け。励ましの光更に
交通事故に要注意!疲れや油断、焦りは禁物。互いに声掛け。深き祈りを
塩分過多の食事は脳卒中などの死亡リスク高めると。食生活、バランス良く

☆御書と歩む� 第70回 永遠に御本尊根本で前進
『竜樹天親等・天台妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を・末法二百余年の比はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり』(日女御前御返事、1243ページ)

◇通解
竜樹・天親ら、天台・妙楽らでさえも顕されなかった大曼荼羅を、末法に入って二百年余りが過ぎたころに、初めて法華弘通の旗印として顕したのである。

◇同志への指針
この御本仏の甚深なるお心が、広宣流布大誓堂に御安置の「創価学会常住御本尊」に留められている。
戸田先生が発願された、この御本尊を、まさしく「法華弘通のはたじるし」として、学会は慈折広布、立正安国を断行してきた。
全民衆が幸福になるための御本尊である。「何事か成就せざるべき」と、誓願の題目で前進しようではないか。

☆6月度男子部 四条金吾殿御返事(法華経兵法事)
◇どこまでも信心根本に! 勇気こそ勝利への出発点
6月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では、「四条金吾殿御返事(法華経兵法事)」を研さん。どこまでも信心根本に戦うことの大切さを学ぶ。

◇御文
『なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし、「諸余怨敵・皆悉摧滅」の金言むなしかるべからず、兵法剣形の大事も此の妙法より出でたり、ふかく信心をとり給へ、あへて臆病にては叶うべからず候』(御書1192ページ)

◇通解
どのような兵法よりも、法華経の兵法を用いていくべきである。「あらゆる怨敵は、皆ことごとく滅びる」(法華経薬王品第23)との金言は、決して空しいはずがない。兵法や剣術の真髄も、この妙法から出たものである。深く信心を起こしなさい。決して、臆病では何事も叶わないのです。

◇背景と大意
本抄は、弘安2年(1279年)10月、四条金吾に与えられたお手紙である。
当時は、熱原の法難の渦中であり、鎌倉において門下の中心的存在だった四条金吾もまた、命に及ぶ危難に直面していた。
金吾は主君の江間氏を折伏したものの、主君は真言律宗の僧・極楽寺良観の信奉者であったため、不興を買う。同僚からの讒言もあり、ついには主君から"江間家を去るか、信仰を捨てるか"と迫られ、苦境に陥った。
それでも、金吾は大聖人の御指導通り、強盛な信心と主君への誠実を貫いた。その結果、主君の信頼を回復。弘安元年(1278年)には、以前の3倍に及ぶ領地を与えられるまでになった。ところが成功をねたむ人々から金吾は命を狙われたのである。
本抄は、危難を乗り越えた報告に対する御返事である。
大聖人は、金吾が無事であった要因について、「普段からの用心」「けなげ(勇気)」「強き信心」と3点にわたって指摘。「これに・つけても・いよいよ強盛に大信力をいだし給へ」(御書1192ページ)と、一層の信心に励むよう激励されている。

◇解説
大聖人は本抄で、武士であった四条金吾の心に伝わるよう、「兵法」「兵法剣形の大事」等の比喩を用いて指導された。「兵法」とは、戦闘の作戦、戦術や武術のこと。現代に即して考えれば、仕事や生活の諸課題において、よりよい結果を得るための工夫や方法ともいえよう。
拝読御文では、そうした方策を生み出す根本は全て、妙法にそなわっていることを示され、信心を忘れて策のみに走ることを戒められている。
信心を根本とした絶対勝利の兵法——これこそが「法華経の兵法」である。
「諸余怨敵・皆悉摧滅」の金言通り、「法華経の兵法」で挑むならば、あらゆる「怨敵」を打ち破ることができる。「怨敵」とは、日常の中で立ちはだかる困難や悩み、また、宿命や魔の働きとも捉えられよう。社会においては、妙法を持つ人をねたみ、迫害する「三類の強敵」にほかならない。
本抄の結びで、大聖人は、臆病の心を戒められ、深く信心を起こすよう、強調されている。勇気を奮い起こして妙法のために生き抜く。その功徳によって、成仏を妨げるあらゆる魔軍を打ち破ることができる。「法華経の兵法」とは「勇気」の異名であり、「勇気」こそ一切の勝利の出発点なのだ。
その「法華経の兵法」の偉大な力用を体現し、証明してきたのが、創価の師弟である。
「大阪の戦い」(1956年)で、池田先生は、関西の同志と共に、この御聖訓を拝して、不可能とも思える難関に挑み、「"まさか"が実現」と世間が驚嘆する大勝利を成し遂げられた。
「大阪の戦い」に参加したのは、ほとんどが入会まもない"新会員"だった。その中で先生は「法華経の兵法」という将軍学をもって、強盛な祈りを根本に、縁する全ての人々を励まし、一人一人の勇気を奮い起こされた。そうした先生の一念と行動に呼応して、同志は、地涌の勇者として堂々と正義を語り抜いていったのである。
先生は語られている。「庶民の心の中に飛び込んで、『ともに幸福になろう!』『ともに勝とう!』という渾身の励ましを送る。そして、偏見や旧習の壁を打ち破って、民衆の栄光を勝ち開く。これが『法華経の兵法』であります」
私たちは、全ての広布の戦において、どこまでも唱題によって勇気を湧きいだして臨んでいきたい。新しい力である男子部大学校2期生と共に、地域へ、社会へ、雄々しく対話を拡大し、師弟不二の勝利の旗を打ち立てようではないか!