「仏種は縁に従って起る」
結んだ友情を大切に
新たな仏縁を広げよう!
地域・社会を輝かせる
自他共の幸福の連帯を!
諸法実相抄 P1360
『末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり』
【通解】
末法において妙法蓮華経の五字を弘める者は、男女のわけ隔てをしてはならない。皆、地涌の菩薩として出現した人々でなければ唱えることのできない題目なのである。
〈寸鉄〉 2019年5月18日
「なをなを信心をはげむを・まことの道心者」御書清新な誓い胸に対話拡大
きょう「秋田の日」。団結固き日本海の雄。新しき師弟共戦の勝利の歴史を
「共に」の心と行動の中に日蓮仏法の真髄が。粘り強い励ましで広布を加速
車上荒らしが各地で頻発と。鞄・貴重品の放置は厳禁。短時間でも施錠必ず
熱中症の救急搬送が徐々に増加。3割が室内で発生。水分・塩分補給まめに
☆知性の架け橋 海外学術講演45年 インド ガンジー記念館 2019年5月1日
1992年2月11日
「不戦」の世界を目指す大いなる精神の連帯を
インド・ニューデリーのガンジー記念館は、同国のガンジーにまつわる記念館の中心的立場にある政府機関である。
「インド独立の父」マハトマ・ガンジーが凶弾に倒れた場所に立つ同記念館は、最晩年に使用した貴重な遺品等を展示しており、非暴力の思想や精神を後世に伝え残す取り組みを進めている。
1992年1月からアジア各地を歴訪した池田先生は、香港、タイに続いてインドへ。同記念館の招へいを受け、2月11日に「不戦世界を目指して——ガンジー主義と現代」と題して講演した。
冒頭、恩師・戸田城聖先生の誕生日であるこの日に、師が深く心を寄せていたインドで講演する感慨を述べ、ガンジーの鋭い洞察に言及した。
先生は、未来に伝えるべきガンジー主義を�人間への信頼に基づく透徹した「楽観主義」�漸進主義的「実践」�慈母のごとく、厳父のごとく寄り添う「民衆」観�調和・融合を志向する「総体性」の4点から考察。
その上で「私は、人間の活動から遊離した宗教というものを知らない。宗教は他のすべての活動に道義的な基礎を提供する」(古賀勝郎訳)とのガンジーの信念に触れ、「開かれた精神性、宗教性」こそ、20世紀に独善的イデオロギーに痛めつけられてきた人類の心を癒やし、蘇生させる道であると訴えた。
講演の内容は、現地メディアで大きく報道された。最有力英字日刊紙は社説の中で、「"人類の至宝"ともいうべき先哲・ガンジーの哲学にのっとってこそ、不戦世界を目指すことができるという池田博士の信念には、感謝の念を禁じえない」と論じた。
聴講した来賓からは、「池田博士の話を聞いて、博士の中に"もう一人のガンジー"を見いだしました」等の称賛の声が相次いだ。
講演には、インド文化国際アカデミー理事長のロケッシュ・チャンドラ博士や、ガンジー記念館の当時の館長であるN・ラダクリシュナン博士ら、識者が多数出席。不戦を願うこれらインドの優れた知性と池田先生の友情は、信頼を深めながら現在まで絶えることなく続いている。
◇講演から
ガンジーは、この大いなる精神性、宗教性は、あらゆる人々の中に平等に宿っている、その内なる力を眠らせたままでは決してならない、それを全人類に目覚めさせていこうと呼びかけているように思えてならないのであります。
「真理は神である」をモットーとし、セクト性を徹底して排しつつ、ガンジーが心に抱いていた"聖なるもの"こそ、この精神の力ではないでしょうか。それこそが凶暴なイデオロギーによって痛めつけられた人々の心を癒し、蘇生させ、人類史を開きゆく大道であることを、私は信じてやみません。
私がこの「平和の王道」を恩師から学んだのは、戦後まもない19歳の時であります。以来45年間、波瀾万丈の民衆運動に身を投じてまいりました。
これからも更に、ガンジーが生涯、民衆の中で、魂と魂の美しい共鳴を奏で続けたあの姿をしのびつつ、尊敬するインドの皆さま方とご一緒に、「不戦」「平和」への大いなる精神の連帯を、世界へ広げてまいる決心であります。
☆知性の架け橋 海外学術講演45年 ブルガリア ソフィア大学 2019年5月11日
1981年5月21日
人間の尊厳を守る精神に新たな社会構築の"カギ"が
バルカン半島に位置し、古くから"文明の十字路"として東西を結ぶ役割を果たしてきたブルガリア。池田先生がこの国を初めて訪れたのは、1981年(昭和56年)5月のこと。約2カ月にわたる北半球一周の平和旅の3カ国目であった。
5月21日に同国最古の国立大学であるソフィア大学を訪問し、名誉博士号を受章。席上、「東西融合の緑野を求めて」と題して講演を行った。
当時、東西冷戦による緊張が再び高まっており、池田先生はイデオロギーの壁を乗り越え、いかに人間と人間の心をつなぐことができるかを探求していた。75年(同50年)のモスクワ大学での講演でも、東洋と西洋の文化交流を促進し、「精神のシルクロード」の確立をと訴えている。
ソフィア大学での講演の中で、先生は「バルカンの大地に、西洋文明と東洋文明とを融合・昇華させ、新たな人類社会を構築しゆく"カギ"ともいうべき可能性が、感じられてならない」と指摘。たくましいエネルギーに満ちたブルガリアの民族精神に強い魅力を覚えると述べた。
また、オスマン帝国の圧政に対し、ブルガリアの民衆が立ち上がった1876年の「四月蜂起」に言及。この時の民族精神の高揚こそ、何にもまして人間の尊厳を守ろうとする生命のほとばしりであったと語り、ブルガリアの大地に、この人間性の旗が失われない限り、民族の枠を超えた21世紀の人類社会が開かれると結論した。
後に、ブルガリアは無血の民主化革命を成し遂げていく。
池田先生はジェレフ大統領ら、ブルガリアの識者との対話を続けた。ソフィア大学教授のジュロヴァ博士との対話は対談集『美しき獅子の魂』として結実した。
また、先生の講演の3年後には創価大学とソフィア大学が学術交流協定に調印。現在まで、互いに多数の留学生が学び、両国の未来を担う人材が世界に羽ばたいている。
池田先生が植えた文化交流と友情の苗は、後継の青年たちの往来によって、21世紀の大空に大きく枝を広げている。
講演から
貴国のシンボルは獅子であると聞いております。実はこの獅子は、仏教においても重要な意義を与えられているのであります。
仏教の精神を根底に善政を施した古代インドのアショーカ王のことは、皆さま方もご存じのことと思います。
そのアショーカ王は、釈尊の初転法輪、つまり初めて法を説き始めた所であるベナレスのサルナートに、四匹の獅子が背を寄せ合っている柱頭を持つ柱を建てているのであります。
私は、全民衆の幸福を願って立った釈尊の第一声が、獅子のイメージで象られていることに、非常な興味を覚えるのであります。あたかも百獣の王の雄叫びのように釈尊の説法は、あらゆる雑音を圧し、人々の心を根底から揺るがす力強い音声の響きを持っていたに違いない。
私もこの精神を昇華した日蓮大聖人を信奉する一仏法者として、世界を駆けてまいるつもりでございます。
☆知性の架け橋 海外学術講演45年 フィリピン フィリピン大学 2019年5月12日
1991年4月21日
普遍の「公正」の精神で「資本の論理」をリード
国立フィリピン大学は1908年創立の同国最高峰の名門学府。卒業生には、同国の大統領や最高裁判所長官などが名を連ねる。
この名門学府で池田先生が講演したのは91年4月21日。同大学の経営学部卒業式に出席し、「平和とビジネス」と題し講演を行った。また同日、同大学から名誉法学博士号が先生に贈られた。
この講演開催の背景には、ホセ・アブエバ博士と池田先生との深い友情がある。
——88年、フィリピン大学と創価大学の間に学術交流協定が締結。フィリピン大学で行われた調印式で当時、同大学総長のアブエバ博士は"池田先生の平和行動に感銘を受け、かねてから創大との交流の実現を願っていました"と。
博士は、先生と同じ1928年の生まれ。青春時代、日本軍の兵士によって両親を亡くしている。その後、教育者として、また「ノンキリング(不殺生)・フィリピン運動」のリーダーとしてアジアの平和と教育の発展に貢献。日本人である先生の平和行動についても理解を深めてきた。
そして90年4月、東京で行われた二人の初会見で、博士は先生にフィリピン大学での講演などを強く要請。
1年後、実現した記念講演で、先生はビジネスが平和に貢献するためには「資本の論理」を「人間の論理」でリードしなくてはならないと強調。ビジネス人には「公正」の精神が必要であり、理想と現実の狭間の苦悶の中で、普遍的に輝きわたると訴えた。さらにこの精神は地球人類という全体益に立脚した判断を可能ならしめ、貧富の矛盾や環境破壊などの諸問題を超克しゆくと呼び掛けた。
講演が行われた91年4月は、日本のバブル経済の崩壊が始まった翌月のこと。時に資本の論理が"独走"し、泡のように膨らむ現代経済の在り方にくさびを打ち込み、「人間」の視点から、持続可能な未来の一端を展望する講演だったといえよう。
博士と先生は90年の初会見以来、何度も語らいを重ね、対談集『マリンロードの曙——共生の世紀を見つめて』を発刊している。
また、フィリピン大学と創価大学の間では今まで、多くの留学生や教員が往来。この交流は両国を平和の世紀へと導く夜明けであり、その光はアブエバ博士と池田先生の友情のように、ますます強く輝いていくだろう。
講演から
もしビジネス人が事業に左右され、「企業の論理」や「資本の論理」しか眼中にないとするならば、行き着く先は、利潤をめぐる争いであり、それはしばしば戦争の誘因にさえなってきました。
ビジネスが平和構築のために貢献をなそうとするならば、そうした論理を「人間の論理」のもとにリードせねばならないでありましょう。
そのために何が必要か——。私は平和を志向するビジネス人の精神的バックボーンとして、端的に「公正」の精神を挙げてみたい。(中略)
「公正」な精神の持ち主は、経済活動によって、ともすれば富める国、富める階層がますます富み、貧しい国、貧しい階層がますます貧しくなっていくといった矛盾を決して見逃さないでありましょう。
また「公正」の人は、地球環境を破壊し、生態系のバランスを崩しながら独走する経済成長が、どんなに危険かをよく知っています。いわんや規制の緩やかな国への公害の"輸出"などを許すはずはありません。