未来部の育成は
妙法の「命を継ぐ」
最も尊き聖行なり!
担当者の皆様に
皆で最敬礼しよう!
一生成仏抄 P384
『只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり是を磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし、深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり』
【通解】
今の私達の一念が、無明におおわれて迷いの心である時は磨いていない鏡であり、これを磨けば必ず法性真如の明鏡となるのである。強く信心を起こして、日夜朝暮に怠ることなく磨いていきなさい。では、どの様にして磨くのか。ただ南無妙法蓮華経と唱える事、これが磨くという事である。
〈寸鉄〉 2018年3月21日
全国で春季彼岸勤行法要広布の同志の唱題こそ最高の追善。福徳は三世に
九州の日。世界の模範たる先駆の友よ!5・3へ未来開く圧倒的拡大劇を
最も高き思想から学べ—戸田先生。教学は人生の勝利学。行学二道に励め
国際人種差別撤廃デー。全ての子供への教育確保等、各国の協調を今こそ
スマホ等の「ながら運転」は厳禁。重大な事故多し。絶対無事故の声掛け皆で
☆御書と歩む� 第10回 青年が輝く座談会を
『一切は現証には如かず』(教行証御書、1279ページ)
◇通解
一切は現証(現実の結果)にすぎるものはない。
◇同志への指針
妙法の功力は絶対であり、必ず現証を示すことができる。牧口先生は、「百発百中」の実証の体験を、座談会で、新来の友や若人に語っていくのだと言われていた。
今や世界の"ザダンカイ"でも、「体験を語る」「青年が主役」「友人と共に」との伝統が輝く。
若き友を皆で励まそう! そして、功徳の花を咲き薫らせようではないか!
☆池田華陽会御書30編に学ぶ 上野殿御返事(竜門御書) 2018年3月10日
◇広布の大願に生き抜こう
◇誓願を貫く中に最高の幸福境涯が
今月は「上野殿御返事(竜門御書)」を学びます。
池田先生は本抄の講義の中で述べています。
「私のこの五十年間は、いわば『毎日が三・一六』というべき誓いと覚悟の日々でした。今、私が挑んでいる最大の仕事は、『広宣流布の大願』に生きる喜びを、永遠に、民衆の心に、なかんずく青年の心に打ち立て、輝かせていくことにほかならない。一切は青年に託す以外にないからです」
本年は、後継の「3・16」から60周年。師と共に広宣流布の大願に生き抜く深き使命を心に刻んでいきましょう。(拝読範囲は本抄全編です)
◇本抄について
本抄は、弘安2年(1279年)11月6日、日蓮大聖人が身延から駿河国(静岡県中央部)の若き門下・南条時光に送られたお手紙です。別名を「竜門御書」といいます。時光は、亡き父の志を継いで、幼い頃から大聖人を師匠と仰ぎ、日興上人の激励を受けながら純粋な信心に励んできました。
本抄の御執筆当時は、大聖人の門下が激しい弾圧を受けた「熱原の法難」の渦中でした。時光は、迫害に直面した人々を自らの屋敷にかくまうなど、同志を守り抜きました。正義のために戦い抜く時光を、大聖人は本抄で「上野賢人」と呼んで、最大に称賛されています。
◇御文
『願くは我が弟子等・大願ををこせ、去年去去年のやくびゃうに死にし人人の・かずにも入らず、又当時・蒙古のせめに・まぬかるべしともみへず、とにかくに死は一定なり、其の時のなげきは・たうじのごとし、をなじくは・かりにも法華経のゆへに命をすてよ、つゆを大海にあつらへ・ちりを大地にうづむとをもへ、法華経の第三に云く「願くは此の功徳を以て普く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」云云』(御書1561ページ1行目〜5行目)
◇通解
願わくは、我が弟子たちよ、大願を起こしなさい。
あなたたちは、去年および一昨年に流行した疫病で死んだ人々の数に入ることもありませんでした。しかしまた、今、蒙古が襲来してきたら死をまぬかれるものとも思えません。
いずれにしても、死は必ず訪れることなのです。そのときの嘆きは、現在の嘆きと同じでしょう。
同じく死ぬのであるならば、かりにも法華経のために命を捨てなさい。露を大海に入れ、塵を大地に埋めるようなものと思いなさい。
法華経の第3巻では、梵天が語っています。「願わくは、この無量の功徳を広く一切衆生に分け与えて、私たち(=梵天たち)と一切衆生と皆、一緒に成仏への軌道を歩めますように」(法華経化城喩品第7)と。
◇解説
「わが弟子たちよ、大願を起こせ!」——。日蓮大聖人は、迫害の嵐のなかで戦う弟子に、このように力強く呼び掛けられています。「大願」とは、"全ての人を幸福にしたい"との仏の願い、すなわち「広宣流布の大願」です。
拝読御文は、いかなる苦難に直面しても師と共に広布の大願を貫けば、必ず乗り越えられることを教えられているのです。
本抄を執筆された当時は、疫病が大流行し、さらに、蒙古が再度、襲来するかもしれないという状況下であり、人々の前に死が差し迫っていました。
そうしたなかで大聖人は、"誰人も死を逃れることはできないのだから、限りある命を法華経のために使っていきなさい"と仰せです。自身の命を何のために使うのか——。この「使命」を自覚する時、無限の力が湧いてくるのです。
私たちは、大宇宙から見れば、一滴の「露」や一粒の「塵」のようにはかない、小さな存在かもしれません。しかし、露が大海に溶け込み、塵が大地と一つになるように、広布の大願に生き抜けば、妙法と一体の偉大な境涯を開くことができるのです。
「大願に生きる」とは、私たちの実践でいえば、師の誓願と行動を受け継ぎ、自身の縁する一人一人の幸福を祈って、誠実に仏法を語り弘めていくことといえるでしょう。
後継の「3・16」60周年のこの時に、師匠のもとに生まれ合わせた私たちの使命と宿縁は計り知れません。
池田先生は呼び掛けています。「『広宣流布の大願』と『仏界の生命』とは一体です。だからこそ——この誓いに生き抜く時、人は最も尊く、最も強く、最も大きくなれる。この誓いを貫く時、仏の勇気、仏の智慧、仏の慈悲が限りなく湧き出でてくる。この誓いに徹し切る時、どんな悩みも変毒為薬し、宿命をも使命へと転じていける」と。
いよいよ迎える「世界青年部総会」。全世界の青年と共に師匠の大願を受け継ぎ、広宣流布の栄光の門を勝ち開いていきましょう!
★池田先生の講義から
師と共に同じ誓いに立ち、自他共の幸福を実現しようと法を弘め、人々を励ましていく。この仏法の慈悲に連なる「大いなる願い」は、決して特別に選ばれた人だけが持つものではない。全ての弟子、ひいては、誰人もが本然的に胸中に抱いているものです。
大願を「をこせ」とは、この誰もが本来持っている、自分の根底にある願いを「思い起こしなさい」ということでもありましょう。(2017年3月号「大白蓮華」、「世界を照らす太陽の仏法」)
◇ ◆ ◇
大願とは、私たちの立場で言えば、広宣流布に生きることです。
この「大いなる生き方」を教えるのが師匠です。そして、師と同じ「大いなる生き方」を歩んでこそ真の弟子です。今、日蓮大聖人の仏法に目覚めた世界中の地涌の菩薩が立ち上がり、互いに異体同心で広宣流布を目指していく時代に入りました。大願を共有する地涌の連帯が実現しました。広布第二幕を担う青年が、各地で立ち上がりました。
私は一切を託します! 未来を、よろしく頼みます!(『希望の経典「御書」に学ぶ』第2巻)
研さんのために
○…『希望の経典「御書」に学ぶ』第2巻、「上野殿御返事」(聖教新聞社)
○…2017年3月号「大白蓮華」、「世界を照らす太陽の仏法」〈誓願〉(同)