「よからんは不思議
わるからんは一定」
苦難に直面した時こそ
信仰者の本領発揮だ。
不屈の信念で進もう!
佐渡御書 P956
『魚は命を惜む故に池にすむに池の浅き事を歎きて池の底に穴をほりてすむしかれどもゑにばかされて釣をのむ鳥は木にすむ木のひきき事をおじて木の上枝にすむしかれどもゑにばかされて網にかかる、人も又是くの如し世間の浅き事には身命を失へども大事の仏法なんどには捨る事難し故に仏になる人もなかるべし』
【通解】
魚は、命を惜しむために、栖としている池が浅いことを嘆いて、池の底に穴を掘って棲んでいます。しかし、餌に騙されて、釣り針を呑んでしまいます。鳥は、栖としている木が低いことを恐れて、木の上枝に棲んでいます。しかし、餌に騙されて、網にかかってしまいます。
人間も、また、これと同じことです。世間の浅い物事のために、身命を失うことはあっても、大事な仏法のためには、身命を捨てることが難しいものです。故に、仏になる人もいないのであります。
〈寸鉄〉 2018年3月4日
青年の強みは、燃ゆるが如き情熱なり—戸田先生勝利の最高峰へ粘り強く
東京・世田谷の日。凱歌の春へ前進!永久に崩れぬ人間共和のスクラム築け
励ましは「万の力」。誠実と熱意が友の心動かす。さあ弾む生命で語ろう!
不要なリフォームを迫る悪徳商法が増加と。「無料点検」等、甘い文句に注意
平均正社員数が過去最多—調査。安定・安心こそ希望。公明が更に牽引を
☆藍よりも青く 「3・16」研さんのために 池田先生の指針に学ぶ 上 2018年2月21日
◇君自身が「炎の走者」と立て
来月行われる「世界青年部総会」を目指し、全国、全世界の青年が広布拡大に奔走し、自らの人間革命に挑んでいる。ここでは「3・16」に関する池田先生の随筆やスピーチ等を、後継を誓う友の指針として上下2回に分けて紹介する。また、原田会長に「3・16」の意義などについて聞いた。
◇闘魂を継承
「三・一六」それは——
「広宣流布の闘魂」を継承する日である。
「正義の王者の誇り」に奮い立つ日である。
「師弟不二の完勝」へ出発する日である。
あの日あの時、わが師・戸田城聖先生は師子吼なされた。「創価学会は宗教界の王者なり」と。それは、七十五万世帯の妙法流布の願業を成就なされた偉大な師の大勝利宣言であった。
御聖訓には、「天・地・人を貫きて少しも傾かざるを王とは名けたり」(御書1422ページ)と仰せである。
王者の富士の如く、何があっても微動だにしない。何ものも恐れず、広宣流布の大遠征へ舞いゆく王者の宝冠が、弟子に授けられたのだ。(『栄光への指針』)
◇世界が共鳴
三月の上旬、時の総理大臣の参詣が十六日と決まった時、戸田先生は、私に言われた。
「将来のために、広宣流布の模擬試験、予行演習となる式典をしておこうではないか!」
先生は「大梵天王・帝釈等も来下して……」(御書1022ページ)と御聖訓に仰せの、広宣流布の一つの姿を、青年に教えておきたいとのお心であった。
梵天・帝釈等の諸天善神の働きをする社会の指導者たちが、やがて御本尊に帰依する日が来ることを、儀式として示そうとされたのである。
それは、「仏法の人間主義」に共鳴して、世界中の指導者が集い、友情を結び、人類の平和と幸福の実現を誓い合う姿と見ることもできる。
今や、全世界から、国家や民族の違いを超え、政治、経済、教育、文化など、あらゆる分野の指導者が、我らSGIの理念と行動に、絶大なる共感と賛同をもって、仏意の創価学会を永遠に顕彰するために訪れてくださる。
誉れある、その一つ一つの儀式は、あの「3・16」の儀式の、精神の継承といってよいだろう。
(『池田大作全集』第130巻所収、随筆「新・人間革命」 創価の戴冠式「3・16」)
◇宗教界の王者
「宗教界の王者」とは、思想界、哲学界の王者という意義である。
王者の「王」の字は、横に「三」を書き、「一」の字を縦に書く。
「三・一六」の「三」と「一」に通じようか。
また、「六」とは、集い来った六千の使命の若人、そして、後に続く六万恒河沙の地涌の同志なるか。
「3・16」の大儀式は、「霊山一会儼然未散」(霊山一会儼然として未だ散らず)の姿さながらに、われらには思えた。(『池田大作全集』第129巻所収、随筆「新・人間革命」 「3・16」の大儀式を偲びつつ)
◇師との絆とは
青年よ、ちっぽけな世の波騒を見おろしながら、大胆に生きよう。何ものも恐れず、壮快に動こう。堂々と真実を叫ぼう。
君が燃えなければ、時代を覆う生命の闇は燃やしつくせない。君が走らなければ、正義の炎は、人々のいのちに届かない。君自身が、一個の「炎の走者」と立ち、動き、祈り、語り始めること、そこに「3・16」の本義があるのだ。
諸君の力走の果てに、民衆の「栄光」と「勝利」の山脈が、都市が姿を現す時——その時こそ、わが「永遠の3・16」の儀式は、諸君の胸中に鮮やかに蘇り、新しき不滅の光を放ち始めるだろう。
その時、私と諸君との真の絆が固まる。
その日を私は祈りて待つ。信じて待つ。ひとり戦いながら待つ。(1991年3月16日付聖教新聞、池田先生のメッセージ「『魂の炎のバトン』を君たちに」)
◇自身の歴史を
青年部の世紀である。広宣流布の全責任を担い立ち、死にもの狂いで、自分自身の勝利の金字塔を打ち立ててもらいたい。
今がチャンスである。何でもいい、何かで歴史をつくることだ。やれば自分が得をする。やらないで損するのも自分である。諸君の戦いを、だれが見ていなくとも、御本尊が御照覧である。私は見守っている。
今の十倍、いな百倍の勢いで、頭脳を回転させ、猛然と動き、正義を語りぬいていくことだ。あえて苦労を求め、みずからを鍛え、速度を増して成長していってほしい。それ以外にない。諸君の成長いかんで、学会の命運が決まるからである。(『普及版 池田大作全集 スピーチ』2001年〔1〕)
◇不二の誓願
弟子が自分中心の「小願」にとどまっている限り、師匠と不二にはならない。小さく、狭い自分で終わってしまう。
「大願」とは、師匠と同じ誓願に立つことだ。法華経の行者である師匠と、心を合わせて行動することだ。
その時、露を大海に注ぎ、塵を大地に埋めるように、計り知れない雄大な境涯が開かれていくのだ。
私は戸田先生と同じ心で、「一閻浮提広宣流布の大願」に立った! そして、勝って勝って、勝ちまくってきた!
一年また一年、「3・16」に、新たな勝利と出発の節を刻み、ここに五十星霜の大絵巻が綴られたのだ。(『池田大作全集』第139巻所収、随筆「人間世紀の光」 永遠の師弟の原点「3・16」)