御書を拝せば
境涯が広がる。
仏の智慧が湧く。
実践の教学で
自他共に大成長を!
上野殿御消息 P1527
『父の恩の高き事須弥山猶ひきし母の恩の深き事大海還つて浅し、相構えて父母の恩を報ずべし』
◇人生の座標
正しい歴史を残すことが、人類の平和と幸福の道を残すことになるのです。歴史は、歪めたりしてはいけない。歴史を"つくつて"しまっては小説になってしまう。悪いことを隠し、格好のよいことだけを残しては、歴史書ではなく虚飾書になってしまう。歴史は客観的に正確に書き、証拠・証人を大事にしなければならない。
☆こころに響く言葉
平凡な女性と言われても
平凡な女性と言われてもそれでよいその奥に理念と勇気があるならば
☆随筆民衆凱歌の大行進 第27回� 御書根本の勝利道を
この度の記録的な豪雨で被災された茨城、栃木、宮城、また埼玉、福島など各地の皆様方に、心からお見舞い申し上げます。
皆様のご健康と、一日も早い復興を祈ります。
日蓮大聖人は『わざは(禍)ひも転じて幸となるべし』(P1124、「経王殿御返事」)と仰せになられました。
甚大なる被害にご苦労は絶えないでしょうが、妙法の「変毒為薬」の功力は絶対です。どうか、断固と乗り越えてくださるよう、私も題目を送り続けてまいります。
御書には『妙とは蘇生の義なり』(P947、「法華経題目抄」)と説かれる。
戦後の大混乱の中で、昭和22年(1947年)の8月に仏法に巡り合った19歳の私も、初信の功徳として、この蘇生の力を深く実感した。
当時、私は肺病ゆえ、しばらく前から、仕事を辞めて休まざるを得なかった。しかし、入信した翌9月から、地元の蒲田工業会に採用され、再び働き始めることができたのである。まだ血痰が出たが、東洋商業(現・東洋高校)の夜間部へも通い、学んだ。
そんな折、私は、戸田先生が法華経の講義をされていることを知った。先生が戦時中、軍国主義と戦って投獄されたことを入信前に聞いて敬慕の念を強くしていた私は、もっと先生のことを知りたい、仏法を教えていただきたいと熱願した。
先輩に相談すると、入信したばかりで、まだ正式の受講者にはなれないが、聴講はさせていただけるという。
私は、一人決意して、西神田の学会本部に馳せ参じたのである。戸田先生の法華経講義は、第5期に入っていたようだ。
会場の一隅で、全身を耳にして聴いた法華経講義が終わり、感動の余韻さめやらぬ時であった。
戦前、幹部であったという夫妻が、戸田先生の前に正座したのである。居残っていた10人ほどの人は、粛然と、水を打ったように静かになった。
夫は、戦時中の学会弾圧で投獄され、耐えきれずに退転してしまった。妻は、夫が信念に殉ずるより、ただ早く帰ってきてほしいと哀願した。
二人は、戸田先生に、懺悔の思いを吐露するとともに、新しい決心で広宣流布のために働く覚悟を語ったのである。
だが、戸田先生の言葉は誠に峻厳であった。
「信仰は自由である。しかし、今後も学会には、さらに激しい弾圧の嵐がある。その時にまた、臆病に退転するようなら、学会の邪魔になる」と。
その厳父の声は、若き私の命に突き刺さった。
信仰とは、かくも強く深いものなのか!
師弟とは、かくも正しく厳しいものなのか!
この夫妻も、師の叱咤を抱きしめ、学会と共に信心を貫いていった。
戸田先生は、「難を乗り越える信心」を、学会永遠の魂として私たちに残してくださった。
いかなる大難にも障魔の嵐にも揺るがぬ勇気こそ、信仰の真髄である。
そして、そのために、先生は、"剣豪の修行"にも譬えられる、厳格な「行学の二道」の鍛錬を、学会精神の根幹とされたのである。
その後、戸田先生の事業が窮地に陥る中、師を支え、私は必死に戦い抜いた。それは御書を心肝に染めての闘争だった。
特に「観心本尊抄」は同志と共に取り組んだ。
日蓮大聖人が佐渡流罪の真っ直中で、万人成仏の原理を「受持即観心」として明かし、法本尊を開顕された重書中の重書である。
この折の日記には、「夜、『観心本尊抄』の読み合わせ。いかに、事業難とはいえ、信心と教学だけは、忘れてはならぬ」との真情を記した。
一日、戦い切って、深夜、体を引きずるように帰宅し、御書を開いた。声に出して拝読し、感銘した御文を日記に書き写すと、確信が湧き、一段と祈りに力がこもった。不屈の闘志があふれた。
今でも、恩師の厳愛の声が耳朶に響いてくる。
「疲れた時にこそ、御書を拝読していけ!
たとえ一行でも、二行でもよい。御書を拝して、自らの境涯を、もう一歩、開くのだ」
広布の戦いの中で御本仏の大境涯に触れれば、わが境涯も開かれる。大空のように広く、大海のように深い、師子王の心を取り出していくことができるのである。
今月27日には「青年部教学試験1級」が、11月には「教学部任用試験」が実施される。
受験者の方々全員が「求道即勝利たれ」「人生凱歌の博士たれ」と、私は真剣に祈っている。
共に学び教える先輩方をはじめ、陰で支えてくださる皆様方に、心から感謝を申し上げたい。「冥の照覧」「陰徳陽報」は絶対である。