賢明な時間革命で
毎日を価値的に!
その第一歩は
朝に勝つことだ。
充実と向上の人生たれ!
妙一尼御前御返事 P1255
『信心と申すは別にこれなく候、妻のをとこをおしむが如くをとこの妻に命をすつるが如く、親の子をすてざるが如く子の母にはなれざるが如くに、法華経釈迦多宝十方の諸仏菩薩諸天善神等に信を入れ奉りて南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを信心とは申し候なり』
◇人生の座標
還暦を超えて一年また一年、年齢を重ねていけることは、まことにありがたい長寿の人生である−−。これが私の寿命観の一つの基準である。
☆こころに響く言葉
"楽しさ"生み出し、実り多い人生を
現代の経済認識を基にして、家庭を楽しくする主婦の工夫は、そのまま二度とない人生を楽しくする要諦である。
愉しむと言ったところで、刹那的な享楽のことを言っているのではない。
家庭そのものを楽しくつくり上げてゆく努力———それは、新しい生活設計のなかに、
近代的主婦としての知恵が、実り多い人生をつくってゆくことなのだ。
☆未来の翼〜世界が君を待っている〜 第17回 ウィーンの街角�
魂を揺さぶらずにはおかない美しいメロディー、命が躍動する力強いリズム、皆の心を一つに結ぶ妙なるハーモニー……。音楽は、人類のかけがえのない宝です。
皆さんは、どんな音楽が好きですか?
私は若い頃から、ベートーベンの交響曲が大好きでした。「運命」として有名な第5番や、「歓喜の歌」の合唱がある第9番は、私の青春をどれほど励まし、鼓舞してくれたことか。名曲が流れ始めると、私の質素なアパートの一室も、「芸術の心の王宮」に一変したのです。
ベートーベンやブラームス、モーツァルト、ハイドンなど、多くの偉大な音楽家が活躍した天地が、オーストリアのウィーンです。
石畳に響く馬車のひづめの音。カフェから聞こえてくるバイオリンの音色。人々のにぎやかな語らい——この町を包む全ての音が、まるで一曲の交響楽となって胸に響いてきます。
1992年6月、私はウィーンを訪れました。行事の合間を縫って、大芸術家を育んだ「永遠の文化の都」の街角を、青年たちと歩きました。
凛々しい青年たちとの闊達な語らいが「主旋律」とすれば、そよ風に揺れる新緑や、厳かに鳴り渡る鐘の音は「伴奏」でした。私たちの"希望を奏でる対話"を祝福してくれているような!
先哲や芸術家たちも、このように語り合ったのだろうか——歴史を偲びながら、私は気品漂う街並みにカメラを向けました。
ウィーンの人々は、誇りを込めて語ります。「この町は、文化によって舗装されているのだ」と。
西ヨーロッパと東ヨーロッパの接点に位置するウィーンは、交通の要衝として栄えました。それゆえ、幾度となく軍隊の攻撃にさらされる試練も味わってきました。
そこで中世には、町一帯を囲むように強固な市壁が建設されたのです。その壁は、19世紀に取り壊され、首都の骨格となる環状道路「リング」が造られました。
そこには、国会議事堂、市庁舎、ウィーン大学、ブルク劇場が、四角形に配置されています。幾多の皇帝を出したハプスブルク家の王宮を挟んで、国立歌劇場とブルク劇場があります。
ウィーンの人々は、かつての市壁の跡に、平和を守る"文化と教育のフォートレス(要塞)"を築いたのです。
文化とは——
暴力に対する平和の戦いです。野蛮に対する人間性の戦いです。悲劇をも喜びの劇へ転じゆく希望の戦いです。
皆さんは「文化」と聞くと、どんなイメージが浮かびますか?
「僕には音楽の才能がない」「私には絵心がない」などと、自分は文化とは縁遠いと感じている人もいるかもしれません。でも、実は、真の文化は、生活の中に、皆さんの身近にこそあります。
それは、"目の前にいる人に、喜んでもらいたい。笑顔を広げたい。希望を送りたい"という、他者への思いやりだからです。その真心こそが、平和を築く「文化の魂」なのです。
皆さんのお父さん、お母さんは、日々、友のために走り回っている。「励ましの文化」を、地域に広げゆく"妙法の大芸術家"です。
若くして仏法を持った皆さんは、この偉大な"創価の大文化運動"の主役であり、"世界平和の善の連帯"の要となりゆく人なのです。
「全ては平和に尽きます。是が非でも平和を守っていく——これが一番大切です」
私にこう語られたのは、オーストリアの元文部次官で、ソプラノ歌手としても名高い、ユッタ・ウンカルト=サイフェルト博士です。
今月は、第2次世界大戦の終結から70年の節目を刻みます。独裁者ヒトラーが率いたナチスの侵攻と連合軍の空襲によって荒廃した戦後のウィーンで、博士は少女時代を過ごしました。
サイフェルト博士のモットーは「意志あるところ、必ず道あり」です。目が不自由なご両親を支えながら、幼少の頃から歌や楽器に親しみました。大学では文学、哲学、古典文献学と、「興味のあることは全部」というほど、貪欲なまでに学び抜きました。そして、文化行政のスペシャリストとしても、青年の育成や文化交流に尽力し、平和な世界の建設に献身してこられたのです。
博士が、自らの使命として心掛けてこられたことがあります。それは、「人間の中へ、民衆の中へ、光をもたらす」との信条です。
ウィーン大学で哲学博士号を取得されたサイフェルト博士は、ナチスやその非道の糾明に、深く関わってこられました。
戦時中、人々が、あのヒトラーの曲を歌いながら歩いていた狂気の歴史を通し、「音楽や美術、そして劇場や視覚芸術も、それを用いる人の思想によっては、危険な武器となりかねません」と、鋭く洞察されています。
文化が平和の力となるためには、それを生み出す人間がどうか、何ものにも揺るがない「自分」を持っているかどうか、ということに尽きるでしょう。
ゆえに、人間を創るしかない。
正義の人材を育成する以外に、真の平和の道はありえない——私は、その信念のもとに、創価大学を創立するにあたり、「建学の精神」として、次の3点を掲げました。
一、人間教育の最高学府たれ
一、新しき大文化建設の揺籃たれ
一、人類の平和を守るフォートレス(要塞)たれ
世界の多くの識者・教育者が、この「建学の精神」に注目されています。気高き精神の旗のもとに、若き俊英たちが陸続と集ってくれて来年で45周年。わが創価大学は今や、人間主義の英才たちが世界に羽ばたく、"平和のフォートレス"に大発展しました。
これからも、多くの人材が集い来り、次代を拓く"平和の闘士"が育ちゆくことを、創立者として心待ちにしています。