2010年5月11日火曜日

2010.05.11 わが友に贈る

広布の花の若武者
ヤング男子部よ!
今こそ燃え上がれ!
歴史を開くのは
常に青年の勇気だ!

四条金吾殿御返事 P1186
敵と申す者はわすれさせてねらふものなり、是より後に若やの御旅には御馬をおしましませ給ふべからず、よき馬にのらせ給へ

◇希望の明日へ
信心を、仮にイコールで結ぶとすれば、それは広布への責任ということである。本当の信心とは、責任を自覚しているかどうかで決まる。一生懸命に勤行する。これも当然、信心の行動である。しかし、日蓮大聖人の御遺命である広宣流布という観点でみれば、信心とは「自行化他」であり、人々を根本的に救っていくという責任にある。

☆行商が思わしくない
質問:入信して一年十か月、自分ではしっかりした信心をしているつもりですが、生活がますます、まずくなってきています。商売はふとんの行商をしていますが、どのようにしたらよいでしょうか。

商売はしっかりやっているのですか。それでは、その貧乏な人の話をすると、こうなのです。その人は、今のようなことをしょっちゅう言ってきたのです。
そして、しまいには夜逃げをしてしまったのです。その人をそれで私がよく記憶しているのです。
一年前に思い出して、その人一体どうなった、と聞いたのです。ところが、家を建てて電話をひいているのです。驚きました。絶対に、そんなふうになりそうもない人だったのです。
ところが、しょっちゅうきて、今のようなことを言っていたのです。「信心はきちんとやっています。折伏もしています。商売がうまくありません。御本尊が悪いのでしょうか」と言っていた。
それが、六年か七年目に、私が聞いたときには、きちんと成功しているのです。これは、いつも申しますように、なかなか時間がかかるのです。
なぜかと申しますと、南無妙法蓮華経という、本当の御本尊様を、我々が受けたということは、我々の心田に仏種を植えたことなのです。いわゆる下種、種を植えたのだから下種というのです。
これだけの畠に、一つの種を植えたのです。その種が、育って大きい木になれば、今度は、実が年に百なら百なるとします。果物が一つ十万円で売れるとします。
百売れて、十万円なら一千万円です。そういう大木を植えたのです。心田にまだ実はならない、その時にどうします。大きくなるまで、草をとったり、あるいは水をやったり、肥料をやったりするのが当たり前でしょう。
そこで我々の田や畠を梵天帝釈をはじめ全部が守るのです。
経済難などに絶対させるはずがないのです。そうして、今度はだんだんと守っていくのですから、だんだんとこの芽が育っていって、木の実がなるというふうになりますれば、願わずとも、金はでてくるのです。
そうなるまで待つ以外にないのです。
その間は、梵天帝釈は守りますから、暮らすだけのことができないわけはありません。身延ではあるまいし、そんな御本尊を私はすすめません。
それはなにかおかしなことがあるのです。
私はあなたの信心を信じてはいません。そんなばかなことがあるものですか。一年十か月も信心して、どうにもならなくて、どうしましょうかなどと泣きごとを言うような御本尊様を渡してはありません。
信心の仕方が違っているのです。
早く言えば、班長だとか、地区部長だとか、組長だとかいう者の批判をしたり、あるいはいろいろなことを言ったりしているか、さもなければ、しっかり御本尊様を拝んでないか、商売をしっかりしていないかなのです。そんな御本尊様をあなた方に渡してはおりません。自分でよく反省してごらんなさい。
一年十か月も信心して、梵天帝釈が来て助けないような御本尊様は、絶対渡してはありません。