2010年5月6日木曜日

2010.05.06 わが友に贈る

新聞休刊日

兄弟抄 P1084
がうじやうにはがみをしてたゆむ心なかれ、例せば日蓮が平左衛門の尉がもとにてうちふるまいいゐしがごとくすこしもをづる心なかれ

◇希望の明日へ
中心者が慢心の人となって、正しき「師」を求めようとせず、また「法」を学ぶ努力を怠ってしまったならば、その地域の広宣流布は停滞し、多くの人々の信心もにごらせてしまう。仏法は厳しく、中心者の責任は重い。学会員は、久遠元初からの約束で、それぞれの地に願い来った「地滴の勇者」である。環境に負けたり、困難を避けては、自らの使命を果たすことはできない。中心者の「信心」「教学」「人格」の前進が、その人自身の成仏はもとより、後輩の成長、地域広布の前進へとつながりゆくことを深く銘記したい。

☆御書と青年 立正安国の旗
立正安国の戦いには"到達点"はあるのでしょうか?

皆、一度は考える問題かもしれない。でも「立正安国」は結局、人間革命の変革の戦いです。仏と魔の戦いは止むことがない。その意味では永遠の闘争と言えます。
他者のため、平和のためという「立正安国」への行動があってこそ、真実の仏法の実践といえる。
そこに自身の一生成仏があり、宿命転換がある。自他共に揺るがぬ幸福を確立しゆく道が開かれます。

立正安国の道は平坦ではない。山もあれば、谷もある。迫害の波浪が吹き荒れ狂う時もあれば、苦難の烈風が吹きつける時もある。ゆえに、途中に何があっても、あきらめず、へこたれず、明るく進み続けることです。大聖人直結の「師弟不二の信心」がある限り、立正安国の大理想は必ず実現していくことができる。

立正安国は、人類の夢の実現です。悲願の達成です。若き諸君は、その目標に向かって、一日一日を勝ち進んでほしい。

★人間一人一人の生命の可能性を最大に開花させ、平和へと進みゆく私たちの運動