2019年5月31日金曜日

2019.05.31 わが友に贈る

「曖昧な的に放った矢が
当たるわけがない」先師。
目標を定めるのも勇気。
達成を祈るのも勇気。
行動に移すのも勇気だ!

日女御前御返事 P1244
『曼陀羅と云うは天竺の名なり此には輪円具足とも功徳聚とも名くるなり、此の御本尊も只信心の二字にをさまれり以信得入とは是なり』

【通解】
曼陀羅というはインドの言葉であり、訳すれば輪円具足とも、功徳聚ともいうのである。この御本尊も、ただ信心の二字に収まっている。以信得入(信を以って入ることを得たり)とあるのは、このことである。

〈寸鉄〉 2019年5月31日
出会いを大切にする会長の戦いで学会は発展—識者。縁した一人を味方に
大事なのは、今、ここにある人生—詩人。現当二世の妙法持つ人は生涯青春
AI時代、人間関係築く等の「総合力」が重要に。学会活動こそ人格磨く道
依存症は国際的な疾病—WHO。専門医への相談が有効と。環境整備急務
日本は社会的安定が際立つ—英研究所会長。公明よ確かな未来への舵取れ

☆人生の価値はここに 創価大学同窓の友を訪ねて 第1回 沖縄
◇労苦と使命の中にこそ
創価大学(東京・八王子市)の文系校舎A棟前に立つブロンズ像の台座には、創立者・池田大作先生が贈った言葉が記されている。
「労苦と使命の中にのみ 人生の価値は生まれる」
学問に挑み抜き、社会に羽ばたいた卒業生たちが胸に刻む指針である。新企画「人生の価値はここに」では、今いる場所を使命の天地と定めて奮闘する創価大学同窓生を紹介する。第1回は沖縄の友を訪ねた。

「沖縄には縁もゆかりもなかったんですが……」と仲村こず江さん(23期、法学部卒)は言う。東京・大田区育ち。しかし「今は、ここが第二の故郷です」。
沖縄出身で創大卒業生の剛さん(27期、法学部卒)との結婚を機に沖縄へ。夫妻で那覇市に弁護士事務所を構えて8年になる。
原点は創大の国家試験研究室で刻苦勉励した4年間と、東京でアルバイトをしながら司法試験に挑戦し続けた日々。「最も苦しんでいる人のために」との理想を、学友たちと幾たび語り明かしたことか。「もうダメだ」と自暴自棄になるたび、何時間も話に耳を傾けてくれた友は数知れず。食事を振る舞ってくれた先輩の真心も忘れられない。
「十年一剣を磨く」。創立者から贈られた指針を抱き締め、"学の剣"を研ぎ続けること10年余。ついに試験を突破する。隣で励まし続けてくれる"伴走者"の大切さを肌身で感じた。
弁護士として独立した沖縄で、こず江さんは奔走した。「次は私が誰かの伴走者に」と。沖縄弁護士会の委員会活動の一環で「女性のための法律相談」制度を設置。虐待等の理由から民間の子どもシェルターに避難した子を支える"子ども担当弁護士"も務めた。
沖縄では離婚にまつわる係争が多いという。不利な立場に置かれやすい女性の声に、こず江さんは耳を傾ける。予定時間を過ぎることや話が脱線することも。それでも寄り添い続ける中でしか生まれないものがある。裁判に勝ち負けは付きものだが、「こず江さんがいてくれたから」と涙ながらに語る依頼者の姿に、救われたことも少なくない。
葛藤の連続ではある。それでも依頼者の笑顔に接するたびに思う。「沖縄の力になるために、私は創大で学んだんだ」
◆◇◆ 

宜野湾市内に「ライフフォース カイロプラクティック」という名の整体院がある。院長である川満伸夫さん(27期、文学部卒)の矯正技術は折り紙付きだ。
創大卒業後、アメリカに留学し、カイロプラクティック博士課程を修了。カイロプラクティック医師免許を取得した。帰国後、東京の銀座や六本木の有名整体院で院長を5年間務め、2万人を診た実績を持つ。
今では男子プロバスケットボールチームの外国人選手にも施術し、「ケガの防止やパフォーマンス向上に欠かせない」等と評判だ。
「実は僕も、バスケットの選手だったんですよ」と川満さん。高校のバスケットボール部で副キャプテンを務め、全国大会準優勝に導くほどの実力だったという。だが無理がたたり体を故障。同級生がスポーツ推薦で大学進学を決める中、失意のバスケ少年を励ましてくれたのは、沖縄から創大に進んだ先輩だった。
「身なりはいわゆる"貧乏学生"。それでも創立者のもとで学ぶ誇りを語る先輩の姿は輝いていました」
少年は夢を抱く。「創大で英語力と人間力を磨き、沖縄とアメリカを結ぶ懸け橋になりたい」と。最初は教職の道を志したが、米国でカイロプラクティックの師と出会い、現在に至る。
胸に刻む創立者の長編詩がある。「建学の精神に 君らしい それぞれの形を 与え 光あらしめること—— それこそ 私が 期待する 君たちの使命だ」(「滝山城址に立ちて」)
整体院の顧客の中には、かつての自分のようなバスケ少年も。施術の手に祈りにも似た思いがこもる。アメリカ人の顧客から感謝の握手を求められるたび、自分の使命を実感する。
沖縄を、日本一の長寿県に、平和と希望の島に——川満さんの新たな夢だ。

地方銀行に勤める高江洲聖美さん(39期、法学部卒)は、6人きょうだいの4番目。全員が創価の学舎に進学した。「一人ももれなく創立者のもとへ。それが父と母の願いでした」
父・均さんは懸命に働いた。だが家計は火の車。聖美さんもアルバイトをしながら予備校に通った。
忘れられない父の笑顔がある。教育ローンの融資が得られた時のことだ。なぜお金を借りて喜ぶのか、不思議でならなかった。
創大に進学して、納得した。世界に開かれた気風。充実の学習環境。理想を分かち合える仲間たち——。「ここは世界一の大学だ」
しかし2010年秋、父が倒れる。脳腫瘍の中で最も悪性度の高い「神経膠芽腫」だった。聖美さんに創立者から激励が届く。何度も、何度も。「池田先生が隣で見守ってくださっているような」毎日だった。
翌年5月、父は安らかに旅立った。命燃え尽きる瞬間まで人を励ました父だった。病床でも創立者の書籍を読み、創価教育の偉大さを語り続けた父だった。
「創大に学んだ使命を、必ず果たすからね」。聖美さんは、そう誓った。
卒業後、現在の職場へ。当初は上司から叱られてばかり。目を腫らしたまま朝を迎えたことも。体当たりする思いで仕事に臨んだ。
7人の子を抱えるシングルマザーが、窓口に相談に来た時がある。「教育だけはしっかり受けさせてあげたくて……」と。目の前の「一人」の向こうには、たくさんの大切な人がいる。夢がある。未来がある——今なら父の思いが分かる。
「真剣」と「誠実」こそ「信頼」の源であろう。聖美さんは年々、実績を積み重ね、昨年度には支店の人事評価で最高評価を得た。
上司が在りし日の父の姿を教えてくれた。
「うちの銀行で融資が決まった時にね、お父さんは『これで娘を大学に送り出せる』って、目に涙を浮かべていたんだよ」
創立者のもとで学ばせてくれて、ありがとう——聖美さんは、きょうも心の中の父に笑顔で語り掛ける。

☆開学20周年へ 未来を開くアメリカ創価大学 第1回 新しい街と共に
◇「ここから21世紀を創める」
2021年に開学20周年を迎えるアメリカ創価大学(SUA)。今月末には第15回卒業式が開催され、同窓生のスクラムは約1400人となる。新連載では、卒業生や在学生の特色などを紹介し、世界を結ぶSUAのネットワークに光を当てる。第1回は、SUAキャンパスが立つ、カリフォルニア州オレンジ郡アリソビエホ市との歩みについて——。

◇理想的な天地
カリフォルニア州南部、ロサンゼルスとサンディエゴの中間に広がるオレンジ郡。その名の通り、かつて一帯には広大なオレンジの果樹園があった。
面積は東京都よりやや大きい約2500平方キロメートル。地中海性気候で夏は涼しく、冬は暖かい。ディズニーランドやラグナビーチなどの有名な観光地も多い。
同郡アリソビエホ地区の小高い丘の上にSUAキャンパスの設置が決定したのは、1995年のこと。建設の槌音に合わせるかのように、周辺には高速道路や図書館、ショッピングセンターなどが整備されていった。
2001年5月3日、オレンジ郡キャンパスが開学。その2カ月後、アリソビエホが市として正式に登録された。21世紀の開幕とともに、新しい大学と街が一緒に産声を上げたのだ。
キャンパスを設計した建築家のノーマン・ファイファー氏。歴史光るロサンゼルス中央図書館の増築など、数々の公共施設のデザインを手掛けた人物である。「現在のアメリカにおいて、全く新しい大学が、全く新しい土地に建設されることは、極めて異例なことです」
メディアも注目した。「オレンジ郡南部ビジネス・ダイジェスト」誌(1998年5月号)は「平和」「人権」「生命の尊厳」というSUAの思想性を評価。その存在が地域の「倫理的支柱になっていく」と期待した。

1971年春、開学間もない創価大学(東京・八王子市)の首脳に、池田先生は語った。
「次はアメリカに大学をつくろう」
それを聞いた首脳は"50年、100年先の話だろう"と思ったという。
だが、先生は本気だった。海外に大学をつくることは、戸田先生の薫陶を受けた青春時代からの構想でもある。
80年、ロサンゼルスを訪れ、アメリカ在住の創大卒業生からなる「アメリカ創友会」を結成。この頃から、大学建設の本格的な歩みが始まる。当時、先生は、周囲に何度も強調した。
「アメリカは民族融和の国です。アメリカで創価教育が成功すれば、全世界で成功します」
87年2月には、ロサンゼルス市近郊のカラバサスに創大ロサンゼルス分校が開校。後にSUAの大学院が開学し、4年制の大学を創立する大きな一歩に。
やがて「世界市民の育成」という理念に共感する人々から、"オレンジ郡にキャンパスを設置してはどうか"との提案が寄せられ、検討が重ねられた。
池田先生は、戸田先生の遺言を常に大切にしてきた。
「牧口先生の悲願である、創価の学舎には、最高の教育環境を整えてもらいたい」
先師・恩師の志を継いで創立した創価学園は、清流が流れる武蔵野の地に。創価大学は、緑に包まれた丹木の丘に。ともに富士の秀峰が見える。関西創価学園は、万葉の里として知られる交野の地に——いずれも、大志と詩情が湧き立つような豊かさがある。
オレンジ郡キャンパスの建設が決まった直後に行われた創大・創価女子短大の入学式(95年4月)で、先生は述べている。
「見渡す限り、緑の丘陵がなだらかに続く。一つ山を越えると、青き太平洋が雄大に広がる。まさに『太平洋文明構築の電源地』にふさわしい。この理想的な天地に、大きく夢を広げながら、荘厳なる『教育の城』を建設してまいりたい」

◇多様性の縮図
SUAのキャンパスには、市の街並みが一望できる約1マイル(1・6キロ)の緑豊かな遊歩道がある。
「ミレニアム・トレイル(千年紀の道)」としてアメリカ政府の認定を受けており、ジョギングやサイクリングを楽しむ市民も多い。
2011年には「創価芸術センター」がオープン。クラシックやジャズ、民族音楽などのコンサートが催され、キャンパスは市民の憩いの場に一変する。
"地域に開かれた大学"。それは池田先生が示した指針でもあった。かつて創大ロス分校が開校した折、こう述べている。
「木や花を研究し、キャンパスを美しくしてください」「地元の方にも開いていってください。来られた方が、本当に来てよかったと思われるように」
その理想の姿が、SUAに結実している。

「SUAには週に何度も足を運んでいます。出勤前にカフェテリアでコーヒーを飲んだり、家族で食事をしに来ることもあります」
そう語るのは、アリソビエホ市のロス・チュン市長。市制が始まった2001年に同市へ移り住み、ソフトウエア会社を運営する傍ら、市議を6年務めてきた。SUAの開学式には、一市民として参加している。
SUAでは、大学と市の"誕生日"を祝う意義を込め、開学翌年の02年から毎年5月に「インターナショナルフェスティバル」を開催。多彩な民族・文化のステージや模擬店でにぎわい、今年は6000人が集った。チュン市長も、毎年欠かさず参加し、自身のルーツであるハワイの音楽や食文化に触れる貴重な機会になっているという。「SUAは、私にとっても、わが子と先祖の文化を学び合う"教育の場"です」
市の人口は現在、5万2000人。最近ではマイクロソフトなどの国際企業が進出し、「ビジネス、教育、生活と、バランスのとれた市」に発展している。
一方、ここ数年で東欧、アジア、ヒスパニック系の人々も増加。"多様性の縮図"でもあるSUAの存在感は年々増していると、市長は指摘する。
「海外からの留学生が苦労して学ぶ姿は、多くの青少年の触発になっています。市の発展のためにも、さらに多くの人たちがSUAの魅力を知っていけるよう尽力したい」

アメリカは、ハーバード大学などを"知の拠点"とし、教育の力で成長を遂げた。
SUAは、新世紀の幕開けと同時に、人類の未来を開く新しい大学として、新しい街と共に船出した。
先生は言う。「ここから、21世紀を創めるのです。ここから、21世紀を創るのです」
地域に愛される"世界市民のキャンパス"から、新たな希望の建設は始まる。

2019年5月30日木曜日

2019.05.30 わが友に贈る

地区部長・婦人部長こそ
地域の幸福責任者
広布の勝利責任者だ!
皆をたたえ励まし
異体同心の大行進を!

本因妙抄 P874
『彼の天台大師には三千人の弟子ありて章安一人朗然なり、伝教大師は三千人の衆徒を置く義真已後は其れ無きが如し、今以て此くの如し数輩の弟子有りと雖も疑心無く正義を伝うる者は希にして一二の小石の如し』

【通解】
かの天台大師には、三千人の弟子がいたが、章安一人だけが同じ明朗な悟りを得ている。
伝教大師は、三千人の多くの門下を置いたが、一番弟子の義真の後は、同じ悟りを継ぐ人はいなかった。
今も、それと同じようなものである。幾人かの弟子がいるといっても、疑う心がなく、正義を伝える者は希であって、一、二の小石のようなものだ。

〈寸鉄〉 2019年5月30日
初訪中45年。「池田先生は両国友好開いた先駆者」中国教授。師の魂、万代へ
常に大衆の中で世論を生むことが大事—戸田先生地道な対話こそ変革の要
心豊かな友と過ごせば人生は何倍も意義深くなる—哲人。尊き同志と共に
ごみゼロの日。持続可能な社会を足元から。皆で抑制、再使用などに挑戦
市民の声受け止める公明の存在は心強い—識者。三千の議員網で更に戦え

☆知性の架け橋 海外学術講演45年 中国 北京大学 1980年4月22日(第1回)
「個別」を通し「普遍」を見る中国文明貫く人間への視座

1898年に創立された中国最高峰の名門学府・北京大学。国の未来を双肩に担う若き英才を輩出する同大学に、池田先生は第1次から第7次訪中まで毎回、足を運んでいる。
先生はこれまで、同大学で3回にわたり講演。1980年は「新たな民衆像を求めて」、84年は「平和への王道」、90年は「教育の道 文化の道」と題して、いずれも中国文化の底流に脈打つ"人間を根本とする伝統"について洞察している。
その第1回となる80年の記念講演で先生は、「神のいない文明」としての中国文明がもたらした世界観の特徴を取り上げた。
司馬遷が『史記』で発した「——わたしははなはだ思い惑う——いわゆる天道は是なのか、非なのか」(『中国古典文学大系 11』野口定男訳、平凡社)との問いに触れ、自分自身を襲った悲劇という個別性の上に「天道」の是非をただす生き方は、「個別を通して普遍を見る」ことであり、中国文明の底流をなすものであると言及。一方、西洋文明は19世紀末に至るまで、絶対普遍の神の摂理の是非を、人間の側からよりも、神という「普遍を通して個別を見る」ことが多かった——いわば、神という"プリズム"を通して、人間や自然を捉えてきたと論じている。
そして「新しい普遍主義」の主役は、新たな民衆、庶民群像でなければならないとし、中国の歴史と現実の歩みは、そうした未来を開くエネルギーを秘めていると期待した。
同講演について北京大学の王学珍元校務委員会主任は、多くの教職員、学生の間で話題となり、池田先生に対する認識を一変する機会となったと指摘し、こう語っている。
「新たな庶民の群像によって未来を開け——中国の歴史観と現実を踏まえたうえでの期待の声は、文化大革命が終息し、新しい時代を迎えた北京大学にとって、最も必要な視座ではなかったかと、今となってあらためて感嘆する内容でした」
初訪問となった74年の図書贈呈の申し入れに始まり、両国の民衆を結ぶ先生の教育交流の拠点となってきた同大学。2006年には創価大学北京事務所がオープン。開設10周年の佳節に記念の行事が北京大学で開かれるなど、友情の絆は滔々と受け継がれている。

◇講演から
中国文明は、人々の人間観や世界観にどのような特徴をもたらしたでしょうか。浅学を省みずに言えば、私は「個別を通して普遍を見る」という言葉に要約できるのではないかと思うのであります。(中略)
それは、ある種のプリズムをとおして物事を見るのではなく、現実そのものに目を向け、そこから普遍的な法則性を探り出そうとする姿勢であります。私の親しく交際していた英国の歴史家トインビーは、晩年、中国が世界史の今後の軸になるだろうとの予感を持っていました。彼はその最大の理由として「長い中国史の流れの中で中国民族が身につけてきた世界精神」を挙げております。
キリスト教には極めて批判的な彼は、中国史に蓄積されてきた精神的遺産の中に、侵略的色彩の強いヨーロッパの普遍主義とは違った、ある種の世界精神の萌芽を感じとっていたに違いないと思うのであります。
だからといって私は、中国数千年の歴史をそのまま美化しようとするつもりはありません。分裂あり、内乱、侵入あり、度重なる洪水や旱魃で、民衆が塗炭の苦しみをなめたことも数知れません。(中略)
そのうえで、なおかつ精神的遺産と申し上げたいのであります。長い間に培われた精神の原質ともいうべきものは、そう簡単に変わるものではないし、また、すべてを変えるのが得策ともいえないでしょう。むしろそうした原質を、よい方向、建設的な方向へ磨き上げていくことこそ、中国のみならず、アジアや世界の今後に、多大な貢献がなされるに違いないからであります。

☆知性の架け橋 海外学術講演45年 メキシコ グアダラハラ大学 1981年3月5日
◇詩心と笑顔で結びゆく"心の回路"が平和の砦に
メキシコの名門グアダラハラ大学の創立は1792年。長い伝統を誇り、学生数が28万人を超える総合大学である。
池田先生が同大学で「メキシコの詩心に思うこと」と題して講演したのは、1981年3月5日。
これに先立つ2月26日、先生がメキシコの空港に到着した際、報道陣から「世界各地で続く戦争状態をどう思うか」とマイクを向けられた。
中南米では先の見えない紛争が続き、さらに前年の80年にはイラン・イラク戦争が勃発していた。
先生は「私は仏法者です。仏法は平和主義です。戦争に対しては絶対反対である」と即答し、今回の訪問でも平和・文化・教育の交流のために行動を貫くとの決意を語った。
グアダラハラ大学の講演で先生は、戦乱の中でも失われることのなかったメキシコの人々の"心の豊かさ"をたたえ、同国で67年に「トラテロルコ条約」が結ばれた事実に言及。「人間が人間らしく生きるための骨格ともいうべき、自由、平等、独立などに対するメキシコの人々の鋭い人権感覚が投影されている」と語った。そして国際化の時代を迎えるにあたって、国と国、民族と民族の間に平等互恵が徹底されなければならず、それには民衆相互の心の交流が不可欠であると指摘した。
講演後、聴講したサルドバル・ラミレス教授(当時)は「池田氏のヒューマニズム、幅広い体験と見識の一端を知る思いがした」と述べた。
また、メキシコ中部の名門グアナファト大学人文学研究センターのルイス・リオンダ所長(同)は、講演を通して創価の哲学に共感。後にリオンダ所長の推挙によって、グアナファト大学から先生に、最高名誉博士号が贈られた(90年3月)。
さらに2004年には、グアダラハラ大学から先生に名誉博士号が授与され、翌05年には創大と同大学が学術交流協定を結んだ。
池田先生の講演が築いた両国の架け橋を、現在まで多くの学生が往来。互いの文化に触れつつ、触発し合い、"心の豊かさ"を学んでいる。

◇講演から
詩心(スピリット・オブ・ポエム)そして笑顔——。それは何よりも、心と心の回路の開放を意味しております。平和といい文化交流といっても、肝心の心の回路が開かれていなければ、絵にかいた餅に等しい。有名なユネスコ憲章の「戦争は人間の心の中に生まれる。だから心の中に平和の砦を築かなければならない」との一節も、そのことを意味しているといえましょう。(中略)
たしかに自由といい、平等、独立といっても、それを完全に実現することは至難の業であります。近代メキシコの歴史も、多くの曲折をたどった試行錯誤の過程であったといってよいかもしれません。政治、経済面をはじめ、課題は数多く残されており、あげて皆さま方の今後の努力と建設作業にかかっているわけであります。しかし私は、三百年にわたるスペイン統治下の凍てついた大地の下でしぶとく生き続け、独立や革命を経て鍛え上げられてきたメキシコの人々のアルマ(魂)は、将来にわたって、必ずや見事な実を結ぶであろうことを信じてやみません。

2019年5月29日水曜日

2019.05.29 わが友に贈る

真に立ち向かうべきは
自分自身の諦めの心だ。
わが誓いの成就を
決めて祈って動けば
必ず道は開かれる!

上野殿御返事 P1558
『相かまへて相かまへて自他の生死はしらねども御臨終のきざみ生死の中間に日蓮かならずむかいにまいり候べし』

【通解】
自他の生死はわからないけれども、あなたの御臨終のさいに、生死の中間には必ず日蓮が迎えに参るであろう。

〈寸鉄〉 2019年5月29日
青年の心を揺さぶるのは青年の叫び—恩師。壁を突き破る正義の師子吼を
奉仕は他者を幸福にし、自身も幸福にする—偉人自他共に輝く励まし運動
「求めて師とすべし」御書師弟の正道歩む誉れの人生。勝ってこそ真の弟子
特殊詐欺の被害、全国で1日当たり約1億円と。「私は大丈夫」の隙排して
気温上昇に伴う食中毒に注意。丁寧な手洗い、食品の十分な加熱等で予防

☆世界に魂を 心に翼を 第16回 「命どぅ宝」の響き(上)
◇沖縄の"大恩"を忘れるな
創立以来、民音は世界110カ国・地域と交流を結び、海外の一流の音楽芸術を日本に届けてきた。累計公演数は約8万回にも及ぶ。
海外初招聘となったのは、1965年12月に招いたイスラエルのピアニスト。その後、各国との文化交流は徐々に広がっていき、沖縄の地でも、72年5月15日の本土復帰を機に海外招聘の期待が高まる。
だが招聘は一筋縄ではいかなかった。本州から離れた沖縄では、アーティストの交通費や機材の輸送費など経費がかさむ。その分、入場料を高くせざるを得ないが、値上げすれば気軽に足を運んでもらえない。当時、沖縄は失業率が高く、県民所得は全国最下位だった。沖縄への海外招聘はできないとの声も上がった。
沖縄民音の上江洲勝雄さん(故人)は、助成を受けるために自治体や関係者のもとへ何度も足を運び、文化交流の意義を切々と訴えた。
やがて、その熱意が伝わり、自治体や企業の協力を得て、沖縄への海外招聘が次々に実っていく。フランスの名バイオリニストであるミッシェル・ベネデット氏ら(76年)をはじめ、これまで30を超える国・地域のアーティストを招いてきた。著名な音楽家の公演を聞き付け、台湾などから飛行機で来日する観客もいた。
上江洲さんの原点——それは91年2月7日、沖縄を訪れていた民音創立者の池田先生が、那覇市の親泊康晴市長と懇談した時のことである。
開口一番、先生は「民音が、大変にお世話になっています」。そして「私は沖縄を大切にします。それは日本のために一番の犠牲になった国土だからです」と。
断固とした口調に、上江洲さんは衝撃を受けた。
先生は、沖縄が持つ平和の使命、さらに芸術を通して心を結ぶ"民間外交"の重要性を強調している。
創立者自ら交流の道を開く姿を目の当たりにし、上江洲さんの行動は一段と熱を帯びていった。
世界各地の音楽文化、芸術交流の大切さを語る中で、当初は民音の存在を快く思っていなかった地域の実力者までもが、沖縄での公演を応援してくれるまでに。思想や信条を超えて一丸となって連携する姿は、関係者が不思議に思うほどだった。
◇ ◆ ◇ 
高台にある深紅の首里城に、爽やかな海風がそよぐ。
94年2月17日、沖縄訪問中の池田先生が首里城を視察。戦争で焼け落ちた城は、本土復帰20周年を機に、国営公園として復元されていた。
同行していた桃原正義さん(学会の総沖縄長)。「先生は"復元されたら、一緒に行こう"との約束を覚えていてくださいました。滞在できる時間は数十分。学芸員の方には最小限の解説でとお願いしていたのですが、先生は首里城や沖縄の歴史について矢継ぎ早に質問されました」
先生は、沖縄には中国と長い交流の歴史があることに触れ、"沖縄は世界に通じているね"。
桃原さんは語る。「琉球王国は中国や東南アジアと盛んに交流し、多種多様な文化をチャンプルー(混ぜる)して独自の文化を生み出してきました。先生は、文化立国としての沖縄に着目されたのだと思います」
首里城の正殿には「万国津梁(世界の懸け橋)の鐘」が掛けられていた。気宇壮大な志で海を渡り、大々的な交易で繁栄した琉球王国だが、1609年に薩摩藩から侵攻を受けて以来、文化的にも抑圧が続いた。太平洋戦争末期の沖縄戦では、方言を使用したために殺された人もいた。日本語でない言葉は、全て"暗号"とされたからだ。
明治から戦後にかけ、学校の黒板には「標準語励行」と書かれていた。方言を使えば「方言札」という札を首に掛けられ、罰せられた。桃原さんは1968年に就職し、パスポートを握り締めて上京したが、「自分は正しい日本語を話せているのか、いつも不安でした」と述懐する。
「私たちの上の世代は、方言を使うと、札を掛けられて廊下に立たされました。私も方言を使い、掃除当番をさせられたのを覚えています。自由に話せず、自信が持てない。いつも自分を卑下していました」
沖縄初訪問の折(60年)、池田先生は首里城ゆかりの万国津梁の鐘を通し、"沖縄には平和の魂がある。その平和の魂で世界の懸け橋を築くんだ"と望んだ。以来、一貫して、世界を結ぶ沖縄の使命、さらに沖縄の文化の偉大さを訴えてきた。
民音が主体となって沖縄の民俗芸能を舞台化し、世界各地で脚光を浴びた「沖縄歌舞団」(69年)の公演から、今年で50年がたつ。その間、民音は、沖縄の心を伝える公演を次々と実現させてきた。
桃原さんは振り返る。「沖縄の誇りと使命に目覚めよ。池田先生は常に、そう励ましてくださいました」
◇ ◆ ◇ 
「沖縄芸能のリーダーを育てる場となってきた民音。世界の人々がともに平和を愛する同じ人間であることを、世界で交流を広げている民音が知らせてくれた」(「沖縄タイムス」2003年12月2日付)
そう民音の歩みを評するのは、沖縄芸能研究家の宜保栄治郎氏。
沖縄の芸能に批判的だった人々でさえ、民音の公演には「沖縄の心、魂が表現されている」と反響を呼んできたと語る一方で、ブロードウェーや雑技団といった多彩な芸術の招聘が大きな刺激となり、沖縄の新たなジャンル、演目の創造につながっていくと述べている(同)。
中でも本土復帰から20周年となる92年に全国公演を行ったミュージカル「大航海」は、沖縄の舞踊・音楽関係者が総力を挙げ、沖縄の新時代を広く伝えるものとなった。出演者は各分野の第一線で活躍している。
舞台は500年前の琉球王国。島を飛び出した若者たちがアジア諸国を巡り、さまざまな人や文化と出合い、手を取り合って進む——まさに"万国津梁"の再現である。
主役の一人を務めた当銘由亮氏。「『大航海』が僕らの世代に与えた影響は大きかった。芸能家の基本が全て詰まった舞台でした。そういった経験は、後にも先にもありません」
92年の全国ツアーは、11、12月の巡演。青森での公演は降雪に見舞われた。若手舞踊家の中には、初めて雪を目にした人も。「経験したことのない寒さでした。でも民音の舞台は寒さを吹き飛ばす熱気にあふれていました」と感慨を深める。
氏は「ウチナーグチ(沖縄方言)」を生かした舞台を貫いた。幼少時代、学校で「今日の目標」に「方言を使わない」と掲げられていたこともあった。「大航海」の公演を重ねる中で、方言の豊かな魅力をかみ締めた。
「ウチナーグチには、日本語だけでは伝えきれない心がこもっています」と話す当銘氏。沖縄芝居、歌三線、琉球舞踊などの伝統芸能を"現代エンターテインメント"として表現するなど、多彩な活躍を見せる傍ら、沖縄方言の継承にも力を尽くす。
◇ ◆ ◇ 
「大航海」の舞台を脚本・音楽監督として支えたのが、沖縄音楽界の中心的存在であった中村透氏である。
沖縄を舞台とする創作オペラや合唱曲、オーケストラ作品などを手掛け、多くの後進を育んだ。
本年2月7日、氏は72歳で世を去った。葬儀には1000人以上が参列。氏の思い出話に花を咲かせ、いつまでも家路に就くことはなかった。
北海道出身の中村氏は75年に沖縄へ。沖縄戦の歴史に触れ、"人間として、作曲家として、戦争とどう向き合うか"呻吟した。代表作となった「交響絵図 摩文仁野第2番」では、戦下の混乱と悲しみを打楽器の連打と不協和音で表現。終盤の「祈り」の場面を沖縄の音階で紡いだ。
中村氏の妻であり、オペラ歌手の玻名城律子氏が語った。
「"沖縄の若き人材を世に出したい。どう光を当てたらいいか"——中村は、その一心で駆け回っていました。『大航海』の音楽を任された時、最初は戸惑っていたのを思い出します。原作には、壮大な沖縄の世界観がありました。歴史を学び直しつつ、たくさんの音楽家に声を掛け、楽しそうに取り組んでいました」
玻名城氏は沖縄出身だが、東京の大学でクラシック音楽を学び、沖縄の音楽文化への関心は薄かったという。「大航海」では歌唱指導を担当したが、台本を見て驚いた。島を出て、異国で新たな文化と知識を得て故郷に持ち帰る——自身の体験と、どこか重なるところがあった。
「私の世代くらいまではコンプレックスがあります。『大航海』で自分たちの歴史を知り、日本中で喝采を受ける中で、"私たちはこれでいいんだ"と思えるようになった。中村も、そのことを知っていた。だからこそ、民音の舞台にここまで力を注いだのだと思います」
◇ ◆ ◇ 
91年2月、那覇市長と会見した直後に池田先生は語っている。
「日本の"本土"のために、命を捨てて戦い、筆舌に尽くせぬ悲惨な戦禍に苦しんだ。沖縄の犠牲があったからこそ、戦後の日本の繁栄があり、平和がある。日本全体が、沖縄に"大恩"がある。その根本の事実を忘れて、繁栄に傲り、『報恩』しないばかりか、見下すようなことは絶対に許すことはできない」
「一番苦しんだところが一番幸せになる権利がある。これが仏法の慈悲の精神である。ゆえに、沖縄にこそ、最高の『平和の楽土』を、『幸の都』を築かねばならない。築きたい。そして沖縄の人々こそが、誰よりも幸せになっていただきたい。そのためには何でもして差し上げたい」
まもなく、令和初となる47回目の本土復帰の日が巡り来る。
時代は変われど、文化交流に臨む民音の精神は一貫して変わらない。
心を震わせる感動の音楽を。
人の誇りを呼び覚ます芸術を。
その人間と人間の魂の共鳴から、新たな時代は開かれる。

2019年5月28日火曜日

2019.05.28 わが友に贈る

熱中症に厳重注意!
室内でも油断せず
水分補給・温度調整を!
特に高齢の方々には
事前対策への声掛けも!

御義口伝巻上 P750
『末法に於て今日蓮等の類いの修行は妙法蓮華経を修行するに難来るを以て安楽と意得可きなり』

【通解】
末法において、今、日蓮等の類いの修行は、妙法蓮華経を修行するのに、難が襲ってくることをもって、安楽であると心得るべきである。

〈寸鉄〉 2019年5月28日
"人と語る"とは人格を懸けて戦う事—恩師。創価の全権大使の気概で開拓
宮城県婦人部の日。希望送る対話を今日も!女性の世紀は"青葉の森"から
生活満足度、社会との繋がりが強い人ほど高く。幸の大道歩む我らが証明
増やしたい生活習慣は睡眠、運動—調査。着実な時間革命で価値ある日々を
物が二重に見える子ども増加と。携帯の過剰使用等、家庭で規則決め防げ

☆御書と歩む� 第71回 病魔に敢然と立ち向かえ
『此の人のやまいを忽になをして・かへりてまほりとなりて鬼道の大苦をぬくべきか』(法華証明抄、1587ページ)

◇通解
(鬼神どもよ)この人(南条時光)の病をすぐに治して、(三世十方の仏の大怨敵となるのと)反対に、この人の守りとなって餓鬼道の大苦から免れるべきではないか。

◇同志への指針
日蓮大聖人は、重病と闘う南条時光に"天魔の威しなど断じて恐れるな"と励まされた。そして鬼神に対しては、"直ちに病を治し、善神となって守護せよ"と烈々と呵責されている。この後、時光は回復し、50年も寿命を延ばして使命を果たした。
妙法受持の我らは御本仏とご一緒に、病魔を叱り飛ばす大生命力で断固と生き抜くのだ! 同志を護り抜くのだ!

☆御聖訓に学ぶ勝利の要諦 テーマ「師子王の心」 2019年5月21日
◇臆病の心に負けるな 恐れなく迎え打て!
「広宣流布のために進めば、必ず三障四魔が競い起こる。その時こそ、成長できる。『人間革命』『宿命転換』のチャンスである。臆病の心に負けてはならない。怯んでしまえば、そこに魔は増長して付け込んでくる。『師子王の心』を取り出して、恐れなく迎え打てば、魔は退散するのだ」(『勝利の人間学』)。逆境や問題に直面した時こそ、御本尊への強盛な祈りから始めよう! 師子王の心で、強気で立ち向かおう! あらゆる魔性を打ち破り、広布と人生の勝利をつかみ取ろう!

勇敢に突破口を開け
●御文
『各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ、師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし』(聖人御難事、1190ページ)

●通解
あなたがた一人一人が師子王の心を取り出して、どのように人が脅そうとも、決して恐れることがあってはならない。師子王は百獣を恐れない。師子の子もまた同じである。

弟子よ、恐れるな!
私と同じように、勇敢に立ち向かえ!
師匠の渾身の励ましに、門下はどれほど勇気づけられたことでしょう。
本抄は、弘安2年(1279年)10月1日、身延で認められ、門下一同に与えられました。
当時、「熱原の法難」の渦中であり、門下もまさに命懸けで信仰を貫かなければならない状況でした。
大聖人は弟子たちに、弾圧が厳しければ厳しいほど、「師子王の心」を取り出すように教えられています。
臆病な心に支配されれば、気持ちが萎縮してしまい、事態はますます望まない方向に進んでしまうものです。
逆に、勇気をもって、強気で立ち向かっていけば、必ず突破口が開けます。
「師子王の心」とは、どんな迫害にも屈することのない勇気です。生命の底力です。
"取り出す"と仰せなのは「師子王の心」が、人からもらうものでも、与えられるものでもなく、わが生命に具わっているものだからです。
取り出すか、取り出さないか——それは、どこまでも弟子の信心に懸かっています。
大聖人は弟子を「師子の子」と仰せです。私たちも「師子王」となれるのです。
そのためには、仏法の師弟に連なる誇りを胸に、勇敢に拡大に打って出ることです。戦う勇気の人が、師子王であり、勝利者なのです。

◇油断なく"今を勝つ"
●御文
『師子王は前三後一と申して・ありの子を取らんとするにも又たけきものを取らんとする時も・いきをひを出す事は・ただをなじき事なり』(経王殿御返事、1124ページ)

●通解
師子王は前三後一といって、蟻の子を取ろうとする時にも、また、猛々しいものを取ろうとする時にも、その飛びかかる勢いは、全く同じである。

師子は、たとえ弱い敵であったとしても、必ず全力で立ち向かいます。だからこそ、百獣の王たりえるのです。
本抄は、文永10年(1273年)8月15日、病気の子をもつ門下に与えられたお手紙です。諸天をも揺り動かす、強盛な信心、確信の祈りによって、願いは叶えられると教えられています。
どんなに圧倒的な力を持っていたとしても、"たいしたことない""これぐらいで大丈夫だろう"といった、慢心や油断があれば、そこに魔が付け込み、予想だにしない敗北を喫してしまうものです。
負けの原因は、往々にして、敵にあるのではなく、自身の心の隙にこそあるのです。
だからこそ、大事なことは、魔を寄せ付けないことです。些細なこと、簡単に思えることでも、持てる力を出し切って挑んでいくことです。
私たちの実践にあっては、どんな小さなことも、御本尊に強盛に祈っていくことです。そうすれば諸天が守ります。何より、仏界の生命という最高の勇気が湧き、どんな敵にも全力で挑んでいくことができるのです。
真剣な人、真面目な人には、誰もかないません。その全力投球の必死な姿に触れて、周りの人も応援したくなります。悪鬼・魔民をも味方にしていくことができるのです。
戦いに臨んで、油断なく、"今を勝つ""ここで勝つ"と、全力を注ぐ人にこそ、勝利の栄冠は誇り高く輝くのです。

◇コラム 師子吼
日蓮大聖人は、「師子王の心」と共に、「師子吼」の大切さを教えられています。
「師とは師匠授くる所の妙法子とは弟子受くる所の妙法・吼とは師弟共に唱うる所の音声なり作とはおこすと読むなり、末法にして南無妙法蓮華経を作すなり」(御書748ページ)
「おこす」とあるように、受け身ではなく、弟子が自らの決意、覚悟で立ち上がってこそ、師弟一体の師子吼となるのです。
さらに、「譬えば一の師子に百子あり・彼の百子・諸の禽獣に犯さるるに・一の師子王吼れば百子力を得て諸の禽獣皆頭七分にわる」(同1316ページ)と教えられています。
師子王の咆哮に力を得て、百子が禽獣を打ち破るのです。弟子の戦いで、一切の障魔を打ち破っていくのです。
池田先生は「師と弟子が、共に心を合わせ、広宣流布の拡大へ、正義の声を上げていく——これが『師子吼』の真髄である。『師子吼』なればこそ、創価三代の師弟はすべてに勝ってきた」(『勝利の人間学』)と。
師匠と同じ誓願に立ち、戦ってこそ、不二であり、実践と勝利のあるところに、創価の師弟の魂は脈打つのです。

2019年5月27日月曜日

2019.05.27 わが友に贈る

◇今週のことば
仏の異名は「大橋梁」。
我らは社会へ 世界へ
高き「希望の端」を!
光る「平和の端」を!
胸を張って建設だ。
2019年5月27日

四条金吾殿御消息 P1113
『かかる日蓮にともなひて法華経の行者として腹を切らんとの給う事かの弘演が腹をさいて主の懿公がきもを入れたるよりも百千万倍すぐれたる事なり、日蓮霊山にまいりてまづ四条金吾こそ法華経の御故に日蓮とをなじく腹切らんと申し候なりと申し上げ候べきぞ』

【通解】
このような日蓮にともなひて、法華経の行者として腹を切ろうと言われたことは、かの中国の弘演が自分の腹をさいて主人の懿公の肝を入れたことよりも、百千万倍すぐれたことである。
日蓮が霊山に詣でた時には、まず四条金吾こそ法華経の故に、この日蓮と同じように腹を切ろうとしたと言いましょう。

〈寸鉄〉 2019年5月27日
アメリカ創価大学で卒業式。平和の世紀は君らの双肩に。世界に羽ばたけ
神奈川婦人部の日。勇気の対話で新時代の勝利の歴史を!正義の心で前進
「法自ら弘まらず」御書。故にわが地域に人材の大河開け。励ましの光更に
交通事故に要注意!疲れや油断、焦りは禁物。互いに声掛け。深き祈りを
塩分過多の食事は脳卒中などの死亡リスク高めると。食生活、バランス良く

☆御書と歩む� 第70回 永遠に御本尊根本で前進
『竜樹天親等・天台妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を・末法二百余年の比はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり』(日女御前御返事、1243ページ)

◇通解
竜樹・天親ら、天台・妙楽らでさえも顕されなかった大曼荼羅を、末法に入って二百年余りが過ぎたころに、初めて法華弘通の旗印として顕したのである。

◇同志への指針
この御本仏の甚深なるお心が、広宣流布大誓堂に御安置の「創価学会常住御本尊」に留められている。
戸田先生が発願された、この御本尊を、まさしく「法華弘通のはたじるし」として、学会は慈折広布、立正安国を断行してきた。
全民衆が幸福になるための御本尊である。「何事か成就せざるべき」と、誓願の題目で前進しようではないか。

☆6月度男子部 四条金吾殿御返事(法華経兵法事)
◇どこまでも信心根本に! 勇気こそ勝利への出発点
6月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では、「四条金吾殿御返事(法華経兵法事)」を研さん。どこまでも信心根本に戦うことの大切さを学ぶ。

◇御文
『なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし、「諸余怨敵・皆悉摧滅」の金言むなしかるべからず、兵法剣形の大事も此の妙法より出でたり、ふかく信心をとり給へ、あへて臆病にては叶うべからず候』(御書1192ページ)

◇通解
どのような兵法よりも、法華経の兵法を用いていくべきである。「あらゆる怨敵は、皆ことごとく滅びる」(法華経薬王品第23)との金言は、決して空しいはずがない。兵法や剣術の真髄も、この妙法から出たものである。深く信心を起こしなさい。決して、臆病では何事も叶わないのです。

◇背景と大意
本抄は、弘安2年(1279年)10月、四条金吾に与えられたお手紙である。
当時は、熱原の法難の渦中であり、鎌倉において門下の中心的存在だった四条金吾もまた、命に及ぶ危難に直面していた。
金吾は主君の江間氏を折伏したものの、主君は真言律宗の僧・極楽寺良観の信奉者であったため、不興を買う。同僚からの讒言もあり、ついには主君から"江間家を去るか、信仰を捨てるか"と迫られ、苦境に陥った。
それでも、金吾は大聖人の御指導通り、強盛な信心と主君への誠実を貫いた。その結果、主君の信頼を回復。弘安元年(1278年)には、以前の3倍に及ぶ領地を与えられるまでになった。ところが成功をねたむ人々から金吾は命を狙われたのである。
本抄は、危難を乗り越えた報告に対する御返事である。
大聖人は、金吾が無事であった要因について、「普段からの用心」「けなげ(勇気)」「強き信心」と3点にわたって指摘。「これに・つけても・いよいよ強盛に大信力をいだし給へ」(御書1192ページ)と、一層の信心に励むよう激励されている。

◇解説
大聖人は本抄で、武士であった四条金吾の心に伝わるよう、「兵法」「兵法剣形の大事」等の比喩を用いて指導された。「兵法」とは、戦闘の作戦、戦術や武術のこと。現代に即して考えれば、仕事や生活の諸課題において、よりよい結果を得るための工夫や方法ともいえよう。
拝読御文では、そうした方策を生み出す根本は全て、妙法にそなわっていることを示され、信心を忘れて策のみに走ることを戒められている。
信心を根本とした絶対勝利の兵法——これこそが「法華経の兵法」である。
「諸余怨敵・皆悉摧滅」の金言通り、「法華経の兵法」で挑むならば、あらゆる「怨敵」を打ち破ることができる。「怨敵」とは、日常の中で立ちはだかる困難や悩み、また、宿命や魔の働きとも捉えられよう。社会においては、妙法を持つ人をねたみ、迫害する「三類の強敵」にほかならない。
本抄の結びで、大聖人は、臆病の心を戒められ、深く信心を起こすよう、強調されている。勇気を奮い起こして妙法のために生き抜く。その功徳によって、成仏を妨げるあらゆる魔軍を打ち破ることができる。「法華経の兵法」とは「勇気」の異名であり、「勇気」こそ一切の勝利の出発点なのだ。
その「法華経の兵法」の偉大な力用を体現し、証明してきたのが、創価の師弟である。
「大阪の戦い」(1956年)で、池田先生は、関西の同志と共に、この御聖訓を拝して、不可能とも思える難関に挑み、「"まさか"が実現」と世間が驚嘆する大勝利を成し遂げられた。
「大阪の戦い」に参加したのは、ほとんどが入会まもない"新会員"だった。その中で先生は「法華経の兵法」という将軍学をもって、強盛な祈りを根本に、縁する全ての人々を励まし、一人一人の勇気を奮い起こされた。そうした先生の一念と行動に呼応して、同志は、地涌の勇者として堂々と正義を語り抜いていったのである。
先生は語られている。「庶民の心の中に飛び込んで、『ともに幸福になろう!』『ともに勝とう!』という渾身の励ましを送る。そして、偏見や旧習の壁を打ち破って、民衆の栄光を勝ち開く。これが『法華経の兵法』であります」
私たちは、全ての広布の戦において、どこまでも唱題によって勇気を湧きいだして臨んでいきたい。新しい力である男子部大学校2期生と共に、地域へ、社会へ、雄々しく対話を拡大し、師弟不二の勝利の旗を打ち立てようではないか!

2019年5月26日日曜日

2019.05.26 わが友に贈る

「信心で勝つ!」
この決定した一念が
勝利への勢いを生む。
新たな広布の山へ
強き祈りで挑みゆこう!

一生成仏抄 P383
『妙法と唱へ蓮華と読まん時は我が一念を指して妙法蓮華経と名くるぞと深く信心を発すべきなり』

【通解】
妙法と唱え、蓮華と読誦する時は、わが一念を指して妙法蓮華経と名付けるのであると深く信心を起こすべきである。

〈寸鉄〉 2019年5月26日
創価の女性の友情を結ぶ力に感動—博士。地域に幸と希望の連帯築く太陽
「対面を遂げ邪見を翻えし給え」御書。正義の拡大は会って語ることから
熱中症に警戒。室内でも発症の可能性。小まめな水分・塩分補給絶やさず
1万メートル超の深海にプラごみ発見。足元から行動に移し母なる地球を守ろう
公明は忘れられた人を作らぬ—識者。三千の議員の総力で声なき声を形に

☆世界広布新時代第41回本部幹部会から(活動体験)関西副芸術部長 兵庫・創価西宮県 副県長 森本尚幸さん
◇ミュージシャンBORO 今年デビュー40周年 どん底からはい上がった勝利の人生

一、私は1956年(昭和31年)、兵庫県伊丹市で家族と共に入会しました。
幼少の頃の私は病弱で、重度のぜんそくと皮膚炎に悩まされていました。外遊びができなかった分、家にあったおもちゃのピアノやリコーダーで遊ぶようになり、自然と音楽が大好きになりました。
両親の懸命な祈りで、中学生になった頃には健康体に。そんな私に母は、生涯最高の財産をプレゼントしてくれました。御書です。
「ここに書いてあるのは皆、前向きな言葉や。世界一、高い教えやから、尚幸も必ず高いところまでいけるんやで」。母はそう教えてくれました。
しかし高校1年生の時、そんな母との突然の別れが訪れました。脳出血で倒れ、7日後に霊山へと旅立ったのです。
どん底の悲しみの中で、私の病まで再発。ある寒い日の夜に、激しいぜんそくの発作に見舞われました。
父は留守で私一人。あまりの苦しさに、いっそ裏の池に身を投げてしまおうと思いつめました。はうようにして池にたどり着き、冷たい水の中に漬かり、真ん中を目指して歩いていきました。"これで楽になれる"と思いましたが、そうはいきませんでした。池は真ん中に行くほど浅かったのです(笑い)。気が付けば、膝ぐらいまでしか水のないところに、ポツンと立っていました(笑い)。
突然、母が教えてくれた「南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや」(御書1124ページ)の御聖訓が心に浮かびました。「生きるんや。生きて生きて生き抜いたる!」。私は池の真ん中で叫びました。帰りは死ぬほど寒かったです(笑い)。
一、病と闘う決意をした私を、男子部の先輩が心から励ましてくださいました。「宿命転換するには折伏や」との激励のままに、仏法対話に挑戦。友人4人を入会に導くことができました(拍手)。
自行化他の実践の功徳で、見る見る体調も回復。71年には夏季講習会に参加し、池田先生に初めてお会いすることができました。「広布のお役に立つ音楽家に成長します」。こう心の底から誓いました。
その後、上京して音楽学校で学び、卒業後は大阪の北新地で歌いながら作曲活動に没頭しました。自作の曲が300曲を超えた頃、大物プロデューサーとの出会いがあり、79年にメジャーデビュー。2曲目のシングル「大阪で生まれた女」を大ヒットさせることができました(拍手)。
その後も芸能活動は順調そのものでした。私は感謝の思いで、各地で開催される仏法セミナーに参加し、喜んで体験を語っていました。しかし、こうした私の信仰活動を快く思わない人もいました。
デビューから6年後、レコード会社や事務所関係者に呼び出され、「信仰を取るか、仕事を取るか」と詰め寄られました。今なら「両方、取ります。信仰は個人の自由です」と言えるのですが、若かった私は「信仰です」とキッパリ言い切りました。
事務所は即日解雇に。それから4年ほどは、完全に芸能界から干されました。しかし、私の心は晴れやかでした。「世間の失一分もなし」(同958ページ)。御書の通りやと闘志が湧きました。今思えば、舞台演劇やミュージカルへの出演など、この時、新しいことに挑戦できたことも、かけがえのない財産となっています。
一、しかし、自分の信念を通すことは、家族に負担を掛けることにもつながりました。妻とのすれ違いが増え、私にとって2度目となる離婚を経験することになりました。最愛の子どものことを思うと、あまりにふがいなく、どん底まで落ち込みました。
離婚が決まった翌日もセミナーがありました。出席するべきか、当時の芸術部の先輩に相談すると、「行きなさい。自分のありのままを語ってきなさい」と厳しくも温かい激励を頂きました。
セミナー終了後に、一組の夫婦が私のもとに来られました。ご主人が未入会でした。
私はお二人に、「実は私は昨日、離婚しました。偉そうなことなんか言えません。奥さん、ご主人が信心に反対でも夫婦仲良く歩んでいること自体、素晴らしいやないですか」と話しました。するとご主人は「そんな個人的なことまで、よく話してくれました。分かりました。私も妻と共に信心します」と語ってくださったのです。
奥さんは号泣され、私も人目をはばからず泣きました。「はたらかさず・つくろわず・もとの儘」(同759ページ)、これが仏法者なんやと心の底から教えていただきました。
一、91年の夏、故郷の伊丹でタクシーに乗っていると運転手さんが声を掛けてきました。
「BOROさん、筋ジストロフィーの娘のために曲を作ってくれませんか」。筋ジストロフィー——この難病(厚生労働省指定の特定疾患)の名を、その時、初めて聞きました。
当時5歳だった娘さんの、あやかちゃんに会いました。すでに筋肉が萎縮し、手足は動かず、話すこともできませんでしたが、笑顔がひときわかわいい女の子でした。
私は、彼女のために喜んで曲を書きました。その曲を収録したCDの売り上げは、難病撲滅のために全て使ってもらいました。ご家族も本当に喜び、その後、入会されました(拍手)。
あやかちゃんは9歳で亡くなりましたが、彼女が生きた証しを示すためにも、難病撲滅を目指す「AYAKA基金」を立ち上げました。今年で26年になります。
チャリティーコンサート等で集まった募金は、これまで6人の厚生労働大臣に直接お渡しし、安倍首相にも難病克服の重要性を訴えることができました。
さらに活動の輪が広がり、一昨年には、京都大学iPS細胞研究基金にも、支援の楽曲を提供させていただくことに。ノーベル医学・生理学賞を受賞した山中伸弥教授も曲を気に入ってくださり、私の活動も、教授の活動も目標は同じであるとエールを送ってくださいました。
一、私自身も、これまでC型肝炎、硬膜下血腫など、数々の病魔と闘ってきましたが、全て信心で勝ち越えてくることができました。65歳になった今が一番、健康です。
思い込んだら、がむしゃらに突き進む私を深く理解し、前の妻や子どもたちとも仲良くし、私の全てを支えてくれる今の妻には感謝しかありません。再婚して29年、彼女のおかげで宿命転換できました。
私にとって今年は、デビュー満40年の節目の年です。報恩感謝を胸に、まずは関西の月、正義の月・7月へ、愛する兵庫の、また全国のボロ勝ちのために、全力で戦い抜いていきます(拍手)。!

2019年5月25日土曜日

2019.05.25 わが友に贈る

人は人の中で磨かれる。
「会う」ことから
「人間革命」が始まる。
広宣流布の道が広がる。
勇気の心で一歩前へ!

九郎太郎殿御返事 P1553
『竜馬につきぬるだには千里をとぶ、松にかかれるつたは千尋をよづと申すは是か、各各主の御心なり』

【通解】
竜馬(駿馬)についたダニは千里を飛び、松に懸かった蘿は千尋をよじ登るというのは、このことであろう。あなた方は、故・上野殿と同心である。

〈寸鉄〉 2019年5月25日
学会精神とは信心の炎を燃え上がらせる事—恩師広布への大情熱で前進!
「うつりやすきは人の心」御書。学会は善知識の集い。切磋琢磨し共に飛躍
偉大な仕事生み出す根源は忍耐—文豪。青年よ挑み抜け!負けじ魂を胸に
昼夜の寒暖差激しく。体調管理に留意を。睡眠・食事・運動等、リズム正しく
「若者の声」に一番敏感で耳を傾けるのが公明—識者。未来創る政策で光れ

☆首都圏未来部部長研修会への池田先生のメッセージ 2019年5月20日
◇創価のメロスよ新時代を創りゆけ 「挑戦」「努力」「負けじ魂」第一で!
新時代を創りゆく、頼もしき未来部の部長研修会、誠におめでとう!
首都圏の各地から、世界市民の連帯と平和の殿堂である、わが創価大学に、よく来てくれました。
私の心も今、愛する従藍而青の皆さんと一緒にディスカバリーホールにあります。
先月、ビッグニュースが世界を駆け巡りました。「初めてブラックホールの撮影に成功した」というのです。この宇宙の神秘に迫る遠大な観測は、アメリカやチリ、メキシコ、スペイン、南極など、世界の八つの電波望遠鏡をつなぎ、力を合わせ、英知を出し合って行われました。
私も友人である天文学者や宇宙飛行士たちと、"宇宙に目を向ければ、国境も民族も超えて、一つになることができる"と語り合ってきたことが思い出されます。
きょうの研修会は、21世紀を担い立つ英才の皆さんが「広宣流布」即「世界平和」という人類未聞の大偉業を目指して、心一つに生命尊厳の哲理を探究する尊い貴い集いです。
不思議な縁で結ばれた同志と朗らかに伸び伸びと友情を深めながら、このディスカバリーホールから、新たな「発見」と大いなる「飛躍」へ有意義な出発の一日としてください。
皆さんが若くして出あった仏法は、大宇宙をも包み、永遠を貫く究極の正義の大法則です。
御本仏・日蓮大聖人は「日月天の四天下をめぐり給うは仏法の力なり」(御書1146ページ)と仰せになりました。
ですから、皆さんが「正義の走者」として、題目を唱え、学び、鍛え、走りゆく前進は、大宇宙の運行の根本のリズムに正しく則り、わが生命を、太陽の如く、月光の如く、最高に輝かせ、未来の世界を大きく照らしていけるのです。これが妙法を持った創価の青春です。絶対に行き詰まりはありません。その誇りと自信に、胸を張っていただきたい。
現実は、一つ一つ、厳しい試練との戦いが続くでしょう。しかし、私が創価大学にお迎えして対談集を発刊した、世界的な天文学者ロナウド・モウラン博士も語られていました。
「人生は『障害物競走』です。それを乗り越えることが、勝利することであり、幸福を見つけることです」と。その通りです。
どうか、御聖訓に「師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし」(同1190ページ)とあるように、皆さんは「師子の勇気」を燃え上がらせて、日々の「障害物競走」を勇んで乗り越えながら、自分らしく「勝利の旗」を掲げ、幸福の「花の輪」を広げていってください。
創価のメロスは、何があっても恐れず、へこたれず、「挑戦第一」「努力第一」「負けじ魂第一」で進み抜いていこう!
一切を託しゆく後継の皆さんの健康と大勝利を、毎日、祈り抜いていきます。お父さん、お母さんを大切に! 親孝行を頼みます。地域の方々にも、どうかよろしくお伝えください。

2019年5月24日金曜日

2019.05.24 わが友に贈る

苦難を飛躍のバネに!
「賢者はよろこび
愚者は退く」御聖訓。
人生の幸不幸は
自身の一念で決まる!

異体同心事 P1463
『日本国の人人は多人なれども体同異心なれば諸事成ぜん事かたし、日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし』

【通解】
日本国の人々は、大勢いるが、体同異心なので、何事もうまくいかない。日蓮の一門は、異体同心であるゆえに、人数は少ないけれども、大事を成し遂げ、必ず妙法が広まると確信する。悪は多くとも、一善に勝つことはない。

〈寸鉄〉 2019年5月24日
会長は相互理解を広げる対話の力を示した—市長友情結ぶ語らい、我らも
愛知広布原点の日。堅塁の友が拡大に先駆!勝利の「この道」を走り抜け
要は人間をつくることだ—恩師。後輩を自分以上の人材に。励ましを益々
尊敬が友情の大切な要素—哲人。誠実の振舞で光れ。そこに仏法者の証し
熱中症対策へ男性も日傘の使用を—環境省。体が慣れぬ今こそ賢く工夫を

☆随筆「人間革命」光あれ 青葉輝く師弟の道 2019年5月19日
◇「最後は勝つ」が人生の醍醐味
◇偉大な創価の女性と前へ前へ!
学会家族には、いつも明るく弾む歌声がある。
五月三日を祝賀する本部幹部会では、未来部の友が「母」と「正義の走者」の美事な合唱を披露してくれた。全国の同志から感動の反響が、私の元にも多く届いている。
後継の若く尊き宝樹が「従藍而青」の冴え光る命で、大成長の青葉若葉を茂らせてくれており、なんと嬉しいことか!
ふと、芭蕉の名句が思い浮かぶ。
「あらたふと 青葉若葉の 日の光」
江戸時代、千住(今の足立区・荒川区を結ぶ地域)を旅立った芭蕉が、草加を経て東北へ向かう途上、日光で詠んだ句だ。元禄二年(一六八九年)、ちょうど三百三十年前のその日は、太陽暦で五月十九日であった。
今年もこの季節に、「うつくしまフェニックスグループ」の宝友たちが総本部へ集ってくれた。原発事故等の影響で福島県内外に避難された方々が、いずこにあっても「負げでたまっか!」と励まし合い、不死鳥の心で希望と福徳の輝きを放たれている。
笑いあり涙ありの大会では、東北の歌「青葉の誓い」を大合唱されたことも、胸に熱く伺った。

◇緑のモスクワで
二十五年前の五月、私は青葉光るモスクワにいた。モスクワ大学では二度目の講演を行った後、サドーヴニチィ総長にご案内いただき、構内の植物園で「白樺」の苗木を植樹した思い出が蘇る。
妻は「日本の"白樺"(看護者の集い)の皆さんも喜んでくださいますね」と微笑んでいた。
四半世紀の歳月を重ね、白樺の若木は見上げるように大きく育った。総長は、モスクワ大学の卒業式でも、この"友情の大樹"のことを紹介してくださったそうだ。
大地に深く、広く根を張った大樹は強い。その木と木が森をなすように、未来を開く世界市民の青葉の森を創りゆくのが、創価の平和運動だ。
とくに、青年たちに励ましの慈光を惜しみなく贈ってくれるのが、各地の婦人部の皆様である。母たちの周りには、なんと多くの温かな友情の輪、幸福の笑顔の輪が広がっていることか。
恩師・戸田城聖先生のもとで女子部の華陽会が学んだ『小公子』には、「この世に、あたたかい心ほど力づよいものがあるでしょうか」とある。
作者のバーネットは、自身の作品には「ハッピーエンディング」を選ぶと断言した。なぜなら、「すべての人の人生にはじっさいに、目をみはるほどの幸福が数多くあるのですから」と——。
人生の劇にどんな波乱があろうとも、最後は必ず勝つ。皆を勝たせて、"自他共にハッピーエンディング"を飾る。これこそ、妙法の女性がヒロインとなる人間革命の舞の醍醐味ではないか。

◇青春の城を想う
私が若き日の苦闘時代を過ごしたアパートの名も「青葉荘」であった。故郷・大田区の大森にあり、七十年前の一九四九年(昭和二十四年)五月から三年間暮らした。
小さな小さな青春の城で、私は近隣の方々と清々しい挨拶を重ね、誠実に親交を深めていった。私の部屋で座談会を行い、隣近所にも声をかけた。やがて信心する人も生まれていった。
「二月闘争」の時には、「友人の折伏にぜひ」と急に呼ばれ、「よし、行きましょう!」と婦人部の応援に勇んで飛び出したこともあった。
大阪支部の初代支部長となった白木義一郎さんが青葉荘に訪ねてこられたことも思い出深い。
プロ野球の名投手だった彼が、突然、大阪の球団への移籍を通告されて悩み、相談に来たのだ。
私は彼の話を聞きながら、一気に広宣流布の展望が開ける思いがした。
「この大阪行きは御仏意だよ! 大阪に一大拠点を築き、関西、いな西日本に広布の大潮流を起こし、戸田先生の願業の七十五万世帯達成への起爆剤になろう!」
師弟勝利、民衆勝利の波を大阪、兵庫など全関西、全中国、全四国へ、そして福岡など全九州へ——夢は尽きなかった。
世界の友が仰ぎ見る常勝大関西の源流も、試練をむしろ好機に転じゆく若き大胆な語らいから始まったといえようか。

◇正成と正行と母
「青葉茂れる桜井の」——戸田先生に幾たびもお聞かせした"大楠公"の歌は、今の大阪・島本町桜井が舞台とされる。
「父は兵庫に赴かん」と湊川の決戦に臨む父・楠木正成は、「御供仕えん」と申し出た長子・正行を制した。
『太平記』では、正成は、獅子が敢えて子を断崖から突き落として鍛えるという故事を通し、正行を厳しく誡める。
わが後継として苦難の道を歩み、「早く生い立ち」、世のため人のために戦えと願ったのだ。
この父子の語らいは、母子に引き継がれる。
父の死を悲嘆して後を追おうとする正行を、母は毅然と叱咤した。
「父が兵庫へ向かひし時、汝を返し留めし事」の意味を忘れたのか——時を待ち力を付け、やがて仇を討ち、「孝行の道」を貫くためではないかと母は諭したのである。
作家の大佛次郎は、この母に鋭く光を当てた。
「(母は)泣きもせぬ。歎きもせぬ。ただ、この子を父親と同じものに引上げる。心からの、その祈りであった」と。
母の決定した祈りに勝るものはないのだ。
私は忘れない。あの「大阪事件」の直後に、兵庫広布・関西広布の草創の母が語った一言を。
「私は、一生涯の覚悟を新たにしました。
戦いは、絶対に勝たな、あきまへん。断じて負けたらあかん!」と。
この「常勝の母たち」の強き一念の脈動ありて、何ものにも崩されぬ錦州城が築かれたのだ。
どんなに悔しくとも、苦しくとも、「いまだこりず候」(御書一〇五六ページ)との御聖訓のまま、恩師から託された「立正安国」即「福運安穏」の大闘争に母たちは挑み続けてくれている。
この不撓不屈の挑戦によって耕された母なる大地から、二陣三陣と地涌の人華が育ち、「仏法即社会」の豊かな貢献の果実が幾重にももたらされているではないか。
堅塁・中部の母たちが万葉の緑の中、誇り高く師弟の絆を「今日も元気で」の歌に託して歌ってくれた歴史も鮮やかだ。
また「生い立て君よ」と"大楠公"の心を込めた、愛唱歌「火の国『青葉の誓い』」を、先駆・九州の若人と共に、長崎の地で作ったことも懐かしい。

◇法華弘通の旗印
青葉の五月は、恩師が第二代会長に就任して直ちに学会常住の御本尊を発願された月でもある。
御本仏・日蓮大聖人は「大願とは法華弘通なり」(同七三六ページ)と仰せになられ、「法華弘通のはた(旌)じるし」(同一二四三ページ)として御本尊を御図顕された。
この御本仏のお心そのものである「大法弘通慈折広宣流布大願成就」とお認めの常住御本尊を大誓堂に御安置してより六年——。全世界の地涌の大前進は、いよいよ威光勢力を増している。
「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり」、「此の御本尊も只信心の二字にをさまれり以信得入とは是なり」(同一二四四ページ)——。
この御聖訓は、その名も日女御前という女性門下に送られた。「日女」とは、まさに太陽の女性という意義であり、その生命の光彩は、わが「太陽の婦人部・女子部」に受け継がれている。
御本尊の無量無辺なる大功力を涌現するのは、創価の女性の最も強盛な信心である。「祈りからすべては始まる」のだ。

◇妙法の力を開け
モスクワ大学の講演で私は「妙の三義」を敷衍して申し上げた。
この「妙の三義」も、女性門下への「法華経題目抄」で明かされた法門である。すなわち——
「妙と申す事は開と云う事なり」(同九四三ページ)
「妙とは具の義なり具とは円満の義なり」(同九四四ページ)
「妙とは蘇生の義なり蘇生と申すはよみがへる義なり」(同九四七ページ)
あらゆる人の仏の生命を開き、自他共に幸福を勝ち広げる勇気!
どんな局面も聡明に包み込んで、調和と和楽を創り出す智慧!
いかなる宿命も使命に転じ、喜びあふれる蘇生へと導く慈悲!
妙法の真髄の力を生き生きと発揮しながら、あの友もこの友も、あの地もこの地も、笑顔で照らし晴らしゆくのが、創価の女性たちの立正安国の対話ではないだろうか。
この"婦女一体"の連帯で、栄光勝利の未来の鐘を打ち鳴らすのだ。
今月、アメリカ・ルネサンスの大詩人ホイットマンは生誕二百年の日を迎える。ゆかりの地には、このほど新宝城ブルックリン会館も誕生した。
彼は恐れなき開拓者を讃えた詩で叫んだ。
「旗じるしには力づよき母を掲げよ、
そのたおやかな女性の姿を振りかざせ、万人の頭上に高く星さながらに輝く姿を、(一同のこらず頭を垂れよ)」
創価の民衆スクラムは、尊き母たち女性たちの旗印のもと、希望の人間世紀へ前進する。
御書には「音の哀楽を以て国の盛衰を知る」(八八ページ)と仰せである。
我ら学会家族は、歓喜の歌声と対話を、さらに明るく仲良く賑やかに響かせながら、誓願の国土に福運安穏の青葉を勝ち茂らせようではないか!(随時、掲載いたします)

芭蕉は萩原恭男校注『おくのほそ道』(岩波書店)等。バーネットの言葉は『小公子』坂崎麻子訳(偕成社)とその訳者解説から。楠木正成・正行と母の話は兵藤裕己校注『太平記』(岩波書店)、落合直文作「青葉茂れる桜井の」による。大佛次郎は『大楠公 楠木正成』(徳間書店)。ホイットマンは『草の葉』酒本雅之訳(岩波書店)。

2019年5月23日木曜日

2019.05.23 わが友に贈る

会場提供の皆様に
心から感謝の言葉を!
近隣への配慮も忘れず。
尊き地域の宝城ありて
幸の連帯が広がる!

種種御振舞御書 P910
『肝心諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり、わたうども(和党共)二陣三陣つづきて迦葉阿難にも勝ぐれ天台伝教にもこへよかし』

【通解】
法華経の肝心、諸仏の眼目である妙法蓮華経の五字が、末法のはじめに全世界に広まっていくべき瑞相として、日蓮が先駆けをしたのである。わが門下よ、二陣三陣と続いて、迦葉・阿難にもすぐれ、天台・伝教にも超えていきなさい。

〈寸鉄〉 2019年5月23日
広宣流布の闘士は人間の王者—戸田先生。さあ誇り高く前進。この気概で
「聖人は言をかざらず」御書。自信満々と信念を語り抜け。真実こそ強し
全幹部が勇んで最前線に飛び込め。勝利の知恵は現場にあり。耳を傾けよ
暗証番号使い回しによる不正アクセス多発と。人ごとと思わず対策万全に
昨年の特殊詐欺1万6千件超—警察庁。依然、被害は深刻。慌てず確認・相談

☆世界広布新時代第41回本部幹部会で紹介された池田先生の指針
◇学会は正義の中の正義の団体
◇行動こそ真実の信仰の証し
「世界広布新時代第41回本部幹部会」(3日、巣鴨の東京戸田記念講堂)の席上、2005年5月の本部幹部会での池田先生のスピーチ映像が上映された。師弟勝利の月・7月へ、いよいよの決意で前進する友への指針として掲載する。

一、恩師・戸田先生は、常々、こうおっしゃった。
「正義は絶対に勝たねばならない。正義が負ければ正義ではなくなる。創価学会は、正義の中の正義の団体である。ゆえに、絶対に勝たねばならない。勝ってもらいたい。永遠に勝ち抜き、勝ち誇って、一生を送ってもらいたい」
厳しく、正しき恩師の指導であった。
この恩師の言葉の通り、全国の同志が力を振りしぼり、何があっても我慢して、広宣流布のために戦い、勝ってくださった。忍耐と希望を持ちながら、敢然と前進してくださった。
それゆえに、会長就任以来、この45年間を連戦連勝で進んでくることができたのである。
一、戸田先生の希望は「青年」であった。
「これからの日本、そして世界は、青年が嵐のごとき絶讃の応援をしていくならば、どんなことでも実現できる。否、それしかこれからの大業の実現はありえない」
これが、先生の大確信であった。私も「青年の時代」をつくっている。世界広布という大業の実現は、青年に託すしかないからだ。日本はもとより、海外も、頼もしい青年が増えてきた。私は本当にうれしい。
一、戸田先生は言われた。
「生命力の弱い者は、強い者に負ける!」
生命力を増す。それには題目をあげることだ。色心ともに健康になるのだ。
生命力を強くする軌道が、折伏であり、広宣流布である。そのリズムに乗った人間は強い。
広宣流布の組織から離れた人間は弱い。強いように見えても、勝手気ままに偉そうな格好をしていても、弱い。
また、戸田先生は「新しい仕事というのは、自分たちのこれまでの枠を破るところから出発するものだ」と言われていた。
深い意味をもった言葉である。よく思索していただきたい。偉大な仕事、価値ある仕事をすることだ。

◇善の連帯を拡大
一、戸田先生は師子吼された。
「広宣流布の大業というものは、魔との闘いである。たじろぐことは許されない。負ければ、人類は、永遠に闇に包まれてしまう」
広宣流布は魔との闘争である。魔に打ち勝てばいいのである。そうすれば、平和と幸福の花園が広がっていく。
魔が出現しない広宣流布の戦いなど、ありえない。大聖人は「此の世界は第六天の魔王の所領」(御書1081ページ)と、明確に仰せである。
では、「魔を打ち破る利剣」とは何か。
それは「題目の力」である。
魔を打ち破って、多くの人を味方につける。これは、すごいことである。折伏である。邪義を破折して屈服させるのだ。
魔との戦いは、幸福になるためである。仏になるためである。永遠の功徳輝く生命になるための、いちばんの力であり、近道である。
魔と恐れなく戦え! 魔の蠢動を許すな! 絶対に妥協するな!——そう恩師は叫んだ。
正義が負ければ、人類は闇に包まれる。地球を救うには、善の連帯を広げるしかない。
一、さらに、小樽問答(1955年〈昭和30年〉3月)の時のことである。
問答は学会の正義を満天下に示した、歴史的な他宗との法論であった。日蓮宗(身延派)は宗門を相手にしたいと言ってきたが、宗門が逃げ回り、代わって学会が、受けて立った。社会も大いに注目した。
戸田先生は、私を中心とする青年部に、全権を任された。「大作、やってやろうじゃないか」「行ってくれ」と。
〈池田先生は当時、青年部の室長として、実質的に対策の指揮をとっていた。法論では、学会側の司会を務め、痛烈な破折の第一声で、勝敗の帰趨を決した〉
法論の勝利のために、もっとも大事な点は何だったか。
それは、法論の中身の問題ではなかった。戸田先生はただ、「思いきり攻撃する」ことを教えられた。「攻めることが肝心なのだ」と。
学会は永遠に、この攻撃精神で進みましょう!

◇幸福への王道を
一、戸田先生は訴えた。
「最後に勝つ、その人が本当の勝利者である」
「戦わなければ正義は敗れる。正義であればこそ負けるわけにはいかない。断じて勝たねばならない。だから戦うのだ。師子は吠えてこそ師子である」
たとえ正義であっても、敗れてしまえば、現実に何の波動も起こせない。
勝ってこそ正義である。だから勝ちましょう!
戸田先生は達観されていた。
「野良犬が吠えるような、いかなる罵倒や非難があっても、決して動ずるな! そんな、つまらぬことに、決して紛動されるな! 
英雄の道を歩むのだ。偉人の道を歩むのだ。私たちの信奉する大聖人の難から見れば、すべて九牛の一毛(取るに足りないこと)に過ぎないのだ」
私たちもまた、恩師のごとく、こういう境涯で頑張ろう!
一、インド独立の父マハトマ・ガンジーは言った。
「信仰が、その結果として行動に移されないとしたら、いったい信仰とは、何であろう?」
信仰は、観念論ではない。「行動」こそ、真実の信仰の証しである。
私はかつて、世界的に有名な微生物学者であり、医学の分野で大きな業績を残されたルネ・デュボス博士とお会いしたことがある(1973年〈昭和48年〉11月)。
デュボス博士は、こう述べている。
「努力のない人間が堕落し、努力なくしては人は進歩することができず、そして努力なくして人が幸福になりえないことは、歴史の教えるところである」(『生命の灯』長野敬・新村朋美訳、思索社)
「努力のない人間は堕落する」——まったくその通りである。
努力していない人が、本当に幸福になったためしはない。
皆さんには今、さまざまな苦労があるかもしれない。
しかし、大変ではあるけれども、そうした苦労のなかで努力しているからこそ、幸福になれる。努力と幸福は一体である。
その確信をもって、広布のために勇んで苦労し、幸福への王道を歩み抜いてまいりたい。

2019年5月22日水曜日

2019.05.22 わが友に贈る

「仏法を学せん人・
知恩報恩なかるべしや」
全てに感謝する心を
人々に尽くす原動力に!
その人こそ気高く強い。

兵衛志殿御返事 P1097
『みそをけ一給び畢んぬ、はらのけは左衛門どのの御薬になをりて候、又このみそをなめていよいよここちなをり候ぬ』

【通解】
味噌一桶をいただきました。下痢は四条金吾殿のお薬で治りました、この味噌をなめて、いよいよ元気になりました。

〈寸鉄〉 2019年5月22日
伝統の座談会。大いなる共感と触発と歓喜の広場心豊かに栄光の峰を登攀
奈良広布誓願の日。我らこそ大関西の"柱"なり!万葉の都に民衆凱歌轟け
真実なる事は黙すべからず—哲人。青年よ敢然と叫べ。双肩に先駆の使命
「国際生物多様性の日」。持続可能な未来へ。依正不二の哲理を時代精神に
コンビニ各社が食品ロス対策加速。世論が後押しと。社会全体で好循環を

☆虹を懸ける 池田先生とインド� 2019年5月12日
◇大河の流れも一滴から
旭日の勢いで世界広布をけん引するインド。ここでは、池田先生の1979年と92年の訪印を中心に、"精神の大国"を舞台につづられた、師弟のドラマを紹介する。

日蓮大聖人は「顕仏未来記」で仰せである。
「月は西より出でて東を照し日は東より出でて西を照す仏法も又以て是くの如し正像には西より東に向い末法には東より西に往く」(御書508ページ)
正法・像法の時代には、仏法が月氏の国・インドから東へ伝わり、末法の時代には、日本からインドそして全世界へ広がっていくとの大宣言である。
そのインドを池田先生が初訪問したのは、会長就任から9カ月後の1961年1月下旬から2月上旬にかけてである。
それは、大聖人が示された「仏法西還」の道を開き、恩師・戸田先生が熱願した「東洋広布」の先陣を切る平和旅であった。

◇鳳雛よ羽ばたけ
61年の訪問の折、現地でインド人の会員に会うことはなかった。
2月4日に釈尊成道の地・ブッダガヤを訪れた池田先生は、「東洋広布」の文字を刻んだ石碑や御書の「三大秘法抄」などを埋納。いつの日か、幾万、幾十万の地涌の友が、この地に陸続と出現することを深く強く祈念した。
先生の祈りに呼び起こされるように、やがて一人また一人とメンバーが誕生。70年に最初の地区が結成され、その5年後には第1回のインド総会が開催される。
現在、インド創価学会(BSG)の名誉副議長を務めるアカーシ・オオウチさんが日本から海を渡ったのも、この頃である。75年9月、インド政府の奨学金を得て、現地の大学院の修士課程へ。後に博士号を取得した。
オオウチさんは、4歳で母と共に東京で入会。高等部時代、「大白蓮華」に掲載された先生の巻頭言「鳳雛よ未来に羽ばたけ」に感動し、暗記するほど読み込んだ。
「今こそ、世界平和、すなわち世界広布のため、全力を傾注して、前進せねばならぬ時代なのである。私は、今日まで、全魂を尽くして、諸君のために、道を切り拓いてきた。また、これからも、拓いていく決心である」
オオウチさんは、師の限りない期待にどう応えるか、高等部の仲間と熱く語り合った。そして、幼少期から魅力を感じていたインドの広布を、生涯の使命と定める。
「インドでは、日本から毎月1冊送られてくる英語版機関誌『セイキョウ・タイムズ』を皆で読み、信心を学んでいました。大事な指導をノートに書き写しては、各地のメンバー宅を訪ね、仏法の哲理や師弟の精神を伝えていきました」
こうして広布の胎動が始まったインドで、忘れ得ぬ師弟のドラマがつづられたのは、79年2月。先生とメンバーの絆が強く結ばれた訪問である。
現地で先生を迎えたオオウチさんは、インドに永住する決意を報告する。
その後、渡印から10年目の85年にインド国籍を取得。今日まで変わらぬ"鳳雛の誓い"を胸に、師弟の道に連なる人材育成に全力を注いでいる。

◇仲良く成長を
79年の訪印は、インド文化関係評議会(ICCR)の招へいで、2月6日からの11日間であった。
オオウチさんは振り返る。「滞在中、池田先生は『メンバーが安心して信心できるように、今回は"上空飛行"だよ』と言われました。インド社会に大きく信頼を広げてくださったのです」
その言葉通り、先生は、首相や外相などの政府要人をはじめ、デリー大学副総長ら教育者、"インドの良心"と敬愛されるJ・P・ナラヤン氏といった識者と相次ぎ会見。さらにネルー記念館、ナーランダ仏教遺跡などを視察した。
多忙な合間を縫い、2月7日の夜にはメンバーとの懇談会が開かれた。全土から駆け付けたのは約40人。中には片道4日かかる地域から来た人もいた。その多くが、師匠との初めての出会いだった。
先生は、一人一人を抱きかかえるように激励し、最後にこう呼び掛けた。
「皆さん方は、宿縁深い"兄弟"であり"姉妹"であるとの自覚で、インドの人々のために、どこまでも仲良く成長していってほしい」「ガンジス川の悠久の流れも一滴から始まります。と同じく、今はメンバーは少なくとも、自身がその一滴であるとの自覚で、洋々たる未来を信じて前進していきましょう」
当時、入会3年目だったアショーク・アローラさん(圏長)は、先生の振る舞いに驚いた。
「自ら私たちの中に入り、声を掛けられる姿に"これほど偉大な指導者がいたのか"と感動したのを覚えています。正直、信心のことはよく分かりませんでしたが、先生の人間性に触れ、"広布の大河の一滴に"と誓った私の原点です」
先生は、アローラさんの手を握ると「あなたのことは、よく知っていますよ」と語り掛けた。
「その先生の心が理解できるようになったのは、後になってからでした。懸命に学会活動に励み、著作やスピーチを読む中で、先生がどれほど世界中の人々のために心を砕き、一人一人に思いを寄せてくださっているかを知ったのです」
あの日集った友は、兄弟・姉妹のように仲良く、地域で社会で信仰勝利の実証を示してきた。アローラさん自身も、教育の分野で活躍。胸中の師と対話しながら、広布の最前線を奔走する。

◇明るく朗らかに
翌2月8日、池田先生はガンジーが荼毘に付されたラージ・ガートに献花し、ガンジー博物館を見学した。
役員として随行したハルディヤル・シャルマさん(名誉副議長)は述懐する。
「数多くの展示品がある中で、ガンジーが最期の日に身に着けていた"血痕の付いた布地"を、先生がじっとご覧になっていた様子が、とても印象に残っています」
かつてイギリスの植民地だったインド。47年8月には、ヒンズー教徒が多く暮らすインドと、ムスリムが大半を占めるパキスタンの「分離独立」に至る。
国民の融和を唱えていたガンジーは、その後も宗教の差異を超えた調和の道を模索していたが、翌48年1月、狂信的なヒンズー主義者の凶弾に倒れた。
多様な宗教や民族が混在する同国で、広宣流布を進めることは容易ではない。ゆえに先生は、折々に将来への指針を示していった。
ある時はBSGの発展の様子を聞き、"焦らなくていいんだ。もっとゆっくりやろう"と伝言を。メンバーは教学の研さん、少人数の座談会など、仏法への正しい理解を促す地道な取り組みを重ね、インド広布の確かな基盤を築いていった。
79年にシャルマさんが先生から贈られたモットーは「いかなる時でも 明るく朗らかな 指導者たれ」である。
「当時の私は、仕事に追われ、精神的に不安定な日々が続いていました。お酒やギャンブルに走り、妻や家族に迷惑ばかりかけていました。先生は別れ際に『ぜひ、奥さまと一緒に日本へいらしてください』との言葉を掛けてくださいました」
人生の指針を得たシャルマさんは、この翌年、夫婦で訪日し、先生と再会を果たす。その後、信心で一歩ずつ人間革命し、一家和楽の家庭を実現した。
後年、ニューデリー近郊に「創価菩提樹園」が開園した際には、初代園長として奮闘。明るく朗らかな振る舞いで同志に尽くす日々だ。

"ガンジス川の一滴のごとく"——。79年の訪問を転機に、メンバーは広布の主体者の自覚を強めていった。
雄大な大河の流れを未来に描きながら、インド広布は着実に水かさを増していく。

2019年5月21日火曜日

2019.05.21 わが友に贈る

突風・大雨・雷など
急な天候の変化に警戒!
日頃の備えが大事だ。
配達や会合参加も
決して無理をせずに。

四条金吾釈迦仏供養事 P1146
『日月天の四天下をめぐり給うは仏法の力なり』

【通解】
太陽と月が四天下(世界)をめぐるのは、仏法の力なのである。

〈寸鉄〉 2019年5月21日
学会は正義の中の正義の団体—恩師。青年よ激戦を断固制し後継の証しを
池田先生の山光提言35年わが地域照らす希望対話の拡大を鳥取・島根から
若くして求めれば老いて豊かである—文豪。若き日の労苦は生涯の財なり
対話と発展のための世界文化多様性デー。草の根の語らいが共生社会の道
気温上昇による食中毒に注意。加熱調理・手洗い等しっかり。油断を排して

☆勇気の旗高く 池田先生と石川 2019年5月9日
◇人生は強気でいけ!
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は石川県を掲載する。

◇戸田先生のふるさと
戸田城聖先生の生家は、現在の石川県加賀市塩屋町にあった。池田先生は1999年(平成11年)4月の随筆で、戸田先生が、生まれ故郷に立ち寄った時のエピソードを紹介している。

恩師の生地・塩屋は、大聖寺川が日本海に注ぐ、河口の右岸にある。かつては"北前船"の港として栄えた。
先生は、生前に一度だけ、ご自身の生まれた家に立ち寄られたようだ。
その場所にお住まいであった婦人の話である。
——ある寒い日、コートの襟を立てた長身の男性が訪ねて来た。
「私は、この家で生まれたと聞いている」
男性は、懐かしそうに玄関の柱を撫でていたが、眼鏡の奥に光るものがあった。そして、「この家を大事にしてください。いつまでも、お元気でね」と言われたそうだ。この男性が、戸田先生であった。軍部政府の弾圧で投獄される前年(1942年=昭和17年)の晩秋のことである。先生は、迫り来る大難をまえに、生まれ故郷を眼底に刻もうとされたのだろうか……。

池田先生は、恩師が逝去する半年前の1957年(昭和32年)10月に石川県を初訪問。その当時の心境について「ここに、私の偉大な師匠が生を享けたことを思うと、あの川も、あの山も、あの緑や色づき始めた樹々も、心に染みた。あの道も、この道も、みな懐かしく思えてならなかった」と述懐している。
さらに池田先生は2016年(平成28年)12月、石川平和会館で開催された本部幹部会へのメッセージで、万感の思いを述べた。

それは、戸田先生の生涯の願業であった75万世帯の大折伏が、いよいよ成就されようとする1957年(昭和32年)の秋のことでありました。
戸田先生が、しみじみと言われました。
「大作、俺の生まれ故郷へ一緒に帰りたいな! 俺が行けなくても、お前が代わりに行ってきてくれ!」と。
ふるさとに寄せる、この恩師の熱き心を携え、私は初めて北陸へ走りました。
当時は、東京から金沢まで急行で10時間の旅だったと記憶しています。弟子の一人旅でしたが、命は戸田先生とご一緒でした。
豊かな歴史と文化、また美しい自然が光る金沢、高岡、富山で、意気軒高の北陸同志と大いに語り合いました。
そして寝台列車で舞い戻り、直ちに戸田先生へ、北陸に力強く高鳴る「広布の響き」を詳細にご報告したのです。その折の先生の晴れやかな笑顔は、永遠に忘れることはできません。

◇あらゆる人を味方に
石川県は、江戸時代の学者・新井白石が「加賀は天下の書府」とたたえた伝統文化の都市だ。ここから日本を代表する数々の文人・哲人が輩出されている。
池田先生は「文化の魂の北陸」と述べつつ、折々の場面で同県出身の偉人の人生観を通し、友を鼓舞してきた。
2008年(平成20年)10月の本部幹部会(創価国際友好会館)では、戸田先生と同じく1900年生まれの物理学者・中谷宇吉郎博士(現在の石川県加賀市出身)の言葉を紹介し、創価の師弟の意義を語った。

中谷博士が、恩師の寺田寅彦博士を讃えて、このように綴ったことは有名である。
「先生の如き人こそ われ等が同時代に生れた光栄を喜ぶべき第一の人であろう」(『中谷宇吉郎随筆選集第1巻』朝日新聞社)
若き私には、戸田先生がいらっしゃった。それが私のすべてであった。
偉大な師匠との「出会い」ほど、人生にとって大事なことはないのである。

2010年(平成22年)2月の全国代表者会議(創価文化会館)では、哲学者・西田幾多郎博士(現在の石川県かほく市出身)の信念に触れつつ、"人生は強気でいけ"と訴えた。

近代日本の哲学者・西田幾多郎博士は、戸田先生と同じ北陸の出身である。『善の研究』などの著作で知られている。博士は手紙にこう綴っている。
「人間は如何なる場合にも強く生きるという精神を失わぬ事肝要と存じます」(『西田幾多郎全集第19巻』岩波書店、現代表記に改めた)
戸田先生も「人生は強気でいけ」と、よく語っておられた。最高の勇気の源泉である妙法を持った私たちである。
どこまでも、強い心で進むことだ。勇気をわき出していくことだ。強い人は幸福だ。人生を楽しんでいける。勢いがなければ、何事も成し遂げることはできない。
たとえ思うようにいかないことがあっても、「最後は必ず勝つ」との大確信で、前を向いて、強気で前進するのだ。
西田博士は、こうも書いている。
「人生健気なる決心より美しきものはなし」(同)
婦人部・女子部をはじめ、尊き学会員は、健気なる決心で生き抜いてこられた。世界広布の大道を堂々と開いてこられた。私も深き決心で世界中の指導者、識者と会い、語らいを重ねてきた。そして、あらゆる人を学会の味方へと変えてきた。
「学会はすごいですね!」「あなたのためなら協力します!」——こう言ってもらえるくらい、誠意を尽くして語り、友情を結んでいくことである。

◇最後は人間で決まる
池田先生は2003年(平成15年)2月、石川・富山の友に長編詩「大北陸に幸福の旭日よ 輝け!」を贈り、万感の期待を寄せた。

恩師の誓願を
受け継ぎ立ちて
宗教革命と人類の平和へ
歴史の歯車を
轟然と回転させた
「師弟の北陸」よ!
  *  *  *
いかなる人生も
いかなる社会も
変化 変化の連続である。
勝利の方へ上昇するのか
敗北の方へ転落するのか。
それは
その根本となる哲学を持つ
人間によって決まる。
これは
不滅の正論である。
  *  *  *
皆様の未来の運命は
勝利だ!
そして裕福だ!

さらにまた
社会の柱となりゆく
皆様の惜しみなき活躍には
永遠の栄光を決定づける
自由と完勝が待っている。

さあ
名誉ある
北陸の天地のために
今日も
そして今年も
心ゆくまで楽しみながら
意義ある自分史を綴り
戦いを進めよう!

2019年5月20日月曜日

2019.05.20 わが友に贈る

◇今週のことば
仏法は「桜梅桃李」。
皆の持ち味に光を当て
悦びあふれる座談会を!
「ほむれば弥功徳まさる」
人材の波を勢いよく!
2019年5月20日

兵衛志殿御返事 P1108
『各各みわきかたきもたせ給いたる人人なり、内より論出来れば鷸蚌の相扼も漁夫のをそれ有るべし、南無妙法蓮華経と御唱えつつしむべしつつしむべし』

【通解】
あなた方はそれぞれ法華経のゆえにはっきりした敵を持つ身である。
それ故、内輪から論争をおこしたりしては、鳥のシギと貝のハマグリが争いあって共に魚夫に捕えられてしまったように、結局、敵の乗ずるところとなるでしょう。南無妙法蓮華経と題目を唱え、よくつつしんできなさい、つつしんでいきなさい。

〈寸鉄〉 2019年5月20日
学会の対話は家庭や地域から平和築く壮大な運動—市議。足元で信頼拡大
岩手「女性の日」「青年部の日」。郷土に励まし送る皆様こそ福光世紀の希望
「わざはひも転じて幸となる」御書。変毒為薬の仏法。大確信で祈り抜け
5月は小学生の交通事故多し。交差点の左右確認等、親から子へ注意喚起
運動習慣・健康的な食事・禁煙が認知症予防に重要—WHO。聡明に工夫を

☆ふるさとを照らす誉れの長者 農漁光部 2019年5月2日
「私たちの生命の営みは、『食』を生産する方々の尊き尽力によってこそ成り立っている」と、池田先生はつづった。「この一点において、農漁村にこそ、最大の感謝と最敬礼が捧げられるべき」とも訴えている。私たちの「命」を支える農漁光部の代表を紹介する。

愛知・西尾市 深谷守さん
●"日本一のシイタケ農家"に
俗に「香りマツタケ、味シメジ」というが、「やっぱりシイタケが一番でしょう」。深谷守さん(副支部長)は、そう胸を張る。
生まれ故郷の愛知・西尾市でシイタケをつくり続けて41年。名古屋市や刈谷市などの市場に加えて、JA西三河管内全ての産直店舗に出荷している。
シイタケを推すのには訳がある。栄養素が豊富な上にカロリーが低く、料理への汎用性も高い。鍋、すき焼き、豚汁、パスタ、バーベキュー。天ぷらや炊き込みご飯にしてもおいしい。
深谷さんが営む「三河園」では、十数人の従業員がにぎやかに働いている。道ゆく人々がその様子を見て、「楽しそうな職場だねえ」と、声を掛けてくるほど。「自慢のシイタケをつくっている」という誇りが一人一人に脈打っているのだ。
手法は、天然のナラの木のおがくずを使用した菌床栽培で、無農薬。色が白く肉厚で、ほどよい香りが食欲を誘う。ぷりぷりとした食感の良さも評判だ。菌床栽培による生シイタケの品質を競い合う、全国サンマッシュ生産協議会主催の品評会で、最高位の特別賞と2度の金賞に輝いている。
「功徳としか言いようがありません。一番大変だった時を耐え抜いたからこその……」(深谷さん)
親から譲り受けた農地でシイタケの原木栽培を始めたのは1978年。当初は順調だったが、平成に入って中国産の輸入が解禁されたことに伴い、日本産の価格が下落。国内のシイタケ農家が次々と廃業に追い込まれていく。「三河園」も数千万円の借金を背負った。乗り越えることができたのは、「妻、そして同志の支えがあったからです」。
妻・悦子さん(支部副婦人部長)は、何があっても朗らかだった。地域の同志の祈りと励ましにも、どれほど勇気づけられたか。夫妻は当時、地区部長・地区婦人部長。自宅を広布の会場として提供していた。
「古里に恩返しがしたい」——この至誠が、諸天を動かしたのだろう。思わぬ形で資金を借り入れることができ、これを元手に原木栽培から菌床栽培に切り替えた。その後、少しずつ販路を拡大し、借金を返済することができたのである。
三河園の作業場には、シイタケの品評会の表彰状がいくつも飾られている。その中に手書きの「感謝状」が。従業員たちから深谷さん夫妻に贈られたものだ。そこには「あなたは、あなたにしかできない愛と、あなただからこそできる祈りによって、ずっとずっと三河園を守り続けて下さいました」と記されている。
うれしいことに孫の征斗さんが後継者として生産に携わるようになった。男子部大学校2期生でもある。
古里への尽きせぬ愛、そして「日本一のシイタケ農家に」という祈りは、次代へ受け継がれていく。

兵庫・坊勢島 上田知春さん
●漁業をもり立て郷土を守る
漁師の朝は早い。上田知春さん(地区部長)・千穂さん(地区婦人部長)夫妻の朝は、さらに早い。漁に出る知春さんの無事故を、じっくりと祈る時間を確保するためだ。
兵庫・姫路港から定期船で約30分、瀬戸内海に浮かぶ坊勢島(姫路市)。夫妻はこの島に生まれ育った。知春さんは父親から続く漁師の2代目である。
未入会だった知春さんが「とにかく題目をよくあげる」千穂さんと結婚したのは、1981年。2年後、知春さんは船引き網のネットローラーに巻き込まれる大事故に遭う。命を落としてもおかしくはなかった。「でも不思議なことに骨一本、折れなかったんです」
ふと、妻の千穂さんが、朝な夕なと真剣に唱題してくれていた姿を思い出す。「守られたんだ」。以来、毎朝、夫妻で御本尊の前に座ることが日課となった。
"守られた"と感じたことは一度や二度ではない。ほかの漁師が不漁に悩む中で安定した漁獲量を維持できたり、老朽化した船を抱えて資金繰りに困った時、比較的新しい船を無料で提供してくれる漁師仲間が現れたり。早朝の祈りを欠かさず、学会活動にも一歩もひかず挑戦する中で、いくつもの功徳を実感した。
坊勢島の漁師は技術が高い。皆が日々、創意工夫を重ねている。捕る魚の大きさに合わせて網目の大きさを調整し、網を編む針も自分で作るのが当たり前。漁獲高は兵庫県でトップレベルだ。また「漁師の平均年齢が日本一若い島」といわれ、40代以下の漁師が全体の約4割を占める。
漁業をもり立てることは郷土を守ること。その担い手である漁師一人一人のため、後継の若者のために、できることは何でもやろう——これが、知春さん・千穂さん夫妻の誓いである。
その実践は、決して特別なことではない。何か困っていることはないか、誰かと会うたびに笑顔で声を掛ける。頼まれたことはすぐにやる。若手の育成にも余念がない。千穂さんは、島の漁業協同組合婦人部副会長や中学校のPTA副会長を歴任した。
胸に刻む御書の一節がある。「濁れる水には月住まず枯たる木には鳥なし」「法華経を持つ女人は澄める水の如し」(1395ページ)
信心強き人の心は、澄んだ水のように美しい。魚が清い水に集まるように、人間もまた、美しい心の人の周りに集まるものだろう。上田さん夫妻は、森良治さん(支部長)・佐由美さん(支部婦人部長)夫妻と力を合わせて、学会理解を大きく広げてきた。
今春、「春告魚」と呼ばれるイカナゴは例年にも増して高値が付いた。知春さん自身、一日の水揚げ量で過去最高記録を残すこともできたという。関西各地の食卓で、イカナゴのくぎ煮の味と香りを楽しんだ人も多いに違いない。これからいよいよシラスの季節だ。
「一つ一つ、実証を示す"戦い"です」。まだ夜の明けきらない坊勢島の港から、きょうも知春さんを乗せた船が出る。

2019年5月19日日曜日

2019.05.19 わが友に贈る

使命を自覚した時
可能性は大きく開く。
「何のため」を忘れず
広布と人生の勝利へ
宝の同志と前進しよう!

四条金吾殿女房御返事 P1135
『大将軍よはければしたがうものもかひなし、弓よはければ絃ゆるし風ゆるければ波ちゐさきは自然の道理なり』

【通解】
大将軍の心が弱ければ従う兵卒もふがいない。弓が弱ければ絃もゆるい。風がゆるやかであれば波も小さいのは自然の道理である。

〈寸鉄〉 2019年5月19日
学会の「常住御本尊」記念日。慈折広宣流布へ。我らは永遠に師と共に邁進!
熊本の日。勇気の師子吼で拡大に先駆を!火の国に共戦の人材城は堂々と
「元品の無明を対治する利剣は信の一字」御書。祈り貫け。これ勝利の源
「友情を育て、信用される人になりたまえ」詩人。信頼結ぶ振舞に仏法は脈動
マルチ商法の被害相談、20代が突出。必ず儲かるは嘘だ。絶対騙されるな

☆世界に魂を 心に翼を 第15回 沖縄芸能の光彩(下)
◇百年先も変わらぬ思い
「平成」の音楽シーンは、沖縄のアーティストを抜きには語れない。
とりわけ、本土復帰から20周年を迎えた平成4年(1992年)は、安室奈美恵がデビューし、THE BOOMの「島唄」がヒットするなど、沖縄の音楽文化が脚光を浴び始めた転機の年だった。
当時、沖縄タイムス社の芸能担当記者だった上間正敦氏(現・読者局長)。「まさにターニングポイントでした。それまで抱いていた言葉や文化へのコンプレックスから抜け出し、明るく大きく沖縄文化を捉え、誇りを持とうとした時代です。その代表作が『大航海』。そう紙面でも取り上げてきました。初めて民音の存在を意識した公演でもあります」
民音が企画・制作した「大航海」は、500年前の琉球を舞台としたミュージカル。91年に沖縄で初演され、翌92年に全国で公演された。
沖縄の民俗芸能を初めて舞台化した「沖縄歌舞団」の公演(69年)以来、民音は一貫して沖縄芸能の魅力を伝える公演を主催してきた。
そうした歴史を俯瞰しつつ、上間氏は語った。「芸能に携わった者として感服します。沖縄だけでは、これほど大がかりな企画はできない。『大航海』に関わった人たちが、今、第一線で活躍しています」
◇ ◆ ◇
ミュージカルの舞台は、琉球王国がアジア諸国と活発な交流を重ねていた「大交易時代」。
島を飛び出した5人の若者が、中国、タイ、マレーシア、インドネシアの各地で、さまざまな人や文化、芸能と巡り合い、沖縄文化のルーツを知る——という物語である。
原作は伝統芸能研究の第一人者である三隅治雄氏、脚本・音楽監督を作曲家の中村透氏が担当。照喜名朝一氏や照屋林賢氏、普久原恒勇氏らが音楽、幸喜良秀氏が演出、佐藤太圭子氏が振り付けを手掛けるなど、沖縄を代表する顔ぶれがそろった。
主役の5人は、オーディションで選ばれた若手舞踊家たち。沖縄歌舞団などで活躍した熟練の踊り手が演技指導を担い、そこに、アジア各国から招いた芸術家が加わった。
沖縄芸能を継承しゆく各世代の芸術家と、アジアを結ぶ民音のネットワーク。その総力を結集した舞台が「大航海」であった。
「さまざまな事情やしがらみを背負った若者が、沖縄人らしい明るさやしたたかさで、外の文化を吸収する。一人また一人と仲間に加わり、共に大きな目標へと達していく——ストーリーに"夢"がありました」
そう「大航海」を振り返るのは、主役を務めた一人、玉城盛義氏(玉城流三代目家元)。伝統芸能を中心に、現代演劇や映画など、ジャンルを超えて幅広く活躍する。先月、天皇陛下御在位30年を記念し、東京・国立劇場で伝統の組踊を上演した。
「大航海」に出演した当時、玉城氏は大学生。幼少から古典舞踊に親しんできたが、演劇も海外の舞踊家との共演も初めての経験だった。
「とにかく"飛び込もう"と思いました。沖縄歌舞団以来となる大きな公演です。歌舞団の公演は、その後、沖縄から発信する芸能のベースとなっていきました。出演した先生方が、歌舞団の公演を誇らしく語っていたことを覚えています」
アジア各国の舞踊家と「大航海」のステージを共にする中で、玉城氏は文化の力を実感した。「芸能を通して、どんな国の人とも一つになれる。そう確信した原点です」
後に、日韓関係が冷え込んだ折、玉城氏が韓国・済州島で行われた文化行事に参加したことがある。
済州島は、沖縄と同様に差別に苦しんだ歴史を持つ。島の人々と語らう中で、「過去は過去。今を生きる私たちは前を向こう」と、対立を超える人間の絆を約し合った。
玉城氏は語る。「見聞を広めるほどに、『大航海』のテーマは普遍的であったと感じます。"沖縄ブーム"が起こる直前、沖縄に生きる素晴らしさを、改めて認識した公演でした。国家間などの次元を超えて、人は手を取り合える——今、より求められているテーマではないでしょうか」
◇ ◆ ◇
91年11月、「大航海」は那覇市民会館を皮切りに、沖縄の7会場を巡回。行く先々で喝采を浴びた。
沖縄の浜辺から始まり、アジア各国を旅する全9景。豊かな演技とともに観客の心を打ったのが、テーマソング「イチャリバチョーデー(行き逢えば兄弟)」である。歌い上げられる"沖縄の心"に、イントロが流れるだけで涙する人もいた。
民音創立者の池田先生は、各会場の模様を耳にするたび、公演の成功を祝福し、伝言を寄せている。
先生の沖縄への思いは深い。何度も足を運んで対話を重ね、沖縄返還の具体的道筋が見えなかった67年、本土復帰を求める提言を発表。畢生の書である小説『人間革命』も沖縄の地で起稿した。ミサイル基地跡を核廃絶を訴える拠点へと蘇らせ、各国の指導者・学識者を招いてきた。
ミュージカル「大航海」が話題を呼んだ91年と92年、先生は相次いで沖縄を訪れている。92年2月には、本土復帰20周年を記念するアジア平和音楽祭(沖縄研修道場)に出席。"栄えゆく沖縄の姿が、何よりもうれしい。10年前、20年前に、今日の沖縄の発展を誰が予想できただろうか""第一級の国際人である沖縄の人々の心に学び、人間交流の大航海時代へ出航を"と語り、交歓会では太鼓を持って舞に加わった。
この年の秋、東京から始まった「大航海」の全国公演は、23都市を巡演。各地で大きな感動を呼び起こし、沖縄の新たな時代を感じさせた。
◇ ◆ ◇
今、沖縄で"奇跡の舞台"と評されるステージがある。
伝統の「組踊」をベースに、ダイナミックな舞、大迫力の音楽などを取り入れた「現代版組踊」である。
その主役は子どもたち。伝統芸能を喜び舞う中高生の姿は、全国ネットなどでもたびたび取り上げられ、青少年の人材育成や地域おこしの場としても大きな関心が集まる。
この"沖縄版ミュージカル"の生みの親は、「大航海」にも出演した平田大一氏。現代版組踊の推進協議会会長を務め、甲子園の応援歌などで人気の「ダイナミック琉球」を作詞したことでも知られる。
「『大航海』がなければ『現代版組踊』もなかった」と氏は言う。
「沖縄を見つめ直すきっかけになりました。足元にある古典芸能や琉球舞踊の重みに気付き、もう一度、沖縄から出発したいと思えた。僕の芸術性の方針を決めてくれたんです」
人口500人の小浜島で育ち、東京の大学へ。自作の詩を朗読する舞台に取り組んでいた時、「大航海」の主役に抜てきされた。
「大航海」で描かれた、アジアの国々との麗しい文化の絆。ある日、その系譜を自らの目で確かめようとインドネシアへ飛んだ。バリ島で見た笛の作り方が、小浜島と瓜二つなのを目の当たりにし、心が躍った。
92年の「大航海」をへて、数々の舞台で脚本や演出を手掛けてきた平田氏。那覇市芸術監督や県の文化観光スポーツ部の部長等も歴任し、沖縄のさらなる発展に尽くす。
「子どもたちに"感動"してもらえるかどうか——それが全ての始まりです。若い人が生き生きと躍動する姿が、この街の未来に直結する。『大航海』という舞台に育ててもらった僕が、今度は子どもたちに沖縄の素晴らしさを伝えていきたい」
◇ ◆ ◇
これまで30カ国以上で琉球舞踊を披露してきた玉城敦子さん(玉城敦子琉舞道場主宰)。「特段、意識はしませんが、『大航海』は常に私の中にあります。稽古をつける時も、いつの間にか公演の話をしていますから」と歯切れ良く語る。
玉城さんにとっても、初めてのミュージカル。かつて、これほどの時間をかけて一つの作品に向き合った経験はなかったという。
演出家の指導を受けながら役柄を掘り下げる。厳しい指摘に納得がいかず、他の主役メンバーと夜通し意見をぶつけ合った。「あの時、こういうことを言いたかったのかと、今になって理解できることもたくさんあります。沖縄のみならず、アジアの一流の芸術家の力が結集した舞台でした。まさに民音のなせる技です」
主役の一人一人に思いをはせながら、玉城さんは言葉を継いだ。
「一時的な取り組みではなく、民音は、それこそ半世紀にわたって、沖縄に限らず、日本の芸能を後押ししてきた。ずっと同じ思いで応援してくれた。その思いは、次の世代にグラデーションのように継がれているんです。百年先も変わらない熱さで応援してくれると思う。だから私も民音を語り継いでいきたい。支えてくださる方がいるから、自分がこれだけ輝けるのだと」
◇ ◆ ◇
民音が沖縄歌舞団の公演を行ってから、ちょうど50年。埋もれかけていた沖縄芸能の魅力を"再発見"し、新たな"創造"の場を紡いだ半世紀は、世代を超えて芸能の魂をつなぎ、次代の担い手を育みゆく挑戦でもあった。
その原点は、池田先生の沖縄を思う心にほかならない。
「芸術は、生きる歓びの歌である。芸術は、人間を結びあう力である」「この芸術の真髄の魂が、いずこにもまして躍動する天地こそ『万国の津梁(懸け橋)』沖縄である」
不変の原点を胸に、民音は文化の未来を照らし続ける。これまでも、これからも。

2019年5月18日土曜日

2019.05.18 わが友に贈る

「仏種は縁に従って起る」
結んだ友情を大切に
新たな仏縁を広げよう!
地域・社会を輝かせる
自他共の幸福の連帯を!

諸法実相抄 P1360
『末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり』

【通解】
末法において妙法蓮華経の五字を弘める者は、男女のわけ隔てをしてはならない。皆、地涌の菩薩として出現した人々でなければ唱えることのできない題目なのである。

〈寸鉄〉 2019年5月18日
「なをなを信心をはげむを・まことの道心者」御書清新な誓い胸に対話拡大
きょう「秋田の日」。団結固き日本海の雄。新しき師弟共戦の勝利の歴史を
「共に」の心と行動の中に日蓮仏法の真髄が。粘り強い励ましで広布を加速
車上荒らしが各地で頻発と。鞄・貴重品の放置は厳禁。短時間でも施錠必ず
熱中症の救急搬送が徐々に増加。3割が室内で発生。水分・塩分補給まめに

☆知性の架け橋 海外学術講演45年 インド ガンジー記念館 2019年5月1日
1992年2月11日
「不戦」の世界を目指す大いなる精神の連帯を

インド・ニューデリーのガンジー記念館は、同国のガンジーにまつわる記念館の中心的立場にある政府機関である。
「インド独立の父」マハトマ・ガンジーが凶弾に倒れた場所に立つ同記念館は、最晩年に使用した貴重な遺品等を展示しており、非暴力の思想や精神を後世に伝え残す取り組みを進めている。
1992年1月からアジア各地を歴訪した池田先生は、香港、タイに続いてインドへ。同記念館の招へいを受け、2月11日に「不戦世界を目指して——ガンジー主義と現代」と題して講演した。
冒頭、恩師・戸田城聖先生の誕生日であるこの日に、師が深く心を寄せていたインドで講演する感慨を述べ、ガンジーの鋭い洞察に言及した。
先生は、未来に伝えるべきガンジー主義を�人間への信頼に基づく透徹した「楽観主義」�漸進主義的「実践」�慈母のごとく、厳父のごとく寄り添う「民衆」観�調和・融合を志向する「総体性」の4点から考察。
その上で「私は、人間の活動から遊離した宗教というものを知らない。宗教は他のすべての活動に道義的な基礎を提供する」(古賀勝郎訳)とのガンジーの信念に触れ、「開かれた精神性、宗教性」こそ、20世紀に独善的イデオロギーに痛めつけられてきた人類の心を癒やし、蘇生させる道であると訴えた。
講演の内容は、現地メディアで大きく報道された。最有力英字日刊紙は社説の中で、「"人類の至宝"ともいうべき先哲・ガンジーの哲学にのっとってこそ、不戦世界を目指すことができるという池田博士の信念には、感謝の念を禁じえない」と論じた。
聴講した来賓からは、「池田博士の話を聞いて、博士の中に"もう一人のガンジー"を見いだしました」等の称賛の声が相次いだ。
講演には、インド文化国際アカデミー理事長のロケッシュ・チャンドラ博士や、ガンジー記念館の当時の館長であるN・ラダクリシュナン博士ら、識者が多数出席。不戦を願うこれらインドの優れた知性と池田先生の友情は、信頼を深めながら現在まで絶えることなく続いている。

◇講演から
ガンジーは、この大いなる精神性、宗教性は、あらゆる人々の中に平等に宿っている、その内なる力を眠らせたままでは決してならない、それを全人類に目覚めさせていこうと呼びかけているように思えてならないのであります。
「真理は神である」をモットーとし、セクト性を徹底して排しつつ、ガンジーが心に抱いていた"聖なるもの"こそ、この精神の力ではないでしょうか。それこそが凶暴なイデオロギーによって痛めつけられた人々の心を癒し、蘇生させ、人類史を開きゆく大道であることを、私は信じてやみません。
私がこの「平和の王道」を恩師から学んだのは、戦後まもない19歳の時であります。以来45年間、波瀾万丈の民衆運動に身を投じてまいりました。
これからも更に、ガンジーが生涯、民衆の中で、魂と魂の美しい共鳴を奏で続けたあの姿をしのびつつ、尊敬するインドの皆さま方とご一緒に、「不戦」「平和」への大いなる精神の連帯を、世界へ広げてまいる決心であります。

☆知性の架け橋 海外学術講演45年 ブルガリア ソフィア大学 2019年5月11日
1981年5月21日
人間の尊厳を守る精神に新たな社会構築の"カギ"が

バルカン半島に位置し、古くから"文明の十字路"として東西を結ぶ役割を果たしてきたブルガリア。池田先生がこの国を初めて訪れたのは、1981年(昭和56年)5月のこと。約2カ月にわたる北半球一周の平和旅の3カ国目であった。
5月21日に同国最古の国立大学であるソフィア大学を訪問し、名誉博士号を受章。席上、「東西融合の緑野を求めて」と題して講演を行った。
当時、東西冷戦による緊張が再び高まっており、池田先生はイデオロギーの壁を乗り越え、いかに人間と人間の心をつなぐことができるかを探求していた。75年(同50年)のモスクワ大学での講演でも、東洋と西洋の文化交流を促進し、「精神のシルクロード」の確立をと訴えている。
ソフィア大学での講演の中で、先生は「バルカンの大地に、西洋文明と東洋文明とを融合・昇華させ、新たな人類社会を構築しゆく"カギ"ともいうべき可能性が、感じられてならない」と指摘。たくましいエネルギーに満ちたブルガリアの民族精神に強い魅力を覚えると述べた。
また、オスマン帝国の圧政に対し、ブルガリアの民衆が立ち上がった1876年の「四月蜂起」に言及。この時の民族精神の高揚こそ、何にもまして人間の尊厳を守ろうとする生命のほとばしりであったと語り、ブルガリアの大地に、この人間性の旗が失われない限り、民族の枠を超えた21世紀の人類社会が開かれると結論した。
後に、ブルガリアは無血の民主化革命を成し遂げていく。
池田先生はジェレフ大統領ら、ブルガリアの識者との対話を続けた。ソフィア大学教授のジュロヴァ博士との対話は対談集『美しき獅子の魂』として結実した。
また、先生の講演の3年後には創価大学とソフィア大学が学術交流協定に調印。現在まで、互いに多数の留学生が学び、両国の未来を担う人材が世界に羽ばたいている。
池田先生が植えた文化交流と友情の苗は、後継の青年たちの往来によって、21世紀の大空に大きく枝を広げている。

講演から
貴国のシンボルは獅子であると聞いております。実はこの獅子は、仏教においても重要な意義を与えられているのであります。
仏教の精神を根底に善政を施した古代インドのアショーカ王のことは、皆さま方もご存じのことと思います。
そのアショーカ王は、釈尊の初転法輪、つまり初めて法を説き始めた所であるベナレスのサルナートに、四匹の獅子が背を寄せ合っている柱頭を持つ柱を建てているのであります。
私は、全民衆の幸福を願って立った釈尊の第一声が、獅子のイメージで象られていることに、非常な興味を覚えるのであります。あたかも百獣の王の雄叫びのように釈尊の説法は、あらゆる雑音を圧し、人々の心を根底から揺るがす力強い音声の響きを持っていたに違いない。
私もこの精神を昇華した日蓮大聖人を信奉する一仏法者として、世界を駆けてまいるつもりでございます。

☆知性の架け橋 海外学術講演45年 フィリピン フィリピン大学 2019年5月12日
1991年4月21日
普遍の「公正」の精神で「資本の論理」をリード

国立フィリピン大学は1908年創立の同国最高峰の名門学府。卒業生には、同国の大統領や最高裁判所長官などが名を連ねる。
この名門学府で池田先生が講演したのは91年4月21日。同大学の経営学部卒業式に出席し、「平和とビジネス」と題し講演を行った。また同日、同大学から名誉法学博士号が先生に贈られた。
この講演開催の背景には、ホセ・アブエバ博士と池田先生との深い友情がある。
——88年、フィリピン大学と創価大学の間に学術交流協定が締結。フィリピン大学で行われた調印式で当時、同大学総長のアブエバ博士は"池田先生の平和行動に感銘を受け、かねてから創大との交流の実現を願っていました"と。
博士は、先生と同じ1928年の生まれ。青春時代、日本軍の兵士によって両親を亡くしている。その後、教育者として、また「ノンキリング(不殺生)・フィリピン運動」のリーダーとしてアジアの平和と教育の発展に貢献。日本人である先生の平和行動についても理解を深めてきた。
そして90年4月、東京で行われた二人の初会見で、博士は先生にフィリピン大学での講演などを強く要請。
1年後、実現した記念講演で、先生はビジネスが平和に貢献するためには「資本の論理」を「人間の論理」でリードしなくてはならないと強調。ビジネス人には「公正」の精神が必要であり、理想と現実の狭間の苦悶の中で、普遍的に輝きわたると訴えた。さらにこの精神は地球人類という全体益に立脚した判断を可能ならしめ、貧富の矛盾や環境破壊などの諸問題を超克しゆくと呼び掛けた。
講演が行われた91年4月は、日本のバブル経済の崩壊が始まった翌月のこと。時に資本の論理が"独走"し、泡のように膨らむ現代経済の在り方にくさびを打ち込み、「人間」の視点から、持続可能な未来の一端を展望する講演だったといえよう。
博士と先生は90年の初会見以来、何度も語らいを重ね、対談集『マリンロードの曙——共生の世紀を見つめて』を発刊している。
また、フィリピン大学と創価大学の間では今まで、多くの留学生や教員が往来。この交流は両国を平和の世紀へと導く夜明けであり、その光はアブエバ博士と池田先生の友情のように、ますます強く輝いていくだろう。

講演から
もしビジネス人が事業に左右され、「企業の論理」や「資本の論理」しか眼中にないとするならば、行き着く先は、利潤をめぐる争いであり、それはしばしば戦争の誘因にさえなってきました。
ビジネスが平和構築のために貢献をなそうとするならば、そうした論理を「人間の論理」のもとにリードせねばならないでありましょう。
そのために何が必要か——。私は平和を志向するビジネス人の精神的バックボーンとして、端的に「公正」の精神を挙げてみたい。(中略)
「公正」な精神の持ち主は、経済活動によって、ともすれば富める国、富める階層がますます富み、貧しい国、貧しい階層がますます貧しくなっていくといった矛盾を決して見逃さないでありましょう。
また「公正」の人は、地球環境を破壊し、生態系のバランスを崩しながら独走する経済成長が、どんなに危険かをよく知っています。いわんや規制の緩やかな国への公害の"輸出"などを許すはずはありません。

2019年5月17日金曜日

2019.05.17 わが友に贈る

「信心するは随喜なり」
わが信仰体験を
生き生きと伝えよう!
歓喜と確信は伝播する。
友の胸中に決意の炎を!

妙心尼御前御返事 P1479
『この仏不死の薬をとかせ給へり今の妙法蓮華経の五字是なり、しかもこの五字をば閻浮提人病之良薬とこそとかれて候へ』

【通解】
この仏は不死の薬を説かれたのである。今の妙法蓮華経の五字がこれである。しかも、この五字こそ閻浮提の人の病の良薬と説かれている。

〈寸鉄〉 2019年5月17日
民衆万年の幸福を確立する事が我らの使命—恩師皆が未聞の事業の先覚者
「言と云うは心の思いを響かして声を顕す」御書。真剣、誠実、大情熱で語れ
学会の会館は信心錬磨の道場。「守る会」「宝城会」の皆様の献身に福徳燦然
世界高血圧デー。食事や運動、正しい生活リズムで健康人生を。日々賢く
「幼保無償化」今秋開始。公明が力強く推進。子供の未来を守る施策さらに

☆池田華陽会御書30編に学ぶ 如説修行抄(下) 2019年5月11日
◇師弟不二の祈りと実践で勝利! 強き信心で障魔を破る

今月は、「如説修行抄」の後半を学びます。
池田先生は、本抄の講義の中で語っています。
「いよいよ、この創価の魂のバトンを青年が受け継ぐ時を迎えました。君たち青年が、末法万年の広宣流布の一切を継承しゆく段階に入っています。全世界に平和と人道の連帯を結びゆく使命を担う青年が立ち上がることを、人類は待望しています。ついに創価の青年が、自ら勝ち開いた凱歌とともに本舞台に躍り出る時が到来したのです」
師弟不二の誓いも新たに、6・4「世界池田華陽会の日」へ、希望に燃えて進んでいきましょう。(拝読範囲は、502ページ10行目〜本抄末尾です)

◇本抄について
本抄は、文永10年(1273年)5月、日蓮大聖人が流罪地の佐渡・一谷で著され、門下一同に与えられた書です。
題号の「如説修行」とは、「仏の説の如く修行する」との意です。「仏」とは釈尊のことですが、大聖人門下にとっては、末法の御本仏・日蓮大聖人のことと拝されます。
佐渡流罪という命に及ぶ大難の渦中で大聖人は、「開目抄」「観心本尊抄」を認められ、末法万年に民衆を救いゆく仏法の骨格を確立されます。
そして、両書の後に書かれた本抄では、三類の強敵が競うのは、真実の「如説修行の行者」の証しであり、門下に対し、大聖人と同じ不退の心で、折伏の実践を貫くよう、渾身の激励をされています。

◇御文
是等の大難には竜樹・天台・伝教も争か及び給うべき、されば如説修行の法華経の行者には三類の強敵打ち定んで有る可しと知り給へ、されば釈尊御入滅の後二千余年が間に如説修行の行者は釈尊・天台・伝教の三人は・さてをき候ぬ、末法に入っては日蓮並びに弟子檀那等是なり、我等を如説修行の者といはずば釈尊・天台・伝教等の三人も如説修行の人なるべからず(御書504ページ8行目〜11行目)

◇通解
(日蓮大聖人が受けられた)これらの大難には、竜樹や天台大師、伝教大師もどうして及ぶであろうか。したがって、如説修行の法華経の行者には、三類の強敵が必ず競い起こると知りなさい。
ゆえに、釈尊滅後の二千余年の間で、如説修行の行者は、釈尊・天台大師・伝教大師の三人はさておいて、末法に入ってからは日蓮ならびにその弟子檀那だけである。我らを如説修行の者と言わないならば、釈尊・天台大師・伝教大師の三人も如説修行の人とはならないのである。

◇解説
掲げた御文の直前から日蓮大聖人は、像法時代に法華経を弘めた天台大師や伝教大師と、御自身とを比較され、"私ほどの大難を受けてきた者はいない"との大確信を述べられます。
末法は、仏の正しい教えが見失われ、人々が法華経(実教)以外の仮の教え(権教)に執着する「権実雑乱」の時代です。
そうした中、大聖人は、末法の全ての人々の成仏を可能とする唯一の大法である「南無妙法蓮華経」を説き弘められました。
この結果、妙法への反発が強まり、天台・伝教よりも激しい大難が起きたのです。
重要なのは、そうした大難を勝ち越えてこそ、真の法華経の行者であり、弘める法の力も証明できるということです。
大聖人は、末法の全ての人々を救おうとの大慈悲から、あらゆる大難を乗り越え、不惜身命で妙法を弘められました。
大聖人は、その御境涯の上から、末法の如説修行の行者は、「日蓮並びに弟子檀那」だけであると御断言です。
本抄御執筆の当時は、大聖人門下への弾圧も過酷さを増していました。その中で"皆私と同じ、真の如説修行の行者である"との、慈愛と信頼あふれる大聖人の呼び掛けに、門下はどれほど奮い立ったことでしょう。
師弟不二の「如説修行」に徹する中に、一生成仏、すなわち人生の幸福勝利が開かれます。そして、「如説修行」の弟子が続いてこそ、広宣流布の限りない未来は開かれるのです。
創価三代の師弟は、大聖人の御精神を現代に受け継ぎ、あらゆる障魔を勝ち越え、世界広布の大道を開かれました。その道に続くのが私たちです。
「わが真正の弟子の勝利を祈りつつ」——池田先生は、本抄の講義の結びにこう記されました。私たちは、今こそ「如説修行」の信心で、祈り、語り、正義を示していきましょう!

★池田先生の講義から
万人平等の尊極な生命を開く法華経は、「民衆凱歌」の経典です。
あらゆる差異を超えて、人間の尊厳と社会の調和をもたらす「人類共生」の経典です。
現実の娑婆世界を寂光土へと変革する立正安国を謳い上げる「永遠平和」の経典です。
ゆえに、一人一人の生命の宝塔を打ち立て、善の連帯を広げ、人間讃歌の輝きの世界を構築していくところに、経文通りの真実の「如説修行」の後継があります。(2018年3月号「大白蓮華」掲載の「世界を照らす太陽の仏法」)
◇ ◆ ◇
師匠の願いはただ一つです。それは、不二の弟子が誕生することです。
そして、師匠と同じ志に立った地涌の群像が、ここかしこで活躍することです。
本物の弟子を求めるゆえに、あえて同じ労苦の道を歩めと、師匠は厳命するのです。(中略)
正義の中の正義であるがゆえに、戦い続けなければならない。そして断固、勝たねばならない。
これこそ三代の師弟に脈打つ学会精神であり、「宗教界の王者」たる学会の如説修行の魂です。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第5巻)

研さんのために
○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第5巻(聖教新聞社)
○…『御書の世界』第3巻(同)

2019年5月16日木曜日

2019.05.16 わが友に贈る

病と闘う友に勇気を!
看病・介護する家族に
希望と安心を!
抜苦与楽の菩薩道こそ
仏法者の王道だ。

寂日房御書 P902
夫れ人身をうくる事はまれなるなり、已にまれなる人身をうけたり又あひがたきは仏法是も又あへり、同じ仏法の中にも法華経の題目にあひたてまつる結句題目の行者となれり、まことにまことに過去十万億の諸仏を供養する者なり

【通解】
およそ人身を受けることはまれである。すでに、そのまれな人身を受けている。また、あいがたきは仏法であるが、これもまたあうことができた。
しかも、同じ仏法のなかでも、法華経の題目の行者となった。まことにまことに、あなたは過去世で十万億の諸仏を供養した方であろう。

〈寸鉄〉 2019年5月16日
一つの種でも「植えぬれば多くとなり」御書。今日も地道に一対一の語らい
東京・足立の友が奮戦。総力で断固押し上げを!庶民の都に大勝利の旗を
正々堂々正邪の論議を為す勇気が大事—牧口先生この闘争心こそ師弟の魂
杉並・女性の日。地域に対話の花満開!婦女一体の麗しき連帯で幸福を拡大
あおり運転の免停処分が急増。危険行為に周囲は迷惑。己も傷つける愚行

☆5月度座談会拝読御書 種種御振舞御書
平和と安穏の世界へ、一人立て
創価の誇りに燃え  正義の師子吼を!

◇拝読御文
『日蓮によりて日本国の有無はあるべし、譬へば宅に柱なければ・たもたず人に魂なければ死人なり、日蓮は日本の人の魂なり平左衛門既に日本の柱をたをしぬ、只今世乱れてそれともなく・ゆめの如くに妄語出来して此の御一門どしうちして後には他国よりせめらるべし、例せば立正安国論に委しきが如し』御書全集 919ページ3行目〜6行目

◇本抄について
本抄は建治2年(1276年)、日蓮大聖人が55歳の時、身延で認められ、安房国(千葉県南部)の門下・光日尼に与えられたとされていますが、詳細は不明です。
文永5年(1268年)から身延入山に至るまでの、大聖人御自身の大難との闘争をはじめとする振る舞いについて、つづられています。
まず、文永5年に蒙古から国書が届き、「立正安国論」で予言した二難のうち、「他国侵逼難」(他国からの侵略)が、現実のこととなって迫ってきたことを述べられます。
続いて大聖人は、末法に折伏を行ずると必ず大難が起こることを示され、門下に、不惜身命で戦い、大聖人の後に続くよう教えられています。
事実、文永8年(1271年)9月、平左衛門尉頼綱が率いる武装した軍勢が、大聖人を捕縛し、ひそかに竜の口で斬首しようとしました(竜の口の法難)。ところが、失敗に終わり、大聖人は佐渡へ流罪されます。
大聖人は、佐渡で、御自身こそ末法の人々を救う存在であるとの大確信の書「開目抄」を著され、文永9年2月、弟子一同に送られます。また同月、北条一族の内乱である「二月騒動」が起き、「自界叛逆難」の予言が的中します。
文永11年、大聖人は流罪から赦免され、鎌倉に戻られます。そこで、平左衛門尉を厳しく諫められ、同年5月に鎌倉を出て身延に入られました。
最後に身延での生活と、はるばる身延まで便りを届けた門下の信心をたたえられ、本抄を結ばれています。

◇大聖人こそ「日本の柱」
日蓮によって、日本国の存亡は決まる。
日蓮は日本の人の魂である。
——日蓮大聖人の烈々たる御確信から発せられたお言葉です。
本抄で大聖人は、「法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり」(御書910ページ)と仰せです。
大聖人、ただお一人が、末法の民衆救済のために立ち上がり、妙法流布を開始されました。
五濁悪世の末法にあって、大聖人がいらっしゃらなければ、一切衆生の成仏の道は、閉ざされてしまうことになります。
ゆえに、民衆を幸福に導き、国土に安穏をもたらすために、不惜身命で妙法を弘通する大聖人こそ、「日本の人の魂」「日本の柱」であることは、法華経の経文に照らして間違いありません。
さらに、「日蓮によって、日本国の存亡は決まる」との仰せには、どこかの、だれかが、人々を救うのではなく、"私が万人成仏の道を開くのだ"との大慈悲心から発せられた、主体者として立つ覚悟を示されていると拝せます。
それは取りも直さず、門下一人一人に"私と同じ自覚で、広宣流布に戦い、生き抜け!"との呼び掛けでもあります。
大聖人直結で、全人類の幸福と世界の平和を願い、広宣流布を進める私たちも、自分が今いる地域や職場の幸福責任者との自覚と誇りを胸に、積極的に動き、語り、信頼の柱、希望の柱となっていくことが大切なのです。

◇「立正安国」の対話を
拝読御文の後半で、「北条家御一門において同士討ちが起こり、後には他国から攻められるであろう」と、「立正安国論」で予言した、「他国侵逼難」「自界叛逆難」が現実になると述べられています。
大聖人は、予言が的中することを、望まれていたわけでは決してありません。大聖人は、どこまでも、国土の安穏と民衆の幸福を願われていました。
予言といっても、何かのお告げなどといった、神秘的なものでは全くありません。社会の根本原理の誤り、人々の精神の荒廃が、さまざまな現象となって表れることを知っているがゆえに、それを防ごうとされたのです。
だからこそ、「立正安国論」を著し、内外の戦乱という災難を、事前に押しとどめるために、時の権力者を諫暁したのです。
ところが幕府は、大聖人の諫言を用いないばかりか、大聖人を亡き者にしようと、さまざまな迫害を加えてきたのです。
ゆえに大聖人は、竜の口の法難、佐渡流罪などの弾圧を、「日本の柱」を倒す所行であると断じられているのです。
大聖人への迫害は、社会が依って立つべき精神の基盤を、権力者が自ら破壊してしまうことと同じです。
事実、人々の思想が乱れ、社会が騒然とし、「立正安国論」での予言が「二月騒動」「蒙古襲来」として現実となり、大聖人の言葉が真実であることが証明されました。
社会の安穏と言っても、その根本は、民衆一人一人の心に人間主義の哲学を打ち立てることです。
大聖人が、生涯、「立正安国」の言論戦を貫かれたように、私たちも、民衆の幸福と世界の平和へ、勇気の師子吼を広げていきましょう。

◇師弟不二の道
大聖人の御生涯の中でも、最も大きな法難に、敢然と挑まれた振る舞いが示されたのが本抄です。
いかなる迫害の嵐をも見下ろしていく、大聖人の大境涯を象徴する本抄の一節こそ、「日蓮悦んで云く本より存知の旨なり」(御書910ページ)です。
なぜ、大聖人は、"うれしい"とまで言い切られたのでしょう。
それは、妙法蓮華経の五字を末法に弘める者は、必ず迫害されるとの経文を、身で読む喜びからです。
大聖人は、なぜ自らの闘争の姿を門下に書き送られたのでしょう。
池田先生は、つづっています。
「『わが弟子に、何としても勝ってもらいたい!』『法華経の行者の振る舞いとは、境涯とは、いかなるものか、後世に示し残しておきたい!』——そうした大聖人の、迸るような熱き思いが、本抄には込められていると、拝されてなりません」
大聖人はさらに、「各各思い切り給へ此の身を法華経にかうるは石に金をかへ糞に米をかうるなり」(同ページ)とも仰せです。
広宣流布の途上に、さまざまな難が競い起こってくるのは必然です。その時に、"私と同じように強く生き抜け!"と教えられているのです。なんとありがたいことでしょうか。
師匠は、弟子に自身の振る舞いを通して、師弟不二の成仏の道を教えられています。報恩の心で続くかどうかは、どこまでも弟子にかかっているのです。

★池田先生の指針から 「私には広宣流布しかない」
「日本の柱」とは、いかなる権力の魔性にも倒されない、万人救済の正義の信念に生きぬく覚悟と不惜の闘争があればこそ、表現できる言葉です。
この御本仏の魂を受け継いだのが創価学会にほかなりません。いな、創価学会しかありません。
私の脳裏には、会長就任直前の戸田先生の言葉が刻まれています。
「私には広宣流布しかない」「私は立つぞ! 誰がなんと言おうが、恐れるものか! もう、何ものにも邪魔させるものか!」「私は、一人立つぞ!」と。
いつの時代にあっても、いずれの国土にあっても、広宣流布は、常に「一人立つ精神」から始まります。「一人立つ」心があれば、妙法の力用は自在に発揮されます。
私も、戸田先生の弟子として、世界広宣流布という未聞の道に「一人」立ち上がりました。
「一人立つ精神」こそ、三世永遠に変わらぬ妙法弘通の根本原則です。
そして、「誓願の心」こそ、法華経の行者の魂であり、大聖人の宗教の根幹です。(『池田大作全集』第34巻「開目抄講義」)
◇ ◆ ◇
大事なのは、強盛なる信心の「一人」である。一人の「一念」であり、「心」である。
環境がどうあれ、魂の「金の城の人」が一人いれば、「黄金の人材」さえ一人いれば、すべてを良き方向へ、幸福の方向へと開いていける。この「真剣の一人」を育て、「真剣の一人」に育ちながら、私どもは進んでいきたい。
学会員一人一人が、真金の人と輝くならば、全人類も、「幸福」へ、「安穏」へ、「平和」へと導いていけないはずがない。事実、学会の発展と、歩調を合わせるかのように、日本と世界の歴史も、大きく転換してきた。その意味から、学会こそ、「日本の柱」「世界の光」との気概で進みたい。
(1994年1月、「新春幹部会」でのスピーチ、『池田大作全集』第84巻所収)

参考文献
○…『御書と師弟』第2巻(聖教新聞社)
○…2012年4〜6月号「大白蓮華」掲載の「勝利の経典『御書』に学ぶ」(同)

2019年5月15日水曜日

2019.05.15 わが友に贈る

宿命転換の歓喜の姿が
広布進展の証だ。
友の悩みに寄り添い
人間革命の挑戦者を
わが地域に増やそう!

新池御書 P1439
『かかる悪所にゆけば王位将軍も物ならず獄卒の呵責にあへる姿は猿をまはすに異ならず、此の時は争か名聞名利我慢偏執有るべきや』

【通解】
死後の地獄等という苦悩の世界に行ったならば、王の位も、将軍の位も、何の役にも立たない。獄卒の責めにあう姿は、猿回しに回される猿と変わらない。
こうなった時は、どうして名聞名利や我慢偏執の心でいられようか。

〈寸鉄〉 2019年5月15日
広宣流布への信心がある所が仏の国土—恩師。今いる場所こそ我が本舞台
副役職の友が動けば勢いは2倍3倍に。桜梅桃李の輝きで共に創価勝利へ
福島県婦人部の日。三変土田の劇つづる主人公!さあ福徳薫る対話拡大を
沖縄の本土復帰47年。悲劇の歴史を断じて風化させまい。若人よ語り継げ
5・6月に中高生の自転車事故増。新生活の慣れ反映とも。家族で声掛け

☆世界広布新時代第41回本部幹部会から 原田稔会長指導
「仏縁」は三世永遠にわたる友情——
民衆の連帯築く「人間外交」を

一、栄光の「5・3」を晴れやかに祝賀する「世界広布新時代第41回本部幹部会」の開催、誠におめでとうございます(拍手)。
一、4月の統一地方選挙におきまして、私たちが支援する公明党は、1560人の当選という大勝利を果たすことができました。全同志の皆さまに、心より御礼申し上げます。献身的なご支援、誠にありがとうございました。
この統一地方選によって、立党の基本理念である「大衆福祉の公明党」の存在感を、幾重にも増すことができたと確信します。
そして、いよいよ次なるは間近に迫った参院選。すでに学会として、埼玉、東京、神奈川、愛知、大阪、兵庫、福岡の各選挙区で公認の7人、そして比例区の公明党について、党からの支持依頼を受けて、各都府県の社会協議会、および中央社会協議会で検討・協議し、支持することを決定しております。
公明党は、本年11月で結党55周年を迎えます。池田先生は、小説『新・人間革命』第9巻「衆望」の章で、その創立者としての真情を、このようにつづられております。
「多様な大衆に深く根を下ろし、大衆の味方となり、仏法の慈悲の精神を政治に反映させゆく政党が、今こそ躍り出るべきであろう。それが衆望ではないか——山本伸一は、こう結論したのである。彼は、日本の政治の現状を検証していくなかで、公明党の結成の意志を固め、あえて嵐に向かって、船出しようとしていたのである」と。
権力の魔性との壮絶なる闘争を覚悟の上で、あえて先生は、公明党を創立されました。そして今、半世紀余りを経て、公明党は「日本の柱」として、見事なる発展を遂げました。
ケンブリッジ大学出版局が刊行する学術誌「日本政治学誌」では、連立政権における公明党の役割について、こう論じています。
「公明党は、その規模以上の力を発揮して、自民党の重要な安全保障政策を抑制している」「1955年以来、自民党のアイデンティティーや綱領に関わる優先事項とされている事柄について、重要な政策上の譲歩を引き出している」との分析であります。
今回の参院選、7選挙区の全員当選と比例区6議席以上の獲得によって、非改選を合わせ、過去最高の27議席以上となります。
「日本の柱 公明党」への大いなる衆望を厳然たる結果で示し、「大衆と共に」との立党精神の偉大さを、満天下に宣揚していきたいと思います(拍手)。

日中友好の「金の橋」をさらに強く
一、さて先月、9年間という歴代で最も長い期間在任した中国の程永華駐日大使が、総本部へ離任のあいさつにお見えになりました。
程大使は、日中国交正常化後、中国政府が日本に派遣した初めての国費留学生の一人であり、池田先生が身元保証人となって、75年から77年まで創価大学で学ばれました。
席上、池田先生から大使に贈られた漢詩が読み上げられると、大使は「身に余る光栄です。池田先生にはこの9年のみならず、留学時代から多くのご指導をいただきました。帰国することにはなりますが、先生の心を胸に、今後も中日友好のために少しでも力を尽くしたいと思います」と語っておられました。
この一言に、池田先生が日中友好に果たしてこられたご功績が凝縮されていると、私も感銘を深くしました。
池田先生が、1974年5月に初めて中国を訪問されてより、45周年の佳節を刻む本年、先生が架けられた「金の橋」は、ますます堅固に光り輝いております。
池田先生は、初訪中へと旅立たれる際、羽田空港で、見送りの人々を前に宣言されました。
「貧乏人と病人と言われた人たちとともに、私はここまでやってきました。権力にもよらず。財力にもよらず」と。そして、訪中に当たってのご決意を語られます。
「私は永久性につながる両国間の文化の交流を第一義として、そしてまた、民間次元の美しくも尊き真実の人間と人間との友好実現によって、揺るぎなき平和の基盤を、さらにさらに強固にしていきたいと思っているものであります」
このお心は、まさに「庶民の味方」として戦い抜いてきた、私たち学会員一人一人の心であり、実践であります。

学会活動は全て不軽菩薩の実践
一、私たちが、まい進する広宣流布、立正安国への言論戦は、その語らいの一つ一つが、「仏縁」という三世永遠にわたる友情を結ぶ人間外交です。そして、この私たちが結ぶ、権力にも財力にもよらない、真実の人間と人間との友好ほど、美しく、また尊きものはありません。
御書には、「末法には一乗の強敵充満すべし不軽菩薩の利益此れなり」(589ページ)と仰せです。
すなわち、"末法には必ず法華経の強敵が充満するであろう。このような時には不軽菩薩が行った折伏によって、衆生を利益するのである"との御本仏の御断言であります。
学会活動は、その一切が仏道修行であり、不軽菩薩の実践です。
さあ、立正安国の月・7月へ、どこまでも「祈り」を根本に、折伏精神で戦い、「従藍而青」の実証を示しきっていこうではありませんか(拍手)。

2019年5月14日火曜日

2019.05.14 わが友に贈る

暑さが増す時期。
適度な水分補給や
衣服による体温調整で
万全の体調管理を!
健康が前身の根本だ。

法華初心成仏抄 P552
『とてもかくても法華経を強いて説き聞かすべし、信ぜん人は仏になるべし謗ぜん者は毒鼓の縁となつて仏になるべきなり』

【通解】
とにもかくにも法華経を強いて説き聞かせるべきである。信ずる人は仏になり、謗る者は毒鼓の縁となって仏になるのである。

〈寸鉄〉 2019年5月14日
「畏れ無きこと師子王の如く」御書。絶対勝利の信心だ。祈り強く突き進め
学会の婦人部は平和に大きく貢献—日本の学長。地域を照らす太陽の母よ
幼児のTVやゲームは1時間未満にして運動を—WHO。子の将来の為に
対話と青年交流で更なる中日関係の発展を—中国大使。アジアの安定の要
最も偉大な政治家は最もヒューマンな人—哲人。明議員よ胸張り戦え!

☆御書と歩む� 第69回 悩みに寄り添い希望の光を
『大地はささば・はづるとも・日月は地に堕ち給うとも・しをはみちひぬ世はありとも・花はなつにならずとも・南無妙法蓮華経と申す女人の・をもう子に・あわずという事はなし
』(上野尼御前御返事、1576ページ)

◇通解
大地をさして外れることがあっても、日や月が地に落ちても、潮の満ち干がなくなる時代はあっても、花は夏に実にならなくても、南無妙法蓮華経と唱える女性が愛しく思う子に会えないということはない。

◇同志への指針
日蓮大聖人は、最愛の子を亡くした悲母の慟哭に寄り添われ、繰り返し同苦の御手紙を送られた。そして、妙法で結ばれた家族は、生死を超えて永遠に共に、常楽我浄の道を進みゆけると示されている。
この御本仏の大慈大悲に連なる励ましの世界こそ、創価学会である。友の声に深く耳を傾け、一緒に悩み祈る。この誠実な対話から希望の光を広げゆくのだ。

☆大白蓮華巻頭言 2019年5月号 青春の晴れ舞台は創価にあり
恩師・戸田城聖先生ほど、青年を信頼し、慈しみ、薫陶してくださった指導者を、私は知らない。
残酷な戦争に家族を奪われ、青春を蹂躙された私たちに、先生は「富士の高嶺を知らざるか」と最高峰の生命尊厳の大哲理を示され、妙法流布という平和の大信念を「富士の如く」貫くことを教えてくださったのである。
先生の法華経講義の感激を、私は「弱冠二十にして、最高に栄光ある青春の生きゆく道を知る」と記した。
この道を同士と歩み通して七十余星霜。経済苦や病苦など、どんな宿命も皆で転換し、人間革命の劇を広げながら、幸と平和の揺るがぬ民衆の連帯を築き上げてきた。
新時代の若人たちよ、絶対に、悔いのない、この創価の青春の道に「競うて来たれ速やかに」と、私は叫びたい。
日蓮大聖人は、伊豆流罪の渦中、門下を激励された。
「一切衆生なくば衆生無辺の願いを発し難し、又悪人無くして菩薩に留難をなさずばいかでか功徳をば増長せしめ候べき」(937ページ)
多様な人がいるからこそ、民衆救済の誓願を果たせる。 圧迫にも負けないからこそ、無量の功徳を積めるのだ。
広布の勝ち戦のリズムに合わせ、現実社会の人問群に飛び込んで使命を果たす青春ほど、尊い晴れ舞台はない。 忙しく労苦も多いけれども、何ものにも代え難い充実がある。誇りがある。生き甲斐がある。大歓喜がある。
一人の若人が妙法によって蘇生する時、家庭も職場も、地域も社会も国土も、生命力を増す。この若き地涌の陣列の拡大こそ、人類の希望があるといってよい。
御聖訓には「物だねと申すもの一なれども植えぬれば多くとなり」(711ページ)と仰せである。
立正安国のため、地区で支部で、壮年・婦人の先輩方が青年と一緒に行動し、若き心の大地に励ましの種を植えることが、どれほど豊かな華と果を成就することか。
我らの五月。伸びゆく、宝の命と、今を勝ち、未来も勝ち抜く「令法久住」の大行進を、さあ威風堂々と!

青春を
 思いきり舞え
  誇らかに
 嵐に揺るがぬ
  創価と共に

2019年5月13日月曜日

2019.05.13 わが友に贈る

◇今週のことば
一人の生命の力を
無限に解き放つのが
創価の励ましである。
「一身一念 法界に編し」
さあ対話の薫風を!
2019年5月13日

上野殿御消息 P1527
『父の恩の高き事須弥山猶ひきし母の恩の深き事大海還つて浅し、相構えて父母の恩を報ずべし』

【通解】
父の恩の高いことは須弥山さえもなお低いほどであり、母の恩の深いことは大海もかえって浅いほどである。心して父母の恩を報ずべきである。

〈寸鉄〉 2019年5月13日
社会の行き詰まりの根源は人材の欠乏—牧口先生青年育む我らの使命深し
善行は人生を美しく飾る-文豪。自他共の幸福に尽くす広布の生涯は無上
打ち合わせは焦点を絞り短時間で。呼吸合わせて全幹部が颯爽と最前線へ
近隣関係は共助を強める立派な地震対策と。挨拶一つも大切に。絆結ぼう
低所得者の大学教育無償化、来年度に実施へ。公明が推進。若者への光更に

☆新時代を築く 共々に「自受法楽」の人生を 2019年5月8日
敬愛する全同志と共に、晴れ晴れと5月3日を飾り、新時代の出発ができた。
日本の各界からも多くの祝賀をいただいた。世界からの顕彰も、全て先師と恩師に捧げる宝冠である。
それは、わが宝友が誓願の天地で、地道に誠実に勝ち広げてきた信頼の証しにほかならない。
なかんずく、賢く朗らかな創価の母たちのたゆまぬ行動あればこそである。
私は少年の日、心に留めた詩を思い出す。兵庫をはじめ関西の友と語らい、大切にしてきた一詩である。
「踏まれても 踏まれても なお咲く タンポポの笑顔かな」
タンポポは地中深く根を伸ばしているゆえに強い。
まさに、いかなる苦難もはね飛ばす、明るい不屈の常勝の母たちのようだ。
* * *
「創価学会後継者の日」(5日)、妻と足を運んだ恩師記念会館には、従藍而青の若人たちとの共戦譜が展示されていた。
九州の霧島で、未来部の友に最敬礼して激励した一こまも懐かしい。全魂を込めて薫陶してきた一人一人が、仰ぎ見るリーダーと育って指揮を執っていることは、何と頼もしいことか。
草創期、広布の拡大のため、安い"わらじ"を履いて後輩たちと歩き回った東京・足立支部の名支部長が、青年部の室長だった私に語ってくれた言葉が蘇る。
「青年のためには、なんでもしようと思っています。もし、何かあれば、私は、命懸けで青年を守る決意でおります」と。
庶民の人間王者たる父母たちの祈りと励ましに応え、民衆と社会に貢献しゆく地涌の人材群を、我らはいやまして送り出すのだ。
* * *
聖教新聞の配達員の方々は、この連休の間も日々の配達に励んでくださった。
広宣流布を推し進め、人々に勇気と希望を贈りゆく聖業の福徳は、無量無辺である。偉大な「無冠の友」の益々の健康と絶対の無事故、ご一家のご多幸を、妻と祈り続けている。
* * *
御本仏・日蓮大聖人は、神奈川の先達・四条金吾夫妻に仰せになられた。「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ、これあに自受法楽にあらずや、いよいよ強盛の信力をいたし給へ」(御書1143ページ)
何があっても題目を唱え、法のため、友のため、社会のため、立正安国のため行動しゆくなかにこそ、生命から滾々と湧きいずる「自受法楽」(自ら法楽を受く)の大歓喜がある。
この最極の「生き甲斐」と「充実」と「大福運」の人生を、共々に生き生きと!

☆四季の励まし 新しい人と新しい時代を 2019年5月12日
◇埼玉 学会の盤石な柱に
新しい人を伸ばす。
その鍵は、リーダーの思いやり、
励まし、そして面倒を見ていく、
この三つにあるといえよう。
仏法の根本は、慈悲の精神である。
「あの人は、本気になって、
自分のことを心配してくれた」
「大事にしてくれた」——
だから心に熱いものが込み上げる。
生きる力がわいてくる。
あらゆる壁を越え、
魂が魂を揺り動かす。
それが社会を根底から変えていく。

フレッシュな息吹は、
組織に生き生きとした
活力を与える。
勝利の原因をつくってくれる。
先輩たちは、この新しい息吹を、
心から大事にしていくのだ。
新しい人に学んでいくのだ。
新しい人と共に
勇猛精進していくのだ。
「これまで」に
安住してはならない。
「これから」を切り開く、
清新なる決意に立つことである。

まず一人と「会う」ことだ。
「語る」ことだ。
そして「一緒に行動する」のだ。
「少子化」の時代であるからこそ、
むしろ一人の青年を大事にできる。
さらに今度は、その一人から、
次の新しい青年を呼んでいくのだ。
そして「自分以上の人材」を
澎湃と育て上げるのだ。

まず自分自身が変わることだ。
師弟の正義を叫びに叫べば、
その一点からすべてが変わる。
日々、自分が変わり、
周囲をも変えていくことができる。
さあ、新しい時代を開こう!
新しい人材を見つけよう!
断固勝って、
正義の勝ち鬨を、
天高く轟かせてくれ給え!

どこまでも続く茶畑。柔らかな陽光を浴び、一枚一枚の葉が青々と輝いていた——。1996年(平成8年)1月、池田大作先生が埼玉・入間市を訪れた折、シャッターを切った。
5月は新茶の季節。埼玉出身で、日本初の女性農学博士の辻村みちよ氏は、緑茶から渋味成分であるカテキンの分離抽出に、世界で初めて成功した。
彼女は後進の育成にも尽力。若者に向け、自分の才能を「掘り出して磨いて、その光をも添えて真実を見、真剣にクリスタル(結晶)を育てて行っていただきたい」との言葉を残した。
さあ、自他共の無限の可能性を信じて、新しい"人材の芽"に励ましの光を送ろう。

2019年5月12日日曜日

2019.05.12 わが友に贈る

勝利の要諦とは
�師弟不二の祈り
�将の勢いと執念
�正義の団結の拡大
広布開拓の黄金史を!

上野殿御消息 P1527
『親によき物を与へんと思いてせめてする事なくば一日に二三度えみて向へとなり』

【通解】
親によい物を贈ろうと思っても、何もできることがなければ、せめて一日に二度三度は、笑顔を見せてあげなさい。

〈寸鉄〉 2019年5月12日
若者を愛し、心を通わす会長は青年育成の模範—学長。師に学び、師に続け
人は嵐の中で大きくなる—画家。勇んで激戦の地へ。そこに人間革命の道
健康世紀は命守る白樺の奮闘ありて。皆様に栄光燦たれ!国際看護師の日
創価の全権大使・地域部の活躍で信頼と友情は拡大。尊き汗を諸天も賛嘆
「母の日」にもらいたい—1位は感謝の言葉。真心からありがとうの笑顔を

☆世界広布新時代第41回本部幹部会への池田先生のメッセージ
◇学会活動こそ最極の幸福の軌道
一、晴れわたる民衆凱歌の本部幹部会、誠におめでとう!
御本仏・日蓮大聖人が、尊き創価家族の大健闘を全て御照覧であられます。
「かくれての信あれば・あらはれての徳あるなり」(御書1527ページ)と仰せの如く、皆さん方の陰徳が陽報となって、ますます輝きゆくことは、絶対に間違いありません。
思えば、先師・牧口常三郎先生の殉難の地に、この東京戸田記念講堂が誕生したのは、昭和54年(1979年)でありました。仏意仏勅の創価学会を攪乱し、破壊せんとする魔軍が荒れ狂った渦中でありました。
その11月に、この会場で行われた本部幹部会で、私は会長辞任後、初めて学会歌の指揮を執りました。曲は「威風堂々の歌」。皆の呼吸は見事に一致し、生命は一つになりました。反転攻勢の大行進が、この時、この殿堂で、この師弟の師子吼から始まったのです。
そして40年、我らは一切を、まさしく威風堂々と勝ち越えてきました。今日の世界宗教としての大発展を、誰が想像したことか。ここで、創価の「正義」と「共戦」の大勝利を、共々に喜び合いたいと思うけれども、どうだろうか!(大拍手)
なかんずく不思議にも、昭和54年の前後、そして、それ以降に澎湃と生まれ出でてきた地涌の若人たちが、今、広布と社会の最前線で、目を瞠る大活躍をしてくれている。わが頼もしき男女青年部の皆さん、いつも本当にありがとう!(大拍手)

◇労苦の中に福運が
一、5月3日は学会のお正月であり、久遠元初の誓いに立ち返り、元初の太陽を昇らせゆく日です。その意義を込めて、きょうは一対の書を贈ります。
「立正安国」と「福運安穏」です。
これは、昭和57年(1982年)の6月、北海道の天地で書き留めました。
日蓮仏法の根幹である「立正安国論」には、「須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐をいのらん者か」(同31ページ)と仰せであります。
この一節の通り、私たちは「人間革命」即「立正安国」の大道を歩み抜いてきました。それは、そのまま「福運安穏」を限りなく開きゆく道なのであります。
恩師・戸田城聖先生の直弟子として、私が第3代会長に就任した昭和35年(1960年)は、奇しくも日蓮大聖人が「立正安国論」をもって国主諌暁をなされた文応元年(1260年)から満700年に当たっておりました。この節目の年から「立正安国」の対話の波動を、沖縄をはじめ日本全国・全方面へ、北南米をはじめ全世界へ、力強く広げていったことは、ご存じの通りです。
わが同志の汗と涙の奮闘によって、正しき生命尊厳の大哲理を根底とした立正安国の連帯は、今や、いずこの地域でも、麗しき人間共和の共同体を蘇生させています。
さらに国家や文明や宗教さえも超え、恩師の遺訓であった核兵器の廃絶へ、平和の文化の創造へ、持続可能な開発の推進へ、世界市民の育成へ、地球民族を結ぶ「蘭室の友」の壮大なスクラムを築いているのであります。
大聖人は「運きはまりぬれば兵法もいらず」(同1192ページ)と喝破されました。福運というものが、どれほど重要か。
たしかに立正安国の行動は言い知れぬ労苦の連続であります。しかし、だからこそ「心の財」を積むことができる。
しかも、その福運は自分だけではない。家族にも眷属にも、国土にまで及ぼせます。
さらに今世だけではない。未来永遠に崩れざる安穏の大境涯を、自他共に、また依正共に勝ち開くことができる。
どこまでも妙法と一体で進む、生命の最極の正義と幸福の軌道こそ、学会活動なのです。

◇不可能を可能に
一、あの"まさかが実現"の大阪の戦いで、関西の宝友と心肝に染めた御聖訓に「何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり」(同1132ページ)とあります。
御本仏のこの御一念に直結し、我らは、いかなる災難にも、いかなる試練にも、わが友を一人一人護りに護り、強盛なる大信力・大行力で無窮の大仏力・大法力を湧現しながら、断固として不可能を可能にしていくのであります。
明年の創立90周年は、「立正安国論」の諌暁から760年でもあります。
いよいよ師子王の心を取り出して何ものも恐れず、太陽の創価の母たちを中心に、仲良く明るく異体同心の団結で、「立正安国」即「福運安穏」の勝ち鬨を轟かせていこうではありませんか!
一、きょうは、「創価学会後継者の日」の意義も込め、未来部の代表が参加してくれて、これほど嬉しいことはありません。みんな、本当にありがとう!
御書には、「鳥の卵は始は水なり其の水の中より誰か・なすとも・なけれども觜よ目よと厳り出来て虚空にかけるが如し」(1443ページ)と説かれます。
それと同じように題目の声に温められた生命は、最も偉大な仏の力を発揮して、使命と栄光の大空へ自在に飛び立っていけると示されております。
未来部の皆さんには、まさに一人ももれなく宇宙大の可能性があります。その可能性を解き放つ、最高にして最強の生命のスイッチこそが、信心なのです。
皆で、この無限の希望と勇気のスイッチを入れ、全創価家族が新たな常勝の飛翔を威風堂々と開始することを決意し合って、私のメッセージといたします(大拍手)。

2019.05.11 わが友に贈る

子供や孫と一緒に
中継行事に参加しよう!
信心継承の劇は
創価家族の触れ合いと
楽しき語らいから。

千日尼御前御返事 P1310
『此の経文は一切経に勝れたり地走る者の王たり師子王のごとし空飛ぶ者の王たり鷲のごとし』

【通解】
この経文(法華経)は一切の経文に勝っている。地上を走るものの王である師子王のようであり、空を飛ぶものの王である鷲のようなものである。

〈寸鉄〉 2019年5月11日
御聖訓「皆恩ある衆生なれば皆仏になれと思ふべき」。自他共の幸福開け
滋賀婦人部の日。美しき湖国照らす常勝の太陽。福徳と和楽の道を共々に
自分が無力だと考えない限り誰でも無力ではない—作家。全員に使命あり
春の交通安全運動。子供と高齢者の安全・安心の確保を。互いに注意喚起
8割が「職場でストレス感じる」—調査。今こそ励ましの絆を社会へ地域へ

☆知性の架け橋 中国 香港中文大学 2019年4月27日
1992年1月30日
時代は「人間」を機軸とした中国の良き精神性を希求

アジア屈指の名門・香港中文大学は、1963年の創立以来、半世紀余りにわたって香港の学術振興と人材養成を担ってきた。"伝統と現代を結合し、中国と西洋とを融合させる"との理念のもと、330を超える研究機関と交流しながら、中国文化の発揚と国際交流の推進に力を傾注している。
創価大学の最初の海外交流大学となったのも、同大学であった。
74年1月、池田先生は同大学を初訪問。創大創立者として学生・教員の交流を提案し、翌年に学術交流協定が締結された。これまで先生の訪問は6度を数え、92年には、同大学として第1号の「最高客員教授」称号が贈られている。
その際、先生は中国における人間主義の伝統について講演した。同大学がモットーに掲げる「博文約礼」に触れ、いかなる時代にあっても、「人間」という機軸を求め深めてきた"中国的人間主義"というべき精神的伝統に言及。その象徴が「中庸」という言葉であり、中国の思想家たちは「中庸」「中道」などを徳目の指標としてきたと述べた。
さらに、そうした概念の特徴を一言で言えば、「人間として生きていく上で欠かすことのできない"節度の感覚"といえる」とし、中国古来の優れた"自律の精神力"を指摘した。
そして、イデオロギーが猛威をふるった20世紀から21世紀への転換点にあって、どこまでも人間の内面的規範の確立を第一義とする中国のよき精神性の再生を、と強調した。
同講演は地元メディアでも紹介され、「聯合報」は「現実を正視しなくてはならない。これは、中国思想の主脈をなすものであり、池田氏が、いみじくもとらえたところ」等と評価した。
その後も同大学との交流は続き、2000年には日本人初の「名誉社会科学博士号」を先生に授与。09年には終身主任教授である饒宗頤博士(『文化と芸術の旅路』)、15年には元学長の劉遵義博士(『新たなグローバル社会の指標』)との対談集が発刊されるなど、アジアを代表する知性との交流が広がり続けている。

講演から
激動する時流は、私どもに改めて厳しく問いかけております。一体、イデオロギーのための人間なのか、人間のためのイデオロギーなのか——と。
では、今、何が大切なのか。私は、絶えず「人間」に立ち返り、「人間」の実践を通して、その正否を検証し続ける以外にないと思う一人であります。
そして、貴大学のモットーとされている『論語』の「博文約礼」——博く学べ、しかし博識をもって満足せず、礼すなわち実行によって知識をまとめていくことが大切である——は、まさにその戒めをいっているのではないでしょうか。
のみならず、私は、「博文約礼」という言葉に、形而上の領域であれ、形而下の領域であれ、常に人間を機軸にした"等身大"の思考を求め続けた中国的発想、中国的思考が、凝縮されているように思えてなりません。
これを仮に"中国的人間主義"と名付ければ、そうした醒めた、地についた発想こそ、狂暴なイデオロギーに酔ったようにとりつかれてきた二十世紀の世紀末の今日において、まさに歴史的要請となっているのではないでしょうか。

2019年5月10日金曜日

2019.05.10 わが友に贈る

誉れの「銀の道」を
いつも弛まず駆ける
「無冠の友」に感謝!
どうか無事故第一で
健康・幸福を祈る!

松野殿御返事 P1381
『聖人の唱えさせ給う題目の功徳と我れ等が唱へ申す題目の功徳と何程の多少候べきやと云云、更に勝劣あるべからず候』

【通解】
聖人が唱えられる題目の功徳と、私たちが唱える題目の功徳とでは、どれほどの違いがあるのでしょうか、とのご質問ですが、まったく勝劣はありません。

〈寸鉄〉 2019年5月10日
「我見の信心」では功徳は出ない—牧口先生。師と共に広布の正道を直進!
男子部大学校生が拡大に大挑戦。誓いの若師子よ"題目第一"で勝ちまくれ
幹部は第一線に飛び込み弾む心で励ましを!歓喜と勇気の波動を全同志に
動植物100万種が絶滅危機社会の全ての分野で変革必要—学者。皆、主体者と
公明が存在感を示す事が日本の安定に不可欠—識者。大衆の為に走り戦え

☆虹を懸ける 池田先生と米ボストン�=完 2019年4月27日
◇「行動」の中に仏法はある
その講演は、東洋の仏教が現代文明に果たす役割を、西洋の知性に"宣言"するものだった。
池田先生は1993年9月24日、ボストン近郊のハーバード大学で、2度目の講演を行った。91年9月の「ソフト・パワーの時代と哲学」に続く講演のタイトルは「21世紀文明と大乗仏教」である。
冷戦構造が崩壊する中、西洋の知性の頂点ともいうべきハーバード大学が、その哲学と行動に注目した人物の一人が先生であった。
講演後、150人におよぶ各界の識者が、こぞって感嘆の声を寄せた。
3年後に先生が創立した戸田記念国際平和研究所の初代所長に就任した、ハワイ大学のマジッド・テヘラニアン博士は述べている。
「大乗仏教の精神を語りながら、実際には未来の文明のあるべき姿を語っていた」と。
そして、この講演を誰よりも喜びと誇りをもって受け止めていたのが、現地のSGIメンバーである。
60年代から、ボストン広布の原野を切り開いてきた日本出身の婦人たち。来る日も来る日も、弘教に走り抜いてきた青年たち。
彼らは歴史的な"ハーバード講演"を、「仏法者としての真の使命に目覚めた原点」として、今も語り継いでいる。

人間性で光れ
93年の"ハーバード講演"の折、池田先生は"未来への一手"を打った。
世界最高峰の教育機関である同大学のすぐ近くに「池田国際対話センター(当時はボストン21世紀センター)」を設立したのだ。
初代所長に選ばれたのは、政策シンクタンクに勤務していたバージニア・ベンソンさんである。
スタンフォード大学を卒業後、ロンドン大学でアメリカ経済史を学び、修士号を取得。ホワイトハウスの職員として働いた経験もある。入会以来、先生と英国の歴史家トインビー博士との対談集を熟読し、"先生と広布のお役に立ちたい"と祈り続けてきた。
所長の任を受けた数日後、先生はベンソンさんに言った。
「雄大なミシシッピ川も、一滴の水から始まります。焦らず、着実に前へ進んでいってください」
当時のボストンは、SGIに対する理解が薄かった。そこで、まずは小規模の懇談やセミナーを開きながら、主に宗教学者たちとの信頼関係を築くところから活動を始めた。"一滴ずつ"との思いで、少しずつ軌道に乗せていこうと考えたのである。
数カ月後、日本を訪れた折に近況を報告すると、先生はうなずきつつ語った。「このセンターが、世界の学者たちが称賛する学術拠点に発展するか否かは、全てあなた自身の決意次第です」
ベンソンさんは振り返る。
「この時、気付いたんです。『一滴の水』とは、ほかならぬ私自身の人間革命のことだったのだと。一人の人間が、どれほど偉大な力を持っているか。一切は私の一念と行動に懸かっていると、先生は教えてくださいました」
その後、学者との交流の幅を意欲的に広げていく中、専門的な学識をもたない自分に劣等感を感じるように。人前で話すのも苦痛になった。そんな時も、先生は具体的にアドバイスをくれた。
「最も大切なのは人間性です。絶えず自分を人間革命して、大きく心を開いていくのです。それが、人の心を打つんです。心配はいりません」
後年、母親が亡くなった際には、父親にまで温かな励ましが寄せられた。
先生との数々の原点を胸に、センターの発展に全力を注いできたベンソンさん。交友を深めた学者たちの中には、先生と出会いを結び、対談集を編んだ人も多い。
「先生と共に歩んできた25年間でした。アメリカの学術界へ、人間主義の哲学をさらに発信していきます」

希望に向かって
2年ぶりのボストン訪問となった93年、池田先生は"ハーバード講演"に加え、世界的経済学者のジョン・K・ガルブレイス博士ら、一級の学識者たちと未来を展望する会見を重ねた。
その合間を縫い、多くのSGIの同志に励ましを送っている。
講演の前日(9月23日)、トニー・ナルデラさんは、家族や地区のメンバーと共に、先生と忘れ得ぬひとときを過ごした。
地区部長だったナルデラさんは、自宅を広布の会場として提供していた。地区のメンバーは、大半が学生や青年たち。先生のボストン来訪の報を耳にするや、全員で諸行事の大成功を祈念。「ビクトリー(勝利)」との文字を掲げた大きな"題目表"を完成させ、先生に届けた。
その数日後、感動の出会いが実現する。先生は、ジョン・F・ケネディ大統領の生家を視察した足で近くに住むナルデラさん宅へ。「この地区を『大統領地区』にしましょう」と提案し、「世界一幸福な地区、世界一立派な地区になってください」と願った。
さらに子どもたちにも"しっかり親孝行してくださいね"と温かな声を。ナルデラさんの目に、大粒の涙が光った。
「先生は、私たちを本当の家族のように包み込んでくださいました。師と同じ心で、私も後継の青年を、もっともっと励ましていこうと決心しました」
以来、毎月のように先生に手紙を書き、メンバーの活躍を報告した。やがて「大統領地区」は、多くの青年リーダーを輩出し、ボストン広布をリードする組織へと発展する。
ナルデラさん自身、その後、さまざまな苦難に直面したが、師の励ましを支えに全てを克服。現在は、電気技師として成功を収めている。
◇ 
「私はボストンで5人目の青年部員です」
スティーブ・ポトフさんの入会は70年、大学生の時だった。草創の婦人部の先輩の応援を受け、広布一筋の青春を歩んだ。
91年と93年は、運営役員として、池田先生に随行した。
記憶に鮮明なのは、先生が事あるごとに、「サンキュー!」「ハウ・アー・ユー?」と語り掛けてくれたことだ。「ここまで一人を大切にしてくださるのかと、胸が熱くなりました」
滞在中の会合で、先生は次のようにスピーチした。
「生涯、希望に生きる人生でありたい。生きているかぎり、たくさんの希望をもって生きたい。たくさんの希望を実現させたい。たくさんの希望をあたえていきたい。皆と、無限の希望を語り合い、すばらしい目標の峰を指さして進みたい。
信仰者には行き詰まりはない。どんな問題も、全部打開し、永遠に、より大いなる希望に向かっていける。最高にすばらしい人生なのである」
こうした指導や励ましの数々が、ポトフさんの人生を支える力になっていった。
93年に先生を迎えた直後、仕事が最悪の苦境に陥り、さらに、がんが判明する。幼い2人の子の寝顔を見ては、御本尊に向かった。
"絶対に負けるわけにはいかない! 師匠のために、家族のために!"と。
手術後、抗がん剤治療に耐えながら、仕事でも地道に成果を出していった。やがて病は完治し、職場でも業績が高く評価された。最近では、「どうして、あなたがいると会社の雰囲気が明るくなるのか」と問う社長に仏法対話を。昨年、その社長は信心を始めた。
ポトフさんは誓う。
「師匠は常に弟子のことを思い、励ましを送り続けてくださっています。その期待をどう受け止め、実践していくか。弟子として、さらなる報恩の戦いを起こしていきます」

信心の根を強く
ジョン・スミスさんも、青年部の運営役員として池田先生との出会いを刻んだ。
19歳の時、カリブ海の島国トリニダード・トバゴからボストンへ移住。黒人というだけで、不当な差別を受けた。そんな中、人種の壁を超えて友情を結び合うSGIの温かさに魅了され、87年に入会する。
91年、先生がボストンに滞在していたある日のこと。屋外の任務に就いていると、雨が降ってきた。すぐに先生から、「中へお入りください。濡れて風邪を引かないでください」との伝言が届く。スミスさんは"ここまで気を配ってくださるのか"と深い感動を覚えた。
別の機会には、先生と一緒に散歩。木の葉が色づき始めた初秋のボストン。背の高い木を指し、先生は言った。「あの大樹は、深く根を張っているから何があっても倒れないんだよ。あの大樹のように信心の根を張って、堂々と人生を歩んでいってください」
2年後の訪問の折には、ボストンの同志に"身近な場所で「人間として輝く」王者たれ"との指針を贈り、次のように述べている。
「私どもにとって、身近とは、『勤行』である。また『個人指導』『座談会』である。その現実の行動のなかに、王者の輝きがあり、仏法の光がある」
先生の指導を心に刻み、本部長として広布の第一線を走るスミスさん。仕事では、NGOの活動を支援するプログラムディレクターとして奮闘する。
「これからも社会に希望を送るSGIの使命を果たしたい」と意気軒高だ。
◇ 
ボストンの同志が喜々として集うニューイングランド会館。
会館運営を担う牙城会員の多くは、ここ数年で入会した青年たちだ。その陣列は昨年の青年大会「正義の師子・5万」を機に、ますます広がっている。
先生の小説『新・人間革命』や"ハーバード講演"を学び合い、文化と教育の街を駆ける地涌の人材群。
草創の父母と、師弟の魂を継ぐ新しい力がスクラム固く、地域に社会に平和と幸福の光を注いでいく。

2019年5月9日木曜日

2019.05.09 わが友に贈る

新しい世紀を創るのは
青年の熱と力なり。
縦覧而青の君たちよ
新たな広布の峰を
勇んで登攀しよう!

経王殿御返事 P112
『経王御前にはわざはひも転じて幸となるべし、あひかまへて御信心を出し此の御本尊に祈念せしめ給へ、何事か成就せざるべき)』

【通解】
経王御前には、災いも転じて幸いとなるであろう。心して信心を奮い起こし、この御本尊に祈念していきなさい。何事か成就しないことがあろうか。

〈寸鉄〉 2019年5月9日
世界に人間的な連帯築く学会こそ時代の最先端—教授。心結ぶ対話を更に
音楽隊の日。勇気の旋律を奏でて65年。同志と共に永遠に勝利の行進曲を
中継行事を支える役員の皆様ありがとう!尊き陰の献身に冥の照覧は絶対
御書「弱兵を先んずれば強敵倍力を得る」。新たな拡大へ!幹部が模範示せ
ひったくり被害、午後9時前後が多いと。かばんは建物側に。警戒怠らず

☆知性の架け橋 キューバ ハバナ大学 2019年4月26日
◇1996年6月25日
池田先生がキューバ・ハバナ大学で「新世紀へ 大いなる精神の架橋を」と題して講演したのは、1996年6月25日の夕刻のことだった。
会場のアウラ・マグナ(大講堂)は、"革命の国"の知の殿堂にふさわしい威厳をたたえていた。
講演に先立ち、同大学名誉博士号の授与式が行われた。突如、雷鳴と豪雨が鳴り響いた。講演の冒頭、先生はこう語った。
「雷鳴——何と素晴らしき天の音楽でありましょう! 『平和の勝利』への人類の大行進を、天が祝福してくれている『ドラムの響き』です! 『大交響楽』です! また、何と素晴らしき雨でありましょう! 苦難に負けてはならない、苦難の嵐の中を堂々と進めと、天が我らに教えてくれているようではありませんか!」
次いで先生は訴えた。詩心によって小宇宙(人間)と大宇宙の架橋を。菩薩の心で人間と人間を結ぶ架橋を。そして、人間をつくる教育こそ、未来への架橋である——と。
終了後、大拍手が起こり、握手を求めて人々が押し寄せた。ベシーノ高等教育大臣(当時)は言った。「まさに、私たちの進むべき未来への進路をも示す講演であったといえるでしょう」
当時のキューバは、文字通り、嵐の中を進んでいた。同じ社会主義のソ連が崩壊し、国際社会で孤立。自国の領空でキューバ軍機が米民間機を撃墜する事件が起こり、緊張が高まっていた。経済はどん底だった。
先生は周囲の反対を押し切りキューバへ。「私は決断した。『行こう!』——私自身が『架け橋』になろうと。一人の人間と会い、一対一の友情を結ぶ。すべての道は、そこから始まる」と。
先生はハバナ大学を辞した後、フィデル・カストロ国家評議会議長(同)を表敬。
議長は「国内の公式行事で軍服をぬいだのは、革命以来、初めて」(当時のロイター電)とのスーツ姿で遇した。
池田先生が築いた友情と知性の架け橋を今、ハバナ大学と創価大学の留学生が往来する。
また、同国の同志は先生の歴史的な訪問を最大の誇りに幸福を広げている。

講演から
仏教は、人間の内なる「小宇宙」と、外なる「大宇宙」との密接不可分な関係性を、精妙に説いているのであります。それは、大宇宙のリズムに調和し、共鳴しゆく、人間の「生の全体性」であります。
宇宙の森羅万象は、"一念"、すなわち、人間の「心」に包括される。と同時に、その"一念"は、森羅万象に脈動し展開していくのであります。
この法理は、「人間は統一された宇宙」というホセ・マルティの洞察とも呼応しております。
わが"一念"の変革は、「詩心」の薫発とも連動しております。この"一念"の拡大が、他者と共感し、周囲へ貢献を広げつつ、生命の内奥から、智慧と慈悲の太陽を輝かせていくのであります。これこそ、万人に平等に開かれた、「人間の尊厳」また「生命の尊厳」の光彩でありましょう。
この内なる太陽を昇らせゆく「人間革命」こそが、"人間"の連帯を強め、"社会"の繁栄をもたらす。そして、"世界"の平和を創出する基点となるにちがいありません。

2019年5月8日水曜日

2019.05.08 わが友に贈る

合言葉は前進!
前に進み続ける限り
必ず道は開ける。
自分らしく朗らかに
勇気と挑戦の一歩を!

法蓮抄 P1050
『法蓮法師は毎朝口より金色の文字を出現す此の文字の数は五百十字なり、
一一の文字変じて日輪となり日輪変じて釈迦如来となり大光明を放って大地をつきとをし三悪道無間大城を照し乃至東西南北上方に向つては非想非非想へものぼりいかなる処にも過去聖霊のおはすらん処まで尋ね行き給いて彼の聖霊に語り給うらん』

【通解】
法蓮法師(曾谷殿)は毎日、口から金色の文字を出しているのである。この(自我偈の)文字の数は五百十字である。
一つ一つの文字は変じて太陽となり、太陽は変じて釈迦如来となり、大光明を放って大地を突き通し、三悪道や無間地獄の世界をも照らし、さらに、
東西南北を照らし、上に向っては非想非非想天へも昇り、いかなる所であっても、亡き聖霊のおられる所までたずねて行かれて、その聖霊に語られることであろう。

〈寸鉄〉 2019年5月8日
さあ新時代の開幕だ!職場で家庭で広布の舞台で目標を明確に今日を勝利
常勝埼玉師弟の日。鉄桶の団結光る地涌の友。彩の国から拡大のうねりを
形式ではなく本当の心で御本尊へぶつかれ—恩師真剣な祈りが諸天動かす
子どもの人口が38年連続で減少と。目の前の一人に励ましを。皆、未来の宝
公明は政権のおごり防ぎ中道の方向へ牽引—教授大衆の為に全力で舵取れ

☆忘れ得ぬ瞬間 第11回 創価大学・女子短大 2004年4月入学式
◇あえて苦難の道を進め!
2004年4月1日、創価大学の第34回入学式、創価女子短期大学の第20回入学式が、東京・八王子市の創大池田記念講堂で挙行された。
この時、シベリア屈指の最高学府であるロシア連邦・ブリャート共和国の「ブリャート国立大学」から、創立者・池田先生に「名誉教授」の称号が贈られている。
席上、池田先生は、同国の至言を幾度も紹介しながら、新入生の前途に、限りない期待を寄せた。
スピーチの冒頭では、ブリャート共和国のことわざ——「学問を修めていない人間が愚かなのではない。学問を修めようと努力しない人間が愚かなのである」を引用し、こう訴えた。

「現状」がどうかではない。「これから」です。いかに努力していくかです。そこに「未来」の一切が含まれているといってもいい。
きょうよりは、しっかりと腰をすえて、学問を修めていただきたい。
そのための大学です。
そのための学生です。

創大生、短大生は、断じて親不孝であってはいけない。立派に卒業して、お父さん、お母さんを安心させてあげてください。約束です。よろしくお願いします。

積極果敢な人に
次に、先生は「真実は清らかである。嘘は汚らわしい」との同国の英知の格言に触れながら、正邪を見破る力こそ真の知性であると語った。

現実の人間社会は、汚らわしい嘘が渦巻いている。なかんずく、正義のために戦う偉大なる人生には、卑劣な嫉妬の嘘が襲いかかってくる。それが方程式です。
そうした嘘を鋭く見破り、痛烈に打ち破る力が、真の知力であり、知性です。
いかなる時代状況にあっても、きちんと善悪がわかる。正邪を言い切れる。この判断基準を明確に持っている人が、「学問のある人」と言えるのです。

学問は、暗黒を照らす真実の太陽である。
学問は、正義の勝利の力である。
学問は、自身の向上と前進の源である。
学問は、幸福の土台である。
そして、学問は、成功者の、勝利者の剣なのである。

さらに、先生は「答える時は、まちがえる時もある。しかし、質問をする時には、まちがえることはない」との同国の名言を紹介し、「学問に望む姿勢」について述べた。

「積極果敢に恐れなく、質問すること」。それが学問の起爆剤だからです。
私も、幾多の世界の識者と対話をしてきました。
どんな方と会うときも、なんとか時間を割いて準備し、相手のことを勉強し、常に自分から質問することを心がけてきました。
良い質問をすると、相手も話しやすい。自然と語らいは弾み、心と心が結ばれる。
質問が大事です。先手必勝です。皆さんも同じです。
学生に遠慮はいらない。学問に妥協は禁物です。
どんどん先生方に質問してよいのです。

正義のため。平和のため。人民の幸福のため——この最も大切な目的に向かって、勇敢に戦い抜き、忍耐強く勝ち抜いていく。これが「青春の英雄」であり、「生命の勝利者」であります。
そのためには、心して良書を選び、徹底して読破していくことです。
恩師・戸田先生は、厳格に悪書を斥けました。「良書を読め」と常々言われた。
私も若き日、恩師から毎日のように聞かれました。
「今、何を読んでいるか」「どんな内容か」。忙しくて読み進んでいないと、たちまち見抜かれた。
一緒に旅行した時は、列車に乗っている間じゅう、読んだ本の話をさせられました。東北から東京までの旅の長かったこと——。
ともかく先生は読ませました。私を訓練しました。今思えば、幸せなことです。
訓練から逃げた人、努力を避けた人は、その時は気楽でいいかもしれないが、後になって苦しむ。
あえて苦難の道を、自分を鍛えるために、諸君は頑張り抜いてもらいたい。

知識と知恵を培え
最後に、先生は「知識を持ち、知恵を持った人」こそ真の幸福者であることを強調し、スピーチを結んだ。

知恵が大切です。
学問は、また知識は、知恵の水を汲み上げるポンプです。
知識だけでは幸福につながらない。知識と知恵があってこそ、幸福はあるのです。
知識イコール幸福ではない。それがわからないところに現代の不幸がある。
「あの人は、いい大学を出たから幸福だ」と錯覚するのは、知識と知恵を混同している証拠です。
知識を持ち、知恵を持った人——この人が、本当の意味の、幸福な人間であることを忘れないでください。
私は申し上げたい。
愛する、そして尊敬する、偉大なる学究の君たちよ、徹して学問を深めていきたまえ!
自分自身のために。
自分の勝利の道を大きく開いていくために。
皆を幸福にしていける、広大なるわが心の世界を、晴れ晴れと広げていっていただきたい。
ともかく、学問だけはしっかり励んでほしい。あとは自由です。学問は大変だろうが、すべては未来のためなのです。

2019年5月7日火曜日

2019.05.07 わが友に贈る

新聞休刊日

御義口伝巻下 P780
『御義口伝に云く此の法華経を閻浮提に行ずることは普賢菩薩の威神の力に依るなり、此の経の広宣流布することは普賢菩薩の守護なるべきなり』

【通解】
この法華経を全世界に行ずるということは、普賢菩薩の威神の力によるのである。この経が広宣流布するのは普賢菩薩の守護によるのである。

☆知性の架け橋 トルコ・アンカラ大学 2019年4月24日
1992年6月24日
民衆を結ぶ教育こそ平和への普遍的な回路

東西文明の"十字路"に位置するトルコ共和国。国立アンカラ大学は1946年に創立された。創立者は「建国の父」と敬愛されるケマル・アタチュルク初代大統領である。大統領や首相を幾人も輩出した国内最高峰の同大学が、初めて交流協定を結んだ日本の大学は創価大学だった。
交流の淵源は89年。創大池田記念講堂の着工に際し、アンカラ大学のセリーン総長(当時)は、ビザンチン帝国の要塞にも使われた、由緒ある「アンカラ・ストーン」を寄贈。「何ものにも耐えて輝き続ける『永遠の友情』への思いを込めたのです」と述べた。翌90年、両大学の学術交流協定が締結された。
シルクロードで結ばれた日本とトルコは、文化や習慣で多くの類似性が見られる、いわば「遠くて近い国」。先生はそのトルコとの友情を大切にし、創大や民音を通じて交流の道を開いていった。
そうした功績をたたえ、アンカラ大学は92年6月24日、「名誉社会科学博士号」を授与。授与式の席上、先生は、「文明の揺籃から新しきシルクロードを」と題して記念講演を行った。
長期間の治乱興亡の歴史の中で、トルコに育まれた「普遍性への志向」と「開かれた精神」。先生はこうした精神性に光を当てつつ、偏狭な民族主義に陥らず、権力を手にしながらも自己を客観視し、独善を退けたケマル大統領の見識とバランス感覚こそ、今日の世界が要請するものであると訴えた。
また、民衆の心を変えることで革命を成し遂げた大統領の事績を通し、新生トルコの建設の底流にあった力は「教育」であったと強調。人々が、文化交流と相互理解の"新たなるシルクロード"を行き交う時、「未来の世代への責任」が、深く広く共有されていくとの確信を語った。
「講演は、多くの聴衆に、トルコの『誇り』を呼び覚ますものでした」(セリーン総長)
創大とアンカラ大学では、これまで、両大学合わせて70人以上の交換留学生が学んでいる。先生が願う教育・文化交流の花咲く「未来」は、青年たちの往来によって確かな「今」を刻んでいる。

講演から
(新しい理想を)自覚した民衆と民衆は、それぞれの美質を光らせながら、必ずや世界市民のスクラムを組んでいくにちがいない。目覚めた民衆の存在というものは、必然的に普遍的な連帯を招き寄せるからであります。それは、一つの法則であります。それには、何といっても教育であります。
ケマル大統領の民衆との共戦のなかに、私が普遍的なるものへの鼓動を聴き取るのは、そこにあって、教育が極めて重要視されていたからであります。一見、急進的に見えるケマル革命も、教育を機軸にした漸進主義を基調としておりました。革命の成功をもたらした一番の秘密は、そこにあったのではないでしょうか。民族といい、文化といい、個別的なるもの同士が接触し、普遍的なるものへと昇華していく回路は、対話を含む広い意味での教育による以外ない。(中略)
教育こそ、普遍的なるもの、そしてその開花である世界平和への無二の回路なのであります。

2019年5月6日月曜日

2019.05.06 わが友に贈る

◇今週のことば
未来部は一人一人が
新時代の希望の旭日だ・
真心の祈りと励ましで
宝の生命を育もう!
ここに令法久住の光が
2019年5月6日

四条金吾殿御返事 P1118
『あしき名さへ流す況やよき名をや何に況や法華経ゆへの名をや』

【通解】
悪名でさえ流ものだ。まして善き名を流すのは当然である。ましてや法華経ゆへの名においてはいうまでもない。

〈寸鉄〉 2019年5月6日
信心に励めば、変毒為薬していける—牧口先生。題目根本で何があろうと
東京・足立が力闘。勝ってこそ王者。執念の猛攻で新たな勝利の歴史を開け
音楽隊・鼓笛隊が各地で行進。勇気と希望を送る「平和の旗手」に皆が喝采
自主的な目標設定が子を伸ばす要。親子で語らう好機に。意欲引き出そう
食事・睡眠・運動が健康の基本。疲れためぬ工夫を賢明な生活リズムから

☆知性の架け橋 イタリア・ボローニャ大学 2019年4月23日
1994年6月1日
レオナルドのごとき"世界市民"の輩出を

400年近い歴史を誇る壮麗な大講堂に万雷の拍手が響き渡る。1994年6月1日、池田先生はイタリア・ボローニャ大学で「レオナルドの眼と人類の議会——国連の未来についての考察」と題して記念講演を行った。
現在の大学制度の原型を築いた"世界最古の総合大学"と呼ばれる同大学。詩聖ダンテ、桂冠詩人ペトラルカ、天文学者コペルニクスなど、数多の人材が、この英知の大城から躍り出ていった。
11世紀とされる創立当初から、まとまった校舎や施設があったわけではない。優れた教師や学問を求めて、ヨーロッパ中から自然と学生が集まり、そこに生まれた"知の結合"が大学そのものであった。
ここでは、常に学生が主役であった。例えば、教師は一日の欠勤にも学生の許可を必要としたという。一定以上の聴講者を集められなかった教師には罰金が科せられた。学ぶ者と教える者の情熱たぎる向学の息吹こそ、ボローニャ大学に息づく伝統である。
先生は講演で、こうした伝統の中にこそ、現代で必要とされる世界市民のエートス(道徳的気風)があると述べ、"人類の議会"である国連の活性化の鍵は世界市民の輩出にあると強調。万能の天才レオナルド・ダ・ヴィンチの生き方に言及し、内面を変革する「自己を統御する意志」と創造をやめない「間断なき飛翔」こそが継承すべき精神的遺産であり、新しき国際秩序形成の光になると述べた。
池田先生を招へいしたファビオ・ロベルシ=モナコ元総長は、講演を聴いた感動を、次のように振り返っている。「私はこの講演を聴き、まさに、池田会長こそが模範とすべき世界市民であると確信したのです」「会長の提言や行動を規範とし、決して希望を見失うことなく、忍耐強く、行動を続けることが大事なのです」
講演から25年。創価大学とボローニャ大学の間では、現在まで留学生や教員が往来。日本とイタリアの架け橋になろうと、多彩な人材が世界を舞台に活躍している。
池田先生が講演で放った"希望の光彩"は今もなお、ルネサンスの国を燦然と照らしている。

講演から
「われら連合国の人民は」という一節で始まる、あの国連憲章が象徴するように、民衆こそが主体であり、人間こそが根本であります。
ゆえに、世界市民の更なる力の結集によって、国連を、「民衆の声を生かす人類の議会」へと高めてまいりたいのであります。とともに、生きとし生けるものの証とは一体、何か。人間としての価値は一体、どこにあるのか。国と国、民族と民族の親善友好は、何がポイントか。
その地下水脈に、文化というものをみなぎらせ、また異文化を認めながら交流を深めていく、新しき人間主義の脈動が、必要となってきております。
これこそ、まさしく、貴大学の意義深き九百年祭の折、我が創価大学も署名させていただいた、あの「大学憲章」で、高らかに宣言されている理念でありましょう。

2019年5月5日日曜日

2019.05.05 わが友に贈る

「自分なんて……」と言う
あなただからこそ
人の心も痛みも分かる。
悩む誰かの力になれる。
そう生きるのが信心だ。

四条金吾殿御返事 P1180
『此れ程の不思議は候はず此れ偏に陰徳あれば陽報ありとは此れなり』

【通解】
これほど不思議なことはない。まったく陰徳あれば陽報ありとは、このことである。

〈寸鉄〉 2019年5月5日
「創価学会後継者の日」世界は君の飛翔を待つ。父母を大切に。英知磨け
師と合わぬ祈りは「水の上に火をたくがごとし」御書。広布の大願を胸に
本当の友人こそ最高の宝—文人。会って語った分、友情は深まる。時逃さず
東京富士美のサムライ展が好評。GWしか見れぬ名品も。生命潤す一時を
各地で交通混雑。事前の情報収集しっかり。無理せず焦らず無事故最優先

☆知性の架け橋 中国社会科学院 2019年4月22日
1992年10月14日
東アジアを貫く「共生の気風」が人類の新しい力

中国社会科学院は国家の行政機関である国務院直属のシンクタンクであり、中国における哲学、社会科学研究の最高学術機構として世界的に知られる。
池田先生は1992年10月、第8次訪中の折に、同社会科学院初の「名誉研究教授」称号を受章。授与式に続き、「21世紀と東アジア文明」と題して記念講演した。
講演で先生は、世界の情勢が一段と流動化する中で、中国の巨大な活力が注目されていることに言及。21世紀において、中国をはじめとする東アジア地域が、経済というハード面はもちろん、文化というソフトの面でも枢要なブロックを形成していくであろうと指摘した。
そして、東アジアに共通する精神性の美質である「共生のエートス(道徳的気風)」に論及。「共生のエートス」が結晶した人間像として、他人を思いやる周恩来総理の人格を取り上げ、「共生」の哲学こそ21世紀に向かう人類史の"駆動力"たる可能性を秘めていると論じた。
同講演は、東アジアの伝統と精神への鋭い視点を示すものとして高く評価され、著名な学術誌「中国社会科学」に掲載されたほか、各界の識者から共感の声が寄せられた。
「池田氏の言う『共生のエートス』こそ、世紀末の急所をずばりとついた『先見の言』」(香港中文大学の常宗豪教授)
「人類の生き方を高めようとしている人々にとって、価値ある洞察と十分なインスピレーションを与えるものであった」(ガンジー記念館のN・ラダクリシュナン館長〈当時〉)
池田先生の「日中国交正常化提言」の発表50周年、日中平和友好条約締結40周年となった昨年は、8月に同社会科学院が北京で開催した国際シンポジウムに学会代表が招へいを受け、登壇した。
同年秋には、創価学会代表訪中団が北京の同社会科学院を表敬訪問するなど、先生が開いた友好の"知の交流"は今も水かさを増している。

講演から
東アジア地域の文化、なかでもその水脈をなしている精神性を特徴づけているものは一体、何か。
もとより、簡単にひと括りできるような性格のものではありませんが、あえて言えば、そこに「共生のエートス(道徳的気風)」ともいうべきものが、流れ通っているとはいえないでしょうか。
比較的穏やかな気候・風土にあって、対立よりも調和、分裂よりも結合、"我"よりも"我々"を基調に、人間同士が、また人間と自然とが、共に生き、支え合いながら、共々に繁栄していこうという心的傾向であります。(中略)
東アジアの精神性にあって特徴的なことは、そうしたエートスが人間社会に限定されず、自然をも巻き込んだ宇宙大の広がりを見せていることであります。
ここでは詳しくは触れませんが、仏教の「山川草木 悉皆成仏」に象徴される自然と「共生」しゆく思潮は、環境破壊や資源・エネルギー問題等が深刻化するほどに、ますます重みを増していくにちがいありません。

2019年5月4日土曜日

2019.05.04 わが友に贈る

「希望」とは
与えられるものではなく
自らつくり出すものだ。
妙法を信じ唱え抜く心に
太陽は赫々と昇りゆく!

法蓮抄 P1052
『野を行き山を行くにもそばひらの草木の風に随つてそよめく声も、かたきの我を責むるかとおぼゆ』

【通解】
野を行き、山を行くにも、かたわらの草木が風に吹かれてざわめくかすかな音も、敵が私を責めているのではないかと思われた。

〈寸鉄〉 2019年5月4日
「いつも・たいせず信ずるなり」御書。持続の人に栄冠は輝く。実践こそ第一
親をも愛せぬ者に他人を愛せようか—戸田先生。青年よ親孝行の人であれ
みどりの日。瑞々しい自然に親しみ豊かな心を育もう。清新な息吹で前進
気温上昇で熱中症に注意を。暑さに慣れない季節。水分・塩分補給等、早めに
GWが終盤。高速道路での事故も急増中。有意義な連休を断じて無事故で

☆御書と歩む� 第68回 妙音と共に平和の大行進を
『音の哀楽を以て国の盛衰を知る』(念仏者追放宣旨事、88ページ)

◇通解
音の哀楽で国の盛衰を知ることができる。

◇同志への指針
音にも十界の境涯があり、妙音には生命を蘇生させゆく力がある。
わが音楽隊・鼓笛隊が奏でる音律は、皆に勇気と希望を送り、心を豊かに鼓舞してくれる。法華経の世界さながらの演奏もパレードも、本当にありがとう!
誉れの青年と乙女が高らかに打ち鳴らす新時代の暁鐘とともに、平和と文化の大行進をいよいよ明るく賑やかに!

☆心大歓喜 紙上講義で学ぼう 2019年4月30日
◇永遠に先駆の大九州たれ
今回の「心大歓喜——紙上講義で学ぼう」には、田村九州教学部長が登場。「如説修行抄」の御文を拝し、「永遠に先駆の大九州たれ」との指針を胸に、広宣流布の旗を掲げ、拡大に先駆ける九州の心意気を、つづってもらいます。

◇御文
『権実二教のいくさを起し忍辱の鎧を著て妙教の剣を提げ一部八巻の肝心・妙法五字の旗を指上て未顕真実の弓をはり正直捨権の箭をはげて大白牛車に打乗って権門をかっぱと破りかしこへ・おしかけ・ここへ・おしよせ……』(如説修行抄、502ページ1行目〜3行目)

◇通解
権教と実教との戦いを起こし、どんな難にも耐える忍辱の鎧を着て、南無妙法蓮華経の利剣を提げ、法華経一部八巻の肝心たる妙法蓮華経の旗を掲げ、未顕真実の弓を張り、正直捨権の矢をつがえて、大白牛車に打ち乗って、権門をかっぱと破り、あちらへ押しかけ、こちらに押しよせ……。

◇池田先生の指針から
わが九州にみなぎる「先駆」の精神とは何か。
第一に「自発能動」の信心である。
第二に「大勇猛心」である。
第三に「疾風迅雷」の行動力である。
九州は、この精神で、戦って戦って戦い抜いて、三類の強敵の暴風を突き抜けてきた。(「随筆 新・人間革命」〈「火の国」九州の誇り〉、『池田大作全集』第131巻所収)
◇ ◇ ◇
「創価完勝の決定打は我等の手で!」。この気宇壮大な責任感こそ九州魂である。
「九州に続け!」。福岡、佐賀、長崎、熊本、鹿児島、大分、宮崎——大九州の皆様方の先駆けの、そして命がけの奮闘が、全国、全世界の同志をどんなに鼓舞してきたことか! 私の胸からは一生涯、離れることはない。
「先駆」とは、"人に先んじる"だけではない。
いざ新たな戦いを起こそうとした時、誰でも最初に突き当たるのは、自分自身の心の壁である。「難しい」「苦手だ」「できない」——そうした自身の壁に、勇気を奮ってぶつかることだ。(中略)
懐かしき九州のいつも元気な友よ、どうか日本一仲良く、「気取らない」「誠実である」「真剣である」「必ずやりきる」という伝統を、日本中の同志のために貫いていただきたいのだ。
(2004年2月28日付本紙、「随筆 人間世紀の光」〈大九州の誉れの使命〉)

◇九州教学部長 田村隆雄
●師弟の旗高く対話へ! 戦う信心に喜びがある

◇なぜ信心するのか?
座談会で突如、情熱みなぎる真剣な語らいが始まったことがあります。
「宿命転換のため」等、一人一人が自分の考える信仰観を話しました。その時、私は、「楽しいから」と答えたことを覚えています。
生命から噴き出してくるような朗らかさ、生きていること自体が楽しいという歓喜こそ、信心の醍醐味です。
歓喜——それは、決して受け身や惰性の信心では得られません。自らが、広宣流布の誓いを立て、使命に燃えて、勇敢に戦いを起こしてこそ、生命の本然の力が発揮されます。
そのことを池田先生は、「火の国の歌」で「先駆の九州 いざ楽し」と、九州の全同志に「先駆」の使命を教えてくださったのです。
今回拝する「如説修行抄」には、妙法流布に先駆する日蓮大聖人の折伏精神がみなぎっています。
大聖人は「権実二教のいくさを起し」(御書502ページ)と仰せです。
"苦難を受けている"のでなく、むしろ、"自ら折伏の戦を起こした"との闘争宣言です。
強盛な信心には、苦難の意味を大きく変えていく力があります。ゆえに、大聖人の御闘争には、悲哀や嘆きなど微塵もありません。むしろ、如説修行の行者として、身命をささげる覚悟と誇りにあふれています。
「一部八巻の肝心・妙法五字の旗」、つまり南無妙法蓮華経の題目の旗を掲げ、「かしこへ・おしかけ・ここへ・おしよせ」と、縦横無尽に駆け、仏の軍勢を広げてきたと仰せです。
この御文を拝するたびに思い起こされるのは、1980年(昭和55年)5月1日、九州平和会館(当時)での福岡県本部長会で放たれた、池田先生の師子吼です。
「『広宣流布の胸中の旗』を、断じて降ろしてはならない!」
「『折伏の修行の旗』を、決して降ろしてはならない!」
「『一生成仏の、信心の炎の光』を消しては絶対にならない!」
第5次訪中の帰路、先生はあえて、九州に入られました。当時、師弟の絆を切り裂こうとする反逆者や悪侶たちの攻撃は熾烈を極めていました。それでも同志は、師を求めて押し寄せました。先生は、真心に応え、抱きかかえるように激励してくださったのです。
私たちの師匠は永遠に池田先生——そう腹を決めた九州の全同志は、師弟不二の旗を掲げ、反転攻勢に敢然と打って出ました。
私たちは"九州から、日本の、世界の、広宣流布の新しいパターンを"との期待に今こそ応えたいと、学会の真実を世間に伝える展示を企画。翌81年5月に「九州池田平和記念館」がオープンしました。その折、先生は「これからの広宣流布は、折伏と、平和・文化・教育の、二つの車輪で進んでいくんだよ」と教えてくださったのです。
"5万人で「第九」の合唱を行っては"との、先生の提案に真っ先に呼応した九州青年部は、25年前、福岡ドーム(当時)で「アジア青年平和音楽祭」を開催。代表5万人が、先生の前で「歓喜の歌」を歌い上げました。
「第九」に込められた"苦悩を突き抜け歓喜に至れ!"とのメッセージは、仏法の「煩悩即菩提」の法理にも通じる人間賛歌に思えてなりません。
先日、広布の主戦場に駆け付けた同志が、誇らしげに語っていました。
「自分の信心の戦いです。自身の使命、師匠との誓いを果たすためです!」
私は、爽やかな風が吹き抜けたような気持ちになりました。
先生は、教えてくださいました。
「楽しいところに、人々は集う。明るい集いに、歓喜がわく。喜びの信心に、福徳はいや増す。勢いの強いところに、勝利もある」「前進する人には『希望』がわく。『勇気』がみなぎる。『張り』がある。『充実感』がある。『結果』も出る。だから楽しい」
一人一人が"自分自身の信心の戦い"を起こし、祈り抜き、祈りきり、縦横無尽に仏法対話に先駆け、自他共に"使命の喜びの人生"を謳歌しようではありませんか!

2019年5月3日金曜日

2019.05.03 わが友に贈る

平和と人道の世紀へ
地涌の使命に生き抜く
創価の連帯を広げよう!
全世界の同志と共に
人間革命の勝利劇を!

御義口伝巻上 P740
『宝浄世界とは我等が母の胎内なり』

【通解】
(多宝如来の住む)宝浄世界とは、母親の胎内のことである。

〈寸鉄〉 2019年5月3日
栄光燦たる「5・3」。不二の師弟は勝ちに勝ちたり。広布大願の道を共に
「創価学会母の日」。太陽の婦人部に感謝!妙法に生きる福徳は三世に厳と
"心の友"がいると思うと勇気と希望が湧く—作家友情は人生を彩る宝なり
「日蓮が一門となりとをし給うべし」御書。広布の誓いを貫く青春は美し
明日、明後日に創大・女子短大で見学の集い。発展著しい世界市民の揺籃

☆御書と歩む� 第67回 仏の未来記を学会が実現
『仏記に順じて之を勘うるに既に後五百歳の始に相当れり仏法必ず東土の日本より出づべきなり』(顕仏未来記、508ページ)

◇通解
釈尊の未来記にしたがって、これ(私〈日蓮大聖人〉の未来記)を考えてみると、(今という時は)すでに後五百歳の始め、すなわち末法の始めに当たっている。(末法に弘まるべき真実の)仏法が必ず東の国の日本から出現するはずである。

◇同志への指針
全世界の同志の偉大な奮闘と団結で、「仏法西還」、そして「一閻浮提広布」の未来記は現実となった。
大難を覚悟の上で、全人類の幸福と平和のために立宗を宣言された、御本仏の御賞讃はいかばかりか。
妙法広宣の不二の旅路は続く。どこまでも仲良く朗らかに、地涌のスクラムを広げようではないか! はるか末法万年尽未来際まで。

☆5月度男子部「御書活動者会」研さんのために 開目抄
◇師弟不二の信心を貫け 「まことの時」は「今」!
5月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では、「開目抄」を研さん。苦難を打ち破る師弟不二の信心の大切さを学ぶ。

◇御文
『我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし』(御書234ページ)

◇通解
私も、そして私の弟子も、いかなる難があっても疑う心がなければ、必ず仏界に至るのである。天の加護がないからと信仰を疑ってはならない。現世が安穏ではないからと嘆いてはならない。私の弟子に朝に夕に教えてきたけれども、疑いを起こして、皆、法華経を捨ててしまったようだ。弱い者の常として、約束したことを大事な時に忘れてしまうものである。

◇背景と大意
「開目抄」は、日蓮大聖人こそが、苦難にあえぐ民衆を救う主師親の三徳を具えられた「末法の御本仏」であることを明かされた重書である。
大聖人が佐渡流罪中の文永9年(1272年)2月に、四条金吾に託して門下一同に与えられた。題号の「開目」とは、文字通り「目を開く」ことであり、末法の一切衆生を救う大聖人に「目を開け」との呼び掛けとも拝される。
大聖人は前年9月の竜の口の法難の後、佐渡に流罪された。門下たちの中には、投獄・追放・所領没収などの迫害を受け、信心に対する疑いを起こして退転する者も続出していた。
本抄において大聖人は、世間の人々や動揺する門下が抱いていた"大聖人が法華経の行者であるなら、なぜ諸天善神の加護がないのか"等の疑問や批判に触れ、末法で妙法弘通を貫けば、三類の強敵が現れることは法華経に説かれる通りであり、難を受けている大聖人こそ真の法華経の行者であると示されている。

◇解説
拝読御文の前の部分において大聖人は、"どのような難に遭おうと断固、広布を進める覚悟に立つ""自らの民衆救済の誓願は誰も破ることはできない"と述べられている。そして、今回の拝読箇所では、門下に対して、いかなる苦難にも屈することなく信心を貫いていけば、必ず仏界に至ることができると大確信で励まされている。
冒頭の「我並びに我が弟子」からは、師である大聖人にとっても、弟子にとっても、成仏の原理は変わらないとの師弟不二の精神を拝することができる。
成仏の要諦は、不退の信心である。大聖人が「疑う心なくば」と訴えられている通り、信心をどこまでも失わないことである。大聖人は、こうした信心の心構えを、門下に繰り返し教えてこられた。しかし、実際に難が起こり、苦しみに直面すると、疑いや嘆きの心にとらわれ、退転してしまった門下も多かった。
「まことの時」とは、まさに、師が何度も教示していた通り、わが身に大難が起こった時のことである。その時、疑いの心を起こして退転するか、それとも妙法への確信を一層深めて最後まで信心を貫き通すか。ここにおいて、生死流転の苦しみに沈むか、成仏への道を進むかに、分かれるのである。この「まことの時」に揺るがない不動の自身を築くためにも、日頃の信心の積み重ねが何より重要だ。
5月3日は「創価学会の日」。学会の歴史をひもとけば、戦時中に牧口先生・戸田先生が投獄された弾圧の時、さまざまな障魔が競い起こった戦後の再建期、そして大聖人違背の宗門が広布破壊の暴挙に打って出てきた時など、大難は何度もあった。学会の誉れの歴史とは、牧口先生・戸田先生・池田先生の三代会長のもと、そうした大難を敢然と勝ち越え、その中で学会員一人一人が宿命転換を成し遂げてきたことである。
かつて池田先生は、こう断言している。
「まことの時とは、自らが決めて戦うことに帰着する。誰人が決めるものでもない。座して瞑想にふけるよりも、祈って、動いて、書いて、話して、生涯、人々の心の扉を開き、心に崩れぬ平和と幸せの砦を、構築しゆくのである。この現実のなかにのみ、正義があろう」
「5・3」から新たな出発である。
「まことの時」は「今」と決め、いかなる苦難も打ち破る師弟不二の信心を貫いていきたい。

◎facebookのSOKAnet(創価学会公式サイト)に、神奈川文化会館からの5月3日の"日の出"の映像があります。暗闇から徐々に明るくなり、とても清々しい朝日です (^^♪

2019年5月2日木曜日

2019.05.02 わが友に贈る

「釈尊の出世の本懐は
人の振舞にて候けるぞ」
大誠実の行動に
仏法者の真価が光る。
そこに信頼が深まる。

松野殿御返事 P1382
『忘れても法華経を持つ者をば互に毀るべからざるか、其故は法華経を持つ者は必ず皆仏なり仏を毀りては罪を得るなり』

【通解】
絶対に、法華経を受持する者を互にそしることがあってはならない。その理由は、法華経を持つ者は必ず皆仏なのであり、仏をそしれば罪を得るからである。

〈寸鉄〉 2019年5月2日
「令和」の世に望むこと—1位は平和。我らの熱と力で生命尊厳の世紀へ
常に青年が時代を動かし新しい時代を創るのだ—恩師。君よ主体者の心で
御書「面にあらずば申しつくしがたし」。直接会い語った分だけ広布は拡大
連休中も会館守る役員の皆様、ありがとう。同志に尽くす陰徳に陽報は必ず
「5月の嵐」に注意。台風並みの暴風も。気象情報確認し危険避ける行動を

☆随筆「人間革命」光あれ 立正安国の言論城 2019年4月26日
民衆のための陰徳に無量の陽報が
異体同心で 我らは朗らかに勝利!
聖教は青年が躍動! 女性が輝く!

「天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか」(御書二五四ページ)
文永十年(一二七三年)四月二十五日、日蓮大聖人が佐渡で書き上げられた「観心本尊抄」の御文である。
波乱の社会の只中で、我らは御金言のままに勇敢に戦い切り、満々たる希望の太陽を昇らせた。その光で愛する郷土と未来を照らし晴らし、堂々たる「立正安国」の柱を打ち立てているのだ。
御本仏の讃嘆は、いかばかりであろうか。
「陰徳あれば陽報あり」(同一一七八ページ)とは、苦闘の日々を乗り越えて、ついに勝利と信頼を勝ち取った門下への仰せである。
しかも、この陽報は"端緒"にすぎず、「大果報は又来るべしとおぼしめせ」(同ページ)と励まされているのである。
君も勝った!
貴女も勝った!
学会健児は、断固として勝ったのだ。
五月晴れの空に向かって、誇りも高く、創価の勝ち鬨を轟かせようではないか!

◇世界の友と団結
栄光の「五月三日」を前に、北米・オセアニアから、アジアのインド、タイ、マレーシア、シンガポール、また韓国から、さらにアフリカのコートジボワールから、世界広布の使命に燃える先駆の英雄たちが勇んでSGIの研修で来日された。
ようこそ、日本へ!
遠いところ、本当に、本当に、ありがとう!
コートジボワールからは三十人もの友が参加された。日本に来られるまで、どれほどの苦労があったことか。一人ひとりに、試練に打ち勝った真金の物語が光っている。
"ソウカガッカイ(創価学会)・コートジボワール・ビクトワール(勝利)"——こう宣言するわが地涌の宝友たちは、「いつもコウセンルフ(広宣流布)のために!」と、異体同心で歓喜踊躍の前進をしている。
有り難いことに、今回来日のリーダーたちをはじめ、全世界の同志も、異体同心で日本の広布の勝利を共に祈り、共に喜んでくれている。
大聖人は仰せである。
「総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり」
「若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か」(同一三三七ページ)
今、御書に寸分違わぬ広布の団結が地球を包み「生死一大事の血脈」が流れ通っているのだ。
まさに、一人の人間革命の体験、一つの地域の立正安国の実証が、歓喜の波動を幾重にも広げる時代になった。この創価の世界市民を結ぶ心の絆が、聖教新聞である。

◇語る者は真実を
九年前(二〇一〇年)の四月二十日、聖教新聞の創刊記念日に、コートジボワールの友と語り合ったことも懐かしく思い出される。
コートジボワールのある地域の共同体では——「語る者は はっきりと語らなくてはならない そして真実を語らなくてはならない」と教え、伝えられてきたという。
明快さと真実は、聖教の信条でもある。今や「セイキョウオンライン」を通じ、世界同時に読まれる新聞となった。
恩師・戸田先生も、「大作、『日本中、世界中の人が読む聖教にしよう』と語り合った通りになったな」と、呵々大笑されているに違いない。
創刊六十八周年を迎えた四月二十日、今秋の完成に向けて順調に建設が進む「創価学会 世界聖教会館」を仰ぎ見るとともに、総本部の地元の聖教販売店にも、私はカメラを向けた。
日頃より愛読してくださっている読者の皆様をはじめ、印刷、資材、輸送、広告等の方々、愛する「無冠の友」、販売店、新聞長、通信員、ご関係の全ての皆様方に、心から感謝を捧げたい。

◇立宗の心に直結
「聖教創刊の月」は、日蓮大聖人の「立宗」の月である。
建長五年(一二五三年)の四月二十八日——大聖人は一切衆生の救済のため、大難を覚悟の上で、「いはずば・慈悲なきに・にたり」(同二〇〇ページ)と、正義を叫び出された。
「今度命をおしむならば・いつの世にか仏になるべき、又何なる世にか父母・師匠をも・すくひ奉るべきと・ひとへ(偏)に・をもひ切りて申し始め」(同三二一ページ)
全人類を幸福に、全世界を平和にしゆく大言論闘争の開始である。
この御本仏の「立宗の心」に直結して広宣流布、立正安国の言論戦に思い切って打って出るのが、創価の師弟である。
だからこそ、学会には、三障四魔、三類の強敵が競い起こってきた。しかし、人間を不幸に陥れる魔性に、断じて負けるわけにはいかない。
「日蓮が一門は師子の吼るなり」(同一一九〇ページ)である。
ゆえに勇気を出して、正義の声を上げることだ。その勇気が慈悲に変わる。智慧と光る。「生命尊厳」の大哲理を掲げ、友のため、地域のため、真剣に動き、語る生命にこそ、仏の慈悲と智慧が脈打ってくる。
なお、「立宗宣言」の会座は「少少の大衆にこれを申しはじめて」(同八九四ページ)と記されている。
今日、少人数で大仏法を学び合う座談会は、そのまま御本仏の法座に連なっていることを確信したい。ここから大聖人と御一緒に、「報恩と孝養」「友情と連帯」さらに「万人の成仏」へ、幸と平和の対話を広げゆくのだ。

◇「新聞」で戦った
思えば、インド独立の父マハトマ・ガンジーが、非暴力の民衆運動の武器としたのも、「新聞」であった。彼がインドで「ヤング・インディア」等の新聞を創刊したのは、一九一九年、今から百年前のことである。
それは、自ら独立運動の新たなリーダーとしてインド全土を東奔西走し、民衆の中へ飛び込みながらの戦いであった。
評伝によれば、「信念と勇気をもって国民を鼓舞した多くの論説は、走行する汽車の三等客室のなかでペンを走らせたもの」と記録されている。
聖教新聞も、戸田先生の八面六臂の大激闘の中で作られてきた。常々、先生は言われていた。
「正法正義のために、民衆のために、命がけで書いてこそ、ペンは剣に勝つことができる」と。
これが「聖教魂」だ。

◇「福光」の力に!
熊本地震から三年——一日も早い「復興」と、被災された全ての皆様に「福光」あれと、願わずにはいられない。
地震直後、被災した同志の心の支えとなったのは、聖教新聞であった。
自宅が全壊しながらも、世界からのエールが掲載された聖教を小脇に抱え、"この新聞ば断じて届ける!"と友のもとを訪れ、励まし合ってくれた同志もいた。
実に、「此文を心ざしあらん人人は寄合て御覧じ料簡候て心なぐさませ給へ」(同九六一ページ)と仰せられた通りの麗しき励ましの光景が、彷彿としてならない。
一人から二人、三人、十人へと広がる、希望と勇気の広場の中心には、聖教新聞があるのだ。
益城町にゆかりの作家・徳冨蘆花は「世にも強きは自から是なりと信ずる心なり」と断言した。
「何があろうと、私はこう生きる!」と言い切れる人生は強い。
なかんずく「我は妙法の当体なり!」「断じて負けない!」との大確信に立って、広布の大誓願に生き抜く創価家族に、「越えられぬ坂」など絶対にないのだ。

◇万葉の民衆讃歌
聖教新聞は、日本、世界の良識から深い信頼を寄せていただいている。
万葉集研究の第一人者であられる中西進先生も、創刊五十周年の折、「今、社会が最も必要としている"励ましの心""癒す心"、生活に染みついた"温かい心"を基調として、聖教新聞は作られています」とエールを送ってくださった。
中西先生には、関西創価小学校での「万葉みらい塾」で、伸びゆく命に美しく大らかなロマンを贈ってもいただいた。
新たに迎える「令和」の時代。英語では「ビューティフル・ハーモニー」と訳される。
聖教は「万葉」の民衆讃歌、生命讃歌を蘇らせながら、「桜梅桃李」という麗しい人間共和のビジョンを、地域の友、世界の友と、明るく温かく発信してまいりたい。

聖教の紙面の光彩は、青年が躍動し、女性が輝いていることだ。
巡り来る五月三日は「創価学会母の日」。
恩師は言われた。
——民衆のために憂い、末法万年尽未来際の世界を見つめ、行動している女性こそ、久遠の約束のもと、今ここにいる創価の貴女たちだ、と。
とりわけ、多宝の母たちが、どんなに強く友の幸せを祈り、郷土に尽くし、後継の若人を育んでくれてきたことか。
この方々こそ、「生老病死」の苦をも転じて、「常楽我浄」の香を広げる生命の宝塔なのである。
そして、「長寿にして衆生を度せん」(創価学会版法華経五〇五ページ)との法華経の経文を体現しゆく、「地涌の太陽」なりと皆で最敬礼し、さらに宣揚していきたい。

◇正義を叫び抜け
大聖人の生涯にわたる御化導は、「立正安国論に始まり、立正安国論に終わる」といわれる。
この「立正安国」の魂を受け継ぎ、民衆の幸福安穏と、世界の平和繁栄のため、断固と正義の師子吼を放ち続けることが我らの言論戦である。
この大道を、我らは、威風堂々と進む。
「立正安国」の誓願を胸に、今日も、明日も、聖教新聞を希望と勇気の旗印と掲げながら!

2019年5月1日水曜日

2019.05.01 わが友に贈る

新しい歴史を築くのは
新たな決意と情熱だ。
目的や目標を明確に!
誓い願った勝利の峰へ
青年の心で前進しよう!

盂蘭盆御書 P1430
『我が身は藤のごとくなれども法華経の松にかかりて妙覚の山にものぼりなん』

【通解】
我が身は藤のようでも法華経という松の木に懸かれば妙覚の山にも登ることができるのです。

〈寸鉄〉 2019年5月1日
「令和」の歩み始まる。我らは世界平和の伸展と地域の繁栄へさらに貢献
学会は人材をもって城となす—恩師。社会も人材獲得激化。見つけ育てよ
長距離運転、疲れ・焦り・無理は事故の因に。余裕ある計画と早めの休憩を
列島で田植え進む。瑞穂の国の「食」を支えゆく"農漁光"の友に大感謝
新しい時代は「良い方向に進む」若年層の8割と。公明が未来建設の舵取れ

☆5月の広布史
◎5・3「創価学会の日」
1951年(昭和26年)5月3日、生涯の願業として75万世帯の弘教を掲げ、戸田城聖先生が第2代会長に就任。60年(同35年)同日には、東京・両国の日大講堂で、池田大作先生が第3代会長に就いた。世界に広がる大民衆運動の原点の日である。
※参考資料=小説『人間革命』第5巻「烈日」、第12巻「新・黎明」

◎5・3「創価学会母の日」
88年(同63年)4月27日の第1回全国婦人部幹部会の席上、"学会で最も大切な記念日である「5月3日」を「創価学会母の日」にしたい。そして、広布の母である婦人部を最大にたたえ、顕彰する日としてはどうか"との池田先生の提案を受け、同年から実施された。
※参考資料=『随筆 師弟の光』

◎5・5「創価学会後継者の日」
76年(同51年)5月5日、関西戸田記念講堂で行われた鳳雛会・未来部の記念勤行会の席上、「こどもの日」を「創価学会後継者の日」とすることが発表された。池田先生は「創価学会にとって『後継者の日』は、5月3日の『創価学会の日』に続く重要な日である。一切の建設は『人』で決まる。『人』といっても、若い世代に託す以外にないからである」と語っている。

◎5・9「音楽隊の日」
54年(同29年)5月6日に結成された音楽隊が初出動した同月9日が淵源。

◎5・19「創価学会常住御本尊記念日」
戸田先生が51年(同26年)5月3日の会長就任式の席上、創価学会常住御本尊を発願。同月19日に認められた。
※参考資料=『人間革命』第5巻「烈日」「随喜」

☆総県長会議での原田会長の指導(要旨) 2019年4月26日
◇広宣流布とは間断なき闘争 リーダーが毎日の拡大毎日の激励を
一、4月に行われた統一地方選挙において、私たちが支援する公明党は大勝利を収めることができました。
全国の同志の皆さまの大奮闘に、心よりの感謝と御礼を申し上げます。本当に、ありがとうございました!(拍手)
いよいよ新しい「令和」の時代を迎える時にあって、連立与党の一角を厳然と担う公明党の役割は、ますます大きくなっています。その評価の声も、多くの識者から寄せられています。
池田先生が示してくださった「大衆とともに」の立党精神、そして、大衆の声に耳を傾け、政策を実現するという「小さな声を、聴く力」が、今こそ光る時代を迎えています。
公明党には、支持者と国民の声に、仕事で、実績で応えてもらいたい。
一、ともあれ栄光の「5・3」を大勝利で飾ったことに対して、ともどもに大拍手を送り合いたい(拍手)。
各組織にあっても、大奮闘の同志を最大にねぎらい、たたえていきたい。
1955年(昭和30年)、5月3日を前に池田先生は、若き日の日記に「終幕即開幕。烈火の如き一念を……」とつづられました。
そして、このことを随筆に紹介してくださった時には、「一つの戦いの終わりは、次の新たな戦いへの開幕にほかならない。広宣流布は、燃え尽きることなき連続闘争だからである」と記してくださいました。
まさに、これまでの広布の歴史は、池田先生の間断なき死身弘法の戦いで開かれてきました。それを知る私たち池田門下の弟子も、今一重、一念を定めて、連続勝利へ打って出てまいりたい。そのために、本日は2点、その要諦を確認したい。

まずは自分が
第1に、「大きく動き、大きく友情を広げ、大きく境涯を開く」ことを確認したい。
本年は、先生が随筆で「一人が、十人の本当の友人をつくっていこう! そこに実質的な広宣流布がある」「さあ、創価の友よ! 新たな広宣流布の前進へ、立ち上がって、打って出よう! 沈黙していないで、語りかけよう! 一日一日、友情と対話のドラマを綴るのだ!」とつづっていただいてから、ちょうど10年の節目です。
また、近年は家族や親戚との交流を広げることに重点を置いてきましたが、親族への理解が深まってきたという声も、たくさんいただいています。
ともあれ、大きく動けば、境涯も大きくなります。如説修行抄に「かしこへ・おしかけ・ここへ・おしよせ」(御書502ページ)とある通り、一人一人が「自分にしかできない味方をつくろう」「自分にしかできない立正安国の戦いを進めよう」と、勇んで対話に挑戦してまいりたい。
なかんずく、その先頭をリーダー自らが走っていきたい。リーダーが大きく動いた分だけ、組織に勢いがつきます。そしてリーダーが境涯を広げれば、組織も大きく広がっていきます。
まずは自分が大きく動く。そして、突破口は自らが開く。本日集った私たちから、率先して行動を起こしていこうではありませんか。

確信の励ましで
第2に、「一人でも多くの方を広布の陣列に」という点を確認したい。
かつてない戦いに挑むためには、かつてないメンバーが広布の陣列に加わらなければ、勝利は見えてきません。
そのためには、リーダーが一人一人の状況に細かく心を配るとともに、「広布拡大・立正安国への戦いで、福徳は大きく積まれる」ことを確信をもって語りながら、温かく励まし抜いていく以外にありません。語りきるだけではなく、話をじっくり聞いていくことが、どれほど相手の気持ちを奮い立たせるか計り知れません。
ともあれ、諸法実相抄に「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり」(同1360ページ)と仰せの通り、広布に戦う陣列を増やし、立正安国の道を確かなものにしていきたい。

勝利の上げ潮を
12年前のきょう4月25日の本部幹部会で池田先生は、56年(昭和31年)の同日、大阪支部から1カ月で9002世帯の折伏を達成した知らせが届いたこと、そして、その日の日記に「断固、五月度も追撃だ。一万世帯の夢も可能だ。上げ潮だ、怒濤の如き。不幸の人々を救っているのだ」「喜べ、舞え、叫べ、踊れ、歌え、妙法の健児達よ。同志たちよ」と書き残したことをスピーチしてくださいました。
その後、大阪は5月に未曽有の「1万1111世帯」の金字塔を打ち立て、7月に「"まさか"が実現」を達成したことは、皆さん、ご存じの通りであります。
次いで、先生は語られました。
「私は、あらゆる戦いに勝ってきた。『仏法は勝負』であるからだ。人生は戦いの連続である。これからも、さまざまな試練はある。しかし、どうせ戦うならば、楽しく戦おう! 苦難をも笑い飛ばして、朗らかに進もう! 勝てば、楽しい。痛快である。どれだけの歴史を築けるか。どれだけ、自分自身を大きくしていけるか。思い切って挑んでいくことだ」
「リーダーの皆さんには、友の健康と無事故を勝ち取る、大きな責任がある。しっかりと祈りながら、偉大なる名指揮をお願いしたい」
このご指導の通り、リーダーは友の無事故・健康を祈り抜き、勝利への指揮を執ってまいりたい。
リーダー自身の「毎日の拡大」「毎日の激励」が勝負になります。また、栄光の「5・3」から師弟勝利の7月へ毎月、上げ潮をつくっていけるか。まさに「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」(御書1190ページ)の御金言を実践できるかどうかです。
今、先生と共に師弟共戦の歴史をつづることができる。これ以上の喜びはありません。
そして、先生に師弟勝利のご報告ができる。これ以上の誉れはありません。
さあ、異体同心の団結で、そして池田門下の底力で、断固、創価勝利の旗を全国に翻そうではありませんか!

◎聖教新聞の日付も「2019年(令和元年)5月1日」でした (^^♪